民主主義と利害調整力不全1

グランドプリンセス号がCDC命令どおりメキシコ行きの航路変更してサンフランシスコ沖に到着したのに、地元の反対で入港できず、4〜5日時間空費したことを紹介してきました。
4月頃には別のクルーズ船のフロリダ入港を巡って、フロリダ州政府がクルーズ船の入港を認めるとしても、フロリダ州民しか下船させない→州民以外の医療サービス提供拒否態度が紹介されています。
日本でも国策の最たるものである自衛隊基地設置(与那国島の設置)や装備(オスプレイやイージス・アショアなど)に関して地元自治体が同意しないと設置すらできないのが現状です。
たまたま河野防衛大臣によりイージスアショアの非効率性が明らかにされましたが、問題はそういう前向きの議論ではなく、地元の反対はその工事が国家存亡に関わる国策として有用であるか否かの議論に関係なく地元が少しでも負担になることは嫌!という意思表示が貫徹できる点にあります。
地上型迎撃装置の有効論でなく迎撃用に打ち上げたブースターが地元に落下したら怖いという次元の違う反対論でした。
リニアーの愛知県内工事に愛知県が同意しないことが2〜3日前に大ニュースになっていましたが、国家的大事業の場合、辺野古沖移設や自衛隊基地を含めほぼ全て公共工事を伴うので地元自治体が地元に不利益と考えれば拒否できるのが現状です。
日本だけでなく先進諸国では自己中心主義の権化みたいな主張が各地で噴出して、中央政府が利害調整ができなくなる姿が一般化してくると、逆にこのような国家運営に不満を抱く人が増えてきます。
格差問題〜人種差別問題などなどの各場面での対立が米国で目立つのは、民主主義・自己主張の行き過ぎにより、利害調整・社会統合が不可能になっている場面が表面化している姿と見るべきです。
民主主義とは自己(権利)地域・集団主張が先(表現の自由)にあって、意見相違(利害相克・調整)は公開の討議を経て止揚・統合されて行くのを理想とする社会です。
全体がどうなろうともそんなことは考えなくとも良い。
まずは自己(地域や集団)主張して行けば全体としての最適解は「思想の自由市場で(見えざる神の手で)決まっていく」という楽天的考えが基本のようです。
GPS操作を違法とした判例を紹介したことがありますが、弁護活動や最高裁判例も、電子機器のない時代に制定された人権擁護システムが、犯罪者が自由に電子機器や高速移動機関駆使して犯行をできるのに、捜査機関が電子機器を利用すると違法で許されないと言う奇妙な状況になっています。
以前犯人が逃走するのに民家敷地を横切って逃げると、警官がその敷地を横切って追跡すると違法になるのか?という比喩で書いたことがありますが、犯人追跡中は例外にしないとこういう変なことになります。
法制度が社会現実に追いついていない問題が今回のコロナ禍で続々と表面化しました。
従来非公式会話はズームで良いが公式の会議・・株主総会などズームやテレビ会議で開いても違法でないか等の疑問・・不便なことが大量に一挙に現実化しました。
いろんな会議は対面議論が原則ですが、災害等特殊事情下では、テレビ会議等が許されるとか、テレビ会議が許されるのを原則にして、電波不安定や機器の故障等による送受信が途絶した場合の効力は別に定めておけばいいのでしょうが、こうした各種問題点を先送りして来たツケが来たのです。
私の関係する日弁連選管委員会でも毎年のように問題になっていましたが、もしも訴訟になって委員会決議無効になると選挙がどうなる?という大事件になるのが怖くてこれまで先送りして来ました。
法律家には法匪と言う批判的名称がありますが、招来する結果の妥当性など問題にしない・・法令がそうなっている以上はそれを守るべきであるという形式論が普通です。
時代に合わない縛り・規則類は民間が無視しているし、警察も一々刑事事件にしないのでそのまま邪魔になっていないのですが、いざ屁理屈で争う人がいると不都合が表面化します。
結果が不当であれば、憲法や法令変更すべきであって、法律家は現行憲法や法令に違反してればその違法性を指摘すれば良いし、裁判所の職務はそこまでで犯罪捜査がどうあるべきかを判断すべき立場でないということでしょう。
ところがそう言う論者に限って憲法改正の議論すること自体に反対と言い、ちょっとした法令改廃でさえも国会審議に入ることすら反対という姿勢が顕著で政府の揚げ足取りに終始しているのが国会の現状で時代即応の改正が容易でないのが現実です。
原発反対運動や地元知事の不同意も設置稼働規則に適合しているかどうかであって、原発政策がどうあるべきかを裁判しているのではないというのが専門家の意見です。
ところが実際には、原発反対派が結束して全国的に訴訟しているのが現実・・日本中の原発訴訟弁護団はほぼ一つの中核的組織集団が地元別の弁護団を結成している・・地元別に構成員が入れ替わっていますが、中核人員はほぼ共通・・だけの実質全国規模の政治闘争の一環になっているし、与那国島基地設置反対運動や沖縄の普天間基地移転反対なども概ね特定運動家・・常連があちこちで運動しているイメージです。
もともと原発施設等の何がどの規則に違反しているかなど、普通の人に分かるはずもないので、いわゆるプロ運動家が初めっから反対するために規則のどこに違反があるかを見つけ出す方式のように見えます。
静岡県のリニア工事着工反対の根拠・・地下水脈がどうなる?という主張も、常識だけで分かるものではないので、まず反対したくてそういう問題があるかも?と見つけ出したということでしょう。
静岡県の主張は政府の有識者会議で水脈変更があるのか検討することになったようですから、同意しないと言えばいいだけのことを、格好つけでコレが心配と言っているような印象をうけます。

指標操作2と国際信用破壊(片面的ルール適用)

専制支配社会・・中国では相手が自分より強いか弱いかの基準しかなく正義・道徳の規準がないクニですから、対日国内宣伝拡大のみならず、国内言論統制の延長で周辺国が弱いとなれば属国扱いして専制支配を広げようと始めているのが、この4〜5年の中国の態度です。
ところが、中国政府のやり過ぎがあれば、今の国民は一応国外に逃げられるし周辺諸外国も古代社会のように中国だけを相手にする必要がありません。
対中貿易が25%も占めている韓国でさえも、今回の激しい嫌がらせを受けてさすがに古代からの属国気分が薄らいで来たようです。
反日暴動以来「投資先をアジア諸国に分散している日本に習うべし」という論調が広がり早速ベトナム等へ投資先の変更を始めています。
先進諸外国は閉鎖されていた中国が解放すれば、どの程度まで生産性が上がるかを楽しみにして・・将来性を買って投資していたのですが、習近平氏が「中華の栄光復活」を掲げることに象徴されるように近代化に進めるよりは古代社会意識の復活・・折角近代化の入り口に入った途端に生産性向上よりは思想統制が主目的に先祖帰りするのでは、将来性が限定されます。
次々と中国に煮え湯を飲まされるようなクニが増えて来ると、対中国投資は減る一方でしょう。
中国にとっては十分先進技術を取り込んだので後は追い出したいと言うことでしょうが、改革開放政策は先進技術を取り入れるための目くらまし・・韜晦戦術でしかなかったことが分って来ました。
近代社会・・市場経済は商品情報・・財務諸表その他の情報の透明化を前提にしていますので、古代同様の思想・情報統制・・虚偽情報(偽ブランド)であればあるほど権力の威信が高まる自己満足社会を前提にした社会と整合しません。
虚偽を強制出来ることに喜びを感じる社会・・商品性能や産地・数量の虚偽表示を羞じるどころか、これを押し付ける力があることを自慢するような社会では、市場価格と言っても裏で価格統制・操作があっては、(自由な)市場と言う名に値しません。
この矛盾を表しているのが、中国が強弁するところの「社会主義的市場経済」と言うまやかしです。
社会主義市場経済に関する4月2日現在のウイキペデイアの記事からです。
「・・社会主義市場経済として、同年秋の第14回中国共産党党大会に報告された後、1993年に中華人民共和国憲法を改憲した際に盛り込まれ、中国の経済政策における基本方針と位置づけられた。政治的には社会主義、経済的には市場経済」という建前を示すものであるとされる。政治的には一党独裁を堅持しつつ、経済的には市場原理を導入する、という方針は現在に至るまで続いている」
1党独裁=思想の自由がない=思想統制=情報統制=情報は正しくないと言う図式になることについて昨日書いたところです。
正しくない・加工された情報を前提に市場を開いても「市場の声が正しい」ことにはなりません。
思想統制政治は新興国のキャッチアップ中の移行期間として一定期間仕方がないとして、一定の経済発展に応じて徐々に思想統制を緩めて行くことを世界が期待していたのですが、習近平政権になって逆回転が始まりました。
自国民だけの締め付けならばまだしも、外資に対しても恣意的規制をするようなると(グーグルはこの要求を拒否して撤退しました)これではトランプ氏の主張するとおり、世界の自由市場を自国に都合良く利用しながら、相手には自国に対する資本進出や言論の自由等の自由を認めない・・これでは公平なゲームになりません。
小義で言えば相手の持ちコマを開示させて自分の持ちコマを開示しない・一方的ルールを強制しているのが中国です。
中国訪問中の日本人もときどき拘束されて行方不明・・大分経ってからスパイ容疑で拘束中と明らかになることが多くなりました。
自分だけいくら反則しても良いようなやり方・・以前テロの原理を書いたことがありますが、テロリストは体制のちょっとしたミスでも大げさにマスコミを通じて突つき回す・それでいて自分たちは何のルールも守らないでテロを実行するのですから、マトモな勝負にならないやり方です。
中国の権力者は自分はルールなきやり方・・汚職でも何でもやり放題・・国民に対して気に入らない者には汚職等での罪名で好きなように検挙する一方的な関係ですが、これを諸外国にも片面的に押し付けているのです。
相手国の内外平等政策や人権主義を利用しながら、自国ではルールなき外資規制するこの身勝手さにトランプ氏が怒り出したのは当然です。
ところで、最近令状なしにGPSを内密につけていたのは違法とする最高裁判決が出たと報道されていましたが・・。
窃盗集団は自分が違法行為をしていることを棚に上げて、捜査の手法がちょっとでも許されないとその違法を強調して自分の犯した犯罪を免れようとするのは中国のやり方に似ていてどこか変です。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1703/16/news074.html「GPS捜査、令状なしは違法」最高裁判決全文Web公開
「判決では、GPS捜査は「個人のプライバシーを侵害し得る」と指摘し、令状なしだと違法との初判断を示した。ただ、現行法の令状で対応することには「疑義がある」とし、今後GPS捜査を行う場合は「立法的な措置が講じられることが望ましい」としている。」
ニュースでは令状なしの装着は違法と言う見出しですが、最高裁判決を読むとソモソモ令状発布自体が簡単に出せない筈と言う意見も書いていますから、事実上GPS利用捜査は全面的にダメと言わんばかりです。
結果的にGPS装着違法の有無で有罪無罪が決まると言う弁護側の主張はその他有罪証拠がそろっていても無罪にしろと主張しているように見えます。
民主国家においては人権保障の必要性も分りますが、実際にどのような人権が「具体的に」侵害されたのかよく分りません。
何か政府施策に反対するための意見では常に出て来る概念ですが、防犯カメラ反対その他プライバシー権の具体的内容がよく分りません・・要は何かと秘密にしたい権利ですが、犯罪組織の行動把握がどう言うプライバシイを侵害したと言うのかが判決分にも出て来ません。
アメリカで発達した違法収集証拠排除の理論はそれなりに意味がありました。
例えば拷問によって泥を吐いた結果犯罪の証拠が発見出来た場合など、いくら結果が正しくともそれを証拠採用していると拷問がなくならないので、拷問廃絶の政策的配慮のために、結果が正しいかどうかに関わらず違法収集だから証拠に出来ないと言うルールが発達したのはそれなりの歴史的意味があります。
例えば女性や黒人の地位向上を自然の動きに待っているといつまでたっても平等化を実現出来るか不明のために、いろんな分野で社会的弱者優先のクオーター制が発達したのですが、何十年後に実質対等化が実現した場合・・喩えば、黒人と言うだけで優遇するのは逆差別になるでしょう。
このように判例法理も一定の必要があって生まれたものであって、どのように軽微な違法であっても違法である限り証拠に出来ないと言うのは行き過ぎのような感じがします。

中国の指標操作と思想統制は表裏一体1

ある指標がCDP発表と合わないことが問題になるとすぐこれをいじる・・次々と指標をいじって行くと・噓の上塗りと言いますが・・何かやればやるほど中国の経済状態は混沌・ワケの分らないクニと言う評価が定着するだけです。
中国の政策は政府発表に合わない不都合な指標があると指摘される都度指標操作の連続ですが、中国政府の指標操作目的は不都合な経済状態が分ると外資が入って来ない、あるいは威信に傷がつくことにあるとすれば、次から次へと指標をいじって本当にワケが分らなくするのに成功すると投資する方から見ると危な過ぎるクニとなって外資が逃げてしまう大局観がないことです。
それでも国内的には言論統制が聞いているので、事実に合わせてGDPを小さく修正すると格好がつかないし、(国民が政府発表を信用していなくとも)修正しなければ威信が保てるから虚偽を事実と強弁する方を選んでいるのでしょう。
この辺は北朝鮮等専制支配国共通の政治原理・・歴史に反した虚偽でも無視して反日国民教育するなど(虚偽と知っている人がいても構わない・大っぴらに言えない限り多くの大衆を誤摩化せるメリットがあります)共通です。
自己主張を通すためにフィリッピンのバナナ輸入を妨害したり韓国に嫌がらせする・・その一つ1つが仮に成功しても、却って「何をするか分らないクニ」と言うマイナス効果よりも国内的威信を保つ方が優先です。
張り子のトラならぬ張り子の空母まがいのものを作って周辺国相手にデモンストレーションして、周辺国に警戒心を起こすマイナスを気にしないで悦に入っているのも同様の価値観によると思われます。
いつも書きますが中国地域で歴代王朝が一旦支配権を握ればどんな残虐なことをしても・何をしても良い専制支配が成り立っていたのは、その地域全体を包括支配出来た地理的条件によります。
難民とは着の身着のままが原則・・屈強な男だけではなく足腰の弱い一族を連れて逃げるとなれば・・食糧を持って出ても数日〜1週間間分が限界ですから、その気で受入れてくれる当てがないと国外逃亡は不可能です。
何らのあてもなく西に逃げるには何千kの砂漠を越えて行かねばならない・・南・・チベット族はヒマラヤを越えねばならない・ダライラマは逃げましたが・・・・東は海・・その先に日本があるにしても古代には遠過ぎます。
北はシベリアですから逃げる先として向いていません。
(今でも西欧への難民を見ても分るように難民送り出しのブローカーに頼まないと個人でイキナリ船を漕ぎ出し歩き出すのは無理でしょう・・まして権力からの逃亡となれば中心部から国境近くに行くまでに捕まってしまうのが普通です。)
古代から何千年も地理的にほぼ・・閉鎖社会であったからですが、こう言う社会では権力に逆らえばどんなに酷い目に遭うかの刷り込みこそが、効率的な支配道具と信じられて来ました。
ルールを作ると権力者も縛られるのに対して、ルールなき専制支配だと専制=気分次第の恣意的政治ですから、一旦優位に立つと下位の者をいつもびくびくさせておける・・ピラミッド型官僚機構の上位者の権力欲が満足させられる点で配下の高官〜次官も順位地位相応のメリット(賄賂をとれる構造)があります。
中国・朝鮮民族では日本の武士団や西洋のような周辺独立国・・対等関係の存在を歴史上経験したことがありません。
世界が開かれた時代に入っている現在でも古代からの中国・朝鮮地域だけの流儀・相手が逃げられない前提で未だに専制的強要・・恐怖支配が成り立つと信じ込んでいる・身体にしみ込んだ体質でしょう。
簡単に逃げられない国民相手に膨大なエネルギーを使ってネット空間でさえ大量のアルバイトを雇って政府に不都合な書き込みがあると直ぐに抹消する体制を構築して・・統制しているのはその延長です。
4月2日現在のウイキペデイアの記事からです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E6%A4%9C%E9%96%B2「政府は、インスタントメッセージングサービス、チャット、テキストメッセージを使った反日、反汚職、反不正に関する意見を抑圧しようとしている。インターネットポリスは30,000人以上だと見積もられており[3]、インターネットフォーラムやブログ、Sohu(捜狐)やSina.com(新浪)といったポータルサイトにおいて、政府や政治家に不都合な批判が現れると、通常は数分で削除する。
中国のインターネット抑圧の装置は他の国よりも大規模で高度であると考えられている。政府はウェブサイトへのアクセスを妨げるだけでなく、個人のインターネットアクセスも監視する。」
思想強制は国内に留まりません。
習近平政権になってからはアメリカに逃げた政敵をどこまでも追いつめて拉致するようなことをドンドンやっていることについて、アメリカが主権侵害と怒っていると言われますし、つい最近では北朝鮮が遂にマレーシアで金正男の殺害に成功しています。
日本では韓国が金大中を拉致して韓国へ連れ去ったことが有名です。
最近では政府批判する香港の有名人がしょっ中行方不明になることが知られています。
アメリカやタイその他諸外国からでも政敵を捜し出しては拉致し続けている中国にとっては、1国2制度の約束があるとは言え支配下にある香港から拉致することなど何とも思っていないでしょう。
今では海外逃亡が簡単ですが、それでも飽くまで追及するDNAは中朝両民族にとっては健在です。
以上のように政府は国民に対する情報統制に躍起ですが、今は国民が年間何千万と国外へ出入りしている時代ですが、日々の情報さえ遮断すれば大丈夫と言う思想でしょうか?
中朝にとっては国民が噓の情報を信じているかなどは問題ではない・権力が噓でもどんな残虐なことでも強制出来ることに醍醐味を感じるのでしょう。
この辺は、秦の趙高が周囲に対して自己の権勢を確認するために馬を鹿と強制して言わせた故事(バカの語源)が有名です。
日本人から見れば子供染みた自己顕示欲ですが、シロを黒と敢えて言わせる・・強制される方が噓を言ったり人道に反することをしたくないと思っていればいるほど、却ってそれを強制出来る自分の威力を確認出来る快感がたまらない民族のようです。
噓のデータを国民が知っても、「噓だと言わせないこと」が権力の強さの証明・・満足感となるので、外国から指摘されて国民が知っていても政府は困りません。
この情報化時代に厳しい統制が機能している不思議の理由がここにあります。
国民も政府の噓を百も承知・知っていてもそれはそれとして気にしない・・検挙されないように公言しなければ良いのでしょう・・「下に政策あり」の国民性です。
韓国の歴史捏造を「マ、そう言うクニだから」と日本が放っておいたら、「相手が弱いから何も言えないのだ」と誤解したのか?さらに国際展開するようになったので放置出来なくなって慰安婦騒動に発展したものですが、中国も韓国のように良い気になって南京事件の捏造宣伝を国内宣伝に留まらず国際展開し始めました。(ユネスコでのこ世界遺産登録実現がその一歩です)
日本が「大人げないと黙認していると弱いから何も言えないのだ」誤解する体質ですから譲ればいくらでも踏み込んで来ると理解しておくしかありません。
尖閣諸島問題も民主党政権が大人げないと思ったのか?体当たりして来た犯罪者・船長を釈放してやったら日本は弱いと思ったらしく余計踏み込んで来たのと同じです。
中韓相手には、一々苦情を言うのは大人げないと大人の対応をすると、相手が弱いと誤解するしか能がない民族性ですから、断固拒否する姿勢が必要でしょう。
オバマ大統領の自制は中国には弱腰としか理解出来なかったのです。

国家的事業と自治体の拒否権3(外国人参政権1)

与那国島の例を見ると、レーダー基地1つ作るのにも地元住民同意が要るのに驚く人がいるでしょう・・私は少なくとも驚きました。
October 11, 2016「米軍の立証責任(不逞鮮人がいたのか?)2」前後で占領軍による検閲を通じたマスコミ・教育界の支配の浸透について書き始めてその後マスコミや教育界の左翼文化人の成長を書いているところで、話題が横に逸れていますが、その到達点の1つと言うか外国人の住民投票を主張する勢力が増えて来たことが分ります。
中央政府が何を決めてもそれを国内のどこかで実施するためには、(1昨日の新潟県知事選挙の結果原発再稼働について、原発再稼働について知事同意を得るのが困難になったと言う報道です)地元自治体の同意が必要になって来たことと、これと平行して自治体参政権や自治体職員への外国人に対する門戸解放運動の進展は、占領軍の残したことではなく米軍の意向に率先反応・迎合して、大義無視→ドンドン個人主義思想・地域エゴ拡張に精出す人を増やして来た成果の到達点と言えるでしょう。
国防問題を決めるのに、地域にいくらお金が落ちるかが争点になっているというのですから嘆かわしい低レベル化が進んでいます。
共同体意識に基づいて国防問題を議論すべきとすれば、共同体構成員でない外国人がこの議決に何故参加すべきなのかよく分かりません。
外国人にも自治体選挙権を与えるべきと言うのが、共産党や公明党や民主党の主張だったと思いますが・・。
10月15日現在のhttps://ja.wikipedia.org/wikiからの引用です。
外国人参政権
民主党・公明党・日本共産党など各党は、上記「傍論」を根拠の1つとして、外国人地方参政権付与法案を提出している。ただし、その対象者は、「傍論」が想定していた範囲(特別永住者のみ)を拡大し、一般永住者にまで参政権を付与することを想定している。民主党賛成派議連の2008年提言では、一般永住者にまで参政権付与対象を拡大する理由として「(両者)いずれも、我が国において地域社会の一員として、日本人と同様に生活を営んでおり、その点において本質的な差異はない」と住民権(市民権)を模範にした」
上記の民主党などの主張に呼応する自治体があって、自治体によっては外国人にいろんな関与権を認めるようになっていますが、昨日紹介したとおり与那国島では正に自衛隊基地設置の可否を決める国家的重要テーマの決定まで定住外国人の投票権を認めていることが分ります。
日常生活に密着した決定・どこに信号機をつけるかゴミステーションがどこに必要かなどの日常テーマでは外国人も日本人にも差をつける必要はないと言う主張には合理性があります。
ところが国防や列島全体の産業構造配置・・国レベルで決めるべき重要問題の実施段階で地元自治体が最終決定権..事実上の拒否権を持っている我が国では、こう言う権限のない諸外国の例を持って来て外国人でも居住している以上参政権を認めるべきと言う論理、説明は実態の虚偽説明、無理があります。
本当の日常的決定・例えば自治会役員やPTA役員のなり手がなくて困っている現状からみても、外国人参政権付与運動の本音は日常的決定参加にない・・国策その他重要事項決定への住民参加に関心があっての事と推測されます。
外国人参政権付与を主張しているグループや政党の実際の運動を見ても、国政レベルでは少数の支持しか得られない野党の主張を実現するために・・例えば自衛隊違憲論や成田空港反対論→現地反対運動の激化・・国政レベルでは全く支持されていない少数意見を自治体レベルの運動として実現しようとしているかのように見えます。
成田空港開設を例にすると空港設置段階で現地に入り込んで一坪地主と言う濫用的権利者を創設して反対運動を展開していましたが、こう言うことが許されると国政で決めるべき航空政策を地域限定の敗者復活戦が出来ることになります。
既存空港で見れば、各地で騒音被害による飛行差し止め訴訟が行なわれているのも、国政レベルで決めた(日本の発展のために空港が必要と言う政策決定・・空港など不要・・国際社会の航空機時代到来に遅れてしまえば良い?と言う意見が国政決定の場で負けた)ことを司法の場に移し替えて敗者復活戦をしている構図です。
こう言う争いばかりして国の政策実現妨害が続いたことによって、成田空港の拡張一つとってもものすごい時間がかかる結果、日本が国際ハブ空港競争に遅れをとった原因であり、もしかして彼らが日本戦後復興や発展妨害意図で運動しているとすれば、その成果が出ていることになります。
いわゆるネト右翼によれば「反日野党」と言う定義ですが、私にはそれが正しいかどうか真偽不明ですが、外国人の参政権が認められる地域がドンドン広がる・・参政権の認められる外国人の範囲も徐々に広がり、決定参加事項が広がって行くと中韓から意図的送り込みが行われるようになるリスクが高まります。
意図的に送り込まれている外国人の場合、日本発展のために決めるあらゆる政府施策に反対=野党支持層に回る読みがあるから外国人の参政権実現に熱心になっていると言う見方もま成り立ちます。
国家プロジェクトに対して住民参加権を与える議決があちこちの自治体で増えて行く・・結果的に国政の少数者が国政で認められない意見に基づいて現場施行段階で国政実行を阻止出来る仕組み構築を長期間掛けて構築して来たことになります。
国政段階では1票の格差違憲論を展開して、国政決定の権威失墜を狙いながら、足下では・・過疎地・・絶対的少数派が国政実施を阻止する権利を着々と植え付けてきたのが戦後政治です。
1票の格差があって、全国の得票率の少ない方が政権を取る逆転現象があれば・・その疑いがあるならば事前に問題視すべき違憲状態ですが、4〜5百人もいる代議士の内、2〜3の選挙区の人口が比較的少ないだけでは、(その選挙区人口が増えればその選挙区の当落が逆転する保障もないし、仮に数名入れ替わるとしても・・あるいはその選挙区代表が一人減っても)与野党の代議士数が僅差でない限りトータル政権正統性に何の関連性もありませんから、ソモソモ違憲状態を言う判決自体が野党系の主張に偏り過ぎているし、マスコミも大騒ぎし過ぎています。
この後で選挙前に住民移動する戦略が普通に行なわれていることを書いて行きますが、これを実行しているのが野党中心であるコトと、全国的選挙結果にそれほど影響がないためにマスコミは全くこの弊害を報じていません。
1票の格差問題は、結果に大きな影響がない・・もしかしたら結果に全く影響しないのに何故これだけをマスコミが選挙の都度毎回大げさに騒いでいるのか?
他方で国政段階で決めたことを実行段階で小さな自治体が覆せる・・あるいは成田の一坪地主運動のように何十年も遅滞させられる国家の基本に関する不都合を何故報道しないのかの疑問です。
1票の格差論の大宣伝は、国政選挙は正統性がないが、(外国人参政家付与を主張しながら)自治体選挙の方には正統性があるかのようなイメージ操作が疑われます。

国家的事業と自治体の拒否権(国家意思形成システム破壊)2

警察や災害対応制度ばかりではなく、原発や軍事基地設置・首都圏水源地など国家的大事業・関心のある事柄についてその是非を地元自治体が最終決定して行く・・占領軍が残して行った基本的制度設計・・地元の同意がないと何も出来ない仕組みの是非を議論して行く必要がありそうです。
近年の中国軍の激しい挑発・進出に備えた与那国島への自衛隊駐留の可否を15年に住民投票で決めていましたので、これを例題として考えて行きましょう。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/02/22/yonaguni-referendum_n_6729828.htmlからの引用です。
「国境の島」として知られる日本最西端の与那国島で、自衛隊配備の是非を問う住民投票が2月22日に実施され、即日開票の結果、賛成が過半数を占めた。47NEWSなどが報じた。
住民投票で問われたのは、陸上自衛隊の沿岸監視部隊約150人と沿岸監視レーダーの配備の是非。防衛省は南西諸島の防衛強化の一環として2015年度中の配備を目指していた。与那国島は中国・台湾が領有権を主張している尖閣諸島から約150キロ、台湾から約110キロの位置にあるため、監視部隊を通じて航空機や船舶の動きを把握する狙いがある。
■賛成派と反対派で島を二分する争いに
与那国島への自衛隊誘致は、2008年に町議会が決議をしてから約6年半が経過したが、島内は誘致賛成と反対で二分されてきた。町長選や町議選のたびに賛成、反対両派が激突した。
2013年に行われた前回町長選では、賛成派の外間守吉町長が3選を果たした。ただし、票差は47票に過ぎず、反対派の勢いは衰えなかった。
時事ドットコムによると、同島の全域を占める沖縄県与那国町の人口は約1500人で、有権者は永住外国人も含む中学生以上の1276人。投票率は85.74%だった。朝日新聞デジタルによると、開票結果は賛成632票、反対445票、無効17票だった。」
国家防衛の基地を設置することについて、最果て・国境付近の自治体が拒否権を持つことが合理的でしょうか?
泣いて馬謖を斬ると言い、医療で言えば、より重要な身体部位を活かすために身体の一部を切除したりきつい薬を飲んで胃腸が一時弱っても構わない・・全体のために一部に負荷をかける・・一部に犠牲を強いるのが生命体・組織維持の原則です。
その部位を全体の犠牲にするのが可哀相と言って放置していると全体が壊死したり、脳梗塞の場合で言えば出血していないところから切って脳の止血手術をするのはおかしいと行って拒否しているとドンドン出血してしまうし、その他の傷病でも一部に負荷をかけるのが嫌がって、出血止めのために包帯で縛ることさえ許さなければ、病原菌・毒素が全体に回ってしまったりして全体が死んでしまいます。
国防のための軍事基地は論理的に国境付近・・過疎地・・身体で言えば身体の端にあるのが古代から原則です。
険しい山地や絶海の孤島には当然人口が少ないのですが、僅かの人口が真っ先に攻撃されるからイヤだと言えるとすれば、もっと国境から下がった人口50万の地域も基地を置いて攻撃されるリスク・・1億のための犠牲はイヤだと言える理屈ですから、順次これを認めていると国防は成り立ちません。
基地設置に関して自治体が決める権利のある国は、およそ主権国家=自国の安全を自国で守る国においてはあり得ない選択と思われます。
自治体が自衛隊基地の設置や自衛隊の出動の可否、水源地のダム設置など国家維持に枢要なことを全部最終的に決める仕組みは、国家存続に必須のことを国家自体が自分で決められないことになります。
連合国や連合軍ならば要請がければ応援する必要がないのですが、1つの国である限り国境の町の要請がなくともそこで守らないと国全体が守れない場合や損害が拡大してしまう場合があります。
その街が防衛の要衝であるかどうかは中央政府の判断事項であって国境の町が自分で決めるものではありません。
どこで国を守るべきかの判断すら出来ない政府は・・政府としての機能を果たしていない・・国家統一出来ていないのと同じです。
ありとあらゆる組織や団体で自分の団体の行動を自己決定出来ない仕組みであるとしたら、「団体」とは言えないでしょう。
自治体が国防その他国家の重要事項に事実上拒否権があるのでは、独立国・主権国家のあり方としては本来不合理ですから、・・占領軍は、占領後武装解除の延長として非武装憲法を強制した外に日本国の統治気候そのものを機能出来ないようにしてしまう目的があったかのようです。
仮に将来今後軍備を持てるように日本が法改正しても、簡単に軍事基地を各地に設置し難いし、出動すら出来ない仕組みを作っておいたことが分ります。
警察制度や災害対策の外、占領軍の置き土産は統一国家としての運営を困難にするための制度設計でした。
中央政府が決めても実施するべき地域には必ず自治体があるので、実施するべき土地の自治体の同意がないと政策が何も実行出来ない・・連合国のような関係になっています。
例えば国立研究所・博物館・音楽ホール設立を決めても、地元での建設工事や開発行為には知事や市長の許認可がいります。
こう言う施設は歓迎するばかりで問題がありませんが、政治的意見の対立する分野では国政選挙で決まったことを小さな村や町の多数決でひっくり返せる仕組みです。
政府意思が貫徹出来ない制度設計(テロや敵国への空爆等は敵国の各種行為が予定どおり進まなくすることが目的ですから同じ効果を狙っています)が完成したのは、共同体利益を無視し、大義より、個人(地元)利益の飽くなき主張・小義を重視するように人格改造を目指していた効果が出て来た結果と思われます。
報道によると基地誘致によるメリットが当初想定より少ないと言うことで、賛否が拮抗して来たと言う報道がありました・・。
原発誘致も同じで地元に資金がいくら引っ張れるかその後の雇用がどうなるかが実質争点になって久しい・・何事も個人利益・地域エゴ思想が根付いてます。

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