継続契約保障と社会変化1(借地借家法立法1)

今になれば夢のような昔のことになりましたが、私は昭和30年代に高校〜大学と池袋東口に住んでいましたが、(生まれたのは戦時中でしたので戸籍謄本では「東京都」ではなく「東京市」豊島区池袋〇〇で出生となっています)昭和35〜6年頃に木造の豊島区役所が4階建てのビルになったのが地元に住む高校生としては誇りに思っていたものでした。
そのころに池袋付近にあったビルと言えるのは、西武、三越、丸物(その後パルコに)百貨店、西口の3階建ての東横(その後東武デパート)百貨店くらいでその他集積していた映画館も皆木造の時代でした。
その後急激にマンションやオフイスビルが建つようになり、いつの間にか巣鴨の拘置所がなくなり、跡地にサンシャン60ができるなど東京中がビル化のラッシュになりました。
余談ですが3年ほど前にサンシャイン60に用があって行ったついでにサンシャイン60の展望台に登り、見渡すとその自慢の区役所の老朽化手狭のせいか?新庁舎が雑司が谷のあたり(上から見たので地名はわかりません)に新築中で移転予定だったのに気付いて(高校時代の記憶がいきなり蘇って)まだあったのか?と驚きました。
区役所は明治通りからちょっと入ったところにあったので、池袋に住まなくなってから池袋に行っても路地の奥まで用がないから行ったことがなかったのです。
このブログを書くために念のために豊島区役所旧庁舎の写真をネットで見ると昭和30年代に出来たばかりの頃に目に焼き付いている建物の写真が出ていました。
上記の通りで、昭和30年代末ころにはまだ木造家屋中心であった都内の繁華街・・渋谷、新宿、池袋周辺では中高層ビル化が始まり、古い建物のトリ壊しが必要な時代が来ました。
都市の大変革が始まると、長期契約の代表例であり都市再開発のインフラである借地法、借家法分野での改正議論が昭和60年から公式に始まりました。
借地・借家法分野の改正機運が起きて、平成の初めになってようやく定期借地権などの契約が公認される新法が成立しました。
借地法&借家法分野での改正議論の経緯については、現在の最高裁長官が中堅判事のころに書いた論文が見つかりましたので以下紹介します。
借地借家法の制定経緯を以下の引用により紹介します。
http://seitojiyu.com/wp-content/uploads/2015/10/acade166cdf0cadbfc1e4f0aa7a55f8a.pdf

借家法の運用と実務判例タイムスNo.785 (I992 7 20)
新「借地借家法」の概要 寺田逸郎
・・・・その後は、今日に至るまで借地・借家法の改正はなく、基本的には、存続保障として、昭和一六年改正による正当事由がなければ契約は更新されていく」という枠組みが維持されている
2 借地・借家法制の見直し
我が国の経済は、今日までに戦前とは比べものにならない進展をとげ、これに応じて社会も著しく複雑化した。それに伴って、不動産の利用形態、特に土地の利用形態が多様化してきている。このような変化を前にして、現行の借地・借家法が当事者聞の
利益の調務のために適当であるとしてとっている方策と現実の要請との聞にずれが生じてきている面があるのでないか・・・中略・・なお、昭和五0年代後半からは、土地の供給促進の観点から法制度としての借地・借家法の見直しが主張されてきた・・
全面的な見直しをはかることは、難しい情勢にあった。
しかし、高度成長期を経て経済規模が拡大し、都市化がすすむと、借地・借家法が画一的な規制をしていることによる弊害が一層明らかになってくるようになった。
戦前・戦後の住宅難の時代には重要な役割を果たしたと評価されているが、その後は、むしろ現状維持に働きすぎ、社会・経済情勢の変化に対応せず、硬直的になっているとの批判もみられるようになっているのである。このことは、このことは、特に借地において顕著で、借地権の新たな利用は、目にみえて減少していることが、ひとつの裏書きとなっている・・・・・以下略。
法改正に至る経過
法制審議会の民法部会(加藤一郎部会長)は、以上のような問題意識から、昭和六O年一O月に現行法制についての見直しを開始する決定をした。具体的な・・・・・以下略

上記によれば私が抱いている関心の通り・・・継続関係の保護→現状維持政策では社会変化に適応出来なくなると言う私の意見同様の立法経過であったことが分かります。
いわゆる日支事変以降(軍需産業拡大に伴う人口の都市集中により)空前の住宅不足が生じ賃料高騰したことから、家主が期間満了を理由におい出すような事態が頻発した実情を受けて昭和16年改正で正当事由がない限り契約満了しても更新拒絶できないという法改正ができています。
この辺の経緯については、昭和16年2月3日の貴族院での議事録を読むと(急激な都市集中により6畳一間に8人が交代で寝起きするなどのすさまじい)当時の社会実態が如実に出ています。
借地借家で借主借地人保護の運用が支持されたのは、戦時中〜戦後焼け野が原で始まり住む家が絶対的に不足している時代を背景にすれば借家を追いだされれば野宿するしかない状態であれば「余程のことがない限り、家主の都合で追い出されない」という運用も合理的だったでしょう。
しかし昭和50年頃から住宅事情が緩和されて空き家が目立つようになって来たし、日本の国力復活に合わせて都市再改造が必須になってきたのですが、借地人等への過保護?が都市改造や新規工場立地などに支障を支障をきたすようになってきました。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/uhs1993/1993/4/1993_30/_pdfによると、以下の通りのせめぎ合いがあったことわかります。

借地借家法改正と土地の有効利用―賃貸住宅政策における意義ついて―大阪市立大
学法学部生熊長幸
2 借地借家法制定の経緯と概観
・・・・市街地再開発のあり方の問題およびそれに関係する業界の利害と深く結びついていた点にあった(水本浩「都市再開発と借地・借家法ジュリスト851号13頁)。1985年7月に公表された臨時行政改革推進審議会の「行政改革の推進方策に関する答申」は、新規借地・借家の供給促進とともに、都市再開発のための既存借地・借家契約の解消も企図したものであった。
・・・・問題は、正当事由の内容において旧法と新法とで実質的変化が見られるかである。
・・・中曾根内閣の公的規制緩和・民間活力導入路線のもとで、「借地・借家法改正に関する点」は、「土地の有効利用の必要性及び相当性」を正当事由の要素とすべきかを問うた。
これに対しては、民間ディベロッパーや不動産業界の意に沿うものであり、私人間の権利関係の調整を図るべき借地借家法の範囲を超えることになるといった批判が強かった。
中曾根内閣の公的規制緩和・民間活力導入路線のもとで、「借地・借家法改正に関する問題点は、「土地の有効利用の必要性及び相当性」を正当事由の要素とすべきかを問うた。
これに対しては、民間ディベロッパーや不動産業界の意に沿うものであり、私人間の権利関係の調整を図るべき借地借家法の範囲を超えることになるといった批判が強かった。
・・・・このような経緯を経て、新法6条が成立した。
・・・・(2)国会審議において繰り返し強調されたように、借地借家法6条の正当事由の内容は従来の判例を整理して法文化したにすぎないのであって、従来の正当事由の内容と変わらない。
・・・・(4)補完的要素は、限定的に列挙されているのであり、これ以外の「土地の効利用」、「市街地再開発の要請」などは、補完的要素に入らない(広中編・注釈借地借家法§61皿〔内田〕)。もっとも、立案担当者は、これらも「土地の利用状況」背景になる事情として考慮されるとされる。
(5)本条は、新法施行前に設定された借地権の契約更新に関しては適用されない(付則6条)。

政治の世界では社会党が、理論面では主に日弁連が反対意見の論陣を張っていたように記憶しますが、今になるとネットで意見書などが発見できないので、事実はよく分かりません。
以上の結果、正当事由に関しては新法制定前の契約に適用がないばかりか、新法制定後の契約でも実質的改正をしない方向で決着がついたとされています。

未成熟社会4(ロシア原油下落)

未成熟社会4(ロシア原油下落)

今後中国の高度成長が低下し賄賂を出せなくなる・・いわゆる都市戸籍と農民戸籍の差別〜一人っ子政策に反しているために生じた無戸籍者など日常的に人間扱いされていなかった層・数億人?にとって、医療その他生活の最低サービスすら賄賂を出せないと受けられなくなるなど大変な状態になると思われます。
結局は、公的サービス水準をどこに置くかによってくるでしょう。
10月19日にロシアの平均年齢のグラフで見たように恐怖政治をやめて国民生活の自由化を進めると却って混乱する社会であることから、エリツインからプーチン(第一次大統領就任・2000年〜2008年)の一強独裁的強面(コワモテ)政治に戻り、治安悪化を止める方向に舵を切って成功しました。
プーチン氏は大統領職連続任期2回限定の憲法を守るため、2008年任期満了とともに部下のメドベージェフ氏に次期大統領を譲り、(その間自分は首相になって事実上実務の全権を握って)同氏の任期満了を待って再び大統領に返り咲き12年から第二次大統領就任〜現在に至っています。
プーチン氏の強権的政策開始と同時頃に運が良くちょうど原油価格の上昇トレンドが始まりと重なったことが彼の強運で長期政権を維持出来ている基礎原因になります。
ちなみにエリツイン氏は、ソ連崩壊後の大混乱を乗り切る最も大変な矢先にアジア通貨危機)98〜99年)の大波乱と原油その他資源安をまともにかぶったことが不運でした。
19日に紹介したソ連平均寿命の最低期は1994〜5年ですが、下記原油相場グラフを見れば底値の頃が、エリ ツインの任期とほぼ重なっています。
本日のウィキペデアによれば以下の通りです。

「ボリス・ニコラエヴィチ・エリツィンロシア語: Борис Николаевич Ельцин、1931年2月1日 2007年4月23日)は、ロシア連邦政治家で、同国の初代大統領(在任: 1991年 1999年)である。ロシア連邦閣僚会議議長(首相)も歴任した。大統領在任中にソ連8月クーデターに対する抵抗を呼びかけロシア連邦の民主化を主導した評価と共に、急速な市場経済移行に伴う市民生活の困窮、ロシアの国際的地位の低下、チェチェン紛争の泥沼化、強権・縁故政治への批判もあった。」

この15年以上のロシアの復活はプーチン氏の手腕のように見えて実は原油その他資源価格トレンドによるとした場合、下記グラフの通り、2013〜4年に原油価格がピークを打って急激に下がり始めたのがプーチンには痛手です。
平均寿命が急落するような大混乱を収拾して欲しい国民の当面の願望に合わせた強面(コワモテ政治)で成功したのであって、プーチンは・複雑な利害調整で成功した経験がありません。
治安回復後急激な原油価格上昇による豊かさ到来に助けられてきたメッキが剥がれる局面が始まっています。
この数年で頼みの原油価格下落によって、やむなく?国民不満をそらすために?無用なシリア介入やクリミア併合・ロシア伝統の外延政治に戻って行かざるを得なくなった懐具合が見え見えです。
原油価格の推移はhttp://ecodb.net/pcp/imf_group_oil.htmlによれば以下の通りです。

この15年以上のロシア経済の復活はプーチン氏の手腕のように見えて実は原油その他資源価格トレンドによるとした場合、上記グラフの通り、13〜4年に原油価格がピークを打って急激に下がり始めたのが痛手です。
平均寿命が急落するような大混乱を収拾して欲しい国民の当面の願望に合わせて登場したプーチン氏が強面で成功したのであって、プーチンは複雑な利害調整で成功した経験がありません。
治安回復後急激な原油価格上昇による豊かさ到来に助けられてきたメッキが剥がれる局面です。
この数年で頼みの原油価格下落によって、やむなく?国民不満をそらすためにロシア伝統の無用なシリア介入やクリミア併合・外延政治に戻って行かざるを得なくなった懐具合・内政困難度合いが見えます。
http://toyokeizai.net/articles/-/180689によれば原油価格とロシア経済との関係は以下の通りです。
ケネス・ロゴフ : ハーバード大学教授
2017年07月27日

「ロシアの経済学者グリエフ氏(後に亡命)が、司法などの制度が脆弱なままでは、資源輸出依存のロシア経済が変わる望みはないと主張していた。あまりに多くの決定が1人の人間によって行われていたからだ。同じ会議で私は、大規模な改革が行われないかぎり、エネルギー価格の急落は深刻な問題を引き起こすことになると力説した。
かくして、原油価格は暴落した。現在の市況(7月上旬時点で50ドル以下)ですら、2011〜2012年ピークの半分に届かない。輸出の大半を石油と天然ガスに頼っている国にとっては大打撃だ。
ロシア規模の不況が民主主義の西側諸国で起きたとすれば、政治的に乗り切るのは極めて困難だったろう。だが、プーチン氏の権力は、まるで揺らいでいない。
国営メディアは失政を覆い隠すために、西側からの経済制裁を非難したり、クリミア併合やシリアへの軍事介入への支持をあおっている。たいていのロシア人は、学校教育や国営メディアによって、西側諸国のほうがひどい状況にあると信じ込まされている。残念ながら、そのような情報操作は改革への処方箋とはなりえない。」

こんな苦しい時になぜウクライナ紛争を起こし、クリミヤ併合するのか(純粋経済的に見ても軍事行動は巨額経済負担です)というと、この紛争で愛国・民族主義を煽て目を外に向けるだけではなく、クリミア併合に対する欧米による不当な経済制裁という問題設定をして苦しいのは「欧米の不当制裁」という悲憤慷慨を煽る仕組みに利用しているのです。
・・北朝鮮も不当な経済制裁を煽っていますので、経済制裁ではどうなるものでもありません。

賄賂社会と道徳意識(中国5)

地位維持に汲々とする党幹部や高官だけでなく人民の方も競争相手がルールを守っていないのに自分だけ守っていたら競争に負けるが、真似して違法操業すると摘発されるのが怖いので日頃から党幹部や摘発機関への付け届けを怠れません。
また、環境規制等日常全般に違反状態で許認可を通して貰い、摘発を免れるには賄賂が必要になる関係になっています。
競合相手より上位の人間に・・課長クラス一人に渡すだけより幅広く且つ部長クラス〜局長クラスにも渡しておいた方がより効果がありますが、そのためにはより大きな賄賂を出せる人に限られる・結果的に学校の成績評価も何もかも全て金次第の社会となっています。
中国では付け届けを渡すのは古来からの慣習で違法(モラル違反)というよりは、税金の自発的上乗せ納税(もともと徴税能力不足が原因?)かのように考えている節があります。
ただ公式納税の場合には納税の多寡によって電車に優先的に乗れるわけではないし、一流大学に優先的に入れるわけでもなく公平ですが、賄賂の場合この秩序が乱される点が大違いです。
日本の場合公平性が徹底していて金持ちも貧乏人も・・生命維持の基礎である医療現場で端的に現れていますが、生活保護による無料医療を受ける人も金持ちも申し込み時間順の順番待ちし、3分医療も同じですし貧乏人か金持ちかによって薬のレベルや品質が変わることもないし、受ける治療・レベルの高い手技の医師に手術を受けられるどうかもすべて機械的決定です。
(いつも書くようここは大方の社会の仕組みを書いているのであって総理その他の場合特別な割り込みの仕組みがあるのですが、ごく少数の例外を書いていません)
アメリカの場合、公的サービス提供に賄賂で割込めない点では日本同様に公平ですが、その代わり公的サービスレベルが公教育であれ医療その他何であれ日本に比べて低すぎる点(その分私立が発達している)に問題があります。
それが生命に関わる分野で端的に知られているのが、オバマケアで知られる医療場面です。
アメリカの自治体結成動機をこのあとで再開・書いていきますが、州政府の提供するサービスレベルが低すぎるので自分たちでお金を出し合って道路や学校を作りたいとか水道、警察を持ちたいという時にそれぞれの目的限定の自治体を結成します。
自治体にまでいかなくとも、昔から一定のお持ちのクラブ(飲み屋やレストランやゴルフクラブホテルなどいろんな分野でフリーの客を入れない閉鎖社会を作っていくのがアメリカ式社会・・地中海式都市国家の流れの残滓というべきものかもしれません。
閉鎖的都市国家形態を取らない社会は日本と東南アジア諸国だけですから、いろんな価値観で現在主流の世界の異端「変わってる!」になるのです。
大型マンション内部にプライベート公園を作ったり、プライベートビーチなどすべて同様の流れによります。
税金の代わりに払えるものが自発的に払うという点で賄賂はアメリカで発達している寄付文化に似ていますが、寄付者は寄付金の使途に色付けできるだけでルールを曲げようとするものではない点で、似て非なる方向性です。
日本でも一定のお金持ちしかグリーン車やファーストクラスに乗れないお金がないとお芝居も見られないという程度の差がありますが、賄賂と違って一定のお金を払えば(チケット買うのに身分さがなく、裏金が要りません)、公平に同様のサービスを受けられる点が違います。
中国社会のように賄賂を道徳違反の問題ではなく自発的納税または必要経費として考えれば、規制クリアーのために公害防除設備をつけたままにして生産するコストよりも、要路への賄賂提供の方が安ければ日本から輸入時にくっついてくる公害防除設備を取り外す方になびく・国民の健康がどうなるかの視点が全くない国民性・・中国の場合「人民」がいるが国民がいないと言われている所以です。
まして、規制にあうように技術アップに努力するコストを考える(金をかけてもうまく行くとは限らない)と賄賂や剽窃でクリアーした方が確実(100人のスパイを放ってその内一人でも持ち帰りに成功すればコスト的に計算可能)で安上がりですし、海外企業との競争のためには成功するかどうか不明の技術アップの努力・・例えば巨額投資の必要な医薬品開発よりは盗むほうに金をかける方が合理的となるのでしょう。
いくら企業秘密を盗んでも国内にいる限り処罰されないのでは、関係者は道徳の痛みを全く感じない・・コスト計算の問題でしかありません。
http://gigazine.net/news/20170608-high-school-exam-cheating-devices/によれば以下の実態がでています。

2017年06月08日 21時00分00秒
中国の試験で発見されたカンニング用ガジェットの数々が公開される
中国では2017年6月7日から9日にかけて全国大学統一入試「高考(gao kao)」が行われています。「世界で最も難しい試験」と言われる高考ではカンニングが多発しており、カンニングを防ぐために念入りなボディチェックが行われたり、受験生に「ワイヤレス端末が仕込まれている可能性があるためワイヤー入りのブラジャーをしないように」という指示が出されたこともあったとのこと。では実際にどのような方法でカンニングが行われているのか?ということで、中国・山西省の太原市が、ここ数年で実際に使われたカンニングデバイスを公開しました。

High-tech devices used to cheat China’s exams | Reuters.com
http://www.reuters.com/news/picture/high-tech-devices-used-to-cheat-chinas-e?articleId=USRTX39AF6
例えば以下の写真に写っているのは一見すると何の変哲もないベルトですが、実はワイヤレス通信を行うデバイス。太原市ではここ数年の高考で使われたカンニング道具がメディアに向けて公表されたとのこと。(以下写真部分引用省略)
以下も消しゴムに偽造したワイヤレス端末。受信した答えをディスプレイに表示するのでしょうか。
時計のように見えるワイヤレス端末に……
耳につけて外部との通信を図るイヤーピースと端末。
イヤーピースはこんな感じです。(以上写真部分引用省略)
上記のようなデバイスを用いたカンニングが増えているため、試験の最中は監視員がワイヤレス端末の活動を調べているそうです。」

中国以外の国々では、自分が努力しないで他人の努力の成果を盗むのは古代から確立したとてつもない犯罪行為というモラル意識ですが、中国ではいろんな受験時に電子機器を使って外部交信によってカンニングする方法が流行っていたのを見れば、カンニングすること自体が能力次第であるし、商取引の一態様という意識のように見えます。
裏切ることも騙すことも、騙されたり盗まれたりする方が弱いだけ・騙し陥れる方が、能力が高いと評価される社会です。
モラルの問題ではなさそうな社会です。
中国ではモラルよりは全て金次第、金の亡者のように外部から見えるのは、すべての分野で賄賂金額を基準に動く社会になっている結果によります。
今回の党大会で宣言された習近平の「世界強国」が実現する世界では、新たな中国式価値観がルールとして強制され、これが道徳として教育されるのでしょう。
「付け届けをしない」方がモラル意識が低いと批判される社会でしょうか?
忠臣蔵の原因ですが、当時何かを教えてもらうには授業料を払うルールが未発達であったのでその代わりにお世話になりますという付け届けが必須であったことが背景にあります。
粛清政治→恐怖の弊害は直接的には権力闘争の結果・・権力周辺の問題でしかありませんが、政府高官がしょっちゅう粛清されるようになると、次の地位(局長クラス)の高官も間接的に粛清政治の対象になり、どんどん下位公務員に及んで行き、最後は公務員でない民間人も反党分子という名目でどんどん処罰されるようになっていたのがソ連の「収容所列島」の実態でした。
これを免れるためには、じっこんにする相手を特定高官に限定するとその高官(例えば薄熙来)が失脚すると却って危ないので、できるだけ賄賂の網を幅広くしておく必要に迫られるようになります。
賄賂がないと何もしてくれない社会になっていても景気が良くて末端まで一定の資金が回っていれば問題がありません。

混乱収束後の政治体制(ローマの場合)

ロシアの大統領制はソ連崩壊の混乱の中で失うものがない状態で生まれたものですが、中国の場合共産政権が崩壊してもいないのに結果がどうなるか不明(選挙というものはやってみないと結果はわからないものです)の選挙など怖くてすぐにはできません。
(対立候補が出ないように)よほど周到な準備をしてからでないと怖くて選挙をすると言い出せませんので、今は内々にその準備中でしょうが、中国にとっては大統領制のロシアでプーチンが2000年以来約20年も続いている体制が理想となっているのでしょうか?
大統領制で守られているはずのプーチン氏でさえも、家族でさえ信頼できない・・日本が贈った秋田犬だけが心を許せる状態?・・らしいですが・・・。
権力争いに関係のない国民にとっての関心は、習近平の粛清がどの段階でとどまれるか・スターリン粛清のように庶民まで及ぶのかでしょう。
中国歴代暴動では暴動を生き抜いた覇者を次の皇帝にすることで、際限ない闘争に終止符を打ってきた例を10月21に「漢承秦制の思想」として(003/30/10「パックスアメリカーナから中国専制支配へ2」のシリーズで紹介したこと)紹介しました。
一定の民度以下の社会ではどこでも一旦独裁が始まった以上は、終身制・・どころか子孫へ世襲していける皇帝や国王にして安心させない限り独裁者が権力維持のための際限のない猜疑心に陥り大変なことになるのが歴史教訓というべきです。
古代ローマでもシーザーへの権力集中→終身独裁官にまでしたものの、シーザーへの権力集中が進むことへの危機感から「共和制の大義」を守るために有志で?「ブルータス、お前もか (et tu, Brute?)」の文句で知られるクー・デ・ターで倒したものの、結果的にそのブルー タスを皇帝にして行った歴史が参考になります。
シーザーに関するhttps://ja.wikipedia.org/wiki/によれば以下の通りです。

ローマ内戦
紀元前46年夏、ローマへ帰還したカエサルは市民の熱狂的な歓呼に迎えられ、壮麗な凱旋式を挙行した。カエサルはクレオパトラ7世をローマに招いており、クレオパトラ7世はカエサルとの間の息子とされるカエサリオンを伴っていた。紀元前45年3月、ヒスパニアへ逃れていたラビエヌスやポンペイウスの遺児小ポンペイウス・セクストゥス兄弟らとのムンダの戦いに勝利して一連のローマ内戦を終結させた。
終身独裁官就任
元老院派を武力で制圧して、ローマでの支配権を確固たるものとしたカエサルは共和政の改革に着手する。属州民に議席を与えて、定員を600名から900名へと増員したことで元老院の機能・権威を低下させ、機能不全に陥っていた民会、護民官を単なる追認機関とすることで有名無実化した。代わって、自らが終身独裁官に就任(紀元前44年2月)し、権力を1点に集中することで統治能力の強化を図ったのである。この権力集中システムは元首政(プリンキパトゥス)として後継者のオクタウィアヌス(後のアウグストゥス)に引き継がれ、帝政ローマ誕生の礎ともなる。
紀元前44年2月15日、ルペルカリア祭の際にアントニウスがカエサルへ王の証ともいえる月桂樹を奉じたものの、ローマ市民からの拍手はまばらで、逆にカエサルが月桂樹を押し戻した際には大変な拍手であった。数度繰り返した所、全く同じ反応であり、カエサルはカピトル神殿へ月桂樹を捧げるように指示したという[28]。 共和主義者はこの行動をカエサルが君主政を志向した表れと判断した。また、カエサルは「共和政ローマは白昼夢に過ぎない。実体も外観も無く、名前だけに過ぎない」「私の発言は法律とみなされるべきだ」などと発言したとされる[29]。これら伝えられるカエサルの振る舞いや言動、そして終身独裁官としての絶対的な権力に対し、マルクス・ユニウス・ブルトゥスやガイウス・カッシウス・ロンギヌスら共和主義者は共和政崩壊の危機感を抱いた。
暗殺『カエサル暗殺』(La Mort de César) フランス人画家ジャン=レオン・ジェロームによる1867年の作

 紀元前44年3月15日 (Idus Martiae)、元老院へ出席するカエサル

4〜5年前に松本幸四郎主演の「カエザル」を日生劇場で見た時の舞台装置はこれを参考にしたらしく上記写真のようでした。
以下は、ローマ帝国に関するウィキペデアの記事からです。

「紀元前44年にカエサルが暗殺された後、共和主義者の打倒で協力したオクタウィアヌスとマルクス・アントニウスが覇権を争い、これに勝利を収めたオクタウィアヌスが紀元前27年に共和制の復活を声明し、元老院に権限の返還を申し出た。これに対して元老院はプリンケプス(元首)としてのオクタウィアヌスに多くの要職と、「アウグストゥス(尊厳なる者)」の称号を与えた。一般的にこのときから帝政が開始したとされている。
以降、帝政初期のユリウス・クラウディウス朝の世襲皇帝たちは実質的には君主であったにもかかわらず、表面的には共和制を尊重してプリンケプス(元首)としてふるまった。これをプリンキパトゥス(元首政)と呼ぶ。彼らが即位する際には、まず軍隊が忠誠を宣言した後、元老院が形式的に新皇帝を元首に任命した。皇帝は代々次のような称号と権力を有した。」

上記経過を見るとクロムウエル独裁やナポレン帝政の原型・混乱を鎮めたスターを国王または皇帝にしないと世の中がおさまらない歴史の原型がローマ時代からあったことがわかります。
クロムウエル独裁時に議会が国王になるように求めた例がありましたが、現実的判断の利くイギリス人の一面を表しています。
中国歴代王朝が大暴動で滅びこれを鎮めた武将が次の皇帝になり過去の王朝制度をそのまま踏襲してきたのもその一例です。
北朝鮮がどんなに貧困状態にあっても政治が安定しているのは、意外でもナンでもない・民度レベルからしてできもしない民主主義・能力主義政治あるいは、政策目標を掲げたり約束していない身の丈にあった世襲制政治をしているからです。

政争と粛清5(飢餓輸出・平均寿命低下)

政争と粛清5(飢餓輸出・平均寿命低下)

国民を飢え死にさせてまで穀物を輸出するようなことが、何故起きるのでしょうか?
飢餓輸出に関する本日現在のウィキペデアの記事からです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/

発生原因
国家財政が破綻するなど経済情勢が極端に追いつめられた局面で発生する。
宗主国が植民地(国)に対して行う強要。
外貨獲得のための単一作物の一辺倒な作付けによる、主食となる食糧生産量の減少。
20世紀、一部の計画経済の国では、国力の限界を超過した重工業化が行われ、その為の手段として、外貨獲得の為にその国の食料需要を無視した食料輸出が頻繁に行われ、発生した。
実例など
ロシアでは、ロマノフ朝末期から西欧諸国(特にフランス)への債務返済の目的で、小麦の飢餓輸出をおこなっていた。飢餓輸出はソ連時代になっても、外貨獲得の手段として続行された。ウラジーミル・レーニンは市場経済廃絶も兼ね、根こそぎ強制搾取で500万以上の死者を出し、ヨシフ・スターリンによる強引な農業集団化政策の影響で、1932年‐33年にウクライナで大飢饉が発生した際も、スターリンの命令により、引き続きウクライナから大量の小麦が輸出目的で搬出されたことで、飢饉の影響はより深刻かつ凄惨なものとなった。
近年で有名なところではルーマニア社会主義共和国の元首、ニコラエ・チャウシェスクの行ったものである。西側諸国からの累積債務返済のため、飢餓的な輸出を強行し、生活用品や食料品も不足したとされ、ルーマニア革命の遠因ともなった。
日本の1993年米騒動では、日本国内で米が不足したため海外から米を輸入することとなった。そのため米を輸出したタイ国内では逆に米が不足、高騰を招く事態となった。海外では、当時の日本国内には米以外の十分な食料があったことを皮肉って、ある種の飢餓輸出と呼ぶこともあった。
北朝鮮では国内各地で食糧不足が深刻化しているにもかかわらず、外貨を獲得するために飢餓輸出を続けているとされる。主な輸出品目はマツタケや魚介類である(ただし、正確な情報の不足から完全な把握は困難)。
中国の大躍進政策で多数の餓死者を出す原因となったのは、ソ連からの借款の返済に農作物を充てていたことが一因となったという指摘もある。

上記を見ると表向きは出てきませんが、中国大躍進政策による餓死者について18日に見たようにチベットなど少数民族の餓死率が極めて高いなど国内に抱える被支配民族に対するジェノサイド目的が背後にあったと見ればソ連との共通項が見えてきます。
大躍進政策失敗責任で一旦公職を退いた毛沢東が失地回復のために打ったのが文化大革命という名の大規模粛清でしたが、この気狂いじみた大粛清の大嵐がスターリンに比べて短期間で終わったのは、毛沢東が死去したことにより側近として猛威を振るった4人組が失脚したことによります。
粛清政治が一旦始まるとガン細胞のように巨大化する一方でスターリンやクロムウエル同様に権力者の病死、あるいはナポレンやヒットラーのように外征の失敗以外に終わらないのが特徴です。
粛清政治の連鎖による民生圧迫・疲弊の螺旋状強化に歯止めをかけるべくスターリン死亡後登場したフルシチョフのスターリン批判〜ゴルバチョフのペレストロイカ→ソ連崩壊後のエリツイン政治へと粛清政治をリセットしてみると社会が大混乱に陥りました。
これを収拾するにはプーチンの強権的政治にもどるしかなかったようです。
民主化に端を発した大混乱の総合結果であるロシアの平均寿命の急落を見れば、いかに民主化による混乱がひどかったかがわかります。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/8985.htmlからの引用です。
これによると単に生産が減って食料等不足になっただけではなく、恐怖時代に社会のあらゆる場面に病根が広がっていた結果によることを具体的に見ることができます。

年齢別の死亡率から計算される平均寿命はその国の健康状態、経済発展、社会病理の状況を集約して示す指標である。
2015年の平均寿命は、男は66歳、女は77歳である。男の平均寿命が60歳代半ば、すなわち定年年齢程度である点はやはり目を引く。ロシアでは年金問題は生じないとも言われる位である。男性の平均寿命が短い点とともに男女差が世界一大きい点がロシアの特徴であるとされる(図録1670参照)。
ゴルバチョフが企業の独立採算制と自主管理制を導入する経済改革などペレストロイカ政策を本格実施しはじめた87年から、いったん低下したアルコール消費量の再拡大と平行して、平均寿命は再度低下しはじめた。1991年のソ連邦崩壊後、1994年にかけては、一層急激な平均寿命の低下をみており、この時期の社会混乱の大きさをうかがわせている。
労働市場の改革、1990年代の深刻かつ長期にわたった景気後退、そして社会保障の崩壊が人々の心理的ストレスを増やす結果となったと考えられる。これは、アルコール消費量とアルコールが原因の病気に表れている。同時に、法、秩序および治安を扱う国の制度が崩壊したことに伴い、暴力的な犯罪が増加している。インフォーマルな経済活動や、暴力にものを言わせた取り立ても、平均寿命低下の原因となっている。1990年代前半だけで男性の殺人被害者は2倍に増えた。
裕福な世帯の多くは新たな民間の医療サービスに頼るようになっており、多くの貧困世帯にとっては、あらゆるところで賄賂その他の正規外の支払いを求められるために、「無料」の公的医療サービスは手の届かないものになってしまった。」

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC