発電所の消費地立地4(コンパクト化3)

消費地である東京に製鉄や発電所を立地しないのは、汚いものや危険な公害型産業を遠くへ追いやる意識が底流にあるからではないでしょうか。
安全性に問題がないならば、(原発は別としても火力発電所くらいは)東京の消費量から言えば、各区に1基くらいずつの大型発電所あるいは東京湾岸エリアに千葉にある火力発電所程度の大きさのものをいくつかまとめて造っても良い筈です。
東京のど真ん中に造ることによって送電ロスが減り、身近に生活する都民の厳しい意識が、より安全で効率の良い発電所(CO2排出削減努力)に変えて行けます。
民主党以前の政府や電力業界が主張していたように本当に原発が安全ならば、大量消費地に近い東京湾岸に多数立地するのが合理的です。
都内に立地する気が全くない・・こんなことを主張するのは狂気の沙汰と思う人が多いとすれば、誰も安全神話など信じていないし科学技術の発展を誰も信じていないことになります。
June 11, 2011「巨額交付金と事前準備3」前後からJune30 2011「交付金の分配」までの連載で、地元では巨額の交付金を得ていたので、危険性があることを前提にした損害賠償の前渡し金だったのではないかと書きましたが、都内に原発を造るなんて論外だという意見が普通だとすれば、過疎地への原発交付金は、やはり危険手当だったのではないかとなります。
電気の場合、利用場所において操作が簡便になりクリ−ンになったのでツイ誤解しがちですが、遠くでエネルギー変換出来るようになったことによって、目の前から見えなくなって危険性のごまかしが利いているだけではないでしょうか?
(蜂蜜はうまいが蜂から蜜をとる作業は危険です)
産業革命以降原産地と消費地との距離を離して行きさえすれば、消費者にとっては安全になる仕組みが考案され・すなわち輸送コスト安+鮮度維持技術の発達によります・・アフリカ沖のマグロの刺身を東京で食べられる時代です・・安全になった錯覚が生じていたのですが、今回の原発事故によって、危険なものをどんなに遠くへ持って行っても放射能汚染は地球規模の問題ですから、ごまかしが利かなくなりました。
今後は距離で何とかするのではなく、規模のスモール化と管理技術を磨いて行くしかないでしょう。
極小化・・今の火力発電所の一基当たりの規模を1000分の1程度にすれば事故があっても大したことがないでしょうし、燃料も原油そのまま使わないで爆発し難いように別のものに変換してから使うなど工夫が発達します。
原発もウラン自体を別のものに加工して原発で使う段階で事故があっても安全化するなどの工夫が発達するべきでしょう。
電気の場合スイッチオン・オフが瞬時に出来るのは利用場所においてだけであって、発電現場ではスイッチで瞬時に発電したり瞬時に停止出来ない・・一旦止めたら再運転するのは大変なことから見ても象徴的です。
(原子炉はどのようにして廃炉するかすら分っていないのに、発電だけ始めてしまったようです)
これからは、危険なもの汚いものを遠くの見えないところに持って行って安全になったように錯覚して安心しているのではなく、如何に制御して安全化し、且つコンパクトにして身近においても安全にするかの工夫・技術開発が望まれます。
我が国の清潔度・感性の高さは世界一級ですが、これは1月2日に炭火の利用例で書いたように古くから、使用の場と造る場をウマく切り分ける技術が発達していたからです。
現在ウオッシュレットが発達してからのトイレのクリ−ン化はやはり世界に冠たるものですが、これなどもわが国の分離の成功例でしょう。
今では身近・台所の隣にトイレがあっても、汚いと思う人は滅多にいないでしょう。
かと言って家の裏で汲取業者一人が汚物を処理しているのではなく、今は下水を通じて流れて行き、各自治体ごとの週末処理場でも機械化しているので、担当者が汚い非衛生な目に遭っている訳ではありません。
台所のクリーン化・コンパクト化はガス、水道、電気の発達とゴミ処理技術の発達に負うところが大きいでしょう。
小金井市長がゴミ処理問題で引責辞職せざるを得なくなった事例でも明らかなように、クリーン化は自前で後始末までしてこそ完結出来ます。
電力も東京都等大消費地が自前で発電すべきであり、電気は消費地生産の方向で管理技術を磨いて行くことが、これからの主要課題であり、(今のところ電力はすべての産業の文明化の基礎ですから・・)この解決が国際競争力の維持に繋がると思われます。
この問題はまだまだ書きたいけれども、大災害に負けずに奮起して欲しい正月特別番組としてはここで一旦終わりにして、(このコラムは前日・6日に書いて翌午前零時にオープンしていますので)明日から年末(12月30日)までのテーマに戻ります。
ちなみに私の事務所は例年通り1月6日から仕事始めですが、仕事に出れば初日から晩まで来客予定が詰まっていました。
昨年地元老人会から相続問題の講演・解説を頼まれて、ウイークデイは仕事の予定が一杯なので困ると言ったところ、町内の役員としては私がとっくに隠退していると思っていたらしく(土日の方が家族団らんのために時間を取れないからウイークデイの方が良いと思っていたようです)、こちらが逆に驚いてしまったことがあります。
私はまだまだ50代くらいの気分で仕事をバリバリしているつもりですが・・・・まだ若いと思っているのは自分だけかも知れません。

発電所の消費地立地3(コンパクト化2)

産業発展の歴史はすべての分野での小型化競争の歴史でもありますので、先ず発電部門で日本が超小型化競争・・効率化競争に入ることが重要です。
独占(九電力体制)維持のために電力業界ではそんな研究はしたくないでしょうから、今の九電力体制のままでは望み薄ですが・・我が国はものを小さくして行く技術特性のある国民性ですので、この分野の競争にまじめに取り組めば必ずや世界に先駆けた開発に成功して有力な輸出商品になる筈です。
また電気関連はすべての利便設備の基礎ですから、基礎技術が他国よりも早く進化すればそれだけいろんな業種での競争が有利になります。
いきなり今の大型発電所と同効率で、各家庭で使う程度の発電機の小型化までは無理でも、大型ビル4〜5個あるいは数街区規模に供給する程度の中型火力発電所の効率化を工夫出来れば、送電ロスや送電線の建設や維持コストが殆どなくなります。
また、発電所が細かく大量に分散していれば、1カ所の事故があってもその影響は限定的ですし、網の目のようにある隣接発電所からの融通で間に合わせられるので補完性も優れています。
一カ所の事故で大規模な停電が起きる心配がなく、災害やテロに対する安全性も優れています。
ところで、今のところ大型発電所しか効率上造れないとする意見が正しいとしても、(電力会社の独占維持のために発電装置小型化の研究開発費が出ないとすれば、日本にとって不幸なことです)送電ロスをなくし、テロその他の災害ダメージを少なくするには各消費地ごとに大型発電所を分散するのが合理的です。
福島原発では6号機までもあって更に増設する予定で今回の事故になったのですが、1基当たり一定規模の大型発電が必要なことと、一カ所に6〜10号機までも集中して造る必要性とは一致しません。
せいぜい1号機だけよりは集中管理出来て(所長が一人で済むなど)管理コストが安くなる程度でしょう。
管理費合理化程度ならば、送電ロスや膨大な送電網の維持管理費との損得の外に、一カ所がパーになると大規模停電になるリスク等と比較すれば、危機管理上から見ても分散立地する方が合理的です。
10号機まで集中すれば一カ所の警備で済みますが、その一カ所からの送電延長距離が伸びるので長大化した一カ所でもテロに遭うと全部停まってしまうリスクがあって、長大な線に沿った警備や保守維持に苦しむことになります。
超高圧線は山奥・稜線を利用しているので、警備の車が巡回するには不向きで歩いて巡回するしかないのですが、毎日1回も巡回し切れないでしょうし、巡回の合間を縫ってテロリストが潜伏して破壊するのは簡単です。
道らしい道がない場所ばかりなので、破壊されてから修復に駆けつけるにも(資材の搬入にも重機を使えないなど)日数を要します。
火力発電所も同じで、大型化の必要性だけから首都圏の需要を、千葉や神奈川県の大規模火力発電所ですべて賄う必要まではないでしょう。
仮に今のところ大型発電機しか効率が悪くて造れないとしても、最大消費地である東京都区内(輸入原油や石炭に頼る・・大量の海水を使うとしても東京にも海岸がありますよ)に全く発電所を造らないことの説明にはなりません。

発電所の消費地立地2(コンパクト化1)

一般民家の屋根上の太陽光発電は自家使用する限り送電ロスがないので、その点(発電コストは別に論じるべきですが・・)では合理的ですが、個人の場合自家用分を越えて発電すると、売電すると言っても少な過ぎるので送電コストが高すぎます。
企業・事業所と違い家庭では、昼間不在が多くて自宅のために発電時間帯には殆ど電気を使わないので、この時間帯に発電するのではミスマッチとなります。
昼間発電分を自家使用出来ない・・送電するには高圧化しないとロス率が高いのですが、住宅街には超高圧化する仕組みがありませんし、少量ずつ変圧するにはコスト割れです。
(現在は山間立地の高圧線から市街地に近づくに連れていくつかの変電所を経て順次低圧化する仕組みですが、その逆の変圧システムがありませんし、抵抗の少ない高性能電線も家庭近くに張り巡らせていません)
低電圧のままで且つ少量送電コストに関する画期的技術進歩あるいは昼間の電気エネルギーの蓄電コストが画期的にならないと家庭の余剰電力は無駄になる感じです。
広告では1年間に自宅でどれだけ発電出来て電気代がどれだけ少なくなると宣伝していますが、これらは一般家庭では昼間自宅には猫しかいない時間帯に最高の発電量になる現実を無視した前提で広告していることになります。
現在の技術では火力発電は大型発電所でないと発電効率が悪いとされていますが、もしかしたら危険なものを大都市から切り離すための口実か、あるいは独占的電力体制維持の口実でこのような意見が流布している・・その方向の工夫・改良意見・研究をさせたくないだけかが分りません。
(もしかしたらその混合でしょう)
仮に大型の方が効率が良いとすれば、今のところ各ビル(または一定街区)ごとの小型発電は今のところ現実的ではないことになりますが、(そう言う議論をすること自体現実を知らない青い意見としてバカにされます)今回の原発事故を教訓にするならば、現状に甘んじて怠慢を決め込むことは許されません。
今後は、都市内に発電設備を分散立地出来るように小型化してでも効率の良い発電システムの構築・工夫が必要です。
9電力体制・・独占維持のために小型化→分散立地へ研究が進まないとすれば、9電力体のシステムを何とかしないと行けません。
日本の技術開発は学者がするのではなく企業・現場の改良によることが多いので、我が国では電力供給が独占企業になっている関係で、独占企業にとっては利害の反する小型化研究→分散立地化への意欲・動機がないとすれば、我が国は小型化技術で世界をリードするどころか、小型化・スマート化で世界で最も遅れた国になってしまうかも知れません。
これを打破するのは政治の仕事で、戦後の緊急事態・・傾斜生産時代が終わったのですから、電力供給を自由競争体制に戻すべきでしょう。
今流行の議論は発電と送電シスムの分離論ですが、これでは社会発展に必要な小型化への研究インセンイブにはなり難いでしょう。
生活利便性の進化はコンパクト化であると元旦以来書いてきましたが、小型化は無理だと始めから諦めないで部品その他小さくして行く工夫・努力次第で将来的には今の10〜20〜100分の1程度の小型電所を生み出して行くことが必要です。
小型化して、発電所が身近になれば、その安全性・環境負荷を極小化する技術も磨かれます。
現在大型発電機しか造れない・・小型の自家発電装置はもの凄く効率が悪い・・ひいては環境負荷が大きいし割高であることから、大型病院や工場でもホンの短時間の自家発電能力しか用意出来ていませんので、昨年の震災のように長期間停電するとお手上げになります。
送電ロス防止目的だけではなく危機対応のためにも、画期的な小型化技術の開発努力は必須でこの先端技術を開発すれば、世界に向けた大型輸出産業に育って行くでしょう。
小型発電機自体は既にあるので、これから必要とされているのは大型発電所での発電効率に負けない・環境負荷の小さい発電機・システム作りです。
いきなり大型と同効率で100〜200分の1の小型発電機を造る必要がなく、現在病院や工場等に非常用に準備している短時間の発電機の効率を少しずつアップして、性能向上して行けば、輸出産業に育って行くでしょう。
現在の発電機の持久時間を延ばすことによって、昨年のような短時間の計画?停電でも(その停電時間より少し長い自家発電装置があれば結局ストップしないで済むので)工場や店舗の操業を全面的にストップしなくても済んだことになります。
自家発電への切り替えに時間がかかる・・しかも10〜20年に一回も稼働しないとイザと言うときに動かないなどの問題があります。
しょっ中試運転しているとそのコストがバカにならないし、数時間の運転で問題がなくとも長時間になると別の問題が起きるなどリスクが大きすぎて信頼性がイマイチです。
現在の発想・別の発電機の準備や蓄電池に蓄電(電池への変換時点でのロス率の高さから)しておく発想はコスト上問題があり過ぎます。
素人考えですが、非常時の切り替えや、ときどきの試運転ではなく、車のバッテリ−のように日々使う蓄電システムにしておく必要があります。
・・水で言えばプール内を循環してから供給する体制・そのプール蓄積分を4〜5日間の余裕にしておけば、停電しても切り替える必要がなくそのままプール蓄積分がカラになるまで4〜5日間稼働出来るので維持コスト不要です。
プール蓄積分の容量を少しずつ増やして行くことで(我が国はこの種の技術革新は得意です)行く行くは10〜15日分として増やして行けるし、バッテリー自体の大きさを小さくしてどこにでも設置出来るようになって行けるでしょう。
昨年の計画停電が批判されていますが、需要側にこれに対する備え・危機管理がなかったことによるもので計画停電自体が悪かったとは言い切れません。
ただし、社会に自家発電や蓄電システムがない状況・・備えがない・・電力側がそうした方面の発達を妨害しておきながら、一定時間ごとの停電を実施してしまった点は乱暴だったことになります。
例えば鉄道を含めた各種事業所では5〜6時間以上の自家発電装備するのが標準社会になっていれば、(しかも上記のように自動的に切り替えられるように使い勝手の良いシスム構築がされていたならば)毎日3〜4時間の停電が計画的に行われても何の混乱もなかったことになります。
一戸建て住宅では、トイレや電話その他いわゆるライフラインだけ別系統にして24〜48時間程度持久出来るような蓄電池を普及させておくべきだったでしょう。
一定規模以上のマンション等集合住宅では(高層マンションだけではなく高齢者が増えるとエレベーターの停止は死活問題です)まとめて100時間程度運転出来る自家発電装置または、上記蓄電システム準備の義務づけが有効です。
(年月をかけてこの準備時間を順次延ばして行けば良いのです。)
マスコミは民主党政権は危機管理能力がないと決まり文句のように批判していますが、危機管理の備えがなくてオタオタするのは事故が起きたときの政権の責任ではなく、こうした準備は社会意識の醸成から始めて何十年もかかるものですから、歴代政権・数十年前からの各界オピニオンリーダー・指導的立場だった人たちの連帯責任です。

危険と隣合わせ3(発電所の消費地立地1)

利便性と距離およびコンパクト化の解決策としては電気は多方向(医療機器もすべて電気利用です)で大活躍ですから、電気発明以降の社会では、電気製造・運搬利用技術とその管理をどうするかによって、社会生活のレベル(文明度)が決まって来ます。
以下電力関係に絞って書いて行きます。
電気は普及当初から遠隔地で石炭を燃やすなどして製造出来るので、利用する場所では生産に伴う煙・熱・臭気騒音などに悩まされなくても良い上にオン・オフが簡単・・使う人にとって便利なものでした。
工業地帯と旧市街地を分離することで造る人の作業環境がどんなに劣悪でも、利用者は気にならない・分らない関係になりました。
電気自動車・電気エネルギーにすればクリーンだなどとマスコミは報道しますが、それは、車や事務所・台所等エネルギーを利用する場所ではクリーンであるだけで、電気を造る場所ではどうなのかの議論がありません。
その矛盾が露呈したのが今回の原発事故でしょう。
もしも電気が安全でクリーンであるならば、消費場所に最も近い東京湾岸・お台場辺りりに火力発電所や原発をドンドン造ったらどうかの議論が必要です。
電気は遠隔地から運んでも電気自体の性能は同じです(魚その他の食品のように古くなると味が落ちたり腐りません)ので、つい遠隔化する一方ですが、実は送電ロスがあります。
(距離に正確に比例し電圧にほぼ反比例します)
個人のブログによりますが、(客観性は不明です)送電ロスは平均して約5%(2000年のデータで年間約458.07億kWhの損失・100万キロワット級の原発6基分)らしく、東電に限定すれば、2002年度損益計算書では送電費と変電所維持費に6000億円あまりかかっているそうです。
(本来の送電コストは、ランニングコストだけではなく初期投資・建設費や用地取得費用がかかっています)
平均コストでは分り難いですが、火力は東京湾岸(千葉と神奈川両県)に集中していて遠くても70km前後ですが原発は近くても200km以上ですから、原発の方がロス率が大きく送電コスト(高圧線の維持管理費)が多くかかっていることになります。
火力等を電気に変換する過程で約5割もロスがあって、電池に加工すれば、その加工段階の歩留まり次第で大きなロスが発生します。
節電節電と言いますが、個人の節電も必要ですが、国民は昨年充分に節電して来たのでこれ以上節電できるのは多寡が知れていますし、節電疲れを起こすと(薄暗い駅舎など)国民の活力を弱め、生活水準を落とすことになります。
今後は、節電よりは消費地のビル10〜20棟をまとめた街区ごとの公園地下などでそれぞれの地域利用分を小型発電する工夫・・場合によっては義務づけなどに取り組む方が送電ロスとコストが少なく合理的です。

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