ソフト化社会4と紛争当事者1

話が大阪の地盤沈下と橋下氏の政治手法にそれましたが、生活水準向上・・社会のソフト化と訴訟事件あるいは法的トラブル増減の関連に戻ります。
私が職務上経験する直感では、私が弁護士になったころの顧客の中心は中小企業経営者あるいはある程度の資産保有者でした。
今では、こうした人々は事件を起こしたり事件に巻き込まれなくなって顧客の中心から外れています。
今では生活保護すれすれの人・・まだ生活水準上昇の恩恵に浴していない階層の顧客が、交通事故であれ離婚であれ、少年事件であれ貧困層が中心です。
最近の若手弁護士の受任事件の傾向を見ているとその殆どが国選事件や法テラス(支援センター)からの事件・・基本的に生活困窮者の事件が、大方を占めている状態です。
資産家の争いのように見える遺産相続事件でさえも、被相続人は一定の遺産を残しているのに次世代は非正規雇用等貧困層中心で、生活に困っている人・・何でも大きな声で争う人々中心に移行しつつあります。
鳩山元総理やホンダ自動車,あるいはソニーや西武など大手企業創業者の遺産相続のような巨額遺産相続人が、法的紛争をしないのが一般的であるように,一定の中産階層でも穏便に片付いているのが普通です。
相続が開始するときには次世代が既に50〜60代ですから,ホワイトカラー層は言うに及ばず、工場労働者でも安定的に働いて来た階層では,既に持ち家に住んでいて生活に不自由を感じていないのが普通です。
この段階で,母親が死亡しても(父の死亡時にはよほど生活に困った子供がいてゴネない限り母親に一任するのが一般的です)母親の面倒を見て来た子供が一定の分配案を示すとこれに反対して兄弟喧嘩までする人は滅多にいません。
母と同居していた兄や姉あるいは弟妹の提案が仮に若干不公平で正しい数字を要求すればさらに数百万前後自分の取得分が多くなるとしても,自分の生活が安定的に回っている人にとっては、預金通帳の残高が少し増えるだけで日常生活に変化がないのですから,そんな程度のために兄弟が一生口をきけなくなるような争いをするのは割に会わないからです。
衣食がある程度足りている人は余程のことがないと争いをしなくなるのが,我が国の文化習慣ですし,むやみに喧嘩っぽい・争う人は人間のレベルが低いと見なされてしまう社会です。
生活の安定・・水準向上の結果,今では貧困層あるいは精神的におかしな人?が,紛争の中心になっています。
教育現場ではモンスターと言われ,企業の消費者問題ではクレーマーと呼ばれる人の増加ですが,彼らは精神病ではないものの,相手が少しでも悪かった(是正対応が終わっても・・)となれば粘着質というのか際限なくクレームを要求して来る傾向があります。
しかも会社に何回も繰り返し来て,来ると4時間でも5時間でも粘るのが普通で,会社としては担当者(安全のために複数対応するとなお大変です)が長時間対応に追われて日常業務が麻痺してしまうので困りきって弁護士相談になります。
こういうことは・・昔はヤクザの言いがかりが多かったのですが、今はヤクザが彼らを就職先として吸収しなくなったのか今は一般人化していて、(クレーム以外は善良?な市民ですから)企業は対応に苦労しています。
昔はヤクザ相手なので法的処理が簡単でしたが,今は「消費者は王様」の肩書きで来るので,簡単に刑事事件にもならないし,ギリギリまで丁寧対応が要請されるので弁護士対応になるまで相当の時間が経過しています。
学校現場は子供の教育的配慮が絡んでいるのでなお親の態度が強くなる感じで,自分が給食費など納金しない非を棚に上げて、子供が同じように配慮されないのはおかしいというような使い分け論理まで多くなっています。
この使い分け論理が加わった結果一般消費者のクレーマー的要求を越えているので,「モンスターペアレント」という概念が生まれて来たのでしょう。
交通事故損害賠償分野では,保険会社が担当していますので,一定基準以上の法外な?要求の場合機械的に弁護士対応としている(システム化されている)ので,それほどクレーマーに悩まされていません。
ただ,千葉県弁護士会だけで見てもかなりの数の弁護士が保険会社の代理人として相当量の債務不存在事件の受任をしている様子ですから,世の中には膨大なクレーマーがいることになります。
実際には09/01/02「交通事故の損害賠償額について2(保険会社の役割 2)」前後で連載したことがありますが,保険会社の基準による損害賠償額は訴訟基準よりは半額程度のことが多いのです。
実は多くの人がこれを知らずに,本に書いてるとおりの基準で払われるなら仕方がないか・・と示談していることが多いので、保険会社の基準自体に問題がないとは言えないので,これを肯んじない人がすべてクレーマーではありません。
訴訟結果を統計化しないと正確なことが分りません。
しかし、このような正当な主張に対して弁護士対応になった場合,裁判の結果が分かっているので,弁護士会基準(赤い本・あるいは青い本)に計算し直して示談に落ち着いているのが普通です。
それでも示談出来ずにプロの弁護士が債務不存在確認の訴えを提起する事件では,その大方は被害者の主張は不当な請求だった・・あるいは似たような結果になっていることが、多いものと推定されます。
弁護士が保険会社の代理人として受任するのは,保険会社の担当者では手に負えない・・基準を大幅にずれた主張をする被害者に対する分だけですが,千葉では保険会社の代理人として事務所収入の多くを依存している法律事務所がいくつもあります。
これだけクレーマー的被害者・主張が多いことが推定されます。

生活水準向上とソフト化社会2(大阪の地盤沈下1)

このシリーズで何回も書いていますが、バブル崩壊後の生活水準の向上は目覚ましいところがありますが、例えばユニクロ以来各種衣料品・生活雑貨で言えば100円ショップで大方間に合うし、食品で言えば牛丼や回転寿し等々、生活コストはバブル期以降約半分以下になっています。
タマタマ日経朝刊1月23日の9面に出ていましたが、花王の洗剤アタックが25年前の870円台に対して店頭実勢価格が300円以下になっているなどの事例が出ていましたが、機能が良くなって半値以下というものが消費財にはゴロゴロしています。
(牛丼・パソコン・携帯電話その他いくらでも半値以下になったものがあるでしょう)
物価が半値以下であれば現状維持の収入でも生活水準が2倍以上になっていますが、繰り返し書くようにバブル崩壊以降国内総生産がジリジリと上がっていたのですから、生活水準向上は2倍どころではないことになります。
これをドル表示で見ても約2倍になっていて裏付けられることを、2012/01/19「為替相場1と輸出産業の変遷1」のコラムで書きました。
前回書いたように生活水準が上昇するとすべての分野で行動形態がソフトになるのが我が国の傾向で、(そこが諸外国とは違います)勢い粗野な争いがなくなって行きます。
高度成長期に生まれた膨大な中間層の2代目が、みんなお坊ちゃんお嬢さん育ちになってデーイプインパクトのようにソフトになってしまって「大阪のおばちゃん」と揶揄される横柄・厚かましい人種が姿を消してしまったのです。
この種の人は10〜15年くらい前までは東京でもどこでも一杯いてオジさんやオバはんが嫌われていたのですが、生活水準の向上に連れて厚かましい中年族はいつの間にか姿を消した(今では60〜70代になって世間に余り出なくなった)と言うか、少数派になってしまったのですが、大阪だけ今でも残っていることから目立つのでしょう。
大阪だけに何故今でも厚かましいオバはんが多く残っているのかですが、以下に書くように大阪経済圏では生活保護受給率が大阪では高い・・医療保険の利用率も高い、学テでは全国最低水準になっているなどの現象からみて、この20年あまりの我が国の生活水準向上の波に乗り遅れているからではないでしょうか?
どこかで言ったことがありますが、大阪の長期的地盤沈下は、府と市の二重行政に原因があるのではありません。
産業の主役が繊維系から電気に移るまでは元気だったのですが、その後車産業に主役が移ったときについて行けなくなったころから、関西経済圏の沈下が始まったと私は考えています。
江戸時代中期ころから関西以西では木綿栽培が発達していたと読んだことがありますが、これを基礎にして、近畿圏周辺〜岡山までには繊維産業が明治維新以降勃興し、これに連れて糸扁の商社も大きくなりこの傾向は戦後も続いていました。
戦後は家電系も松下電器産業(ここから派生して生まれたサンヨー・・今は合併しましたが・・・)に始まって新たに経済を支えましたが、精密な電子産業以降となるとちょっとついて行けない感じになって行きました。
造船その他重工業も大阪の経済規模に合わせて十分発達しましたが、車製造が経済の中心になる時代が始まると新たに広大な工場敷地を必要としました。
過密化していた大阪周辺では工場敷地の余裕がなかったこともあって、自動車産業と関連産業の新規開設立地がほぼ皆無だったことが、大阪の地盤沈下に甚大な影響を及ぼしたと思われます。

高度化社会と雇傭吸収力2

知財ではなくブランド戦略も同じで、フランスのエルメスその他ブランド品はイタリアやアジアの工場で造らせていたので、国内産業空洞化防止にはなりませんでした。
ブランド戦略は品質の高度化ではなく、有名品であることのお墨付きでしかないので、どこで造っても構わなかったのでしょう。
日本にブランドが浸透して一般化した20年くらい前からは、逆に日本の縫製が一番ものが良かったので、どこで造ったかが消費者にとっては重要になっていました。
ここ10数年前から同じトヨタ自動車でもどこの国で製造したかが一定の選別要素になって来ているようです。
とは言え、車の場合大量生産品の宿命でその差は微々たるものであって、日本が新興国の10倍以上の人件費で造るほどの価格差にはなりません。
イタリアは、今でこそ経済危機のサナカですが、最近のイタリアブーム(食事・デザインものでも)は、長年の歴史とフランスブランド品の下請け工場に甘んじて頑張って来た歴史、ひいてはフェラーリに象徴されるように、日本同様になお自国職人技術にこだわって来たところが、長期的には(自国の高度技術が少ない)英仏よりは強みだと思われます。
イタリアは1つの国と言えるかどうかの議論が元々ありますが、技術職人の雇用にこだわっていたイタリアでは大量雇用に向かなかったので、アメリカ・フォードに始まる大量生産・大量雇用時代(イタリアを除いた先進国はこれに組み入れられて来たのですが・・)にはパッとしなかったと思われます。
手仕事・技術力にこだわる雇用形態では、大量の労働力を吸収出来ませんので北部だけで1つの国にするのがやっとであって、技術蓄積のない南部やシシリー島等を抱える・・面倒を見るには力不足・・無理が来ているのではないでしょうか?
EUがついて来られないギリシャを切り離すかが問題になっているように、イタリアも南部を切り離して別の国とし、北イタリアだけならば、充分黒字国となって町の掃除もきれいに出来るでしょう。
ドイツだって東ドイツの吸収後は大変でしたし、韓国が北朝鮮が崩壊して合併することになるのを内心怖がってるのは、同じ考え方が基礎にあるからです。
企業でも赤字企業を救済するために合併したい企業はないでしょうが、国であっても同じことなのに国になると何故か非合理な選択・・領土の拡張(後進地域を抱えれば損ですが・・)にこだわる人が多くなります。
欧州の中でドイツだけが未だに元気なのは、国を(東西共に)挙げて技術・職人技にこだわる点が日本と似ているからでしょう。
第二次世界大戦時の枢軸国・日独伊が、今も立国の基礎が共通しているのは不思議な巡り合わせです。

高度化社会と雇傭吸収力1

知財やブランドと違い、高級部品輸出は最終製品の組み立て産業よりは雇用吸収力が少ないけれども、ある程度の職人とその関連産業を養える・・一定の雇用吸収力がある点がアメリカの知財やフランス等欧州諸国のブランド化による生き残り戦略よりも有利です。
20年ほど前に金沢に家族で旅行したときに、近くの丘に登ってから下り道にあった博物館or工芸館だったかで3〜4時間かけてビデオを見たことがあります。
余り時間をかけているうちに、途中でお腹がすいて来たので出て来たのですが、そこで、鍍金金箔等の工芸品製作の流れを見ていると、多くの関連職種があって成り立っているのに感銘を受けました。
知財等はそれを育てる産業・・大学等を必要としますが、完成した後の知財そのものが雇用吸収力がある訳ではありません。
伝統工芸や調理士も一流になるまでの修練が必要ですが、その弟子入り・門下生をその町で受け入れることをもって(名人が内弟子として受入れるのはホンの数人しかないとしても)産業と言えないこともありません。
大学都市と言う呼称がありますが、それは、国内の別の場所から学生を呼び込むことによって観光やコンベンション産業のように成り立っていることになります。
留学生を国外から呼び込めば、国家的産業になります。
オーストリア等への音楽家の留学は、同国にとって貴重な産業の一種となっていることでしょう。
アメリカは英語圏を広げることによって、英語を身につけるために多くの国からどうってことのない田舎の大学でも留学生を多く受入れています。
観光客はそのときに訪問地で食事したり宿泊費を消費するだけですから、私の意見では公共インフラ維持費を負担しないのでトータルとしてマイナスですが、留学生は滞在期間が長い上に自分の宿泊費と食事だけではなく衣類その他すべての生活費の支出をする外、高額な学費まで支払ってくれるので大きな利益が出ます。
これはアメリカに対する理解を深める文化政策であると同時に一種の産業政策でしょう。
留学生受入れには上記のようなメリットもありますが、我が国のように、アフリカや中国等後進国からの留学生を受入れるために奨学金を交付して(あるいは日本でのアルバイトで自活させるのでは、日本人の雇用を奪っているだけですから、)受入れているのでは蛸足配当でしかなく、雇用の受け皿としての産業にはなっていません。
ただし、例えば500人の留学生のために大学教員の雇用が一定数・・例えば10人確保されるので、留学生500人が底辺労働500人分を奪っても、ペイするという見方もあるでしょう。
日本の文化力に引かれて自費で留学して来るなら別ですが、日本政府の留学補助金を使っていると、結果的に補助金を使った高級労務向けの失業対策事業になってしまいます。
観光事業も同じで、観光向けに広大な駐車場や道路拡幅工事をしたり立派な欄干を造ったり公共工事に巨額の税を投入して外国から呼び込んでいると外国人に補助金を払って来てもらっているようなもので、実質赤字になります。
話を知財・高級部材や伝統工芸品製作による雇用吸収力に戻しましょう。
これらを育てるためのコストの方が、知財等で儲ける額よりも大きいとなれば、本来的な意味の産業とは言えません。
バイオリニストを養成した費用で、その人が仮に一流奏者になったとしてもその人の演奏収入だけでは元を取れないでしょう。
このように元を取れない職種であるからこそ、芸術系はペイしなくとも資金をつぎ込める豊かな・余裕のある社会でないと育たないとも言えます。
結局・雇用吸収力として重要なのは、育てるのに金がかかる産業ではなく、裾野産業があるかどうかでしょう。

 構造改革と格差社会2

鉱工業生産の大きい社会・・グローバル化前の近代産業中心の先進国では、流れ作業に象徴されるように中間層や末端労働者の職場が多くなって、彼らの職場が確保され貧富の格差が縮小するだけではなく、ひいては庶民が大事にされる結果民主主義が成熟し、社会が安定して行きました。
民主化の進行度や格差の少ない社会が先進国の資格要件というよりは、海外輸出国・・国内需要分以上の生産が可能で底辺労働者や中間層の仕事が多くなり、底辺層が豊かになった近代工業社会化完成(超過生産・輸出で成り立っているのですから行き過ぎ?)の結果に過ぎないと言えるでしょう。
農業社会の時代には、自営農民の多い社会は安定していたと言われているのと同じです。
グローバル化の結果、賃金コストの関係で先進国では押し並べて単純労働・大量生産職場が縮小して行くので、膨大な中間層や流れ作業に象徴される末端労働者需要が減少していくしかありません。
単純作業を減らさないようにするには、新興国と同レベルまでの低賃金化しかないでしょうが、同レベルまでの賃下げが不可能であるとすれば単純作業分野の生産は新興国に移管して行くしかありません。
国内総生産や貿易収支は別の高度化産業の育成で穴埋め出来ますが、これに対応出来る高度レベルの人材は多くありません。
アップルのジョブスやマイケルジャクソンなど、同等の人材が少ないから希少価値があるのであって、いくらでもいる人材ではあり得ません。
高度化社会とは、いくらでもいる平凡な人材の労働需要が縮小して行く社会とになります。
失われた単純労働職場の受け皿・失業対策としての公共工事の拡大の外にサービス業や介護など福祉現場への転換が急がれているのですが、これらの職種でいくら働いても外貨を稼げないので、産業高度化による貿易収支の穴埋めを出来る国でない限り、内需拡大ばかり続けるといつかは財政破綻してしまいます。
何回もたとえ話として出していますが、一家で夫婦が働いていたときに奥さんが失業してヒマになった場合、別の店で働けば(職種転換)収入が一定ですが、職種転換する能力がないからと言って、家の掃除をしたりおばあちゃんを病院へ送り迎えしても失われた奥さんの給与収入が補填出来る訳ではありません。
国民が福祉や道路掃除や公園整備で忙しく働いていても、外貨収入が減った分を稼げるどころか余計お金を使うだけです。(国民が退屈しないだけでしょう)
こうした繰り返しの結果が出たのが、夕張市の破綻でありギリシャ問題です。
戦後「ゆりかごから墓場まで」という標語で有名だった(私の子供の頃にはうらやましい制度だと紹介されていた記憶です)イギリスの高福祉社会もこうした経過・・イギリスの対外競争力低下の穴埋めとして出来た制度だったのでしょう。
イギリスは、ドイツやアメリカに追い上げられたときに日本同様に技術の高度化に活路を求め、その結果ロールスロイスなどが産まれたのでしょうが、それだけでは世界の工業国だったときの多くの単純労働者を養えません。
この再編の過程で、内需に頼るしかない・・行き着くところは福祉産業しかないまま来たので、現在連載中のポンド下落の連続となってしまったのです。
アメリカも借金規模が大きくて分り難いだけであって双子の赤字(国際収支と財政赤字)が続いていることは同じですから、2008年のリーマンショックが起きたのですが、まだこの原因(借金生活)を解決出来た訳でありません。
むしろ財政出動(新たな赤字追加)で誤摩化しただけですから、いつかはその帳尻合わせが起きるであろうことは当然予想しておくべきです。
国全体の経営問題とは別にこの機会に産業構造転換と格差問題に触れておきます。
格差問題はオキュパイウオールデモに関連して少し書き始めていましたが、横にそれている状態ですので、ここで少し書いた後に近いうちに元に戻る予定です。
工場労働縮小の受け皿としてマスコミ推奨のサービス業の拡大や介護等の職場は、従来型底辺労働の変形であって、高賃金化対応の職場ではありません。
(サービス業の中でもバー、飲み屋ラーメン屋などの飲食業や美容・理容等は、どちらかと言えば昔から底辺労働者向けでしたし、洋服屋、靴屋等の店員も同じでしょう)
サービス・介護福祉等分野で正規雇用されたとしても、基本が低賃金職種ですから、大量生産型産業の空洞化の後を穴埋めして来た高度化産業従事者に変身・適応出来た労働者(大学院進学等それなりのコストを掛けているのが普通です)との賃金格差が開いて行くのは当然です。
(グローバル化以降の先進国は近代工業化社会で輩出した中間層の多くが上下階層に再分裂して行く社会です)

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