格差社会の構造(米中と日本社会の違い)1

エリートのピンポイント輸入に頼る米国と中国の違いは、異民族支配に柔軟対応するために自前の士大夫階層(一種の官僚機構構成層・中堅人材)がかなり大量存在する=層の厚さが違う感じです。
日本がGHQ支配に柔軟対応できたのと同じです。
日本が中国のように異民族支配を受けた経験がないのにをうまく受けれられたのは、京の朝廷・公卿集団が、次々と勃興して来る武家集団をうまく手なづけてきた長年の経験プラス徳川体制下における外様大名の多様な生き残り経験を活かしたものでしょう。
中央の宮廷官僚だけでなく各地方ごとに、その種人材が多様に存在してい社会であったことが重要です。
中国や朝鮮民族の場合、占領軍・専制支配体制下の生き残り策なので政治工作対象が一点に絞られる単線構造に対して、日本武士団の覇者・幕府は連合政府形態なので同輩が多い点が特徴です。
大和朝廷も諸豪族連立で成立している関係で古来から合議で決めて行くのが慣例でしたが、武家政権になると戦闘場面の延長で指揮官の号令一下のイメージですが、実態はそうでもありません。
戦闘現場での大きな戦略決定・軍議でさえも日々軍議を開いて翌朝(払暁)からの手順を決めて行く仕組みですし、まして内政になると鎌倉幕府は執権政治・・合議で決めて行くのが基本でした。
その合議は、(中流御家人以下の民意吸収能力のある)有力御家人の意向など忖度して決めていかないと政権が浮き上がるリスクがあり結果的に民意吸収能力が問われる仕組みでした。
徳川政権下でも有力諸侯の意見を無視できないというよりは、有力諸侯とは発言力のある諸侯という意味ですし、発言力があるという意味は、中小大名の意向を汲み取り代弁するのに長けた大名という意味であり、時流に関係なく正論であれば良い社会ではありません。
水戸家が尊皇攘夷論では先行していたのに、肝心の維新本番ではほとんど役割を果たせなかったのは、民心や時流の動きとか無関係な主張をしていた・現在の野党的批判論でしかなかったことによります。
水戸家から一橋慶喜を出していて水戸勤王党にとっては期待の星でしたが、彼は名門の一橋家を継いだことで政治力がなくとも知的能力が高かったかもしれませんが、地位による発言力があったという意味でしかなく、中小大名でありながら実力で発言力を持っていた大名に比べて政治力がイマイチだった印象です。
学問と違い政治の世界では、時期尚早の意見を否決されて、自分は1年前から主張していたと自慢しても意味がないのであって、必要時に主張する能力が政治には求められます。
真夏にセーターを着たいと言って馬鹿にされた人が冬になって自分が半年前に言ったことが正しかったというと笑われるのと同じです。
幕末に松平春嶽その他の小大名の活躍、あるいは山内容堂の大政奉還論は、こういう能力があったからです。
大大名は軽率に旗幟鮮明にできないので、こういう中小大名のアドバルーンを利用して形勢を読み時流に乗る体制で、これは鎌倉幕府崩壊時の足利尊氏の動きとも似ています。
明治憲法下の内閣制でも総理は首班と言われたように、同輩のトップでしかないのが特徴です。
占領軍支配に対するにしても、日本は複雑対応人材が多様に存在していたので難局をうまく切り抜けられたのです。
中国は1極支配の単純支配に対応する能力はありますが、国際社会は複雑です。
今回のコロナ禍でも、結果的に個人情報を徹底的監視体制を応用してうまく対応できたというのが自慢のようですが、それを自分で世界に自慢して触れ回ることではありません。
今朝(24日)の日経新聞朝刊6pのフィナンシャルタイムズ提携の署名入りオピニオン紙面には、「自滅した中国コロナ外交の大見出しで、米国ウイスコンシン州議会議長に対して中国政府から「中国の新型コロナ感染拡大に対する取り組みを賞賛する決議案を議会に提出してほしい」という趣旨の電子メールが届き、メールには決議文の案文が添付されていて、その内容は中国共産党がイカに素晴らしく対応したかといった論点や主張が列記されており決議にかけるには怪しすぎたので議長はイタズラだと思って、その議長は、外国政府が、州議会に直接法案の可決を求めるなど聞いたことがない」とこの記事の筆者に語ったということです。
ところがそのメールが中国総領事館からの公式電文だったと分かったという驚きの記事です。
こんな運動をして相手がどう思うか全く念頭にない・・・自分が中央政府にどれだけゴマスリできるかしか眼中にない社会です。
岡田英弘氏の論文を読んだころの印象しか記憶がないので誤解も混じっていますが、魏志倭人伝があてにならない理由として、中国のごますり競争が背後にあって、当時実力者司馬氏と曹操の子孫の政争中で、一方が西域諸国のとりまとめに成功した報告があったので、他方は対抗上東方海上の大国(邪馬台国のことです)が朝貢に来ることになったと誇大報告する必要があり、このためにあちらに千里さらに曲って何千里とものすごい誇張した路程が必要になったという解説です。
同氏は魏志倭人伝の説明通りに地図を書いていくと日本はフィリッピンあたりになるオーストラリア大陸くらいの巨大な遠方の国になってしまうようなイメージをうけて読んだ記憶です。
このように朝貢の歴史といっても権力競争している方が、大げさなお土産を持って来たと披瀝しなければならないので一種の出来レースだったようで、周辺国はちょっとした土産を持っていけばそれを招待した政争当事者が何倍にもして、皇帝の前にお披露目する仕組みだったようです。

アメリカの民度構成と格差社会2

コロナ感染に戻しますとニューヨークの場合、国際的出入の多さでは世界一で感染リスクの高さではイタリア北部以上ですが、ワスプの高齢者・富裕層の多くは高齢化するとフロリダ等気候の良いところへ移住している点がイタリアと違うでしょう。
どこの国でも高齢者施設でクラスターが発生すると、一挙に感染者数が増えるほか死亡者数も急上昇します。
ニューヨークは富裕層(がフロリダ等へ逃げているので)の高齢施設入居率が低いので人種格差が目につくようになっているのではないでしょうか。
それぞれ違った側面がありそうです。
ニューヨークの場合、今回のコロナ騒ぎで突出して感染率や死亡者が多いのは、格差社会によると言われる所以です。
https://www.cnn.co.jp/usa/35152159.html

(CNN) 新型コロナウイルスが猛威を振るう米ニューヨーク州の保健衛生当局は8日、新型肺炎の関連情報を提供するウェブサイトを更新し、犠牲者に関するデータなどを新たに盛り込んだ。
ニューヨーク市を除き州内で報告された死者の人種別の比率では、ヒスパニック系(総人口の中での割合は11%)が14%、アフリカ系(黒人、9%)が18%、白人(75%)が62%、アジア系(4%)が4%となっている。
予備段階のデータとしながらも、州内で発生した新型コロナに関する情報の90%にもとづくとしている。

中国も古代から(日本の武士層〜ホワイトカラーや正社員層が発達しないまま)「士大夫層とその他」の2極社会で1980年代の改革開放まで来ました。
2極社会を数千年単位で維持できたのは、絶え間ない異民族支配・軍事占領を原則としてきたことによります。
三皇五帝という神話上の時代から周王朝の歴史時代に入るのですが、その初代文王(姫昌)を18史略では西伯と書いているように西方の伯でした。
〇〇伯という呼称は今ではその方面の押さえ・・(主にドイツの)辺境伯という意味ですが、東方伯の名称がないのを見れば、元は文化流入口を抑える重要地域の長官・日本で言えば太宰府長官のような役割だったはずです。
周の先祖は地盤・民族ルーツが西域系だったと素人的意見ですが私は思っています。
本拠地が西域からの出口から始まるので、王朝成立時の国名を西周といい、洛陽に移ってからは東周といいます。
春秋戦国時代を経て天下統一した、秦も今の陝西省付近を根拠地とする西域系の出自のようです。
私の素人歴史観ですが、中華文明といっても古代ペルシャ文化が中央アジア・極東から見れば西域の広大な砂漠ルートを通じてようやく黄河水源域に達した高原からの下った出口・・麓というか、日本でいうと扇状地のような地に位置するところに拠点を得たグループが、中華文明発祥の地と称しているに過ぎないという意見を持っています。
要するにオリエント文明の取り入れ口が黄河上流にある拠点だったので、外来文物を(今は船で大量に運ぶのが普通になっているので舟篇がくっついていますが古代には船での舶来はなかった筈です)舶来品と日本でいう語源(これは私の語呂合わせジョークです)でしょうか?
ペルシャ〜トルコ系商人が過酷な砂漠の旅を経てようやく黄河の水源地にたどり着いて、そこを拠点にして水流に沿って商圏を広げていった・ギリシャローマ同様の地中海式の植民都市・都市国家(城塞都市)が中国社会の原型であるという意見を繰り返し書いてきました。
関東地方で言えば、信濃国から碓氷峠の先にいきなり関東平野が一望できる突端に至ったような風景です。
信州には水が豊富ですが、中央アジアは砂漠地帯ですから、黄河水源の分水嶺を越えて東方に広がる水の豊富な地域を目にしたオリエントから来た商人の喜びは、(アメリカ新大陸発見のようなものでしょうか?)想像するに余りあります。
日本では日出処・東海(日の出はありがたいですが、日没を有り難る人は例外)が憧れの対象ですが、中華経由の仏教史思想で西方浄土という意味不明のものを有り難がる信仰もこれに由来します。
水源地・瀧をイメージする龍が皇帝専用の文様になっている伝統もこれに由来するでしょう。
龍に関するウイキペデイアの解説です。

中国のは神獣・霊獣であり、『史記』における劉邦出生伝説をはじめとして、中国では皇帝シンボルとして扱われた。

西域系支配に戻しますと、その後の漢楚の攻防で初めて現地民族系国家が成立しますが、その後魏呉蜀の三国〜魏晋南北朝〜隋を経て成立した唐もどちらかと言えば・西域系の王朝でした。
五代10国を経て成立した宋が民族系でその頃から西域系というより北方系(モンゴル・清)が侵略の主役になってきます。
モンゴルの後の明朝が民族系で次に北方系の清朝になり清朝崩壊後の現在・・中華民国〜中華人民共和国へと異民族支配が交互に行われてきた歴史です。
異民族に占領された直後には、絶大な軍事権力構造に反抗する余地がない(・・これが専制君主制の本質)ので、漢民族を主体とする現地住民はこれを表面上受け入れながら文化力の優越に頼り時間をかけて懐柔する戦略でやってきました。
漢民族というか現地複合被支配層は「上に政策あれば下に対策あり」という面従腹背精神(中国特有の汚職体質も異民族支配に対する生活の知恵に由来するでしょう)で占領軍を共同体に取り込んできた結果、・・いかに強固な軍事国家でも数百年で軟弱化してしまい最後は大動乱がおきて追い出される繰り返しでした。
これを恐れた清朝は身を律すること厳しく最後まで風紀の乱れを起こしませんでしたが、外敵(英仏列強)に圧される弱体ぶりを晒したので、被支配層(いわゆる軍閥)がこのチャンスを狙って各地で蜂起した図式でした。
数百年ごとに起きる動乱を利用してその都度民族国家が樹立されますが、現地政権は原則として柔弱政権なので一定期間で周辺軍事国家に征服占領されることの繰り返し、交互関係でやってきた社会です。
この辺は後から来た支配層がその都度上位カーストになって来たインド社会と似ていますが、インドでは占領政府の内部崩壊による民族政府樹立したことがなく(戦後独立が唯一の例外?)いつも外敵に占領されてきた・最後に来た支配民族が頂点になる重層的支配構造になっている点が違うようです。

アメリカの民度構成と格差社会1

アメリカといってもひとまとめに馬鹿にしてはいけない・優秀な人は物凄く優秀で人格者も多くいる社会です。
象徴的な結果である肥満で言えば、皆が皆超肥満になっているのではなく富裕層・あるいはその出身階層ではスリムですし、オバマ大統領夫妻やトランプ氏の妻や娘や婿はスリムです。
米国は早くから生活水準が高くなっていたので高齢化率が高い筈ですが、どんどん貧困層が下流に入ってくるので、全体として膨大な貧困層が平均寿命(民度)を下げる仕組みになっているのでしょう。
低賃金労働力受け入れ政策は、賃金アップを抑える効果があるだけで国際競争力維持には関係がなく、最低賃金層の人口比率を増やし、格差社会化・国内分断をもたらします。
もともと砂粒の集合体に過ぎない合衆国で、次々と移民を受け入れたので余計分断が進んだと思われます。
仏独の高齢化率がイタリアより低いのは、移民大量受け入れ政策を採用したか否かに関係があります。

ドイツで増大する移民と経済への影響


・・・その多くは年齢が若く、低賃金で仕事を請け負うため、飲食業や宿泊業等のサービス業、建設業などの労働集約型産業では移民に頼らざるを得ない状況にある。・・・
ドイツは欧州一の移民大国
ドイツの人口は長らく死亡数が出生数を上回る自然減にあるが、移民の流入に伴う社会増が自然減を上回り人口減少を食い止めている(図表1)。ドイツ連邦統計局の人口統計(2016)によると、現在、ドイツに居住する外国人は約896万人で全人口8,243万人の約11%を占め、ドイツの外国人比率は他の欧州主要国と比較して最も高い。
・・・、ドイツで生まれ育った2世、3世が増え続けた。現在、こうした移民の背景を持つドイツ人を合わせると全人口の約23%に達している(図表2)。

図表2 ドイツの全人口に占める外国人の割合(2016) (出所:ドイツ連邦統計局より住友商事グローバルリサーチ作成)

上記のように2世以上になると23%も占めています。
ドイツに次いで英仏も(旧植民地からの)移民急増社会です。
イタリア経済が戦後ぱっとしなかったのは、手作りにこだわる国民性があって、(高級チーズや高級車など手作りにこだわる国民性です)大量生産社会化に乗り遅れたというか、独自文化にこだわるせいですが、(私も大量生産での勝負は、国際平準化を免れないので文化で差をつけるべきという持論です)その代わり低賃金労働者の移民受け入れ率が低いから平均年齢が上がるからではないでしょうか?
ただし、今回のコロナ被害が北部イタリアで大規模化したのは、北部は産業の発達した地域・かつ世界有数の観光国で国際的な人の出入りの多い地域という点でニューヨークと似たウイルス感染環境にある一方で、高齢者施設が発達している地域なので施設でコロナウイルス感染が起きると爆発的拡大により、多くの高齢者が犠牲になっている現代的側面があり、施設でのクラスター化を防ぐ必要性は日本でも参考にすべき点です。
観光・サービス業の発達した社会では、対面作業の多さ・・弁当をドアの外に置いていけば良いのではなく、にっこりしながら手渡してくれるほんのチョッとした心遣いが大切な国民性・・が距離を置くコロナ対策に不向きな点がありそうです。
この辺は日本にとっても気になる共通弱点です。
ドイツが比較的コロナ被害(感染者数比の死亡)が少ないと言われるのは、人口構成や産業構造・気質の違いもありそうです。
外出自粛で出勤しなくとも、自宅付近散歩中に知り合いに会えば喜んで話かけたい日本人が多いでしょう。
今朝も日々の習慣で自宅前の道路を履いていると、近隣に住む裁判所勤務の人が通りかかり、今は隔日地勤務で今日は自宅勤務の日なので8時なん分までに自宅に戻らないといけないという話を聞きましたが、このように出会えばアリンコ同士のようにしょっちゅう近づいて挨拶の必要な社会です。
無愛想な人の多い社会は、感染しにくいことになります。
何が幸いするか?一寸先側がわからないのが現実社会です。
4月21日には原油相場がマイナスに転落する瞬間があったようです。
https://www.sankei.com/world/news/200421/wor2004210021-n1.html

原油価格マイナス転落…相場低迷に打つ手なし 供給過剰長期化も
2020.4.21 14:06
貯蔵スペース、近く満杯
20日にWTIの5月渡し価格がマイナスとなったのは、余剰原油をためる貯蔵スペースが乏しくなり、市場で5月に受け渡されるWTI原油の買い手が事実上いなくなったためだ。

一定期間分の倉庫料分だけマイナスにしても早く手放したいのでマイナスで売りに出す理屈らしいです。
石炭と違って野積みにできないし、石炭の場合採掘作業中止すればすみますが、石油は自噴形式ですので採掘を止める訳にも行かないでしょう。
現地に垂れ流しにもできないし、えらい時代が来たものです。

社会に応じた言語力3

明治維新後数十年で見ると英文学に進んだ夏目漱石は漢文学等の古典素養の高さが有名ですが、いろんな分野に進んだ偉人の多くが民族文化素養が厚かったように見えます。
明治維新以降では英語力の強化あるいは文系より科学教育の必要性が叫ばれるようになったことと関係があるのでしょうか?
最近で言えばみんなが言語素養を磨き切る前(大学入試でも国語力の配点・比重が下がる一方でしょう)に専門分化が進みますので、医学や理系は理系素養中心、文系でも法律や経済学等々早くから分化していくので言語文化素養を磨く時間が少なくなっていることによるのでしょうか?
小学生に英語教育するとかIT教育するなど言語素養にかける時間比率が近年急激に減少してきたように思われます。
中国が歴代科挙(試験科目は四書五経中心)制度に偏りすぎて近代化に遅れを取ったと言われていますが、物事は程度問題(バランス)です。
社会組織が高度化していくとこれに比例して言語表現能力もアップしていくべきでしょう。
中国や朝鮮族で古代意識のままの科挙制度が維持できたのは、社会レベル(需要)に関係ないトップ階層限定の教養でしかなかったことから民族文化と関係がなかった上に、社会の自律的発展がなく社会のあり方が古代から変わらなかったので不都合がなかったからのように見えます。
日本では万葉の昔から、防人に出る末端兵士まで歌を詠み、武士の台頭によって実務重視社会に変化していくと、実務社会に必要な文化教養を備える・薩摩守忠度や西行法師に始まり、秀吉でさえ茶会を催し、辞世の句を詠んでいます。
光秀謀反決起の朝・出陣前に連歌の会を開いていたのも知られています。
江戸時代に入ると文化の担い手と消費者が市民に移行していくので(庶民相手の落語や川柳、役者絵、笠森お千などの美人画・プロマイドや旅行案内・広重の東海道の名所図など)の発達が浮世普及の原点でした)文化活動は社会水準そのものを写すものでした。
文化活動が社会変化について行けていないときには、外来文化が未消化で入っている状態というべきでしょう。
具体的な例でなく架空の例ですが、外資誘致でアフリカのどこかの首都近くに、周辺ホテル群を備えた超近代的空港設備一式を建設して首都まで高速道路で結び、その途中に最新式の工業団地を作ったとしても、その国の文化度がいきなりその設備に見合った内容レベルになるわけではありません。
最新工業設備や先進国の商品等が表通りに並び国民皆の消費対象になり、自分たちで作れるようになってもすぐにそのレベルの文化になるわけでないことは、ミヤコ見物に出かけて仮に1〜2週間滞在してみやこブリを堪能しても、あるいは1〜2年住むだけでみやこの物腰態度や価値観が身につく訳でないのと同じです。
日本の文化発展の歴史を見ると基礎蓄積の上に外来文化接触による刺激で花開いてきたように見えます。
仏教伝来や大唐の文化受容〜禅文化〜西洋の大航海時代・・鉄砲伝来と国産化成功
鍛冶屋のレベルアップの基礎の上に鉄砲伝来があったのですぐに国産化できたのはその一例ですし、明治の文明開花も西洋文明を受け入れさえすればすぐに産業革命の成果を国産化できる各分野の技術力アップがありました。
西洋の到来に刺激を受けた日本では安土桃山の絢爛豪華な文化が花開き、その反作用としての侘び寂びの文化も成長しました。
基礎文化の厚みがないと外来文化に飲み込まれるか混乱するだけで、民族独自文化発酵にまで行かないで混乱するばかりでしょう。
西洋の大航海時代や産業革命の影響も明〜清両朝や朝鮮の方が日本より先に影響を受けた筈なのに、両王朝でこれによって新たな文化レベルで目立った変化がないまま幕末を迎えました。
幕末においても清朝は日本に西洋の余波が及ぶ何十年前からアヘン戦争〜太平天国の乱に至るほどの激烈な影響を受けながらも、内部混乱するばかりでまともな文化変化〜政体変化もできずにいたのは、新文化価値を受け入れるべき基礎能力がなかった・古代社会文化レベルそのままで来たから混乱するしかなかったと見るべきでしょう。
以前からこのコラムで中国では古代から王朝が代わっても前王朝の繰り替えしで進歩がなかったのはこれを支える社会変化がなかったからであると書いて来ましたが、清朝崩壊も古代歴代王朝崩壊時と同様に社会の変化に合わせるための王朝打倒ではなく従来型軍閥による政権争奪戦でした。
その過程で流行の共産主義を唱えた現政権(私見ではこれも清朝末期の軍閥と本質があまり変わらない)が、山賊的に支配権を確立しただけとみる主張を読んだ記憶です。
政治の目的が古代王朝並みに人民からの収奪しか考えていない場合、専制君主制の王朝再樹立では時代に合わない点を独裁政権と言い換えて、その口実に共産主義を標榜しているだけで本来共産主義(分配目的・・裸官で知られるように共産党幹部の蓄財は半端でない状態です)の精神とは関係ない政権という説明です。
民族意識が古代社会のままで開放路線の結果先端産業を社会レベルと関係なく導入するとこれを文化的に消化できない状態になります。
中国の大規模近代化は、アフリカに飛行場と最新設備を作ったような点として作ったものを大規模にしただけですので、衛生観念も最貧困国並みでおかしくない・摩天楼のようなビルをニョキニョキ立てるだけで足元が不潔な状態・・中国人が日本にくるようになった最初のイメージは「汚い」と嫌われるのが、代表的イメージでした。
最近日本へ来る前に教育を受けてくるようで道路に痰を吐くようなことは目立たなくなりましたが、基本的衛生観念レベルの低さが、今回の新型肺炎の爆発的蔓延の基礎事情のようです。
フィリッピンや太平洋島嶼国などが、一様に厳しい包括的入国制限に走ったのは、自国に少しでも菌が入った場合、防疫能力の低さから見て仕方ないというのが国際的理解でした。
先進国では2次3次感染の広がりを阻止できそう・そういう意味では、WHOが(衛生レベルの低い中国特有の広がりにすぎず)世界的な問題性が低いと判断していたとすれば意外に正しいのかもしれません。

社会に応じた言語力2

2月7日の公務員と労働法の続きですが、労使であれ夫婦(離婚騒動)であれ親子(意見相違)であれ兄弟(相続争い)であれ、上司と部下(パワハラ)であれ全て内部関係は対立をはらんでいます。
なぜ公務員に労働法規が不要か?別立てにする必要があるかの実質的説明が欲しいものです。
国民は全て同胞といっても、国民同士でも敵味方があり相争うことが多いから国民同士の争いを裁くシステムが発達してきたし、ルールが整備されてきたのです。
消費者を王様と持ち上げていても代金不払いや万引きがあれば、敵対関係になります。

憲法
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
○2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

公務員と国民一般は原則として対立する機能を持っていませんし、逆に全体の奉仕者です。
ただし王様であるはずの顧客でもクレーマーや万引きに対しては、販売員が厳正対処する必要があるように国民全体に対するルール違反者=犯罪に対して公僕が国民を代表してルール違反者を検挙するなどの利害対立が生じますが、この場合はあくまで例外関係です。
その時には一般国民同様の法の適用を受けます。
国民と公務員は、公職についたり退職によって時に入れ変わることを前提にしているので、原則として入れ替わることを予定していない身分ではありません。
しかし、人民と政府とは、相容れない恒常的対立関係概念を予定しています。
人民概念は人民と政府権力・支配層が原則的に対立関係にあることを前提にしていますので試験や選挙等で被支配者が支配者と入れ替わることを予定していない対立概念です。
明治憲法制定者の真意は、権力の手足である官だけでなくもっと遠い関係にある民を含めて臣民一丸となって迫り来る欧米諸国に対抗すべきという含意だったのでしょうか?
臣民とは臣と民があるという意味ではなく、臣民一体化の強調の趣旨だったとすれば合目的的ですし実際に成功していたように見えます。
今でも大災害がある都度同胞意識・絆意識の再生産が行われますし、明治憲法の前文にもこの趣旨がにじみ出ています。
明治憲法前文
朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ・・・・。
「朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ」といわゆる大御心を「朕カ親愛スル」と表現し「祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民」と先祖代々大事にしてきたよ!という書き出しです。
平成天皇の被災地訪問の繰り返しは、まさに恵撫の実践でした。
国民全てが天皇の恵撫に感動して臣民一丸になれば、臣民以外の刃向かうべき人民はいないはず→明治憲法の臣民論は人民論を根こそぎ抹殺する含意だったことになるのでしょうか?
人民と官とは同じ国民であっても特定の機能側面に限定した概念です。
ある人が生産活動や販売に従事する場面では生産等の供給側ですが、自己の生産品や販売活動以外のその他大多数商品やサービスに対しては消費者であるように消費者概念はその時々における側面の分類です。
例えば反乱軍や反政府デモ隊員もこれの警備出動した政府軍兵士や警備中の機動隊員も、国民か否かのレベルでは双方とも国民です。
特に一般デモ行動は、政権支持者のデモもあるし、いろんな目的(同性愛の婚姻合法化、LGPTなど)のデモ行進があります。
警官が非番の日に何かのデモに参加すること自体は自由なはずですが、特定政党支持を明らかにするのは全体の奉仕者としての信用に関わるので(事実上かな)ダメとされているようです。
特定政党支持ではなく、保育所をもっと増やしましょうとか、わが町に美術館を!というようなデモに参加してはいけないとは思えませんが・・。
支配されていた国民が抵抗権行使する場合だけを人民と言うとすれば、日常的に国民性を否定するものではなさそうです。
国民か外国人かの定義のレベルではなく次の小分類・国民内のサラリーマンか経営者か、大企業従業員か中小企業従業員か、ある人がある時は消費者であり、ある時は供給者側の人間であるなど、その時々の行動によって立場の変わるレベルの分類でしょう。
人によっては俺は生まれ付きの人民だという人もいるでしょうが、それは国民主権国家においては主観的思い込みであって、ありえない論法です。
中国や北朝鮮のように、国民の声など問題にしないと公言する一党独裁体制の場合独裁機関幹部以外は皆人民でしょうが、民意による政治を行い民意の支持を失えば権力を失う仕組みになっている社会では、民主的に出来上がった法を実力で無力化する行動を正当化する余地がありません。
民主国家における実力行使正当化論は時代遅れであり、アウトローの集まりでしかないというべきでしょう。
専制支配国家→正義に基づかない規制や処罰=恣意的処罰・権力行使が許される社会では、正義の裏付けのない強制となりますのでこれに抵抗するのが正義の実現行為である場合もあるでしょうが、民主主義のルールに従って制定された法秩序を自分や一定の党派が気に入らないからといって抵抗権があると主張してこれを実力行使で否定するのを許すならば、民主主義社会が成り立たない・裸の実力闘争社会になります。
実力闘争に勝ち抜けば支配者になり人民ではなくなるのですから、中国や北朝鮮政府が人民民主主義国と名乗り人民解放軍、人民日報、人民銀行・人民元などというのは言語矛盾です。
内乱・反乱軍が政府転覆に成功して政権樹立後も反乱軍とか反乱政府と自称しているようなものです。

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