今になれば夢のような昔のことになりましたが、私は昭和30年代に高校〜大学と池袋東口に住んでいましたが、(生まれたのは戦時中でしたので戸籍謄本では「東京都」ではなく「東京市」豊島区池袋〇〇で出生となっています)昭和35〜6年頃に木造の豊島区役所が4階建てのビルになったのが地元に住む高校生としては誇りに思っていたものでした。
そのころに池袋付近にあったビルと言えるのは、西武、三越、丸物(その後パルコに)百貨店、西口の3階建ての東横(その後東武デパート)百貨店くらいでその他集積していた映画館も皆木造の時代でした。
その後急激にマンションやオフイスビルが建つようになり、いつの間にか巣鴨の拘置所がなくなり、跡地にサンシャン60ができるなど東京中がビル化のラッシュになりました。
余談ですが3年ほど前にサンシャイン60に用があって行ったついでにサンシャイン60の展望台に登り、見渡すとその自慢の区役所の老朽化手狭のせいか?新庁舎が雑司が谷のあたり(上から見たので地名はわかりません)に新築中で移転予定だったのに気付いて(高校時代の記憶がいきなり蘇って)まだあったのか?と驚きました。
区役所は明治通りからちょっと入ったところにあったので、池袋に住まなくなってから池袋に行っても路地の奥まで用がないから行ったことがなかったのです。
このブログを書くために念のために豊島区役所旧庁舎の写真をネットで見ると昭和30年代に出来たばかりの頃に目に焼き付いている建物の写真が出ていました。
上記の通りで、昭和30年代末ころにはまだ木造家屋中心であった都内の繁華街・・渋谷、新宿、池袋周辺では中高層ビル化が始まり、古い建物のトリ壊しが必要な時代が来ました。
都市の大変革が始まると、長期契約の代表例であり都市再開発のインフラである借地法、借家法分野での改正議論が昭和60年から公式に始まりました。
借地・借家法分野の改正機運が起きて、平成の初めになってようやく定期借地権などの契約が公認される新法が成立しました。
借地法&借家法分野での改正議論の経緯については、現在の最高裁長官が中堅判事のころに書いた論文が見つかりましたので以下紹介します。
借地借家法の制定経緯を以下の引用により紹介します。
http://seitojiyu.com/wp-content/uploads/2015/10/acade166cdf0cadbfc1e4f0aa7a55f8a.pdf
借家法の運用と実務判例タイムスNo.785 (I992 7 20)
新「借地借家法」の概要 寺田逸郎
・・・・その後は、今日に至るまで借地・借家法の改正はなく、基本的には、存続保障として、昭和一六年改正による正当事由がなければ契約は更新されていく」という枠組みが維持されている
2 借地・借家法制の見直し
我が国の経済は、今日までに戦前とは比べものにならない進展をとげ、これに応じて社会も著しく複雑化した。それに伴って、不動産の利用形態、特に土地の利用形態が多様化してきている。このような変化を前にして、現行の借地・借家法が当事者聞の
利益の調務のために適当であるとしてとっている方策と現実の要請との聞にずれが生じてきている面があるのでないか・・・中略・・なお、昭和五0年代後半からは、土地の供給促進の観点から法制度としての借地・借家法の見直しが主張されてきた・・
全面的な見直しをはかることは、難しい情勢にあった。
しかし、高度成長期を経て経済規模が拡大し、都市化がすすむと、借地・借家法が画一的な規制をしていることによる弊害が一層明らかになってくるようになった。
戦前・戦後の住宅難の時代には重要な役割を果たしたと評価されているが、その後は、むしろ現状維持に働きすぎ、社会・経済情勢の変化に対応せず、硬直的になっているとの批判もみられるようになっているのである。このことは、このことは、特に借地において顕著で、借地権の新たな利用は、目にみえて減少していることが、ひとつの裏書きとなっている・・・・・以下略。
法改正に至る経過
法制審議会の民法部会(加藤一郎部会長)は、以上のような問題意識から、昭和六O年一O月に現行法制についての見直しを開始する決定をした。具体的な・・・・・以下略
上記によれば私が抱いている関心の通り・・・継続関係の保護→現状維持政策では社会変化に適応出来なくなると言う私の意見同様の立法経過であったことが分かります。
いわゆる日支事変以降(軍需産業拡大に伴う人口の都市集中により)空前の住宅不足が生じ賃料高騰したことから、家主が期間満了を理由におい出すような事態が頻発した実情を受けて昭和16年改正で正当事由がない限り契約満了しても更新拒絶できないという法改正ができています。
この辺の経緯については、昭和16年2月3日の貴族院での議事録を読むと(急激な都市集中により6畳一間に8人が交代で寝起きするなどのすさまじい)当時の社会実態が如実に出ています。
借地借家で借主借地人保護の運用が支持されたのは、戦時中〜戦後焼け野が原で始まり住む家が絶対的に不足している時代を背景にすれば借家を追いだされれば野宿するしかない状態であれば「余程のことがない限り、家主の都合で追い出されない」という運用も合理的だったでしょう。
しかし昭和50年頃から住宅事情が緩和されて空き家が目立つようになって来たし、日本の国力復活に合わせて都市再改造が必須になってきたのですが、借地人等への過保護?が都市改造や新規工場立地などに支障を支障をきたすようになってきました。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/uhs1993/1993/4/1993_30/_pdfによると、以下の通りのせめぎ合いがあったことわかります。
借地借家法改正と土地の有効利用―賃貸住宅政策における意義ついて―大阪市立大
学法学部生熊長幸
2 借地借家法制定の経緯と概観
・・・・市街地再開発のあり方の問題およびそれに関係する業界の利害と深く結びついていた点にあった(水本浩「都市再開発と借地・借家法ジュリスト851号13頁)。1985年7月に公表された臨時行政改革推進審議会の「行政改革の推進方策に関する答申」は、新規借地・借家の供給促進とともに、都市再開発のための既存借地・借家契約の解消も企図したものであった。
・・・・問題は、正当事由の内容において旧法と新法とで実質的変化が見られるかである。
・・・中曾根内閣の公的規制緩和・民間活力導入路線のもとで、「借地・借家法改正に関する点」は、「土地の有効利用の必要性及び相当性」を正当事由の要素とすべきかを問うた。
これに対しては、民間ディベロッパーや不動産業界の意に沿うものであり、私人間の権利関係の調整を図るべき借地借家法の範囲を超えることになるといった批判が強かった。
中曾根内閣の公的規制緩和・民間活力導入路線のもとで、「借地・借家法改正に関する問題点は、「土地の有効利用の必要性及び相当性」を正当事由の要素とすべきかを問うた。
これに対しては、民間ディベロッパーや不動産業界の意に沿うものであり、私人間の権利関係の調整を図るべき借地借家法の範囲を超えることになるといった批判が強かった。
・・・・このような経緯を経て、新法6条が成立した。
・・・・(2)国会審議において繰り返し強調されたように、借地借家法6条の正当事由の内容は従来の判例を整理して法文化したにすぎないのであって、従来の正当事由の内容と変わらない。
・・・・(4)補完的要素は、限定的に列挙されているのであり、これ以外の「土地の効利用」、「市街地再開発の要請」などは、補完的要素に入らない(広中編・注釈借地借家法§61皿〔内田〕)。もっとも、立案担当者は、これらも「土地の利用状況」背景になる事情として考慮されるとされる。
(5)本条は、新法施行前に設定された借地権の契約更新に関しては適用されない(付則6条)。
政治の世界では社会党が、理論面では主に日弁連が反対意見の論陣を張っていたように記憶しますが、今になるとネットで意見書などが発見できないので、事実はよく分かりません。
以上の結果、正当事由に関しては新法制定前の契約に適用がないばかりか、新法制定後の契約でも実質的改正をしない方向で決着がついたとされています。