貨幣経済化・・商品交換社会化の進展によって対象となる土地所有権の内容が画一化されて行き近代所有権観念が確立して行ったことや、所有権の確立・保障が西洋では大革命後の貴族の勢力維持に繋がったのに対し,日本では大名・武士層没落になって行った違いについては、ココ・シャネルの映画を見た感想に関連して08/10/09「大名の没落と西洋貴族1(所有権の絶対性1)」以下でインドの社会学調査の例を引きながら連載しました。
西洋貴族は産業革命の進展に連れて農民を追い出して産業資本家になって行ったので、フランス革命の頃には、産業資本家に転化出来ていたので、貴族=王党派と限ったものでなく、むしろ革命勢力の推進者にもなっていたので、ブルジョアワジーと重なっていたことになります。
「紅はこべ」やフランス革命時の物語では、マリーアントワネット救出などで貴族が活躍するので日本のイメージでは貴族=王党派だったと無意識に連想しがちです。
農民や庶民が王党派になりようがないので、王党派になるのは王家と接触のあった貴族しかいなかったでしょうが、貴族層の中の出遅れた少数派でしかなく貴族・騎士層の多くは革命側であったことになります。
国民兵になったのはナポレオン以降のことで、それまでは騎士その他の専業兵力だったのです。
漫画では農民や庶民・・いわゆる大衆が押し掛けて革命になったような場面が多いのですが、組織力のない大衆が押し掛けた程度では政権がつぶれません。
大衆による革命ではなくブルジョワジーと言うより武力を持った階層の多くが革命政権についたので成立したのです。
革命勢力が、貴族層全体を有力スポンサーとして大事にしたのは当然だったと言えるでしょう。
その制度的保障が、所有権の絶対保障の宣言・・これは上記コラムでも書きましたが、革命に協力した貴族層や資産家への恩賞として所有権の相続制とリンクして子々孫々までの永久保障だったことになります。
日本ではイギリスやフランスで大規模な革命があったことと「自由・平等・博愛」を教え込まれるのに、貴族が今でも続いていることに驚くのですが、上記のとおり貴族の中で産業資本家に転化出来た多くがブルジョアワジーに転身していて、自由に経済活動するには王制のくびきが邪魔になっていて革命の原動力になっていたとすれば、産業資本家に転身し損ねた時代遅れの少数貴族だけが王党派としてアンシャン・レジームに郷愁を抱いていたに過ぎないことになります。
ところで、当時絶対王政を否定して相対性(・・民主主義は相対性の原理で成立しています)の原理に進む時代精神にも関わらず、所有権に限ってわざわざ「絶対性」を新たに強調するようになったゆえんは、革命政権の担い手を絶対的に保障する必要があったものと解することが可能です。
王朝や幕府創設にあたっては獲得した権力・地位を自分の子々孫々まで保障し、同時に政権樹立の功労者にも本領安堵・子々孫々への保障をしてきたのと同じです。西洋近代革命政権思想の系譜を引く現憲法も所有権の絶対保障・・憲法を変えない限り法律で侵すことは出来ない制度保障をしていますし、それだけでは足りず法哲学として「所有権と言うものは、絶対なのだ」と言う学問が成立し、思想教育を広めて来たのが、近代社会でした。
憲法
第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
上記のように財産権の内容は法律で定めることが出来ますが、各種財産権は法で決めることが出来ても「所有権」自体の内容を法で変更したり定義付けすることすら出来ない、誰かにある物の所有権があるとすれば所有権の内容は、制定法以前に「絶対」的に決まっている関係になっています。