不満社会9(韓国1)

不満・ストレス社会化のテーマから余談に逸れましたが、製造業の自動化→非正規化の急進展、事務作業のIT化の進行によるホワイトカラーの早期切り捨てなどが日本より急速に進んでいるのが韓国です。
何ごともこれが良いとなれば、後先見ずに?ラデイカルに変えていく韓国社会ではこの変化に適応できない人のストレス蓄積が半端ではない・・いつでも発火点にありそうな雰囲気が伝わってきます。
いつも私が批判しているところですが、韓国では学歴エリート・秀才が国政を牛耳り過ぎている・・日本の政治家のように国民の草の根の声を聞く歴史経験がなく欧米の聞きかじり・観念論で政治をするからではないでしょうか。
4月6日日経新聞朝刊10pではサムスン電子の60%減益発表関連の記事・・・減益に関しては単なる一過性のものか将来的にダメになっていくかを論じるメデイアが多いのですが、日経もその一環で「機能偏重・コスト高・カリスマ不在」の副題・将来性も暗いと言いたいようです。
この中で、「韓国経済低迷で安定志向が高まり10年に7、8年だった平均勤続年数は18年に11、8年まで伸びた」と紹介されています。
最近リストラ年齢が切り上がってきた結果平均年齢が上がって来た=人件費の切り上がり・日本より大幅に安い人件費が競争力の源泉だったのに今ではトヨタよりも高くなっている・高コストになっている点が不安という解説です。
上記日経新聞記事によれば「30歳で肩たたき」という従来一般的だった評判・噂?は過去のものになっているようです。
肩たたきで退職してもその後の悲惨な状況(あんちょこな個人商店開業が多いようですが、多くはすぐに倒産する悲惨さが日本に伝わってくるほどですから)を学習しているので肩叩きに応じないで必死にしがみつく人が増えてきたようです。
30歳が34〜5歳に切り上がっても、その不安に耐えている人たちの不安ストレスは並大抵ではありません。
以下は2年ほど前の日経ネット記事です。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO15321100U7A410C1X17000/

韓国サムスン電子、勤続年数が6年連続増加 2017/4/17 6:30
「サムスン電子の平均勤続年数が伸びている。2016年は10.8年と6年連続で伸長。00年以降で最も短かった05年の6.0年に比べて1.8倍になった。
厳しい環境に耐えて長く働く社員が増える裏には、韓国で広がる経済格差と若者の安定志向がある。
最近は入社4~5年での退職が珍しくなかったサムスンにも変化がみられる。同社が公表した事業報告書によると、15年に平均勤続年数は10年を超え、16年も約半年伸びて10.8年になった。

この何年も肩叩きに耐えて(退職を1年でも2年でも先送りして)やめない社員が増えたのは、低迷する経済にあるようです。
https://japanese.joins.com/article/562/243562.html

韓経:韓国自営業者の「悲鳴」…今年は100万カ所廃業
2018年07月30日10時06分
[ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版]
国家経済の毛細血管であり庶民経済の根幹である自営業が奈落に落ちている。無給家族従事者118万人を含めた関連従事者688万人で韓国の全就業者の25%を占める自営業がつまずき、所得主導成長を掲げた文在寅(ムン・ジェイン)政権になり雇用と所得分配はむしろ悪化の一途だ。
国税庁の国税統計と小商工人連合会などによると、今年廃業する自営業者は過去初めて100万人を超えると予想される。年間開業数比の廃業数で示す自営業廃業率は2016年の77.8%から昨年は87.9%に高まった。今年は90%に迫るだろうというのが業界の推定だ。自営業者10人が店を開く間に9人近くが店を閉めるという話だ。

https://japanese.joins.com/article/485/238485.html

韓国に自営業者が多い理由(1) 2018年02月09日15時29分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
韓国は自営業者が特に多い。2017年現在、韓国全体就業者2656万人のうち25%の675万人が自営業者や無給家族従事者である非賃金労働者だ。賃金労働者は全体就業者の75%だ。
無給家族従事者は18時間以上にわたり家族が経営する事業体で報酬を受けずに仕事をする人を指し、約110万人となっている。無給家族従事者は広義の自営業者と見ることができるため、自営業者の数は600万人を超えるとみてもよいだろう。
ギリシャ、トルコ、メキシコ、イタリア、ポルトガル、ポーランドなどが韓国とあわせて自営業者の比重が先進国平均の2倍ないしそれ以上の水準を示している。
・・・・自営業者はさまざまな理由と形態で存在するため、国別の自営業者比率の違いを一律に説明することはなかなか難しい。
にもかかわらず、既存の研究は▼産業化の程度が不十分▼労働市場が柔軟ではない▼個人所得税や社会保障分担金が多い▼失業給与水準が低い▼租税回避の可能性が高い--などの場合、自営業者の比率が高いと報告している。
・・・所得税を納める人の比率が少なく、所得税率と社会保険料率が高くない韓国に上記のような一般論の適用は難しそうだ。
・・・・韓国に最も適用可能な要因は、租税回避の可能性が高いということだ。あわせて低い失業給与水準も関連のあるほころびだらけの社会セーフティネットに伴う生計型自営業の起業だ。

私の関心は上記意見の関心とは違い、日本の中小零細企業との本質的違いに関心があります。
日本の場合、家内制手工業から工場生産へ以降していく順次経過の歴史があり、いわゆる大田区等下町に残る手工業的町工場に世界のバイヤーが群がるイメージ・・・すなわち日本の将来の芽が凝縮するプラスイメージです。
韓国の場合家内制手工業の経験がなく、いきなり財閥系への先進国技術導入で高度成長を図ったので、効率が良かったものの大手工場に納品すべき下請け町工場は存在しない・日本からの部品輸入に頼ってきました。
いわゆる圧縮経済の問題点です。

野党離合集散2

立憲が純化路線で行く限り、当面は国民民主内の左系と共産党を食い破って行くためには、選挙協力などない方がいいでしょうし、合流して変な主張をされるよりは、国民や共産党に選挙で競り勝って自前の議員を増やした方が党運営がスムースでしょう。
ただし、国民や共産の票を食い破っている間は勢いがいいでしょうが、純化路線はわかりよい代わりに非武装平和論支持者以外に支持が広がれない限界がありそうです。
ドイツ緑の党とかアメリカの茶会のように、特殊政党・・ニッチ政党で生きていく覚悟をするしかないのでしょうか?
国民政党化するためにウイングを広げると内部意見がまとまらず苦労した民主〜民進党の二の舞のリスクがあります。
インテリが幹部になる政党・・議論先行でなく、現実政党にならない限り左右どころか多数意見を合わせ持つ国民政党の維持は困難です。
19年4月7日の選挙・・千葉市の例では以下の通りです。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43486270Y9A400C1L71000/

7日に投開票された千葉市議選(選挙区6、定数50)では、自民党が現有議席18を維持し、引き続き市議会最大勢力を保った。公明党は改選前の8議席を確保。それぞれ6議席と2議席だった国民民主党と立憲民主党は共に5人が当選し、市民ネットも改選前の2議席を死守した。現有7議席の維持を目指した共産党は美浜区で議席を失い、6議席にとどまった。
立憲が3議席増えたうち、国民と共産が各1議席を失ったようです。

国民民主は左から立憲に票を掘り崩され、党内保守系は自民党に切り崩される苦しい展開です。
立憲に食われない保守系議員はどうなるでしょうか?
民進党に党名改称以降も党勢が泥船化する一方・・党内左右対立でまとも統一した政策提言ができない・・結果的に党が一致できるのは政策論争に関係のない、揚げ足取り的政府批判しかできないのをどうするかに苦しんでいました。
観念論・形式正義を主張する左系を切り捨てて現実的政策提言できる政党への脱皮・結果的に保守2党論が生き残る道という方向性が17年総選挙前から出ていました。
その旗印として名乗りを上げたのが小池氏でした。
民主党内にあった保守系議員にとっては、単なる分党では自民党の焼き直し的で吸収されてしまう恐怖があり、自民党に並び立つ程度の規模・画期的イメージにしないと生き残れない危機感がありました。
泥船からの乗り換え船をどうするか?水面下の調整が進んだ?のが、自民党員でありながら党公認候補を敵に回して突如都知事選に出馬して大勝を収めた小池氏の国政への野望と結びつくことでもしかして「政権を競う政党」として発足可能な夢を追えそうな報道が過熱していました。
分党=ジリ貧の予定から突如今にも政権に手の届きそうな政党への変身可能性が取りざたされる日々が始まって、夢を抱いて小池氏の結党した「希望の党」に乗り換えた途端に肝心の小池氏人気が失速してしまったので小池氏にすがりついたら自民への対抗勢力となれる予定が雲散霧消し却って新党の存続が脅かされる結果になりました。
源平合戦で言えば、「この指とまれ!」と反平家機運を持つ武士をおびき出したところで、令旨を出した以仁王や源氏の棟梁が戦う前に敵方に降参したような状態で旗上げに呼応した各地武士が恥をかいたというか立場を失った現状です。
保守2党論に乗り替え損なった国民民主の保守系議員は、旗印を失って自民党議員に票を食われて行くしかないでしょうからジリ貧の展望です。
希望の党への合流窓口になっていた細野豪志氏が素早く自民党幹事長の派閥に入ったような報道されているのは、この象徴的変わり身の早さというべきでしょうか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E9%87%8E%E8%B1%AA%E5%BF%97

細野 豪志(ほその ごうし、1971年8月21日 – )は、日本の政治家。衆議院議員(7期)
民主党幹事長(第13代)、自誓会会長、民進党代表代行、希望の党憲法調査会長などを歴任した。
9月27日、小池百合子東京都知事を代表とする新党「希望の党」設立会見に、結党メンバーとなる国会議員14人の一人として参加した[32][33][34][35][36]。また、「上(小池)からの命令」として民進党から希望の党への公認申請者や、旧民主党政権で三権の長(首相や衆参院議長)を務めた者の「排除」を主導した
志帥会入会後
2019年1月、無所属のまま自民党の派閥である二階派に客員会員として入会。将来的な自民党入党の意向も表明した[42]。
外交・安全保障
総合安全保障の観点から、エネルギー、海洋、宇宙などグローバルコモンズに注目し、2007年には海洋基本法、2008年には宇宙基本法の提出者となっている[55][56]。また、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使に賛成しており、前原誠司が主宰する防衛研究会に参加した[57
外国人参政権問題
永住外国人への地方選挙権付与については「どちらかといえば反対」として慎重な姿勢を示している[68]。その後、「民主党はこの問題について再検討すべき時期が来ている」と反対の姿勢を明確にしている[69]。
靖国神社
「時々靖国神社に慰霊に行く」と発言しており、A級戦犯については分祀した上で無宗教の国立追悼施設を新たに建立するのではなく靖国神社を慰霊施設として残すべきと主張している

彼の主義主張は上記の通りもともとほとんど自民党と同じです。

野党離合集散1

いわゆる55年体制下の社共両党はソ連や中国をバックにする政党として事実上?(というか国民多くの暗黙の認識)存在してきたので、ソ連崩壊後非武装平和論の公然たる主張は無理が出てきました。
国民支持を受けなくなった結果対応として、社会党のままでの党綱領改変は無理があったので社会党から解党的に大量脱退して(今回の民進党から希望の党への大量遺跡の前身)現実主義路線転換のために新党結集に動いたものです。
同時に選挙制度改正・・小選挙区化により1選挙区一人しか当選できないとなれば一人しか党公認で立候補出来ない⇨現役優先になる結果、新人出現の阻害要因になり優秀な新人が野党に流れる期待・・中選挙区の場合人材が政権党にばかり集まる⇨自民党長期政権可能な下地の破壊⇨政権交代可能にする構造改革政策でした。
野党が自民党公認漏れの新人の受け入れ皿となるには・保守系も受け入れ可能な政党への脱皮を図る必要がありました。
野党=非武装論一本では現実的政策論者を受け入れられないので小選挙区にした効果がない・・この変身過程の離合集散の結果、自民党出身者・・保守系もかなり取り込んだので現実政党らしくなったので国民も安心した結果、初めて自民党が下野して登場した細川政権は、もともと保守的地盤を持ち熊本県知事の経験のある細川氏が総理になったものですし、それを担いだ実力者が元自民党幹事長の小沢氏でした。
自社さきがけ等の連立を経て自社連立となり、自公連立に変わりついにリーマンショック後民主党政権に至ったものでした。
既存政党からの分離組みの初期時代を経て10〜15年を経ているので独自政権のように見える民主党政権でも、初代総理になったのは元自民党員であった鳩山氏であり、自民党創設当時頃吉田総理と争っていた鳩山元総理の孫?です。
現在の国民民主の共同代表は玉木氏は何と自民党の大平正芳元総理の娘婿でその地盤を継承しているイメージです。
玉木雄一郎氏に関する本日現在のウイキペデイアの記事からです

妻・恵理は首相・自民党総裁だった大平正芳の親戚であり、この縁で大平の孫娘である渡辺満子(元・日本テレビプロデューサー、元日本テレビ取締役専務執行役員・渡辺弘の妻)が玉木の公設秘書を務めている。また、地盤である現在の香川2区はかつての大平の地盤(中選挙区時代の香川2区)の一部を引き継いだ地区でもある[46]。

自民党でさえ一人しか公認できない小選挙区制になったので、野党の方も選挙協力で候補を一本化しないと小選挙区では完敗になりますので、共産党を除く野党が民主党に大同団結してついに政権獲得にまで進みましたが、政権担当して見ると選挙に勝つための政党結成だった結果、内部意見統一もできないし、実務能力がなく信用を落として終わりました。
その後政権取りのためだけの無理な大同団結の反省から、この数年で民主党が民進党になりさらに国民と立憲と無所属に3分裂した結果、それぞれの主張がスッキリしました。
ここに至る過程を振り返ると民主党は左右混合の現実政党を目指した結果、両翼の支持が混在しているので寄合所帯の矛盾を孕んで二進も三進もいかなくなって来たのが、民主党〜民進党への党名変更後の段階・・最大の弱みでした。
この民進党になった段階では保守と革新に純化・・分党するしかない状態に追い込まれていたのです。
健全野党の成長を待望していた国民が多かった(私の主観?)ので、希望の党はこの期待と野党の矛盾関係に手を突っ込み保守系を引き抜いて一挙に自民党に対抗できる現実的大政党を作ろうと目論んだものでした。
健全野党の出現を期待している国民は心情的に喝采していたと思います。
16年頃に民主党から民進党へ党名変更しても、支持率が低迷する一方で行き場を失って右往左往していた民進党議員は票を求めてすぐにも雪崩を打って希望の党へ大挙入党する勢いでした。
自民党からの野合批判(国民の期待は現実政党誕生であり、原理論者の合流を期待してはいない・核心をついたものです)に小池氏が反応して、もともと保守系大同団結を目指した結党であった以上は、非武装平和系「排除」は譲れない基本として排除発言に追い込まれました。
排除発言されて行き場を失って追い込まれたグループの受け皿として立憲民主党が結成されました。
立憲は結果的に・・反安保等旧社会党的主張へ回帰する純化集団中心の受け皿となり、スッキリした分、当面は旧民主党内でモヤモヤしていた反安保勢力の取り込みで一定のところまでは党勢拡大できるでしょう。
小選挙区制対応のための大合同・実質選挙協力体制でしたから、1選挙区で民主党から一人しか公認候補を立てられないので、ある選挙区では保守思想の候補者が公認されると、その選挙区に住む左翼系の人でも仕方なしに保守系思想の民主党候補に投票したり、逆に非武装系の候補者しかいない選挙区では、民主党内の保守系の人も左翼系の民主党に投票するしかないなど選挙区ごとで歪みが生じていました。
選挙協力・統一候補擁立とはそういうものです。
排除論理による左右分裂・純化路線とは・・各派が別の政党になり選挙協力がなくなったことになります。
立憲と国民民主そして無所属の3派に別れた各選挙区にそれぞれの派閥が独自候補を立てるようなもので、党員にすれば自分の支持派閥にそのまま投票できて気持ちがいいでしょう。
自分の選挙区では民主党内の保守系しかないので仕方なしに民主党の保守系に入れていたか共産党に投票していた場合、立憲が非武装論者を全選挙区で擁立してくれれば、喜んでその候補者に投票できるでしょうから、左翼系では当面共産党と民主党内の保守系議員の票を食う関係になりそうです。
とはいえ、非武装平和論(米国支配よりソ連支配の方が良いという主張を根底にした思想)はソ連崩壊後限界が来たので社会党が事実上解体せざるを得なかった現実があったのですから、(ソ連に変えて中国の支配下に入る方が良いという主張?)立憲民主党が今更歴史の歯車を元に戻すのは無理ではないでしょうか?
立憲民主の目標はニッチな非武装論者の取り込み専念段階では成功するでしょうが、一定率まで伸びれば壁にぶつかるしかなさそうです。
4月7日の統一地方選の結果を見ると立憲の市議が増えた分の主な供給源として、国民と共産党が落ちている傾向が見えます。
民進党の分裂劇は、左右混在の元民主〜民進党の左右純化への流れを表しているとすれば、立憲民主の党勢拡大は、元民主党支持者内の食い合い以上に伸びられない分を共産党支持者を食っているようです。
立憲民主結党以来共産党が、野党統一候補擁立・選挙協力に必死になっているように見えるのは、放置すると立憲民主に共産党支持層が侵蝕されていく危機感から,選挙協力という名の縄張りの取り決めを必要とする背景があるからでしょうか?

IT化と生甲斐2

失業率の変化は短期の景気変動や政策の巧拙による面があるとしても、長期的トレンド・産業構造高度化についていけない人が不景気時に真っ先に失業者になっていくとすれば、金銭給付で終始せずに不適合解消のための職業訓練が必要となります。
現在では多様な職種で機械化が進む・・・日常的に目にする道路関連工事では重機利用が一般的です。
水道工事あるいはケーブル敷設関連ではパソコン画面を見ながらの作業が増えています。
各種機械やパソコン等の操作能力がない人夫は重機などの周辺での破片類のかき集め程度の下働きしか無くなるので不景気になると真っ先に整理されます。
大学校という映画を見た例を書いたことがありますが、ボイラー関連の管理技術を学ぶ場面が出てきましたが、その当時でも大規模ビル地下の(スチーム暖房用の)ボイラー室はレトロ的で新築ビルではなくなりつつあったものです。
数十年前までは職業訓練校といっても重機操作などすでに普及している資格取得訓練・・溶接工や玉掛け資格あるいは自動車修理工資格など人並みの仕事をできるようにする・底上げ訓練による再就職支援が普通に行われていました。
そのような訓練してもその種の有資格者が街に溢れているので、現場では誰でも持っている程度の資格中心ですから、採用面接の最低資格をクリアーできる(車の運転免許がある)程度でした。
「人並みの資格くらい持ってくださいよ!」と訓練しても、その種の有資格者が街に溢れているので、採用面接の最低資格をクリアーできる(車の運転免許がある)程度でした。
この辺の意見はホームレス対策でアメリカでやっているボランテイアによる英語すら話せない人に対する英語教育やサービス業に就くための最低マナーなどの教育に関して、2019-2-28「ホームレス排出の基礎2」に少し書いたことがあります。
英語をたどたどしく話せれば就職できるか?と言うとそういうものではないでしょう。
働いていたところで肩叩きの対象になる率を減らせる程度の効果しかありません。
ある交通事故による休業損害の例ですが、一級建築士でさえも失業期間中CAD利用設計作業の職業訓練を受けていました。
ただし彼はCADを使えないのではなく、私が見よう見まねでパソコンをいじっているのと同様に一級建築士になってからCADが出てきたので、新技術を自己流で使いこなしていたのをこの機会にしっかり勉強しようとしたらしいのです。
このように専門職でも絶えざる発展を続ける新技術を習得する必要・先を行くためでなく、人並みの能力維持・振り落とされないために迫られてきたのが、過去数十年の実態です。
職安制度・個々の努力または、個人に対する再教育で時代遅れにならないように追いかければいいという発想では今後うまくいかないように思われます。
これまでの技術革新による省力化投資は、コスト低下→サービス等末端価格低下によってその分需要が増える(生活水準向上)結果、生産拡大して労働需要が増えたのでみんな幸福でした。
IT化の場合、便利になり需要が増える分労働者の需要が増える関係にならないように見える点が本質的相違ではないでしょうか?
IT化時代には新技術によりコストが下がる→消費拡大以上に生産効率が上がるので、生産やサービス供給に関与できる数は激減して行く・・多くの人が消費する役割しかない点が大きな問題です。
自動運転化の進行によって将来的にはタクシーやトラック運転手不要時代が来る?無人コンビニが増える・・キャッシュレス化などでレジ担当者の大幅削減など各分野で末端労働が激減して行きそうです。
IT化進行は、現場労働者を再教育しても労働需要が増えないとすれば、底上げ的職業教育訓練では解決できません。
重機その他各種オペレータ・車運転技術取得〜パソコンの習熟は、生産に関与するものでしたが、最近では消費能力が上がる程度・・極端な例がゲームやパチンコ、ドライブを楽しめる程度でスマホを操れても仕事に役立つ場面がほとんどありません。
重機操作でさえ、重機を作る方から見ればユーザーであって消費の1場面です。
職安の訓練は出来上がった機械の操作習熟が基本ですから、賢い消費者になる程度(ゲームを楽しむのとの違いは?)の訓練でしかありません。
重機やロボット製造現場のオートメ化、ロボット化が進むと、関与する労働者の数は減る一方です。
そこで働くわずかな人もオートメ化された機械やロボット操作要員でしかない・・製造された機械やロボットの消費プロセスの1員です。
IT〜AI革命で本来の製造に関与できる人材はソフト作成能力者だけになると、端末操作能力アップ程度の再教育では(コンビニやスーパーのキャッシュレス化に伴いワンフロアーに1名程度必要な操作説明要員になる程度の再教育をしても)レジ要員は激減を防げないし、説明要員は末端労働から抜け出せません。
スマホ等の利用技術に習熟すれば、手軽に音楽等を楽しむ操作に戸惑うようなことがなくなる・・提供サービスの顧客・賢い消費者になれても端末機製造に必要な雇用対象になる労働者数が限られています。
IT化による雇用減の問題は、病気あるいは景気変動による失業した例外的弱者を対象にするのではなく、仕事がなくなっても消費だけできる社会・・大多数にとって仕事に関与できなくとも幸福感を持てる生き方に転換していくことが可能かの研究が必要です。
自己実現とは何かです。
大雑把に言えば、労働従事時間と生きるための食事や睡眠をとる時間がほぼ全てだった時代から生産効率化によって徐々に食事を楽しみ(寒さを防ぐだけの衣類から)色柄等を楽しむゆとり〜文化を楽しむまで広がってきたのが人類進歩?の過程・・生きるために取られる時間短縮の過程と言えます。
生命誕生以来、生きるための活動に従事できることが、安心感をもたらしていたように思われます。
直接間接を問わず生きるための活動に従事できることが生命保持の本能に合致していたのに、生きるための労働従事時間短縮が極度に進み99%消費だけの時間になるとすればどうなるでしょうか?
・・しかも1%の労働を平均的に分担するのではなく、5〜6%の人が独占してしまうとすれば、何万年以上の生活習慣が断ち切られるので、不安に襲われるようになるのでしょう。
働く必要がないので働く能力が衰えることを心配する必要がないと言えばそうですが、心がついていけません。
今では仕事しないで生きていく贅沢な悩みは庶民にとって新しいテーマですが、古くは王侯貴族の子弟・・今の財閥の御曹司などはどうやって生きて良いか、身の振り方に迷ってきた歴史です。

不満社会7(IT化と生き甲斐)

明治維新では産業構造の変化で三菱等新興財閥勃興等の成功者が知られていますが、これを支える中間層の需要が広がったので、社会全体では幸福感を感じた人の方が多かったでしょう。
学校教育では劣悪な労働環境(女工哀史など)が教えられ、その結果工場労働法ができたと教えられますが、(その通りでしょうが)元々の貧民層・小作関係や下男下女等最末端では朝目が覚めたときから働いていた人たちにとっては決まった時間だけ働けばいいし、主人の顔色を窺う必要もない工場労働は天国だったかもしれません。
私は池袋で底辺的職種に揉まれて青少年時代を過ごしたのですが、当時の雰囲気では大手工場等に勤める人たちは高嶺の花的存在でした。
個人商店は夜遅くまで開き、朝9時始まりの勤め人などは羨ましいばかり、週休などもありませんでした。
この点は中国の農民工が低賃金など問題にしないで続々と深セン特区の大規模工場に吸い込まれて行ったのと同じです。
明治維新の近代化では中間層の拡大を伴ったので社会全体では幸せを感じる人の方が多かった・元士族でも一定の能力のある人は新政府や、各県政府の役人にそのまま横滑りしていましたので、役立たずの不平士族の方が少なかったので不平氏族の反乱は(薩摩を除けば?)それぞれの地元でもそれほどの支持を受けませんでした。
(明治初期司法制度の歴史のコラムで、いまのように司法試験制度もなかったので、廃藩置県当時各藩の家老や奉行等の経験者が地方判事の給源になっていたことを紹介しました)
今回のIT革命では人口の多くを占める中間層不要化トレンド・・近代産業革命以降増加した職場の縮小・・揺り戻しですから、安定していた生活基盤を切り崩される中間層は膨大で不平層の方が多くなっているのが特徴です。
今後IT時代だと分かっていても消費場面ではスマホの操作能力などで適応できても、生産参加に適応できるほどの人材は少ないのが明らかです。
そもそもIT化が進めば進むほど中間管理職や労働者が不要になるシステムですから、IT開発に関与できる人の数は極小数になる・・それ以外はいらない社会になればほとんどの人は不幸になっていくしかないように見えます。
この流れを防げないとすれば、何に対して幸福感を持てるか不幸とは何かの問題になります。
仕事はさせられるのではなく「仕事すること自体が幸せ」というのが我が国の国民性でしたので、高齢化しても元気である限り何か「仕事」をする・周りに役立ちたい気風が今も続いています。
メデイアは高齢化→現役の負担増ばかり強調して世代間対立を煽っていますが、国民多くの関心は社会に貢献できていない・幸福感喪失をどうやって穴埋めしていくかに関心を持ってきました。
高齢になっても健康な人は何か仕事を見つけて(朝の小学生登校時見守り活動や草刈り等のボランテイアなど)働けば(町内会活動でもいい・・お金の問題でない人が多い)社会が豊かになりその人も幸せではないかという気風です。
「働く」という言葉自体が、お金目的の「労働」ではなくお祭りの準備でも家の周りの掃除でも、何かの役に立てれば幸せという意識を示しています。
西欧的価値観・労働=搾取という発想では、GDPがどうなるか?保険料を如何に負担させるかという方向の論議しか生まれないでしょうが、西欧的教養のない?庶民はもっと高次元で「お金よりは生きがい」を基準に考えていることがわかります。
私の場合で言えば、だいぶ前から収入面での期待感はゼロまたはマイナスですが、高齢化が進むのに比例して・・趣味のためにお金を使うのと同じような感覚で・・事務所経費負担マイナスに耐えられる限度で生き甲斐のために現役弁護士をやっている面が強くなっています。
このコラムは約20年続いていますが、はじめっから収入に100%関係しない意見ばかり書いていますので、コスト的には100%マイナスでしたが、何か自己表現したいからかな?書いているだけです。
これまでのメデイアの議論・関心は、年金赤字解消策・GDP低下に対する処方箋・70歳まで働かせることができないか?という関心が中心議論であったように見えます。
高齢化問題は、高齢化しただけで「めでたい」と終わりにせずに健康寿命の必要性が言われるようになったのは少しでも金銭負担させたい面もあるでしょうが、これと並行して精神面でも健康な状態・・「生きがいを持った高齢者になるようにすべきことがわかります。
高齢世代が増えてすることがなくて幸福感喪失をさせないようにどうするかの視点に立てば、若年無職者(各種障害者)も(失業保険や親の援助などで)お金さえあればいいのではなく、「満たされない自己実現意欲」をどうすべきかの点で共通課題であることがわかります。
最近始まった「こと消費」の流れは、受け身鑑賞、受け身の消費だけではなく自分の体を動かして何かしたい欲求に応える流れが表面化してきたと理解すべきでしょう。
人のために「役立つ喜び」を伴わない自己実現?例えばそば打ちの体験?程度で、(自己満足で持ち帰っても家族が喜ばない?)満足するしかないのでは多分続かない・虚しくなるでしょう。
精神病者に対する作業療法を一般人に広げる試みのような印象ですが・・。
とはいうものの、役立たない自己実現でいえば、各種スポーツ自体がすでに実用性のなくなった格闘や乗馬、射撃、剣道、レスリング等の格闘技〜走る早さを競い、泳いだり過酷レースなどすべて現実世界でほとんど何の役にも立たない不要な競争ばかりです。
パラリンピックはその最たるものでしょう。
日本でのお祭りや少年の部活等のスポーツへの誘導による不満発散による成功を書いてきましたが、お祭り準備等での役割を果たし大勢の観客に喝采を浴びる達成感がありますが、そば打ち家庭菜園程度で(むすめの家に持って行っても嫌がられることが多い)はそういう達成感がありません。
従来は精神病者や障害者あるいは社会不適合者・・その最たるものは失業者群ですので、政策失費の指標や競争落伍者としてこれの増減が重視されてきました。
病気になって仕事ができなくなると収入保障だけで終わりにせずに、病気を治して社会復帰を助ける医療行為が必要なように、失業者に対しても失業保険で生活保証するだけでなく職業訓練による能力底上げが重視されるようになっています。
健康体でないから失業したのではなく健康体で、しかも労働能力があっても失業したのは景気対策や景気変動によると思われている時代には、好景気をもたらすべき政治責任という社会認識でした。

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