不満社会?4(統一地方選挙に見る民意)

もともと「全数検査や直接訪問など無駄なことだからやめよう」となった・・真面目な公務員が無駄を省くのを考えたが上(審査会の審議を経る必要あるのを気がつかなかった?)の許可を取っていなかっただけ?のような話です。
公務員がサボったのではなく・厚労省が直接する職務でなく「東京都が全数調査や会社訪問をしなくて良い」というお墨付きを与えただけ)国民のために無駄な調査コストをかけるのをやめようという動機こそ褒めるべきではないでしょうか?
うがった見方をすれば統計学者が擁護しないのは、自分らが気づかないで放置していた点に現場が気づいて自分らにお伺いなく実行してしまったことが腹立たしいからでしょうか?
世論調査や、消費者物価指数等調査手法でわかるように統計の基本はサンプル調査であって、全数調査などしていたらイクラ予算・税金を徴収しても足りません。
昨日見たところによれば、統計調査手抜き?(無駄な調査を省いたの)は1996年から始まっているのですが、統計不正?(結果が良くても上司の許可を得ずに簡略化した不正)?を追及している野党政治家が当時所属していた民主党政権時代(2009〜11年)にも気がつかなかったことでした。
(政治家が政党所属さえ変えれば、過去に属していた党の従来主張の責任を免れるかのテーマは別に書きます)
野党が自分らの政権時代に自民党同様に気がつかなかった責任に触れずに現政権の責任追及ばかりで、どうやってこれを防ぐべきかの提案がない野党の存在価値を国民は認めなくなっているのではないでしょうか?
国会論戦のあり方は与野党どちらの提案の方がいいかどうかの論戦であり、自分の政権時放置していたやり方を自分が野党になると、現政権の責任=「不正」と追及するのは論理矛盾と受けとめる国民の方が多いでしょう・・。
アラ探しといえば、今朝の日経新聞では桜田五輪担当大臣の失言による辞任が出ていました。
野党が色めき立つのは失言追及が目立ち、政策論争で野党の存在を示す場面がほとんどないのが不思議です。
こういうアラ探し中心の野党の存在意義を国民がどう受けて止めているかです。
4月7日の統一地方選での知事選結果発表を見ると11知事選で与党系が10道県知事で勝利し、負けたのは大阪府市だけでした。
特に革新系の強固な地盤とされていた北海道で与野党がっぷり四つの対決で、大差で自民党推薦の新人候補が圧勝したことが象徴的です。
a.wikipedia.org/wiki/2019年北海道知事選挙#選挙結果

候補者名 年齢  得票数  得票率  推薦・支持
鈴木直道 38 1,621,171票 62.7%  推薦:自民・公明・大地
石川知裕 45 963,942票 37.3% 推薦:立民・国民・共産・自由・社民

福岡や島根県では保守分裂選挙でしたが、分裂選挙は主に保守王国で起きている・・分裂しても保守が制しているなど、革新系野党は保守分裂でも勝てない惨状です。
自民党に勝った大阪維新は不満代弁・煽り型でなく、都構想など提案型政党のイメージです。
しかも維新と自民党は安保法など重要法案では事実上政策共有しているので、(党は別として内閣中枢とは緊密な関係・・二階幹事長が大阪維新と真っ向勝負しているのに菅官房長官が大阪に入らなかったことを二階氏がチクリと批判している・・事実上保守分裂型です)不満煽り型・革新系野党は全敗でした。
県議市議は多数ですので全敗はあり得ないのですが、概ね共産党と国民の市議が立憲民主に食われている印象で、トータルでは与党系増加で終わった印象です。
話題が年金記録消失や統計問題や統一地方選挙の結果に逸れましたが、不満暴発(不満を煽るメデイア?政治団体?)社会に戻ります。
日本の場合一時荒れる学校などが社会問題になりましたが、子育て環境整備・エネルギー発散受け皿整備に成功したことによって安定型社会に戻った印象ですが、内部処理に失敗して内向化している人も一定数いるでしょう。
その比率を如何に縮減していくかうまく社会で受け入れていくかの知恵が社会の能力・民度です。
江戸時代に入って戦国時代に必要であった粗暴系エネルギーを、各地のお祭りに昇華していったのと同じ工夫が必要です。
粗暴系縮小→学校現場では部活でくたびれさせ、一定レベル以上の場合、社会人野球やラグビー等々その他で官民共同でエネルギー吸収を図り、他方で世代交代によってソフト系進化が進みました。
日本の若者が草食系男子と言われるほどになりましたが、今ではソフト系の中で落ちこぼれる人の(内面)救済が必要な時代です。
多くの人は自分の内部でうまく処理して人間関係を円滑にし、お祭り参加・スポーツや趣味・草花や、ペット等への愛情等で幸せに生きるすべを身に付ける人と、内部処理に失敗して引きこもりその他家族のフォロー等で何とかなっている人、内部処理失敗でうつ病その他精神に病を持つ人まで色々います。
その中で活動的なタイプでは、内向している不満を合法的に発散できるチャンスがあると、このチャンスとばかりに付和雷同型・・不満を発散したい人が一定数でてきます。
ただし日本では活動的タイプでは自己実現のチャンスが多い・日常的には企業の運動会や地元のお祭り参加で主役を張れる機会が多いばかりか、災害現場に出かけて救援活動参加など陽のあたる活動のチャンスが多いので、粗暴系暴発エネルギーが溜まっていない社会です。
欧米で災害があると略奪や破壊に走るエネルギーを日本では救援活動のエネルギーに転化させて彼らを賞賛する社会です。
ただし、有名人や社会的成功者が何かのキッカケで槍玉に挙げられると、これに便乗していわゆる炎上を煽る人になるのでしょう。
この種の鬱憤ばらしには体力がいらず、しかも匿名参加のできるメリットを利用している(いわば卑怯者)のです。
日本にもはけ口を求めている一定の不満分子がいますが、ネット発信中心(同一人が別人を装った多数投稿可能)なので「炎上」といっても実数不明です。
西洋のフーリガンや略奪行動などは無意識のうちに溜まっている不満鬱屈のエネルギーを機会をみては本能に基づいてエネルギー発散している・・体力派の不満がなお大きいようです。

不満社会?3(年金記録消失〜統計不正?)

人名は一つの漢字で幾通りもの読み方があるのが普通ですから、ミスがなくとも入力するアルバイト?によってはいろんな読み方に転記されていったのは想像にかたくありません。
二重チェック体制にしても、何が誤転記かの判断は人によって違うので無理があります。
こういう誤転記を防ぐにはどうすればいいか?普通に考えても妙案はないでしょう。
目の前に保険加入者がいたり携帯電話番号を書いていれば聞けますが、当時は携帯も普及していない時代ですし、そもそも各人の電話番号を役所が記録していません。
まして送付された山積みの何千万に及ぶ年金加入者名簿・それも漢字の氏名をカタカナ入力変換作業を終日打ち込む作業に従事するアルバイト?にとっては、ありふれた漢字でさえ変換ミス皆無にはできませんし、もともと誤転記なしの作業など無理・・不可能だったのです。
交通事故を皆無にできないし、医療ミス皆無もない・要は不幸にして一定率で発生するミスが起きた場合のリスク最小化と保障問題でしょう。
リスク最小化対策としては一定期間紙資料を保存しておいて、年金記録に疑問を持つ人の照会に対応できるようにしておけばよかったと思います。
「疑問を持たない人は損をしっぱなし」というのはひどいということでしょうが、これはある程度仕方ない仕組みの応用です。
法律の世界では、時効という制度があるのはこういう時のためです。
自分の権利は自分で守るしかないのが原理であって、気がつかなくとも不法行為で言えば被害に気がつかなくとも20年で時効ですし、多くは10年とか3年とかの期間限定仕組みになっています。
例えば遺言があっても、遺留分減殺の権利がありますが、遺言で遺留分権を侵害されたことを知ってから1年、遺言があったのを知らなくとも10年で権利行使できなくなります。

民法
第千四十二条 減殺の請求権は、遺留分権利者が、相続の開始及び減殺すべき贈与又は遺贈があったことを知った時から一年間行使しないときは、時効によって消滅する。相続開始の時から十年を経過したときも、同様とする。

年金は超長期の掛け金で、もともとすぐに気がつかない制度(支給を受けるときに初めて気になるもの)ですから、5年や10年で記録廃棄されて復元不能では困りますが、コンピューター転記直後にコンピューター化した後の過去の年金加入履歴を全員に送って(コンピューター化したのちのプリントアウトコストはコピーする人件費その他に比べれば大したコストではないでしょう)、本人に転職歴など間違いないかの確認チャンスを与えておけば、かなりの人が自分の職歴の空白期間があれば気がついたはずです。
戦災等で焼失した戸籍の再記載作業や本籍展示の転記作業での、親や本人の氏名や生年月日の誤記載を昨日紹介しましたが、最近でも平成7年頃こら戸籍のコンピューター化が進んでいて、4〜5年前までには多くの自治体で完了しているようです。
このコンピューター化作業においても一定率の誤記が生じているはずですが、自分の戸籍など見るのは一生に何回もないので気づくのが遅れます。
生年月日や婚姻届出日に誤記があっても騒ぐほどのこともない(思い違いだったかな?程度で)ことが多いし文字が違っていても戸籍訂正の裁判までしないで終わるひとが多いのでしょう。
年金保険の事務作業のコンピューター記録への移記作業でミスをなくせないからといって永遠に手作業しているわけにいかないのですから、何100人という大量の作業員を集めて行う入力作業ではワクチン接種のリスク同様にミスが起きたら政府が手厚く保障する体制で臨むしかなかった・補償問題であって、責任追及の問題ではありません。
ソ連崩壊以降、野党による政権追及テーマは政権の不正というよりは、作業技術問題であったことが多い(今回も支払基金にマニュアル作りを委託していたらプログラムミスがおきたように)政府・政治家の責任追及ばかりにフォーカスしてきた印象です。
らい病関係の政府追及?補償請求も似たような攻め方です。
政治問題にするならば、年金コンピューター化事件や、今回で言えば支払基金にプログラム設定作業を外注するしかない実態(外注でなくすには公務員を増やすしかない・・後記引用論説はそういう主張のようですが、公務員の身分があれば、ミスがないと言えないでしょう)を前提にどうやって正確率をアップするかの課題解決・提案力で競争すべきでしょう。
今年の国会追求のテーになっていた統計不正?追及も、国民の多くは「不正」というよりは事務作業レベル問題であって、政治家の責任ではないという見方がほとんどのようです。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00006/?P=3

官僚叩きでは解決せず…統計不正の「悪の根源」論考
2019年1月29日
15年前に比べ、3分の1に減った統計担当公務員
野党は「アベノミクスほにゃらら」などと政権主導による恣意的な“捏造”と批判しているけど、さすがにそれはないと思う。全数調査をサンプル調査にしたからといって、期待する結果が出るとは限らない。それに、サンプル調査でも、適切な集計手法を施せば統計的には信頼がおける数字を得ることは可能だ。
ちろん、集計手法を間違えたり公表すべき事案を隠したりするなど、今回露呈した「初歩的な統計知識の欠如」や「モラルの欠如」は気が遠くなるほど深刻だが、よくよく考えてみると、もっと根深い問題が潜んでいるのではないか。
【事実関係】
・1996年以降、調査事業所数が公表より1割程度少なかった
・2004年1月以降、東京都の規模500人以上の事業所を抽出調査にしたが、年報には「全数調査」と記載
・2004年~2017年まで抽出調査するも、集計上必要な復元処理が行われなかった
・2011年に変更承認を受けた調査計画に記載された内容どおりに調査が行われなかった
・2015年調査の事務取扱要領から、東京都の規模500人以上の事業所を抽出調査とする旨が不記載
・2018年9月にサンプルの入れ替え方法の変更に伴う数値の上振れの指摘を受けた際、統計委員会に、「復元を行う」としたことを説明しなかった

ということで「根っこは公務員削減にある」という結論のようですが・・。

内務留保の重要性と流動資金の関係3(メデイアと用語統一必要性)

昨日紹介した解説でも「手元資金」には「流動性の高い資金の総称」とあって現預金に限らないことが示され、短期有価証券を含むことが多いとなっています。
そもそも言葉の意味から考えても「現預金」の表現は現金と預金等の個別分類を表していますし、手元資金とか決済用資金・流動性資金等の使用目的による表現よりは範囲が狭いことが明らかで、下位概念の現預金の方が手元資金よりも多いとは(経済知識のない私のようなものでも)常識的に想定できません。
手元資金等はすぐに現預金化できる資産を含む=手元資金の方が現預金よりも多いことが経済用語としても明らかですが、日経新聞記事ではなぜ逆転した書き方になっているのか不思議ですが、私のような素人が食事や仕事に出る合間にちょっと読む程度の人間には思いがけない深い意味がこめられていのかもしれません。
仮に日経新聞で論説を書く人の経済用語理解が間違っているとした場合、日経新聞の21日記事と25日記事両方とも間違っていることってあるの?という疑問です。
仮に別の人が書いているとすれば2人とも逆に理解していることになるほか、両記事ともに内容からして情報収集して歩く新米記者が書ける執筆ではなく、ベテランのエコノミストによるものと思われますが、プロが2人も揃って経済用語の基礎知識を間違って逆に書くようなことがあるのでしょうか?
仮に執筆者が同じとしても・校正等の事務局が充実しているはずの大手新聞社の語句チェックが機能せずに2回も通っていることになりますが、(現預金が200兆円で手元資金117兆円と出れば普通は?おかしいぞ!と気がつくものです)2回目の記事では1回目と大幅な数字違いがあるのでこの時点で「どうして大きな数字違いがあるのか?」に気がついて見直せば、どちらかが間違っていることがすぐ分かる筈ですが、2回ともスルーしているとすれば関連部局のチェック能力に疑いが起きます。
事務局能力の名誉のために邪推?すると関連部局ではわかっていたが、世論誘導のために?意図的にスルーさせて逆の意味で書く必要があると判断したのでしょうか?
もしも世間常識と違う意味で熟語を意図的に使う場合には、誤解を招かないように「ここではこういう意味で書いています」と「断り書き」を入れるのが公平な立場でしょう。
ちなみに資金滞留批判のトーンは21日の「大機小機」に続いて24日の日経新聞の第1面に「最高益の実相」欄として大きく出ていて(1面の左約半分の大きさ)その続きで今問題にしている25日3pの記事になっていることがわかります。
今朝の日経第一面では「利益剰余金56%が最高」の大見出しでいかにも巨大な剰余金を溜め込んでいるかのようなイメージ強調の連載は終わっていません。
内容を見ると、設備投資の動きが紹介されていますが、以下の通りあくまで部分の紹介で全体の動きを期待するかのような書きぶりです。

「スバルの・・社長は・・・『次元が変わる技術進化に備えこれまでできなかった設備投資や研究開発を増やす』と話す。溜め込んだお金をどう使うか一層のの説明を求められる」

と思わせぶりに書いています。
「思わせぶり」だけでカチッとした事実がないといえば、朝日新聞の記事の多くにその傾向が強くて歯ごたえがないので20年以上前に朝日新聞から日経新聞に変えて満足していたのですが、日経も最近ではムード報道中心になって来たのでしょうか?
事実の裏取り必要性といえば、最近では週刊文春の山尾志桜里氏の不倫騒動で見ても分かるように、(経済報道のように難しいことではなくスキャンダル的事実中心ですが・・)裏取り能力の高さに驚きます。
こうした手を変え品を変えての日経新聞報道の流れ(内部留保悪玉説の浸透努力?)を見ると、21日「大機小機」で小さく出して置いて(その間小刻みに何かを書いていたのかも知れませんが、私は気づきませんでした)24日は第1面大見出しと格上げして25日には3pで大きな記事にしてきた流れを見ると「大機小機」掲載時点から、社あげての目標設定によるシリーズ連載企画・・執筆者の個人プレーではなかったように見えます。
新聞社組織あげて(世論誘導したい)企画でありながら、この程度の基礎概念を押さえる必要性スラ認識できない組織レベルなの?という疑問です。
日経新聞の「経済欄はまるで議論の対象にならない・しっかりしているのは文化欄だけ」という口の悪い人の意見がネット上で流れていますが、以上を見ると驚くような低レベル組織になっているとの誹謗?もムベなるかな!という印象・誤解?(私の読み方が間違っているのかも知れませんが)を受けました。
もしも単語表記の単純ミス・現預金が117兆円で手元資金200兆円が正しいとすれば、(6ヶ月の誤差がありますが、10月末時点の現預金が私には不明なので)仮に同時期として計算すると200−118=82兆円が短期有価証券等保有であり、現預金ではなかったことになります。
世界企業で言えば、現預金は世界中に散らばった事業現場で日々支払いできる資金・現金払いの場合、預金払い戻し時間が必要ですが、大口支払いは振込等の操作で済むので時間誤差がほとんどありませんが、有価証券の場合どの銘柄をいくら売却して資金化するかの判断時間(売却優先順位を決めておくことでこの時間は短縮できます)が必要な他に売却指示後現金化できるまでの決済時間・・最短で5〜6日の誤差があります。
このために約1週間〜10日程度のタイムラグに耐えられる・+アフリカ現地で不足した場合に外貨両替して送金する時間差(為替リスクも考えある程度余裕を持った現地通貨保有)程度の現預金が現地出張所等に必要となっています。
短期処分可能な有価証券の利用とは、通常決済には十分であるが九州の震災等のような突発事態への二次的備えとして、預金よりマシな国債等への一時預けにしている数字が短期保有有価証券ですが、これは4〜5ヶ月先に予定されている大口決済資金(例えば配当までのプールとか工場用地取得契約や企業買収がまとまりそうな場合とか、本社ビル完成引渡し予定数ヶ月先にある)などがこの種の資金になってプールされます。
企業が必要もないのにゼロ金利下で不要な資金を現預金で持っていたくない点については意見相違がない(無駄に持っている方が良いという人は滅多にいない)のは明らかですから、新聞・言論機関が不要資金プールするのが合理的か否かを議論する必要はありません。
ある企業の保有資金が「過剰・無駄」かどうかこそが議論の対象ですが、それは個別企業の事情分析によるべきで抽象論で煽るのは間違いです。
希望の党の公約の一つ「不要不急のインフラ整備をやめる」という点についてこの後で書いて行く予定ですが、「不要不急の公共工事をした方が良い」という政党はありませんので「何が不要不急かの選択」を示さない公約ではどういう政治をする約束なのか意味不明なのと同様です。
外部から見て一見多すぎるように見える場合にも個別企業によっては相応の必要がある可能性がある・・
外部から見て一見多すぎるように見える場合にも個別企業によっては相応の必要がある可能性があります。
今朝の日経朝刊で紹介されていたスバルのように、この1〜2年好業績を背景に単なる増産投資ではなく、「次元が変わる技術進化に備えこれでまでできなかった設備投資や研究開発を増やす」ために準備している企業もあるのです。
・・本当に不要な資金なのか、近日中に大口決済が待っているか、配当支払い資金や設備投資計画の有無等の個別事情によりますから、個別企業の実情無視の日本全体の一般論に意味があるとは考えられません。

自民族言語表現の重要性5(インドネシアの国語統一)

思想統制の厳しさをメデイア1党独裁を理由にしていますが、民族独自性(守るべきものがあればの話です?)を守るための防波堤・・関税のようなものと見るべきでしょう。
日本のように確たる独自文化があってしかも外来文化が入って来てもこれを受け入れて自国文化に包摂昇華する能力があれば、防波堤など必要がないのですが、確たる独自文化がないから、自由な企業進出を許すと民族企業が壊滅するのが怖いのと同じで、丸ごと西欧文化になってしまうのが怖いということでしょう。
東南アジアに比べての中国韓国の有利さは、日本が明治以来の百年間で大方の重要熟語を日本が漢字翻訳済ませているので英語そのまま利用しなくともこれをただで利用出来ている点です。
この辺が無防備だったからか?旧植民地被支配国のほとんどがせっかく独立しても独自言語表現力さえ構築できないで文化的支配を受けたまま現在に至っている様子です。
これを開き直って、英語を話せるのでこれからの国際化時代に有利だという意見もありますが・・独自文化のない哀れさに気が付かないのです。
もともと多島国家・多種多様言語で成り立っているインドネシアで共通言語になっているのは日本支配中にインドネシア共通語の普及に日本が努めたからです。
・・日本はいく先々で現地人向けの学校をつくって現地人を教育し現地民族固有言語普及に努めた功績が大きいでしょう。
以下を見れば政治的なキャンペインではなく、現地言語事情を自然体で客観事実として解説している記事です。
http://www.atlase.net/column/50/50_column24.html
HOME > コラム >世界の言語 Atlasマンツーマン外国語コースの世界50言語マップ 24、インドネシア語 超多言語国家の共通語
「人の住む島だけでも4000近くあり、250に上る異なった民族が居住している。言語も多様であり、「オーストロネシア語族」という系統に属する諸言語が200以上も話されていると言われる。
それら多様な諸言語の上に君臨するインドネシアの国語は「インドネシア語」と呼ばれるが、実は隣国マレーシアの国語の「マレー語」と同じである。言語的多様性を克服して1つの国家としての統一を実現するために共通語として選ばれたのが、マレー語だったのである。
17世紀に始まるオランダによる支配の時期にオランダ語が強制されることはなく、マレー語を使用しての統治が行なわれた。第2次世界大戦中の日本による支配中にマレー語がインドネシア語と公式に呼ばれるようになり、行政用語とされた。」
上記記事だけでは、350年に及ぶオランダ統治に比べて日本のインドネシアにおける国語統一教育がどの程度貢献したかはっきりしません.
https://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/856によると以下のとおり詳細です。(出典がはっきりしないので一つの立場の意見としてお読み下さい)
今回の言語テーマに直接関係しない部分も別のテーマで後日引用する必要性があるときに便利ですので、この機会にまとめて引用しておきます。
「インドネシアにおけるオランダ350年と日本3年半の統治比較」
●オランダ300年の統治
①強制栽培制度=19世紀、耕地面積の5分の1はコーヒー茶などオランダ向けの生産物を強制的に栽培させた。このため、多くの村が崩壊し、食料自給体制は解体、餓死者が続出し平均寿命は35歳にまで低下した。
・・ドゥマックの村は人口が33万6000人から12万にゴロボガン村では人口8万9500人が9000人に減少。
②天然資源の開発のため、インド人、中国人を大量に苦人としてインドネシアに移住させ、この移民民族を経済・流通機構に利用したため、彼らがインドネシア人の上に立ち、インドネシア人を支配する階層が形成され、後の人種対立の原因を作った。
③オランダは大がかりにインドネシア人との混血児を作り、それを間接統治の官吏とした。行政官は混血児と華僑に任せ、インドネシア人の政治参加、行政参加はほとんど禁止した。
④オランダ政府は重税を課した上、華僑が高利貸となり200%の金利にインドネシア人は苦しみぬいた。
⑤分割統治のため、民族間の反目を煽り、部族抗争を激化させた。東チモールは、ポ/レトガルの植民地で住民がキリスト教徒となったため、イスラム教のインドネシア人との対立が生まれた。
⑥愚民政策をとり、教育は基本的に禁止。20世紀になって、世界の批判を受けて初等教育(3年間)だけは実施したが、学校に通えたのは僅か数%。さらに上級学校へ進学する者に対しては、オランダ語を強制した。大学卒業のインドネシア人は年に10人程度。
⑦住民に武力反乱を起こさせないように青年の体育、団体訓練は禁止し、数人の行列行進さえも禁止した。
⑧住民の集会は一切禁止し独立運動家はすべてニューギ
ニアなどの島に流刑、または死刑にした。
⑨国旗掲揚、国歌斉唱はもちろん禁止(注、当時は正式、には国旗・国歌は決定していないが民族旗・歌があった)
⑩インドネシア人のほとんどが信仰しているイスラム教を弾圧し、キリスト教を広めた。
《オランダの戦後の動向≫
⑪1945年8月17日、インドネシアのスカルノは独立宣言を発表したが、オランダはこれを認めず、再進駐。
⑫この結果、1949年12月の停戦までの4年間にわたる戦
争で、80万人の戦死者を出した。これはオランダ軍は豊富な近代的な武器を持ち、イ側は日本軍から渡された小銃などが4万丁に過ぎなかったためで、「独立戦争は竹槍と戦車の戦争であった」と言われている。
●日本3年半の統治
①国旗掲揚・国歌斉唱を許可(これは1カ月後取り消したが、昭和19年独立許容とともに認可)。
②民族運動の指導者(スカルノ・ハッタなど)を釈放し民族統一に向けた全国遊説を許可する。
③6年間の初等教育を実施し、校庭も作り体育を重視。あわせてインドネシア人の教師養成のための師範学校も設置した。
④農業、漁業、造船、工業、医学などの専門、訓練学校を設置し、僅か3年半で当時600人しかいなかった知識人(国家エリート)を最終的に10万人育成した。
⑤ジャワに中央参議院(最高諮問機関)、各地に州参議院を設置し、インドネシア人を積極的に高級官僚に登用、行政能力を培った。
⑥250を越える言語のなかからジャワを中心に使われていたムラユ語を統一一インドネシア語に定め、新聞やラジオ・映画、学校教育などで普及した結果、インドネシア民族の行動の統一、感情の統一一が図られた。
⑦稲作農業の指導に力を入れ、食料自給体制の確立を図つた。
⑧100万人の青年団、150万人の警防団、婦人隊、学徒隊、隣組などを作りインドネシア住民の組織化を図り、インドネシア民族の団結心を涵養した。
⑨祖国防衛義勇軍(PETA)を創設し、インドネシア人に軍事訓練を与え、インドネシア人による初めての軍隊を作った。これは後の連合軍との独立戦争の指導的役割を果たし、又インドネシア国軍創設の立役者となった。
⑲プートラ運動やジャワ奉公会運動で、インドネシアのナショナリズムを高揚させ、独立・敢闘精神を植え付けた。
⑪独立運動を推進するインドネシアの青年団(アンカタン・ムダ)を支援し、その全国大会を開催させ、青年による独立運動を促した。
⑫イスラム教を重視した。とりわけ、当時分裂していたイスラム教の団体を統合(マシュミ)、さらに初等教育や軍隊教育でもイスラム教を重視した。
⑬[敗戦後]連合軍の目を盗みインドネシア側に大量の武器・弾薬を渡し独立運動を支援する。
⑭[敗戦後]約2000名に上る日本兵士がインドネシアに止まり、イギリス・オランダとの独立戦争に参加し戦争指導を行い、約1000名が戦死する。
上記のとおり日本はアメリカの宣伝とは大違いで、東南アジアで日本は植民地支配とは正反対の現地民族の自立を助けるために教育や集団活動の運営等を応援し教育する政治をして来たことがわかります。
英国支配だったインドなどでは、いまだに多言語社会のために共通通言語を英語に頼っている始末になっているのと比較をすれば、結果の違いが明らかでしょう。
日本は朝鮮・台湾でも現地人教育に努めたことについては多くの国民にとって常識ですが、支配期間が僅か3~4年の期間しかなく、文化環境も全く異なる遠く離れたインドネシア等でさえも欧米の植民地支配と日本の現地支配の精神とでは、根本的な違いがあったことがわかります。

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