高齢化と社会保険の赤字1

何でも高齢化や少子化による赤字と言う決まり文句でマスコミが報じていると、本来の問題の所在・・解決策を誤ります。
落語家の柳亭痴楽の綴り方教室で「・・郵便ポストが赤いのものみんな私が悪いのよ!」と言うセリフが1世を風靡したことがありますが、今は「高齢化が原因」と言えば免罪符になって全て議論停止の状態です。
医療機関の発達した現在では、人生最後の一定期間、医療関係の世話になるのは高齢化社会に関わらず同じです。
例えば40歳で亡くなる人も50歳で亡くなる人も皆病気や大怪我で最後を迎える以上、最後の一定期間医療の世話になる点は寿命の長短に係わらず同じです。
逆に若いトキからの難病で数十年医療機関にかかりっぱなしの人や、4〜50歳台で重病にかかって死亡した人の方が、生存維持に必死ですからいろんな高額医療に・しかも(透析その他)長期間精出す可能性が高いように思えます。
私の母が100歳の祝いをした(時には和食のコース料理を1人前に平らげて、健啖ぶりを発揮していたのですが・・)翌年あたりに胃腸の間にガンがあると分ったときには「放っておく方が良い」とになり、胃腸の間にステントを入れる簡単な手術をしただけで退院し、これと言った治療をしませんでしたから,高齢化したからと言うことで特別な医療費を使っていません。
高齢化すると最後の医療は却って簡単・少額かもしれないが、90〜100年の間に何回も医療を受ける関係がありますが、(年に数回程度の歯医者通いも亡くなるまでの合計では数十回に増えます・・)その代わり保険料を払う期間も長くなります。
寿命が延びると医療費のかかる期間も延びるでしょうが、その代わり労働期間・・納付期間も延びているので、私の場合既に大卒後約50年も払って来ていますが、今後まだまだ支払が続いていきます。
(いつまで払うのか調べたことがないので知りませんが・・仕事を辞めたら払わなくていいのかな?年収ゼロになっても納付義務がゼロになるのではなく最低の基礎的金額の支払義務があるのかも知れません。)
例えば30年間保険料を払った人が、最後の数ヶ月いろいろ病気するのと、私のように約50年以上も払って来て最後に(30年間払って死亡した・寿命の短い人よりも)仮に一ヶ月ほど余計世話になったとしても、これを比較したらどちらの方が、保険財政負担が大きいかの疑問です。
例えば、若い頃には、平均5年に数回の医療費支払が従来生涯に6回だったのが、寿命期間が延びて7〜8回の受診に増えてもその分保険料支払い期間が増えるのでこの収支は同じである筈です。
ただし、若いときには5〜10年に1回程度だった受診が70歳を超えて年数回〜10回になって来ると年間の支払い保険料も数倍から10倍にして行かないと計算が合わないような印象です。
ところが、逆に高齢者の保険料負担が軽くなっていて、しかも自己負担率も下がるのでは保険の原理からして逆張りです。
世代ごとの計算では、75〜80台になって来るとその年に払った保険料よりも多く使う人の比率が増えるでしょうが、その理屈から言えば若い頃には、保険料も数年に1回しか払わなくて良い制度にしていないと話が合いません。
若い頃に全然医師にかからないで保険料だけ毎月納めて来た普通の人にとっては、70台になってその年に払った保険料以上に年数回〜10回程度医者に行ってもいいじゃないかと言う気持ちになっている高齢者が多いと思います。
失業保険を60歳まで掛けた人が60歳になって失業保険を貰うときに、退職直前1年間の掛け金合計限度しか失業保険がでないと言われるような気持ちがします。
(それじゃ何のために何十年も払って来たのだと言う気持ち・・)
高齢化の所為で赤字になっていると言うならば、我々世代の生涯合計掛け金と、使っている医療費の比較を集計して公開して欲しいものです。
健康寿命の定義で19日に書いたように、生涯医療費を算出するには厚労省の調査は合理的だと思いますので、この調査結果を活かして、死亡年齢別の生涯医療費と生涯支払保険料額の収支表を公表して欲しいものです。
例えば、昨年の死亡者年齢別表を作ってその死亡者が過去に使った医療費・・支払った保険料の収支表を作るには、50歳の人が死亡した場合・・50年遡ったデータがいります。
仮に今はまだ遡れる記録が5〜10年前までしかないとすれば、生年月日まで遡れるようになるまではなお今後何十年もかかるでしょうが、現在の45〜50歳死亡の場合で言えば、当該年度の健康人も含めた45歳または50歳各年齢別に全員の使った年齢別医療費総額と総保険料金支払額額の対照表だけでも公開したら当面の年齢別収支関係が分ります。
(マイナンバー等が普及すれば、将来簡単に同一人の過去歴が遡及調査出来る時代が来るでしょう・・マイナンバー前から個人単位の保険番号がついている筈ですからやる気なれば過去に遡及してやれる筈ですが、コンピューター処理・・ソフトを作るのに金がかかるのか、やる気がなくてやっていないだけも知れません・・)

健康寿命→寝たきり開始イメージ報道の意図

膨大なマスコミやネット報道で健康寿命期間と非自立期間開始と直截関係がないと言う解説がなく、マスコミ・報道界が一致して「寝たきり期間を少なくするために健康寿命を長くする必要がある」と言うイメージを繰り返し流布させているのは、相応の背後勢力の後押しがあったように思えます。
陰陽の政治運動があるといつも書いているように「誰がこのイメージ定着で利益を得るのか?」と言うアプローチです。
高齢化が進むと健康寿命と平均寿命の差が伸びる→要介護期間が伸びる→介護人材不足のイメージ・外国人労働規制緩和論に利することが1つ考えられます。
これに加えて、直截保険財政赤字を主張しないものの、高齢化によって財政負担が増えるようなイメージ浸透効果・・社会保障費用の消費税増税必要性を訴える洗脳効果があるでしょう。
財政赤字が大変だと過大主張して消費税増税に励む財務官僚の思惑に似ています。
他方国民の心情に向かっては、「俺は平均よりも元気だ」と国民に自己満足させる・・受入れ易い効果もあります。
非常に有効なキャッチコピーだった気がします。
私は厚労省のPDFに入るまでは、「自分が平均よりも健康なのか?」とおめでたく誤解していましたし、高齢化→自分でトイレも行けない期間がこんなにあるのか驚きつつも・・それにしては、自分は元気だなという自己満足の気持ちでした。
ただ、このコラムを書いている内に、18日紹介したダイアモンド◯◯のネット記事・・健康寿命の終わり=寝たきりイメージからすると、周辺の状況に余りにも合わない・・おかしいなと思ったので、ちょっと気になって調べた結果、分って来ただけです。
マスコミは、「厚労省のPDFまで入って行く(私のような)暇人はいないだろう」と国民をバカにしていたのではないでしょうか?
マスコミはヤラセに始まって国民が現地調査しないことを良いことにして、いろんな不正確報道が目にあまります。
マスコミが、・・何のためにこう言う誘導をやるかと言えば、マスコミの使命である中立性を放棄して特定政治方向へ国民世論を誘導することが常態化して来た結果の一態様がここにも現れて来たと言うべきではないでしょうか。
ここで言う特定政治方向とは右翼または左翼(親中韓または反中韓)と言う大げさなものばかりではなく、サンゴのヤラセ報道事件や各種街頭意見聴取のようにマスコミが意図する一定方向へ世論誘導しようとする(不遜な)姿勢・・例えば、環境保全を訴えるものであれば、どんな虚偽・過大報道をしても良いと言うような・・思い込みを書いています。
マスコミは事実を隠さずに報道する使命がありますが、どこかの政党の意見でなければ良いのではなく、マスコミの意図する主張を垂れ流して一定方向へ世論誘導しようとするのは中立性違反です。
健康寿命との関係で保険財政赤字の話題が出たついでに、高齢化と保険赤字の関係をちょっと見て行きます。
私や妻の兄や姉やいとこ・・その連れ合いなど皆私よりもかなり年上(80台前後中心)ですが、身近な人で見ると年齢相応に年寄りっぽくなっていますが、そんなに具合が悪そうには見えません。
歯医者に行ったり、50肩?などで、年に数回程度整形外科に通ったりしている人がいるでしょうが、その程度では外見からは分りません。
私の場合で言えば、年に1回ほど、足が(乾燥原因?)かゆいので、塗り薬を貰いに行く(360円)程度の外、昨年食べると痛むので歯医者さんに行ってみると目に目に見えない細かなひび割れがあってそこが沁みるそうですが、この場合合計で3割負担で数千円程度の支払でした。
若いときにはこう言うことは皆無でしたから、医療の世話になる頻度が上がって来たと言えば言えますが、いいわゆる健康寿命経過後でも、私が払っている保険料の何十分の一も年間使っていません。
勿論私の妻はこの数十年以上年に一回も医療機関の世話になっていません。
私自身高齢者の仲間入りをしてみると,私だけではなく私よりも高齢の先輩弁護士の多くが元気にしていることを見ても高齢化が社会保険赤字拡大の原因と言う報道がどこか、おかしいような気がしてきました。

健康寿命と自立年齢1

貧困連鎖論批判に流れてしまいましたが、年末〜元旦に掛けてのテーマ・・高齢化による情報処理能力低下に戻ります。
物忘れが早くなるのも能力低下によるもので、能力以上の重いものを持つと長く持っていられないのですぐにどこかに置きたくなる・・キャパシテイを越える情報が入ると保有し切れなくてすぐに投げ出すしかありません。
物忘れと言っても最近の記憶から順に消えて行くの見ると、ドラム缶に積もって行く枯れ葉などを想像すると、子供のころの情報は底の方に入ってしまい簡単に出ないが、だんだんつもって来て70台になって残り5センチくらいしか余裕が無くなってから入ったばかりの情報は風が吹けばすぐに飛び散ってしまいます。
この余裕幅が3センチメートル〜2センチ1センチ〜と縮小してゼロになると、5分前に食べたことも分らなくなるのかもしれません。
長く生きていると物忘れ・・記憶がすぐに消えて行くのは、その間の情報の蓄積が膨大で蓄積能力が限界・・満杯になりつつあるからではないか?と大分前から考えていました。
この考えは我田引水の都合の良い考え方・・全て人は自分に都合良く考えたいものです・・若いころから、あまり記憶して来なかった人の方がいつまでも記憶容量が残って有利になる結論を導けそうで気に入っていました。
私は若いときから人の名前その他、何でも直ぐ忘れてしまう記憶力の酷く悪い方でしたから,記憶が殆ど溜まっていないので入れ物に余裕があって有利な筈と思っていましたが、70歳前後から年齢相応に物忘れが進んでいるようなのでおかしいなと考え直した結果、元々のキャパが小さかったのに気が付きました。
キャパが小さいから直ぐ満杯になってしまわないように、生まれつきあまり覚えないように自己防衛して来たのかも知れません。
私の例から見ると、子供のころからあまり勉強しなかった人の方が記憶容量が残っていていつまでも記憶力が衰えないことになって高齢化時代には有利かと思っていましたが、そうとは限らないことになります。
私より半年か1年ほど年長で若い頃に記憶力の良かった修習同期の弁護士と時おり日弁連の委員会で会うのですが、彼は若いとき同様に特定分野に関する情報に関しては今でも関心旺盛です。
若いときから記憶力のいい人は、その方向で能力も優れているし、キャパも大きいのでドンドン使っているのであって、高齢化してもなお余裕があるのかも知れません。
ところで情報処理能力の低下を考えて行くと、100歳まで生きている場合、最後の1年で処理した情報は若い人の10日分しかないかも知れません。
そうなると長生きしていると言っても、1年で実質10日分長生きしたに過ぎない・・その他はボヤーッとしていたことになります。
100歳と105歳の差も内容では、5年間で得た情報差は20日分くらいしかないのかな?
赤ちゃんや幼児・・あるいは寿命の短い犬や猫その他小動物は、筆記試験出来ないので気楽に遊んでいるように見えますが、1ヶ月に受容し刻み込んでいる情報量は、大人の何千〜何万倍もあるかも知れませんから、生後の1ヶ月がもの凄く長いのでしょう。
こうなると長生きしていても情報処理能力が一定量以下になると実質的に大した意味がないことになりますから、早めに店じまいした方が良いのかも知れません。
客も来ないのに夜中まで開店していてもコストがかかるばかりですが、人生も同じで情報受容・処理能力もないのに120歳まで生きていてもコスト割れ?です。
この一定量は認知症診断の簡易テストに使われている長谷川式の詳細版を作れば良いように見えますが、テストをワザワザ受けなくとも外見的・・あるいは自己判定基準としては、いわゆる健康寿命が分りよい指標になるかも知れません。
健康寿命(自立可能)の限界が来ても、知能は活発な人は当然いるでしょうから、その場合は別に考えれば良いことでここでは概括的基準を書いているだけです。
若いときには、スキーに行って来たとか映画を見て来て良かったとかの自己中心話題で、結婚すると子供がどうしたと言う話題が数十年続くなど、年齢によって話題が変わります。
回りに高齢者が増えて来たせいか?時間が早く感じるのは常識になっているのでこう言う話題は減って来て、70歳代にはいって来ると健康の話題が多くなり、関心を持つようになってきました。
今の時代・・私に限らず多くの方にとっては、重い病気が増えるのは80台になってからのように見えますが、これは元気な高齢者が目立つからであって、体調の悪い人が結構いても、あまり出歩かない・徐々に社会参加が減るので目立ち難いだけかも知れません。

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