日弁連意見書・日本の労働者は窮乏を極めているか?2

若者についても都市住民2〜3世のテーマで書きましたが、バイトで20万円しか稼いでいなくとも、親と同居で全額小遣いに出来る人は、形式上ワーキングプアーですが、実際には普通のサラリーマンよりは豊かな消費を楽しんでいます。
日本の場合、都市住民1世の比率が下がる一方ですから、このような比率の差・親世代の持ち家率なども重要です。
数年前に実質賃金が下がっているという報道が続いた時に書きましたが、好景気でそれまで働いていなかった主婦層が働きに出るようになると10数万〜20万前後の低賃金層が増えるのは当然ですが、それまでゼロ収入だった主婦の収入が20万円前後増えただけのことで彼女たちが貧しくなったのではなく、逆に働けるようになって家計が潤っているのです。
バイト先のなかった息子や娘が一日数時間のバイトできるようになった家庭も同じです。
個々の収入・・例えば、総支払額を就労人口で割る方法ですと、高齢者の職場でなかった分野でも高齢者が週2〜3日働けるようになり、パートや育児期間中の母親や身体障害者等弱者の就労環境がよくなればなるほどそうした就労者が増えるので一人あたり賃金収入が減る方向になります。
仮定の例で言えば、10年前には65〜70歳の9割が年金収入しかなかったのに対して、今ではその5〜6割が月収15〜20万円前後でも仕事があるとした場合、就労人口一人当たりで割ると非正規雇用が増え、一人あたり賃金が下がってジニ係数が悪化したことになるのでしょう。
今の統計方法では就労人口が増えれば増えるほど、国民が貧しくなっている・・格差が広がっているかのような逆転したイメージになります。
変に個人別に切り分けた統計を見て平均賃金が下がっているとか格差拡大していると言ってもほとんどの人は実際の生活実感と違っているので支持しません。
北陸地方の住みやすさ・幸福度指数が最高という報道がしょっちゅう行われていますが、それなのに北陸や東北などの地方から東京など大都会に何故出てくるのか?大都会から北陸地方への移住の方が少ないのかの現実との落差をメデイアは無視したままです。
それは都会に職があり、交通網が整備され学校がありいろんな設備が揃っていて便利だからだというのでしょうが、では何故職や大学や文化施設の有無をすみやすさの基準に取り入れないのか、なぜ評点が低いのか?の答えになっていません。
マスメデイアは、実態無視の基準で勝手に評価しているだけで、国民意見・疑問など無視したままです。
日弁連もメデイア受けに頼る傾向があるので、「窮乏を極めて」いるという唯我独尊的意見発表で満足しているのでしょうか?
メデイアの宣伝と実態の違いを知っている賢明な国民が多い結果、安倍政権になってからの国政選挙で自民党の連続勝利の結果に出ていると思われます。
生活水準・豊かさや窮乏の度合いは、個人単位ではなく世帯単位で見るのが実態に合っているでしょう。
夫の月収4〜50万円の家庭(日本での正規雇用では、500万円年後が最多階層?)でそれまで育児等賃金収入のなかった主婦が働きに出て月収15〜20万円でも増えればその分豊かになった気分でありその女性が窮乏化を極めているとは思っていないでしょう。
賃金労働者一人当たり収入比較・これは景気が良くなるとバイトなど低賃金層から雇用が増えるのが普通ですから、とこの種の人から仕事が増え収入が増えます。
技能関連で言えば、元々腕のいい人は不景気で滅多に職を失わず目一杯仕事をしているのでこの種の人は景気が良くなっても大して(残業手当増える程度・管理職になるとこの変化もありません)収入が上がりません。
技能レベルの低い順に不景気になると失業する代わりに好況になるとすぐに再就職するので好不況の波に影響され安い階層です。
この結果、景気が良くなると低賃金層に仕事が回るようになるので統計上平均賃金が下がり非正規雇用が増え、窮乏化が進んだことになります。
国民の豊かさ、窮乏度合いを見るには、家族全部含めた国民総賃金の推移・・総支払額と対応年度の労働力人口で一人当たり収入増減に引き直して貧しくなったか否かの議論をすれば、結果が違ってきます。
世帯収入の統計をどうするかですが、仮にその把握が難しいとすれば、・・労働力人口(就労人口でなく)が同じとした場合、(日本は少子高齢化で年々減っていますが・・)年間総人件費支払額・これは企業集計でやる気になれば可能でしょう・・が、喩えば200兆円の支払いだったのが5年間で190兆に減っていればその差額分賃金収入世帯全体が貧しくなり、200兆円が220兆に増えていれば、1割豊かになっていることになります。
これを就労人口で割ると高齢者がシルバーセンターなどで、月に数万円程度働くようになると平均賃金が下がり、窮乏化したことになってしまいます。
元々働けなかった人・障害者などが短時間でも働けるようになった分、その世帯収入が増えているのですが、統計では逆になります。
多様な人が生きやすい社会・・子育て中の母親や福祉政策が進むと病弱者や障害を抱えた人あるいは高齢者でも、日に数時間だけでも働く場が用意されるようになるので、低賃金層が増えますが彼らが働けるようになっただけ良くなったのであって働いたことによって貧しくなったのではありません。
お父さん一人しか働く場がなくて月収60万よりは、親子3人自由に働けて各30万の方が家庭は豊かです。
窮乏化が進んでいるかどうかは、個別収入の統計ではなく世帯単位の統計が必要ですが、企業の支給データでは個別支給額しか出ないし、税務や年金保険データでも同じです。
本当の姿を知るためには、日本全体での企業の賃金総支給額が、年度別にどのようなグラフを描いているかでしょう。
労働力人口の減少があるので、このグラフに対する修正要素として、対応時期の15歳以上65歳までの総人口で一人当たりの収入を割ってみれば国民の現金収入変化が出ます。
現金収入に限らず豊かさには、徒歩圏内に医療その他消費財が簡単に入手できる環境にあるかなど日常生活に必要なインフラも需要です。
ウオシュレット普及で代表されるように清潔さその他環境条件も(駅舎も綺麗になり、どこでもベンチがあって気持ちよく過ごせるなど)ダントツの日本のはずですが、日弁連はどこの国とと比べて「窮乏を極めて」いるのでしょうか?
よその国との比較の問題ではなく絶対的な貧困が需要なのだというのでしょうが、「貧困」という言語自体に比較の概念が入っています。
「富士山は日本一の山」という時には、誰でも知っている 公理みたいなもので証明不要ですが、日本の労働者は・・・窮乏を極めているという時には、世界常識と違うので変わったことを言う以上は、変なことを言う方に説明責任があるでしょう。
マス・メデイアが言っているから常識だ・・説明責任がないというのでしょうか?
統計では平均賃金が下がり続けている・.それだけで充分とでもいうのでしょうか?

労働流動性化1(反対論・日弁連1・「窮乏を極めて」る?)

以下は事業転換・人材入れ替えを容易にしようとする動きに対する反対論です。

解雇規制緩和のための「解雇の金銭解決制度」の導入の動きに反対しましよう

2015年9月1日
ニュース・トピックス ブログ
解雇規制緩和のための「解雇の金銭解決制度」の導入の動きに反対しましよう
企業が世界一活動しやすい国を目指す」と、安倍政権による労働者を犠牲にする「労働改革」が進められています。
ところで、政府の労働改革の一つに、無効な解雇でも使用者が金銭を支払えば解雇ができるようにする、金銭解決制度の導入が提言されています。
現在は、正当な理由がない解雇は権利の濫用として無効とされます。
ところが、政府・財界が企図している金銭解決制度が導入されると、労働者が解雇無効の裁判を起こしても、使用者が金銭で解決を図りたいとの申立があると、裁判所は違法な解雇であっても無効とはせずに金銭賠償を命ずることになります。」

ところで日弁連の意見はどうなっているのでしょうか?http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/2013/opinion_130718_2.pdf

「日本再興戦略」に基づく労働法制の規制緩和に反対する意見書
2013年(平成25年)7月18日  日本弁護士連合会
・・・・「多様な働き方の実現」のためとして,多様な正社員モデルの普及,労働時間法制の見直し,労働者派遣制度の見直し等が検討対象とされている(日本再興戦略第II一2③)。規制改革実施計画においても,人口減少が進む中での経済再生と成長力強化のため,「人が動く」ように雇用の多様性,柔軟性を高めるものとして,ジョブ型
正社員・限定正社員(ジョブ型正社員と限定正社員はほぼ同じ意味で用いられている。・・・・,現段階では抽象的な記載にとどまるが,それらの議論の経過において解雇の金銭決消制度が具体的に検討されたように,労働者の地位を不安定にしかねない制度となる可能性も残っており,参議院選挙後に予定されている具体的な検討において,経済成長の手段として雇用規制の緩和を利用しようする議論が展開されるおそれがある。しかし,日本の労働者の現状は,非正規労働やワーキングプア問題の拡大に代表されるように,窮乏を極めており,雇用規制の緩和を経済成長の手段とするべきではない。
・・・・・そこで,当連合会は,国に対し,具体的な制度改革の実現に当たって,以下の諸点について十分に留意するよう強く求めるものである。
1 全ての労働者について,同一価値労働同一賃金原則を実現し,解雇に関する現行のルールを堅持すべきこと。
2 労働時間法制に関しては,労働者の生活と健康を維持するため,安易な規制緩和を行わないこと。
3 有料職業紹介所の民間委託制度を設ける場合には,求職者からの職業紹介手数料の徴収,及び,民間職業紹介事業の許可制の廃止をすべきではなく,労働者供給事業類似の制度に陥らないよう,中間搾取の弊害について,十分に検討,配慮すること。
4 労働者派遣法の改正においては,常用代替防止という労働者派遣法の趣旨を堅持し,派遣労働者の労働条件の切下げや地位のさらなる不安定化につながらないよう十分に配慮すること。

上記によれば立論の前提事実として
「日本の労働者の現状は,非正規労働やワーキングプア問題の拡大に代表されるように,窮乏を極めており・・」
というのですが、北朝鮮政府発言のように?決まり文句・・「全ての責任は〇〇にある」式の決まり文句さえ言ってれば良いという姿勢が顕著です。
「日本の労働者の現状は、・・窮乏を極めて」いるとは、どういう根拠に基づいて主張しているのでしょうか?
給与水準で比較しにくければ、簡単な基準である最低賃金水準で比較してもいいでしょうが、日本の最低賃金がどこの国に比べて「窮乏を極めて」いるのでしょうか?
最低賃金水準で見ても諸外国との比較で「窮乏を極めて」いるとは到底思えませんが、賃金水準だけでは窮乏状態をはかれません。
持ち家のある人の月収20万円と家賃を払う必要のある人の20万円では窮乏程度が違います。
高齢化が進むとその収入減少がもろにジニ係数に関係しますが、中韓と違い日本では年金制度が充実しているし、高齢者の金融資産や自宅保有率が高い(ほとんどの人はローンを払い終わっています)などの実情の違いを無視できません。
また高額金融資産のある人が高齢化したために月収がゼロ〜ほとんどなくとも、子供世代に小遣いをやったりして豊かな生活をしている人が一杯います。
これを前提に高齢者からの孫への教育費贈与や、子世代への不動産取得資金贈与についての贈与税減免制度が一般化しているのです。
日本の個人金融資産は近々2000兆円に迫る勢いです。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDC17H0N_X10C17A3EAF000/

家計金融資産、最高を更新 16年末1800兆円
2017/3/17 10:41

上記は16年末集計ですから、好景気の続く17年末にはさらに増えているでしょう。
ちなみにちょっとデータが古いですが、世界のデータでは以下の通りです。
http://japanese.joins.com/article/072/221072.html

2016年09月26日14時32分
[ⓒ 中央日報日本語版]
26日、ドイツの保険会社であるアリアンツグループが発表した「アリアンツ・グローバル・ウェルス・リポート」によると、2015年借金を除いた韓国の純金融資産は1人当たり2万7371ユーロ(当時のレートで約360万円)を保有していることが明らかになった。2014年の2万4160ユーロに比べて約3000ユーロ増加した。ランキングも昨年22位から1ランク上昇した21位を記録した。
1人当たりの純金融資産が最も多い国はスイスで17万589ユーロだった。次いで米国(16万949ユーロ)、英国(9万5600ユーロ)、スウェーデン(8万9942ユーロ)、ベルギー(8万5027ユーロ)の順だった。
日本は8万3888ユーロでアジア国家のうち1位で、全体調査対象国家53カ国のうち6位だった。日本人は韓国人に比べて約3.06倍の金融資産を保有しているといえる。

国別金融資産でも世界的に見て遜色がないだけでなく、財閥寡占で知られる韓国など違い日本の場合、そういう格差も低い方ですから尚更です。
蓄積の有無が重要ですのでジニ係数など数字も国の総体力で見るべきなのに、ある国で妥当するかもしれない・一応の指標になるというだけでどこの国にも当てはまらないのかな?数字を持ってきて、日本を不利に評価する材料にしても意味が低いことを書いてきました。
体温計や脈拍数が健康管理の一応の指標としても、それだけで病気かどうか判断できないのと同じです。

家の制度2(実効性)

 

農家の多くは元々最小単位の核家族で漸く生活していましたから、これ以上構成員を減らせないとすれば、周辺産業にあわせて生活水準を引き上げるには耕作面積の拡大でしか対応出来ないのですが、農家をやめる人がいないと自分の耕地を増やせないことから(・・この誘導をしなかった、出来なかったのは政治の失敗です)農業以外の生産性が上がるのに比例して農家の相対的窮乏化がいよいよ進んでししまいます。
戦後は機械化が進み農業生産性も少しづつ上がりましたが、それでも農家戸数を減らせないので規模拡大が出来ず、戦後の兼業・農家出稼ぎが広がりましたが、これは家族構成員をこれ以上減らせないことを前提にした・・・一人あたりの従事時間を減らして行く試みだったことになります。
農家の収入は(生産性が上がらない限り)明治維新前後を通じて増えないとしてもまわりで景気良く収入が増えていると、農家の人もラジオを聞いたり新聞を読み近代的な乗り物に乗ったり本を買ったりしなくてはなりません。
これは現在でも同じ原理ですから、農業生産性上昇が周辺産業に追いついていないにもかかわらず農家も周辺産業従事者並みに生活水準を引き上げて行くには、規模拡大か補助金注入しない限り窮乏化を防ぐ方法はありません。
高度成長期には自民党政権が資金注入続けていて、農家経済のかさ上げに努力して来たのです。
この注入が限界に来たのが昨今の経済情勢ですが、この解決・・補助金を減らして行くには農家戸数を減らし一戸当たり規模拡大しかない筈です。
家の制度に戻しますと、家督相続人が明治民法で新たに得たものは何もなく範囲の広がった扶養義務だけ負荷されるのでは納得し難いので、戸主の居所指定権などの観念的指導権限を強化したのですが、東京大阪等に出て行った弟に対する居所指定権などと言っても実効性がなくお笑いです。
他方この扶養義務ですが、家の制度を論理的に説明するために何かあればその代わり故郷の実家で面倒見てくれると言う制度的保障・・観念強調だけですが、家を出た弟妹にとっても「江戸時代までの扶養2」 February 9, 2011 でも書きましたが、元々弟妹まで養いきれないから都会に押し出していたのですから、いざとなっても、長男が面倒見るほど経済力がないことを知っていましたので、お互いに茶番だと理解していたことになります。
家長と構成員どちらから見ても家の制度は意味のない制度で、すべての分野で家の制度は、実効性のない観念だけだったことになります。
今になると戦前の家の制度を過大に評価して如何にも悪い制度であったかのように思われていますが、実は思想的には親族・集落共同体崩壊の危機感に対する歯止め役としての観念的期待に過ぎず実体経済的裏付けがなかったことと、この次に書いて行く戸籍制度と整合させ維持するために自動的に構築しただけで、何らの実効性もない制度だったので、物の分かる人は家の制度に何の意味も見いだしていなかった筈です。
今でもマスコミが御拠もなくいろんなことを書き立てるとすぐその受け売りで困ったものだと言う人が多いのですが、宣伝に乗りやすい庶民に対しては大きな効果を持っていたでしょう。
何かあっても親戚が面倒見てくれる訳ではないことが何十年も前から既に証明されているし、その結果親戚に相談しても解決してくれないからこそ弁護士に相談来ているのですが、その状態でも弁護士に向かって親戚付き合いしておかないと何かの時に困ると言う潜在意識を吐露する人が多いものです。
勿論私は面と向かって反対はしませんが・・・。
これは古くは農業社会では核家族だけでは賄えない作業が多いことによる親族共同体での助け合いが必須だったことの遺伝子的記憶と明治民法制定直前頃に親族共同体崩壊が進んで行くことに対する保守層による危機感に応える意味で、観念だけでも家の制度を創設して保守反動層をなだめた思想教育の残滓に過ぎないでしょう。

 家の制度2(実効性)

農家の多くは元々最小単位の核家族で漸く生活していましたから、これ以上構成員を減らせないとすれば、周辺産業にあわせて生活水準を引き上げるには耕作面積の拡大でしか対応出来ないのですが、農家をやめる人がいないと自分の耕地を増やせないことから(・・この誘導をしなかった、出来なかったのは政治の失敗です)農業以外の生産性が上がるのに比例して農家の相対的窮乏化がいよいよ進んでししまいます。
戦後は機械化が進み農業生産性も少しづつ上がりましたが、それでも農家戸数を減らせないので規模拡大が出来ず、戦後の兼業・農家出稼ぎが広がりましたが、これは家族構成員をこれ以上減らせないことを前提にした・・・一人あたりの従事時間を減らして行く試みだったことになります。
農家の収入は(生産性が上がらない限り)明治維新前後を通じて増えないとしてもまわりで景気良く収入が増えていると、農家の人もラジオを聞いたり近代的な乗り物に乗ったり本を買ったりしなくてはなりません。
これは現在でも同じ原理ですから、農業生産性上昇が周辺産業に追いついていないにもかかわらず農家も周辺産業従事者並みに生活水準を引き上げて行くには、規模拡大か補助金注入しない限り窮乏化を防ぐ方法はありません。
高度成長期には自民党政権が資金注入続けていて、農家経済のかさ上げに努力して来たのです。
この注入が限界に来たのが昨今の経済情勢ですが、この解決・・補助金を減らして行くには農家人口を減らし一戸当たり規模拡大しかない筈です。
家の制度に戻しますと、家督相続人が明治民法で新たに得たものは何もなく範囲の広がった扶養義務だけ負荷されるのでは納得し難いので、戸主の居所指定権などの観念的指導権限を強化したのですが、東京大阪等に出て行った弟に対する居所指定権などと言っても実効性がなくお笑いです。
他方この扶養義務ですが、家の制度を論理的に説明するために何かあればその代わり故郷の実家で面倒見てくれると言う制度的保障・・観念強調だけですが、家を出た弟妹にとっても「江戸時代までの扶養2」 February 9, 2011 でも書きましたが、元々弟妹まで養いきれないから都会に押し出していたのですから、いざとなっても、長男が面倒見るほど経済力がないことを知っていましたので、お互いに茶番だと理解していたことになります。
家長と構成員どちらから見ても家の制度は意味のない制度で、すべての分野で家の制度は、実効性のない観念だけだったことになります。
今になると戦前の家の制度を過大に評価して如何にも悪い制度であったかのように思われていますが、実は思想的には親族・集落共同体崩壊の危機感に対する歯止め約としての観念的期待に過ぎず実体経済的裏付けがなかったことと、この次に書いて行く戸籍制度と整合させ維持するために自動的に構築しただけで、何らの実効性もない制度だったので、物の分かる人は家の制度に何の意味も見いだしていなかった筈です。
何かあっても親戚が面倒見てくれる訳ではないことが何十年も前から既に証明されているし、その結果親戚に相談しても解決してくれないので弁護士に相談来ているのですが、それでも親戚付き合いしておかないと何かの時に困ると言う潜在意識を吐露する人が多いものです。
これは古くは農業社会では核家族だけでは賄えない作業が多いことによる親族共同体での助け合いが必須だったことの遺伝子的記憶と明治民法制定直前頃に親族共同体崩壊が進んで行くことに対する保守層による危機感に応える意味で、観念だけでも家の制度を創設して保守反動層をなだめた思想教育の残滓に過ぎないでしょう。

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