差異化社会3と多様な生き方2 

子供は自分のことを自分で一番良く知っているので、自分の能力にあったことをするのを厭いません・・どんな下働きでも、人は自分のレベルにあっているグループ内で自分の居場所を見つけて喜んで生活するものです。
私の少年事件処理の経験から言えば、子供自身が中学の授業が分っていないので、高校に行くのも無理・・自分の能力はこんなものと自分で良く分っているのが普通です。
知育教育には向いていない子供でも、何か役に立ちたい意欲を充分に持っているのが、諸外国との大きな違いです。
これは昔から、いろんな生き方を認めて尊敬して来た我が国社会の伝統が生き残っているからです。
November 22, 2015「民度と政体と4(新興国3)」で「分際を知る」テーマで分際を知る必要性を書いたことがあります。
「分際を知る」とは能力限界を知ってこれを受入れてじたばたしない能力であり、周囲もこれを尊重する社会です。
我が国では古来から、万物に神宿る精神で、些事・・何をするにも細かな儀礼様式を重んじ、身の回りの細かな道具類も大切にして「◯◯塚」などを作って供養します。
ましてや(刀鍛冶等名刀や伝統工芸品を作る人だけではなく)日用品でもどんな物造りに関しても、その道に精進している職人等を尊敬する精神でやってきました。
針塚その他の身近な道具でさえ神様扱いして来たことでも分るでしょうし、今でも日経新聞最終裏面で約1面を使って、しょっちゅうどうでも良いもの集めたり来歴を調べたり、保存運動・編纂している人の記事が大きく取り上げられて賞讃されている社会です。
1月4日の日経朝刊にも絵双六に関する市井の研究家が掲載されていて、今朝の朝刊にはけんかカルタの保存運動している人が紹介されていますが、こうした掲載が何十年もほぼ毎日続いているのは、これを賞讃する社会意識があるからです。
日本は古代から、八百万の神々を祭り、多種多様な価値を認める社会ですから、西洋式学校教育の画一的価値基準で落ちこぼれたからといってそれは職業向け能力の1つに過ぎないのであるから、そんなにがっかりする必要はありませんし早く別の道に進ませるべきです。
西洋伝来の画一的学校教育に馴染まない子供を一刻も早く解き放ってやることこそが必要です。
日本は分際(素質の方向性)に応じて生きて行くのが、難しい社会ではないし、みんながそれを望んでいるのです。
一応定年まで勤め上げた人の中にも、明治以降のさばっている知育基準の画一社会に不適合な人も一杯いて、何とかノイローゼにならずに定年まで持ちこたえていた人・・漸く解放されたと思っている人がかなりいる筈です・・。
そう言う人は定年後、まだ気力・体力があるからもっと画一社会で働けと言われても、もう懲り懲りでしょう。
気力の残っている人は、これから第2の人生をやる人もいますが・・・多分懲り懲りしていたが、体力・気力が余っていた人だと思います。
私の場合、能力が偏っている・・画一社会向きではないのに、未だに現役を続けていられるのは、タマタマ、個性的に生きて行き易い職業についているからに過ぎません。
明治以降西洋流の画一基準・・鋳型に押し込めるような窮屈な教育によって国民を一定方向へ向けたのは,折から勃興して来た産業構造・・画一生産力が国家の命運を決める時代・・労働者向け社会化にはある程度成功したとは思います。
1月3日書いたようにポスト産業資本主義(差異化)社会になってくると、単線的能力差が進むばかりでは、差を付けられた人のストレスが増すばかりです。各社会批判→唯物津論的対応・・高校授業無償化・精神科医を増やすばかりでは解決出来ませんので、個々の自由な生き方を広げて複線的・違った価値基準での挑戦機会を増やして行くことが個人の幸せばかりか社会発展のためにも必要です。
そして日本社会こそが、古代から多様な価値・生き方を認めて来た社会であり、この精神が明治以降圧迫されていた結果、文化伝承作業が定年後の慰みや、画一価値社会に絡めとられてない健全な女性の営みによって、日陰で脈々と受け継がれてきました。
これを無職女性の暇つぶしの余技や老後の慰みとバカにしないで、古来からの日本のアイデンテイーを守る大切な価値観であると認め、その復権・・古くて新しい価値観の時代こそ作って行くべきです。
私が、従来から女性の復権は男性の真似をして「朝早くから夜遅くまで外で働くことはない」「競争して勝つことではない」と繰り返し書いてきましたが、違った能力をゆったりと受け止める女性の子育ての生き方こそ日本文化の正当な継承者として尊敬すべきですし、保育所に乳幼児を預けてしまい、最重要な子供に対する文化継承作業を断ち切る政策運動に反対し続けている所以です。
ただし、高級品が売れる社会になったとしても、アップル製品等見れば分るように産業革命の延長上の大量供給品に頼る必要がなくなる訳ではありません。
効率生産・大量供給による時間や資金のゆとりがあってこそ、隠れ家的ホテル,レストランその他上質文化を楽しむゆとりを生むのですから、効率的大量生産組織や人員が不要にはならず、衣食足りて礼節を知ると言うようにむしろ文化の両輪と言うべきでしょう。

次世代の生き方8

2012年8月1日まで書いて来た次世代の生き方に戻ります。
次世代は自分の運命を親世代任せにせずに自分の将来のため新たな生き方を自ら工夫するべきですが、その能力が低いのか時代の変化に対する適応が遅れているように見えることが次世代の苦悩・・ひいては社会問題化していると思われます。
成功して大きな顔をして歩く人と失敗して社会の片隅で小さくなって生きる人がそれぞれいるのは昔から同じですが、今は身障者でも(犯罪者でさえ、社会復帰を助けるために差別しないようにしようという時代ですから、貧乏しているくらい何の遠慮もいらない・・むしろ「俺は弱者だ」と言えば役所や公的空間で大きな顔が出来る風潮です・・これが生活保護受給者の増加に繋がっているでしょう)屈託なく社会で動き回れる時代です。
弱者の社会参加が増えるので身障者や知恵遅れが増えたかのような誤解が起きますが、(実際に増えた面もありますが)社会の片隅で遠慮勝ちに生きていたころよりも増幅して目立つようになっていることを割り引く必要があります。
同様に今は数十年前に比べてフリーター・非正規雇用が多いことは事実ですが、(誤解のないように書いておきますと民間で終身雇用が定着していたのは歴史上ホンの一時期のことです)全員がそうではなくきちんと正規雇用になっている若者も一杯いることからすれば、一種の負け組です。
これがコンビニその他で働いていることから、昔よりは目立ち易くなっていることを割り引く必要があるかも知れません。
数十年前まで多かった安定就職出来ないまでも、新時代に先がけていろんな分野で今までなかったようなことに挑戦している若者が一杯いる筈ですが、それは今のところ(基礎工事段階である以上)目に見えませんが、数十年後に芽を出すのでしょう。
新方面での努力する能力もない・・中底辺層の若者の従来型職場が減って来て正規雇用に新卒で就職し難くなくなっていることは明らかで、しかもこの階層の数は多いので目立つし、彼らが今大変であることも確かな現象です。
新興国の台頭→先進国経済縮小の時代になって汎用品製造工程で働くべき人たちの就職難になっているのは、次世代の責任ではないとも言います。
しかし、何時の時代も前世代の行動の結果、次の時代が来るのですから、いつだって次の新しい時代に適応出来るかどうかはその時々の次世代の能力次第だったのです。
高度成長期に育った我々世代・・焼け野が原から始まって何もないところで育ったので前世代から見れば可哀想な世代でしたし、何もないから失うものがなく何をしても前向きで良い時代ではありましたが、それでも高度成長期には「若いと言う字は苦しいに似ている」という歌詞が流行していました。
未来がある分現在(既得権)が少ないので若いときに苦しいのは、何時の時代でも同じです。
江戸時代に入って平和になって従来の武勇が役に立たなくなったのは俺の所為じゃないと言って暴れていても仕方がなかったし、戦乱で死ぬ確率が減ると直ぐに少子化に転換し、武士も文芸(お城での事務処理作業)に精を出して時代に適合して行きました。
明治維新で士族が没落したのは俺の所為じゃないと主張して食い詰めていた人・・不平士族の乱を起こしてもどうなった訳でもありません。
逆に新しい時代に適応して新たに身を起こした人がいたのです。
戦後も身分の入れ替えがありましたし、高度成長期にも時流に乗れた人と乗れなかった人の入れ替え戦がありました。
バブル期にも損をした人と逆に高く売り抜けて得した人もいたのです。
しょっ中世の中が変わるのは当然で、それを政治や世間・・親世代の所為にして自分で生き残りの努力しない人は置いて行かれるしかありません。
我々の世界でよく議論が出る若者気質として、何か課題を与えると自分でじっくり考えようとせずに、「これに関する文献や答え・判例があるかを直ぐに聞いて来る」というボヤキがあります。
マニュアル化時代とでも言うのでしょうか?
必要は発明の母とも言いますが、少子化で親に充分な時間があるので先へ先へと親が心配して準備してやって来たので、じっくり自分で熟成する時間経験が乏しいように見えます。
これでは本来の智恵がつきませんので、「今の若者は大変だ。何とかしてやらねば・・。」と親世代が30〜40歳になった世代の生き方の工夫をしてやるのではなく、一定期間苦しい状況に置くのも新たな文化が生まれるために必要な試練かも知れません。

次世代の生き方5(過剰労働力2)

 話を戻しますと、失業増大は先に新興国との競争→海外移転が始まったことから、国内で失業や非正規雇用・失業者・無業者が増えているのであって、(何年か前の新聞報道では製造業従事者減少は570万人とも言われていました)労働者不足を理由に企業が海外展開しているならば、失業者等が増える訳がないでしょう。
子供でも分るような現実・論理構造を30日に紹介した東大教授がすり替えていて、(彼に限らずこの種のエコノミストの意見はしょっ中マスコミに出てきます)これがマスコミの主流的意見になっているのですから、マスコミの偏頗な世論誘導姿勢は半端ではありません。
社会実態を無視して、これを逆に評価している意見が氾濫していると国の進路について国民が誤って判断してしまうリスクが増えてしまいます。
ところで失業者の増加を論ずるとしても、失業統計に出ない膨大な無業者あるいは親の家に寄生している半無業者等を視野に入れて議論しないと実際の解決にはなりません。
我が国は世界一のお金持ち国になっているのですが、このことは取りも直さず親世代が世界一の金持ちであり金融資産に比例した不動産その他資産家であると言えます。
都市住民2〜3世の有利さに関してFebruary 5, 2011「都市住民内格差7」前後のテーマで連載しましたが、我が国では親世代にゆとりのある若者が多いことの外に我が国では貧富に拘らずもともと成人しても親の家から出て行かない同居者・パラサイトシングルが多いので、職安に通わない無業者あるいは週に2〜3時間しか仕事のない人などがかなりいます・・。
仕事がなくて困っている人という意味では、
失業者の多くは一定期間で諦めて無業者〜非正規雇用になって行く連鎖ですので、失業したばかりでまだ希望を持って元気に求職活動中・・職安に通っている人よりも事態は深刻です。
失業者よりも深刻な事態に陥っている彼らを論じないで、氷山の一角に過ぎない失業率の統計だけで議論しても、社会問題を解決出来ません。
この厳しい現実を知っている女性が子供を産みたがらないのは正しい選択だと思いますし、生まれてしまったら、生まれた次世代は新しい時代に適応して行くしかないのですから、ここを議論しておく・・従来型の製造業その他の仕事は減って行くのは明らかだとすれば、従来とは違った方向への進路変更・・粋・洒落など、どの方向に行くかの議論をしておく必要があります。
この辺の議論を意識的に無視して、少子化こそが衰退の原因だという結果と原因を逆にした前提から議論をしても生産的ではありません。
裸の王様の寓話同様にマスコミでは、実態に反した前提から議論を始める主張一色ですが、(マスコミの気に入った研究発表しか出来ない現実があるから仕方がないのですが)現実無視の議論では何の解決にもならないでしょう。
ところで、7月31日に失業率の統計数字を掲載しましたが、1980〜90年代と現在を比較すると失業率だけみても約2倍になっていますが、これは、ちょうどそのころから海外展開が始まったことと軌を一にしていることからも海外展開がその原因だったことが明らかです。
また少子化による15歳以上人口減は、失業率増加に遅れて生じていることからも少子化が海外展開の原因であるなどはあり得ない妄言です。
これに1980〜90年ころまで殆どなかった非正規雇用や無業者の数字をプラスすれば海外展開が始まったことによってマトモな仕事がなくて困るようになった人数は巨大な数字になっている筈です。
ここ何年も高止まりしている自殺者数や精神系患者数の増加、生活保護所帯の増加等に対する諸問題についても仕事のないストレス実態を直視しない限り解決にはなりません。

次世代の生き方4(過剰労働力1)

7月30日に紹介した東大教授の少子化・労働者不足のために企業が海外進出すると言う論文ですと、我が国で何故4〜5%もの失業がありその何倍もの無業者や非正規労働者が膨らみ続けているのかに対する答えにはなりません。
ちなみに失業者も約20年前に2%前後だったように思いますが、これに比べればジリジリと上がっていますが、それだけではなく、家族愛の強い我が国では職安に通わない(大学を出ても就職しないで親の家に寄生したままの人が多いのです)無業者数が大きな意味を持っています。
以下に念のために統計数字をコピーしておきます。
失業率だけみても約2倍になっていますが、この実態・国民の不安を無視して労働力不足を何故心配する論文になるのかということです。

1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989
2.02 2.21 2.36 2.65 2.71 2.62 2.77 2.84 2.51 2.26
1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999
2.10 2.10 2.16 2.51 2.89 3.15 3.36 3.40 4.11 4.68
2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009
4.72 5.03 5.36 5.25 4.72 4.43 4.13 3.85 3.99 5.07
2010 2011 2012
5.06 4.55 4.50

求職を諦めている無業者は失業統計に出ませんが・・社会を論じるには重要な数字です。
無業者の統計を取るにはやる気さえあれば、少し複雑ですが計算出来る・・例えば15歳以上65歳以下の男子総数から現実の総就労者数を引き、ここから一定数の身体障害者・長期入院・自宅療養者数を引けば大方の数字が出る筈です。
どこも悪くないのに働く意欲がない人もいるから、無業者の統計は意味がないのだという人もいるでしょうが、彼らの多くは何回かチャレンジしてうまく行かなかったから、あるいは就職難でとても無理だと初めっから意欲をなくしている人がかなりいます。
怠け者と言っても実際には、あきらめが先に立っている人がかなりいます。
内心の調査までするのは費用がかかり過ぎるから、先ずは無業者の統計を取ることから始めれば世の中の実態が大方分ります。
女性の場合仕事がないことを理由に働かない人ばかりではない(専業主婦希望が多い)ので一概に言えませんからもっと詳しいデータが必要ですが、(これだって精密な工夫をすれば統計が可能です)成人男子で病気でもないのに働かない人は滅多に・・主夫希望は統計に加えるほどいないので統計数字には加える必要がないでしょうから、簡単に概数が出ます。
そのうえ、若年者の多い国を含める国際統計と違い我が国の研究としては、長寿化が進んでいる上に労働・勤労意欲が高く65〜70歳でも仕事さえあれば働きたい人が多いので、意欲のある限度で彼らも就労可能人口に加えて統計を取るべきです。
年齢別の就労意欲調査がありますから、この比率を年齢別人口に掛け合わせれば高齢者の就労可能人口(概数)を簡単に計算出来ます。
簡単に出来る計算をしないで、何故か彼らを統計に加えない議論が多いのですが、彼らの内就業出来ていない人数は(諦めて職安には行きませんが)実質失業者でと言うべきでしょう。
我々弁護士で言えば、70歳前後でまだ現役の方が多い状態ですが、この人口を計算に入れないで、65歳以下だけの弁護士人口を計算してまだ弁護士は足りないと言っているようなものです。
統計上隠退したことにしている団塊世代(彼らは実際にまだかなり働いています・・)の彼らを就労可能人口に加えると労働力が逆に増えている可能性があるので、労働力減少のマスコミ大合唱に合わないのでこれをあえて加えない暗黙の合意があるのでしょう・・。
しかし彼らの高齢者の労働力化・・繰り返される定年延長がストレートに若者の新卒採用減に繋がっていることを繰り返し書いてきました。
男子だけに限っての簡単な無業者調査すら学者があえてサボタージュして調査研究をしない・・あるいはしていてもマスコミに都合の悪いデータなのでマスコミに出て来ないだけかも知れません。
(シンクタンクと言っても、企業や官庁からの調査研究依頼でお金をもらってやっているだけですから、調査研究依頼が「少子化の◯◯に与える影響」などと言うテーマで来ると、それに拘束されてしまうのは仕方がないでしょう。)
最近、研究助成金や委託料を貰わねばならない大学教授やシンクタンクの論文よりは、ブログで意見発表する人の方が人気があるのは、お金に縛られていないことによるのでしょう。
原子力ムラの科学者がまとめて信用をなくしたのも同じ理由です。
(少なくとも原子力ムラに属していないと実務も全く分らないでしょうし、そこで村八分になる訳にも行きませんので好きなことを言えるのはリタイヤーしてからになります)
中部大学教授の武田先生のように事実上リタイヤーしていて、欲も得もなくなった人たちだけが本当のことを書ける強みがあります。
(私などもどこからもお金が出ないので逆に気楽です)
以前学問の自由と言っても昔のように書斎で思索を重ねていれば良い時代と違い、政府や企業から研究委託・助成金が出ないと何の研究や調査出来ない時代では、その時々の力のある勢力の代弁的研究しか出来ないことになる傾向を書いたことがあります。
膨大な無業者・・あるいは時々働く程度の人が最近では4〜50代にまで及んでいる重要な事実を、研究助成金や委託料に縛られる高名な学者がネグレクトしたままで・・そう言う学者ばかりが、マスコミで採用されて議論しているのは困ったものです。
私の依頼者関係でも50代になってもまだ家にゴロゴロしている人が結構います。

次世代の生き方3(少子化)

社会構造が変化するのは何時の時代でもあることですから、それぞれの能力に合わせて新しい時代に合わせた生き方の工夫が必要です。
天下太平と言われた江戸時代でもしょっ中生活環境が変わっていて、絵の世界・芸の世界にとどまらず、幕府の政治制度その他いろんな分野で絶え間なく変化を続けていました。
何時の時代でも親の真似をしていれば済む時代は滅多になかったので、何時でも時代変化に小刻みに適応した人が出世し生き残って来たのです。
応仁の乱に続く戦国時代に守護大名等名家の多くが没落して戦国大名が頭角を現し、明治維新・敗戦時の大変化など、その時々の時流に乗れた人と乗れなかった人がいて、時代の変化について行けない人が没落して行くし、うまく適合した人が頭角を現して来たのが我が国の歴史と言えるでしょうか?
(明治維新では新興勢力が三菱その他財閥を形成し、他方で多くの武士は没落しましたし、戦後も多くの地主階級は没落しました)
現在も約20年以上前から企業の海外展開が始まり現場労働縮小方向への大変化が始まっているのは誰の目にも明らかですから、次世代がボヤーッとしているのでは、取り残されるだけです。
ちなみに7月29日日経朝刊ではいつものように少子化による労働力減少→その結果?海外脱出が停まらないことを前提とする論文が掲載されていますが、順序が逆でしょう。
(職場がないから母親が少子化に励んでいるのです)
現在のマスコミでは、現在の日本経済悪化の原因はすべて少子化にあるとしてそのことの是非については論証抜き・・自明のこととして処方箋を論じていることが多いのですが,これもその事例です。
マスコミによる世論誘導の弊害としてこのシリーズの冒頭で書いたように、財政赤字と国家破綻は別問題であるのに如何にもイコールであるかのように散々報道してイコール意識を刷り込んでおいて・・増税の必要性だけを煽っている・・これに反対するのは非国民であるかのような論調です。
何故現実に反した論文を1面全部を使う大きな紙面に掲載するのか理解に苦しみます。
少子化が日本経済の活力を奪うというマスコミが決めた前提があって、その阻止に必死になっているのが分りますが、自己主張の正当化のために事実と逆のことを主張するのでは、国民の判断を誤らせる危険があります。
以下同誌21面「経済論壇から」の中段の一部を紹介しておきましょう。
以下の書き方をみれば現在の日本ではこの点は自明であって論証すら要らない・まるで公理のような書き方で自説に繋げています。

「少子高齢化の急速な進展で日本経済の行く末は決して明るくない。円高や電力不足と言った当面の問題に加えて今後の労働人口減や国内市場縮小を見越して、海外移転は着実に進展している。・・・」

と、東京大学教授の福田慎一氏が書いています。
しかし、労働力不足で国内で工員が雇えなくなったから、トヨタその他の企業等が中国その他海外生産に移行しているのではありません。
逆に海外進出増→国内雇用が減り続けていて、終身雇用制下では新卒に先ずその影響が出るので、若者が困っているのです。
また人口減・国内市場縮小を見越して海外生産が始まったかのごとく書いていますが、グローバル化以前にも輸出超過(海外市場目的で)で我が国はずっと来たのですから、国内市場縮小見込みならばなお輸出に精出せば良いだけですから、海外展開が加速するというのは無理なこじつけです。
円高、グローバル化の結果、輸出先で作るしかない・・現地生産しないと国際競争に勝てなくなった現実があって「国内雇用を守ると」と主張しているトヨタでさえ次第に国内雇用を縮小せざるを得なくなっているのです。
グローバル化以降国内製造業従事者が激減していて・・これを介護現場へ誘導するのに必死の国内現実からみれば、上記東大教授の論説は実態に反しているのではないでしょうか?

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC