恐怖政治2(讒言社会)

中国の場合、今でもサイバーテロと言うかアメリカからの高度科学情報窃取が国策みたいになっていますし、(アメリカは機密防衛に必死ですがうまく行ってないようです・・)上が上ですから下の民間も先進国の民間技術の剽窃行為をやって何が悪い?と言う意識です。
恐怖政治下では処罰は苛烈ですから、必賞必罰と言えば聞こえが良いですが、発明発見と言うものは、あたるのが万に1つみたいなもので、大方は失敗ですから、自分でやって失敗すれば過酷な責任をとらされるのではリスクが大き過ぎます・・こうして人の手柄を横取りする・・リスクの少ない方向に社会が走ります。
こう言う社会では、人のアイデアを盗んで自分の手柄にすれば良い・・出世出来るのですから、独自技術の発達は無理でしょう。
民間で言えば、自分で研究して百回失敗するよりも、他人が何回も失敗した挙げ句に成功した成果を盗んだ方が手っ取り早いと言う価値観です。
これは確かに効率が良いのですが、この種の価値観が蔓延している社会となれば、自分で米を作ったり魚を捕って来るよりも人の作った米やとってきた魚を盗んだ方が効率が良いとなる理屈ですから、社会秩序が保てません。
知財剽窃の酷さでこの基礎的道徳レベルが偶然世界に知られるようになりましたが、社会の本質はもともとそう言うところです。
専制君主制下では、同僚間の足の引っ張りあいが政治の主な仕事ですから、讒言相手をおとしめる技術・手練手管は発達します・・。
中韓両国は世界中で日本の足を引っ張るのに精出している・・この手の手練手管にかけては経験豊富なので日本に負ける訳がないと中韓両国が豪語しているのは、2000年にわたる権謀術数・・足の引っ張りあいの歴史経験を自己宣伝していることになります。
日本的価値観から言えば、こんな恥ずかしい自己宣伝をしないものですが、・・恥ずかしいことを自慢していることすら分っていないほど、変な価値観にどっぷり浸かっていることになります。
アメリカ政府高官(次官)が、日韓が「過ぎた過去にこだわってばかりいて喧嘩しているのは困ったものだ」と4〜5日前に発言したことに対して韓国は気が狂ったみたいに大騒ぎしています。
これに反応した暴漢が駐韓アメリカ大使に斬りつけて大けがを負わせる事件が昨日ありました。
韓国は戦後はアメリカ支配(・・中韓流解釈によれば新たな専制君主)を前提に、皇帝に讒言するやり方そのままに「日本がアメリカの戦後支配に反抗している・謀反を企んでいる」と言う讒言外交・・告げ口・宣伝に邁進して来たのです。
ところがその後の世界情勢の変化で、アメリカ(専制君主)自身の方針が変わって来て日本批判をこれ以上して欲しくなくなって来た・・日本批判が却ってアメリカの不興を買ってしまったのを知って慌て始めたことになります。
私のコラムでは、中韓の反日運動は全てアメリカが背後でこれを期待して後押ししていることに根源があると繰り返して書いているとおりの結果です。
噓だらけの宣伝は、いくら派手にやっても時間の経過でバレます。
料理がまずいのに、如何においしいかをサクラやネットを使って宣伝しても、実際に食べに来た人には噓がバレるのと同じです。
その内頼まれて噓を言っていた人もバツが悪いので、噓を言えなくなって行きます。
今では、東南アジアその他世界中で日本人の誠実さが身近に浸透していますので、中韓やアメリカは日本の悪口を言うことすら、出来ない・・相手にいやがられてしまう状態になりつつあります。
日本は中共政権に負けた訳でもないし、韓国と戦ったこともないのに、アメリカの決めた戦犯に拘って靖国参拝を大々的に批判し、中国がアメリカの対日戦勝70年を大々的に祝うパレードをするのを日本人は不思議に思っています。
韓国や中国が日本に勝ったかのように宣伝するのは、全て日本に勝った新たな専制君主国アメリカへのお追従外交としてみれば納得が行きます。
古代から自分が参戦しなくとも、戦勝国へ近隣の小国がお祝いに集まるのと同じ図式と思えば良いのです。
それにしても戦後70年も、お祝いを言い続けるだけでは物足りなくて、アメリカに気に入られるように日本をけなし続ける韓国・・日本敗戦当時今の政権すら出来ていなかった中国が、対日戦勝70年記念大パレードを続ける神経に驚く人が多いでしょう。
お追従・告げ口外交がいつまでも効果あると思い続けているのが不思議ですが・・2000年間も停滞社会しか知らないので、戦後七十年も経過して社会が変化して行くことを身体の芯で理解出来ないからでしょうか?
「バカ」の語源を何回も紹介していますが、権力さえあれば馬を鹿と言っても誰も反対出来ない・・こう言う社会で2000年もやって来れば真実や正義などどうでも良い、・・強い者に尻尾を振り続けることが行動基準になります。
中国では毎回同じような王朝が生まれては倒れるの繰り返しで、我が国のように順序だった社会構造の変化がなかったのは1強に屈従した上で相手を蹴落とす術数だけに智恵を使って来た歴史によります。 
現理主義の行き着くところは、北朝鮮や中国支配のやり方が世界に広がると言うことです。

原理主義の本籍(社会不満)3

一神教を前提にする欧米マスコミに毒されている・・受け売り体質の日本マスコミは、ずっと前から、頻りにスンニ派とシーア派の対立を前提に図式化して解説しています。
これに洗脳されて私もそう思ってきましたが、今回テーマに取り上げた機会に考えてみると宗教的な不満をかりに主張しているとしても言ってるだけではないかと思うようになりました。
これまでのイラン・イラク戦争や今回のイスラム国にしても、石油利権等に絡む紛争が中心であって、部族や居住区域や国境線で言えばどちらか問と言えば宗派の違いがあったでしょうが、モロに宗派の価値観対立に基づく戦争ではありませんでした。
アフガン内で長期化している権力闘争・・ゲリラ勢力間の主導権争いを宗派の対立に図式化しても意味がない筈です。
信玄と謙信の繰り返された合戦を、それぞれが信仰して来た宗派戦争と図式化するのが間違いであるのは誰も分るでしょう。
上杉謙信や武田信玄は領民の支持を引きつけるために毘沙門を信じたりして、宗教心を利用して来ただけです。
信長だって、乾坤一擲の桶狭間の決戦に向かうに際して、部下の勇気を鼓舞するために熱田神宮で祈願するそ振り?をしています。
1昨日、叡山と園城寺の山門と寺門の長期紛争を書きましたが、これは世俗の利権争いでしかなかったのと同様で、イスラム教国や部族同士の紛争を何でも、欧米式宗教戦争の経験に結びつけるのは誤りです。
欧米の宗教戦争は宗派の争いに領国支配権争いが加わったものですが、アラブの紛争は利権争いに団結するために宗派の違いを利用しているだけでしょう。
今回のイスラム国は、国や部族単位の争いでなく、イラク国内とシリアにまたがって領域支配を始めたので、如何にも宗派の違いのように見えますが、西欧による侵蝕に対する危機感を持った人が徒党を組む名分として宗教を利用しているだけのように見えます。
中国歴史で見ても社会に対する不満分子が中国清朝末期に太平天国の乱を起こしたりしていますが、彼らはキリスト教徒が不満を持つようになったのではなくキリスト教が当時の世相に対する不満分子の凝集剤になったに過ぎないと見るべきでしょう。
白蓮教の場合、白蓮教徒として元を追い出した明の朱元璋は政権奪取に成功すると危険思想として白蓮教を禁圧しています。
戦後、西洋の歴史図式を無理に日本の経験に結びつける歴史教育がはやっていたことをこのコラムのあちこちで批判してきましたが、アラブ諸国のテロその他で西欧的(進んだ)価値観に反抗する傾向を、極右とか、原理主義と表現して如何にも遅れた宗教意識によるかのような図式化は問題です。
仮にイスラム教内で宗派間戦争をしたがっていると言う西欧の理解が正しいならば、1度はイスラム教同士の宗派戦争をやりたいだけやり抜いて痛い目にあわないと分らないのではないでしょうか?
(もしも本当に宗派間闘争の原理主義闘争ならば、余計な介入しないで、やれるところまで(お互い疲れるまで)ヤラした方が結局は近道です。
最近原理主義運動やテロ活動が激しくなる原因に戻ります。
昨日から書いているように本当は宗教戦争ではなく正しいことかも知れませんが、価値観の押しつけが過ぎていることに対する単純な反発・あるいは世俗的不満の蓄積・・鬱憤晴らし行為に対して、どうやって大義名分・自己表現して良いか分らないことから、宗教の名を借りて騒いでいるように見えます。
テロ組織・「イスラム国」に参加しようとする日本人や欧米人が続出していますが、(4〜5日前に韓国人がイスラム国兵士になったと言う韓国政府発表があったようです)彼らは、元々のイスラム教徒ではありません。
要は強力な宗教意識による不満ではなく、その前にあちこちの社会に不満が内向している人がいて、不満を吸収する・・あるいは暴発するべき強力な磁場を求めてイスラム教徒に改宗して参加して行く状況になっていると言うべきでしょう。
(仮にイスラムの教義を守れと標榜していても宗教不満から始まっているのではなく、順序が逆です)

原理主義の本籍(1神教)2

西洋では長い宗教戦争の時代を経て漸く理性の力で信教の自由を相互に認めあって、殺し合いをやめることにしましたが、これは理性の力によるものであって、1つの価値観だけが正しいと言う基礎精神・心情はそう簡単に変わりません。
日本では権利だの革命だのと言う前の古代からお互いいろんな考え方があると言う意識でやって来た・・心底相手の違う考えを認める社会です。
私の場合、好き勝手な意見をこのコラムで書いている代わりに、読者が賛成してくれても、賛成してくれなくとも、私は気にしません・・好きなように読んでくれたら良いし、勿論読まなくとも良いのです。
2月17日に午前中の東京高裁事件を終えて、日比谷松本楼で妻と食事してから日生劇場で同性愛カップルをテーマにした(80年代にブロードウエー初演大ヒットしたとのことですが)・・のミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」を見てきましたが、「何で関係ない他人が他人の同性愛に反対するのか、アメリカ社会は窮屈な社会だなあ」と思いながら見てきました。
勿論ミュージカル自体は男性中心スタッフで、ダンスには「切れ」があって、楽しかったですよ!
「アメリカの思想は窮屈」と言えば、アメリカが自分が良いと思っている民主主義とか人権など、一定の価値観が良いとなればこれを世界に押し付けたがる点も、余計なお世話ではないでしょうか?
欧米では宗教戦争を漸くやめて〜市民革命を経て違った価値観を認めることにしたとは言え、考え方の基礎に一神教の価値観が残っているから今度は「民主的でないと行けない」と世界中に強制しようとしています。
他方、ソ連は共産主義が良いとなればこれを世界に広めようとしてコミンテルンを結成して布教?に努めた結果、いわゆる米ソ冷戦が起きました。
要は一神教の原理から逃れられず、どちらの生き方が良いかの決着を付けるためには戦争まであり得る前提でしたから、一種の第二次宗教戦争の意識で双方で頑張って来たことになります。
アラブ諸国では、1神教のままで、西洋のように宗派の違いによる宗教戦争の時代すらまだ経験していません。
ところで、イスラムの教えはダウ船の発達による商業活動の広がりにあわせて広がって行ったことを以前書いたことがありますが、(アラブの本拠地に比べてインドや湿潤な東南アジア諸国とは、気候風土が全く違いますので、硬直した教えでは広がらなかったと思われます)キリスト教のように異教徒に対してさえ排他性が少なく、寛容な宗教なので、ましてや宗派間のちょっとした違い程度で殺しあいの紛争が起きなかったのではないかと思われます。
この辺は日本人が宗派の論争にあまり価値を置かない・・一見無宗教のように見えるのと根が同じ・・通じ合えるのではないでしょうか?
日本人の場合、「郷に入りては郷に従え」と言うように「所変われば品変わる」と思うのが普通で、他所の国に行けば「へえーそんなこともあるの!」と違いに驚いて面白がるくらいが関の山で、気候風土の違う行った先で日本の価値観を押し付けたいと思う人はあまりいないのではないでしょうか?
日本列島は南北東西に長いので、行く場所ごとに気候が違えば同じ作も持つで作る時期順序も違うし、違った産業(山村から海岸に出れば漁業があるなど)作物があるので場所が違えば生き方が違うことが古代から自然に身に付いています。
行った先の気候にあった生活をするしかないのは当たり前のことで、現地社会に溶け込むように努力している・・目立たないことが生きる智恵ですから、移民先で日本人街を作りません。
このように考えるとイスラム教徒は意外に日本的価値観に近いかも知れません。
今原理主義が勢いを持って来たのは、あまりもキリスト教的価値観による侵蝕・押し付けに危機感を持った若者が出て来たことによるのでしょう。
日本であまりにも韓国・中国による激しい日本に対する攻撃に対して、一部日本人に嫌韓・嫌中感情が芽生えて来たのと同じ構図です。
これをマスコミは日本や先進国では極右とか極左と言い、アラブでは原理主義とレッテル貼りしているだけのように見えます。
アラブ諸国の騒乱をイスラム原理主義勢力によるとマスコミが定義付けしていますので、皆さんもそのように理解していると思いますが(私もこのテーマで書き始めるではマスコミの言うとおりに誤解していました)が、まだ内部宗派間対立による激しい戦争まではやっていません。
原理主義だとか極右・極左と相手を貶めるレッテル張りだけでは、モノゴトの本質が見えないことが分ってきました。

原理主義と利害調整5(未成熟社会2)

現政権打倒を叫ぶ原理主義勢力は、現政権に反対している点で一見民主主義勢力のように見えますが、目的とするところは逆です。
軍事政権が欧米価値観と妥協して少しずつ戒律を緩めて自由化していることを批判しているのですから、彼らが政権を取れば、正面から原理だけ・・即ち一党・1神教独裁(イスラム諸宗派内でも、より純粋?硬直的教義実行を主張しているのですから、一応西欧的信仰の自由などを認める妥協的軍事政権や王制よりも、もっと偏狭な政権となります。
「文句を一切言わせない・原理の修正を一切しない結果→強権政治を!」と言うのが、原理主義運動の本質でしょう。
イランのパーレビ国王の専制体制を転覆したのはアメリカのカーター大統領の人権外交の成果?でしたが、実際に政権を取った原理主義者は、政教一致の原理主義で厳格な戒律が復活して(女性は外に出られない・スカーフの着用強制など)却って国民は不自由になってしまいました。
原理主義のママでは現実政治を(紅衛兵運動みたいな吊るし上げ・・恐怖政治は長続きしません)長期的にやって行けないので、その後徐々に穏健派が勢力を増やしていますが、もとの王制で得ていた程度の自由を復活するには数十年〜50年単位の時間軸で、かかるかな?と言う程度です。
それでも欧米の強制・押しつけられた結果より、自分たちの実力で選んだ政体の方が幸せと言う価値観で国民の不満を慰めているのでしょう。
民族は、自分たちの能力に応じた政治しか出来ないと言うところに落ち着くしかないようです。
イラクのフセイン大統領の圧政から解放した筈のイラクでは、収拾がつかなくなっているし、アフガンでも同様です。
数年前のチュニュジア、リビアに続くエジプトの政変では、民主化?された結果、信教の自由をある程度守っていた政権の重しが取れたことから、キリスト教徒に対する差別や迫害が始まっていたようです。
4〜5日前に起きたリビアでの、テロリスト「イスラム国分派?」によるエジプト人のキリスト教徒大量処刑事件は、エジプト騒乱・・民主化デモ以来の迫害から逃れるためにキリスト教徒が隣国リビヤへ出稼ぎに出ていたことが、事件発生の背景のようです。
事件は単なる政治闘争である「イスラム国」の過激事件と言うよりは、元々宗教原理主義=異教徒に容赦ない本質があぶり出されたことになります。
世俗政権であるエジプト軍事政権は、欧米の支持が欲しい以上はこれに報復攻撃するしかないのですぐに空爆で報復したのはこのような背景があるようです。
関係のない日本人人質処刑などで「イスラム国」が敵をドンドン増やして行くのは、一見愚策のように見えますが、元々彼らは多数の支持を得ること・・正義を目的としてはいません。
テロリストはテロで騒ぎを起こすのが目的・・一種の愉快犯であって、恒久的政権・・国民支持が必要な領域確保まで望んでいないのですが、たまたまイラクの元フセイン政権の残党(元軍人)がこの主力となっていることからか、「イスラム国」として一定の支配地域を確保したことで事態対応がややこしくなっているだけです。
テロリストの本音から言えば、支配地確保・・自分でいろんな意見を吸収しながら政治することに関心がなく、テロリストはテロすることが自己目的です。
テロリストがての結果一定の地域を支配してしまうと、その地域でテロする訳に行きません・・精々イキオイに乗って残虐性政治しかないのですが、それでは続かないし支配下の弱い人間をいたぶるだけでは面白くないでしょう・・。
昔から山賊は気まぐれに出没している程度だからやって行けるのであって、その集落や地域支配者になってしまうと必要な政治能力がありません。
彼らの本質は支配地を持たずに、第三者の支配地で騒ぎが大きくすればなるほど・・権威に挑戦することが楽しいのであって、対キリスト教の宗教戦争に広げて行けば、当面アラブ全域で自分たちの影響力・騒ぎを広げて行けると読んでいるからでしょう。
この辺・・テロ組織イスラム国主力の元フセイン軍残党の方は領域支配に関心がありますから、騒ぎを世界に広げて行くと折角の支配地域維持確保が出来なくなるので、拡大策への不満が生じて来て・・意見が割れて行くと思われます。

原理主義と利害調整4(未成熟社会1)

大統領制といってもドイツやインドのように首相が全権を握っているお飾り的な大統領制から、ある程度議会が機能しているアメリカ、韓国、フィリッピンやインドネシア方式から、独裁制に近いロシアの大統領制まで多段階です。
お飾り的な大統領を除けば、議院内閣制の国に比べて大統領の権限が強力・・原則として行政執行に議会の同意が要らない点が共通→その分複雑な調整過程が不要・・しかも任期の長い点(韓国では1期5年です)が共通です。
軍事独裁政権・または旧ソ連や中国の共産党政権は、大統領制に移行するまでの過渡的社会形態ですから、社会の発展段階・・能力に応じて利害調整努力している点では、軍事政権・独裁政権と言ってもいろいろなニュアンスがあります。
調整能力のない民族が社会状況を無視して、民主主義を導入して、民意をまともに聞いていると国民は勝手な主張ばかりで妥協を知らない以上は、混乱し、内部紛争が激しくなるばかりです。
これが独立後のアフリカ諸国で発生した内戦・・部族紛争多発の原因でしょう。
未成熟社会では、アメリカや韓国のあるいはロシアのような大統領制にして任期中民意を直接問題にしない強権発動形式(国情によってニュアンスの段階がありますが・・・)にするか、そこまで行かない社会では専制的な軍事独裁体制(選任が民意によらないだけで日常業務が直接民意に縛られない点では大統領制と運営方法は同じです)が似合いです。
これが新興国で言われる開発独裁が賞讃される所以ですが、調整能力のない民度の社会では、民意を一々聞いていたら何事も進まない点では、開発に限りません。
開発独裁がうまく行くのは、タマタマキャッチアップは簡単で成功率が高く、開発→急成長があるので民意無視の強権政策のマイナス点・不満が陰に隠れているだけあって、成長が止まると矛盾が吹き出して(民意無視で我慢させられていた不満が吹き出して来て)独裁政が行き詰まります。
日本で言えば成長さえすれば、財政赤字や自殺問題が解決しそうになるのと同じで、成長が全ての解決策の底上げ材ですし、逆から言えばマイナス成長は全て不満・矛盾拡大の根源になります。
この危機感に揺れているのが、中国の成長鈍化リスク→習近平政権による内部引き締め策・・その次に用意されるのは粛清に継ぐ粛清をして来たスターリンのような恐怖政治でしょうか?
勿論軍事政権も民意を全く無視して良い訳がない・・国民の支持があった方が良いに決まっていますから、国民に支持して欲しい点では民主国家と本質は変わりません・・ここでは、法形式の違いと強権政治を受入れる国民意識の違いを書いています。
原理主義勢力とは、軍事・または独裁政権が、国民支持を求めるために徐々に進めている近代化・(トルコやサウジで言えば世俗化の進行))妥協を許せない、超保守・反革命勢力(例として言えば、中国の文化大革命・・アラブの女性にスカーフ着用を強制しろと言う原理主義)ですから、アラブ諸国での原理主義による反政府運動=民主勢力とするかのような歓迎論調のマスコミ報道姿勢は間違っています。
アラブの春で勢いを持っている原理主義グループは、(世俗に汚れた?)軍事政権よりもモット純粋に信教の自由を許さない・その教義もイスラム教徒内での偏狭な強硬一筋の宗派の意向の独裁体制の復活を求めているグループのようです。
(アメリカでもキリスト教の一派で特定教義にこだわる宗派があると言われますが、その宗派を過激運動体にしたようなものか?)
アメリカの茶会党も、利害調整を拒否する=他者の主張との妥協・利害調整を一切認めない傾向が強い点では、宗教に本籍を持っていないとは言え、アラブの原理主義者と傾向・本質は同じです。
アメリカは中東アラブ諸国での軍事政権打倒運動勢力を、反政府=民主主義議勢力であるかのように(マスコミ同様に誤解していて)応援するか、応援しないまでも民主勢力に軍事政権が妥協すべきだと言うスタンスが多い・・エジプト軍事政権に非協力になっているのがその結果ですので、中東・アラブの混乱が却って広がっている感じです。

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