国民総意2と神威

古代ではモーゼ・・神の啓示・・我が国では神威?宇佐八幡の御神託などの受信能力のある人・結局は意味不明ですが、卑近な例で言えば企業経営での投資・撤退決断等々集団トップに求められる決断力でしょうか。
宇佐八幡の御神託についてはJan 16, 2020 「神は民族利益を超越したか?」でも少し触れました。
政治家で言えば、国内や世界情勢の空気を読む能力であり、読みが狂うとリスクを取る立場ですが、いつもギリギリ決断の積み重ねです。
各種評論家、学者はその道のプロのように見えますが、「無数の与件が一定としたら」こうなる・こうすべき論にすぎません。
厳格なルールで行われるスポーツでさえも選手の体調、気温風向き等による誤差が生じますし、政治経済などの社会現象では何万あるか不明・無限大要素の組みわせですから、与件一定などあり得ないので、高名な評論家・学者等が経営や政治家になって成功した事例は皆無に近いでしょう。
「政治の世界は一寸先は闇」というように、数分後の大地震や今回の中国武漢発のコロナウイルス騒動による大リスクなどは合理的分析では予測不能です。
安倍総理の中東歴訪直前に米国によるイランの司令官殺害とこれに激昂するイランがどう動くかの緊迫した情勢下で、安全保証専門家が総理に示した選択肢が数種類あって(これが官僚システムの原則らしいですが)総理がその中で最も順位の低い予定通りの歴訪を選んだということでしたが、結果的にイランによる米軍基地へのミサイル攻撃が限定的だったことで報復合戦のエスカレートにならず歴訪決断が良かったことになります。
このような限界状況下では、プロの高度判断に頼るしかないことが今でもいっぱいあります。
政治の世界では世界中の情報が手元に揃っていない中での(後講釈は誰でもできると言われる所以です)緊急判断が求められることが多いので、直感力.神の啓示の受信能力のレベルによります。
サッカー・ラグビーなどで瞬時動物的勘による的確なパスや移動、戦闘現場での司令官や救急担当医師等の専門家判断の場合鍛え抜いた訓練の結果でしょうが、政治家の場合鍛え抜いた直感と神の啓示受診能力双方が必要な感じです。
菅直人氏には市民運動をしてきたせいか?で緊急時の胆力というか現場指揮経験がない・・実務能力欠如が目立ちました。
方向性がズレましたので東北大震災による原発事故に関する国民総意に戻しますと、当時の日本は敗戦時同様の国難に遭遇して悪くいえば民族挙げての総ヒステリー状態下で国民挙げて国家民族のいく末に誰もが想いを致す特殊環境下にあったので「民族意思が形成された」状況であったというべきでしょう。
国民全員に憑依した原発に関する国民総意は、「もともと危険なものである」「この危険なものが、通常状態では飼い慣らせる・危険除去施設設置は可能であっても、突発的自然現象については中短期的将来の科学技術の発達によっては予測不能である→100%安全確保できない」というものでした。
ただし、「いつ自然の猛威が襲い掛かるか不明であるので、すぐやめると電力不足で社会生活が成り立たない現実を踏まえ、代替発電産業の成長するまで最大限危険予測を鋭敏にしながらも代替電力が成長するまで「恐る恐る運転継続する」という国民総意があったことになります。
例えば、東北大震災級津波がいつどこに来るか不明ですが、だからと言って日本中の海岸ベリの生活を全員一斉に明日から放棄するわけにはいきません。
東北の大津波に被災地で明日もう一度津波が来ないという確信がなくとも警戒しながら海岸ベリで堤防その他の復旧作業を続けています。
要するに「危険が否定できないからすぐやめる」という選択肢を国民総意が取らなかったのです。
こういう考えは原発に限らず、もともと法律学で「許された危険」という基礎理論の応用です。
卑近な例でいえば、車の場合、交通戦争と言われ最盛期には年間1万人以上に事故死者が出ていましたし、今でも自動車による死亡事故を皆無にすることはできないが、社会的に有用な道具であることを理由に製造販売使用が許されています。
料理も食中毒の危険が否定できないからと、フグやキノコに限らず何もかも禁止していれば多種多様な日本の食文化が生まれなかったでしょう。
飛行機も墜落しない保障がありませんが、今よりもっと危険性の高かった初期から許容されて技術開発の結果次第に安全性が高まってきたものです。
原発というか放射能漏れによる死者が一人も出ていないのに比べれば、車の被害の方がその何万倍も大きくしかも(死者だけでなく傷害・物損事故の方が死亡事故の何十倍もあるほか排ガス公害など)現在も日々発生しています。
原発に限って、危険の可能性があるという程度で停止命令を出すことは国民総意に反していないかの違和感です。
伊方原発で稼働停止命令が出たとの報道ですが、この国民総意を無視して司法が「危険性がない」証明を求めたとすれば危険を除去できない前提の国民合意・・与野党合意を無視した判断となります。
できるだけ慎重審査するという政府の決めたルールを守っていないという判断でしょうか?
決定文自体がまだネットに出ていないので正確な決定理由が不明ですが一応引用しておきます。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200117/k10012249231000.html

伊方原発3号機 運転認めない仮処分決定 広島高裁
2020年1月17日 18時02分

・・広島高等裁判所は、地震や火山の噴火によって住民の生命や身体に具体的な危険があるとして、運転を認めない仮処分の決定を出しました。・・

伊方原発の敷地の近くに地震を引き起こす活断層がある可能性を否定できないとしたうえで「原発までの距離は2キロ以内と認められるが、四国電力は十分な調査をせず、原子力規制委員会が問題ないと判断した過程には誤りや欠落があったと言わざるをえない」と指摘しました。

また火山の噴火に対する安全性については、熊本県の阿蘇山で噴火が起きた場合の火山灰などの影響が過小評価されているという判断を示しました。

国民総意1と神威

大震災の猛威を見て、当時国民投票こそしていないものの、原子力発電は「やめてしまうしかないほど危険なものである・科学技術で100%安全確保できない」という国民認識が一般化していました。
いわゆる「総意」ですが、本当に重要なことは形式的な多数決ではなく総意によるのが正義というべきでしょうか?
弁護士会内や公共団体の各種委員会で議長または委員長がいろんな意見交換後議論の流れ・空気を読んで「ではこのような答申・議決でよろしいでしょうか?」などと取りまとめるのが99%以上といっても過言ではありません。
千葉県弁護士会の総会ではこの10数年以上前から政治的立場による意見対立が激しくなってきた結果か?議長により「この方向でいいですか?」的な取りまとめ方が通用しなくなって、対立の激しい総会決議等では毎回(賛成反対棄権何票等きっちり数えて)厳密な決を取っています。
日本国憲法制定は「国民総意」によるというのですが、どうやって「総意」を確認するのかしたのかが法的に問題になります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/八月革命説#大日本帝国憲法の改正と憲法改正限界説

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
御名御璽
昭和二十一年十一月三日(以下略)」

私は、上記8月革命説を提起した宮沢憲法で勉強した世代ですが、その頃読んだ記憶ではルソーの意見を引用しながら、それでもないというような私の能力では理解困難な議論を書いていた記憶ですが、理解できなかったという記憶だけ残っています。
ちなみにルソーの「総意」とはウイキペデイアによれば以下の通りらしいです。

ルソー社会契約論において意思の総和だけでない正しい理念と言う意味(一般意思)で用いた(これをヴォロンテ・ジェネラールともいう)

上記を読み直しても多数決の程度ではない・国民投票で決めるべきでもない・意味不明ですが、私流の直感的理解では、民族意思を超能力的直感で実現する行為でしょうか?
日本国憲法制定時の国会の議論では、時間的条件として制定時の国民意思ではなく、民族の過去現在未来を通じた民族意思と言うようです。

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/dai1/sannkou4.pdf

【内閣法制局長官 真田秀夫君(昭和 54 年4月 19 日 衆・内閣委員会)】 天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づくと書いてございます場合のその総意 というのは、一億何千万の国民の一人一人の、具体的な国民一人一人の意思というよう な意味ではなくて、いわゆる総意、いわゆる総体としての国民の意思ということでござ いますので、特定の人がその中に入っているとか入ってないとかいうようなことを実は 問題にしておる条文ではないというふうに考えられます。…先ほど申しましたように、 ここに言う総意というのは、いわゆる総体的な意思、一般的な国民の意思という意味で ございますので、証明しろとおっしゃっても、それはなかなか困難であろうと思います。 …いまの憲法ができますときに、これは帝国憲法の改正の形をとりましたけれども、当 時の帝国議会で衆知を集めていろいろ御検討になって、そして国民の総意はここにある のだというふうに制憲議会において御判断になった、それがこの条文の規定にあらわれ ておると、こういうふうに言わざるを得ないのだろうと思います。

総意」とは過去現在未来の民族意思と言うのですから、投票によって数字で(単純多数か、特別多数か、全国民一致か、成人だけに限定するかなどの議論以前の概念です。

指標破壊→民意不明・信用破壊1

中国、韓国のように指標がいい加減だと本当の指標を絶え間なく自己流に探す・開発して行くしかないので、深読みの意見に頼るしかないので効率がすごく落ちます。
深読みとは、客観データでは分らない裏の情報をキャッチして読む力ですから情報機関の役割の大きい社会です。
中国で言えば、ある会合での歩く順序や座席の位置から力関係の変化を読むのがはやっているのが好例ですが効率が酷く悪い社会になります。
私のマスコミ批判は独自情報を知っているから批判しているのではなく、マイナンバ−であれ、実質賃金であれ「多数国民意見」であれ同じデータの解釈をマスコミがすり替えてあるいは如何にも関係がありそうに誤誘導していることに対する批判です。
我が国のマスコミが当てにならない批判を受けているのはデータが虚偽に満ちている(これはマスコミではなく政府の責任です)からではなく、データを故意に読み違えて「角度」をつけて報道しているキライがあるからです。
たとえば、マイナンバー法に対する否定的イメージ報道として通知開始とともに、まだ何割の人の通知が届いていないと言うキャンペインを張っていましたが、郵便がつかないのは転居したのに住所変更届をしていない人がそれだけ多勢いることが分っただけの話であって、マイナンバー制度に対する国民の否定的意識とは何の関係もありません。
マスコミは客観報道しているだけだと言うのでしょうが、そうならば、マイナンバー通知を国民全部に送ったた結果、おまけとして明らかになったプラス成果として報道すべきことです。
これを、如何にも国民がいやがっているから受取拒否しているかのような印象で報道を繰り返すのはおかしなことですす。
国民はイメージに刷り込みに弱いので、マイナンバー関係で意見を聞くと訳知り顔で、「まだ通知さえ何割も届いていないなど・・」と国民が如何に不安に思っているかを強調して便利かも知れませんが・・・と半身に構えた意見を言う人が結構います。
ところで、今回明らかになった住民登録をしていない後ろ暗い人たち・・アングラ階層にとっては居心地が悪くなります・・。
従来在日の外国人は外国人登録法で住民登録しないでいわゆる通名で生活出来ていたことから、アングラ性が高かったのですが昨年7月頃期限で住民登録が法律上義務づけられています。
日本人に限らず在日その他も今後は住民登録していないと公的給付に限らず準公的サービスが受け難くなりますので、逆にマイナンバー制度が普及すれば、住所移転を正確に登録していないと公的給付どころか各種カード作成すら出来ない時代が来るでしょう。
何もかもガラス張りがイヤと言うのは、客観データがガラス張りになるのがイヤ・・と言うことですが、こう言う人は相手に対しては透明性を要求し、情報公開請求に熱心な勢力でもあります。
マイナンバー法反対論者は防犯カメラ反対論(ここ数年下火になりましたが革新系団体はそう言うシンポジュームを開いていた・・・九州弁連では反対論者を招いたシンポジュームを開いていることを「証拠法則と科学技術3(自白重視3)」Published December 7, 2014で紹介しました)反対論の基礎思考が同じですが、国民の動きを不透明化するのにマスコミや文化人は何故熱心なのでしょうか?
社会全体で見れば、ビッグデータ活用によって、医療や買い物動向など全体の動きを知ることは、より便利で効率的社会になるためにデータ活用が有用な結果が期待されます。
それと個人情報を知られるのが良いかは別の次元だから反対していると言うでしょうが、研究者は個々人の名前などには関心がありません・・・何歳の人あるいはどう言う病歴・薬の服用歴の人がどう言う薬にどのように反応するかなどデータが欲しいだけです。
巨大情報漏洩リスクを言いますが、情報に大金をはたく人は類型情報処理して利用したい・・例えば成人式用あるいは◯◯塾適応年齢向けの勧誘ダイレクト業者にとっては性別、年齢別情報だけに意味があって、(余計な情報は要りません・・キレイに必要情報だけに切り分けられた「商品」を仕入れているのです)知り合いの個別情報が欲しくて大金を払うのではありません。
宛名シール作成業者も個々人が自分の知り合いかどうかに関心がなく1分1秒でも早く大量処理するのが仕事です。
名簿業者がこれを入手していたとしても個々人が何を不安に思うのか意味不明です。
マスコミが不安を煽っているのに反応して「知らないところからダイレクトメールが来るのって怖いね!と便乗しているだけのことではないでしょうか。
宛名シール作成業者も個々人が自分の知り合いかどうかに関心がなく(今は機械化していて個別に手で書くことがないので氏名の個性など全く分らないのが普通です)1分1秒でも早く大量処理するのが仕事です。
名簿業者がこれを入手していたとしても個々人が何を不安に思うのか意味不明です。
マスコミが不安を煽っているのに反応して「知らないところからダイレクトメールが来るのって怖いね!と便乗しているだけのことではないでしょうか。

サイレントマジョリティー24(国民総意)

政治決定に必要な国民総意とは何かのテーマに戻ります。
民意の重要な象徴・・現れとしての位置づけがあったデモの政治的意義も今は変わってきました。
意見表明方法が乏しかった19世紀(または今の中国などの圧政国で)に命がけで行なった場合には、その何百倍もの無言の支持者がいたでしょう・・。
命がけで抗議行動する以上は、そこまで追いつめられている人が背後に一杯いる・・氷山の一角と言う認識が正しかったと思いますが、今ではまるで実態が違います。
デモは、インテリが中心になって今も行なわれていますが、(学校秀才を主に採用しているマスコミでは時代遅れのデモ報道中心です)プロ市民によって日常化されてしまっているので「一般人の民意」表現方法としては役立っていません。
学生運動が何十年も前から学生一般代表でなくなったのと同じです。
19世紀あるいは、中国での抗議活動は命をかけているのですが、現在日本のデモ参加者は何のリスクもないどころか「あそこまで言って来たよ!」と仲間内の評価が上ってまるで意味が違います。
喩えば、1000人〜1万人のデモがあると一見大規模な印象ですが、命がけの佐倉宗吾郎の一揆の時代とは違い、プロ市民が発達して来て沖縄やあちこち同じ人がぐるぐる回るようになると、1億人のうちの何%の意思か全く分りません。
私の身近で言えば、交通機関が発達しているので千葉人が国会周辺デモ等に簡単に動員されています。
この勢力はこれだけの人数を最大動員出来る(100%あちこち移動していませんので、1カ所の最大数と東京大阪まで出掛けないが現地だけ参加した人などの修正が必要です)のだなと言う程度・・最大能力を推計出来る程度です。
その種組織の最大動員能力・・数字の変化が関心の変化を表している程度です。
新発売アルバム等のランキングがネットによるアクセス数によるとなれば、韓国系では機械的に何万回もアクセスするのでこの種ランキング指標が無効化してしまいましたし、発売後1週間の売れ行きランキングでは、「さくら」を動員してその間だけ大量購入して(朝日新聞で有名な押し紙同様)人為的人気をあおるなどすぐに「ズル」対応が始まる時代です。
ウエブアクセスなどのランキングでは機械化でいくらでも大量アクセス出来るので、最大動員能力(資金力)すら分らなくなっています。
韓国では、知能テストまで問題集を練習させて選抜した人だけ(と言うか駄目な子は受けさせない)で受験させて世界ランキング何位と自慢していると言われます。
中国のGDPもGDP算出指標品目を重点的に生産すれば良いことですから、需要の有無にかかわらず統計上有利な部門を中心に生産を無茶に増やしている結果「計画的」過ぎて、本当の国力が分らなくなっています。
「鉄は国家なり」と言われていた時代の名残で需要無視で無茶に製鉄所を作り世界に迷惑をかけていることは周知のとおりですが、その次には石化製品や造船大国化に邁進し、鉄道も近代化のシンボルと言う思い込が強い結果ニーズ無視して作りまくっています。
10日ほど前の日経新聞夕刊に中国株価の動きの異常性を書いていましたが、株価指数に影響のある国有銀行の株価だけ、全人代前やG20直前には判で押したようにちょうど終値近くになると上昇していた様子です。
日本の3大銀行がそっくり同じ歩調での上げ下げがあり得ない点と比較して、その異常性を紹介しています。
株式市場まで点数になる株ばかり狙い撃ちして(国営?)外貨準備銀行の資金が大量に入っていると言う紹介です。
特定銘柄が指標になるとその銘柄だけ政府資金で買いを入れるなど指標性を自ら操作をして最終的には指標の無効化努力しているのです。
中国政府発表のデータ自体が信用出来ない問題の外に、データ自体にこう言う無理が重なっています。
韓国、中国人による不正受験者みたいな操作があらゆる場面で日常化すると、各種指標をしょっ中作り替えて行かないと世界の統計が成り立たない時代になっています。
中国のGDPに関して過去に李克強首相がGDPは当てにならない、自分は物流や電力消費指標などを基準に考えている」と言ったと言われていますが、そうなると電力統計をいじるのが中国人ですからイタチごっこです。

ツイッター炎上とマスコミの一方性

スラップ論を離れてネット炎上に戻ります。
宮崎弘氏、高橋洋一氏その他いろんな論客のツイッターでも自由な書き込みが出来ますが、炎上し難いのは客観的情報紹介や論理的意見が多いからではないでしょうか?
炎上するツイッターの特徴は、客観性のない飛躍のある感情表現するから感情的反論を呼び込み易いのではないかと思われます。
炎上=感情的反論を批判するよりは自分が根拠のない感情表現をしていないか・・感情表現を自粛することが先決です。
24日に紹介したミノモンタ氏の20日付きのツイッターの引用文を再引用します。
「今回の震災もね、熊本だけじゃなくて九州全体だから。支援のやり方も甘い。自衛隊きちんとして欲しいね。あと、過去の震災、阪神淡路、もっと遡れば関東大震災の教訓活かせてないでしょ?…」
と何の根拠もなく、一方的断定になっています。
1昨日のmsnには
「人生初SNSに、「僕は言葉で言うのは得意だけど、文字で言うのは…ね」と懲りた様子で、「ツイッター、僕やめた方がいいのかな」とポロリ。進行役のテレビ朝日・下平さやかアナウンサーから「ツイッターやめたくなっちゃいました?」と聞かれると、「やめたくなりましたよ」とため息をついていた。」
とありますが、正に「マスコミの威を借りて」根拠なき断定口調でやって来たことがマスコミの後ろ盾がない外の世界で通用しない現実を自覚したように見えます。
マスコミは長年一方的な洪水報道方式でしたから、根拠ない一方的結論を正しいかのように垂れ流していれば多くの国民は何となくそれを事実のように受け取る傾向(コマーシャルに大金をかけるのはこれを前提にしています)があります。
脈絡がなくとも結論さえ繰り返せばいつの間にかそれが常識のように受け止めるので、政治意見操作は宣伝次第だとナチスヒットラーの信任の厚かったゲッペルス宣伝相の意見だったと記憶しています。
以来,ナチス敗北後もアメリカもソ連(いわゆる洗脳政策)も世界中がマスコミ次第で国民・・世界の意見はどうにでもなると言うマスコミ支配の時代→マスコミの発言力肯定思想が続きました。
アメリカは、でっち上げた歴史でも宣伝を繰り返せば(同じく韓国は噓でも長年主張していれば、強制された慰安婦が実在したことになると言う思い込みで)何とでもなると思っていたのでしょうが、戦後70年経過でさすがにメッキがはがれ始めています。
長い歴史を持つ日本では、噓や不正はいつかバレるので正直に生きるのが結果的に損がないと庶民に至るまでみんな知っています。
マスコミの一方的垂れ流しが、ウエブサイト発達で双方向性になって来ると一方的断定口調では国民の多くが納得しません。
モノゴトにはある結果に利害関係者が必ずいるのですから、マスコミが根拠なく一方の立場だけ(ミノモンタ氏で言えば「自衛隊非難さえすれば良い」と言う立場?)で決めつけて断定すること自体に不満が起きるのは当然です。
従来のマスコミは自分の意見立場だけが正義であるかのように、何かあると断定的に非難報道を垂れ流す・・特定政治家攻撃しては失脚させる威力を誇って来たのですが、最近メッキがはげ落ち始めています。
世界1強のアメリカが世界のメディア支配によってアメリカの正義を一方的に宣伝していたのが通用しなくなったのと軌を1にしています。
マスコミは「社会の木鐸たれ」と言う標語の元に本当に頑張っていた時期もあったのでしょう?が、上記ゲッペルスの主張によって世界中で権力者によるマスコミ利用が一般化して来て、(日本の場合、戦後はメリカの威を借りて)マスコミが世論を誘導誘導して来ましたが、その行き過ぎが批判されるようになってきました。
自己主張にあった事実だけ取り上げて反対事実を公平に報道しない偏頗性を通り越して、「ないこと」までやらせ報道するようになったのは、末期症状と言うべきでしょう。
何回も紹介している珊瑚礁のでっち上げ報道が典型ですが、マスコミが事実報道の職務を通り過ぎて自己の意見を広めたい・・政治的主張を実現するために虚構報道するようになって久しくなりました。
その線上にいわゆる角度付けが過ぎる・・NHKの台湾統治報道事件や朝日新聞を代表例とする全新聞社・マスコミによる洪水的慰安婦報道事件が起きている(朝日に関しては、朝日新聞検証委員会?だったかの報告書の引用で紹介しました)のです。

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