「自分のものだから何をしても自由」と言う思想が物に対する関係だけではなく、対人間関係にまで貫徹していたのが、西洋、中東、地中海諸国やアメリカ合衆国の奴隷制度・・・人を商品のごとく売買し牛馬のごとく使役してきた歴史でしょう。
我が国では異民族との戦いの歴史があまりないので 、戦いで勝ったからと言って降伏した相手を牛馬のごとく扱う経験がありません。
それどころか、犬猫牛馬に至るまで一緒にいれば家族同様に可愛がる・・擬人化する傾向の民族です。
「人買い」と言っても、比喩的な用語であって、欧米のように人を物のごとく扱う奴隷売買の歴史はありませんが、物語りでは欧米の経験を我が国でもあったかのように書いているので誤解しやすいのです。
所有権者が何をしようと勝手と言う観念が、今でもそのまま生きているというか通用しているのが、国際関係の主権概念です。
北朝鮮やナチス・ドイツなど独裁国家の例を見れば分りますが、国境さえ侵犯(個人で言えば境界内であれば)しなければ国内でどんな政治をしようとも・・中国やロシアの例で言えば少数民族をどんなにいじめようとも、あるいは人権侵害があろうとも、外国の口出しは主権侵害・不当な内政干渉と言う立場で言い返せば勝ちみたいな、支配者の勝手と言う思想がまかり通っています。
今後は国際刑事裁判所が充実してくるでしょうが・・・・。国内で言えば、最近は児童虐待は死亡事故でなくとも許されない・・国家の介入を受ける時代になりましたが、つい最近までは家庭内でいくらいじめようとも死亡事故さえなければ、親の勝手でこれまで国家は介入しない立場でした。
近代法になってから、所有権とそれ以外の権利に峻別されて、その他の権利は絶対的な所有権の基礎の上に成り立つ相対的な権利に過ぎない(あたかも絶対君主に仕える宮廷貴族のような配置です)ものとし、これを峻別するための理論構築に精出して来たのが近代法哲学とも言えます。
知的所有権=知財とは、目に見えないものであるが、全面的支配権がある所有権のようなものと言う意味で生まれて来た術語です。
フランス革命のことを書いたついでに書きますと、所有権の絶対性保障(これが良いかどうかは別問題として)と相続税を取るのは矛盾関係です。
所有権の絶対保障とは、言い換えれば革命協力。政権創設への功績に対する見返りに子々孫々までの「本領安堵」の意味ですから、相続をした時に領地の何割かずつ召し上げるのでは契約違反になります。
どこの王朝でも日本の幕府でもそうですが、創設者は自身の地位を世襲するようにし、あるいは政権樹立に功績のあった協力者に本領安堵するものでした。
本領安堵しておきながらその功労者が、死んだとたんに領地を召し上げるのでは約束違反で、これでは命を捨ててまで主君のために頑張る意欲がなくなります。