これからの異性関係

自分の結婚相手探しに関係のない世間に向かってまで、いつも慎ましやかにしていないといざと言う時に結婚話が来なくなると言う心配がなくなる中高年では、傍若無人・・これが一時はやったオバタリアンの基本的精神行動と言えるでしょうか?
疑問形にしたのは、彼女達は年甲斐もなく異性を気にしているのが恥ずかしいので、あえて逆ばりで大声で話したりして見栄を張っていたのかもしれないと思うからです。
「冬のソナタ」の追っかけも、この心理・・疑似恋愛発露の一端でしょう。
子を生む・性行為と関係がなくなれば、異性の目を気にしないでいいのかとなるとそれはまた別問題です。
異性関係は古代の性行為=子を産む直接的関係から、オスの子育て協力の必要のためにメスが恒常的発情期に変化したときから、子を産む目的がないどころか生まれたら困る性関係の方が比率では圧倒的に多くなっていたのです。
(仮に子育て期間の20〜30年間のセックスの度に子供が生まれるのを放置すると、一人の女性の生む子の数は膨大な数に上ってしまいます)
そこで避妊方法の工夫が人類・女性の発情期が恒常化し始めるとともに始まった筈です。
この避妊方法の工夫が未発達の間、必要以上に妊娠してしまった解決策が堕胎ですし、堕胎出来ずに生まれてしまった子の始末に困ったのが間引きの横行でした。
昭和50年代に盛んとなった中ピ連等による女性活動家による中絶行為の公認やピル解禁運動の目的は、性行為と妊娠の完全切り離しを目的で行き着いた究極の主張であったと言えます。
妊娠リスクを取り払おうとする方向性は、古代において女性の発情期恒常化への切り替えとともに発生する副産物的・一種の病理現象の除去ですから、克服しなければならない・いわば副産物を生み出さない解決策として古代から努力されて来た人類の大テーマです。
子育て協力・家庭制度の発達の前提として女性発情期恒常化を必要なものであると肯定する以上は、ここから生ずる無益な妊娠を防ぎ、中絶の合理化を図る努力それ自体一貫した方向性であり、これに反対するのは理解出来ません。
性行為と妊娠の切り離しを禁止し、中絶や避妊に反対するのは女性の性欲=発情期恒常化に反対する以外にその意義が見いだせませんので、いわば男性が育児に協力しなくて良いとする主張まで含まないと一貫しません。
こうした長年のたゆまざる努力の結果、(と言うよりもコンドーム等の発達は科学技術発達の結果でしょう)今では避妊が完全化していますので、性行為は完全に子を産む行為と切り離す気になれば切り離せる時代となりました。
今でも従来型の節操堅固な女性から始まってフリーセックス化している段階まで人によって意識は違うでしょうが、次第に軽くなって来ていることは確かです。
こうなってくると性行為自体に必要以上に重きを置く意識も薄れて来ますので、異性関係も性行為自体を目的にするのではなく、単に一緒に行動するだけで同性といるより楽しいと言う関係があっておかしくありません。
デパートや各種商店で、あるいは風俗系遊び場で異性からニッコリ応対される程度で嬉しくなるものです。

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