格差社会(独2)

ドイツのホームレス実態続きです。

好調ドイツで深刻化する「見えない」貧困 人々は語らず、政治家も目を背ける

好調ドイツで深刻化する「見えない」貧困 人々は語らず、政治家も目を背ける
Dec 25 2017
◆ホームレス増加。低所得者向け住宅の減少が影響?
ドイツでは約86万人の人がホームレスとなっており、路上生活者は5万2000人、友達の家やシェルターを渡り歩く人々は、80万人以上だという。
DWは、ホームレスが増える原因のひとつとして、政府の補助を受けた安い賃貸住宅が減りつつあることを上げる。30年前の西ドイツでは400万戸の低所得者向け住宅があったが、現在では130万戸まで減少した。家賃は市場が決める今では手ごろな賃貸物件は稀で、特に単身者向けは高騰している。1700万世帯が一人世帯なのに、1~2ベッドルームのアパートは市場に520万戸しか出回っていない。その結果、一人暮らしの多い都市部の家賃が上がっている。
家賃を払えずに住む場所を失った人々は、ホームレスとなり比較的生き延びやすい都市部に集まる。
◆貧困は話題になりにくい?政治の対応も遅れている
政府の調査によれば、貧困の危機にある人は2014年には16%となり、1995年より4%増加した。失業率は非常に低いが、パートや低賃金、不安定な仕事に就く人々がより増えているため、経済成長の恩恵を受けられない人が増えているという。高齢者が最も打撃を被っており、貧困ライン以下で暮らす退職者は全体の15%だという(CNN)。ホームレス・シェルターで働く職員は、多くの人がひどい状況のもと暮らしているが、「ドイツでは、貧困についてあまり話さない」と嘆いている(The Local)。
貧困は確実に広がっているのに、ほとんどの政治家は先の選挙戦でも沈黙を守ったままだったとCNNは指摘する。

ネットによればドイツにはホームレスの政府統計がないとも書かれていて、慈善団体等の推計によっているようで、このため65万とかばらつきがありますが、米国よりひどい状態です。
なんとなく、コロナ禍での日本の死亡者(20年9月15日現在1,451)数と米欧の死亡者数の比較に似た傾向になっているのが不思義です。
ちなみに9月17日日経朝刊10p記載の世界各国地域新型コロナ感染者数(死者数)によれば以下の通りです。

米国  65544820(194536)
独     263222(9356)

日本は15日現在で厚労省発表では 感染者75,958  死者1,451とのことで、米国死者は日本の130倍以上、ドイツは約7倍です。
ドイツの人口は日本の約半分で比率が桁違いです。
コロナ禍による世界の死亡率は、ブラジルやインドを見ても社会格差比率に大方比例しているのではないでしょうか?
以上のように世界では優等生と言われるドイツでさえも格差社会の進行でホームレスが増える一方のイメージです。
欧米の格差は種として移民増加によるものでしょう。
日本では底上げが成功して多くの国民が豊か感満喫中ですが、貧困者がへれば助けを求める人も減るし貧困層をターゲットにして日常活動をしてきた共産党員も減り赤旗読者も減るのは当然です。
真面目にやってきた政党の活躍すべき場面がなくなったのは、貧困撲滅運動の成果であり、長年の共産党活動の成功の証であると自賛して、発展的解消を祝うべきかもしれません。
ただし保守系政党としては、長年の経済政策の成果というのでしょうが・・。
特定政党が貧困層を問題にしたから貧困がなくなるのではなく、日本社会は同胞・絆のつよい社会・・もともと大企業トップと庶民との所得格差の小さい社会である点から、経済成長の果実が底辺層にいき渡りやすい社会です。
この点経済成長がストレートに経済格差拡大に結びつく諸外国との大きな違いと言えるでしょうか?
日本の場合特殊政党が格差反対論を打たなくとも経済成長すると自然に底上げされる社会です。
要は成長戦略さえ軌道に乗せれば良いので、為政者にとって楽な社会ではないでしょうか?
欧米の真似をして格差反対だけ唱えてれば支持が集まると安易にキャンペインを張ってると政党の役割を果たせず支持が増えません。
貧困が減ってきたのは、貧困を頼りにしてきた政党には気の毒ですが日本社会にとって良いことです。

底上げ成功社会と格差社会1(米独)

日本の場合、厚労省の30年31年令和元年の3年分統計を見ておきます。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_00075.html

ホームレスの実態に関する全国調査(概数調査)結果について
平成30年1月に実施したホームレスの実態に関する全国調査(目視による概数調査)結果がまとまりましたので、別紙のとおり公表します。
ポイント
1.ホームレスが確認された自治体は、300市区町村であり、前年度と比べて8市区町村(▲2.6%)減少している。
2. 確認されたホームレス数は、4,977人(男性4,607人、女性177人、不明193人)であり、前年度と比べて557人(▲10.1%)減少している。
3. ホームレス数が最も多かったのは東京都(1,242人)である。次いで多かったのは大阪府(1,110人)、神奈川県(934人)である。
なお、東京都23区及び指定都市で全国のホームレス数の約4分の3を占めている。
4. ホームレスが確認された場所の割合は、前年度から大きな変化は見られなかった。
(「都市公園」22.7%、「河川」31.0%、「道路」18.0%、「駅舎」4.9%、「その他施設」23.4%)

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_04461.html

平成31年1月に実施したホームレスの実態に関する全国調査(目視による概数調査)結果がまとまりましたので、別紙のとおり公表します。
1.ホームレスが確認された地方公共団体は、275市区町村であり、前年度と比べて25市区町村(▲9.1%)減少している。
2.確認されたホームレス数は、4,555人(男性4,253人、女性171人、不明131人)であり、前年度と比べて422人(▲8.5%)減少している。
3.ホームレス数が最も多かったのは東京都(1,126人)である。次いで多かったのは大阪府(1,064人)、神奈川県(899人)である。
なお、東京都23区及び指定都市で全国のホームレス数の約4分の3を占めている。
4.ホームレスが確認された場所の割合は、前年度から大きな変化は見られなかった。
(「都市公園」22.7%、「河川」30.3%、「道路」18.7%、「駅舎」5.2%、「その他施設」23.1%)

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_12485.html

ホームレスの実態に関する全国調査(概数調査 … – 厚生労働省
令和2年1月に実施したホームレスの実態に関する全国調査(目視による概数調査)結果がまとまりました
【調査結果のポイント】
(1) ホームレスが確認された地方公共団体は、255市区町村であり、前年度と比べて20市区町村(▲7.3%)減少している。
(2) 確認されたホームレス数は、3,992人(男性3,688人、女性168人、不明136人)であり、前年度と比べて563人(▲12.4%)減少している。
(3) ホームレス数が最も多かったのは大阪府(1,038人)である。次いで多かったのは東京都(889人)、神奈川県(719人)である。
なお、東京都23区及び指定都市で全国のホームレス数の8割弱を占めている。
(4) ホームレスが確認された場所の割合は、前年度から大きな変化は見られなかった。

上記の通り日本では年平均約1割づつ減少しているし、国祭的に見ても絶対数の少ない社会です。
ちなみに米国のホームレスは以下の通りです。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/presidential-election_2020/report/society/society_15.html

「ホームレス57万人」の衝撃  2020.01.28
アメリカ政府が今月発表した統計では、その数は全米で56万7715人。
前年に比べて2.7%も増えている。
州別に見ると、最も多いのが西海岸のカリフォルニア州。次いでニューヨーク州、フロリダ州の順に多い。

西欧の模範とされるドイツはどうでしょうか?
日本ではドイツの良い面ばかりしか報道がなく知られていませんが、ドイツではホームレスが意外に多いようです。
https://blog.goo.ne.jp/mikakohh/e/5813536fb2ee374940d6b8938ee4cd79

景気のいい話題の多いドイツにおける悲しい統計が、貧困率やホームレスに関する統計です。BAGWの最新の予想によれば、2018年のホームレス数は120万人にのぼることになるようです。

https://parstoday.com/ja/news/world-i54716

7月 31, 2019 20:24 Asia/Tokyo
ドイツDPA通信によりますと、同国政府の公式統計によれば、ドイツ各都市のホームレスは65万人以上とされ、彼らは路上や公共の場所で夜を明かしています。
様々な推計によれば、2014年の時点でドイツにはおよそ33万5000人のホームレスがいるとされていましたが、この数は翌年におよそ50万人に達しました。

グローバル化→名誉・信用最大化(気配り社会化進展)

グローバル化あるいは都市化現象は、活動領域が線で広がっただけ・・村社会が大きくなっただけのことで、日本列島全体が一つの村社会・定住社会・市場になったとして見直せば、全国を足場にする有名人や、全国展開の業界では列島内のどこか一部でも、信用を落とす行動をすれば列島全体の営業成績に響きます。
このように見れば名誉を重んじる日本人の気風は、グローバル化していくと世界規模の標準道徳になると思われます。
グローバル展開している企業にとってはグローバルな市場相手なので、旅の恥はかき捨て並みにある地域で強引なことをしても、よその世界に行けば良いとは言えなくなってきた時代です。
ある県一円で展開する地元老舗は地元のどこでも手抜き・悪い評判が立つのは困りますし、関東1円を商圏にする場合は関東1円での評判、グローバル展開企業にとっては、グローバルな評価が重要です。
地域限定の零細企業や個々人にとっては、自分の活動エリアが狭いから気楽というよりは勤務先や取引先や友人と線(電話「線」やネット「回線」あるいは通勤電車の沿「線」)でつながるだけで
面的感覚がなくなっているので「名誉・信用などどうってことがない」と思うかも知れませんが、そのエリア(線でつながる特定企業やサークル内等々)においては、やはり「仕事」やサークルへの貢献度に対する評価や名誉・信用が大切な点は同じです。
住居地町内での関係は希薄化していてもその代わり、勤務先や取引先や友人と線(ネット回線や電話線や通勤電車の総武線や常磐線)が違うイメージで勤務先に着くと狭い室内・・かつての村社会よりもっと密集した狭い部屋でデスクを並べる濃密な関係です。
帰りで赤提灯で付き合いが必要な濃密な関係で江戸時代までの農村での人間関係より濃密でしょう。
勤務先や通学先友人等が優先交際先になった分、地域住民と関係を持つ時間が減っただけ・・これを人間関係希薄化と言っているに過ぎません。
人は一定のエリア(組織)内で生きている→頻繁に居住・職業エリアを変えられないから住んでいる世界・・線でしか繋がっていないとしてもその仲間内の評価は重要です。
長期間定住・一定の組織やグループ、エリアの住人になっていると何かと情報の厚みがあって便利ですし、(若い時は別として)しょっちゅうエリアを変えて、その都度新規蒔き直し・・新参者の繰り返しでは豊かな人生が送れません。
転勤族といっても執務場所が変わるだけで属する企業・組織社会が一定のまま移動している(団体旅行のような感覚)だけで、住んでいる共同社会は同じで年功を積んでいける社会です。
今後在宅勤務が、主流になると勤務先や学校友人関係も毎日顔を合わせない・・線=ネット関係中心になるのかな?
地域的関係・・面的感覚がなくなっているので面としての地域束縛・・駅から何分というだけの基準でマンション選択するように、駅までの通勤経路から一歩外れた道路に何があるのかの関心が低くなります。
セカンド拠点というべき勤務先周辺に対する関心も同様でよくいくお店以外には、隣近所のビル内の従業員がどういう人か全く知らないのも同じです。
こういう表面の変化を見て、「都市生活は気楽だ、名誉信用・わずらわしい人間関係がない」と一般に言われているようですが、それは一生のほとんどをその村から出ないで生活する自給自足型農村社会を基本型として、隣近所に気を使わなくて良くなったという一面だけをいうものです。
その人の属するエリア(線でつながる特定企業内やサークル内等々ネットを含めた線で頻繁につながる関係)においては、その狭い世界では、名誉信用・他人の自分に対する評価が大切な点は同じです。
高層マンション居住幼児の母親で言えば、隣近所に気を使わない代わり、保育所のママ友に除け者にされる苦痛は大変なものでしょう。
勤務先その他では農村社会以上に濃密な関係が生じているから、(農村社会では共同作業が滅多にないのに対し、組織内従業員の場合毎日毎分毎秒が共同作業のすり合わせですので、前近代の農村社会以上に気配りが求められます)都市住民の方がストレスが大きくなります。
そこでのストレスを子供のいる家庭に持ち込めないので、同僚と共通のストレスは同僚と赤提灯で(上司の陰口程度)晴らせるが、同僚と共有しない個人的鬱屈については、聞き役になってくれる勤務先近くのバーのママさんが必要になるのでしょう。
その狭い世界では、名誉信用・他人の自分に対する評価が大切な点は同じです。
最近女性プロレスラーだったかが、ネットでの批判記事殺到?を苦にして自殺したか?と報じられているのは、昔で言えば村社会で非難轟々になったのと本質が似ています。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/05/24/kiji/20200524s00041000022000c.html

テラハ出演レスラー・木村花さん、自殺か…ネットで誹謗中傷受け、SNSに「愛されたかった人生でした」
[ 2020年5月24日 05:30 ]

高齢者から見れば「ネットなど気にしなくて良いのに!」と思うのは、若者から見れば、地域社会の評判を気にする親世代の気持ちがわからないと言うことになるのでしょう。
共通項はそれぞれ自分の生活基盤として重きを置く社会から離れて生きられないと言うことではないでしょうか?
人は一定のエリア(組織)内で生きている→頻繁に居住.職業エリアを変えられないから住んでいる世界(ネット空間も含め)での評価は重要です。
長期間定住・一定の組織やグループ、エリアの住人になっていると何かと情報の厚みがあって便利ですし、(若い時は別として)しょっちゅうエリアを変えて、その都度新規蒔き直し・・新参者の繰り返しでは豊かな人生が送れません。
転勤族は地元に居着かないと言っても属する企業・組織社会が一定のまま執務先を移動している(団体旅行のような感覚)だけで、住んでいる共同社会は同じで年功を積んでいける社会です。

外出規制緩和10(韓国の実験と監視社会化3)

専制支配体制が長く続く社会の人民は、自主的価値判断で動くのはリスクが高いので、専制君主のご機嫌を損ねないことが優先順位となり最悪の場合処罰されるかどうかの外部基準に頼る社会になっています。
専制君主に直接接点のない末端人民に至るまで、人民は処罰さえ受けなければ(法網をくぐる技術重視)良いという正義とは何かを考える余地のない社会になり、正義とはなにか?自発的価値観を育む経験がないまま、千年単位過ごしてきたと専制支配社会の特質を書いてきました。
政治世界では世の中を良くするための知恵をしぼるよりも保身・権謀術数に勝ち抜く訓練が優先順位になります。
個々人は社会貢献よりも私腹をどうやって肥やすかの金儲けだけが基準となり、自粛と言われてもどの程度自粛すべきかを考える訓練機会が子供の頃からないので、自主判断能力が育たない社会になっています。
日本でも成績優秀者・・模範解答を勉強するのや忖度に特化したひとは政府の方で早く自粛基準を示してくれないと困るという大阪府知事のような変な要求が出てくる点では似ています。
自治を守れと声高に主張しながら具体論になると指導基準を示してほしいという人が少なくありません。
自主判断・自由行動禁止になっている社会と自主行動推奨社会でありながらどうして良いか分からない・・一定基準に達しない人のために、参考基準・・マニュアルが必要なのは似ていますが出発点の方向が違います。
人が自主的にどこまでやれるかを年齢順で見ると小中高校、大学〜社会人と順次レベルが上がっていくのが普通です。
同じ年齢でも能力差がありますので、マニュアルがあった方が低レベルの人も一定水準まで真似できます。
特措法では、政府が緊急事態を宣言すれば都道府県が地域の実情に合わせて対策を決める仕組みですが、大阪府の要求を見ると政府指示待ちの習慣が出てきたようです。
感染率の上昇や縮小といっても地域差が大きい上に、地域の産業構造も違うので緊急事態かどうかの判断権は中央政府にあるとしても個別施策は地域の実情に合わせてやって下さいというのが特措法の精神です。
韓国のコロナ関係統計を見ていると韓国のコロナ政策がうまくいっているようなのにメデイアによるこれといった紹介がないのを不思議に思っていましたが、韓国が外出規制解除に動いてから一気に韓国のコロナ政策内容が公開されるようになってきました。
韓国の政策特徴は、日本の微温的政策と違い監視社会化を大きく進めていたことが大きな違いのようです。
メデイアが韓国でこんなことしているから日本も学んだら!という報道をしないのは、何もかも中央政府が国民一人一人を監視し指示し、地方や国民が政府指示通りに動く社会を理想化する意見が日本人には少ないと判断したからでしょうか。
能力が低くて指示待ちになるのは個人の問題ですが、能力の有無に関わらず政府が前もって指示してくる仕組みになる・・能力ある人の日々の日常行動まで自主判断が許されない社会になると民主主義の本質が破壊されるように思われます。
専制支配に慣れた社会では、自由は重たすぎるので恐怖感利用による指示政治の方になじみが良いのでしょうか?
韓国の規制緩和の結果を見ると中国の真似をした監視網構築であるものの、中国ほど徹底できない・・半端さでウイルスの報復を受けたような印象です。
国際政治力学的に見れば、中国の台頭と歩調を合わせた慰安婦騒動以来の韓国民の行動を通じた心情をみると自由主義陣営に属しながらも本当は自由より専制支配されていた昔が恋しい意図がアリアリの印象でした。
表向き米国中心の自由主義陣営に属しているものの、内心では自由は辛い・・99%中国の属国に戻った気分になっているように見えていましたが、今回の韓国のコロナ対策の具体化が徐々に報道されるようになってみると、表面上自由主義社会の一員にかろうじて留まっているとは言え、社会の実情としてはいわゆる監視社会化を中国パターンにあと一歩まで近付いた極限社会になっていた印象です。
人権(個人情報保護)にうるさい西欧諸国でも対コロナ禍では緊急事態下で相応の厳しい規制をしていますが、1律の外出制限等にとどまっているののたいし、韓国の個人監視運用を見ると民主主義社会の一線を超えている印象です。
韓国民にとっては歴史始まって以来専制支配下にあってもともと専制支配体制に服する方が気持ち的にピッタリして落ち付きの良い民族性の上に、北朝鮮の専制支配に憧れる文政権成立でこれをチャンスに?急激に監視社会化が進んだということでしょう。
日本では安倍政権が休校自粛要請するだけで、教育の中立性侵害という批判論が朝日新聞で紹介される社会とは大違いです。
コロナ禍をダシにしてなし崩し的に何でも決まって行く・軍靴の音が聞こえてくる式の政権批判論がメデイアの基本姿勢ですが、一方で安倍政権は右往左往していて指導力がないという政権批判論を煽っていますが、「韓国がうまくいっているのに」という喉まで出かかっている単語を持ち出せないのは、休校要請や自粛要請批判と韓国の強制力の激しさと矛盾してしまうからでしょう。
そこでやむなくドイツがいかにうまくいっているかの宣伝が激しくしていたので、このシリーズで国際比較の一環としてドイツのデータも一緒に表を引用して紹介してきましたが、ずっと日本の10倍以上も死亡発生していますので、これまたなぜ「ドイツがこんなに成功している!」と安倍政策失敗の比較例になるのか不明になっています。
誰もが国際統計をネットで見る時代に、結果比較でおかしすぎるので恥ずかしくなったのか?最近ドイツを賞賛する根拠不明の記事が減りました。

外出規制緩和9(韓国の実験と監視社会化2)

コロナ禍による行動監視や歩行禁止は、個人の意向など無視できるほどの社会防衛の必要性があるのでしょうか?
昔の言い方で言えば、法定伝染病に罹患していれば公共の福祉・・社会防衛のために強制入院を命じられるのは元々の法原理ですが、感染している証拠がなくとも

a「感染させる恐れ」
b「感染する恐れ」

だけで道路を歩いたり人混みに行くのを禁止できるかの疑問です。
上記bの場合、本人がリスクを取ればいいだけで国家が直接強制する必要がないでしょう。
多量の飲酒や喫煙が健康に害があるとしても、政府がキャンペインや増税したり歩行中喫煙や公共空間での喫煙禁止などの間接的抑制を図るのは別として、飲酒や喫煙自体を直接処罰するのは行きすぎです。
上記aの場合、検査しても陽性でなく発症もしていないが、まだ「潜伏期間」かも知れないから危険だという思想でしょうが、いわゆる濃厚接触者・・感染者が多数出ている艦船の同乗者、あるいは、感染拡大中の地域から来た人や帰って来た人に対する相応の嫌疑をかけて潜伏期間とされる2週間ほどホテル等指定箇所で外部接触を絶っていただくのは一応の合理性があります。
前後の状況、挙動不審等の相応の嫌疑根拠があれば警察〜検察が一応の証拠で令状によって、合計約22日間逮捕〜勾留できるのと似たような機能です。
ホテル等と留置場とでは待遇がまるで違う点があって許容性が高まるでしょうが、現状は「陽性反応もないので自宅に帰る」と頑張られると強制できない運用です。
軽症または未発症の陽性反応者でさえ、隔離ために自治体がホテル等を大量に確保したのに、(入院の必要がないならば陽性反応者でさえ)ホテルへの移動に大多数が応じていない現状が国民意識を物語っています。
法で強制する方向の議論は起きていません。
陽性反応どころかなんら感染の疑いもない人をある地域に住んでいるといいうだけで政府が一定期間自宅やホテル等へ強制軟禁するのは憲法違反の人権侵害でないか?というのが現在日本人の大方の意識ではないでしょうか?
半径100〜200メートルまで自由なら良いと言えるでしょうか?
出歩かないように協力お願いが限界というのが国民意識ではないでしょうか?
お願い程度にすべきという意見は、根底に国民の大方が自主判断でやるだろうとの信頼があるからでしょう。
欧米では非常事態宣言が出て特定人目的でなく、その地域住民全員に対する客観指標による強制の場合、恣意的に行わないので公平だという考えでしょうが、よほどの必要性とのバランスでしょうが、日本ではそれも許容範囲外です。
まず自粛でやってみて、それでどうにもならなければ一段の強化を考えるという順序です。
欧米では一足飛びの刑事罰のある外出禁止ですが、人権人権という割に、国民に対する信頼感が低い証左です・というか、もともと国民の権力に対する信頼感がないから人権人権と騒ぐ必要がることも何回も書いてきました。
監視社会に戻します。
本人の意思に関わらず日常的に細大漏らさずデータが蓄積される社会になっていてコロナ禍等の特別なときだけ権力支配ができるとしても、サイバーテロのようにちょっとした能力さえあれば侵入して特定人物の行動を監視できる社会になるのはおぞましい限りです。
個人特定情報拡散防止規制があっても、国際スパイ網はこれへの侵入を試みるでしょうし、権力闘争者も与野党を問わず裏情報としてこれを利用する誘惑にかられるでしょう。
個人情報保護規則を如何に精密にしても「盾と矛」の矛盾関係で精密な防御技術を作る能力のある人はそれを破る能力もあるのが原則で、100点の技術者が一人で2番手が90点以下のように突出した能力がある場合破るのが難しいとしても100点代の技術者が1000〜1万人いる場合、全部を権力・体制内に囲い込めないのでそのうち数人でもアウトロー側に回れば、簡単に防御陣が破られる原理です。
剣の達人で言えば、ど素人が不意を襲っても達人に負けるとしても、甲乙付け難い能力者同士の戦いでは正面からの正式試合でさえも、当日の体調や事前練習の仕上がり次第で勝ったり負けたりの3勝2敗等で勝敗が決まっていくものです。
テロ・攻撃側は密かに相手の隙を狙う点で、剣の達人が寝ている隙を狙って、あるいは背後からいきなり切り掛かるようなものですから、100点対80点程度の実力差があっても勝てるような関係ですから攻撃可能な人材の裾野はものすごく広くなります。
だからこそ、情報収集自体を許さないという「のほほんとした」個人情報保護規制が発達してきたのですが、そういう「のほほんとした」時代が終わりつつあることが白日の下に晒されたということでしょう。
防犯カメラはそれ自体では事件が起きてから時間をかけて巻き戻して見るしかなかったので、(千葉県弁護士会館でも防犯カメラが設置されていて事務局の奥に映像が常時流れていますが、誰も映像を見ている暇がなく、日常的監視不能でそれほどの被害がなかったのです。
現在ではコンビニその他でのカード利用と結びつけてそこでの防犯カメラの膨大な映像によって、(Aに対する縦横斜めの立体映像が完成していて)スマホ等の位置情報と紐付けたうえで、AI駆使によって瞬時に・・ある事件現場のお店の防犯カメラに片足しか写っていない人物特定が可能になってもおかしくない現状です。
権力者やスパイ等が、Aの日々のリアルタイムの情報が欲しければ現在どこの高速道路上で、どこに向けて走っている・車中から誰に電話中か、メール中か、どの動画視聴中かも分かる・・3日〜1年前に遡ってBと会話していないか・・同席していないかも分かる時代が目前にきているかもしれません。
日本の場合、全て忖度、自粛・自主判断に委ねる社会であって、守らなくとも処罰される社会ではありません。
メデイアはしきりに忖度を批判しますが、周りの空気を読んでこのように動くべきと自主的判断で行動する社会・魚群のような無意識で一体行動のとれる社会と上からの指示命令に反しない限り何をしても良い・・自主的に気配・・価値観を察知する訓練のない社会とどちらが良いかです。
自粛・自主判断重視社会では処罰がない分、基準もファジーで済みますので厳格な監視社会に繋がりにくいでしょう。

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