教育の中立と休校協力1(米山意見)

昨日紹介した意見・批判一色のメデイア論調に便乗して根拠ない要請など応じる必要もないだろうと言う意見を格好良く思う自治体がある程度出て来たのしょう。
国民の多く・大企業がクラスターになった場合の企業信用への悪影響を恐れてプロ野球であれ相撲であれ、デイズニーランドであれ、かなりの事業体が自粛協力していますが、中には公立学校(経営責任がない公立だからやれることか?)でさえ協力しないところが出ていました。
3月11日「インフルエンザ特措法2と私権制限1」では政府の休校要請に応じない自治体意見を引用しました。
(自治体首長の場合、地元利益さえ守れば日本全体に患者を広げるクラスターになっても気にしない?のかなという感想を上記に書いています)
もともとこのテーマは2月から私権制限と精神病の強制処置に関するテーマを書いていた続きで、たまたま社会の重大関心になっている新型インフルエンザ特措法と私権制限のテーマに移ってきたものです。
(もうすぐ精神障害と人権のテーマに戻ります。)
インフルエンザ特別措置法では諸外国のように強制権がない・・強制措置に至らない休校要請の場合、応じる自治体と応じない自治体がある紹介で・・3月11日のテーマに入り、こういう意見は昨日引用した米山氏意見が基礎になっているかな?という意味で連載のつもりで書いていたのですが、その後いろんなテーマが割り込んでしまって分断されて約1ヶ月経過していますので、できれば3月11日引用の休校に応じない教育委員会意見も読み直してください。
自治体には自治権がある・政党や企業にはそれぞれ自主権があることと、社会共同体利益のためにどのように対応すべきかは別問題です。
国家主権があることと国際協調しなくて良いかは別問題ですし、個々人に人権があることと、世間付き合い(自主性をある程度犠牲にする選択)が不要かは別問題です。
帰り道で「飲んで行こうか?」と誘われて「俺の勝手でしょう」と言い切る人がどれだけいるかですし、企業が既存法令に反しない限り企業活動の自由があるのですが、社会生活上法令に反しなければ商売がなり立つものでないのも自明です。
社会の一員としてみんなギリギリの接点を求めて遊びに行くかどうかの自粛行動を決めているのであり、教育の中立性違反だ御託を述べれば通じるものではありません。
3月17日時点の世論調査です。
https://resemom.jp/article/2020/03/17/55366.html

一斉休校は「賛成」42%、時期は「春休みまで」最多
新型コロナウイルス感染症対策として、安倍晋三首相が進めた「学校一斉休校」は、「賛成」42%、「反対」29%と、一定の支持と理解を得ていることが2020年3月16日、日本マーケティングリサーチ機構が実施したインターネット緊急世論調査の結果から明らかになった。

上記の通り、見出しは42%賛成→一見反対の方が多いように見えますが、記事内容を見ると逆に反対派意見はわずか29%でした。
当時のメデイア論調は安倍政権は迷走している・・無能ぶりを発揮・いかに迷惑な要請か!という意見の洪水でした。
昨日紹介した米山氏意見に戻ります。
弁護士は実務家ですので、具体的事実関係のもとにおいて利益衡量でどちらに分があるかで勝負すべき職業であり政治理念で勝負すべき職業ではありません。
特定系弁護士は憲法違反とか近代法の理念違反などの観念論を大上段に振り回す傾向が強いと言われるのを聞いたことありますが、昨日紹介した前新潟県知事・弁護士米山氏の主張はまさにこれを彷彿させるものです。
観念論で生きている人が、地元利害調整の求められる知事になっているのか?という驚きで3月11日のコラムに続いて原稿を書いておいたものですが、コロナ対応の巧拙のテーマから話題が横にそれていました。
政治というのものは、「あちら立てればこちら立たず」の利害調整が本質ですが、(それも現実政治は二択ではなく無数の利害関係者が入り乱れる複雑なものです)二択基準どころか理念だけで県の政治ができる現実があったとすれば驚きです。

特別検察官2(大統領・総理の犯罪)

昨日引用した宮家氏の解説を読むと、「米国の特別検察官」には、特別な権限や身分保障があるわけではなく、なんでもやれる多目的捜査官と違い、せいぜい特命事項だけしか担当しない専従捜査官という程度でしょうか?
そうとすれば、特命捜査官(検察官という翻訳自体どこかずれています・現在のモラー氏が検察官資格があるかすらあやしい感じがします)翻訳するのが本来だったでしょうが、「特別検察官」というメデイアの造語報道は、いかにも特別強力な権限があるかのようなメージを植え付けるもので、ピントがずれている(フェイク一種?)ように思われます。
私の勝手な思い込みとは思いますが、「特別検察官」と仰々しく報道されると、鬼平犯科帳の鬼平のように、既存の細かいルールを無視して、「正義のためにビシバシやって」くれそうなイメージ・・現在でいえばフィリッピンのドウテルテ大統領の言うように「手当たり次第射殺しても良い」というような特別権限を持つようなイメージを抱く人が多いのではないでしょうか?
実際には、司法長官が特定事項だけ切り込んでいく「専従組織・プロジェクトチームを作ってもよい」と言うだけのようですが、専従組織に抜擢された以上は成果を出すために頑張る・・やる気があるという期待感をいうのでしょうか?
昨日引用した朝日新聞の解説は「特別検察官とは」と言う制度解説のようでいて、実は制度について何の説明もなく過去の特別検察官の担当した過去の事例を説明するのみで、宮家氏の解説に比べれば解説能力の低さに驚きます。
大統領制の国民に「日本の総理大臣とは?」と言う解説記事で、議院内閣制と大統領制の違いを説明せずに、東條英機とか、小泉総理や福田赳夫の名前と彼らの実績紹介しているようなものです。
制度説明であれば制度の違いを説明した上で、大統領制のためにこう言う思い切ったことができたが、議院内閣制のためにこう言うことしかできなかったと言う違いのわかる事例、あるいは、議院内閣制だからこう言う抑制が効いて暴走しなかったなどと言う違いの事例を上げるべきです。
「特別検察官」に関する朝日の説明は「特別検察官が一般検察官とどこががどう違うか」の説明をしないでだらだらと事例を羅列しているような記事です。
朝日の得意とするイメージ報道と言うか、事実をきちっと解説できないムード記事が多いのがもの足りなくて昭和61年に私が朝日から日経新聞に乗り換えたと6月20日に書いた原因の一例です。
「特別検察官」と大統領権限から切り離されたかのようなイメージ報道されると、三権分立とは言え大統領権限が強すぎて検察の独立性が弱い点を考慮した補完性を考えた制度のようにイメージされますが、実は(政治影響力をどう見るか・弾劾決議に影響する政治上の判断が必要ですが・・)政権の存亡に切り込んでくればいつでも罷免できる点で、日本の普通の検察官ほどの地位保障すらありません。
その点で企業の第三者委員会は渦中にある企業幹部から選任されるものの、選任してしまえばその後罷免権が事実上ない点で第三者委員会よりも権限が弱いことがわかります。
政権の存亡に関わる点に及べば、(逮捕されて失職し刑務所に入るくらいならば、「特別検察官」を強引に罷免して世論の批判をうけても弾劾決議で負けて元々ですから、)法的には罷免してしまえる点で、結論としてはその直前・首の皮1枚のところで、「司法取引」が成立する余地があります。
ただし世論に押されて(与党の意向を受けて)弾劾を避けるために仕方なしに「特別検察官」を任命したのにこの捜査が進んで(政権に都合が悪くなったからと)解任強行したのでは、弾劾決議に(与党の多くが見放すので)直結するリスクが高まります。
過去の事例ではニクソンのウオーターゲート事件が世論の批判が厳しくなり弾劾決議の可能性も出てきたので「辞任と引き換えに訴追しない」暗黙の合意で終わっている・・実際には、辞任直後の次期大統領(ニクソン氏の副大統領のカーター氏昇格)がすぐに恩赦して終わっています。
特別検察官は最後の最後に「大統領辞任と引き換えに訴追しない取引・辞任に追い込めれば」大成功という制度設計のように見えます。
国民世論も、(不正を働いた大統領が刑務所にまで入らなくとも、)「政治責任を取るならばそれでいいか!」という大人の知恵でもあるでしょう。
この程度の落としどころを無視してトコトンやり抜くのが朝鮮族で、今回のパク大統領弾劾→刑事訴追→実刑判決のやり方です。
田中角栄氏に手錠をはめてしまった三木政権の日本も似たようなものですが・・。
たまたま上告審中に病死したので顕在化しませんでしたが・・・。
ウイキペデイアによると

1987年(昭和62年)7月29日 – ロッキード事件の控訴審判決。東京高等裁判所は一審判決を支持し、田中の控訴を棄却。田中側は即日上告
1993年(平成5年) 12月16日 – 慶應義塾大学病院にて75歳で死去。戒名は政覚院殿越山徳栄大居士。墓所は新潟県柏崎市(旧西山町)田中邸内。ロッキード事件は上告審の審理途中で公訴棄却となる

と言うのですから、上告審が長すぎる・・最高裁は病死を待ったのでしょうか?
私は当時から今になっても論理的説明できませんが、当時から「総理に対する訴追が必要な時でも一般人に対するのと違ったルールがあっても良いのでないか」と言う違和感を持っていて今も変わりません。
法の下の平等に反するのでルール化は無理でも、実際の運用で知恵をしぼる必要があるように思われます。
日本の総理や法務大臣には、アメリカのように検察官に対する政治的罷免権はありません。
内閣総理大臣は閣議決定を主導できるだけで法務大臣に個別に命令できませんし、法務大臣も検事総長に対して一般的指揮権発動はできても(自由党幹事長佐藤栄作氏に対する造船疑獄事件に関する犬養法相の指揮権発動は歴史に残る大事件ですし、政治的大事件に発展する覚悟が要ります)、個別検事に対する指揮権はありません。
個々の検事は検察官一体の原則によって検事総長の指揮命令下に入りますが、あくまで内部命令に過ぎず、個別事件処理に関しては独任官庁といって、検事の名で行った処理は内部権限制限に反していても、独立官庁権限を持っています。
しかも、日本の場合には、政治配慮によって警察検察が不当に立件しない場合には民間から告訴告発できて、告訴告発事件を検察が不起訴にしてしまえば、不満な方は検察審査会に審査請求できるしくみです。
検察審査会委員は選挙人名簿から選ばれる短期資格ですから、前もって誰がなるか不明・政治的圧力を受けたり癒着できない仕組みです。
検察審査会が起訴相当とした場合には、検察の動きが鈍い可能性があるので、(裁判所の選任ルールは弁護士会に推薦依頼があって刑事弁護に精通したその道のプロ)弁護士が検察官役になって事件処理〜公判維持する制度が完備しています。
もちろんこうした指定弁護士は裁判所が選任するので、政府が関与する余地が全くありません。
論理的にはこれで一貫していますが、アメリカのような司法取引成立のような・苟も一国の総理に関する事件では、事実究明をきっちりすることは重要としても、その先・・処罰まで必要かどうか・政治宣言効果・・失職程度でいいのではないでしょうか?
責任を取って辞任した後さらに追求するのは行きすぎのような気がしますが・・。
ただし田中氏は金脈事件の責任をとって辞任しても、隠然たる勢力を張って国政を事実上仕切っていた点が問題でしたが・・。
田中氏にすればトコトンの追及を避けるために辞任後も政治勢力維持に必死にならざるを得なかったと言えます・司法取引する仕組みがないからです。
落ち着かせるところで落ちつかせる知恵がないから、闇将軍といわれる状態が長く続き、国政が怨念の政治とも言われ長年ドロドロしてしまった原因です。
安保条約に関する統治行為理論や、選挙制の違憲問題でも最高裁判所が選挙無効まで判決しないで違憲状態宣言で終わらせているような、知恵がいるのではないでしょうか?

第三者委員会とは?2(特別検察官1)

弁護士会に限らず職能団体では、いわゆる第三者委員会委員のように特定事件が起きている最中に事態打開のために渦中の経営陣から声がかかるのと違い、(たとえば加盟企業社長が業界内役職など大して重要視していないのと同様)現執行部に迎合する余地がもともと低いと思われます。
プロゴルファーの事例を昨日紹介しましたが、我々弁護士会の場合も、組織維持が目的の懲戒制度ですから、問題を起こした個々の弁護士・身内に甘い処分では組織・弁護士に対する社会の信用を維持出来ませんので、勢い身内に厳しい処分になりガチです。
権力の介入による懲戒事件の場合には、権力に屈するわけにはいきません(そのための自治制度です)が、権力闘争と関係のない弁護士業務のあり方が顧客〜消費者から訴えられている場合、(正式統計数字を知りませんが、体感的にこれが懲戒事例の99、99%と思われます)身内をかばうための運用では何のための懲戒制度か分かりません。
各種組織内の懲戒委員は、自己組織を愛して自分の組織の信用・・一般構成員の地位を守る職務であって、個々の不祥事をした会員を守るための制度ではないことをしっかりわきまえて判断すべき立場です。
ただ、内部にいると社会が期待する水準変化に疎くなるリスクがあるので、懲戒・懲罰内部に第三者を抱え込むのは良いことです。
平成のはじめ頃に綱紀委員をしていた頃には、どちらかといえば外部委員の方が「このくらい許された行為ではないか」という意見が甘く弁護士委員の意見の方が厳しい意見でした。
・・(外部の人は「弁護士ってそんな程度じゃないの!」と低く見ているのかな?と危惧していましたが・・)
数十年経過して最近社会の弁護士に対する評価期待感が高まっているのか?懲戒委員会では外部委員も遠慮なく厳しい意見を言うようになっているような印象ですが、その方が社会の弁護士に対する見方が参考になってありがたいことです。
弁護士会の懲戒委員には、現職の裁判官検察官各1名のほか、大学教授などの学識経験者が2名入ることになっています。
判事検事の場合には出身官庁の推薦でそのまま選任される仕組みで、弁護士会に都合の良い人ばかり選ぶ仕組みではありません。
この点も企業が問題が起きてから、渦中にある現執行部が「気心の通じた?人」を選任する一般の第三者委員会とは質が違っています。
アメリカの特別検察官制度は、渦中の大統領が特別検察官選任に直接関与しない点では日本の第三者委員会とはまるで違うイメージで紹介されています。
https://kotobank.jp/word/%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E5%AE%98-1817357

朝日新聞掲載「キーワード」の解説
米国の特別検察官
ニクソン元大統領が1974年に辞任に追い込まれた「ウォーターゲート事件」をきっかけに、大統領や政府高官を捜査、訴追するために設けられた。78年に施行された「特別検察官法」に基づいて裁判所が任命する制度だったが、「権限が強大だ」とする議会の批判で99年に失効。現行では司法省が任命するが、独立性の高い立場で捜査に当たる。 これまで中央情報局(CIA)工作員の身元情報漏洩(ろうえい)事件や、クリントン元大統領に関わる「ホワイトウォーター疑惑」、同氏の不倫疑惑などが捜査の対象となった。
(2017-05-18 朝日新聞 夕刊 1総合)

ちなみに司法省が一般検察官任命と特別に委嘱出来るというだけでは、何が「特別」か意味不明ですが、http://www.canon-igs.org/column/security/20170531_4352.htmlによれば以下の通りです。

2017.05.31
特別検察官、何が特別なのか
産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2017年5月25日)に掲載
「特別検察官は…大統領にも解任できない」。19日付某有力紙1面トップ記事の冒頭部分がこれだ。
「何だって?」、読んだ筆者はのけ反った。それだけではない。他紙には「米『政権VS司法』鮮明」「捜査の予算は無制限」なる解説もあった。
字数制限の中、急いで書いた記事なのだろう。武士の情けで実名は控えるが、それにしても、なぜこんな基本的事実誤認が生じるのか。
トランプ氏のロシアゲート報道は今後も続く。今回は「特別検察官」の論点を整理したい。
そもそもこの官職、英語名だけでも3種類ある。
(1)special prosecutor
(2)independent counsel
(3)special counsel
(1)は文字通り「特別検察官」。1875年にグラント大統領が某スキャンダル捜査のため任命したのが最初だ。この官職名は1983年まで使われたが、78年に議会が法制化するまでは司法省内部規則などに基づき任命されていた。
(2)は「検察官」なる用語をあえて避けた「独立顧問」だ。ウォーターゲート事件を踏まえ、78年にそれまでの特別検察官の地位を法律で定める「政府内倫理法」が時限立法で制定され、83~99年にはこう呼ばれていた。
(3)は現行の官職で司法省の「特別顧問」。99年の政府内倫理法失効後、連邦規則28章600条に基づき司法長官が米政府外から弁護士を任命して設置できる常勤職だ。
(4)これとは別に1924年、上下両院特別決議に基づき、クーリッジ大統領が「特別顧問」を任命した例がある。
日本語ではこれらをまとめて「特別検察官」と呼ぶが、いずれも利益相反等機微な事件を政治とは一定程度独立した立場から捜査・訴追する権限が付与される点は共通だ。
現在の「特別顧問」は司法省内の一ポストにすぎず、広義の行政機関の一部だ。他の連邦検事と同様の捜査・検察権限は保障されるが、任命権者はあくまで長官。その独立性に法的保障はないだろう。されば大統領が長官に罷免を命じることも可能。少なくとも現状は「政権VS司法」ではない。
「連邦規則」とは議会が作る法律の枠内で行政機関が定める規則集であり、日本の省令集に相当する。独立性を確保するため「特別顧問」には別途予算が付くが、当然その額は司法省予算の枠内だ。
日本では特別検察官を大統領弾劾と絡めて報じるケースが多い。しかし、米国では特別検察官制度と弾劾手続きは連動しない。「特別顧問」が任命されれば直ちに弾劾に進むというわけではないのだ。

司法副長官がその直接監督者であることから、司法副長官に対するトランプ大統領の(解任)圧力が時どき報道される所以です。

(フェイク?)報道と信用失墜3(国連特別報告2)

これまでザッと書いてきた朝日新聞の現状では、慰安婦報道のミスでは内心何も悪いことをしていない・うるさすぎるので仕方なしに謝罪会見したのかな?程度の意識で今も社内運営している実態が出ています。
その後何かいうとすぐにネット批判が飛んできて肩身がせまいのが納得出来ない・・実質賃金や労働分配率低下の記事でいえばすぐにネットが噛み付いてきて何もいえない・・「言論の自由度が下がった」と苦情を国外に宣伝したい気持ちがわかります。
メデイア界による市場独占の時には「自由市場だ」規制はおかしいと嘯いていたのに、メデイアの独占発信が崩れイェ批判に晒されるようになると言論の自由度が下がったとかオポチュニスト論などが幅を利かすようになりました。
6月14日に書き始めていた国連特別報告者派遣問題の続きですが、それを日本批判に利用したい外国がすぐに取り上げる連携プレーのようです。
日本政府は実態無視の勧告は受け入れられない態度です。
https://mainichi.jp/articles/20180621/k00/00m/030/056000c

「報道の自由」勧告拒否 日本政府
【ジュネーブ共同】国連人権理事会による日本の人権状況の審査について、日本政府は7日までに、特定秘密保護法などで萎縮が指摘される「報道の自由」に関する勧告を拒否…
会員限定有料記事 毎日新聞2018年3月8日 10時26分(最終更新 3月8日 10時45分
昨年11月の作業部会で各国から出された217項目の勧告を受諾するかどうか項目ごとに見解を公表した。145項目を受け入れたが、死刑廃止要求など34項目を拒否、38項目は一部受け入れや留意と…以下有料
5〜6日前にアメリカ国連人権委員会を脱退宣言を出して、大ニュースになっていました・・。
国連人権理事会
米国脱退に人権団体など懸念や遺憾
【ニューヨーク國枝すみれ】トランプ米政権が国連人権理事会(本部スイス・ジュネーブ)からの脱退を19日発表した。国際機関や国際協定に背を向け、孤立主義をさらに強…
(2018年06月20日 19:14

アメリカの不満はイスラエル関係の不満で日本とは違いますが、それとは別に国連は賄賂等にまみれている疑いが強く正義の場でなくなっている現実を直視する必要があるでしょう。
再審事件に戻りますと、朝日新聞や文化人(という自称も不思議ですが)は人権擁護目的さえ標榜すれば、どのようなこじつけ報道も許されるかのような思い上がりがあるのではないでしょうか?
どんどん国民レベルが上がってくるとメデイアが思う方向へ簡単に誤導できない・・そこで難解そうな熟語を持ってきてイメージ操作する誘惑が高まったのでしょう。
(実質賃金や労働分配率とか・直感的な語感とは違う熟語があるとこれを探し出して大規模報道する・・「好景気というが実質賃金が下がっている」「労働分配率が下がっている」「百貨店売上報道では高額ブランド品の売れ行きや外国人の爆買いばかりの報道・・・庶民には関係がない」というイメージ報道があると、俺の収入は上がったが全体統計では下がっているのか?と誤解する熟語の解説なしの大規模報道.・・説明がないと漢字だけ見ると、結果的に国民が誤解する・・実質賃金下落も労働分配率低下も虚偽ではないですが、国民の多くが受ける意味が違うのを利用する意図が濃厚です。
そもそも「好景気を実感できない庶民」「株価上昇→高額ブランド品売り上げ増加」という主張をあちこちに散りばめた上で、実質賃金や労働分配率下落の統計発表を毎月のようにすれば、いかにも誤解させたい報道意図が濃厚です。
ブランド品や5〜6千万円の車販売が伸びているのが事実であっても、これに対応する庶民向け汎用品消費が減っているか横ばいかのペアの報道がない・.そちらも伸びている事実報道がない→特定イメージを広げる報道姿勢が強いのが最近のパターンです。
再審事件報道に戻りますと、人権保障は重要ですが、被害者の人権を無視した被告人の利益ばかりに重きを置いている印象です。
社会ある限り、人権といっても限界がある・・社会有る限り人権はお互いに譲り合うしかないのですが、その辺の理解が難しい人が一定数いるように見えます。
理解できないというよりは、A人権とB人権の衝突・その利害調整が政治ですが、それも1対1の調整ではなく、ABCDE対FGHIの入り乱れた利害調整になってくると単純思考レベルの人にはお手上げです。
そこで「あちら立てればこちら立たずの」複雑な利害調整のいらない単純な「世界平和主義」とか「人権を守れ」とか、なんでも「政府批判」をしている方が安全・・破綻しないと言うことでしょう。
普通の人にいちゃもんばかりつけているといつ反撃されるか怖いですが、政府や大企業批判の場合、反撃されないので安全地帯で騒ぐ印象です。
ロシアや中国で政府批判するには勇気がいりますが、民主国家ではストレス発散先として政府や大企業・強者に対するクレーマーになるのが最も安全なストレス発散相手になります。
何か言うときにいつも「我々庶民には・」と弱者ぶって・「弱いものいじめするな!」と騒いでいれば、自分は安全地帯に居られる仕組みです。
刑事罰に触れる行為(殺人・傷害窃盗行為その他)が処罰される刑事制度は、一方に被害者がいる=人権被害を減らすための人権擁護目的の制度です。
道路交通法も金融商品取引法もすべての法は、対等な人権と人権の調整のためのルールです。
各種取引規制法は、消費者や国民の安全を守るためにあるのですし、いろんな規制法規は全てなんらかの人権保護の目的があります。
例えば6月18日の高槻市の地震でブロック塀が倒れて小学生が死亡しましたが、ブロック塀などの設置規制でさえ人命・人権を守るためにあることが実感できたでしょう。
このブロック設置に法令違反であったとして、その処罰や責任追求の段階を今の袴田再審事件に当てはめればわかりますが、朝日新聞的主張によれば、死亡した児童の人権を忘れて違反者の人権の方が重要として「市民感覚が許さない」と言って検察批判を繰り広げるのでしょうか?
被告人の人権保護は本当に犯人か、違法行為をしたのかの事実を厳密な究明をすることであって、事実の有無にかかわらず被告人を無罪にすることではありません。
事実確認の合理性チェックをないがしろにして、先ずは「無罪にしろ」と言わんばかりの大合唱では刑事制度は成り立ちません。
刑事制度が成り立たなければ、弱者の刑事被害・人権侵害が増える一方になります。
刑事制度は法を守らない人(強者)による弱者に対する人権被害が起きないための制度です。
朝日新聞や革新系野党あるいは人権派は、この辺の「複雑系の理」が理解できないか、理解できるが、そんなことは苦手というグループ・一方の人権だけ理解可能な一定率の支持者に支えられているように見えます。
平和主義といっていれば平和がくるような思考と似ています。
目の前の被告人が「何をしたか」?「何をしたという証拠の有無に関わらず」処罰するはかわいそう・無罪放免されることが人権擁護になるという立場(刑事制度否定論かな?)で一方的な報道をしたければ、中立的な立場を装わずに特定思想集団の立場での主張であると明らかにすべきです。
刑事制度否定論は無政府主義につながるし、非武装平和論にも繋がりやすいような印象ですが、それはそれで一つの主張です。
こうした意見の亜流が加害者側だけの人道論に立脚した死刑廃止論でしょうか?

(フェイク?)報道と信用失墜3(国連特別報告1)

政治学者でさえも政治そのものには素人で、地道な国民世論の吸収という実践を伴っていない点も同じです。
政治論ではなく思わせぶりな情報拡散(選挙直前に誹謗記事が出回ると致命的打撃となります・その後その報道には根拠がなかったことが判明しても選挙のやり直しはありません)によって、政治家の死命を制することができるようになった結果、政治家はメデイアに擦り寄り、第4の権力と言われるようになり、メデイア界に受けの良い人物が政界に出やすくなったのです。
この応用が、昨年来のなりふり構わぬ政権不信を煽るイメージ作戦でしょう。
「国民大多数の声を踏みにじる暴挙を許さない」とデモをしている野党が、総選挙が怖いという不思議な主張ですが、これを応援するために?森かけ騒動を盛り上げては、内閣支持率急落と大規模報道していたものの、安倍政権が総選挙に打って出たら安倍政権の圧勝でした。
メデイア界の大宣伝していた支持率急落はなんだったのか?
メデイア界は恥を掻く一方ですが、国民が自分たちを信用しなくなった原因を反省せずに、言論の自由がないと国外に訴えて「お墨付きをもらって」溜飲を下げているように見えます。
特別報告書の内容引用は長文ですので省きますが、慰安婦問題に関しては他国の教科書内容にまで踏み込む驚くべき(無礼な)内容です。
(歴史を直視し、)慰安婦の歴史を教科書記載し教育すべきというような・この部分のみ一部抜粋します・・内容のオンパレードです。
関心のある方は以下に入って全文お読みください。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000318480.pdf
デビッド・ケイ「表現の自由」国連特別報告者

要約
言論及び表現の自由の権利の促進・保護に関する特別報告者は,2016年4から19日まで,日本を公式訪問した。
V.結論及び勧告
(パラ61~64)
A.メディアの独立
(パラ65~68)
B.歴史教育及び報道への干渉
この部分だけ一部抜粋引用します。
近年,人権メカニズムの多くが,「慰安婦」問題についての日本における認識が限られていることにつ い ての懸念を示 した。
例えば女子差別撤廃委員会は,日本政府が,「『慰安婦』問題を教科書に十分取り入れ,また,歴史的事実を客観的に学生や一般市民に示す」ことを勧告している。自由権規約委員会は,日本政府が,教科書における十分な言及を含め,学生や一般市民に対する本件問題の教育・啓発を確保する,即時かつ効果的な立法上及び行政上の措置をとるよう勧告している。
,日本史が必修である中学校の教科書から,「慰安婦」問題に関する記述が編集で削除された旨の報道を示した。一つの例においては,「慰安婦」問題の言及に,女性の強制連行はなかったとの政府による反対の見解を示した但し書きを伴っていた。
1993年,日本政府は初めて「慰安婦」問題に関する責任を認め,政府が公謝罪を発表した。この認識の結果,「慰安婦」問題は,1997年に初めて,同問題に係る記述を含めて,全7冊の中学校検定歴史教科書に含まれた。しかし・・教科書が第二次世界大戦中に実行された犯罪の現実をどう扱うかに対する政府の影響は,一般市民の知る権利や,過去に向き合い,理解する能力を損なわせる。
(パラ69~70)
C.選挙運動とデモ
(パラ71~72)
D.特定秘密保護法
(パラ73~77)
E.差別とヘイトスピーチ
(パラ78~79)
F.デジタル権
(パラ80~81

国民に支持されない意見は次第に発表の場が狭まるのは、言論の自由市場原理の結果であり当然です。
根拠のない思わせぶりな意見を今まで通りに書いて出すと、「今時こういう根拠ない記事はダメだよ!」とボツにされると「政府の圧力だ」と特別報告者に訴えるのはあんちょこすぎませんか?
何が偏っているかは市場原理にゆだねるべきで、外国権威?を呼び込んで判定してもらうようなものではないでしょう。
今まで歯切れよく(根拠なく)日本批判さえしてれば良かったジャーナリストやコメンテーター等の発言が即時に批判されるようになったので、(例えばみのもんた氏が熊本地震の際に、根拠なくいつも通り上から目線で?自衛隊批判をしたので、即時に批判意見がネットにあふれ、その後彼の出番が急速に減りました)の場が狭まったのはトキの流れで仕方のないことです。
言論市場を独占支配しているときは言論自由市場で勝敗が決まると言い、ネット発達によって独善的根拠ない決めつけが批判されるようになって、この種の根拠ない決めつけ意見連発するコメンテーターにお呼びがかからなくなると「言論自由度が下がった」と騒いで外国権威のお墨付きを求めるのは、御都合主義的な動きに見えます。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000318480.pdfの一部引用の続きです

14.特別報告者は,今次訪問を通じ,(日本には)検閲に反対するオンライ及びオフライン上の強固な文化があるものの,救済困難な危機に発展する前に政府が対処すべき脅威があると感じた。
ジャーナリスト,活動家,学者等は,特別報告者に対し,表現の自由が重大な圧力の下にあるとの懸念や不安を共有した

15.日本は,日本の文化・政治活動において意見の多様性や重要な存在感を有する優れたメディアを有している。メディア界全般において様々な課題や機会があるが,それらとは別に,メディアの独立に関する3つの側面及び公的な監視機関としての日本のメディアの能力について考えることが重要である。
すなわち,放送メディアに対する圧力とそれがより一般的なメディアへの扱いを先導してしまうこと,政府へのアクセスに関する組織の問題,そして,メディアの連帯の問題である。
25・・・・・・・厳しい質問をすると評判の有名な報道関係者やコメンテー・・・3名が,政府批判に対して敵対的,又は,政府批判の結果を恐れる環境をその理由として,長期にわたって務めていたポストを降板した。このような離職は,従業員が数十年も同じ会社で働き続ける産業においては,驚くべきである。
一人の有名で人気のあるコメンテーターは,政府による放送事業者への圧力により,テレビ番組への出演依頼が来なくなった旨主張している

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