素人政治の限界3(ユネスコ運営)

尤もダーテイ資金に汚染され放題の後進国も同じ1票ですから、無理がある・・一緒にやってられない気持ちも分ります・・一概にアメリカの政治能力不足の所為ばかりとは言えませんが・・。
そうとすれば、むしろその方面から議論を起こせば良いこと・・こう言う議論が成り立つかは別として、その不満があることは確かでしょう。
続いて日本も南京虐殺を世界遺産指定したことに不満で昨年度から分担金支払を止めていることを紹介しますが、単純1票制度に無理が出ていることは確かですが、これは日本のユネスコに対する不満のところで書きます。
タマタマ今朝の日経新聞朝刊6pデープインサイト冒頭にはトランプ氏の脅威は・本音はまさにこの「単純1票制度」に対するアメリカの不満の代弁・国際機関に対する挑戦であると言う意見から始まっています。
ただし、パレスチナ問題では正義がない印象ですから(ただしマスメデイア情報によるだけで、私には本当のところは分りませんが・・)無理があるようにも見えます。
パレスチナ問題でどちらに正義があるかは別として国際紛争を裁いて、どちらが正しいかの基準で運営するのではユネスコの設立趣旨に反するように思えますが・・。
以下は、ユネスコ憲章前文からの抜粋です。
 「相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。
ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。
文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。
政府の政治的及び経済的取極のみに基く平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。」
設立趣旨を宣言した前文を読む限りでははっきりしませんが、国際平和のために基礎的な文化・教育が重要である言う趣旨で出来たとすれば、・政治紛争を裁くのではなく生々しい紛争と距離を置いて運営するのが本来の目的であったように思われます。
国家しか加入資格がない場合、例えば反政府運動体を国家と認めるかどうかはまさに政治そのものですから・・今で言えばISやクルド族が加盟申請したらどうなるかですが、政治に距離を置いているから申請あれば認めるべきと言う形式論が通るとは思えません。
パレスチナの場合、一定の安定した支配地域があって多くのクニがその存在を事実上認めているからと言う理由で政治紛争・対立の渦中にあっても加盟申請あれば認めると言う解釈で採択したのでしょうか?
アメリカの反発した決議は、2011年のパレスチナ加盟決議に対する抗議でしたが、日本も16年から支払留保にはいっています。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/13/japan-unesco_n_12481624.html
「日本がユネスコ(国連教育科学文化機関)に支払う分担金について、外務省は10月13日、2016年の分担金など約44億円の支払いを留保していると明らかにした。毎日新聞などが伝えた。
支払いを留保しているのは分担金(約38億5000万円)のほか、カンボジアの世界遺産「アンコールワット」の修復費など任意拠出を約束している約5億5000万円の合わせて約44億円。日本は例年、当初予算の成立後の4~5月には分担金を支払っており、10月時点でも支払っていないのは異例と言える。」
以上を見るとアメリカの素人政治批判だけシテはいられませんが、日本の場合には南京大虐殺世界遺産登録に対する不満です。
日本人は意見相違は許せますが、事実無視の主張が通ること・・不正に対しては怒ります。
「国連って何の巣窟なの!」と言う批判が日本では渦巻いていますが、世界多数派工作出来ない点ではアメリカと同じでしょうか?
アングラマネーをいくらでも支出出来るクニと違い、日本はそう言うお金を使えませんし、そうした競争に参加しない国是です。
(道義的)能力差を無視した対等発言権を強調する悪しき民主主義適用の結果に不満を抱き始めた点では日米共通です。
子供と大人も基本的人権としては平等ですが、政治の場面では同じこと言っても、発言の重みが違うことで社会秩序が保たれています。
最近の日本では、選挙年令を引き下げることが人権運動のような風潮を煽っていますが、長い目で見れば昔より今の方が大人になるのが遅い・未熟化が進んでいる客観事実に逆行しています。
単純化した主張をするのは、トランプ大統領一人の個性ではなく元々アメリカは多角交渉が苦手と言うか「正義」を作り上げるのに庶民が参加出来ない・・参加させると無茶苦茶になるからうまく庶民を遠ざけて参加させなかったのだと思われます。
国内では民主義と言っても、庶民を巧みに政治決定過程から遠ざけて、事実上エリート(いわゆる・ワスプや東部エスタブリッシュメント)にお任せ政治だったのですが、国際政治ではこのような二重基準が成り立たず文字どおり1国1票制度の貫徹ですから、きれいごと民主主義の無理が出て来たのです。
アメリカ程度の民度では地道な意見の擦り合わせではなく演説に興奮・盛り上がってその勢いで行動する・・直接投票する制度・・選任したら後はお任せの大統領制しかないことを、大統領制民主主義の基礎として書いてきました。
韓国の反朴騒動の激しさを見ても、落ち着いた議論で決める習慣がない・・興奮民主主義の典型・・これが大統領制を必要とする民度です。
折角アメリカ主導で合意したTPPも(結果が思うようになっていないことの不満で1対1の力で押しきりたい本音が出て)自ら壊すと主張して平然としています。
いわゆる2項対立で白黒だけつけて済めば簡単ですが、世の中は多種多様な色合いで出来ているのに白組か黒組の二種類に分けるのは無理があることに納得出来ないのです。
納得し切れない国民のフラストレーションをバックにアメリカ国民の多くが開き直って、過去の多角交渉の結果を全てご破算にすると言い出したことになります。
3月4日日経朝刊3pには、「通商方針WTOより国内法」の黒抜き見出しで出ていますが、予定どおり中国に対して関税を課すと言い張ったことがニュースになっています。
その一環として、WTO違反懸念に対しては気にしないと言う反論のようです。
就任直後の(第一次?)入国禁止令の違憲決定でミソをつけ、ロシア疑惑で補佐官のフリン氏辞任に追い込まれ、今や司法長官までロシア疑惑に曝されて防戦一方になって来ました。
二月末の大統領教書ではおとなしかった・・大人の政治に戻るのかと一時報道されていましたが、弱みを見せられないとばかりにそのすぐ後で力んだ発表をしたように見えます。
この発表によって鉄鋼業退で困っているいわゆるラストベルト地帯の支持者は喜んでいると言う報道ですが・・。

政治は政治家に!2(王道政治1)

アメリカの国力低下によって1対1の取引外交が出来なくなって多角外交時代に入ったものの、欧州や日本と違って複雑な外交経験がない結果、ブッシュ〜オバマと外交成果がジリ貧〜進退窮まっているのを見て、話し合い解決のオバマ流儀を「弱腰」と批判して元の一方的交渉形態に戻そうと宣言してもないモノねだりです。
王朝末期・衰退に比例して強圧より微温策が取られますが、抵抗分子が力を持つばかりでうまく行かなくなって、強行策に戻ると大方大動乱になって崩壊に繋がります。
権威が落ちた・一睨みで黙らせられないから不満分子が遠慮なく発言行動するようになるし政権も微温策をとっていたのに、もっと体力が落ちてから強行策に戻るのは無理があります。
幕末安政大獄と桜田門外の変〜その後の幕府崩壊がその1例ですし、中国歴代王朝の崩壊や多くのロシア革命その他王朝崩壊はいつもこのパターンです。
この辺は地域大国で上から目線の歴史経験しかない中国による、中華の栄光復活=威圧外交復活」願望も同じです。
実力がないから侮られるのであって、実力不相応に威張れば栄光が復活するものではないことが分らないのです。
王道と覇道の違いを強調する文化に親しんでいる日本人からすれば、これを本家本元の中国が知らない・・観念では知っていても実践しようとしないのを不思議に思う人が多いでしょう。
王道についてウイキペデイアでみれば以下のとおりです。
「孟子によれば、覇者とは武力によって借り物の仁政を行う者であり、そのため大国の武力がなければ覇者となって人民や他国を服従させることはできない。対して王者とは、徳によって本当の仁政を行う者であり、そのため小国であっても人民や他国はその徳を慕って心服するようになる。」
以上の基準を今の我が国の状況に当てはめてみると、世界から信用され、尊敬されている・・まさに王道を実現しているように見えます。
ただし当時(春秋戦国時代)覇を競っていた諸候の耳に孟子の教えは現実的でなかったので、孟子の主張に実際に従った諸候はいなかったと言われます。
そんなことよりも「強い方が勝ち」と言う社会の結果・秦始皇帝による統一・・専制支配が確立してしまいます。
習近平はこの歴史に学び、王道などの空理空論論は何の役にも立たない・・それよりは合従連衡策を勝ち抜いた始皇帝の方針・・周辺国の各個撃破を踏襲しているように見えます。
中国地域では人民が弱過ぎていくら隣の君主の政治が良くても、人民は君主を選べなかった・・そんなことより問答無用の強迫政治・・イザとなれば何十万人でも何のためらいもなく穴埋めして殺してしまうような野蛮社会であれば、道義など言ってられなかったからでしょう。
漢楚の攻防で有名なとおり、秦朝末期の反乱軍を次々と打ち破った勇将章邯が却って,趙高らに疎まれるのを嫌気して項羽に20万の兵を持って降伏したところ、楚の兵よりも圧倒的多数の降伏兵20万の寝返りを恐れた項羽によって、一夜にシテ?秦人20万将兵が抗(穴埋め)されてしまった事件があります。
南京大虐殺でっち上げ運動を見るとこの有名な20万の数字を踏まえて、自分ならこのようにするだろうと言う想像の産物です。
上記のように問答無用の苛烈な社会では、道義など【空理空論」を言っているヒマがないのが現実です。
折角の王道論が空理空論として顧みられなくなっていて、1000年以上経過した北宋の時代になって漸く孟子の教えが脚光を浴びます。
北宋時代は中国には珍しい非軍事・文化国家で、清明上下図で知られるように民が豊かになり、開封(汴京府)は殷賑を極めていたことで知られてます。
また最後の徽宗皇帝派、文物を愛した文化人で徽宗皇帝作の桃鳩図は日本に渡って来て今では日本の国宝になっているほど(まだ本物を見ていませんが、我が家に鳩やヒヨドリが来て庭木の枝にとまるのを見るたびにその絵を思い出す気入った絵です)です。
上記のとおり粗暴な中国社会では文治政治は無理があって、北宋はすぐに金に滅ぼされ徽宗皇帝は捕虜になって連れ去られてしまいました。
その後専制支配と相容れないからか中国世界では結果的に王道が顧みられることがなく現在に至ったようです。
ちなみに日本に孟子の思想が伝わったのは宋時代以降ですが、西欧から民主主義や人権主義が伝わる前から動物愛護(生類憐みの令)弱者をいたわる社会であり、ボトムアップ社会であったのと同様に日本社会は元々根っからの性善説社会であり、王道政治でしたから、孟子の王道政治はしっくりしたので普通の思想になって根付いていました。
いわゆる仁徳天皇と言う呼称が古くからあり、仁徳天皇が「民のかまど」を気に掛けていた故事があるように(ここでは上記が事実かどうかではなく、勇猛で何人人を殺したと言う英雄譚よりは仁や徳のある人が立派と言う神話・・価値観が古代から根付いていると言うことです)日本では、孟子の思想が入る前から仁徳政治こそが理想とされていたことが分ります。
思想はその社会に受入れる素地があってこそ根付く・・日本では普通のことですが、思想家による体系化がなかっただけで、受入れるには社会の基礎的思考方式が先に必要です。
神社信仰には自然保護・環境保護・弱者保護などの体系的文言がありませんが、これらを昔から畏敬し弱者を慈しむものでした。
立派な古典を読んでも読み手の受入れ能力・年齢によって、何を学ぶかが違って来ます。
大人になって読み返してみると違った奥深い意味に気が付く人が多いでしょう。
中国では折角立派な思想家がいたのに、これを受入れて自家薬籠中の物にしたのは日本であり、中国では受入れる素地がなくて根づかなかったのです。
この辺は高給な芸術作品が出来ても中国では買い手がつかないので、良い焼きものなどが出来ると隠しておいて真っ先に日本へ輸出してと言われるのと同じです。
中国に良いものが(文物)殆ど残っておらず日本にしかないと言われるのは、このような受け入れ能力によります。
現在アメリカ発祥のジャズ文化が日本に来て盛んであることや、欧米系文化人の講演やコンサートその他が日本人を優良顧客になっていることもこれを表しています。 
話題がズレましたが、王道・本当の栄光とは周囲から(我が国政治のように慈しみを持って接し)尊敬されることですが、アメリカは建国以来、中国も二千数百年間も実は威圧外交しか知らない・尊敬される必要がなく尊敬されたことがないのかも知れません。
もう一度廻りから恐れられる・腕力で屈服させる時代に戻りたいと言うのならば、中国も米国も間違いではなく一貫しています。
アメリカは国際連盟を提唱したのに自分が参加しないとか、国連を作ったものの大勢の交渉は苦手なので拒否権を行使するしか能がない・・拒否権のないユネスコ等ではボイコット状態です。
http://blog.livedoor.jp/kaigainoomaera/archives/33929772.html
「ユネスコ=国連教育科学文化機関がパレスチナの加盟を認めたことに反発し、アメリカとイスラエルが2年間にわたって分担金の拠出を凍結したため、両国は規定に基づき、ユネスコでの投票権を失いました。
教育の普及などに当たるユネスコはおととし、総会での圧倒的多数の賛成を受けてパレスチナの加盟を認め、これに反発するイスラエルとイスラエル寄りの立場をとるアメリカは和平を阻害すると批判し、対抗措置としてユネスコへの分担金の拠出を凍結してきま した。ユネスコには加盟国が分担金の拠出を2年間怠った場合、総会での投票権を失うという規定があり、8日、アメリカとイスラエルは期限までに分担金を拠出しかったとして自動的に投票権を失いました。」
「アメリカは以前までユネスコの予算のおよそ5分の1を拠出してきました。このためユネスコは人員の削減の検討を余儀なくされており、世界各地で行われている子どもたちへの教育支援活動などへの影響も懸念されています。」NHK

政治は政治家に!(素人政治の限界)1

政治の世界も言うだけではなく、政策実現には多くの関係者を動かすに足る相応のプロの能力が必要ですから、互角の政治力のあるもの同士で選挙戦を戦うこととこそが選挙制度のあるべき姿です。
政治力が互角とした場合・・ドングリの背比べの中から、どの方向の政治をする予定かを国民が選挙で知り、気に入った方を選ぶのは民意重視・重要です。
言わば、5段階のテストがあって、最後の決勝戦はこれらを勝ち抜いた一定の実務能力がある前提の人だけが参加する選挙は、実務能力=公約実現能力がある前提で「やりたい方向性」だけ述べれば良い決勝戦です。
本来決勝戦は実務実現能力がある前提ですから、(日本では、利害調整が済んでから発表するのが普通です)候補者がこの方向でやると言えば実現出来る前提で主張しているとみんなが期待してしまいます。
繰り返しますが、鳩山氏の「少なくとも県外へ」の主張がまさか実現出来ないカラ鉄砲とは思わずに投票した人は、民主党への信頼を裏切られてしまいました。
ヤンバダム反対運動も民主党が政権をとると一旦中止を表明しましたが、紆余曲折の結果遂に再実施になった・・・一時停止したので時間の浪費とコストアップになっ終わりましたが、結果的に何だったのが問われねばなりません。
利害調整を経た民意の代弁ではなかったからイザ実行しようとなってからの利害調整のやり直しでは、何も出来ない結果に終わるのです。
築地市場移転反対論者がいたでしょうが、移転の動きが具体的に動き出してから歯車の逆回転をするのは大変・・白紙状態で意見を決めるときに比べて何倍もの反対エネルギーがいります。
権力さえあれば何で出来ると言う権力行政信奉者であってこそ、簡単にやりなおし宣言を出来るのでしょう。
嘘つきほど相手を直ぐに嘘つきと言うように、エリートの集まりで自分が民意を汲み取っていないから民主党と言うのかも知れません。
民主党が政権を握ってみると原発事故対応を巡って菅総理の実務能力不足が指摘されていましたが、いろんな場面で利害調整無視の強権的発言が多過ぎた・・実務能力不足・民主党の党内勝ち抜き戦のレベルが低過ぎる・党内序列・・幹部になって行く過程が予選としての機能を果たしていないことが分りました。
政策実現する実務力がない場合マトモな提案も出来ないので、必然的に何でも「反対または政府批判やこんなことが許されるのか!」と言う程度の思わせぶり質疑をするしかない・・前向き提案が出来なくなって行くしかないのでしょう。
これでは政党ではなく、オンブズマン集団と変わりません。
私の司法試験受験時の口頭試問では、各科目共に禅問答のような応答で終わったのを覚えていますが、大先生が「キミそれで良いんだよ!と言われて合格しましたが、前提になる実務的細かい試験に合格していた前提があるからです。
実務的能力試験を通過している以上は、あとは価値観が狂っていないかどうかだけ判断すれば良かったのではないかと言えます。
芸術家トップクラスになると人格や哲学的立場がないと行き詰まり苦しむことが知られていますが、この逆に着実な技術修得がなく、発想や着眼力さえあればその気持ちどおりに作品で表現出来ることはありません。
作家でも映画監督でも一定の訓練を経てからデビューするものです。
政治で言えば、この最終決戦に予選や地区大会等の実務テストを経ない・・政治経験のない人がマスメデイアの応援で突如出馬して大量得票を得るパターンが、美濃部都知事〜青島氏や石原氏以降続いていました。
青島氏などは全て実務官僚のナスがままで、何ら個性的政策実現が出来ないで都庁を去ったと評価されています。
官僚上がりの市長や都知事では代わり映えしない・・「アメリカ式素人政治が良い」とマスメデイアが応援したのですが、却って素人政治家は何も分らないので事務方の言うがママになっていたことになります。
行政に精通した官僚上がり政治家の方がトップになったときに自分が役人であったときに実現出来なかった抱負を実践する意欲がある・・新機軸を出す抱負を語る場合必要な実務に精通しているので、本当にやれる限度の改革提案になるのは当然ですが、(使い慣れた部下も一杯いるし)実際に手堅く実行するのが普通です。
青島氏や石原氏は(実務が分らないので?)殆ど都庁へ出勤しなかったと言われています。
日本の野党はこの辺を誤解している・・政治には能力不要・理念さえ高邁な理念さえ主張すれば良いと思っているから、日本の野党がいつでもうまく行かないのです。
評論家と実務家は違うのですから、地道に政治訓練を経て一人前に・・廻りを動かせるようになってから、自分はこうしたいと言うべきでしょう。
組織の人材抜擢に当たって、AB比較する場合の基準としてAとBどちらの方が廻りが骨身を惜しまず動くか、動かないかが人望が重視されることが多い・政治家選抜はまさにその点を最重視すべき分野です。
高名な美術評論家がそのとおりの絵画や音楽を創作出来るわけがないのと同じです。
民主主義などと言う頭でっかちな観念論以前に、我が国では古代から時間のかかるボトムアップ方式でやって来ましたし、その代わり一旦決めればみんなが守るしみんなが実行に協力する優れた方式です。
ボトムアップに長く参加して実務訓練を受けているうちに、まとめる能力のある有能な人は自然に頭角を表して来ます。
民主主義と言うスローガンよりは、民族共同体にある多様な利害調整を経て決めて行く・・正義を造り上げる過程が重要です。
社会党やその流れを汲む民進党は、「人権を守れ」などのスローガンで満足してしまい、具体的意見吸収経験を欠いているエリート意識が災いしているので、実務上出来ないことをスローガンを掲げてしまう傾向があります。
地に着かない頭でっかちな西欧の人権思想のいびつな応用が捕鯨反対運動に典型的に現れていますが、(曰く「クジラはほ乳動物だから捕獲を許さない」と言うのですがこの馬鹿さ加減に日本人の多くが絶句するでしょう)観念論を上から普及するとこう言うバカな結果になる典型です。
アメリカでは国内利害調整シテ政治をするほどの民度に至っていない・・庶民に言いたいことを言わせると収拾のつかないレベル・・まだうまく行かないので意見調整しなくても良いように専断的な効力のある大統領令が発達して来たのですが、これをもっと大変な筈の対外的政治にもそのまま適応して来たのがアメリカの歴史です。
ペリー来航でも分るようにモノの進め方は強引そのもので、このやり方のママ現在に至っています。
アメリカが対外的に(根回し不足のまま)無茶を要求していても行き詰まらなかったのは、いつも戦争で勝っては自己の未熟な正義を押し付けても(相手が)ばかばかしいと思っても腕力に優るアメリカに世界が従うしかなかったことによります。
アメリカの国力低下に比例して無理が利かなくなって徐々に多角交渉に頼るしかなくなったのですが、ニクソンショック頃にはまだ圧倒的国力を背景に議事主導権を握れましたが、国力低下に伴い徐々に思うように行かなくなって行きます。
基本的に1対1の一方的取引〜国力背景の主導権を握る交渉経験しかないアメリカにとってはクリントン〜オバマ以降うまく行かなくなったことに対する(国民の鬱積したストレス)鬱憤ばらしがトランプ旋風の下地です。
トランプ氏及びその支持層が最強国だったときの1対1の取り引き外交に戻りたいのは、願望としては自然の成り行きですが、選挙戦で
は願望だけで勝てても実際の政治が単純願望どおりに出来る筈がありません。

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