中世の紛争解決基準・元祖マニュアル化3

昨日紹介した刑事訴訟法のルールを見ると、開示を請求する以上は求める証拠別に特定して請求される側の検察が合理的対応できるようにすべきは当然の筋道ですから、事実上行われてきた暗黙のルールを明文化しただけのようです。
平成二十九年成立して20年6月施行される債権法大改正の多くも、判例通説等で運用されてきた運用実務を明文化するのが大方で、その他少しですが、学説判例等が分かれていて未解決部分であった部分をどちらかの学説で決めたり、こういう問題があるので・・・と意識されていても裁判等になっていない問題点・・例えば長期低金利下で、年5%の法定金利は時代にそぐわない(金利変動に対応できるようにする)など新規規定するした・この必要性は低金利が始まった時点で私のこのコラムでも書きましたが、基準金利が機動的変わる関係で、銀行の場合複雑な計算が可能ですが、個々人の貸し借りや損害賠償請求でこれを法で取り入れる場合、対応可能(例えば何年も返してくれないので5年くらいして訴訟するときにこの間に何回金利がかわったか・その都度変わった金利で計算するのか?)私のパソコン処理能力では想定自体不明でしたので問題提起していただけでした。
これが「識者の検討で合理化されて条文になっていますので、関心のある方はネット検索してみてください。
我々専門家でも、細かすぎる(技術的すぎる)のと高齢化のせいで読んで理解してもすぐに忘れるし、事件受任のときに見直せばばいいというスタンスになります。
法務省の解説です。
http://www.moj.go.jp/MINJI/minji06_001070000.html

平成29年5月26日,民法の一部を改正する法律(平成29年法律第44号)が成立しました(同年6月2日公布)。
民法のうち債権関係の規定(契約等)は,明治29年(1896年)に民法が制定された後,約120年間ほとんど改正がされていませんでした。今回の改正は,民法のうち債権関係の規定について,取引社会を支える最も基本的な法的基礎である契約に関する規定を中心に,社会・経済の変化への対応を図るための見直しを行うとともに,民法を国民一般に分かりやすいものとする観点から実務で通用している基本的なルールを適切に明文化することとしたものです。
今回の改正は,一部の規定を除き,平成32年(2020年)4月1日から施行されます(詳細は以下の「民法の一部を改正する法律の施行期日」の項目をご覧ください。)。

上記の通り、「実務で通用している基本的なルールを適切に明文化することとした」というので、比喩的に言えば、1条で済ましていたルールをいろんな場合に分けてプロの間で議論し、判例等で集積していたものを、明文化・具体化したことになります。
個別事情に合わせていろんな場合を明文化すれば条文数が膨大になりますが、民法中の一部改正なので全体条文を動かせないので、元の条文に枝番をつける形になっています。
生活の基本法となる民法と違って、現場変化の激しい会社法が商法中の一部であったときには、株式の問題や会計原則や企業統治関係の思想などがしょっちゅう変わるので枝番だらけでしたが、平成十六年頃に、商法から会社法を抜き出して独立の「会社法」にしたときに会社法だけで、約千箇条に及ぶ大規模法典になりました。
このように物ごとは常識に委ねないでどんどん細かくなる一方・・ルールも細くなる一方・日常的生活場面で鍛えられる程度の常識で間に合わない・・・専門化が進んでいます。
食品でも単に炭水化物やビタミン等の栄養素を羅列するのではなくアレルギー関連表示を普通にしているように、表示基準も微細化している・うちは品質に自信があるというだけではルール違反になる時代です。
道路利用なども、車利用になると交通法規が必要になったように、宗教論として善人かどうか、道徳教育だけでは解決できなくなっているのが現在社会です。
千差万別というように物事はその道に分入れば分け入るほど、いろんな事例に応じた応用があるものです。
これが従来専門家の領域として、あるいは担当者がよく考えて決めたことを部外者・素人は口出ししないという暗黙了解で社会が動いてきました。

暗黙知で動くのは各分野で複雑化した現在では無理がありますから、(いろんな施設に備え置かれている救急救命装置の使用法など)誰でもわかるようにマニュアル化しておく時代です。

中世の紛争解決基準・元祖マニュアル化2

司法試験でも昭和40年前には、民法はダットサンと言われたホンの基本だけ解説した小型の書籍3冊理解で合格すると言われていたよう(神話?)でしたが、昭和40年代に卒業した我々世代では民法だけで1冊数百ページに及ぶ本8冊(総則、物権、担保物権、債権総論の各一冊、債権各論2冊と不法行為法1冊、あと親族、相続各1冊)は最低読み込まないと全部勉強したことにならない上に当時既に分野別判例百選や関連演習問題集が発行されるようになって、これら理解が必須時代になっていました。
いわゆる概念の説明から事例当てはめ時代が始まっていたのです。
概念法学批判については、July 12, 2019「レッテル貼りと教条主義3(識字欲求の有無)」以降紹介しました。
昭和30年台中盤以降は、戦後復興から高度成長→(地方から大都市移住の大変動)核家族化に始まり社会構造変化→価値観の急激変化時代でしたので、各種判例法理が急速変化する突入時代でした。
現在の基本判例が、昭和37〜8年頃からの約10年間で大方出揃った時代です。
その後の司法試験受験生は、基本判例の具体的事例集積の勉強が必須になり我々世代より学習内容が膨大緻密になっています。
15〜20年ほど前に、昭和30年の司法試験合格後高級官僚になっていた人が、定年後天下りを繰り返して60歳半ば過ぎになってから、司法研修所に入って司法修習生になり、私の事務所に実務修習生としてきたことがありました。
昭和30年合格といえば、その4〜5年以上前に発行された文献で勉強したレベルですから、勉強内容は、戦後家督相続がなくなったことや今後刑事訴訟手続きがアメリカ式・・職権主義から当事者主義化されるなどの法の精神変化を学んだ程度のようで、具体的事例による具体的主張の必要性意識が低いというか、具体的主張をする弁護活動に驚いていました。
民法そのものは明治30年からそのままとはいえ、生活習慣がまるで違っている現実・・戦後の法令や判例変化をまるで知らない「合格生」でした。
私のように日々現場で実務変化を体験しながらでも、高齢化すると日進月歩の法令変化についていけない心配をしているのに、50年以上?前の簡略知識だけでこれから実務をやれるのか?と危惧していたら司法研修所から肩叩きされたとのことでした。
その後の法改正・・刑事訴訟法でいえば、裁判員裁判開始の影響で公判前整理手続が導入されたことにより、「証拠開示しろ、しない」という単純攻防から開示請求手続きルールが定められ、ルールに則った緻密な主張が必要になりました。

刑事訴訟法
第三章 公判
第一節 公判準備及び公判手続(第二百七十一条-第三百十六条)
第二節 争点及び証拠の整理手続
第一款 公判前整理手続
第一目 通則(第三百十六条の二-第三百十六条の十二)
第二目 争点及び証拠の整理(第三百十六条の十三-第三百十六条の二十四)
第三目 証拠開示に関する裁定(第三百十六条の二十五-第三百十六条の二十七)
第三百十六条の十五
検察官は、前条第一項の規定による開示をした証拠以外の証拠であつて、次の各号に掲げる証拠の類型のいずれかに該当し、かつ、特定の検察官請求証拠の証明力を判断するために重要であると認められるものについて、被告人又は弁護人から開示の請求があつた場合において、その重要性の程度その他の被告人の防御の準備のために当該開示をすることの必要性の程度並びに当該開示によつて生じるおそれのある弊害の内容及び程度を考慮し、相当と認めるときは、速やかに、同項第一号に定める方法による開示をしなければならない。この場合において、検察官は、必要と認めるときは、開示の時期若しくは方法を指定し、又は条件を付することができる。
1〜9号略
3 被告人又は弁護人は、前二項の開示の請求をするときは、次の各号に掲げる開示の請求の区分に応じ、当該各号に定める事項を明らかにしなければならない。
一 第一項の開示の請求 次に掲げる事項
イ 第一項各号に掲げる証拠の類型及び開示の請求に係る証拠を識別するに足りる事項
ロ 事案の内容、特定の検察官請求証拠に対応する証明予定事実、開示の請求に係る証拠と当該検察官請求証拠との関係その他の事情に照らし、当該開示の請求に係る証拠が当該検察官請求証拠の証明力を判断するために重要であることその他の被告人の防御の準備のために当該開示が必要である理由
二 前項の開示の請求 次に掲げる事項
イ 開示の請求に係る押収手続記録書面を識別するに足りる事項
ロ 第一項の規定による開示をすべき証拠物と特定の検察官請求証拠との関係その他の事情に照らし、当該証拠物により当該検察官請求証拠の証明力を判断するために当該開示が必要である理由

中世の紛争解決基準・元祖マニュアル化1

宗教家の高尚な議論・「善きことをしましょう」「人のためになりましょう」という精神論より「何が善きことか悪しきことか」の具体的基準が必要な社会になったのです。
西洋中世に幅を利かした神学から、近代の法律学への重心の移動が日本でも必要な時代が始まっていたからです。
人はいかに生きるべきかを議論をしても、人がいかに道路を利用すべきかのルールは導けません。
「謙譲の美徳」といっても車社会で譲り合うのでは前に進めませんから、「青信号優先」「スピード規制」「一方通行」「追い越し禁止」「Uターン禁止」などを法令で決めていく必要が生じます。
金融取引ルールも同じですが、「被害者を出さないようにすべし」という弱者をいたわる精神の高い高僧や人格者ならこれら複雑なルールを自然に体得しているとは限りません。
これらルールを誰が決めるのか?
比叡山で修行を積んだ高僧がルールに詳しいのか?
分野ごとに精通したプロの出番です。
「貧者を労われ」「施しを!」という宗教論のお題目よりは、具体的な労働基準法の制定です。
車社会には車社会に応じた道路交通法が必要ですし、事故が起きれば聖人君子論が解決の基準にはならず、具体的な事故状況に応じた過失割合論の構築が必要です。
日弁連の青本、東京三会の赤本で図解入りの事故状況に応じた過失割合の基準が作成され、これによって日々の事故処理が行われ・最終的には裁判で決まって世の中が回っています。
人権尊重を誰も冷え値しないのですが、お題目を唱えれば解決できるのではなく、犯罪捜査でいえばGPS利用がどこまで許されるかが難しいので、具体的事件に合わせた判例(February 25, 2018,に最高裁判例が出たことを紹介しました)の集積で決まって行くのが現実社会です。
平和がよいに決まっているのですが、どうやって平和を守るかが現実のテーマであり、お題目の優劣?神学的価値観の優劣はとっく昔に決まっていることです。
「平和を守れ」という抽象論で終始し、その先どうすrかの提言のない政党は、その先・過去数百年の現実を見ていない・・「近代法の法理を守れ」と言うスローガンに酔いしれているのでしょうのでしょう。
社会活動が活発になると、大雑把な精神論的基準・・モーゼの十戒や仏教の不殺生、不偸盗、不邪婬等の誓いだけを千回唱えても具体的事件の是非をさばけません。
交通事故の過失相殺表のように、過去事例集積によって境界事例の判断基準を整備していく必要が出てきます。
離婚事件で言えば、私が弁護士になった頃には夫の浮気や暴力等の典型的離婚原因になる事件がほとんどでしたので、骨格事実の有無だけで勝敗が決まるし、弁護士会懲戒事件でも20年ほど前までは、使い込みその他、事実さえ決まれば判断できる事例ばかりでした。
離婚事件の場合、この2〜30年の間に一方の言い分を聞いているだけではどちらが悪いのか不明・ちょっとした前後の文脈次第で勝敗逆転するような複雑な間接事実次第の事件が増えてきました。
日本の離婚法制の変遷の過程の影響にもよるのですが、(・・日本の法制は昔から融通むげであることをJul 15, 2019 12:00 pm以来「融通むげ(道)1」以来紹介している(道理に基づくものですから、杓子定規の解決を嫌います)途中で、婚姻制度も融通性の高いものだったことを書きかけていたのですが、今横道に入っています)破綻主義に変わっていく中で、日常の細かな行き違いが離婚原因の大方を占める時代になってきたことによります。
13日書いたアメリカの日韓合意のコミットに関する反米的意見も、アメリカの押し付け論を前提にしていますが、もしかして日本が無理に立会いを頼んだのだのならば、結論が違ってきます。
弁護士会懲戒事件もここ5〜6年ではネット表現がどの程度まで許されるかや、交渉時の態度など前後の会話順によっては微妙な事案が増えてきました。
微妙事案が増えると裁決には事例集積が必要になります。

日本で身分制度があったか?2

武士社会内の身分格差が固定的でなかった点に戻しますと、もともと武士は古代秩序の枠外に生まれて貴族社会内の秩序内での競争に関係なく、別世界・庶民から実力競争で頭角を現したものでしたから・・実力重視意識が強いのは当たり前です。
当初は各自の自衛のために自然発生した武士でしたが、長期経過で集団自営する必要から、地域武士団となりさらに大規模化適応化過程で、中央の貴種を軸に団結するようになったのが源平時代でした。
鎌倉時代に源氏の将軍が飾り物になっていたのが、足かが政権で源氏の権威が一時復活したものの、観応の擾乱を経てグチャグチャになり、義満が絶対君主的地位を誇ったのが最後の光芒であったというべきでしょうか?
すぐに嘉吉の変があり応仁の乱を経てついに中央貴種の価値がほぼゼロになって下克上の戦国時代に入っていきます。
それまでは、一定の武士団内ではいつも団結していて、その武士団トップが源平どちらにつくかを決めれば集団がそれに従うというパターンから、源氏のうち足利尊氏につくか足利直義につくかの下位基準での選択となり、応仁の乱以降は守護大名家内でこの人に任せたのでは、隣国にやられてしまいそうとなれば、もっとしっかりした人をリーダーに盛りたてたい動きが起きます。
いわゆる家人が主君を裏切るのは文字通り謀反であり、(古くは長田の庄司が主君義朝を討った)これは現在に至るまで道義的に許されないのですが、戦国時代に起きた下克上とは守護代が(ボンクラでは国が持たないという切羽詰まった状態で国人層の支持を受けて)上司の守護を放逐するものであり、正義があったのです。
すなわち幕府の威令が行き渡らなくなると、源氏との血筋の濃淡・幕府内の外交力で昇進して有力守護大名になっていたとしても・・幕府組織内で必要とする能力より、領国統治能力(家臣掌握力)自国防衛力が優先ですから、中央でこういう顔が効くという能力は地元武士団には何の効力も持ちません。
源氏の棟梁という段階から守護大名に権限がうつり、実務能力にたけた守護代が実力相応の権限を要求するようになったので・・守護大名家内の実力主義によるトップ交代が起きたというべきでしょう。
ちなみに上杉謙信・長尾家は越後の守護代でした、織田信長も尾張の守護大名斯波氏(足利一門)の守護代の織田一族内末席に連なる小領主でした。
織田一門内の抗争で頭角を表した信秀の子供・2代目である点は、父為景が守護代として越後を大方まとめた跡を長男を放逐して継いだ謙信同様です。
2代目という点では、武田信玄も甲斐国をほぼ統一した父信虎の跡を継いだ点では同じです。
ただし武田信虎は守護大名から戦国大名化に成功したもので、守護代が戦国大名になったものではありませんが・・・。
観応の擾乱を見てもわかるように当時は中央の政略によって朝令暮改のごとき論功行賞によって、有力御家人があちらの守護になり、こちらの守護になったりで土着する暇がなかったのですが、応仁の乱以降居場所をなくして領国に着任土着化していくのですが、(多くは内政実務能力がない・地元出身でないので浮き上がっていきます)武田家は中央から派遣されて守護大名になったのではなく八幡太郎義家の弟新羅三郎義光の時から土着していた点の強みだったのでしょうか?
土着成功していた結果、戦国大名化に成功した薩摩島津家も同様です。
幕府による平和がなくなり自力防衛が必要となりその体勢をいち早く整えた国が第二次リーグ参加資格になってきたので、(19世紀に民族国家統一に成功した国が列強になったのと同じです)統率能力が上がってきたので、家柄による形だけの上位者が邪魔になったのが武士社会内での下克上の始まりです。
このように武士は農地を守る必要に応じて生まれてきた以上は、実務能力社会ですのでいつも実務能力が落ちると下克上・地位の入れ代わりを前提にしてきました。
江戸時代の上士と下士の区別も、たまたま戦国時代末期にたまたま騎馬武士の地位を確保したに過ぎない程度の意識です。
同輩中の上下関係にすぎないという意識だったでしょう。
坂本龍馬で言えば、たまたま一領具足(いわゆる国人層)として属していた長宗我部が関ヶ原で西軍について敗軍の将となった結果、進駐してきた山内家臣団と区別されて郷士(身分階級的には下士階層)の地位でしかなかったに過ぎないという矜持があり、山内家家臣団も国人層に一目おく関係でした。
農民と武士の関係も、武士そのものが農民の中から専門化したに過ぎない点で同根でした。
実例としては将軍綱吉の母親は町人の娘でしたし、酒井抱一のように大老家の子息が市井の絵描きになったり、武士が俳諧師に転職することもあれば、伊能忠敬のように商人が隠居後に帯刀して幕府御用で全国を測量して歩くこともありました。
武士層自体の身分格差については、昨日ちょっと紹介したように井伊家や酒井家のように戦国末期の天下どりに貢献した実力者も、次の平和な時代に必要な実務処理能力が問われるようになると事実上飾り物になっていきます。
実務官僚が台頭していきます。
例えば田沼意次の相続した石高はわずか6百石の小身旗本・・出陣時の騎馬武者としては従者2〜3人(荷物持ちを含めて?)程度の最小兵力でしたのに、最後は大名になり老中首座として国政中枢を握って行ったように人材登用には積極的でした。
田沼意次に関するウイキペデイアの解説です。

享保4年(1719年)7月27日、紀州藩士から旗本になった田沼意行の長男として江戸の本郷弓町の屋敷で生まれる。幼名は龍助。父・意行は紀州藩の足軽だったが、部屋住み時代の徳川吉宗の側近に登用され、吉宗が第8代将軍となると幕臣となり小身旗本となった。

要するに親の代まで武士どころか紀州家の足軽だったのです。
父親が偶然吉宗不遇時代に登用(初めっから吉宗が世子であれば側近.小姓は家柄の子弟がなるので登用されることもなかったでしょう)されて運がひらけ(気が利いていたのでしょう?)何人もの兄がいたのに、吉宗が紀州徳川家の家督を継ぎさらに徳川宗家を継いだことによって、父親が一緒に江戸についていき、その結果元足軽の父親が武士の中でもとびきりの格式である旗本になれたという針の穴を通すような幸運な運勢によります。

意次は紀州系幕臣の第2世代に相当し、第9代将軍となる徳川家重の西丸小姓として抜擢され、享保20年(1735年)に父の遺跡600石を継いだ[1][要

有能な父親が足軽から武士に取り立てられ、目を見張るような出世をしても石高は600石止まりだったのですが、次の意次はさらに能力発揮して最後は大名になり老中首座・平安朝でいえば太政大臣に上り詰めて幕政を切り盛りしています。

低レベル化?とメディアの信用低下

今回NHKの「クローズアップ現代」の見出しと内容の食い違いを書いていて気がつくことは、報道関係者には基本的に反政府主義者が多いのは仕方がないとしても、報道全てに言得ることですが、政治的な主張するには特に反対論者がいることからより一層綿密な裏づけ調査が必要のにこれを怠っている・人材劣化が起きているからではないかと思われます。
昨日最後に書いたように文化欄に逃げているのは、ツッコミが浅すぎても読者が減るだけですが、政治利害のある場合には読者が減る程度では収まらず、利害関係者の強烈不満を呼び起こすリスクがあるからです。
サンゴ礁のやらせ報道では、地元漁協に利害があったことから判明したものです。
その後ネットの発達によって、政治テーマでもメデイア以外のものも反論できるようになってきたので、フェイクニュースが大きな問題になってきました。
あるいは読者や視聴者レベルが上がってムードだけ煽る・根拠のない意見には飽き足らない人が増えてきたのに、メデイア側が社会のレベルアップに追いついて行けなくなっている状態かもしれません。
これがトランプ氏によって、アメリカでもフェイクニュースの批判を受けるようになった原因です。
フェイクニュースは、積極的フェイクもあれば、調査不足もあるでしょうが、もともと報道各社の色付立場が重視され事実調査を軽視する傾向があれば、結果的に調査能力も上がりませんから根は同じです。
色付け角度付け報道が改まらない弊害というか、報道には一定の角度からの関心に基づく掘り起こしが必要なのでそれはそれでいいのですが、関心に基づく事実調査の合理性欠如が問題です。
慰安婦騒動に関して事実調査不足が問題になりましたが、「破産急増」テーマは事実無根でも慰安婦ほどの大事件性がありませんし、誰も問題視せず(私は信用拡大のコラムを書いている途中で最近の破産がどうなっているかが気になったので、たまたまネット検索したら出てきた中でNHKが1番客観的報道しているかと思って覗いて見て驚いただけです)に垂れ流して終わっている印象ですが、事実調査を怠って報道している点では同じ危険性があります。
朝日新聞の慰安婦報道に関する第三者委員会の報告書を、January 9, 2015「第三者委員会の役割2(朝日新聞慰安婦報道1)」のテーマでこのコラムで引用紹介したことがありますので結論部分の一部再引用します。
「・・しかし、韓国事情に精通した記者を中心にそのような証言事実はあり得るとの先入観がまず存在し、その先入観が裏付け調査を怠ったことに影響を与えたとすれば、 テーマの重要性に鑑みると、問題である。
そして、吉田証言に関する記事は、事件事故報道ほどの速報性は要求されないこと、裏付け調査がないまま相応の紙面を割いた記事が繰り返し紙面に掲載され、執筆者も複数にわたることを考え合わせると、後年の記事になればなるほど裏付け調 査を怠ったことを指摘せざるを得ない。」
まして、14日に紹介した日弁連意見書を見ると単に「カードローンについても総量規制の対象にすべきだ」という趣旨だけのことであって破産の増加については傍論的にデータを紹介しているだけで破産増自体に懸念を示すには、時期尚早としたのか?意見を書いていません。
しかもネットで簡単検索した限りでは日経も朝日新聞や東京新聞でも「破産増」だけの表示で「急増」とは書いていない(朝日はローン急増が原因か?と書いていますが破産急増とは書いていません)のに、NHKだけが何故「破産急増」と・・刺激的テーマにしてしかも「クローズアップ」して取り上げるほど社会性があると判断したのかが疑問です。
4月12日の「クローズアップ現代」の内容を読んで見るとカードローンが増えていることが話題の中心で、どこにも破産急増の話題が見当たりません。
羊頭狗肉というか、見出しと内容があってないのです。
破産急増とは時間軸でいうものですが、1%増の基準が1年間の統計結果による以上は長期間観察の結果なのですから、1〜2週間程度かけて関連データを調査して比較判断・深堀する時間をかけられないような緊急速報性がないことも確かです。
報道時間中の進行でNHKの期待に沿う意見が出たかは別としても、(文字化したネット報道には出ていません)まだ前年より1%増えたデータしかないことが明らかですから、これだけでなぜ「「急増」というテーマにしたのかの不思議さが残ります。
日常用語としても、1%程度の増減があったくらいで「急増」「急減」という言葉を使う人は滅多にいないのではないでしょうか?
日中気温がわずか1時間で25度から26度(約4%の変化)に変わっても急上昇と言わないでしょう。
しかも、「若者もシニアも」と見出しになっていますが、内容には年齢別の変化についてどのような調査をしたかの出典の明示もなければ、何%から何%に増えたかも書いていません。
司法統計年表に年齢別の増減推移まで出ていると言う意味かも知れません。
そこで司法統計年表16年のPDFで「破産新受事件数―受理区分別―全地方裁判所
第 102 表」に入って見ましたら、年間の合計数しか出ておらず、内訳としては自然人と法人の2分類しかありません。
NHKはどこから若者やシニアの年齢別統計を入手したのか不明です。
以上によると、派手な見出しと内容がまるで違う上に・・内容のない、いい加減な報道をしているように見えますが、これでは視聴者が離れていかないのか不思議です。
私はテレビを見ていないのでNHKの総合レベルが分からないですが、NHKは報道内容を全てネットにアップしていないはずですから、ネットアップする分は精選されているとすれば、「クローズアップ現代」のレベルがNHKの報道レベルの上位を代表していると言うべきでしょう。
慰安婦騒動以来、親中韓系報道をしてきたフジテレビや朝日新聞の売り上げ減少が知られていますが、これを受けて経営者は必死になって体質改善に取り組んでいると思われますが、NHKには民間と違って市場淘汰の仕組みがないので、番組が劣化していく一方になっているのかも知れません。
私に言わせれば、「朝日新聞やNHKの政治的立場が受け入れられなくなったのは残念」という自己正当化ばかりではなく、政治理念先行で事実無視の捏造的報道しか経験がないから、こんなことになっているのではないでしょうか?
見出しテーマと内容がまるで違っていても気にしない人材レベルの低さ・いろんな角度に知恵をめぐらせての多角的事実調査能力欠如こそが、基本的原因ではないかということです。
「若者もシニアも破産急増」というテーマを決める時に、相応の幹部が関与したはずですが、どういうデータ調査が必要かの思いをめぐらせる能力もない人ばかりで運営しているのでしょうか?
もしかしたら虚偽でもでっち上げでもムードを作り上げれば勝負あり・という成功経験しかない年齢層・事実調査経験のない幹部の方が、事実調査の必要性を具申する若手をドヤして「事実調査などいらない政治色付け先行でやれ!と檄を飛ばしていたのかもしれません。

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