職人も政治論を主張する自由がありますが、個人的に友人知人間で言うのと違いメデイアを通じて大々的主張展開すれば、当然意見の違う人がいる→激しい批判をすればそれに比例して・意見相違を超えた政敵とも言うべき敵対集団も生じますのでその間の軋轢が起きます。
弁護士であれ科学者であれ一種の職人が、本業でない政争に参加すると敵が増えるので反作用として味方を増やしたくなるなどに時間をとられ職人としての本業への専念不能・雑念を抱えながら職人をやれるかの問題ですが、個人の選択の問題です。
弁護士の場合、政治運動的訴訟をしていること自体、プロとしての腕を磨く側面もあるので両立し易いようですが・・。
しかも左翼であれば左翼系の、右翼系であれば右翼系等々で相応の支持基盤が確立されているので、その世界で生きているかぎり精神的孤立もなく気楽です。
だからこそ弁護士が政治活動する人が多いし、政治家に転ずる人が多くなるのでしょう。
中村教授に戻しますと、本業は産業技術の研究開発ですから企業系と疎遠では研究活動自体が成り立ち難い関係です。
文化人やメデイアが日本批判を喜んでいくら応援して著名になっても、新たな研究テーマに対するスポンサーになってくれる企業がいなくなると新たな研究活動に支障が出ます。
彼は日本批判を繰り返してメデイアの寵児になっても訴訟で得られた金額は微々たるものでしかなかったようですが、ちょっと何かの研究をしようとすれば、数億や10億の自己資金ではなにもできないでしょう。
彼は当初自分の給与しか頭になかったかもしれませんが、企業協賛なく研究所を維持するには助手その他の人員の給与や各種実験設備の導入経費、家賃等の支払いで億単位の費用がどんどん消えて消えていきます。
この費用に追われて?米軍関係の下請け的研究を受注するには米国籍が必要だったような言い訳?をしているようですが、飛び出して見て却って世の中の厳しさを知ったのでしょう。
日本企業界と円満にしていた方がお金の心配がなく研究専念(したいならば)するには理想的環境だった可能性があります。
発明対価払えという訴訟は表向き経済闘争だったと思いますが・・それならば経済問題・・発明対価が低すぎる主張立証に精出せばよかったのに関係ない政治活動になぜ注力したか不明です。
政治力で司法決定に影響を与えられると思ったのでしょうか?
近代法の法理を守れと日常的に主張している法律家がなぜか、司法闘争と称して政治運動の一環とする場合が多いように思いますが、誤解でしょうか?
中村教授がその勢いで日本文化や業界批判までしてしまったので司法の結果にかかわらず却って日本での活躍の場を失い「おまんまの食い上げ」になったように見えます。
外国人でも優秀ならば日本企業は付き合うのですが・・ノーベル賞受賞者となって優秀な学者の折り紙つきになっても、中村教授に限って付き合えないように見えるのはなぜでしょうか?
日本教・集団倫理を積極的に裏切った男としてのわだかまり・・軋轢があるのでしょうか。
その当時の中村教授がどのような批判を展開していたのか知りませんが、中村教授からの修復提案に対して日亜化学が拒否の対応文書を見るとよほどのことがあったのな?という印象を受けます。
日本社会を裏切ったのか、日本を良い方向へ変化させるためには正しい主張だったのに頑迷固陋な日本社会が今後の日本のあり方として、中村氏の主張した考えを受け入れられなかっただけなのか?
日本社会は漸進的社会ですので「考え方はその通り」としながらも、急激な変革は困るというのが大方の受容態度であった可能性があるでしょう。
結果から見ればこの事件を契機に国内各社の研究成果に対する褒賞制度の合理化の研究が進んだ・・功績があったと思います。
日本社会は漸進的社会・何事も事前に十分詰めてから行動する社会ですので、中村氏の主張に対し、「考え方はその通り」としながらも急激な変革は困るというのが大方の受容態度であった可能性があるでしょう。
例えば、地裁判決のインパクトのおかげで高裁和解までの間には企業内研究業績に対する評価方法に対する意見発表が相次いで思考方法の整理も進んだらしく(具体的には不明ですが各方面からネット発信を含めて多様な意見が公表されたようです)、高裁和解案はこれを取り込んだらしく関連評論家研究者、市場評価(ファンド)関係などネットで見る限り概ね好評だったようです。
9月20日に紹介した記事では、「司法は腐っている」という中村氏の意見がありましたが、これに同調する評価メデイアは朝日新聞系だけだったようです。
一種の捨て台詞?的発言とみなされてしまったのでしょうか?
高裁の和解案では中村氏の主張はほぼ全面否定・・中村氏は勝てばその論理利用で次の訴訟も続けてやれるように温存して訴えていなかった分まで、まとめて元本6億の和解勧告だったらしいですから、(判決は請求金額以上に出ない仕組みですから、地裁で200億認定されたということは数百億以上の請求だったのか?)何百億の請求事件でまだ請求してしていない別件発明対価(いくらの請求予定だったかによりますが)を含めて6億というのであれば、請求予定額を含めても額の数%しか認められなかった?これではほぼ全面敗訴に近い結果です。
一般の個人事件に置き換えれば100万円の請求訴訟で2〜3万しか認められなかったようなみっともない比率です。
日亜化学とすれば五月雨式に訴訟を起こされると長期間訴訟を抱える社会的ダメージや訴訟経費がバカにならないので、訴訟テーマになってない分までまとめた解決案なら飲めるという条件提示でこうなった・・堂々たる無条件降伏を迫ったとみるのが普通です。
訴訟外のテーマまで解決の条件にされても応諾せざるを得なかった→全面敗訴に近い文字通り屈辱的和解だったのでしょう。
訴訟専門家が受諾を勧告するしかなかったということは、緻密な市場評価事例等と成功にいたるまでに企業の負担したコストその他資料や計算式が裁判所から提示され、相当の検討期間を経て、反論するに足る合理的資料等を提示できなかったことを示しています。