戦前は職人と事務員等職種によって呼称が違っていたのですが、戦後労働者という統一用語になると次第に労働の範囲を広め、好きでやっている研究・・「ことに仕える」典型的な生き方ですが・・等も今では知的労働と言い、こうした中核部分にまで仕方なく働かされている「労働」意識を浸透させてきました。
加山又造だったかの工房の様子を報道する映像を見た記憶では大勢の弟子?スタッフが立働く様子が印象に残っています。
昨年だったか?
京都の「京アニ」放火事件を見ても、外見のみの判断ですが、芸術家集団というより工場建物のイメージですし、何故かオーム真理教のサテイアンを連想してしまいました。
運慶快慶や東博や狩野派も一定の集団作業と言われていますのでトップと弟子とはいえ、生活的には賃労働と変わらない外形もあるようです。
映画演劇も皆同じでしょう。
実家が領主層で弟子入りした方が、授業料、飲食費等生活費を負担する出家や弟子入り中心だったのが、戦後は落語や演劇等の端役その他の弟子にも小遣いをやらないと成り立たない関係になり、それが生活費になってくると修行より労働の性質を帯びる方向になります。
各種学問分野の研究者も同様で、元々は好きでやっているにしても「研究実験が三度の食事より好き」とは言っても家族を養える程度の生活費は保障してほしいものです。
これが現在のポスドク問題です。
芸術文化活動や学問領域参加者に無産階層出身者が広がったのは良いことですが、生活費を稼ぐ面が重視されてきたので知的労働という熟語が生まれたのでしょうが、知と労を足しただけの熟語は いかにも間に合わせっぽい薄い熟語です。
市町村合併や企業合併であんちょこに相応の頭文字をくっつけた市町村名や企業名が目立ちましたが、各種熟語も知的労働みたいな単純寄せ集め形式が進んでいます。
明治の人たちは新しい現象に合わせて色々な造語に成功して社会発展の基礎を築いておいてくれたのですが、戦後は、社会変化に応じた言語創作力が落ちているようです。
禁治産者系の法律用語が社会変化に対応できなくなった時に新しい単語を作るのではなく被後見人という新建材みたいな安っぽいアンチョコ用語に変えたことを批判して書いたことがあります。
明治の民法はフランス革命=ブルジョワ革命・・教養と資産のある人のための法であるナポレオン法典がその母体でしたので、「資産のある人」が対象でした。
自分を守る能力の欠けた人や劣った人を保護する必要があるのは資産を守る必要→禁治産者(資産を治める能力のない人という意味)や準禁治産者には後見人や保佐人を選任する仕組みだったのですが、戦後は大衆社会に突入したので無資産者も法の保護が必要になってきました。
「資産がなければ怖いものなし」と思うでしょうが、戦後は住宅ローンに始まり借金(サラ金〜カードローンなど)でモノやサービスを買う時代になったので、無資力者も取引のプレーヤーになってきました。
プレーヤーとしての能力がないとして放置する・借金できない=カードも使えないのでは人権問題の意識が高まり、無資力者も保護の必要が生じたので資産家保護にシフトした「禁治産制度)が実態に合わなくなりました。
資産がない人もプライバシーその他の保護が必要になったのですが、その権利を守れないのでその役割を果たす人が必要になります。
能力不足の人の権利確保のためには禁治産者に必要とされた後見人がその担当になるのが合理的ですので後見人の役割が資産保護だけから各種能力不足者の保護に広がりました。
無産者でも身を守る能力に欠ける人には有資産者同様の保護者が必要という意識が強まり、共通の保護政策に合わせた民法改正に際し、禁治産の用語を廃止したのは当然ですが、その代わりになる用語が作られませんでした。
従来同様に後見人や保佐人が選任されるのを利用して「被後見人、被保佐人」ということにしてお茶を濁して新しい制度目的にふさわしい新用語を作れなかったのです。
学校用語で言えば「生徒」や「学生」という用語を作らずに「被教育者」と言うようなものです。
患者、病人でなく、「被治療者」、会社員でなく「被雇用者」何でも「被〇〇」で済ませるのは間違いでないというだけで、非効率です。
「お客」と言う単語を作らずに「買う人」と言っても間違っていないですが、この種の表現は内容性質の分類に使う用語であって、そのもの固有の名詞ではありません。
それぞれに固有名詞があって意思疎通がスムースになるのですが、誰それの孫とか親戚の人・「ほらいつも遅れてくる人よ!」「派手な格好している人」という表現は固有名詞を知らないときとか、婉曲表現に使うものですが共通認識のある狭い世界でしか通用しませんし誤解を招く確率が高くなります。
明治の頃に日本語にない外来語を翻訳するときにいろんな熟語が創作されましたが、今の日本ではこのような時勢に応じた新用語創作能力が衰えてしまったように見えるのは残念です。
もしかして法律家の言語素養が下がっているだけかもしれませんが・・。
法律家に限らず、言語創作能力は文化基礎の広がり度による影響が大きいのでその効果が法律家に及んでいるというべきでしょう。
社会変化の大きさでは、明治維新と敗戦後の社会変化の激しさではかなり似ていますがどういう違いがあるのでしょうか?
明治維新後数十年で見れば英文学に進んだ夏目漱石は漢文学等の古典素養の高さが有名ですが、いろんな分野に進んだ偉人の多くが民族文化素養が厚かったように見えます。
江戸文化だとつい思い込みたくなる歌舞伎の名作の多くが、明治の河竹黙阿弥の作になるのと同様です。
古典落語や日本画なども同様です。
敗戦前後あるいは現在の言語能力低下(=交渉力低下・昭和に入ってからの国際孤立化は言語力によるだけではないですが、何らかの影響があった可能性がありそうです)は、その数十年前からの文化力低下によるものではないでしょうか。