航行の自由と日本の生命線  

ここ4〜5年の我が国自衛の大きなテーマは,中国による尖閣諸島侵略意図の明白化による沖縄周辺の自衛問題と中国が南シナ海に敷設している軍事基地=日本の通商路確保・・閉鎖阻止のために自衛隊がそこまで出掛けて行って守れない・・公海航行の自由を米軍に頼るしかない現実・・コソ議論の対象であったことが分ります。
米国はこの航路が閉鎖されても痛くも痒くもない・・この閉鎖に直接的利害を持つのは韓国台湾と日本だけです。
米国の南沙諸島周辺パトロールその他行為は、主として日本の頼みに応じてやっていることですし,日本自身憲法上直ぐに自衛官出動するは無理があるので、フィリッピンやベトナムに艦艇供与したり国際会議がある都度名指しせずに航行の自由に対する懸念の表明を求めるなどして間接的に航路維持のために必死に取り組んでいる最中です。
フィリッピンやベトナムは島と言えるかどうかの領土問題・漁業保障プラスアルファさえして貰えば損得なしですが,(フィリッピン大統領はすぐに飲みました)日本はここを封鎖されると死活問題・・漁業保障どころの話ではありません。
中国は個別交渉を望むのはそれぞれ個別撃破して行ける自信があるからです。
日本の場合,中国支配を認めて通行料を払うと次から徐々に要求が拡大されて行く・・・・高度技術移転その他どんな無茶でも要求されると従うしかない・要は中国の属国化を認めるのかの瀬戸際です。
個別交渉に最後まで応じられないのは、多分日本だけしょうから,(韓国は南シナ海問題では,全く同調しない・・オバマとの会談でも南シナ海問題を話題にすることすら応じなかったことが当時報道されていた記憶です・・裏で通行保障を得ているからでしょう)日本はこの通商路を実力で確保をするしかない立場ですが自力では憲法上の縛りがあってすぐに自衛隊が出て行けない・・今のところそのためには米軍に頼るしかないのが現実です。
そこで米軍が日本の要請に応じて出っ張ってくれている現状ですから、米軍の公海パトロール中に緊急事態が起きたときに日本が頼んでおいて「日本は知りませんとは言えません。
・・米軍の戦争に巻き込まれると言うより米軍が日本のために紛争に巻き込まれているのに日本が知らん顔出来るのかと言う方が正しい政治選択・・議論です。
このときに米軍救援に駆けつけたくないと言うのでは、アメリカは・南シナ海の通商路確保に動かなくなってしまうのが当たり前・・日本は通商路確保する気持ちがないと言う意思表示になってしまうでしょう。
昨年夏頃の集団自衛権騒動でマスコミが宣伝していたのは、60年安保の主要テーマ・・「非武装中立平和論を基礎にした・・米ソの戦争に巻き込まれるのがイヤだ」と言うテーマの焼き直し・・ソ連がなくなったので今度は(中国)「アメリカの戦争にどこまで協力するか」だったのですが、条約条文や国際情勢を見直してみると,安全保障に関するここ4〜5年のテーマは60年安保で決まっていた共同防衛の範囲を日本領土外に広げるべきかどうかこそが国家の命運を左右する大きなテーマであったことが分ります。
本来のテーマを隠して「集団自衛権」のテーマに集約してマスコミが騒いでいたのは,60年安保で大騒動に発展した成功体験の「夢よもう一度!」と言う仕掛けだった可能性があります。
そういう目で見れば,マスコミ・左翼系の発表では何の関係もないのに安倍総理が岸元総理の孫だからとか60年安保と比較する論調が多かった印象です。
ただ防衛概念は相対的なものですから,止めどなく拡張し相手領土を先制攻撃するのは危険なことは確かですが,公海上で自国商船が攻撃された場合に何も反撃出来ないかは別問題です。
60年安保当時はアメリカの軍事力は絶大で,日本の通商路の確保など問題になっていませんでしたが,今では中国が南沙諸島に軍事基地を置くようになると中東原油や東南アジアとの通商路が一瞬にして封鎖されるリスクが起きて来ました。
元々尖閣諸島の確保は通商路確保・切断リスクの問題であると言う意見を大分前に書いたことがあります。
中国はレア−スの禁輸では失敗しましたが,今度は通商路封鎖で日本の鼻を明かそうとする魂胆です。
ソマリア沖海賊退治のために国際的共同行為がされているように、公海の通商路を海賊であれクニであれ,妨害している場合これを掃討するのは「通商路自衛」のために国際的に許された自衛行為です。
昨年の騒動は,日本は平和国家としてどのような対処をすべきかコソをみんなで考えるべきであったことになりますが,マスコミはテーマ憲法論などにテーマを矮小化してまともな議論させない方向へ誘導していたように思われます。
重要なのは憲法違反かだけはなく,日本の安全確保のためにどこまでどうあるべきか・・その上で憲法がどうあるべきか・・民族維持のために不都合ならば改正するか?だったのですから議論の建て方が本末転倒です。
幕末・開国の必要性・・応じないとどうなるかどのようにして植民地化から免れるかの議論をすべきときに「祖法」である鎖国政策違反か否かばかり議論して政府の足を引っ張っていた尊王攘夷・倒幕派の立場と同じです。
集団自衛権絶対反対勢力の本音は「通商路確保のために中国とコトを構えるな」・・「日本は封鎖されても海外出兵出来ない」その結果「中国の言いなりになるしかない」・・追い求めて来た好機到来・・中国支配下に日本民族を追い込むための反対運動だったのでしょうか?
隙さえあれば日本の独立を奪い他民族の支配下に置きたいと狙っている勢力が日本人の中にいるとすれば不思議です。
Nov 13, 2016「民主主義2の基礎・信頼関係」〜Nov 22, 2016「民主主義の基礎10(産業構造の変化)」まで書いて来ましたが,民主主義・・話し合い解決社会になるには,お互いに郷土を愛する気持ちがないと成り立ちません。

政治生命をかけるとは?3(禊)

今回の消費税問題以前から、今度選挙すれば民主党政権運営のお粗末さから、民主党が大敗するだろうと言うのがもっぱらの下馬評でしたが、消費税増税が成功したらそれを国民が評価して逆に大勝するという見通しなのでしょうか?
(マスコミによる野田内閣の勇断・・決められる政治と言う応援を計算に入れているのでしょう)
そうなれば公約違反の政治上の罪は選挙でみそぎが済んだ・・許されたことになると言う計算かも知れません。
いわゆる事後承認ですが、緊急事態に関しては国会の事後承認という制度がありますが、増税の場合選挙する暇がないことはあり得ないのに、(元々国王の求める増税の可否を議論することが議会の基本的機能でした)増税の可否までも事後承認で済ますのでは、選挙で信を問うことは何もなくなってしまいます。
ヤンバダムの例でも分るように一旦始めてしまうと元々はやるべきでなかった工事だったとしても、今更やめるともっと損害が大きくなってしまうのであれほど反対していた民主党でさえ中止し切れないことからも分るように、(原発だって作ってしまいこれに依存する体制を作ってしまっているのでイキナリ全廃出来ないのですが・・)既成事実を作った方が勝ちみたいな所があるのが政治です。
ですから、何もかも既成事実を後から判定する方式は民主政治向きではありません。
結果責任を負うだけであれば、(遠征の失敗などでその後王朝が倒れるのは)専制君主でも独裁政権でも古代からどんな政体でも皆同じで、民主主義制度とは無縁です。
他律的な疫病等のばい菌の穢れを払う禊の効用と意図的な公約違反の関係については後に書いて行きたいと思います。
消費税増税実行はマスコミの応援を受けられるので選挙で大量得票に繋がるという思惑からか、民主党執行部は離党者に対する意趣返しのつもりか、離党者の選挙区に対立候補を立てる方針とも言われています。
自民・公明との談合で消費税増税を実現するのですから、本来の対立政党である自民公明両党から公約違反の道義責任を厳しく追及される心配がありません。
民主政治の息の根を止めた戦時中の大政翼賛会選挙同様で「赤信号みんなで渡れば怖くない」ということでしょう。
談合3政党の共通の敵は、公約違反を追及する離党者グループですから、この共通の敵に向かってこれまた談合・共闘態勢が先ず構築される(マスコミは当然その応援をします)ことになるのでしょう。
離党者からは公約違反の追及が厳しいことが予想され、野田総理とその1党にとってはそれが怖いからその批判(歴史に残る批判です)さえ封じることが出来れば、仮に党が消滅しても良いくらいの判断なのでしょうか。
刺客と言えば郵政選挙の例が想起されますが、郵政選挙場合、テーマもはっきりしていたし、小泉政権の圧勝が予想されていたので、落下傘候補であるいわゆる刺客候補も一定の勝算があってのことでした。
(実際に落下傘候補もかなり当選して、保守系乱立による共倒れは殆どありませんでした)
今回は元々民主党が一丸になって戦っても大敗すると言われている状態でしたが、消費税増税が民主党にとって、公約違反問題もあり、どのような審判が下されるか分らないイチかバチかの大勝負です。
消費税増税がプラスに作用して圧倒的強い立場になれば良いですが、そうではない限り他人の選挙区に何の地盤もない新人が執行部の意を受けて立候補をしても当選出来る確率は殆どありませんから、圧勝の見込みもないのに送り込めば共倒れを前提にした作戦・・泥試合の開始となります。
立候補は本来当選を目的にあるものですが、相手を落とすことだけを目的に立候補するのはこれまた民主主義制度の本義に反しています。
当選目的ではない共倒れ目的での立候補者(刺客)を仕向けて来るならば、小沢派の方も(軍資金次第ですが・・)対抗上執行部寄りの当落線上の選挙区へ刺客を送り込む泥仕合となって、双方大敗を喫することになるでしょう。
自民・公明その他の政党が漁父の利を占めることになりますが、野田総理が政治生命をかけると言っていた意味が、自分を含めて民主党をそっくり滅ぼしてしまう・自壊させるつもりでやるとすれば潔い決断です。
信頼で成り立っている民主主義制度を根本から覆す大罪を犯した責任は、党首だけではなく党自体にあるので党自体が消滅するのは良いことです。
ちなみに「政治生命をかける」と言う従来の語義は、信念に基づき不利益を顧みずに自分より大きな権力・マスコミを敵に回す主張を敢然とするときにこそ、「正義のために頑張るぞ!」と使うものであって、「これから泥棒に入るぞ」とか、悪いことだけども断れないので「大きなものに巻かれるぞ!」「信念に反してマスコミ受けするように主張を変えるぞ!」と正義・信念に反する決意表明に使うべき言葉ではありません。
野田総理が「政治生命をかける」目標は、株屋で言えば、顧客からの特定銘柄買い付けの指示に反して、証券マンが別の銘柄の方が良いと思って勝手に別の銘柄の買いを入れてしまうなど悪事を働くときの決断に使っている感じです。
あるいはファンドの組み入れ比率を株屋が無断で変更するための決断みたいなものかな?
証券マンが顧客に説明しないで勝手に売買する以上は「地位・クビを掛ける」ことになるでしょうが、この場合結果的に儲けられさえすれば客は文句を言いません。
しかし政治の場合、結果が良いかどうか直ぐには誰も分かりません。
例えば石油ショックやプラザ合意による円高傾向が日本にとって国難だったのか、却って省エネ技術が発達したり生活ベル引き揚げの発火点になったのか、低金利が良かったのか悪かったのか増税せずに国債で賄って来たのが良かったのか悪かったのか(私に言わせれば国内から資金調達している限り金持ちからの所得再分配機能を果たしているという意見です)、一定の公共工事をするのと別のことに投資したのとどちらが良かったかが、20年経っても漸く分るかどうかと言う状態です。
外国の例でも・・アスワンハイダムは、今になるとナイルの肥沃な流域を駄目にしてしまったマイナス・失敗ではないかと言われているのを想起しても良いでしょうし、中国の山峡ダムも同じような運命のようです。
政治の世界では「結果さえ良ければ良いし、悪ければ責任を取る」と言っても事後判定は意味をなさないので、結果の如何(目的が善意であるか否か)に拘らず国民の信託に背くこと自体が絶対的に許されないのが、民主政治の原理であるべきでしょう。

政治生命をかけるとは?2

ところで、6月26日の衆議院での採決では、民主主義の正義を守るために「政治生命をかけた」のはわずかに57人しかいませんでした。
(棄権者はその他にいましたが・・意見を言わない人は、大勢の赴く所で良いということ=そのときそのときの強い者の味方・・本件では信託者である国民に対する裏切り行為の肯定・黙認に作用します)
ちなみに離党したのはそのまた一部37人(衆議院に限定すれば・・)だったことをどのように評価するかです。
正義に反する行為をする政党には居られない・・「義に反する周の粟(ぞく)を食らわない」と言って西山に入ってゼンマイやワラビを食っていて餓死した伯夷叔斉の故事が有名です。
以下史記列伝の(周の武王の出陣を止めて容れられなかったので)西山に隠遁していて、死に際しての辞世の句です。

登彼西山兮   彼の西山に登りて
采其薇矣     其の薇を采る
以暴易暴兮   暴を以て暴に易へ
不知其非矣   其の非を知らず
神農虞夏     神農虞夏
忽焉沒兮     忽焉として沒しぬ
吾適安歸矣   吾適(まさ)に安くにか歸せん
吁嗟徂兮     吁嗟(ああ)徂かん
命之衰矣     命の衰へたるかな

私は現在の代議「士」に餓死まで求めません・・離党すればいいだけ・国会議員の地位はそのままで歳費は従来通り受け取れますから・・餓死する心配すらないでしょう。
それだけ(次の選挙が怖いだけ)のことでも正義のために賊徒の中で反旗を翻すことの出来る気概のある国士が37人しかいなくって、あるいはそれだけ多くいたとしても、残りはやはり大きな所帯に居残りたい・・正義のために政治生命を掛けるより安泰な地位を求めたい人たちだったということになります。
(それまで小沢氏に恩顧を受けていたその数倍の人が目先の利に従ったことなります)
マスコミは小沢氏に付き従った人が僅か37人・・支持が少ない・誰も支持しない異端のグループであるかのような印象を強調するために宣伝していますが、逆に選挙に落ちる恐怖・・伯夷叔斉が西山に登るに匹敵する勇気のある人が37人もいたのかとも言えます。
この辺の解釈は読者が自分の身に置き換えて自分だったら、そんな思い切った決断が出来たかどうかを基準に判断することでしょう。
「政治生命をかける」と言うはたやすいですが、実際に大きな権力に刃向かうと悪事が露見しないように権力から口封じのための刺客も来るでしょうし、大きな権力に身を寄せていないと次の選挙で落ちる恐怖が大きいことは当然です。
(マスコミはいつも大きな権力寄りで、与党批判者には陰に陽に誹謗中傷が行われる傾向があります・・まして今回の増税路線はマスコミ推奨路線でもあるのでなおさらです)
伯夷叔斉は自分の意見が正しいことを訴えて周の武王やその部下全員を翻意させようと飽くまで努力したのではなく、こんな義に反する周の国にはいられないと身を引いて餓死したに過ぎません。
ナチスに対するレジスタンス・あるいは近年の民主運動家は、単に国から出て行くだけでは(亡命あるいは海外移住)潔しとせずに、国内に留まって命がけで民主化運動に取り組む人たちが普通です。
国を捨てて海外移住希望だけなら韓国・中国の庶民?(巨額資金を蓄財している共産党幹部など)はいくらでもしていますので、海外移住をしている庶民の多くがみんな古代の伯夷叔斉並みの「士」と言えるのでしょうか?
今では海外の方が住み易いので移住するだけですから、死を恐れずに西山に入った伯夷叔斉のような「士」ではなく、祖国を地盤にして金儲け(蓄財)してその資金を持って海外に逃げるのですから、祖国を裏切る不道徳な国民がこんなに多いのかと言う印象です。
37人の義士は、こんな不正義な政治の世界にはいられないと言って政治をやめるだけなら、中国・韓国人の海外移住・逃亡同様に何の苦労もないでしょう。
国会議員をやめても伯夷叔斉の時代と違い直ぐに餓死することはない・・別の仕事がいくらでもある時代です。
権力者にとっても政界から逃げ出してくれれば大した害がないので、放置すれば済むことですが、(平安時代にあった左遷・・中央からの放逐で足りたのと同じです)政治社会に留まって反対を唱えられるのが怖いので、刺客を向けたりして口封じに精出すことになります。
代議士を辞めずに自分たちの理想社会を作ろうと努力を続ける点では、その場から逃げてしまった古代の伯夷叔斉よりも偉いのかも知れませんが、その代わり(自分の権力欲を満たすためにやっているのと区別が難しいので)マスコミからは個利個略だと誹謗されるし、権力からは刺客に狙われるし、次の選挙も命がけです。

政治生命をかけるとは?1

「政治生命をかける」とは自分の政治信念を貫徹するためには有力者に嫌われ、政治上不利な立場になろうとも、正義のために節を曲げずに主張を通し、選挙でも堂々と主張してその結果、「選挙で負けても悔いがない」というのが本来の意味でしょう。
多数派が正義不正義に拘らずその主張を通すためには、政治生命をかける必要がありません。
消費税増税反対を主張して政権を取った(国民から信任を受けた)党が、方針変更に対する総選挙の洗礼(国民の信任)を受けるのを明白に嫌がりながら、「増税に政治生命をかける」というのは言葉のまやかしです。
(誰かの委託を受けた行為ではない・・純粋個人の利害だけの行動ならば、豹変するのは勝手・君子ですが・・・)
少数派が正義のために行動するときに不利な扱い・・除名や資格停止などの不利益処分を受けるのを覚悟の上で行動するときに使う言葉を、多数派が奪ってすり替えて使い国民を誤導しているのです。
公約違反推進に多数の力を恃んで政治生命?をかける党首・・これをマスコミが「本来の語義・用法と違う・・国民を欺くもの」だと批判しようとせずに、むしろそれとなく応援している様子です。
(・・民主党が実現したマニフェストは少ないのでマニフェスト重視を言うのはおかしいという変な擁護論さえありますが、実現に努力して出来なかったのと反対の政策を率先して実行するのとは本質が違います。
あるいは反対する勢力をおとしめるためにそこにあるのは「個利個略しかない(政治的識見がない)」と言い、「すべてが選挙対策だ」とも言います。
しかし公約違反の与党やマスコミの大勢に反対するのが何故(何の識見もない)個利個略なのか、(普通は個人にとっては不利な選択です)またせっかく作り上げた与党を飛び出して孤軍奮闘(マスコミからも集中砲火を受けながら)で戦おうとしている人が何故選挙対策で動いているというのか、論理が見えません。
むしろ公約違反はおかしいと思いながら執行部に反対意見を述べる勇気のない政治家の方が、個利個略・選挙対策(自己保身)だけの人ではないでしょうか?
選挙目当てと言いますが、与党から飛び出して国からの補助金もない(1月1日現在での政党にしか補助金が出ない・・途中で分裂するグループに不利な制度です)状態で選挙をやるのは極めて不利なことは常識でしょう。
増税するか否かこそは数ある政治案件の中では、政治意見の中核であることは公理とも言えるほど歴史上明らかなことですから、増税反対かどうかを軸に行動基準を決めることが何故に政治的識見がない行為と言えるのか不明です。
財政赤字解消のために増税の必要性があるかどうかの意見とそれぞれの根拠・理由はこれまで書いているとおりいろんな意見があるのですから、自分(マスコミ)と論拠が違う相手を「識見がない・・バカだ」というのでは、大人の議論・・マスコミが取り上げるべき公平な報道とは言えません。
どちらの論拠が正しいかは選挙で決めることです。
論理のない批判が横行しているのは言うならば、誹謗中傷のたぐいを天下のマスコミが垂れ流していることになります。
党は党でそんな党首に任せられないと解任するどころか、公約を守れと反対する少数議員・・彼らこそ正義のために政治生命をかけていると言えます・・を除名してしまうような政党・・マトモな政党が世界を見渡しても歴史上あったでしょうか?
時代劇で言えば、お家乗っ取りを策す悪家老一味に敢然と立ち向かう正義の「士」少数派を誹謗中傷しているようなものです。
幕藩体制下で幕藩体制を覆すような主張が公然とされた場合、そのグループは幕藩体制と食うか食われるかの戦いをしない限り存続出来ないのは当然です。
信長や秀吉の支配下で信長や秀吉の支配方法に異を唱える以上は、信長や秀吉の支配領地内で存続が許されません。
民主主義体制を良しとする現行法体系下で、(これを覆そうと主張するならば一貫していますが・・これをやめる展望もないまま)民主主義の根本原理に反する行為をしている以上は、一種の反逆罪を犯している状態で、現行秩序上存在自体が許されない状態です。
まさに野田総理とその1党は政治生命をかけて自ら政治家を辞めるべき主張になります。
民主主義に根底から反する行為を賞賛するマスコミその他の勢力は、民主主義制度を否定する勢力に加担・そそのかす勢力と言わざるを得ないのではないでしょうか?
アメリカは民主主義を守るための戦いだったと称して日本に原爆を落とし、その他何百万(大げさかな?)の一般人を焼夷弾で焼き殺し続けたのですが、日本のマスコミはアメリカでは野田総理が激励されているかのような(高官などとぼかした言い方)報道です。
アメリカは自分の都合に合わせてあちこちの軍事独裁政権を支援してきましたし、自分に都合の良いときだけ民主主義のための戦いと言い出す自分勝手な国ですが、・・いくらご都合主義のアメリカだとしても、民主主義制度の根幹を破壊する野田総理の暴挙をそこまで応援するかな?と疑っています。
元々野田総理は訪米直後から消費増税へのボルテージがイキナリ上がって来た傾向があって、アメリカに吹き込まれてやっているらしいとも言われていますし、反米的色彩の強かった鳩山・菅政権に比べてアメリカの覚えが目目出たいのは間違いがないでしょう。
ところで何故アメリカは日本の消費税率上げに熱心だと言われるのでしょうか?
(勿論正式表明をする訳がないので噂・憶測に過ぎませんが・・)
今までのアメリカの行動からして、日本を良くするために熱心になることは殆ど考え難いので、合理的な理由としては増税させて日本経済の停滞・駄目にしてしまうことを期待しているらしいことくらいしか推測できません。
増税=内需縮小という図式は間違い・・消費の増減には関係がない・・むしろ増税分を100%支出に使えば消費が上がるという意見を以前March 19, 2012税収2と国債1」以降書いています。
増税目的が赤字解消のための増税の場合、その分支出が増えないで資金を市場から引き上げるだけになるのでマイナス消費になりますが、国債=せっかくお金の使い道のない人が出してくれた資金で所得再分配しているのに、これを税で貧者からも徴収して金持ちに返してしまう・・金持ちからの所得再分配をやめるというのですから、財政赤字解消のための増税ほど馬鹿げた政策はありません。
財政赤字解消のために増税が必要という論理は、現在社会で必須の所得再分配機能を理解しない意見であって破綻していることになります。
国債保有者が外部にある場合、(他人からの借金で豊かな生活をしている場合)所得再分配資金を削って(外食を減らすなどして)でも赤字解消が必要になりますが、身内が持っている場合(家族の誰かが外食費を持ってくれている場合)赤字解消の必要性ががないばかりか、寄付同様の所得再分配機能があって、むしろプラス要因になっているのです。
約1000兆円の国債残高=同額の資金が、今まで余裕のある金持ちから所得分配金に使われて来たことになり目出たいことではありませんか?
綺麗な道路維持や保険の赤字も生活保護・子供手当もみんなこの資金があってこそ支給されて来たし、これが我が国の国民の同胞意識・一体感の基礎になっていることを上記コラム以降で連載しています)
世の中には間違った(私の意見とは違うと言うだけです)経済理論が横行しているので、アメリカもその気になっているのでしょうか?
しかし、日本経済が停滞し、ジリ貧になってもアメリカにとって何の得もないのですから、この種の議論(増税反対論者の流布するアメリカ陰謀説とも言うのかな?)も眉唾です。
せいぜいアメリカ主導のIMF官僚の好きなテーマ・・彼らはいつも、馬鹿の一つ覚えのように緊縮健全財政政策論であることは分りますが、学者というのは過去の事例研究しか知らないからそうなるのであってアメリカの陰謀でも何でもない・・智恵が足りないだけです。
ちょうどIMF専務理事が来ていて、増税による赤字解消努力を賞賛するような発言が新聞に載っています。
やはり、ここは外国の思惑(外国からの支援を受けているという議論も一方ではアメリカの後ろ盾があるという宣伝にもなるし、他方では本筋から離れた誹謗中傷の一種にもなります)を基準にせずに、純粋に我が国の民主主義制度を守るのに有益か否かの視点だけで考えるのが、賢い方法でしょう。

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