フランス革命に戻ります。
フランスが植民地戦争で負けた意趣返しにアメリカの独立を応援したからと言って市場参入がうまく行くとは限りません・・要はフランスの市場競争力の有無です。
産業の基礎が弱いといくら強制的にこじ開けたり、大陸封鎖令のように経済封鎖しても長期的には効果がないことが分ります。
武力や政治力は一過性に過ぎません。
トランプ氏の強引な政策も長い目で見れば一過性に過ぎませんが,業界は一過性だからと言って4〜5年間も逆境に甘んじるわけに行きません。
先ずは現政権と摩擦を起こしたくない・・迎合するしかないので,昨日のニュースではフォードもメキシコメキシコ新工場撤回に追い込まれていますが,長期的にはアメリカ製造業の競争力にかかります。
フランスがアメリカの独立応援によって市場参入の将来性が開かれたとしても目先の財政危機には役立ちません・・財政危機サナカの新たな戦費負担によって,目先の財政危機が却って高まってしまったのです。
財政危機打開に向けての協議が不調に終わり,その責任のなすり付けあい・・1種の弱い者イジメに向かったのが王制打倒だったように見えます。
昨日ロシア革命についてちょっと触れましたが,本来農奴・工員など弱者向け改革に努力していた帝政に対して大貴族が反対して進まなかったのですが,革命になると逆に王家の方が潰されたのと似ています。
今のアメリカの不満はお家芸である自由主義・グローバリズムによって世界中の門戸開放して来たものの、そのメリットを資本家・・金融資本ばかりが得ていることに対する不満です。
製造能力の基礎が弱っていることに対する不満ですから、誰か威勢の良いことさえ言えば解決できることではありません。
政治的意味としては製造業を強くするための政策努力目標を宣言していることは間違いがない・・長期的目標設定したと言う程度でしょう。
ウイキペデイアの産業革命の記事からの引用です。
「イギリス産業革命は1760年代に始まるとされるが、七年戦争が終結し、アメリカ、インドにおけるイギリスのフランスに対する優位が決定づけられたのは1763年のパリ条約の時である。植民地自体は以前から存在していたので、1763年の時点でイギリスが市場・原料供給地を得た、というよりも、フランスが産業革命の先陣を切るために必要な市場・原料供給地を失ったというべきであろう。いずれにせよ、イギリスはライバルであるフランスに先んじて産業革命を開始し、フランスに限らず一体化しつつあった地球上の全ての国々に対して有利な位置を占めることとなった。言い換えるならば、七年戦争の勝利によって、イギリスは近代世界システムにおける覇権国家の地位を決定づけたのである[1]。」
革命とシビリアンの関係に戻りますと,増税の強制→軍事力背景ですから,アメリカでは独立直後には,軍に対する嫌忌感から常備軍を置かないシステムを採用していると言われています。
http://blogs.yahoo.co.jp/takizawa_shinichiro/61987964.htmlの記載で真偽不明ですが,一応引用しておきます・・真偽を知りたい方は連合規約の原典に当たって下さい。
「連合規約、正式には、連合および永遠の連合規約、アメリカ独立戦争における13植民地の連合の名称を「アメリカ合衆国(United States of America)」と定め、13邦を統括する連合会議の設置を定めた。
アメリカ最初の連邦憲法とも呼ばれている。
この連合規約では、常設の陸軍あるいは常設の海軍を平時に持つことを禁止している。」
以下はhttps://ja.wikisource.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Complex01/%E9%80%A3%E5%90%88%E8%A6%8F%E7%B4%84からの連合規約の引用です
第6条
前略・・・
いかなる邦も、連合会議に結集する合衆国が当該邦の防衛もしくはその貿易のために必要と見なす数以外の軍艦を、平時において保持してはならない。また連合会議に結集する合衆国の判断において、当該邦の防衛に必要な要塞を守備するために不可欠と見なされる数以外の軍隊を、平時において保持してはならない。ただし、すべての邦は、常によく統制され訓練された民兵を、十分に武装し装備して保持すべきであり、政府所有の倉庫に適切な量の野砲、テント、武器、弾薬、および野営用具を準備して、緊急事態に備えなければならない。」
どこのクニも防衛に必要と言う解釈で軍を常備しているのですから,この規約だけから常備軍禁止規約だったとする解釈は文言的に無理があるので,2回の革命経験のあるイギリス系移民にとっては,独立戦争を独立革命と言うように3度目の正直・・軍に対する嫌忌感が強烈でその背景を持った議論の末に出来た条文なので、出来上がった成立経緯を重視した意見でしょう。
飛躍しますが,日本国憲法の非武装原理もここに淵源があるかも知れません。
いずれにせよ、上記条文のように,装備品を用意しておくだけで必要な都度軍(志願兵?)を招集する仕組みだったらしいので、南北戦争当時もホンの少ししか軍がなかった・・だからこそ日本で想像する政府軍〜反政府軍との大きな差がなく,南北軍が拮抗していた原因だったかも知れません。
でも南軍には大砲がないじゃないかの疑問があるでしょうが,各地に兵器倉庫が分散していれば,南軍支配下にも兵器庫があってそれを南軍が利用したとすれば納得がいきます。
日本で考えると古代の平将門〜藤原純友の乱でも,西南の役でも政府軍と反乱軍とでは,圧倒的兵力差が基本ですから変な感じを受ける原因です。
今のアメリカの強大な軍事力からは想像もつきませんが,建国当時は常備軍不要の思想の憲法になっていたと言うのです。
アメリカでは・・軍の存在そのもが人権抑圧組織として如何に嫌われていたかが分ります。
当時は軍と言っても,一般人が銃を持つ程度ですから,イザ戦争が始まってからの準備でも何とかなるものでした。
18世紀末から19世紀に入ると戦艦や兵器が近代化して来たので,今では数十年単位の兵器開発準備や訓練が必要です。
中国がソ連崩壊後ウクライナから中古の航空母艦を購入して、これを元に作っているのですが,大変な時間(ソ連崩壊後でも既に20年以上です)を要して昨年あたりに漸く進水したばかり・・1〜2週間前に漸く台湾をぐるっと回る示威航海しましたが,これから実際の発着訓練が始まるのを見ても分るでしょう。
そこで常備軍・・職業兵士が必須になって来ます。
近代法の原理と言ってもこの一事だけを持っても,大きな変容を受けていることが分ります。
アメリカ徴兵制の歴史はウイキペデイアよると以下のとおりです。
アメリカの徴兵法の歴史
独立戦争 – 先住民との戦争終結までの徴兵政策
1861年 – 1865年、南北戦争時の徴兵実施。アメリカ合衆国と合衆国からの脱退を宣言したアメリカ連合国は、南北戦争遂行のために徴兵制を実施したが、合衆国軍も連合国軍も兵士の大部分は志願兵だった。
先住民との戦争終結後 – 第二次世界大戦終結までのアメリカの徴兵制策
1916年2月、徴兵制に合憲判決。
1917年5月、1917年の選抜徴兵法の制定。
西欧に戻りますと,王権の強制力は元々軍によっていますが,その正統性の基礎にキリスト教・聖職者がいて実際に異教徒審問などで猛威を振るったので,市民にとっては軍と聖職者を一体的抑圧者として意識してきました。
王制やキリスト教の圧迫に抵抗する市民・・ローマ風の戦うべき階層として市民自らを意識したときに「シビリアン」と言う別の名称が生まれて来たように見えます。
以上のように,西洋では軍と聖職者に抵抗するものとして中世中頃から,徐々にシビリアン概念が育まれたものですが,新大陸アメリカは新教徒が中心になって建国したものですから,既にカトリックによる宗教強制がなくなっていて,軍だけが恐れるべき対象でしたから、軍だけを市民が規制すべき対象になって来たのです。
我が国には,米軍占領を通じてシビリアンコントロール思想がはいって来たので、シビリアンコントロールと言えば軍に対する文民による抑制しかイメージ出来ないのはこの差によります。
タイやエジプトその他で軍事政権が生まれると、すぐに制裁をしたがるアメリカの短絡的発想の基礎がここにあります。
アメリカによる日本軍国主義批判(日本人分断政策)に対する疑問から、16年12月29日以来軍国主義とは何か?その根底にあるシビリアン論に関心を持ってこのリーズを書いて来ました。
シビリアンコントロ−ルがないと戦争になり易いと言う信仰は本当か・・シビリアン・・市民の内包である商人・産業資本家こそが近代の大規模戦争の原動力になって来たのではないか?
重商主義以来絶対王政との二人三脚(フランス)その後の多くの民族国家による政府と一体化させて国際市場を求める・・シビリアン自体が帝国主義戦争の原動力になって来たことを書いて来ました。
歴史の一コマでしかない,「シビリアン概念」を田舎者が?有り難がって時間軸や場所の特性を越えた普遍的な価値と誤解しているのではないかと言う意見です。