民主国家と人民論の矛盾1

2月7日の公務員と労働法の続きですが、労使であれ夫婦(離婚騒動)であれ親子(意見相違)であれ兄弟(相続争い)であれ、上司と部下(パワハラ)であれ全て内部関係は対立をはらんでいます。
なぜ公務員に労働法規が不要か?別立てにする必要があるかの実質的説明が欲しいものです。
国民は全て同胞といっても、国民同士でも敵味方があり相争うことが多いから国民同士の争いを裁くシステムが発達してきたし、ルールが整備されてきたのです。
消費者を王様と持ち上げていても代金不払いや万引きがあれば、敵対関係になります。

憲法
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
○2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

公務員と国民一般は原則として対立する機能を持っていませんし、逆に全体の奉仕者です。
ただし王様であるはずの顧客でもクレーマーや万引きに対しては、販売員が厳正対処する必要があるように国民全体に対するルール違反者=犯罪に対して公僕が国民を代表してルール違反者を検挙するなどの利害対立が生じますが、この場合はあくまで例外関係です。
民主国家においての公権力とは、国民の福利を守るために行使されるべく存在するものです。
警察権力は国内の国民間の利害対立を話し合いを経て最終的には裁判でケリをつけて、それでも守らない人に対して強制力を行使して実現するためにあります。
外国人の違法行為も個人実行場合には警察対応で間に合いますが、外国政府行為として集団で行われる場合には、警察には対応できないので軍の出動となります。
軍と警察の役割分担は、日常的個々人の違法行為・・原則凶器を保持していても小規模な場合を対象とし、警察が日常的に所持する拳銃程度では対応不能な大規模武装集団を相手にする時に国内でも軍隊の出動となるように大まかな分類ができます。
個人生活で言えば、軽トラや軽乗用車、普通車等に使い分け、引越しになると業者に頼むような感覚でしょうか。
歴史的に見れば、警察活動と軍事活動の未分化状態から、軍事と警察の分化が江戸時代に発達し、一種の軍事基地である大名屋敷自体が盗賊等の被害防止や検挙を町奉行所に頼り、付け届けする関係になっていたことをだいぶ前に紹介したことがあります。
いずれも国民福利を守るためにあるものですから、無政府主義とかその焼き直しの公権力と距離を置くという主張は現秩序維持による日常恩恵を享受しながら、その負担を否定する自分勝手な意見です。
公務員であろうと政府機関の中枢であろうと国内で法を破れば、一般国民同様に法の適用を受けます。
国民と公務員は、公職についたり退職によって時に入れ変わることを前提にしているので、原則として入れ替わることを予定していない身分ではありません。
しかし、人民と政府とは、相容れない恒常的対立関係概念を予定しています。
人民概念は人民と政府権力・支配層が原則的に対立関係にあることを前提にしていますので試験や選挙等で被支配者が支配者と入れ替わることを予定していない対立概念です。
明治憲法制定者の真意は、権力の手足である官だけでなくもっと遠い関係にある民を含めて臣民一丸となって迫り来る欧米諸国に対抗すべきという含意だったのでしょうか?
臣民とは臣と民があるという意味ではなく、臣民一体化の強調の趣旨だったとすれば合目的的ですし実際に成功していたように見えます。
今でも大災害がある都度同胞意識・絆意識の再生産が行われますし、明治憲法の前文にもこの趣旨がにじみ出ています。
明治憲法前文

朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ・・・・。

「朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ」といわゆる大御心を「朕カ親愛スル」と表現し「祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民」と先祖代々大事にしてきたよ!という書き出しです。
平成天皇の被災地訪問の繰り返しは、まさに恵撫の実践でした。
国民全てが天皇の恵撫に感動して臣民一丸になれば、臣民以外の刃向かうべき人民はいないはず→明治憲法の臣民論は人民論を根こそぎ抹殺する含意だったことになるのでしょうか?
人民と官とは同じ国民であっても特定の機能側面に限定した概念です。
ある人が生産活動や販売に従事する場面では生産等の供給側ですが、自己の生産品や販売活動以外のその他大多数商品やサービスに対しては消費者であるように消費者概念はその時々における側面の分類です。
例えば反乱軍や反政府デモ隊員もこれの警備出動した政府軍兵士や警備中の機動隊員も、国民か否かのレベルでは双方とも国民です。
特に一般デモ行動は、政権支持者のデモもあるし、いろんな目的(同性愛の婚姻合法化、LGPTなど)のデモ行進があります。
警官が非番の日に何かのデモに参加すること自体は自由なはずですが、特定政党支持を明らかにするのは全体の奉仕者としての信用に関わるので(事実上かな)ダメとされているようです。
特定政党支持ではなく、保育所をもっと増やしましょうとか、わが町に美術館を!というようなデモに参加してはいけないとは思えませんが・・。
支配されていた国民が抵抗権行使する場合だけを人民と言うとすれば、日常的に国民性を否定するものではなさそうです。
国民か外国人かの定義のレベルではなく次の小分類・国民内のサラリーマンか経営者か、大企業従業員か中小企業従業員か、ある人がある時は消費者であり、ある時は供給者側の人間であるなど、その時々の行動によって立場の変わるレベルの分類でしょう。

中国軍に解放してほしい日本人がいるか? 1

中韓等による日本非難の言語の多くは、自分らが日頃したいと持っている悪行を日本がしたことにすり替える・真逆の意味が多いという理解が今の日本では普通になっているのではないでしょうか?
人民解放論は支配者による搾取構造を前提にして異民族領域への侵略→支配を合理化するものですが、日本は古代から中ソが世界支配を正当化する図式の前提たる搾取構造社会ではありません。
指導者とは何か事業をするときにこれをみんなで心を一つにするようにまとめていく能力のある人のことで私利私欲のために動く人ではありません。
また多くの事業業績は集団協力があってこそ実現できるので、総大将や代表者・・旗振り役・・巨石を移動させるために修羅というもので運ぶのが知られています。
石の上で力を合わせるために音頭を取る人がいますが、彼一人の力で巨石が動くのではありません・・このように各種事業は旗振り役が重要ですが、彼は集団を代表して栄誉を受けるに過ぎないと言う点も民族の常識化しているからです。
この人のおかげで一つの事業を成し遂げられたと思う人が出るとうまく行くし、後世偉人として尊敬されます。
奈良の大仏の像立に成功できたのは、それまで朝廷権威による布教形態を無視して独自布教していたことで弾圧されていた・・・最後は行基の指導力を利用するために朝廷が僧としての最高位を授与していますが・・)行基の指導力だとして今だに尊崇されています。
その他、各分野で中興の祖となどと尊崇される人は、自己利益・豪邸を建てて名をなしたのではなく清廉潔白の権化みたいな人ばかりです。
ところで、民族利益とは何か?
異民族支配に成功することではありません。
搾取構造の最たるものは異民族支配でしょうが、我が国では縄文の昔からこういう不当な利益を目的に行動すること自体意味嫌われる社会です。
みんなで労力提供して稲作の為の灌漑施設を作り、ようやくコメを収穫できるようにした場合に、地域住民みんな利益享受できる共同体利益を増進することです。
卑近な例で言えば、日頃から住む自宅周辺や町を綺麗にして気持ちよく暮らすのもその例です。
千年単位で形成した文化その他を含めた幅広い総合的概念が民族利益というものでしょう。
地方旅行すると、郷土の偉人の顕彰碑や資料館があることが多いのでいつもよく見てくるのですが、地元共同利益アップにいかに貢献するかによって人徳が決まる社会ですし、この逆もあるので日本人では子々孫々に恥をかかせない生き方が基本価値観になっています。
また多くの事業業績は集団協力があってこそ実現できるので、総大将や代表者は集団を代表して栄誉を受けるに過ぎないと言う点も民族の常識化しているからです。
百の地元貢献・もたらした功績で代表者個人が百の対価を得たのでは、不当利得であり、尊敬されません。
その代表者の次順位幹部はまだ名を残せるでしょうが、そのまた下の中堅協力者の努力に報いるには結局は当時は顕彰するしかなかったのでしょう。
ため池を作る場合を考えると巨大な資金負担があり、完成と同時に地元に恩恵があるわけではないので褒美を払う資金が枯渇している点もある上に、ため池の効能は子々孫々が継続的に享受するものです。
ため池も灌漑設備も完成と同時に100%受益できるわけではないので対価も受益に応じて払うのが合理的ですが、当時今のようにストックオプション制度もなかったので、地域住民が将来に渡って受ける受益対価も将来の分割払い・・世襲的地位(将来の家禄が保証されても主家が滅びたらおしまい・ストックオプションと同じ)を付与するのが普通でした。
世襲した方は、地元民から祖先の功績を褒められ立派な人だったと尊敬されるので、自然に自分も先祖に恥じないような行動を心がけます。
名主、庄屋や豪族の地位は上記のように地元の役に立ってこそのものですから役立たずになれば、下剋上にあって地位を失っても仕方ないという社会意識が定着していったのでしょう。
その結果現世利益は名目的であり、名誉で受けるのが99%みたいな対価方式が日本社会で定着したのでしょう。
日本では今の企業経営も同じですが、成功に応じて上位者の給与がちょっと上がる程度(百の功績に対して2〜30くらいの報酬、残りは後世子孫への名誉)であって、功績以上の報酬=搾取率の低い社会です。
せっかく(渇水対策のため池を作り洪水対策の堤防を築いたり)事業に成功しても自分の功績以上に私腹を肥やすなどもってのほか(ある程度の対価は必要ですが)ゴーン氏のように対価以上のものを貪るような恥ずかしいことは社会が許しません。
もともと功績評価は地域の子々孫々にどのような福利を残したかが基準ですから、欲をかくと却って子孫が恥をかきます。
この価値観の違いが大きく出たのが発光ダイオード発明の特許に対する企業の報奨金が少なすぎると争うことになった訴訟でしょう。
日本社会は紙一重程度の技術差の人材がひしめいて、その技術集団意見のすり合わせ・協力・集団成果の上に物事の実現が図られる社会です。
例えば、・・ある商品売上増には営業課長一人の能力によるだけではなく部下の功績も無視できませんので、何かの実績をあげた代表選手だけがヒーロー化されますが、実は集合智の目印になったに過ぎないという考え方が基本です。
何かで表彰された時に約99%の人が皆様の協力を得て・・「おかげ様で・・」と謝辞を述べるのはこの価値観によります。
発光ダイオード訴訟についてhttps://ironna.jp/article/407が発明対価について論点整理してすっきり書いていますので明日引用します。

ニューカマー優先社会の矛盾(新規会員は入会金を払うべき)

米国やシンガポール等の動きを見ると、為政者は地元住民の福利を度外視して次々と高額所得者や高度技術者を呼び込めば良いという政策・・新技術に適応できない旧住民は底辺労働者に転落・・現居住者を貧困層に落とし、場合によっては域外に追い出し高額所得者に入れ替えてもその都市さえ繁栄すれば良いというコンセプトのようです。
そこには「居住者に対する愛」がありません。
もともと米国は原住民・アメリカインデアンの生活の場=職業を奪い今のホームレスのような地位に追い込み駆逐し、生き残った先住民を「絶滅危惧種」のような保護対象に格下げしてきた社会です。
香港、シンガポール(例えばリークアンユーなども華僑の子孫です)等も後からの流入組が支配層に乗っかっていき都市国家を形成してきたものです。
この系譜を引く社会では、歴史に学ぶというか本当の反省をしない限り今度は自分らがニューカマーに負けて隅っこに追いやられる番になります。
これに気がついてトランプ氏とその支持勢力が移民反対に転じたように見えます。
国内で新興都市では旧住民がホームレスになるのを防ぐには、都市間移民反対・現在の住民が職につける産業誘致が必須です。
日本の場合、いつから始まったか不明なほど連綿と続いた民族国家であり、(沖縄は薩摩島津家支配に入ってからでは数百年以上ですが、正式編入からはまだ約150年ですので、大方という意味です)共同体意識の強固な国です。
天災等で甚大な被害を受けてこの先数十年挽回できない・・落ちぶれるであろうとも見捨ててバカにしない・絆を大切にする社会です。
まして新来の人がお金持ちであれば擦り寄り、数百年間居住してきた人たちを蔑ろにするなどは考えられない社会です。
01/04/02「外国人労働力の移入1」以来繰り返し書いてきましたが、国民のための政治であるべきで、国民を追い出してあるいは下層民・生活保護者に転落させて、日本を豊かにしても意味がありません。
ハワイで言えば米国人移民が入ったので今の繁栄があるかもしれませんが、ハワイ原住民にとっては現地人だけの社会で徐々に近代化して行った方が幸せだったのではないでしょうか?
同じようにアメリカインデアンも、中南米のアステカやインカ文明の人たちにとっても、他所からやって来た人たちによる急速な近代化で自分たちが絶滅危惧種扱いされるよりは幸福でしょう。
米国に限らず、日本を含め移住者奨励政策を取る場合には少なくとも既存居住者生活水準の底上げのための割増税を取るべきです。
過去の国民が歴代に渡って子孫に残すために努力し営々と築き上げてきた国民資産形成に何の貢献もしていない入国したばかりの人が平等の利用権があるというのは非合理であり不正です。
会員組織で言えば今後家賃を払わなくて済むように一人当たり数百万円づつ拠出して会館本部を自前で作り、あるいは会員を募ってゴルフ場を作った場合、翌年入会する人が、無償でこれを利用できるのでは不公平です。
このために現在価値に応じて会員権相場が形成され、やめる人が売却して回収できるのです。
企業も同じで過去の活動履歴・・企業評価に応じて、株価が変動し新規入会したい人は時価で株式を購入した人が株主として株式数に応じた企業保有仲間に入れるのです。
このように後から入会するのは入会金を払うのが正義であり原則です。
これを求めると新規移住してこないので、逆に既存居住者向けの税一部免除(日本の過疎地では無償に近い農地や空き家提供〜一定期間固定資産税免除など・企業誘致もインフラ整備など公費で準備するなどの逆優遇策を講じるのが普通です。
入会金を取るのではなく入会補助金を与えて勧誘しているのは、論理が逆ではないかの視点です。
私が繰り返す観光立国反対論もこれに対する非合理性に基礎を置いています。
国民が電気ガス水道、美術館や大学、道路行政等で税負担しているので道路が無償で利用できるし、美術館や学校を安く利用できているものを、外国人が税負担なしに道路無償利用または核種公的施設を国民と同額で利用したりするのは不公平です。
この程度までは我慢しても良いとしても、各種免税や値引き措置を講じるのは逆だ・「入国税を取るべきだ」というのが私の長年にわたる反対論です。
そんなことをしたら観光に来てくれないならば、人が汗水垂らして作り上げた庭園や図書館等をタダで利用しようとする人は来なくていいので放っておくべきです。
会費を払わない人が会費をはらった人と同じパーテイー参加権その他の利用権があるはずがないでしょう。
ゴルフで言えば、ビジターを無償でプレーさせるだけではなく、ビジター客には各種費用を割り引いて会員より安くするような方法です。
コスト的に見れば入国の始まりからして入国審査などのコストだけでも余計なコストがかかり、消費現場でも日本人がホテルを利用し、デパートで買い物するより外国語対応人材雇用などのコストがかかり、医療費未払いのリスクも高いし道路や駅でも公共団体が税で外国人用の標識を作るなどコストも日本人よりも多くかかっています。
マナーの知らないビジターが来るとコストが余計かかるのと同じです。
余計なコストを負担してでもそれ以上に観光で潤うと言うならば潤う業界が、入国者の払うべき入国税を負担してもペイするならば法人税や所得税の他に入国税を入国者に代わって払うべきでしょう。
05/31/07「観光立国のまやかし3(インフラの無償使用2)龍野旅行」で姫路城近くの竜野市を訪問したときの感想を書きましたが、公共の広大な駐車場は多分市で作ったものと思いますが、そのコスト分近隣業界が補助金を得ているのとおなじです。
自宅の家のローン負担しない他人が「気持ちの良い家だから昼寝したい」と言って図々しく上がりこむのが自由で良いという人はいないでしょう。
個々人の家でも気持ち良くするには、まめに片付けたり相応の負担をしているのです。
入国税を取れば観光に来てくれないならば、人が汗水垂らして作り上げた庭園や図書館等をタダで利用しようとする人は来なくていいので放っておくべきです。
無料にしないと客が来ないから無料にするという映画館やレストランがあるでしょうか?
大きな施設の場合、入場無料にすれば中で食事したり色んな消費をしてくれるメリットあるならば、食事設備等の儲けで施設インフラのコストを負担する仕組みにしているのが・古くはパルコに始まって今では麻布のミッドタウンなどでは施設入場自体は無料ですが、無料にして入場客が増えた方が自社利益になると思う企業が入居しテナント企業がホールや廊下などの冷暖房等の維持費を負担しているのです。

脱原発論と原発訴訟の矛盾  

5月20日まで書いてきた判例時報記載の海渡氏の原発訴訟の論説に戻ります。
今流行りのフェイク主張論の関心ですが、具体的な論証なく一方的独善的解釈?であっさり「脱原発」の方向性を「即時原発停止を求めている」かのような方向へ誘導しているのは狡猾です。
脱原発の内容・いつまでに廃止するかを争点にしてすでに何回も選挙を経ている現在、「国民大多数の意思」に言及する以上は選挙結果に対する言及をすべきです。
これを一切しないで、断定的に即時停止論が支持を受けているとは言わず、そのように受け止めそうな印象を書いて裁判官が自分の主張に同調するように主張するのはズルすぎませんか?という批判を受けるべきものです。
また、具体的受任事件に関しての主張(どの事件を受任しているか不明ですが、もし受任中事件であるならばの話です)は訴訟手続き内の(訴訟相手に交付し反論できるような形の)準備書面等で行うべきであって、係属中訴訟事件の方向性について担当裁判官に対して一方当事者に有利な方向での判決を書くように示唆ないし求めるのは、弁護士倫理として如何なものかの疑問を持ちます。
判例時報掲載では相手方弁護士は反論できません。
脱原発論と即時停止論とは違うのに、「こんなごまかし論をプロの読む雑誌に書くなんて!と思うのは私だけでしょうか?
専門誌で確固たる地位を得ている法律時報で、論理の裏付けのないスローガン的主張を麗々しく連載すること自体が不思議な傾向です。
一般に東京都の選挙は国政の一定方向を占う選挙・・国政選挙・・民意の先行指標と言われてきましたが、著名な元総理二人が脱原発を争点に(メデイアもこぞって大々的な報道した選挙の結果(有効投票の19%の支持しかなかった・有権者の1割以下の獲得票)をまるっきり無視して「脱原発は国民大多数の反対意思」→即時停止を求める訴訟が(民意に沿っていて?)正しいかのように言うのですが、なぜそうなるかの説明がありません。
思想の自由市場論の帰結として、左翼思想家隆盛の事例としてちょっと書くつもりで原発訴訟に深入りしてしまいました。
元々の国会審議拒否問題に戻ります。
今回の審議拒否に対する国民の意向が世論調査で現れてきて、これが連休明けの審議再開の原動力になったようです。
4月30日日経朝刊2pに「審議拒否不適切が64%」と世論調査結果が出ていて、無党派層で見ると「審議拒否適切でないが62%で、適切が20%になっている」他、政党支持率の現状見ると立憲が14%で昨年選挙後変わらずで民進党1%希望の党0%と紹介されています。
日経新聞記事によれば立憲民主党は一見現状維持ですが、17年選挙後多くの議員が民進党から入党していることから見ると・・議員一人当たりの当選可能性で見れば実質大幅目減りの印象ですが、参院議員の移籍が多かったのかな?
昨年の選挙で立憲民主とほぼ同数の50人(議席比率では10%以上)も当選した希望の党が、今では0%台の支持率に減って安定しているのですから、選挙すれば野党議員総数は激減でしょう。
この想定から希望の党から逃げだすというか、民進との合併に必死になっていたのが野党再編の動きの真相でしょう。
しかし、民進党を泥舟扱いで昨年総選挙直前に逃亡して憲法改正同意の踏み絵を踏んで希望の党に受け入れてもらったグループでしたが、民進党に戻る(形式は出戻りではなく新党結成)ための協議においては憲法改正反対で合意したようです。
https://mainichi.jp/articles/20180413/k00/00m/010/069000c

希望・民進
9条に自衛隊、認めず 基本政策で合意
毎日新聞2018年4月12日 21時00分(最終更新 4月13日 01時54分

このような変節常無き行動をする議員の集まりが、党名を変えても有権者の信任を得られるでしょうか?
支持率0%の政党が50名・10%以上の国会議席を持っているって民主主義の基本に反していませんか?
しかも総選挙後1年も経ないで政党が合併して党の重要方針も変わるのでは、選挙で得た民意を違った政治活動ができることになります。
国会の勢力図が民意を反映しないので、一刻も早く正常な形にするために解散して民意を正確に反映した国会にすべきではないでしょうか?
元々国会解散は、民意と乖離していないかを確認するために行うものです。
4月30日の日経新聞調査ではセクハラ、森かけ問題を先頭切って追求している立憲民主の支持率が上がっていないと書いていましたが、国民の方は、メデイアが煽るほど=国会審議を止めるほど・・そんなテーマに重きを置いていないと言う意味でしょう。
野党各党が解散風が吹き始めると解散阻止のために「解散に大義がない」と必死に言い出す(昨年総選挙前のこの種の訴えは効果がなかったので、今回は「解散の大義」という大げさな主張をしないものの・今回何かの討論会のネット報道を見ると立憲の枝野氏が相手の意見ニカブセる形・・討論ルール違反の大声で喋っていましたが、言論には言論で・・というリベラル系の金科玉条とは大違いの体質・それほど必死なのでしょうか?を明らかにしていた印象を受けました。
もともと革新系というかリベラル系政治家は民進とか民主とか市民の声を尊重しろなどの単語を使うのは大好きですが、彼らの基本体質は愚妹な国民に高度な思想を教えてやる姿勢が顕著で「相手や目下の意見を聞く耳を持たない」タイプが多い印象です。
メデイアによる世論調査のようにバイアスのかかっているものではなく、選挙こそが民意を確かに聞くチャンスなのに選挙を特に嫌がる政党って民主主義否定政党ではないでしょうか?
投票率が低いこと理由に?選挙結果を無視してデモを動員して「国民多数の声を無視するな」と言っては騒動ばかり起こす体質って何でしょうか?
民主国家で政治に満足していれば、(お任せで良いので)投票率が下がるのが普通です。
不満の強い人は投票率が高くなります。
これを逆にして投票率が低いのを政権批判票に読みたい点は、反政府側では出馬すら出来ないロシア等の選挙と同視する・・中国やロシアの社会を理想とする人たちは日本にも自由な選挙がない・と言いたいように見えます。
国連にまで出かけて行って「日本には言論の自由がないと運動している人がいて、昨年か1昨年あたりに国連特別調査官が日本に調査に来て物議を醸したことがあります。
選挙は茶番だという非民主国家では、選挙結果よりも騒動や命がけの反抗の強さこそが、民意のバロメーターということでしょう。
そういう主張は運動はロシアや中国などに行ってやればいいことで、自由に選挙に出られるし、言いたい事なんでも言える日本でやっても国民支持をうけません。

目的と手段の取り違え社会(社会矛盾激化→反日の誘惑)2

9月30日に書きましたが、反日教育は数十年以上掛けて漸く効果が出る・・しかも始めると途中の政治家権力者がやめることが出来ない・麻薬的効果があるので、特定個人の権力維持政策とは関係がない・・江沢民の真珠湾演説の前に党を上げての永続的?反日で行く決定があったことが推測されます。
共産党政権の存続と反日は表裏の関係・・切り離せない関係にあると確認されたと思われます。
日本では11年の反日暴動ですべて終わったような印象操作がされていますが、中国としては日本が大震災で弱ったときでしかもアメリカとのすきま風が吹いている民主党政権時を狙って、イザと言うときのために実験・・小手調べをしただけでしょう。
中国の究極の目的は、この先必ず到来する成長ストップ(成長がストップしない国はありません)・・経済破綻による大混乱に際しての最後の切り札・・対日侵攻作戦を予定していたと見ておいた方が良いでしょう。
フィリピンやベオナムなど元々格下の国相手に戦争で勝っても、コクナイ危機時のストレス解消になりません・・古代から今まで勝ったことのない日本に勝つかヘコませることこそ最大の国威発揚・国民の目をそらせる手段になります。
先制攻撃である程度戦果を上げてから、ウクライナ危機のように、アメリカの介入による膠着状態に持ち込んだ方が民族意識鼓舞の持続性が高いと言う読みもあるかも知れません。
実は中国は前回のレアース禁輸のときと違って対日交渉では、絶対的な力を手に入れています。
南シナ海のど真ん中に軍事基地を設けた真の意味・・11年の反日暴動時と違って次は「日本向け船舶に限って南シナ海を通さない」と言い出したら日本は遠回りするしかない・・コスト的にお手上げです。
安倍政権は、これを前提にアメリカ産LNG輸入やロシアとの協商など輸入先の拡散に必死になっていますが、中東産原油の輸入比率を下げるだけであって、その他東南アジアとの交易に莫大な支障が生じます。
中国から日本(尖閣諸島など)先制攻撃は国際非難がきついでしょうが、これをしなくとも日本海軍が遠く離れた南シナ海に先に出動して船舶の護衛をしなくてはならない事態(補給その他ですごく不利)・・日本軍が先に領海を侵犯したと言う理由で中国は尖閣諸島や沖縄攻撃の名分を得る予定でしょう。
手段と目的の逆転社会の応用ですが、中国では経済破綻を防ぐ努力よりはアタマっから防げないと決めて・・破綻を小さくする努力をするよりも、危機対策・・危機乗り切り策の方に頭を使っているのではないでしょうか?
これまで書いているように権謀術数特化社会・・権力闘争・・権力維持策に優先的に関心が行く社会だからです。
今年に入って、中国の民間債務急膨張によって、中国の経済破綻(無駄な公共工事によるGDP底上げ努力や公的資金注入によってゾンビ企業の延命←投資に向かわない債務膨張によって明らか)先送りに必死ですが・・ネット評論だけではなくIMFでもハードランニングリスク論が表面に出始めました。
以下勝又壽良の経済時評2016-08-24 04:25:38によります。
中国、「慢性疾患!」過剰債務が招く経済急減速と元安リスク
8月12日に発表されたIMF(国際通貨基金)による、対中国経済審査では、「衰弱」を裏付ける幾つかの指摘が出ている。
(1)「国際通貨基金(IMF)は、中国のシャドーバンキング(影の銀行)関連の19兆元(約290兆円)に上る信用商品について、企業向け融資と比べハイリスクで、デフォルト(債務不履行)に陥れば流動性ショックにつながる可能性があるとの見方を示した。
IMFでは、シャドーバンキングのデフォルトを懸念しているが、格付けAAAをとっている債券すら5割以上のデフォルト懸念である。中国経済が「信用危機」に陥る可能性は十分ある状況なのだ。見過ごしできないところまで追い込まれている。
(2)「IMFは、対中年次経済審査で次のように指摘した。景気刺激策の質を高めるためには、中国の政策当局者は国内総生産(GDP)伸び率目標の設定をやめるべきとの認識を明らかにした。
「インフラ投資を行ってGDPかさ上げの辻褄合わせをしてきたからだ。将来、投資資金も回収できないような無駄な投資を続けることが、中国経済をさらに追い込む。」
以上勝又氏の情報・意見を転載しました・・いろいろな情報がぱらぱらありますが、引用するには勝又氏上記経済時評の情報に多くを頼っています・・・考えも当然影響を受けているでしょう。
日本で考えている以上に、中共政権は民主化していない分に比例して危機管理に敏感な体制ですので、天安門事件に対する国際反応を受けて中国幹部の危機感が半端ではなかった筈です。
次の大混乱・・イザと言うときにどう対処するかについて真剣に対策を練って来たと思われます。
その一環として先ずはコクナイ体制の整備・・江沢民による法輪功弾圧に始まるコクナイ騒乱の核になりそうな集団排除や言論統制強化・党の支配体制確立=集団指導制から個人集中支配体制への移行など大きな流れが決まって来たと思われます。
江沢民のとききから国家主席と党のトップを兼任するようになったと言われてます。
そして今の習近平氏は言わば軍事を含めて全権掌握間近(これに反比例して不満の蓄積が大きくなっている点を強調する意見もあります)です。
国内衝撃の大きさに比例して耳目をそばだてるような大きな事件を引き起こす必要性・・経済ハードランニングが近づいている・・先送りすればするほど先送りに比例して衝撃が大きくなるのが明らか・・政権にとって最高度の危機間近ですから、対日関係で格段のエスカレートさせる必要性が高まって来ました。
この実現のためには、国際環境・・どの程度までの日本侵略をアメリカが事実上容認するかの擦り合わせ・・アメリカの同意またはどの時点で介入するかの読みが必須です。
始めから介入されて引き下がるのでは却って恥をかくので、大枠としては、太平洋二分論・・西太平洋で中国が何してもアメリカが介入しないのがベスト・・介入するにしても、ある程度戦果が出るまでぐずぐずしている内諾・・どこまで行くと介入するのか?この内諾またはニュアンスを求めて江沢民は1年間に4回もアメリカ訪問していたのです。
イラクのフセイン大統領はアメリカの内諾を得たと思ってクエート侵攻して大失敗しました。
それまでフセインはアメリカの手先として対イランの代理戦争を戦っていたのでまさか手のひら返しを受けるとは思っていなかったでしょう。
中国の場合大きいので、対イラクのように簡単な手のひら返しで陥れることは出来ません・ロシアのクリミヤ占領同様に既成事実を作ればこれをひっくり返してしまう力をアメリカは持っていません。
軍事基地がある限り軍事利用する・・その周辺が軍の都合でいつでも通行止めされる事態が予定されていますから、諸外国の航行の自由と相反する事態です。
中国が南シナ海のど真ん中にに軍事基地を作っているときに「航行自由」と言うばかりで、阻止しなかったアメリカが軍事基地が出来があった後でこれを破壊出来る訳がないのが常識です。
軍事基地を作るのを黙認しておいて「航行の自由」と主張するのは矛盾です・・から、「言うだけにとどめる」中国との暗黙の合意であったと思われます。

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