日本人が当然知っているべきモラルを知らない外国人が来るようになった場合、日本人ならば当然知っているべきモラルの同一性がありません。
例えば、薩摩藩が幕末に起こした生麦事件が有名ですが、大名行列に乗馬で乗り入れるなど日本人から見れば「不敬」そのものでしょうが、外国人から見ればいきなり斬り殺されて大騒ぎになったものです。
乗り入れた英国人一行の方は、前方から東海道筋を道路いっぱいに進んで来る久光の行列を見て困惑したらしいですが、(通訳が随行していなかったのが事件発生の大きな原因だったでしょう)どうして良いか分からずにいると、先払いの者から身振りで道路脇によれと言われたように思って・・現在よくある光景・・山道や狭い道路で対向車に出くわすとお互い左右に避けながらゆっくり進むような感覚で脇によって進めば行列も右脇に寄ってくれるのかと思って騎馬のまま進んで行ったようです。
道が狭く久光の行列が道一杯に進んでくるので、結果的に英国人の騎馬グループと行列が衝突する形になり、先行の足軽などが馬を避ける結果、次第に行列の中程まで(すなわち久光の籠近くまで)行列をかき分けて乗り入れてしまう結果、護衛の武士団は黙って見過ごせない・・血相変えた戦闘モード満々の武士団の殺到に直面した英国人一行が馬主を巡らして引き返そうとしたが時すでに遅し!大事件に発展した瞬間だったらしいです。
日本の場合、古代から牛車や行列が行き合えば、身分格式の低い方が道を譲り脇に控えるのが礼儀でしたし、これは江戸城内の廊下で大名同士が出会っても同じルールです。
西欧でも例えば、西洋由来の軍隊組織では初見の人同士では相手の階級の見分けが付かないので肩章襟章等外見で階級が分かるようにしていて、階級の低い方が最敬礼して脇に下がって見送る仕組みです。
英国でも似たようなルールがあった・・・格上格下の礼儀ルールは洋の東西を問わず同じとしても、よそから来た英国人が島津の行列かどうか(旗印や家紋程度で分かるはずもないし)の判断もつかない上にそれが分かったからと言って、島津が何ほどの家柄か、自分と比較して自分がよけるべきかどうかの判断までは付かなかったでしょう。
ましてこの時、島津久光が700人もの軍勢を率いて江戸に出て来て、公武合体論に基づく一橋慶喜の将軍後見職任命や春嶽の政事総裁職任命等を迫って実現させて意気軒昂な帰路(は400人)でした。
こういう事情も全く知らなかったでしょう。
ただ、今でも、個人が何らかの集団とぶつかりそうになれば、言葉が通じなければ集団の通過を待つのが普通で、まして危なそうな軍の列であればなおさらではないでしょうか?
この辺に英国人側に常識論で見ても、一定の落ち度があったように見るのは、日本人としての贔屓目かも知れません。
この事件処理で幕府が英国の要求する巨額の賠償金を払ったものの、薩摩側はこれに応じなかったので薩英戦争につながるのですが、このように、大名行列と出会ったときの礼儀ルールをきちんと法令化していれば相手国からの文句に対する立場が大きく違っていた・・こんな危険な国だから、不平等条約が必要という論拠にされて明治以降の不平等条約解消が難航した下地でした。
人権擁護のためではなく国内的には権力意思貫徹には周知が前提・・対外的には国家主権確保のためにも、生類哀れみの例のような明文法が必要になります。
産業構造や社会生活が複雑化してくると、技術的規制は日常常識では判断しかねるので明文化して起き、プロでもその都度確認する必要が起きてきます。
建物建築でも「家はこういうものだ」「柱と柱の間隔は一間にきまってる」という経験による工事では間違うので、今ではいちいち図面を確認しながら作業していく必要があるのと同じです。
社会の仕組み=商品の種類が単純な時代には、いわゆる名僧知識の禅問答的御託宣で間に合ったしょうが、商品経済が複雑化してくると、具体的ルールや細則がないと現場でどうして良いか・個々人の裁量で行うと精密な機械が故障する時代になってきました。
精密部品・・普通の電化製品でも寸法は何センチ何ミリまでピタリ合っていないと不具合が起きる時代ですが、法制度もこれに比例して細かく細かくなる一方です。
世の中になぜ専門家が増えてくるかといえば、法律家でも金融商品取引ルール証券取引ルール、道路交通法、原子力安全規則などなど分野ごとに膨大精密すぎて、税務関係は税理士などそれぞれの専門家が必要な時代=それだけ法令(だけで足りずその先の規則、細則〜ガイドライン(別紙技術基準)等々分野ごとに細かくなっているからです。
これに加えて人の移動広域化・・異民族間移動の場合、元々の基準である道義意識も違ってくるので技術的規制だけでなくいわゆる自然犯でさえも明文化していないと外国人には、思いがけないことで処罰を受けるリスクが増えます。
現在では金融・証券取引や道路交通法あるいは各種環境規制や食品衛生や建築などの安全基準 のように専門化してくると、明文法に処罰すると書いていない限り処罰できないようにしてくれ・という逆転現象が起きてきます。
早くルールを明文してくれないと商品開発しても普及(ドローン利用のサービスや車自動運転、電子通貨関係など)できないという逆転現象が起きています。
罪刑法定主義が人権擁護という政治論より、産業発展によりいろんな分野でのルール化が求められるようになったことが、ルール化が進んだ基礎事情でしょう。
西洋では、絶対君主制・・恣意的処罰が横行したので絶対君主から領民の人権を守るために生まれたと習いますが、我が国の場合、支配者が慣習法や道徳律に反するルールを新たに決めた場合、特別な法令が必要な社会が到来していた・逆方向からの発達であったし、これが今の潮流と理解すべきではないでしょうか?
中国は独裁・専制・法治国家でなく人治国家と揶揄されていますが、商品経済が進み、産業構造が高度化すると政治家の思いつきで製造基準を変えられない・・精密ルール化は避けられないはずですので技術基準の法令化・ルール化が進む点は、同じではないでしょうか?
問題は(共産党幹部であろうとなかろうと、)誰もが等しく「ルールを守らねばならない」という法の下の平等ルールを守れるか次第ではないでしょうか?
そのためには司法権独立が必須ですが、中国政府は香港の覆面禁止条例無効判断をした高裁判決を否定する主張をしているようで、政府が司法権を軽視しているようでは、法を守る気がないと自己主張しているようなものでこれこそを重視すべきです。
諸葛孔明の故事に「泣いて馬謖を斬る」という故事がありますが、上に立つものは自分の決めたルールを守らないのでは、配下がルール・命令を聞かなくなるからです。