社会に応じた言語力1

戦前は職人と事務員等職種によって呼称が違っていたのですが、戦後労働者という統一用語になると次第に労働の範囲を広め、好きでやっている研究・・「ことに仕える」典型的な生き方ですが・・等も今では知的労働と言い、こうした中核部分にまで仕方なく働かされている「労働」意識を浸透させてきました。
加山又造だったかの工房の様子を報道する映像を見た記憶では大勢の弟子?スタッフが立働く様子が印象に残っています。
昨年だったか?
京都の「京アニ」放火事件を見ても、外見のみの判断ですが、芸術家集団というより工場建物のイメージですし、何故かオーム真理教のサテイアンを連想してしまいました。
運慶快慶や東博や狩野派も一定の集団作業と言われていますのでトップと弟子とはいえ、生活的には賃労働と変わらない外形もあるようです。
映画演劇も皆同じでしょう。
実家が領主層で弟子入りした方が、授業料、飲食費等生活費を負担する出家や弟子入り中心だったのが、戦後は落語や演劇等の端役その他の弟子にも小遣いをやらないと成り立たない関係になり、それが生活費になってくると修行より労働の性質を帯びる方向になります。
各種学問分野の研究者も同様で、元々は好きでやっているにしても「研究実験が三度の食事より好き」とは言っても家族を養える程度の生活費は保障してほしいものです。
これが現在のポスドク問題です。
芸術文化活動や学問領域参加者に無産階層出身者が広がったのは良いことですが、生活費を稼ぐ面が重視されてきたので知的労働という熟語が生まれたのでしょうが、知と労を足しただけの熟語は いかにも間に合わせっぽい薄い熟語です。
市町村合併や企業合併であんちょこに相応の頭文字をくっつけた市町村名や企業名が目立ちましたが、各種熟語も知的労働みたいな単純寄せ集め形式が進んでいます。
明治の人たちは新しい現象に合わせて色々な造語に成功して社会発展の基礎を築いておいてくれたのですが、戦後は、社会変化に応じた言語創作力が落ちているようです。
禁治産者系の法律用語が社会変化に対応できなくなった時に新しい単語を作るのではなく被後見人という新建材みたいな安っぽいアンチョコ用語に変えたことを批判して書いたことがあります。
明治の民法はフランス革命=ブルジョワ革命・・教養と資産のある人のための法であるナポレオン法典がその母体でしたので、「資産のある人」が対象でした。
自分を守る能力の欠けた人や劣った人を保護する必要があるのは資産を守る必要→禁治産者(資産を治める能力のない人という意味)や準禁治産者には後見人や保佐人を選任する仕組みだったのですが、戦後は大衆社会に突入したので無資産者も法の保護が必要になってきました。
「資産がなければ怖いものなし」と思うでしょうが、戦後は住宅ローンに始まり借金(サラ金〜カードローンなど)でモノやサービスを買う時代になったので、無資力者も取引のプレーヤーになってきました。
プレーヤーとしての能力がないとして放置する・借金できない=カードも使えないのでは人権問題の意識が高まり、無資力者も保護の必要が生じたので資産家保護にシフトした「禁治産制度)が実態に合わなくなりました。
資産がない人もプライバシーその他の保護が必要になったのですが、その権利を守れないのでその役割を果たす人が必要になります。
能力不足の人の権利確保のためには禁治産者に必要とされた後見人がその担当になるのが合理的ですので後見人の役割が資産保護だけから各種能力不足者の保護に広がりました。
無産者でも身を守る能力に欠ける人には有資産者同様の保護者が必要という意識が強まり、共通の保護政策に合わせた民法改正に際し、禁治産の用語を廃止したのは当然ですが、その代わりになる用語が作られませんでした。
従来同様に後見人や保佐人が選任されるのを利用して「被後見人、被保佐人」ということにしてお茶を濁して新しい制度目的にふさわしい新用語を作れなかったのです。
学校用語で言えば「生徒」や「学生」という用語を作らずに「被教育者」と言うようなものです。
患者、病人でなく、「被治療者」、会社員でなく「被雇用者」何でも「被〇〇」で済ませるのは間違いでないというだけで、非効率です。
「お客」と言う単語を作らずに「買う人」と言っても間違っていないですが、この種の表現は内容性質の分類に使う用語であって、そのもの固有の名詞ではありません。
それぞれに固有名詞があって意思疎通がスムースになるのですが、誰それの孫とか親戚の人・「ほらいつも遅れてくる人よ!」「派手な格好している人」という表現は固有名詞を知らないときとか、婉曲表現に使うものですが共通認識のある狭い世界でしか通用しませんし誤解を招く確率が高くなります。
明治の頃に日本語にない外来語を翻訳するときにいろんな熟語が創作されましたが、今の日本ではこのような時勢に応じた新用語創作能力が衰えてしまったように見えるのは残念です。
もしかして法律家の言語素養が下がっているだけかもしれませんが・・。
法律家に限らず、言語創作能力は文化基礎の広がり度による影響が大きいのでその効果が法律家に及んでいるというべきでしょう。
社会変化の大きさでは、明治維新と敗戦後の社会変化の激しさではかなり似ていますがどういう違いがあるのでしょうか?
明治維新後数十年で見れば英文学に進んだ夏目漱石は漢文学等の古典素養の高さが有名ですが、いろんな分野に進んだ偉人の多くが民族文化素養が厚かったように見えます。
江戸文化だとつい思い込みたくなる歌舞伎の名作の多くが、明治の河竹黙阿弥の作になるのと同様です。
古典落語や日本画なども同様です。
敗戦前後あるいは現在の言語能力低下(=交渉力低下・昭和に入ってからの国際孤立化は言語力によるだけではないですが、何らかの影響があった可能性がありそうです)は、その数十年前からの文化力低下によるものではないでしょうか。

日系企業米国生産と格差社会化緩和2

米国の貿易収支が出超から入超に変化すると、その分国内製造が減ります。
金融収支的には、知財収入や所得収支で均衡が取れますが、知財収入や金融取引の儲けでは多くの国民の雇用が守れません。
ファッション産業等も同様です。
あるファション製品が、世界最大の売りあげを記録してもファッションクリエイター部門雇用はわずかで、ユニクロやアップルの最終製品加工工場の雇用が増えるのに比べればゼロ%台の比率にすぎないでしょう。
アップルが如何に巨大な儲けを叩き出しても、その生産が中国の巨大生産委託工場で生産され世界に供給している状況では、米国内雇用にほとんど貢献していません。
11月9日日経朝刊1面トップにはアイフォーンは部品や材料が地球と月の1往復分複雑移動して「最後に組み立てるのは従業員が100万人もいる中国広東省・深圳の受託製造会社だ」と書いています。
1工場で数万数千人が組み立てにラインに並ぶ深圳の工場規模の報道に驚いてきたのですが、100万人とは驚きです。
最終組み立て部門はこれと言う熟練技術不要で文字通り人海戦術の分野ですが、それだけに雇用吸収力は甚大→中進国や先進国の雇用減と裏腹です。
米国得意の製造工程簡略化によって、数世代以上に渡っての職業訓練・教育を受けてきたかの違いや文化レベルなど全く問題にしない・・人間であれば誰でもできる程度の単純工程が最終組み立て作業ですので、近代産業革命によって先進国から雇用拡大した流れの逆張り進行が始まったのです。
国内雇用政策で見ると米国企業が従来の輸出に変えて国外現地生産を増やしていくと戦後当初世界に輸出していた分国内生産が過剰→縮小になりますが、当初その程度の漸減ならばシリコンバレー等での新規産業創出でなんとかなっていたのでしょう。
その後日本ドイツの追い上げによる各種輸入が爆発的に増えると輸出が減るだけでなく、自国消費分まで国内生産が縮小していきます。
欧州は戦後復興しても欧州の国内需要を米国に食われなくなっただけで米国への逆輸出がそれほど増えませんでしたが、(ドイツの貿易依存率が高いと言っても欧州域内輸出が大半です)日系メーカーの場合対米輸出だけでなく、対東南アジア輸出はどんどん増えていき、その分米国内製造が激減して行く構図になってきました。
輸出が減るだけでなく国内需要まで日本に食われるようになって国内製造業縮小に直面した米国は、国内雇用減緩和的穴埋めに、日系自動車メーカーに対して米国進出を許容し誘導(強制)してきたことになります。
米国の貿易赤字分を日本や中国がせっせと米国債を買い求めて貿易赤字の穴埋め・ファイナンスしてきたのと同じ構図です。
米国は元々戦後10年前後経過時点から軽工業段階・・超低賃金労働向けの繊維系やおもちゃ生産分野の場合、直ちに自国内製造を諦めて低賃金国へ工場進出して逆輸入に切り替えてきたのですが、(対中関税制裁で困るのは中国で生産している米国資本の工場と言われる所以でもあります)重工業や車産業等のセコンド製品等の男性中心職場でそうは簡単に行きません。
一斉に構造変換・・大規模リストラすると男性の大量失業等の影響が大きすぎるので、政府としては国内企業の存続を図りたくとも日独に追い上げられて収益率低下する一方の事業を切り離したいのが米国企業価値観です。
自由貿易を錦の御旗とする米国は輸入制限する口実が見当たらないので、国内雇用縮小の穴埋めのため輸入先企業・日系企業に国内進出させて失われる雇用の受け皿役を担わせ急激な国内失業回避する戦略だったし、日本もあくまで自由貿易の大義違反と米国と正面衝突するリスクを冒す事もできないのでやむなく湯h捨数量制限と米国工場進出で妥協してきました。
低収益部門と化した自動車製造事業を日系企業に委ねて置いて米国自動車業界・ビッグ3はチャッカリ中国韓国等へ進出して高賃金の米国から逃げています。
https://response.jp/article/2019/02/07/318888.html

2019年2月7日(木)17時00分
GM世界販売12.7%減の838万台、キャデラックは7%増 2018年
市場別の2018年の販売実績では、中国が引き続きGMの最量販市場に。ただし、2018年は364万5044台にとどまり、前年比は9.8%減とマイナスに転じた。
中国に続いたのは、地元の北米だ。2018年は、349万0114台にとどまった。前年比は2.4%減と、2年連続のマイナスだ。

上記のように中国市場販売の方が米本国での販売より多くなっています。
そのGMが18年国内工場大規模閉鎖発表しました。
これが6日に紹介した長期ストにつながっているのでしょうか?
ただし40日間に及んだストが10月25日終結したというニュースが出ています。
GM苦境の紹介です。
https://jp.reuters.com/article/us-gm-analysis-idJPKCN1NY0OU

2018年12月1日 / 08:50 / 1年前
焦点:米GMの工場閉鎖、セダン需要不足にはそれでも不十分
[デトロイト 28日 ロイター] – 米ゼネラル・モーターズ(GM)(GM.N)は、26日に打ち出した北米の3カ所の完成車工場閉鎖と人員削減計画を実施しても、同社のセダンに対する需要と供給の落差は一部しか埋めることができない──。ロイターが自動車業界の生産・設備関連データを分析したところ、こうした結論が導き出された。
LMCのデータに基づくと、ミシガンにある「キャデラックATS」などを製造する工場と、電気自動車(EV)の「シボレー・ボルト」などを製造する工場の稼働率はそれぞれ33%と34%。スポーツカーの「シボレー・コルベット」を製造するケンタッキーの工場に至っては27%にとどまっている。
つまりこれら4工場は年間生産能力が合計80万台超に達するのに、今年は36万台しか製造されない見通しだという。
業界アナリストの話では、自動車工場の稼働率の採算ラインは一般的には80%前後。バーラ氏は26日、GMの北米地域の工場の場合、操業時間を延長しているSUVやピックアップトラックの生産施設を含めても70%だと明らかにした。

一方で4年前のデータですが、日本メーカーの米国現地生産台数は以下の通りです。
https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_seisaku-tsusyo20170129j-03-w420

15年は385万台と過去最高。米国の乗用車販売に占める日本車のシェアは4割を超すが、その6割は現地生産だ。日本メーカーは販売店を含め、米国で150万人の雇用を支えている。

交易必要性と米国盛衰 

大量生産品では欧州から対米輸出が成功していないので、対欧州では米国は輸出していた分がはげ落ちただけでした。
お互いさしたる能力差がないので同じような生産設備で勝負する限り自国市場分は自国で生産する関係に落ち着いたと見るべきでしょう。
資源以外の加工品の交易必要性は、品質と価格のバランスで決まることです。
例えば同時期に新装開店したスーパー西友あるいはイオンが2〜3キロ間隔である場合、同じメーカー品を買うのに、近くの店舗を通り越して遠くの店舗まで買いに行きません。
コンビニ等でセブン系とローソン系で弁当の味が少し違っても、ちょっとの差であれば最寄り店で買うのが普通です。
国家間貿易も同様で、同じ品質で同じ価格・米国得意の汎用品はこの種製品なら遠くから輸入する必要性がありません。
米国は欧州に比べて劣っていた能力不足分をカバーできる資源直近の好立地を19世紀後半から20世紀初期にかけて5大湖周辺に見出し、資源直近の利点を利用していわゆる中西部工業地帯が勃興し(国内産業構造変革・克服の苦しみが、19世紀半ばの南北戦争と解されます)欧州と互角に近い経済力を獲得しました。
20世紀に入るとベルトコンベアーに代表される(農産物も含めた)大量生産方式(販売でも個別顧客対応しないスーパー方式による合理化でプロの売り子不要+従業員最小化)の普及で労働者の能力差をカバーするなど生産性逆転したので母体国の欧州を圧倒して世界覇権を握れるようになったものです。
米国の基本コンセプトは自国民の能力レベルが欧州の底辺層の集まりであることを自覚した上で、この弱点カバーに特化して成功したものです。
個人技能に頼らない生産方式・・特注品の高度製品での競争を捨てて、アメリカ大陸の特性・豊富な資源と広大な農地や牧草地を有効活用した汎用品の大量供給方式・必然的に顧客は少数エリート階層から庶民大衆をターゲットにして成功したと評価すべきです。
いわゆる大衆・マスがターゲットですから、庶民消費の底上げ政策・・欧州の市民革命・産業革命は教養と財産のある有産階層の社会実現でしたが、米国の生産方式はこれといった技能訓練を受けない(ベルトコンベアーに適応できる程度の訓練で足り、徒弟修行不要)庶民が生産の主役になり、消費主役になる社会を実現しました。
結果的に庶民の購買力向上が命ですから、庶民の味方・大衆民主主義が基本価値観となっていきます。
米国の圧倒的優位性は、地元資源利用とこれを大量消費コンセプト(特殊技能不要)にあったのです。
ところが戦後エネルギー源が石炭から石油に変わり、鉄は国家なりと言われた・・各種工業品の素材も戦前は金属製が中心であったものが石油由来のプラスチック製に入れ替わって来ると商品単価がもっとさがると大量消費の米国価値観の最大化のように見えましたが、一方で資源に頼る米国産業の優位性が相本から崩れる始まりとなります。
中東から輸入する欧州と米国自国内資源保有との資源格差が低下すると競争力は能力差中心になっていったので、欧州への輸出〜現地生産シフトがジリ貧になっていった原因です。
車で言えば大量生産品では、欧米それぞれ地産地消に落ち着き、現地生生産になじまない(技術文化差を背景にする)イタリアの手作りに近い高級車の輸出程度に落ち着くイメージです。
ハム、ソーセージ、チーズ類も同じでしょう。
いつもラーメンの例を出しますが、札幌ラーメンがトウモロコシを乗せて大ヒットしましたが、この程度のことは一定期間経過で同業者が真似するようになれば、結局は基礎になるスープの味等の元々の競争力に戻っていきます。
米欧関係だけでなく鉄鉱石や原油等各種資源が国際価格で入手できるようになると自国資源の有無は輸送経費の差だけになるので、その差を能力差でカバーできれば良いとなれば、日本が飛躍できるようになった原因です。
資源制約度が下がり輸送コストや税関コスト等移動コストが下がれば、これに反比例して能力差(歩留まり率の差や環境技術差など)の比重が上がります。
自国資源かどうかの差の多くが輸送経費差になると陸路と海路の違いは格段の差になります。
陸路300キロ輸送より海路1000キロの方が割安・中国や米国内陸から上海やシカゴに運ぶより(高速道路発達前の悪路の場合・高速道路整備が進むと差が縮みます)港湾工業地帯(我が国戦後コンビナートは全て港湾立地です)を作って他国資源でも海路1000キロの方がコストで合理的)ですので、東南アジア中南米を含めて資源産出地や北米消費市場どちらからも遠い日本が互角に近い戦いができるようになった原因です。
日本が欧州市場進出がうまくいかないのは、一つには輸送コスト差が大きいからです。
日米間は地球の真裏で距離は最大ですが、太平洋一直線で米国西海岸到着に対して欧州への航路は、東南アジア諸国の海峡を巡りながら、インド大陸を大回りしてスエズ運河〜地中海を経るなど経路が複雑な分、多くの国と関係しながら移動する手間ヒマ、コストが膨大です。
日本からハワイへ飛行機で移動する場合とインドシアン半島を横切ってタイへ行く場合と比較すれば他国上空を通過する必要がないだけでも、航空会社のコストパフォーマンスの良さが想像できます。
近年で言えば、ソマリア沖海賊問題が収束してきたかと思うとイラン緊張での安全性問題など絶え間ないリスク管理必要ですが、ホルムズ海峡の場合公海部分がホンの少ししかないのでイラン領海内で自衛艦自衛行動が困難です。
少しでも侵犯すれば(これは水掛け論が多いので)大事件になりますので、日本はイエメン側の紅海方面の公海だけの警備活動にしか関与しない発表があったばかりです。
パックスアメリカーナのお膝元である太平洋横断にはこういうリスクがありません。
日本からハワイへ飛行機で移動する場合とインドシナ半島を横切ってタイへ行く場合と比較すれば他国上空を通過する必要がないだけでも、航空会社のコストパフォーマンスの良さが想像できます。
近年で言えば、ソマリア沖海賊問題が収束してきたかと思うとイラン緊張での安全性問題など絶え間ないリスク管理必要ですが、ホルムズ海峡の場合公海部分がホンの少ししかないのでイラン領海内で自衛艦自衛行動が困難です。
少しでも侵犯すれば(これは水掛け論が多いので)大事件になりますので、日本はイエメン側の紅海方面の公海だけの警備活動にしか関与しない発表があったばかりです。
https://www.sankei.com/column/news/191020/clm1910200002-n1.html

【主張】自衛隊の中東派遣 「ホルムズ」忌避は疑問だ
2019.10.20 05:00コラム

情報収集体制の強化が派遣の目的で、直ちに日本船舶の護衛を行うことは想定していない。活動海域は、オマーン湾▽アラビア海北部の公海▽イエメン沖のバベルマンデブ海峡東方の公海-で、ホルムズ海峡を外している。河野太郎防衛相は「現時点ではそういうふうに検討していく」と語った。

日本が中国による南沙諸島海域支配に神経をとがらせる所以です。

日系企業米国生産と格差緩和1

日本の場合赤字になるまで維持するどころか、赤字でも後何年頑張れるか・・「がんばれるだけ頑張ります」というのが決まり文句ですが・・地域経済への悪影響への心配がこういう精神論表明になるのでしょうか?
11月6日日経新聞朝刊1面トップに富士フィルムが合弁相手の米国ゼロックスから富士ゼロックスの持ち株(25%)全部を2500億円で買取り資本関係解消したと出ていましたが、米国ゼロックス本部はIT化進行により衰退事業分野となっている事務機部門を売り抜けて、富士フィルムから得た2500億円を新規有望部門の投資に回せる思惑が解説されていました。
11月7日夕刊には、米国のゼロックスはこの資金を含めて3兆円規模でコンピュータ企業のHPの買収提案をしたと報じられています。
富士フィルムの立場は合弁契約で富士ゼロックスには販路制約があったのですが、販路制限契約の縛りがなくなるので販路を世界に広げて行くための買い物と位置付けているようです。
この思惑の違いこそが、米国企業の真骨頂であり、落穂拾い的に衰退分野を修復しながらコツコツと維持して行く(法隆寺や、日本画、民俗行事など修復し続けて未来に繋ぐのが日本民族の基本姿勢です)日本企業との違いの象徴的取引というべきでしょう。
収益重視経営を一直線に突き進めると低賃金新興国の追い上げによる国内大量生産部門急速縮小→大量人員整理が急激に起きます。
不採算事業切り離しを一直線に進めると、収益的・株式相場的には高収益企業が増えて万々歳ですが、新興産業の金融やハイテク〜IT産業は雇用吸収力が弱いので製造業から押し出された大量労働者の行き先がない・大量失業→急激なサービス雇用への転換が必要になります。
この辺、明治維新によって武士が失業しても受け皿になる製造業界が多く立ち上がって労働者(士族の転職先でる管理部門事務系需要も急増)を吸収したのとの違いです。
戦後直ぐに日本の挑戦で繊維や家電等の軽工業縮小・米国での雇用喪失の場合には、女性労働者が多かったのでサービス業への転換(今では介護士など)が容易でしたが、重工業や自動車等機械製造系は男性労働者中心ですのでサービス業への転職は1世代程度の時間差がないと気質的に困難です。
我が国でも草食系男子という流行語が20年ほど前に流行った・今やそんな言葉すらないほど男性多数がソフトになってきて男性看護師・介護士等も普通になってきましたが、その間30年ほどの経過があって適応できるのです。
ソフト社会になるのは良いことと思いますが、サービス雇用化は製造業雇用に比べて不規則労働が多いことから非正規化→中間層が痩せて行く一方となります。
事務系でも資本自由化による資本金融取引拡大・IT・知財発展による中間管理職・ホワイトカラー層不要化進展による中間層縮小が加速する一方です。
国際金融取引のプロとして巨額を動かせるエリートはホンの一握りであって、中間管理職不要化の動きはとどまるところがありません。
大学院まで進み研究者の道はというとこれまた多くが同じ思いですから、オーバードクター状態になり、大多数が非正規の臨時講師の仕事しかない状態です。
製造業中心社会からサービス社会化の進行は、一方でグローバル化の波に乗って巨万の富を得る人がごく少数出る一方で中間層から脱落する低賃金層の拡大する社会でもあります。
米国の歴史的行動価値観・・収益率低下見込み〜不採算事業を早めに切り離し売り抜けて収益率の良さそうな企業買収するのが原則的価値観の社会です。
米国独立後北部工業地帯が成長を始めると奴隷による低賃金労働に頼る南部綿花事業切り捨て→南北戦争の主原因でした・・これをドライに割り切って行うのを視覚的に表現したのが、スクラップアンドビルドという表現だったのでしょう。
これの経営への応用が収益重視・・・ROE重視経営です。
戦後復興した日独等の米国追い上げが始まる追い上げられる分野ごとに収益率が下がって行くのがはっきりしているので、米国内生産を早期に切り上げて欧州等需要地での現地生産に切り替えて行ったのは上記経験による選択でした。
資源等ある国や地域にしかない物品は貿易による交換が合理的ですが、工業製品は本来どこでも作れるものですから労働者の能力差とコストしだいで生産適地が決まるものです。
圧倒的コスト差があれば輸送費や関税、人件費の差を負担しても長距離輸出が合理的ですが、技術などの競争力が拮抗してくるとちょっとした輸送費や関税手続きコスト負担も重荷です。
現地相場のコスト・・欧州の場合戦争で疲弊して生産設備が壊滅したのでその隙をついて米国が大量輸出できただだけのことで、労働者の能力としては米国と同様(以上?)でしたので現地生産に切り替える方が合理的でした。
戦争で破壊された欧州製造設備の復興が進むと米国から輸出するよりは、人件費の安い欧州に進出して生産すれば土地代、輸送費、時間、関税等すべて競争条件が同じになるので欧州などでの競争力を保てる→国内製造縮小して行くのが経営学的には正しい選択となります。
米欧の関係はもともと人種的に同根で基本的能力差がないに等しいのですから、相互に現地生産=競争条件が同一化すればどうなるか?
長距離輸送や関税負担するコスト差以上の競争力がないだけでなく、米企業の欧州拠点の場合、米国本社の遠隔指示と現地判断の差が出るので現地生産もうまくいかなるし、米欧相互に輸出コスト負担してまで輸出努力するメリットもなくなります。
これが欧州進出したGMや、フォード、クライスラーなど早くから欧州進出していた企業が軒並みうまくいかなくなっている理由でしょう。
イタリア、ドイツ等の特殊手作り的高級車や食品や衣装系・・仏伊のファッション系その他伝統に根ざしたもの各種製品に限って、米国へ食い込み成功しているのは、文化力格差によるものです。
同じ欧米系人種同士でもいわゆるアメリカの文化レベルはいわゆるヤンキーと表現される・・文化力の総合的表現である女性の理想像で言えば、最盛期のアメリカが初めて獲得した自前の民族理想像がマリリンモンローでした・彼女が米国文化の代表になったことが米国の文化レベルの国際意思表示・自白?と評価すべきでしょう。

GM破産2(遅れた不採算事業切り離し)

会社側の再建案は新会社設立案を基本にしたものでしたが労組優遇で、一般投資家(米国は個人投資家が多い・子供の入学資金用の株式投資など)に対して大きな負担を求めるものでしたので債権者の同意が得られず破産に突入しました。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1176

切り捨てられた「普通の人々」
GM倒産劇の裏側 2009.6.9(火) 小浜 希

GMが発行した無担保社債など約270億ドル分の債券保有者には、新生GMの10%の株式と引き換えに100%の債権放棄を要求。その一方で、GMに約200億ドルの医療費関係債権を抱える労働組合の債権放棄比率は50%とし、新生GMの株式39%を与える内容だった。
米国では労働者個々人も銀行預金より小口投資する投資社会なので、投資家と言っても一般の労働者が多い社会ですから、GM労組優遇の提案で合意できるはずもない・・世論も応援しないので合意不成立で破産に突入します。
日本や韓国では、労組=弱者→優遇という図式化した運動・市民代表を僭称する運動が多いのですが・・アメリカの場合、労働者切り捨て投資家保護反対!という図式的スローガンが成り立たなかったようです。
ウイキペデイアのGM破産解説に戻ります。

2009年6月1日、GMは連邦倒産法第11章(日本の民事再生手続きに相当する制度)の適用を申請した。負債総額は1,728億ドル(約16兆4100億円)。この額は製造業としては史上最大である[9]。同時にアメリカ政府が60%、カナダ政府が12%の株式を保有する、事実上の国有企業として再建を目指す事になった。
・・・しかし、子どもの教育資金や、老後の生活の備えとして、なけ無しの金を注ぎ込んだ個人投資家が、労組偏重の再建計画を甘受できるはずもなかった。

従業員の新時代適応拒否症?が、部分的とは言え企業活性化を妨げる効果を上げ、現在米国の国際的地位低下が目立ってきた基礎構造でしょう。
アメリカの活力は、スクラップアンドビルド・あるいは用済みの都市を捨て去り(ゴーストタウン化して)別の街を作る・効率性重視社会と言われていましたが、一定の歴史を経ると古い産業構造を残しながら前に進めるしかなくなった分、非効率社会になったのでしょう。
破産により不採算部門を切り離し、新会社移行(国有化後国保有株の市場売却で民営に戻っています)により新生を目指すGMですが、破産後10年経過で先祖帰りしたらしく今年に入って以下通りのストらしいです。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49865800X10C19A9000000/

GM工場のスト続く、労使合意なお時間 株価は急落
2019/9/17 5:20
ただ、米国内に業界平均より3割多い77日分の完成車在庫があるため「すぐに販売面に影響が出る可能性は低い」という。

業績不振のおかげで在庫が77日分も溜まっているので企業はストが続いても余裕らしいですが、こう言うのってめでたいのかな?
アメリカの製造業は低賃金国への脱出盛んですが、今でも製造業大国らしいです。
製造業草創期から蓄積した技術があって世界に進出した各種工場のマザー工場機能を果たせる仕事があるからのようです。
ただしマザー工場的役割は従来の内需を満たし輸出までしていた工場群の数%(雇用も同率)で足りるものですから、国外脱出の穴埋めには力不足でしょう。
別の側面から見ると、日本の自動車産業が輸出の限界を悟り現地生産を増やして成功していることを見ると、この限度で日系企業が米国内製造業生き残りに貢献していることが分かります。
米国の外資による国内生産受け入れ政策は、後進国が輸入規制によって、自国産業育成のために高関税などの権利を留保できている役割の逆張りです。
米国の日系企業の米国内誘致政策は、先進国製造業が新興国の追い上げを受けて雇用が急速縮小する激痛緩和の役割を果たして来たようです。
後進国のこれから育つ産業育成を待つのは、少年期に成長期待して見守ってやるのに似ていて成長確率が高いですが、新興国に追い上げられる先進国社会保護のために時間猶予を与えるのは高齢者を大事にするようなものでいわゆる延命策です。
ここでいきなり話題がそれますが、いわゆるM&Aに関する関心を書いていきます。
日本企業の株価収益率の低さが長年問題視されて来ましたが、その裏側の米国企業の目線で考えると企業のあり方に関する基礎的考え方の違いがわかります。
時代遅れになる分野→ローエンド〜セコンドエンド生産にこだわり、同業他社との競り合いを続けてさらに20〜30年生き残れるとしても、これをやっているとその間収益率が徐々に低下していきます。
米国的価値観では、自国産業は利益率の高い高度化転身を目指して不採算見込み事業をどんどん切り離し(M&Aでこれを処分し)て行くべきというもののようです。
比喩的事例で言えば、現在15%の高収益事業が5年サイクルで13%〜11〜8〜7〜3%〜0〜マイナスと変化していくパターンの場合、その事業を今売れば1千億円で売れるが11%に下がってからだと5百億円で、3%に下がってからだと30億円でしか売れない見込みの時に、どの時点で処分するのが合理的かの判断が重視される社会です。
処分金で再投資すべき事業の存在との兼ね合いで合理性が決まるのですが、処分金を年利数%で預金する予定の場合と現在5%の収益率があり、3年後に8%、5年後に1%8年後には15%に成長可能な企業があった場合どの段階で自社事業を切り離して売却するかの複合判断です。
ちなみに雇用を守るために簡単にリストラクチャリングできないとも言われますが、倒産と違って企業を買う方は事業に慣れた従業員が継続してくれることこそ購入価値ですので、原則全従業員が引き続き雇用継続される前提・雇用確保の社会的責任への考慮はこの場合不要です。
マイナスになるまでリストラを先送りし、大混乱の倒産を引き起こす方が無責任経営の評価を受けるのではないでしょうか?

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