サービス社会化2(貿易依存度2)

新興国の高度成長・・GDPが上がった分のほぼ100%近くが輸出なので内需に関係しない上に、元々のGDPが低いので進出企業の対GDP比が高い・・結果的に貿易比率がバカ高くなるのが普通です。
最貧国や後進国が、近代製造工場の誘致によって近代工場への労働参加によって現地従業員の所得がアップするとそれまで裸足で歩いていた人も靴を買い、クルマやテレビも、あるいは日本向けエビ加工したり化粧品を作っていた人が自分も欲しくなります。
購買意欲が高まる→人件費上昇によっていわゆる中進国になると、輸出目的の生産工場の採算が悪くなって次の新興国ベトナムなどに移転して行くと中進国工場は自国内需中心に変化しないと生き残れません。
自国相手になると輸出に関わる恩恵で輸出用製品を買える層が育っていても、輸出がゼロになる訳ではないとしても輸出減少分の全量国内消費するには無理があって大幅減産ですから、失業対策上内需拡大→購買力アップに切り替えるしかありません。
内需の仲介役としてのサービス業従事者が必要であるし、一方で国内製造業減産による失業対策にもなります。
ところが、・・サービス業の生産性は先進国から誘致した近代製造業より生産性が低いのが普通なので、サービス業へ転換が進むと成長率が低下する循環に入らざるを得ません。
これが中進国の罠の原理です。
この辺は先進国の場合、新興国への工場移転が始まったときからこの問題が起きている点では先輩ですが、先行者利益享受期間が1世紀単位でであった結果、内需力が大きく育っているのと国内生産力のうち輸出分が少しずつハゲ落ちた程度・・緩やかな縮小なので対応力があります。
例えば日本ではトヨタに限らず各種名の知らぬ業界で見ても、今でも多くの企業は何割かの輸出を残していて海外工場を徐々に増やして輸出比率を下げていくだけのことです。
今朝の日経新聞朝刊15pにはNTNと言う私には何を作っている企業なのか全く知らない企業名(車軸メーカーらしい)で、トランプ氏の要求に応えて米国内工場の増強・現地生産比率を上げると発表したことを書いていますが、記事内容を見ると同社は現在海外売り上げ7割だが国内生産5割と言うことで、結果的に二割分が国内から輸出している構造であると紹介しています。
日本の場合消費材・・テレビ洗濯機などは最終組み立ての単純工程なので後進国へほぼ移管していますが、BtoB・・高度部品製造分野ではなお国内に多く留まって輸出企業になっているのが普通です。
この辺流れ作業用労働者中心のアメリカでドンドン製造業の職場がなくなっているのとの違い・・なお製造業が健在である原因です。
輸出成長から内需への時間軸の早さも問題です・・世代的に言えば、田舎から出て来た第1世代は先ず製造業や建設など3K職場で働いて、都市住民第二世代になってコンビニ等のサービス業についた方が無理がありません。
このように1世代以上経過の緩やか変化ならば業種転換も無理がないですが、新興国の場合、高成長ストップ即な内需切り替えでは、消費者も十分育っていないしサービス業向け人材も育っていません。
先進国でも日独等熟練工中心社会はまだ製造業が強いですが、アメリカ式単純粗放生産社会では、新興国が台頭するとすぐに製造業が凋落する点では、2極分化があると思われますがその点はここでは措くとして、製造業が衰退して行く社会では、その分サービス経済化して行くしかない点は同じです。
それでもアメリカイギリスの場合早くから成長していたので、過去の蓄積を背景に貿易赤字をものともせずに?内需を増やすことが可能・・文化力を背景にした商品競争力がある・あるいは世界進出用の研究開発部門を抱えている分だけ有利です。
韓国の場合も貿易依存度の高さ・・内需力の貧弱さが知られていますが、本来は中国より約20年間早く近代工業化していたのですから、成長に応じてちゃんと給与を払っていれば国民の消費水準・内需率が上がって行くべきでした。
新興国の人件費が上がると輸出主導による経済成長が頭打ち・・貿易依存度低下=内需経済移行・・国民にとってはその前約10数年〜20年間の目一杯働いた高成長の果実を得られる時期に入ったので良いことですが、成長率基準で言うと経済運営の苦しみが生じます。
元々、食糧や洗濯機など欲しい財が1〜2%しか供給されていない場合、生産量を前年比何%増やせるかは重要な指標です。
しかし供給・・例えばピアノが100%行き渡った場合、前年比生産量が1割増えても二割増えても買い手がつかないのは当たり前・・だから輸出に活路を求めて来たのです。
相手国に供給不足がある場合、他国との輸出競争に勝つ→国内生産が増える成長率に意味がありましたが、世界的に供給過剰になって来ると、国内生産が頭打ちになった場合と同じで前年比増の成長率にこだわる意味がなくなります。
市場が飽和状態になった場合、市場規模が同じでも個別企業にとっては、ゼロサムゲームで生き残れる企業がどこになるかでしのぎを削る意味がありますが、マクロ経済での成長率やGDP指標は意味がありません。
我が家ではバルミューダと言うパンがおいしく焼けるトースター新発売のときから愛用していますが、国内のトースター利用数が殆ど変わらない場合、よりよい製品でどこが勝ち残れるかと言うだけで国内のトースター販売数はほぼ変わらない・・同様に各種製品に工夫を凝らしても全体GDPは変わりません。
国民の満足度勝負・・生活水準アップ中心社会では、GDP成長率神話はあまり関係ないことが分るでしょう。
良い物を作ればその製品が海外にも売れますが、今バルミューダをネットで調べると日本の若者グループが開発したものですが、台湾製造による輸入品であることが分ります。
国内メーカーのトースターを撃退シテの快進撃ですから、トースターの総売り上げは同じで結果的に日本のGDPが逆に下がっている関係になっています。
上記のとおり、海外進出循環を経て内需中心経済になると製造業は製造コストの安い国に移行して行く・・・成長率が下がるのは当たり前です。
これを前提に失われた20年と言われて来ましたが、日本の国民にとっては内需が豊かになる個々の国民が成長の成果を享受出来る・すごく良い時代であったと繰り返し書いて来ました。
お隣の韓国も国民を大事にして内需転換時期をもっと前に来させるべきだったのですが、これが先送りさせていたのは外資支配による結果でないかと憶測しています。
アジア通貨危機以降銀行・金融機関は殆ど全部、その他大手企業の資本が外資に大方に握られてしまった関係で、低成長モデルの内需にシフト出来ない・・国民が貧しいまま・労働分配率が低かったままになっていた可能性があります。
この結果、人件費上昇による中進国の罠にはまらなかった幸運?と、タマタマ超円高(超ウオン安)効果で長い間輸出が好調だったので貿易依存度が高いまま・・内需転換が先送りされていたことになります。

サービス社会化1(貿易依存度1)

WTO違反の裁定などどうせ時間がかかるので、その前に日本が屈服して来るだろうと言う実力主義・・WTO裁定(負けるのが分っていても)の結果を中国は気にしない態度を明らかにして来ましたが、僅か1年で大規模訪日団を送るところまで追い込まれたのは中国の方でした。
レアース禁前後には、事前に決まっていた訪中使節その他ありとあらゆる日中交流日程を予定が立たないなどと言う理由で次々とキャンセルして来たことから見れば、自分の方から訪問して来るなどは180度の方向転換です。
ただ、この辺はそれほどメンツにこだわらない中国人民の柔軟性で、韓国のようにトコトン修正出来ない硬直民族との違いです。
いろんな事象に対するネットコメントを見ると、韓国人のコメントでは北朝鮮政府声明のようにいつも決まりきった反日意見しか出て来ませんが、中国人のコメントはネット検閲が厳しいと言われる割に、自国を客観的に見るコメントが多いのをみるとこれが、政府の柔軟性と繋がっているのでしょう。
もしかして柔軟性と言うよりも実利100%の国民性・・恥も外聞もない・・実利優先と言う方が正しいのかも知れませんが・・。
中国地域は異民族支配の方が長い・現在でも多民族社会ですから、物事を相対的に見る習慣が本来あるとも言えます。
専制支配が長かった印象から外れますが、異民族・多民族社会であるから自由に意見を言わせると百家争鳴でまとまらない・・強権支配しか出来なかったとも言えます。
巨人と言われたチトー死亡後ユーゴスラヴィアが解体に向かった例でも分りますが、余程の指導者か強権支配しか社会が持たないのかも知れません。
低レベル社会では落ち着いたが話し合い解決が不可能なので、議院内閣制ではなく大統領制でないと国家運営出来ない原理に繋がっています。
大統領制とは専制支配の民主的修辞です。
元々漢民族自体が黄河中流域の洛陽〜開封までの盆地・・中原地域を囲む四囲の個性の異なった民族・・北狄(高原・山麓の狩猟民族・西戎(荒涼たる砂漠の騎馬民族)・南蛮(江南・湖沼水郷系民族)、東夷(黄河デルタ地帯の民族)が、市場交易を求めて渡河の容易な黄河中流域に集まって混合した民族がその原型です。
時代の進展により、狭い中原から交易圏が広がり、(春秋戦国時代に新興勢力楚王が、周王室の鼎の軽重を聞き、秦末漢楚の攻防も結局は長江流域が交易圏に組み込まれて来た時代を表しています)今では何千km単位の広大なイメージの西戎(アフガニスタン付近まで含む)南蛮(ベトナム〜インドを含む)東夷(朝鮮日本を含む)ですが、元は洛陽あたりを中心に目に見える範囲の周辺山地・原野・デルタ地帯の先を指していた言葉です。
交易権が広がると水運に便利な便利な下流に中心地が移り、洛陽から開封に都が移って行きます。
日本でも壬申の乱の頃の東国とは、今の岐阜県あたりを指していたのですが、中世では箱根以東をさすようになったように、周辺呼称の範囲は行動圏の広がりに連れて広がります。
レアアース禁輸に話題を戻します。
レアアース禁輸後約1年経過で勝負がついて中国経済代表団が訪日せざるを得ない結果になったのは、WTOの裁定(正義)によったのでなく、日本の技術力・抵抗力が上回ったことによります。
中国は嫌がらせで日本企業を閉め出したつもりだったのに、日本の高度技術が必要なので日本からの投資減退で参ってしまったことによります。
(穴埋めにドイツ誘致を計画しましたが補完し切れないことが分ったので、手のひら返しに訪日団を結成するしかなくなったのです。)
現在韓国が中国の締め上げに参っているのは、フィリッピン同様に韓国には代替の利かない高度技術が少ないのでスキなようにやられている原因です。
日本もBtoBではなくBtoCあるいは訪日中国人観光客や現地スーパーのような代替性の高い分野に頼る業界が増えると、中国が何か要求を通したくなるとイキナリ対日観光客を絞ったり、現地日経コンビニなどを標的の不買運動など嫌がらせが始まるので、リスクが大きくなります。
フィリッピンのバナナの通関手続を故意に遅らせて腐らせてしまったりしていましたが、レアアース事件のときにもこの味を占めてたのか?日本からの輸入品の通関手続を故意に遅らせるイヤガラセをしていましたが、部品は腐らないし困ったのは輸出向け工場で日本製部品の早期組み込みを必要としていた中国民族企業の方でした。
現在中国の対韓嫌がらせも観光・韓流その他消費系が困っているだけで、今朝の日経新聞によるとサムスン・SKなどの対中半導体輸出は今年二月は前年比5割増メモリーは8割増とかで好調らしいです。
今後中国の内需目的の進出企業が巨額投資してしまうと、フィリピンのバナナのように何をやられても我慢するしかない・・かなりのリスクが生じます。
ここからサービス経済化にどのように対応するべきかテーマに入って行きます。
3月11日日経新聞朝刊7pには、米雇用23.9万人増の見出しとともに「完全雇用の死角」の題名で1990年から2016年までに民間雇用者総数は3000万員増えたが製造業では500万人減り代わりにサービス業では2500万人増えている」
「長い目で見ると給与の高い製造業の減少傾向が続き給与水準の低いサービス業へシフトが進んでいる」
となっています。
その記事の冒頭に建設現場では、給与を2〜3割上げても人手不足のままと言う現象を紹介しています。
如何にも白人・中間層は元々3K職場・建設現場に来ない・・移民労働者が入って来ないとどうにもならないと言うイメージ操作っぽい記事でもありますが、一応こんなところです。
全体の論調は(移民に職を奪われたのではなく)完全雇用下なのに多くの人が不満を持つようになったのは、サービス業シフトが賃金低下・生活水準低下を進めたから・・と言う説明です。
先進国の発展過程は、一般的に地場で成功した企業が県外等へ輸出し、次いで◯◯地方から全国規模輸出となるに連れて工場も域外に作って行く、最後に海外展開して行くのでこの間に儲けの還元などで自然と内需・サービス業も追いついて行きます。
AI化やロボット化オートメ化進展で製造業の発展に連れて成長していたサ−ビス業が、(工場周辺飲食店ではなく)製造業と切り離して独自に必要な時代が来たのです。
中国、韓国などの中進国の足踏み現象を経済的に見ると、この順次発展の過程を経ていない分、より大きな構造問題が起きるように見えます。
自発的発展ではなく、低賃金を武器にした世界の工場機能を果たすときには、元々ゼロのところに先進国から先端的近代工場が進出して来るので後進国の前近代的生産性から見ると百倍?規模で生産性アップする上に、誘致にあたっては国内産業保護のために当初100%輸出用生産しか認めないことが多い・・国内需要無視の輸出型工場誘致ですので先進国本社で輸出先を用意してくれる・・作った分だけ売れます。
中国開改革開放後に日本向け野菜などの(日本人好みに合うように)生産指導が盛んでしたが、全量日本のスーパーなどが引き取る契約でした。
毒餃子事件の騒動の報道もこの種の流れは分るでしょう。

事後審査社会→訴訟と保険の発達2

入国審査その他行政の仕事は(ちょっとした届けで市役所に行ったら受け付けてくれないレベル)いい加減で良い・・不満な人は弁護士に頼んで裁判すればいいと言うのでは困ります。
現在の国際競争で言えば、製品不良率の多少・・歩留まり率こそが商品価値の差です。
発火事故のあったサムスン製スマホで言えば、「発火したら取り替えます」では誰も買わないでしょう。
アメリカ製造業衰退の基礎原因は相手国の不公正障壁によるのではなく、「後で司法救済を受ければ良い」と言う政治が象徴しているように良いものを努力して作る習慣がない・・「粗雑・粗悪品」で何が悪い・・クレームがあれば後で治せば良いと言う価値観・習慣によると見るべきです。
アメリカのベルトコンンベアー方式の発明は緻密作業に適応出来ない・民度レベルの開き直りであったことを書いて来ました。
この延長で、ドンドンと作業分化・簡略化が進み結果的に、未熟練工でも役に立つ・・新興国への工場移転に繋がったことも書いてきました。
これの道徳的裏付け・正義論が・・不良品前提の事後審査制度であり、この両輪が今のアメリカ経済斜陽化に繋がっていることを、Jan 22, 2017「新興国台頭と日本の進むべき道2」以来書いて来ました。
日本でも外車輸入が伸びているのにアメリカ車だけ負けている事実が国際競争力低下を物語っています。
大統領令が無茶苦茶でも兎も角出れば有効(ここではトランプ大統領令が無茶苦茶というのではなく一般の大統領令を書いています。)・・被害を受けた国民が後で裁判して救済を受けるしかない事後審査制度では、強い者勝ちの社会になります。
アメリカで警官による射殺事件が多いのは、犯罪者に射たれるのを待っていて、うたれたら相手を殺人犯で検挙してくれるのでは間に合わない・法の支配など待っていられない・・「早い者勝ち」の論理・・正義感があるからです。
アメリカ流の粗雑社会とセットの事後審査主義のあり方を世界が支持しているかと言えば、製品市場でアメリカ製品が負け続けている結果を見れば世界は粗悪品→事後審査よりは、事前に安全な検査したものを求めていることが分ります。
政府・大統領令が間違っていれば裁判すれば良いと言われても、戦時中に日系人は違法に?強制収用されても実際に裁判出来ませんでしたし、今回の入国禁止令でも対象になる7カ国出身米国人自身が抗議の動きすら(怖くて)出来ていません。
化粧品その他での被害者が1000人いても実際に裁判出来る人は滅多にいない・・この救済のために懲罰的損害賠償制度が発達しましたが、資力のない人が泣き寝入りするしかない現実を無視出来ません。
2月4日に移民概念の紹介でアメリカ法律事務所の移民制度の説明を紹介しましたが、その説明文には「移民手続に精通した弁護士に依頼しましょう」と言う案内が一杯出て来ます。
そうすれば「入国審査でのトラブルにすぐに対応します」と言う案内です。
と言うことは、弁護士次第で釈放されたり、されなかったりする社会・・日本では補助金その他いろんな申請するのに弁護士がついて行かなくとも、とおるべきものは通る・・間違いないのが前提です。
役所の窓口でダメだったものが弁護士を頼んでも、役所滅多にないミスがあったときだけですから、100に1も助からない・・99・9%の有罪率と同じ・・お上を信用している社会です。
アメリカでは弁護士を頼んでおけば、100のうち99助かる・・逆から言えば弁護士なしにうっかり空港にも行けない恐るべき社会です。
国民にとっては被害がしょっちゅうあって,その後に裁判出来るよりもお上にしっかりしてもらって、被害のない・少ない・・弁護士に頼む必要が少ない社会が良いのが日本人の意識・・正義感です。
日本では、訴えられるべき役所や企業の方が弁護士をつけて欲しいと言う逆の現象が起きています。
クレームを付けられている役所や企業の方が、正しいことをしている自信があるからです。
損害保険に弁護士保険が普及したのもこの延長で、業界として保険会社側だけ弁護士がつくよりは、被害者側にも弁護士がついた方が無茶言われないメリットがあります。
・・弁護士同士だと訴訟前の示談成立率が高くなるので、訴訟事件が減って却って保険会社の顧問弁護士に払うコストが低くなるメリットがある上に弁護士付き保険として割り増し保険料を取れるプラスがあります。
日本ではお上に対する不信感が低い上に役所や企業から説明されても理解し切れない人も、弁護士の論理的説明に納得する人が多いことにもよります。
ただ一定のモノ分りの悪い人、保険で弁護士料が出る・・お金の負担がないことから、「負けても良いから裁判してくれ」と言うモラルハザードもあって、これが最近弁護士にとって苦痛になっているようです(保険関係の弁護士の話)。
「お金が保険から出るから・・」と言われても、負けるに決まっている無茶な主張をしたくないので困るのです。
いくら保険が完備していても、強盗や殺人被害がない方が良い・・服部君事件でも分るように子供の訪問でも強盗と間違って銃で撃つような・不安に怯えて暮らしている・ピリピリした社会が理想ではありません。
自衛のために銃を所持なければならないとすれば、アメリカは法治国家ではあるが、法が行き渡らない・治安の悪いクニではないでしょうか?
道徳教育としては、何をしても後で捕まらなければ良い・・裁判で有罪にさえならなければ良いと言うことになりませんか?
裁判になっても腕利きの弁護士を頼めるかどうかによって結果も変わって来る社会って日本人からすれば不思議です。
賄賂や、コネで結果が変わるのとどう違うのか・・実質賭博行為でも公営競馬などなら犯罪ではないと言うのに似ています。
自助努力次第と言えば聞こえが良いですが、裁判する資力のない人には法が(あまねく)行き渡らない法治国家と言う表現は言語矛盾です。
日本は昔から厳しい法がなくとも、むやみに争わず自発的に道路や畑を綺麗にし,犯罪の少ない社会です。
アメリカの法治主義とは、法に頼るよりは各自が銃をもって自衛しろと言うことにつながります。
「法の支配」は権力から人民を守るためにあると言われて来ましたが、国民を守るための法秩序が実は頼りにならないとすれば,法制定権力・・政府への信頼が失われ・・ひいては共同体自体への信頼も失い・常時自分で銃を持っているしかなくなる・役所へ行くのに弁護士同行しないと不安な社会です。
どこの世界でも治安維持こそが権力維持の基礎と言われる所以で,治安を維持出来ない権力は国民の信を受けていないことと同義です。
屈強な護衛を連れて歩けば,目の見える範囲・・数十〜数百メートル四方に威令が行き届くでしょうが,見えないところであかんべエをされている人と,護衛が多くいらないし威張らないが,見えないところでも尊敬されている人ではどちらの方が威令が遠く,多くに届いているかの違いです。
この意味ではトランプ氏は何事もみんな自分でやらないと気が済まない・・一見華々しいですが,逆から見ると間接的に多くを動かす能力が不足している・・まだ組織化されていないだけか?ように見えます。
アメリカに限らず政府の仕事は多種多様・複雑ですから、目に見えないところで実直に働く人に支えられないと政治が回って行かなくなります。

事後審査社会→訴訟と保険の発達1

大統領令と民主主義のテーマに戻りますと、逮捕・拘束などの人権条項も仮に法で決められているルール無視で(日系人収容のように)大統領令だけで拘束出来るとすれば,法を作るべき議会の存在意義がありません。
罪刑法定主義など近代法の歴史は、法が国王(権力)からの人権侵害の防波堤・・人権を守るために出来たと習って来た(真実は支配の道具ですが・・)歴史から見てもおかしな制度です。
さすがに今回の入国申請者拘束には、直ぐに司法救済を求める人がいたらしく,米国時間2月3日に執行停止を命じる?決定が出て、日本時間2月5日付報道では、これが全国的執行停止効があると書いていましたので、個別審査妥当性ではなく命令そのものに対する違憲判断だったことになるのかな?
大統領が率先して法または憲法に違反行為をしていると言う司法判断となりますから、従来型価値観によれば政権のメンツ丸つぶれです。
これまで書いているように既存ルール破棄のための政権だと開き直れば別ですが・・・。
権力意思を遠くに及ぼすために法制度がある側面(これが本質でしょう)から見れば、権力中枢が法制度を自ら無視をしていることになると、国民は何に従って良いか分らなくなる・・社会が混乱して権力そのものの基礎が瓦解します。
これを防ぐために諸葛孔明は「泣いて馬謖を切」ったのです。
権力者は自らの権力貫徹手段である「法」を守らなくても良いと言うアナウンスを流すと自己矛盾に陥ります。
現在世界中が固唾をのんで見守らざるを得ないのは、世界覇者アメリカの最高権力者になったトランプ氏の構想する新たな世界秩序が不明であることによります。
クーデタや革命政権が権力掌握すると一刻も早く新秩序を宣言し、混乱を沈静化させるのに必死になる所以です。
革命政権の場合、日常的民事刑事手続きを除き一時的に革命の本質に関わる事項について司法機能の全面的ストップをかけるのが普通です。
トランプ政権は合法的政権獲得している関係で、既存ルールに従うしかないのが事態をややこしくしています。
そこで直ちに政権は異議申し立てすると報道されていましたが、2月6日の報道では控訴審で異議申し立てが通らなかったので、地裁の差し止め決定がそのままになったと報道されていましたが、7日の報道によると差し止めの取り消しが認めらなかっただけで本案の口頭弁論が開かれるようです。
どちらが負けても最高裁に訴えるでしょうから、最終的には最高裁の判断次第になります。
こうなると現在4対4の最高裁判事構成を覆すことになる欠員1名の判事任命がどうなるかが大きな争点になって来ます。
アメリカは日本と違い政治任命ですから、判事の政党色がはっきりしています。
だからこそオバマ政権時代には、共和党多数の議会承認を得られず約1年間も欠員のママだったのです。
トランプ政権としては議会多数派になっているので政権寄り判事任命に自信があるのでしょう。
これが出来上がると議会は共和党多数ですし、司法とのねじれも解消されることになります。
訴訟の帰趨は措くとしても、このシリーズの関心は大統領が議会の同意なしに大統領令に署名さえすれば、違憲判断が出るまで法に優先して有効になる・・これが日系人だけ強制収容出来た法原理です・・人権保障としては非常に怖いシステムであることの関心です。
大統領令が議会より優位の法を作れる・・次々と大統領令を出すと法制定の議会はいらない・・憲法違反まで主張しないと救済されないのでは,先進国の証しは三権分立制度が確立していることであると学校教育は噓を教えて来たのではないか?となりませんか。
現状を見ると司法権と大統領府との2権分立でしかありません。
その司法権も政党色で選ばれるのですから、日本とは大違いです。
大統領令の濫発で為政者が(自制心なく)法制度無視行為をドンドンやって、その都度司法権による差し止めが繰り返されるようになると、・そのうち国中で法を無視する行動が頻発するようになるのではないでしょうか?
ただし、元々革命は既存法の延長では出来ませんので、トランプ政権の政策が既存秩序に対する挑戦・一種の「革命」とすれば既存法に矛盾する政策を打ち出すのは当然のことですので、既存秩序に反することを非難論拠にするのは間違っています。
従来型革命は数週間の暴動等を経て短期間でぶちこわすものですが、今回は選挙を経ているので革命に見え難いだけ・新しい形式の革命?だったことに後でなるのかも知れません。
革命だったのか無茶苦茶だったのかは昨日書いたように時間をかけて分ることです。
このシリーズではトランプ政策の是非ではなく、戦時中の共産党親和政策や日系人強制収容や戦後の米中和解や戦後のスーパー301条などを軸にアメリカの民主主義・自由主義の主張は自国のヘゲモニー維持を主目的にした表向きの宣伝だけだったのはないかの関心で書いていますので元に戻ります。
司法の救済があっても,政府が率先して法(長年共同体意識を培って来た合意・人類が長年掛けて積み上げて来た歴史遺産)を無視してドンドン違法行為をしてこれを自慢しているようでは,個別救済の司法救済では間にあいません。
大災害が起きると既存のセーフテイーネットでは間に合わないのと同じで、司法救済制度も政府は滅多に違法行為をしない前提で成り立っているものです。
日本で違憲判断が出ると政府はこれを尊重してすぐに法改正しますが,トランプ大統領に限らず自分の意見に合わないと「受入れない」と宣言するのがアメリカのやり方です。
クリントン氏がオバマの移民に関する大統領令を違憲とする「最高裁判決を受入れがたい」と宣言していたことを2月3日に紹介しました。
・・我が国でも左翼系は自分の意に沿うと画期的判決と言い、主張が通らないと反動判決と批判しているのと同じです。
要するに相手の意見を受入れる許容性がない民度・社会・・元々違う意見を認め包み込んで行く能力がない民度では、民主主義の実践は無理です。
事後審査に戻しますと、刑事制度は犯罪を摘発して処罰することが直接の目的ですが,処罰することで犯罪が起きないようにすることが本来の目的です。
報復心だけを基準にすると刑罰重視を時代遅れだと非難し、被告人の人権ばかり・服役内容も快適なホテルみたいな方向へ進み過ぎます。
刑事政策は、本来の目的は治安維持ですが、これの協力を得るために被害者の報復心も利用していると言うべきです。
犯罪がいくら発生しても良い・・後で検挙するから・・と言うのでは,治安維持を目的とする刑事政策に反しています。
泥棒や無法者が町を闊歩する自由があって,一般人が被害にあえば訴えれば良いですよ・・と言うのでは国民は安心して生活出来ません。
大統領や役人が率先して実質違法行為をしていても、不満なら裁判すれば良い・・裁判制度が完備しているから間違っていれば違憲判断してくれるよ!これが法治国家だと言うのでしょうか?
裁判出来ないよりもマシですが・・。
日本の刑事裁判では99、何%の有罪率であることが有名ですが、文化人が「これでは裁判の意味がない」と嘆くのが普通ですが本当にそうでしょうか?
大分前に(小泉改革だったか?)我が国も、事前審査をやめてアメリカのように事後審査の社会になるべきだと言う論調が風靡して、その方向に舵を切り始めましたが民族意識・・常識と合わないらしく、あまり定着しているように見えません。
粗悪品でも何でも作って市場に出して「中毒事故が起きたら損害賠償して治せば良い」と言うのでは、国民が困ります。
犯罪検挙も確かな証拠もなくても、先ずは検挙して勝敗は裁判所が決めてくれたら良いと言う運用も同じ発想です。
これでは裁判の無罪率が上がるわけですが、大雑把な捜査ですぐに裁判される(・・その代わり原則として保釈を認めて長期勾留を防ぐ運用ですが・・)のでは国民は叶いません。
戦後は何でもアメリカ迎合・100%受入れている韓国では、最近も検察が証拠もないのにデモの勢いに圧されてサムスン副会長の逮捕請求して裁判所にはねられました。
数年前には、ソウル産經新聞支局長に対する名誉毀損罪の起訴でも分りますが、(仮に身柄拘束されなくとも)あとで裁判で無罪になってもその間の言論萎縮効果・・被告人にされた方の精神苦痛は絶大です。

大統領令4と法(異民族と価値観分裂1)

アメリカ国籍を持っているのに、日系人と言うだけで強制収容したり、クリントン政権の対日100%もの極端な差別課税を課すための行政命令?・・今回のアラブ7ヵ国人だけ標的の入国禁止令・・メキシコ国境に壁を作るなどの共通性をみると人種差別や対外行為・要は国内少数派相手ならば、法に基づかずに何でも出来るような大統領令制度が有効なクニって?近代法治国家と言えるかの疑問でこのシリーズを書いています。
フィリッピン大統領の犯人射殺命令に対しても、(これがフィリッピン社会に適合しているかどうかの判断は別として反対者さえ少なければ良いのかの基準ここでは書いています)犯罪集団が反対デモ出来ませんし、その支持者も少ないでしょう。 
反対さえ少なければ正義に反するかどうか無視して何をしても良いので社会が成り立つかの疑問です。
正義の基準と言うと何が正義か不明・・「アラブ人を収容所に入れることがテロを防ぐために正義」だと言う多数決が仮にあるとした場合、誰が正義を決めるのだと言う意見が出て来そうです。
喩えば、誰も疑わない正義→1+1=2が正しいときに、多数決で1+1=4にしたり、3+3を2にしたり出来るクニ・社会が成り立つのでしょうか?
1ヶ月すると大統領の考えが変わって大統領令で1+1=6にしたり、3+3を5に変えたりする社会って持続可能でしょうか?
数学的合理的基準・・合理性無視の政治は出来ないとしても、「天賦不可譲の人権」思想を数学的正しさの必要性と同一視出来ないことも確かです。
何が人権でどう言う場合にどこまでの制約が許されるかの基準・正義は、民族ごとの歴史的経験・・積み重ねによるしかないと思われます。
この種の正義は共同体の長い期間を経た共通意識によるとすれば、共同体の理想型は価値観共有社会と言うべきです。
同じく国際正義も長年かけて合意形成されて来たものを当面の「正義」として尊重するしか秩序が保てません。
日本の場合で言えば、漸進的変化・・既存価値を認めた上で、(古いお祭りや、様式美がそのまま残って行く)新たな価値を積み上げて行くので社会が何千年も安定的に推移して来ました。
これが大災害時にも略奪に走らずじっと救援を待つ・・相互信頼社会が構築されている基礎構造です。
長年かけて形成された民族合意・国内秩序や国際合意・国際秩序が気にいらないからとイキナリ、否定・ちゃぶ台返しの主張は、国内的には民族共同体意識の否定・・国際的には既存国際秩序の否定を企図することになります。
既存秩序破壊を訴えるのは、漸進主義主張より激しい分(家の修理をしますと言うより、ビルを建て替えると言う方が夢があります)人目を引きつけますが、トランプ氏の主張は現秩序を破壊したあと何をするのかがもう1つはっきりしないことが問題です。
反政府運動や国際秩序挑戦者としてならば、(赤ちゃんは泣くだけで良い・・自分で解決策を示す必要がありません)不満をぶっつけるばかりでも意味がありますが、権力者である大統領になっても既存秩序破壊を主張し続けるだけでその先の展望を示さないのでは、自己のよって立つ共同体統合をぶちこわす自己矛盾行為となるリスクがあります。
トランプ氏の場合アメリカンファーストと言うだけで(政治家たるもの国益第1は当然で全く新味がない)国内外に対して移民排斥論以外に新しい方向性・・正義を示せていません。
移民排斥論も・・「家に閉じこもりましょう」と言う次元で、その後の国家運営の提案がありません。
移民排斥や二国間主義=管理貿易逆戻り政策は、その先にどのような国際秩序を構想しているのかがまるで見えていません。
何と書く「強い者が何をしても勝手」と言うルール不要の野獣の世界に戻るような印象を受けます。
もっとも政治はすぐに分らなくていいのですが・・新たな価値観の提示が出来ないままで既存秩序をぶっ壊すだけで終わると(鎖国も1つの政策ですが・・これが国益になることをきちんと説明出来ないと)、単なるストレス解消・・民衆騒動・・(赤ちゃんが泣きわめくだけのような)暴動を政治家が煽動しているだけになります。
高校生が不満だからと、校舎のガラスを割って歩いたり、授業が荒れて授業にならない→教育政策の見直し、赤ちゃんが泣く場合、ミルクやおむつの取り替えあるいは、どこか具合が悪いのかなど気が付く効果・・対策の必要性を訴える効果がありますが、為政者・権力者は自ら政策を立案する立場であり世間に訴える立場ではありません。
過去に積み重ねて来た正義感・生き方が間違っていると主張する場合、間違っている・・納得出来ないと騒ぐだけなら民衆暴動や子供が泣き叫ぶのと区別がつかない・・どうするかを提案すべきがリーダーの責任です。
移民を多く入れると経験して来た歴史の違う集団同士になるのですから、価値の分裂が起きるのを防げない・・来たばかりでものの考え方習慣の違う人と同胞意識がある訳がありません。
トランプ氏は、移民を制限することによって、共同体意識を時間をかけて築いて行く長期展望を考えているのかも知れません。
隣近所の人とは挨拶程度で良いのですが、他人と同居するとなれば、余程気が合わない限りイヤだと思うのが普通です。
これを無視して「寛容の精神で受入れましょう」と移民導入を煽って来たのが、いわゆるPCの流布強制であり欧米社会でした。
外国人が観光や商用で短期間だけ来る程度では許容範囲ですが、毎日一緒に暮らすとなれば、許容範囲を超えていると思う人が普通ではないでしょうか?
異民族と一緒でも良いと覚悟を定めて移民して来た外国人自身が、一定数以上になって来ると◯◯人町など集団で居住するようになるのが普通であることを見れば、移民自体が気の合う仲間・・気持ちの通じる仲間を求めていることが分ります。
これが普通の人情であり、「異民族と仲良く暮らしましょう」と言うのは、やせ我慢・・無理があります。
よその人は他所の人のままで、一定の距離を置いてあっさりとつきあうのが大人の智恵です。
敢えてべたべたと同居する必要はありません。
民族的言えば、外国人が入って来ても一定期間限定の訪問者程度に限定しようとするのは1つの許された主張だと思います。
労働力獲得目的に異民族を多く入れることによる共同体意識拡散〜対立のマイナス(これは低賃金労働者導入だけの問題ではなく知的労働者の方が出身民族の価値観を身につけていることが多いために逆にリスクが高くなります)に気が付かないで来たのが欧米です。
あるいは気が付いていても金儲けの方を優先して敢えて無視して(特に民族差別を厳しく批判する)PCを事実上流布させて言論統制して来たトガメが出て来たとも言えます。
移民導入論者によって多様な人材が入れば多様な発想が可能になるメリットがしょっちゅう・・ダイバーシテイーなどと宣伝されますが、古くは遣唐使、南宋の朱子学や水墨画、禅宗、火縄銃、幕末欧米文化流入、明治維新でのお雇い外国人等々の歴史を見ても、鉄砲職人集団や学者集団や僧侶集団、画家音楽家などが大量に移民してくる必要がなかったことが明らかです。
日本の精神界に大きな影響を与えた仏教伝来でさえ、古くは来日したのは鑑真和上程度ですし、大量に人材導入した明治維新時の御雇外国人でも、各分野ごとにせいぜい1〜2名で、しかもあっという間に御引き取り願ったことが知られています。
全人口比で言えば10万人に1人2人程度の流入により違った角度からの意見を求め刺激を受けるのはわさびのように重要ですが、各分野で何万人・・合計人口の5%〜1割も入って来る必要がありません。
一定量以上になると自衛のために出身別に集団を作り固まる傾向(今は地域的に固まって住まなくとも通信手段の発達で別の形)があるので、却っていつまでも地元民と融合出来なくなるリスクが高まります。
アメリカも旧ユーゴスラビアのようなモザイク国家になりかけているのではないでしょうか?
これを抑制するために移民流入を抑制すること自体は政策判断の範囲内であって合理的であり、かつ主権行為ですし、これが何故憲法違反になるのかは(大統領令自体見ていないこととアメリカの憲法条文を知らないので)不明です。

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