希望の党の体質・代表選候補者の主張3(羊頭狗肉)

昨日紹介した両候補の主張を見れば、両候補者共ある程度オブラートに包んだ主張ですが、ああだこうだと言いながら憲法9条改正や安保法制に反対という立場で大串氏の主張が若干はっきりしている程度の違いです。
多くのメデイアが総選挙中に排除論理を大々的宣伝していたにも拘らず、選挙後の代表選の候補者の主張は合流条件に実質違反していないか?選挙後わずか2週間前後でこんなに変わってもいいのか?という批判や疑問を一切出さないのが不思議です。
ところが、https://thepage.jp/detail/20171108-00000012-wordleaf?page=2によると「安保法制を容認する案を削除した経緯がある」というのですから驚きです。

「大串氏が、政策協定書をめぐって安保法制を容認する案を削除した経緯があることから、「安保法制は容認していないという立場は明らかにしながら、現下の安全保障環境に鑑み、現実的な外交安全保障政策を取っていく」と・・玉木氏は「安保法制は当時われわれ(民進党)は反対した。違憲の疑いがある部分が残っているというのは大串さんと同じ考え」・・

代表選に出た大串氏の主張によれば、メデイア大宣伝とは大違いで「安保法制賛成」条件はいつのまにか削除されていたようです。
希望の党に合流しても民進党在籍時の主張を変えることなく従来主張を前提にしてその先のバリエーションが違うだけでその延長上で主張して行ける仕組みになっていたことが上記でわかります。
もしそうならば、党の骨格に関する重要な協定変更がある→結果的に選挙後民進党計議員が圧倒的多数を占めるであろうとことがほぼ既定路線である場合に、「希望の党」の体質に重要な影響のある協定変更についてメデイアがこれを何故報道しなかったのでしょうか?
「排除論理を大宣伝している方が浮動票獲得に有利」という読みがあったからではないかの疑いを持つ人が増えるでしょう。
当選者50名中45名が元民進党員で、元民進党内での主張をそのまま維持できる公認条件ならば元民進党員排除論理に安心した浮動票の下駄を履いて得票数を伸ばせるメリットが大きかったことが推定されます。
総選挙の比例得票数の結果を見ると元民進党系(無所属で出た野田氏などを含めた)当選者が120名前後に達しているのですから、衆議院定数465名中約25%を占めていますが、解散直前の同党支持率が6%あまりしかなかったことから見れば、約4倍に膨張しています。
総選挙中に民進党系の伸長要因としては、党内意見対立でまとも意思決定できない状態から、左右(規模いう合流組みと立憲民主党)両派と無所属の3派に分かれた結果、それぞれの支持者が安心して応援できた面がある程度寄与したとは思えますが、その程度であれば、何割増が限界で4倍にもなったと考えるのは無理があります。
中道右派と決別したことを好感して元々の民進党支持層の多くは立憲民主と無所属選択組みに流れ共産党系からも票を取り込みことによって55名(立憲民主だけで11%以上)の当選・・元の民進党全体の支持率(6〜7%)以上の票を取り込んだ(共産党当選者の急減を伴う)ことになります。
希望党当選者50名中元民進党員が45名(衆議院定数の1割以上)ですから、これがどこからきた票か?です。
選挙期間中にこれといった政治面でのヒットがなかったことを見れば、立憲民主が左翼系浮動票取り込みに成功したように、希望の党の看板獲得によって保守系浮動層獲得(左翼切り捨てによる保守系2大政党体制ができることへの期待感)が大きく貢献したことが明らかです。
ところが、選挙後に行われた希望の党の代表選立候補者の主張を見れば、直ちに先祖返りを始めた・・・・民進党の中道がそのまま移ってきただけ・羊頭狗肉・看板架け替えに終わったことになります。
合流自体に政治信条も誇りも節操も何もないのか!と批判されていましたが、「あちら立てればこちら立たず」の諺通り、民進党時代の主張・節操を守ろうとすれば、看板に偽りがあったとならざるを得ないジレンマに逢着しています。
悪く言えば、選挙で当選さえすればこの先数年の生活保証があるということでしょうが、(この種の批判も相次いでいました)民主党の政権奪取時にいろんな公約のほとんどが根拠がなかったのと同様に国民の失望を受けることなど気にしない・・その後どうなろうとも当選第一という姿勢だったようにも見えます。
自己の節操を守るのか公約を守るべきかの順序で言えば、代議士は国民の支持によってこそ存在意義があるのですから、裏切って飛び出した旧組織に忠誠を誓うのでは二重の裏切り行為になります。
ロシア革命のように一旦政権さえ握れば、その後は権力にもの言わせて恐怖政治を断行する前提であればだまし討ちも有効ですが、民主社会で国民の芯を失えばあとが続きません。
ロシア革命の本質は甘言を弄して一旦客を店内に呼び込めば勝ちという暴力バー的商売に似ていますが、日本でも戦後の社会党片山政権の大失敗・やっと傷が癒えたと思ったら民主党政権の約束違反・二度あることは三度あるとも言いますが、こんなことの繰り返しでは左翼系の信用が下がる一方でしょう。
我が国では、古来から信用第一できたのは、50年や百年後どころか、子々孫々にまで汚名が引き継がれるのは困るという意味です。
希望の党代表選挙直前ころの世論調査結果が出てきました。http://www.sankei.com/politics/news/171113/plt1711130038-n1.html

【産経・FNN合同世論調査】2017.11.13 21:26更新
希望の党凋落、支持率3.9% 立憲民主党との差は拡大… 7割超が「小池百合子氏は都知事に専念すべき」

上記の通り「看板に偽りあり」とバレたのちの支持率は3、9%に急落です。
総選挙の得票率そのものではないですが、希望の党は衆院定数465名中50名当選ですから11%との差が、大方「排除」論理に騙された人たち・・メデイア合作戦略による上乗せ分でしょう。
元の民進党の支持率6〜7%から立憲民主支持層を引くと現在の3、9%でもまだ多すぎですが、多分左翼切り捨てに対する期待層がまだ残っているということでしょう。
立憲民主同様にお互い主張をすっ切りした方が支持が増える選挙の時だけの共闘は合計支持率を下げる可能性が大ということです。
ちなみに総選挙では東京での得票率は以下の通りでした。
https://mainichi.jp/articles/20171024/ddl/k13/010/270000c

衆院選2017 比例得票率 自民トップ30.47% 立憲23.58%、希望17.44% /東京

立憲と希望が共闘合体すれば合計40%になるどころか、何をする党なのか不明のために解散前には野田氏らの無所属系合わせても合計で6〜7%の支持率にも行かなかったのです。
総選挙の得票率と現在の支持率3、9%との差が、大方「排除」論理に騙された人たち・・メデイア合作戦略による上乗せ分でしょう。
実質4%足らずしか支持されていない政党が羊頭狗肉の策によって国会で11%の発言力を握ったことになります。
13日に紹介した渡辺喜美氏の意見のとおり、(何割かは寛容な保守党という決まり文句に騙されたままでしょうが)大方の国民は「排除」発言に騙されず潮が引くように希望の党から逃げた結果が明日紹介する都内10区小選挙区の投票結果でしょうし、昨日紹介した葛飾区議選の結果でしょう。

マスコミの情報操作1(羊頭狗肉)

ここで、Dec 19, 2014「国際運動の功罪3」前後で連載していたマスコミの信用性に戻します。
投票直後の報道を見ると、争点がないので投票しても仕方がないかのように煽っていたことに触れないで、投票率が下がったと強調している一方で、(与党圧勝と言っても)自民党の絶対的得票数が何万人減ったと大きな見出しの記事があります。
投票率減=投票総数が減れば得票絶対数が減るのは当たり前ですから、得票率で比べるべきものを得票数で書いているのです。
投票率を下げれば、組織票の占める比率の大きい公明・共産党の得票率が伸びるのは当然予想出来ますし、そのとおりの結果になりました。
見出しだけではなく、内容を見ると議席をある程度増やしている民主党の方が大きく得票総数を減らしているのに、それは記事の中の小さなデータ的記載でしかありません。
週刊誌の名誉毀損記事に関する裁判を見ると、見出しが過激だが内容を見ると客観的な記事になっているので、普通の読者が読めば合理的理解可能であると言うような評価がされていることがあります。
言わば過激な表現で読者を引きつけても内容さえ表題と矛盾したことを書いていれば良いと言わんばかりですから、これが大手マスコミのインチキっぽい報道を誘発して来たのかも知れません。
判例は表現の自由との兼ね合いもあって、慰藉料を払うほどの違法性がない・・刑事処罰するほどの違法性がないと言うだけであって、好ましい報道の仕方であるとお墨付きを与えたのではありません。
NHKも台湾現住民が日本統治に対する好意の念で取材に応じたのに、放送の方は如何に日本統治が酷かったかのテーマにされてしまっていたことが政治問題になったものですが、「画像編集の裁量性や取材者に対する損害賠償義務があるか否か」しか裁判のテーマにならなかったと思われます。
取材対対象者が番組内容に口出しする権利がないと言うことで(・・放送内容はフィクションがあっても放送者の自由?)NHK勝訴に終わったらしいですが、(その内判例時報等に乗るでしょうが・・まだ判決書きを見ていません)国民の正当な疑問は国営?のNHKが何のために巨額予算を使って、台湾統治が酷かったと言う報道番組を作る必要があるかだったのです。
そもそも、政治問題を裁判で決着しようとするのは筋違いです。
この辺は在特会の朝鮮人学校・(公園不法使用)問題では、ヘイトスピーチが強調されたマスコミ報道とは違い、裁判ではヘイトスピーチか否かについては直接問題にされなかったと言われているのも同様です。
日弁連の政治運動に対する高裁判決も白紙のお墨付きを得たのではなく、高度な自治権を有していることを勘案して違法とまでは言えないと言う判断であったと思われます。
刑事罰や損害賠償さえ命じられなければ、道で痰を吐いても良いし、出会った知人に挨拶しなくても良い国民レベルでないのと同じで、大手マスコミには求められる品格がある筈です。
国民レベルが高いので、姑息な宣伝・やり方でも、国民が騙されないから違法ではないと満足していいのはなく、国民の品格意識として「こんなことばかりしていて良いの!」と言う時代が来ているのですが、マスコミは市場選別を受けない限り好き勝手をやっていいいのでしょうか?
国民レベルを問題にしなくとも、名誉毀損・・違法性・刑事罰を求める判断とは違い「誇大広告・・羊頭狗肉・・内容と包装紙や宣伝とが違うじゃないか」と言う商道徳の観点から見ても、問題性が明らかではないでしょうか?
マスコミ報道を商品供給者としてチェックする視点・・・商人道・適正業務違反と言う視点からの裁判がなかったから、マスコミ報道に対する裁判が甘い結果になっているだけではないでしょうか?
吉田調書虚偽報道や慰安婦騒動を見ても分るように、民族全体が被害を受けていて個々人の被害がはっきりしない場合、個々人が被害者として訴訟が出来なかっただけで、個々人の総和としての民族の損害は計り知れません。
誇大広告その他被害者が社会全体=広範になって個々人の被害としては薄まっている場合、個々人が自分の被害だけしか賠償を求められない仕組みでは、コスト的に訴訟出来ないので、市場淘汰に任せると言って放置出来ません。
一般商品の場合にはレッセフェール・市場万能主義とは言いながらも薬品・食品・車・飛行機、原発その他あらゆる製品分野では製造過程の品質確保の規制を厳重にしている外、製造後リコールその他広告販売方法等に関しても不正競争防止法や独禁法・クラスアクション・懲罰的賠償等が発達しています。
マスコミ報道についても「商品供給」者としてみれば、一旦報道されてしまうと取り返しのつかない効果が発生してしまうものですから、何らかの現在法的規制があっても良い・・必要な分野ですが、思想表現関係は言論の自由との兼ね合いが難しいことを理由に手つかず・時代の進展に適合出来てない状態になっているに過ぎません。
言わば、近代法で確立された・思想表現の自由・言論の自由を悪用・濫用している状態です。
文化人の好きな「近代法の法理を守れ」と言う主張自体が、この面でも現在的修正を迫られているのに対応が遅れている実態を無視した意見であることが分ります。
自由主義経済・市場主義が、思想表現の自由と表裏一体で発達して来たことを思えば、商品供給や広告に関して事前事後の規制が許されるようになっているのに、マスメデイアの商品供給である思想表現についてだけ、(個人意見は商品供給にはならないでしょうが)何をしても自由・・名誉毀損や業務妨害でさえなければ放任と言うのでは片手落ちです。
マスコミは事実報道することに重要な使命があるのであって、一定方向に向けて情報操作して良い社会合意があるのではなく、規制が追いついていないに過ぎません。

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