解釈改憲2(憲法秩序の事実上改変)

憲法改正手続法の制定が事実上禁止されている状態の実際的効果については、憲法に選挙権を書いていても選挙法の制定をしない限り、選挙権が絵に描いた餅に過ぎないことを2014/09/13/「国民主権と護憲論の矛盾2」に書きました。
日本は1945年ポツダム宣言受諾に伴う武装解除以降・・武装解除の延長となる「陸海空軍その他の戦力はこれ保持しない」と言う憲法を強制されて、その憲法改正手続法がないまま、平成22(2010)年まで約65年以上もやってきたのです。

憲法

9条
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この間、改正手続法がない以上は、権利実現の方法がない・・法律上自前の憲法を法的に持つことが出来ない状態におかれて来たことになります。
自前の軍隊の保有も憲法制定権も否定されているのでは、・・法的には植民地にされていたようなものです。
憲法改正手続法が出来ても、なおアメリカの影響力があってイキナリ戦後秩序をそっくりひっくり返すような憲法が改正出来る訳ないので、実質的に自由に改正出来るようになるには、なお30年前後の期間がかかるのでしょう。
この間、自立出来ないように自衛力が弱小のままに抑えられて来た・・事実上アメリカの植民地的支配下におかれていたことから、イザとなれば友好国(宗主国アメリカ)に応援を頼むしかない状態におかれて来ました。
そうとすれば、「イザと言うとき日本も応援します」と言う相互防衛条約を友好国(アメリカ)と事前に締結しておく必要があります。
友人関係も同様で、自分の都合のときだけ付き合ってくれと言って、相手の都合に付き合わないのでは、友人関係が壊れてしまいます。
まして映画を見に行ったり食事のお誘い程度の交際ではなく、軍事協力する方は自国民の生命を危険に曝す以上は、事前に相互関係を築いておくことは必須です。
古来から、独立国家間で相互性のない軍事同盟は皆無と言っても良いほどです。
(日本がアメリカに完全従属・事実上の植民地支配を受けていたこととアメリカ軍が強大であったから、片務契約が例外的に成立していたことを以前から書いてきました)
個人間でも一方的に世話になるばかりでは対等な関係とは言えません。
この後で主権と相互関係のテーマで書いて行きますが、主権を維持する以上は、片務関係ではなく相互関係が原則です。
アメリカの経済・アメリカ軍が弱体化して、他方日本の主権回復が進んで片務契約から、相互条約に変えて行く必要が迫ってからでも、具体化するにはいろんな擦り合わせに時間がかかります。
敵が攻めて来るかもしれないときにこう言う条約を結んで良いかどうかを「憲法改正してから考えます」と言うのでは間に合いません。
解釈改憲ではなく憲法改正が必要と言う勢力が、憲法改正手続法の施行に反対・施行延期を主張していた勢力と一致しているのですから、矛盾した主張と言うべきです。
自国防衛に必要な軍備も半年や1年で準備出来ませんし、(戦闘機等の購入は、スーパーで日用品を買うような訳に行かないので、外国からの購入契約自体にかなりの期間が必要ですし、購入後の訓練期間・人員養成等を考えると間に合いませんから、5〜10年かけて憲法改正してから購入や製造をすれば良いと言うのでは間に合いません。
「非武装の憲法があるから議論自体許さない」・・あるいは「憲法改正してから危機に対応すべきだ」・・その間は思考停止して中韓の動きを傍観しているべきだと言うのでは、本末転倒した議論のような気がします。
議論は議論で予め充分に尽くしておくべきだし、いつ憲法が改正されても迅速対応出来るように予め装備品購入や友好国との共同訓練その他の準備を怠りなくしておくべきです。

中国式世界秩序?3(正統性理論があるか?)

コミンテルンの影響を受けた戦後思想家は、北朝鮮は理想の国・地上の天国だと煽った結果多くの日本人妻も同行しましたし、ソ連や中国の5カ年計画は素晴らしい成果を上げていると宣伝し・・文化大革命や毛沢東語録を賞讃していました。
これを信用して多くの若者が毛沢東語録を読んでいました。
実際には何千万という餓死者が出ていて大変な状態であったことが今では認められているところですが、その当時の思想をそのまま大事にしているグループが今でもまだいるとすれば、可哀相に見果てぬ夢を追っていることになります。
実態が違うのではないかと気が付いて信用しなくなった当時の若者・・今の我々世代は、最早今更中国が地上の楽園と言われても誰も信用しません。
今でも中国を理想の国と信じている人は、これを信用しなくなった人を変節者呼ばわりするのでしょうが、実態が変われば考えを変更するのは変節ではありません。
冬になっても夏の薄着のママでいるのが正しいと主張する人が節操正しい立派な人だとは誰も思わないでしょう。
中国支配の脅威(寒風)を受入れるべきだと言うならば別ですが、日本侵略を否定するならば、アメリカの警察力の御陰で夏に薄着でいた人が(警察力が弱まって)寒風から守ってくれなくなった冬になっているのに、何故厚着して身を守らなくて良いかの説明をすべきです。
寒風(中国の侵略)を防ぐ洋服が足りなければ近所から借りる・・近所で足りない人がいたら貸してやることが、必要ではないでしょうか?
警察力が弱まっても自衛権行使に関する解釈変更自体が許されない・・非武装(薄着のままで良い)が正しい・・何の議論も不要という主張は、侵略国の為すがママに委ねるべき・・放置しておけば良いということに帰着します。
結局は中国の侵略を受入れるべきだという(コミンテルン時代への懐旧の心)基礎的思想があるのでしょう。
論者は、戦後何十年間も中国の改革開放によって実態が明らかになるまで共産圏を賞讃していたように、今でも中国にすり寄るべきだと言うならばその根拠・・現在中国社会が如何に素晴らしいかその素晴らしい国に侵略される方が幸せだという根拠(コミンテルン思想に変わる何か)をきちんと説明すべきです。
外は冷たい風が吹いているのかどうかと言う国際情勢の実態分析をしないし、中国のどこが素晴らしいかの主張もしないで、内閣が「解釈変更するのを許さない」という抽象的な批判論に終始している反対声明等を読むと、社会実態の変化を検証してこれにどう対応するかの議論をすると負けてしまうのが分っているので、この議論からあえて逃げているのではないかの疑いを持たざるを得ません。
今日あるところで待ち時間があっておいてあった読売新聞朝刊を見ると、同社の世論調査では安倍総理の挙げている具体的事例について調査したところ、いろんな事例に対して概ね80%弱の賛成という結果が出たと報じられていました。
解説記事では、解釈変更の賛否を2択で問う毎日や朝日新聞の質問形式では反対論がわずかに多く、解釈変更是非の設問の中間に具体的事例を質問する分野のある3択形式による調査形式を採用しているその他マスコミ調査では総合的に賛成者が8割近くになるという質問形式による傾向の現れ方も紹介されていました。
世論調査は、数日前に質問の仕方にもよると5月26日の「中国の膨張策と集団自衛権3」で書きましたが、中国のやっている現実の蛮行から如何に目をそらさせるかによって、これだけの差が出るのですから、中国にやりたい放題やらせたい勢力にとっては、解釈変更反対だけをテーマにすれば勝算があると践んでいるのは戦略的には正しいことになります。
具体論ではなく、空中戦に終始している点では、特定秘密保護法反対論の論建てと同根で、何故世界各国にある実定法との比較をした反対論がないのかの疑問を「特定秘密保護法10(実証的議論の必要性)」2014/03/12前後で書いたことがあります。
反対論者は、何故か世界中のどこの国に同様の法制度があって、その国ではどう言う弊害が生じているとか、あるいは米英等ではこう言う歯止めの規定があるが日本の法にはこれがないから危険であるとか、法律・・条文の具体的比較をした上での優劣の議論を一切していません。
集団自衛権反対論者が中国が腕力で周辺諸国への膨張して行く実態について、一切議論をしたくない・・触れたがらない姿勢と相通じるものがあります。
共通項は観念論の言いっぱなしと「戦争をする国にするのか!等の感情に訴える戦略と言えるでしょうか?
主張の仕方が共通していると書いていて気が付いたのですが、秘密保護法と集団自衛権論争の反対論者の構成員はほぼ100%共通しているのではないでしょうか?

中国式世界秩序?2

集団自衛権=相互助け合いを阻止すベキ・・侵略行為に抵抗する必要がないので、現状放置すべしと言う意見を基礎にする勢力は、結果的に何を意図しているのでしょうか?
学校のテストとは違い、政治運動である以上はそれなりの結果目的がある筈です。
中国の侵略行為が着々と進みつつある中で、この現状を検証して議論する必要がないと言う立場の目指すところは、中国の好きなようにさせておく・・放置するべきだという意見の別表現と見るべきでしょう。
解釈変更を許さないという入り口論は、中国的支配社会の実現が理想の実現であるとまでは、積極的に(コミンテルン礼賛のような)主張を出来ないまでも、結果的に中国にやりたい放題させておくべきだという思想を基礎にしているように見えます。
いわゆる日本の文化人は(コミンテルン→世界全体の共産化を目指したソ連時代のように)中国による侵略行為の正当化・・・・支配下に入った異民族に対する過酷な弾圧の容認・・正当化の主張がいまのところ出来ていません。
鉄のカーテンも竹のカーテンもなくなり、ソ連や中国に招かれた特殊左翼文化人だけしかソ連や中国社会を知ることが出来ない時代が終わると、あちらは天国のような社会だと嘘の報告をできなくなりました。
呼吸すら思うように出来ない中国の酷い公害の現状(これが全ての中国的正義の象徴でしょう)が、日本国民一般に直接知られるようになったからです。
中国が理想の国で正義だという主張が出来なくなったからか、中国支持者が現状検証の議論に入るの拒み、解釈変更が許されないという入り口の観念論で勝負していると推測されます。
4〜5日前の国会での集団自衛権に関する安倍総理の演説や質疑に関連して5月29日日経新聞朝刊3ページでは政党別分類表が掲載されていました。
これによると、集団自衛権行使自体に反対しているのは共産党や社民党だけで、その他政党は慎重論の政党(公明党や民主党、結いの党)でも、内容の吟味に入っている・・現行で許される実際の幅を広げたら足りるのか、解釈変更が必要かなど全て行使すべき内容次第・・即ち現状の検証が前提になります・・という政党ばかりです。
解釈変更自体が違憲であるかのような入口論調ばかり(私の周辺にそう言う人多いというだけでした)見ていたので、「変な社会になっているなあ!と心配していましたが、こう言う観念論に固執している政党が限定されていて、政治家の多くが現実直視していることを知って安心しました。
解釈変更自体が許されないから、現状認識や集団自衛権の内容・程度に関する議論をする必要がないと言う意見を主張する人々は、中国による日本を含めた周辺国侵略を座視すべきだと言う結果に繋がります。
彼らの思想的基礎は非武装国家論でしょうが、これは一時期超大国アメリカの庇護下にあったから可能であったに過ぎず、どんな状況でも妥当する論理ではありません。
(アメリカの庇護下で)夏にオーバーが不要であったとしても、冬になっても(アメリカの警察力が低下した場合)何故オーバーや外套を(自衛)着る必要がないかの説明がありません。
非武装でよい、世界に冠たる平和憲法を守れと言う論理は、アメリカの警察力が低下した現在「尖閣諸島を中国が欲しいならばどうぞ」と言う姿勢になりますが、これでは次々と中国の要求が広がり侵略範囲が広がることは、目に見えています。
・・日本が中国にドンドン侵略されても放置していて抵抗しなくて良いし、周辺国が困っても放置すれば良いという意見は、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」)にしがみついていることになります。
中国が憲法の予定する公正で信義の国だというのが解釈変更違憲論者の基礎意識になるのでしょうが、中国のやり方が信義を守り公正な国だと開けっ放しで寝てると、目が覚めたら自分の家が強盗集団に占拠されている・・日本人が全部中国支配下に入ることを甘受すべきだということになるのでしょうか?
現在中国支配下に入っているウイグル族のような目に遭う・・直ぐではないとしても徐々に日本語が禁止されて漢語を話せないと就職出来ない社会が理想ということになり兼ねません。
集団自衛権の議論自体許さないという意見は、周辺国と助け合わなくとも良いと言う結果になりますから、周辺国が中国支配下に入るのを放置することになるのでしょう。
犯罪から身を守るには近隣との助け合いが必要ですが、国の存立も同じで、日本を守るには周辺国との助け合いが重要です。

中国式世界秩序1(泥棒の開き直り)

領土を武力で奪い取ってはいけないと言う法理は、アメリカが勝手に作ったのではなく、両次の世界大戦を経て人類(国家間において)の智恵として形成されて来た普遍的な法理です。
元々個人間でも腕力で他人のもの奪い取って良いという道徳教育している国は古来からどこにもありません。
個人間の普遍的原理を国家間にも及ぼすべきだというようになっただけです。
中国はまだ国としては未成熟で子供のような段階(ギャングエイジ)ですから、この法理を理解出来ないで腕力に任せて世界秩序に挑戦しようとしているようにみえます。
中国の世界秩序破りは新たな価値観を主張しているのではなく、子供で言えばいじめっ子、大人の世界で言えば警察力の低下に乗じて山賊・海賊・ヤクザ集団が町中でのさばっているような状態です。
人の作った知財を剽窃しても気にしない価値観の中国は、(法律上は禁止していますが実際には守る気がないのですから・・)単的に言えば泥棒(に限らず汚職蔓延→各種規制潜脱・・例えば知財であれ公害規制であれ、一応あるもののお目こぼしが多いので殆ど守られないなど・・)が許される意識が蔓延している社会です。
これらを放置し事実上奨励しているうちに国民が違法行為に自信を持って来て・・泥棒がこそこそしなくても良くなって徒党を組むようになって、強盗集団化=軍事行動化して・・国外にのさばるようになってきたことになります。
大気汚染・公害も周辺国に流出し始めました。
現在の周辺国侵略行為は公害輸出同様に泥棒グループが強盗集団=国家に転化して、国家としての強奪行為を堂々と始めた状態と言えるでしょう。
国民を専制支配したり、弾圧してはいけないという原理・民主制・人道主義の原理も、欧米が勝手に作った不当な秩序ではなく、個人間で言えば至極当然の法理を国家規模に引き上げたに過ぎません。
中国は古来からの専制支配が中国的価値観であり、これが正しいと自信を持っているのか?腕力に任せて、人類の到達した普遍的原理に対して挑戦しようとしています。
知財は剽窃し放題・・・領土は侵略し放題・・少数民族や国民の反抗に対する過酷な弾圧をする社会・・このような価値観の中国が自国並みの専制支配地域を広げようとすることが、正義の観念に合致するのか・・中華帝国の栄光の復活というスローガンを掲げるのみで、正義の根拠を示せていません。
ウイグル族に対する支配強化・一種の人種浄化・・漢語を話さないと就職出来ないように仕向けて次世代からウイグル語を駆逐しようとして長い期間が経過しています。
これに対する反抗に対して容赦ない弾圧政策を実行しています。
漢民族にのみ都合の良い専制政治が出来る空間を世界中に広げようとするのが、中華帝国の栄光復活?政策です。
ソ連の場合コミンテルンという組織を通じて、国内の相次ぐ粛清や世界支配の野望を(真実は正しくないとしても一応)正当化していましたし、日本の知識人・文化人はこれを信奉して北朝鮮を含めて共産主義社会が如何に素晴らしい理想の社会を実現しているかを宣伝していました。
大躍進政策の大成功の宣伝や文化大革命が如何に偉大で素晴らしいものであるか、毛沢東語録が如何に素晴らしいかを若者に宣伝教育していたので、これに乗ってしまった純真な若者(被害者)が多くいたように思います。
旧ソ連が根拠としていたコミンテルン思想とは違い、解放後の中国の場合、国内異民族や周辺国に対して露骨な圧迫をすることに対する正義の根拠を、日本の左翼文化人に対しても示せていないらしく、トンと中国礼賛論を聞かなくなりました。
中国が現在国際秩序に取って代わるべき新たな正義感を何ら提示できないまま、強引に周辺国への侵略を開始しつつある以上は強盗の論理で理解するしかないでしょう。
中国支持者は、中国の内政での異民族弾圧や対外的侵略行為について正当化する議論が出来ないために、これを直視する議論が不要であるとして、集団自衛権に関する解釈変更自体が違憲で許されないという入り口論に固執しているようです。
現在の中国膨張主義の実行に対して、何の議論もいらないし行動指針の変更も不要という立場は、結果的に現状(中国の侵略行為)を放置すべきだという政治的立場の意思表示に外なりません。

国際経済秩序3(裁判制度の信頼性2)

大津事件以降英国が金子堅太郎を公法学会会員にしたりして、法律家の間に条約改正に必要な資料配布等のアドバイスを繰り返して前向きになって行ったことが、地道な原動力になっていたことが分ります。
法律家を通じた信頼関係がこの後の日英同盟の基礎になって行き、日本は欧米の治外法権を強制されている反独立国から独立国へ、更には日清/日露戦争を経て強国へと脱皮できた基礎でした。
治外法権等を撤廃した日英通商航海条約が1894年7月16日で、そのわずか半月後には自信を持った日本は日清戦争開戦→強国への道を歩むことになったのです。
ローマは一日にしてならずと言いますが、明治の条約改正実現も地道な人材育成努力と政治交渉の総合力で獲得したものでした。
政治家の努力もさることながら裁判実績で先進国の信頼を受けるようになって行った・・今で言えば中小部品企業や個々の企業人の一人一人の誠実さが、日本経済や日本人の信用を支えているのと似ています・・。
今では後進国の裁判制度が信用できなくとも、露骨な差別・不平等条約の強制が許されないので、先進国は賄賂や政府の意向でどうにでもなる後進国政府相手に法治主義ではなく人治主義だと揶揄しながら対応に苦労しているのが現状です。
韓国や中国が政治の思惑次第で国際条約無視の裁判・・条約で権利放棄したのに裁判の蒸し返しを堂々と行うようになると「どこの裁判所でも良いでしょう」とは言えないことが分ります。
TPPの裁判管轄の取り決め条項がTPP批判論根拠の1つになっていますが、TPPで裁判ルールまで決めようとしているのは、不透明な後進国での裁判排除・・裁判ルールの共通化を狙っているのかも知れません。
将来国際的に裁判官の公平・均一能力が保障されるようになったとしても、国際間の場合距離コストも大きなハードルですが、言語能力差による有利不利が大きいので、管轄の決まりは実際に大きな意味があります。
契約時の合意が優先されるようになると、大企業・・先進国優位の裁判管轄になり易いのが難点です。
日本国内で言えば、消費者は大企業の決めた長文の印刷された約款に反抗できずに(殆ど読まずに)署名して(読んでもそこだけ反対だから携帯や電子レンジを買わないとは言えないで)購入しているのが現状です。
TPP参加してもしなくとも現在既にどんな契約でも、国際間でもめ事があればどこかの国で裁判をする体制になっています。
TPPの裁判条項だけ取り立ててアメリカで裁判されてしまうのは大変だと大騒ぎしているのは、ちょっと乱暴・・反対のための反対論と言うべきかも知れません。
国際裁判システムの合理化・・国益を守るには、外国での裁判では不利だという感情論では解決で来ません。
何でもアメリカの陰謀というアメリカ支配に反する勢力は、アメリカで裁判されたら大変だと煽ってTPP反対論を展開します。
明治の条約改正運動の下地になった裁判制度・公平な裁判官や法律実務家の養成に努力した結果、奏功したのを参考にすべきです。
日本企業の海外進出は当たり前の時代ですし、個人でもネットで気楽に海外に注文する時代ですから、国際的な法律問題を抱える時代は目の前に来ています。
子供の養育連れ去りに関すンルハーグ条約が批准されたことを紹介しましたが、誰もが関係者になる時代です。
今後は国際的裁判紛争が増える一方であることは明らかですから、これを忌避しているのでは国際化の進運に乗り遅れること必定です。
国際的訴訟専門家の養成(外国語である程度渡り合える法律家を一定程度養成すべきです)や制度努力を待つ・・すりあわせて行くべきで、我が国にとってTPP交渉参加の功罪とは別の喫緊の研究・政治課題であるべきです。
国際的な会計基準や金融ルール等の策定を見れば分るように、ソフトやルールの統一は冷静な議論の結果ですので、中国の武力による威嚇は意味を持たずに、経験豊富な先進国有利な体勢になり勝ちです。
訴訟に関する国際ルールが策定されることは、日本は先進国の一員として合理化によって得する場合の方が多いと考えられます。
世界の活動をピラミッド型に喩えれば、日本はピラミッドの頂点グループに入っている筈です。

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