メデイアと学者の煽り8(軍国主義肥大化へ2)

中韓両国の日本批判を見ると両国のレベル・・自国の行動基準を前提にして、「自分のならこういう悪いことする」という自白ではないかと思う人が多いでしょうが、トランプ氏の始めたフェイクニュース批判は自分の選挙戦を自白していると思っている人が多いでしょう。
私がいつも書くように既存メデイアの偏向性(フェイクではなく主張の偏りです)が目に余る不満が先立っていますので、トランプ氏は一応支持・喝采を受けていますが、既存メデイアもたまにヤラセ=フェイクもありますが、総体的に見れば虚偽事実の報道はごく例外であって、国民の多くが不満に思っているのは、実在する例えば100〜200の情報のうちメデイアの気に入った方向の事実のみを拾い出して洪水的に流す偏向報道の問題です。
朝日新聞の慰安婦報道問題も積極的に虚偽報道があったか否かではなくはじめっから「一定の角度」方向にのめり込んでいた点を国民が怒っているのです。
メデイアの偏り是正議論が落ち着いたのちの評価(何十年後?・ネット発達によって情報独占が是正されるようになるでしょう)になれば、虚偽事実に頼る点では、トランプ氏の方がフェイク性が露骨すぎるという落ち着きになるでしょう。
・・・「ベストの日露講和ができたのはアメリカの肩入れのお陰」
3月30日に紹介した通り、(アメリカはロシアがこのまま権益を握っていけばシベリアのような独占支配になってしまうが、日本を応援すれば戦後共同開発に参入のチャンスがあるだろう)という見込みで日本を応援していたのを誰もが知っていたのに、その恩・期待に報いる合理的政治を誰も言い出せなくなっていたことがわかります。
・・「三國干渉」のような露骨な分配要求ではないものの18年3月30日に紹介したアメリカの「門戸開放・均等門戸開放」要求を講和条約後日本は聞く耳を持たなかったのは、一種の背信行為でした。
政治家はみんなこの事情を知っていたのに、・・メデイアの政局への影響力が大きくなり、冷静沈着な国家決定が出来なくなってきたのが、満州への独占的行動開始→国際孤立化の始まりでした。
アメリカのオレンジ計画に関するウイキペデイアの記事からです。

日露戦争が終結すると中国問題が日米間で重要問題化しだし、両国間の緊張が高まりだす。アメリカは日本を仮想敵国とした戦争計画の策定に本腰を入れ始め、一連のカラーコード戦争計画の一つであるオレンジ計画が誕生する。
これら各カラーコード戦争計画は、後のレインボー・プランとは違い基本的に一国対一国の戦争を想定しており、外交関係や集団安全保障に関して考慮されていなかったのだが、オレンジ計画では初期の頃より『日本が先制攻撃により攻勢に出て、消耗戦を経てアメリカが反攻に移り、海上封鎖されて日本は経済破綻して敗北する』という日米戦争のシナリオを描いてシミレーションされ、実際の太平洋戦争もこれに近い経緯を辿っていく。日露戦争の最中、第一次世界大戦といった日本と協調関係にあった時期でも、対日本戦争計画、オレンジ計画は研究され続けていた。

日本は自国防衛のための緩衝地帯としての朝鮮半島確保の控えめな希望実現を求める限度では欧米の人道主義・アジアの小国(しかもジャポニズム等で好意的紹介されていた文明のある日本が)がどう猛なロシアに脅迫されているのが可哀想的その他価値観的擁護を受けていました。
この前提として義和団事件で遠隔地の欧米部隊の応援が入るまでの籠城戦での日本兵の強さや規律の高さが賞賛されていましたが、この時とばかりに中国東北・・のちの満州方面から南下進出してきたロシア兵の獰猛野蛮さ・終戦直前に満州へ侵入したソ連兵の野蛮さは周知の通りですが、その40年前にロシア兵が中国東北地方で同じことをしていたのです・・が欧米諸国の顰蹙を買っていた経緯もあります。
顰蹙というよりは、もともと侵略されたときのロシア兵の残虐ぶりが中東欧やトルコを含めて周り中で恐れられていた・この辺は今も同じでしょう。
話題が飛びますが、ココ数年のクリミヤ併合やウクライナ侵攻あるいはシリア介入など見ても、ロシアは今も昔も粗暴・恐怖感によって周辺威圧しかできない本質的弱点を持っています。
ロシアとしては本性をむき出しにした・「能ある鷹が隠していた爪を出した」本当は強いんだぞ!と威張っているつもりでしょうが、それしか自慢するものがない・・弱い国という評価を受けていることがわからないのでしょう。
今でも日中韓はロシアの軍事力が怖いのでロシアを気にしているに過ぎませんし、北欧やバルト三国あるいはトルコを含めて皆同じでしょう。
北朝鮮問題でもロシアが関与する場合があるのは、米国が軍事力行使した場合にロシアがどう反応するかに関心があるだけであって、調整能力に関心がある国はありません。
今話題のシリア政府軍の化学兵器使用に対する米軍の制裁?シリア攻撃実施可否に関しても米英仏が軍事行動すればロシアがどう出るか?というだけに理由で世界の注目を集めているだけのことです。
ロシアが正論を吐きそうだから聴いておくというものではありません。
そもそもロシアが混迷するシリアに派兵を始めた意図自体合理的理解困難ですが、人道など言わないでどしどしテロ組織を制圧していき、強力・辣腕ぶりを発揮したのはわかりますが、ヤクザが乱暴して「どうだ!」「俺は強いぞ!」と自慢しているようなものでしかありません。
正規軍や警察は周辺市民への誤爆が心配とか人道がどうのと言って、躊躇しているときに、(ヤクザが暴れているところへ、もっと強いヤクザ・)ならず者がやってきて人道や逮捕時のルール無視で問答無用で叩きのめすのを見ているようなものです。
経済困窮中のロシアにとってシリアが将来安定したとしても、そこに自国の基地を設けて中東に睨みを利かせることに何の意味があるかの問題ですが、国益よりはプーチン個人の支持率維持(人道論や国益抜きに「いい気持ちにさせてくれるだけの指導者を期待する」国民レベルに帰するでしょうが・・)だけのためでしょう。
戦闘機出撃やミサイル1発で巨額コストです。
アメリカのトマホークは一発約1億円と言われています。
ロシアは15年9月に介入したばかりでしたが、短期間で爆撃機だったか戦闘機だったかを引きあげたと報道されていましたが・・出撃コストに耐えられなくなったイメージを受けましたが・・。
https://news.yahoo.co.jp/byline/koizumiyu/20160330-00056007/

ロシア軍のシリア「撤退」から2週間 依然として強力な兵力残すロシア
3月14日にロシアのプーチン大統領がロシア軍のシリア撤退を発表してから2週間が経過した。翌15日は実際に爆撃機の第一陣がシリアのフメイミム空軍基地を離陸し、その後も攻撃機や武装ヘリコプターなどが次々と同基地を離れていく様子が報じられている

上記記事では実態はそれほど変わっていない・むしろ増強されていると報告されています。
シリア政府の化学兵器使用問題では、プーチン・ロシアは拒否権発動で調査団派遣に関する安保理事会決議否決に持ち込みましたが、ロシア軍が駐留していても攻撃をためらわない米国の勢いに困ってしまい、数日前から内々で「調査に応じるから..」という提案をするなど攻撃中止を求める動きが活発になっていましたが、昨日14日のニュースでは米英仏によるシリア空爆開始のニュースが出ています。
http://jp.wsj.com/articles/SB10376223459405434294104584162673842000750

米英仏、シリアの化学兵器関連施設を空爆
ByNancy A. Youssef and Michael C. Bender
2018 年 4 月 14 日 12:21 JST 更新
トランプ米大統領は13日夜、米国、英国、フランスが共同でシリアの化学兵器関連施設への空爆を実施したと発表した。空爆は、市民ら少なくとも43人が死亡、数百人が負傷した先週の化学兵器使用への対抗措置。

メデイアと学者の煽り7(軍国主義肥大化へ1)

5.15〜2.26事件(昭和11年)翌12年に盧溝橋事件発生→支那事変発生などが続けて起きたことで、国際情勢に通じている政治家や軍部内重鎮が若手過激派批判を恐れる風潮・・・若手将校が上層部軽視になり・政府中枢の紛争不拡大方針を無視した現地軍暴走を追招く素地になってしまったことが大きいでしょう。
日米戦争が米国の謀略にはまったと一部で主張されていますが、交渉で何を決めても現地軍の暴走を止めれらない現実を米国は冷静に見ていた結果、「ガツンとやらない限り暴走が止まらない」という結論に至ったものと読むことが可能です。
今の日本人が「いくら韓国と交渉してもだめ」という心境と似ています。
このような日本の統治能力の欠如・・不信感は、日比谷焼打事件で「日本の政府は一人前ではない」と米国に見られてしまったのです。
もう一度日比谷焼き打ち事件に関するウイキペデイアの記事を紹介します。
「上記のような暴動・講和反対運動が日本国内で起こったことは、日本政府が持っていた戦争意図への不信感を植えつける結果になってしまった。」
しかもその後の経過はその通りになっていくのです。
並行的関係として軍縮交渉以降の海軍の動きが証明しています。
以下は小説ですし、軍部用擁護的信条で書かれている面もあるでしょうが、一応の意見です。
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/3/39390/20160325133636253126/ReportJTP_1998_55.pdf
太平洋戦争直前の日本海軍の態度

マグダ・ボグツカ(ポーランド)
阿川弘之は「山本五十六」という本を書いたが、その中で日本海軍が太平洋戦争に反対
したということを強調した。その不戦派海軍のエースが米内光政、山本五十六、井上成美の三人だった。
ことに山本提督の場合は、連合舷隊司令長官として自らは反対だった戦争の指揮をとらなければならなかった。
「その人間的な苦悩というか苦衷は大変なものだ」
阿川弘之の言葉だ。
他に太平洋戦争のことを研究する評論家の森本忠夫は
「軍人というのは、国家が戦争を決断したら、たとえその戦争に反対であっても、戦わなければならない。それが軍人の宿命だと,思いますが、ただし太平洋戦争の場合は、勝算はもちろん、どうやって戦争を終結させるかという明確なプログラムがないまま、しかも、なしくずし的に開戦が決まってしまっただろうJ
と書いた。
山本五十六は、アメリカと戦ったら、日本は間違いなく、負けると確信していたようだ。
1926年から1928年まで彼はアメリカ駐在武官を経験していて、その前、1919年から、1921年にかけてもアメリカに駐在していた。その時デトロイトの自動車工場とテキサスの池田を見て、経済学の知識はなくても、戦争が起こったら、アメリカのウォーポテンシャルがいかに膨大なものかはよく感じていた。
彼はよく「アメリカの工業力は日本の十倍だぞ」と言っていたそうだ。
しかも、山本元帥だけでなく、アメリカを敵にまわして百パーセント勝てると考えてい
た海軍軍人は、少なくとも上層部には一人もいなかった。
1941年のGNPを計算してみると、アメリカは日本の十二・七倍だった。そんな大国を相手に戦って、勝てるわけはないということは、上層部はみんな分かつていたはずだ
好戦的な国民世論の影響も無視できないということだ。
なにしろ当時の国民は、徹底的な皇国史観教育を受けていたから、ある面では軍人よりもはるかに好戦的だった。そうなると、アメリカと戦ったら、必ず負けると考えている提督たちも沈黙せざるをえなかった。対米慎重論を口に出したとたん、右翼には狙われるし、世論からは袋叩きにされるからだ。

上記は小説の筋ですから、事実とは大きく違うでしょうが・・。
上記記事を前提とすると軍部が戦争好きで報道界や学者・文人が平和愛好家という戦後教育は大間違い・・歴史に反する大嘘であることがわかります。
開戦に踏み切って勝てそうか否かの判断では、軍人の方が相手との能力差や戦力差〜継戦能力等をよく知っているので、むしろ軍部の意見を尊重すべきです。
日露戦争でいえば、初戦でどの程度勝てそうか、初戦における(シベリア経由の相手の補給がどのくらいの時間差で届くのか?)補給前の武器弾薬の性能差と、初戦で勝ち進んでもどの程度奥地まで攻めこんでも兵站線維持が可能か、(モスクワまで攻め込む能力がないことは誰でも知っていたことです)陸上戦の第一ラウンドが終わった後にバルチック艦隊に勝てそうか負けそうか、負けた場合満州派遣部隊の退路どうするかなどの意見は軍部の専門分野でしょう。
開戦してからの国内経済や武器弾薬補充資金をどうするか、どこが売ってくれるか、どの辺で講和会議をしてくれるかの外交上の施策を講じるのは政府の分野です。
古代から軍の戦略判断自体は軍師の意見優先原則でしたが、近代では開戦するには国際協力関係の影響や経済問題などの総合判断が必須ですので、実務政治家の判断になる・これが近代以降の文民統制の原理の基礎です。
海外派遣自衛隊日報の有無がかまびすしいですが、あるかないかの問題ではなく、これは文民統制の原理に関わるという意見が出ていますが、軍関係の日報の詳細まで文民が口出しする権利まで言い出すと行きすぎでしょう。
明治に戻しますと無責任に勇ましいことを言う外野(メデイアや反主流政治家)の煽りに軍部トップが屈服する仕組みの方がおかしいのです。
軍部の暴走どころか、メデイア•エセ学者が軍部をバックに行われたために軍部も肥大していき日本を敗戦に導いたのです。
日清戦争講和後の三國干渉が如何に理不尽であっても、これに対して政府が冷静対処できたような環境が約10年経過の日露戦争当時には民主化?が進み、メデイアによる民衆の煽りが威力を持つようになっていたので政府が引きずられてしまい冷静対処能力が失われてしまったことがわかります。
民主主義とは、暴徒や騒動の規模によって決める政治の意味ではないでしょう。
合理的民意を前提にした制度です。
今、アメリカ大統領選へのロシアの選挙介入疑惑(昔流に言えば怪文書を選挙直掩にばらまく方法・・ヒラリー重病説、中国と特別な関係があるなどの偽情報をネットで拡散してそれを信じ込んだ国民が多かったと言われてます・これ自体がフェイクかどうかを知りませんが・・)が大問題になっているのは、アメリカ国民の合理的民意形成を歪めた疑いがあるからです。
意見は前提情報によって形成されるのですから、偽情報の拡散は民主主義にとって致命的攻撃になります。
1昨日だったかアメリカ連邦議会証言をしたフェイスブック社長の記事が出ていますが、同社の収集した膨大なデータからいわゆるAI技術を駆使して膨大な利用者の政治傾向や好みなどを分析して、どういう政治傾向の情報に反応しやすいかの分析によって個々人向けに加工したフェイクニュースを流し込んでいく操作をしていた疑いです。
フェイスブックが直接やっていたというのではなくイギリスの研究者が契約違反してどこかに基礎データを横流ししていたことが発覚したことが騒動の発端らしいです。
http://www.bbc.com/japanese/43650517等からの一部引用です。
フェイスブックのデータ不正共有疑惑「8700万人に影響」
2018年04月5日
フェイスブックは4日、最大でフェイスブック利用者8700万分のデータが選挙コンサルティング会社の英ケンブリッジ・アナリティカにより不適切に共有されただろうと発表した。それまで発表していた対象利用者数から大幅に増加した。
フェイクニュース
フェイスブックをめぐってはここ数年、いわゆる「フェイクニュース」の拡散が問題となってきたほか、ロシアがフェイスブックを通じて米国の有権者に影響を与えようとしたという裏づけが得られたと指摘されている。今回のケンブリッジ・アナリティカによるスキャンダルは、この流れに関連するものとして、注目されている。
ザッカーバーグ氏は一連の問題について、英下院での証言を拒否した。
https://www.cloudsign.jp/media/20180326-fbca/
何が起こっているのか
それらによれば、2014年ごろに、ケンブリッジ大学(名前は「ケンブリッジ」だがCA社とケンブリッジ大学は無関係)に在籍するロシア系アメリカ人学者 アレクサンダー・コーガン氏が、心理クイズアプリを作成。約30万ダウンロードされたそのアプリに仕組まれたフェイスブックAPIを経由し、ダウンロードユーザーとその友人ら約5000万人分のユーザー情報をコーガン氏が取得。コーガン氏からCA社(内部通報者ワイリー氏が当時在籍)へと売却され、CA社がそれを利用してスティーブ・バノン率いるトランプ陣営をはじめ複数の選挙活動をサポートした、というストーリーです。
米国外の外国人・外国企業が選挙活動に加担したという状況でもあり、公職選挙法にも触れるとあって、今後FTCや議会がフェイスブック幹部に対するヒアリングを行うことで調整が進んでおり、フェイスブックもこれに応じる構えとのこと。また別の報道では、株主代表訴訟・集団訴訟が複数件提起されたという情報もあります。
さらには、英国のBrexitの国民投票においても同社のデータが悪用されたと証言する内部告発者も現れており、問題は収束しそうにありません。

https://www.sankeibiz.jp/macro/news/180412/mcb1804120500027-n1.htmフェイスブックCEO、初の議会証言 信頼回復へ謝罪と協力 (1/2ページ)
2018.4.12 06:00

ザッカーバーグ氏は上院の司法、商業科学運輸両委員会の合同公聴会にスーツとネクタイ姿で出席。「私の誤りだった。申し訳ない」と議員らを見ながら陳謝した上で、FBがフェイク(偽)ニュースやヘイトスピーチの拡散、ロシアの米大統領選挙介入に利用されるのを防げなかったが、今後は改善すると弁明した。

メデイアと学者の煽り6(5・15〜2・26事件へ)

騒ぎが大きくなると民意に関係なく総辞職する方式は戦後も続いてきましたが、戦後は内閣総辞職しても野党が選挙で勝たない限り、政権が野党に変わらない点が戦前との大違いですが、社会党以来の野党が未だにこれをやっているのが不思議です。
政策論争をしないで揚げ足取りをすればするほど支持率が下がる・・今回の「森かけ騒動」でも今後どこまで真相に迫るか・・そもそも役人亜y政治家が総理やその妻の意向を忖度して最良の範囲内で動くことがどういう政治責任あるのか?という基本的意味についての意見が伝わってきません。
例えば総理や社長がきたら法(社内ルール)で接待方法を書いていなくとも法令違反しない限度で最大の待遇を敬意を持って接遇するのが普通ですし、社長や上司がこのプロジェクトを推進したい、あるいは否定的意向があると思えば、(顔色を読んで?)部下がその方向で調査するのが普通です。
調査等の担当者が不正を働いたかどうかが次の問題であって、その場合でも総理が自ら発言したのではなく周りが勝手に総理案件(私の事務所の客でも勝手に私の好物だと思ったと言って手土産を持って来るひともいます)と誤解している場合もあり、総理の知らないところで忖度して行われていることに総理の責任があるかはまた別の問題です。
今回総理案件と周辺が気を利かしてメモしていたとしても、社長が工場視察に来た時に受け付けの人が気を利かして、すぐに最上級の応接室にとおして最良のお茶を出しても汚職でもなんでないのと同様に、総理案件と思ったとしても審議会等の手続きを経て決まって行った過程でどこに法令違反があるかの事実が重要です。
このような手続きのどこに違法があったのか?違法がなくとも「総理の希望がこの辺にありそうだ」と周辺の引き継ぎ的メモがあったこと自体が総理の責任というのか論点がはっきりしないイメージです。
「忖度=違法行為があったはず」というだけではあまりにも論理に飛躍がありすぎます。
昨年の総選挙前から内閣支持率が下がったと報道されましたが、せっかく攻撃している方の野党の支持率は一向に上がりませんでした。
昨年の選挙結果を見れば、メデイア界の期待を民意のように誤報道・煽り報道していたことになります。
55年体制後の社会党は、揚げ足取りで政策停滞を求めれば求めるほど政党としての信用を落として長期低落傾向になりました。
自民党内閣が何回も総辞職しているのに最大野党の社会党支持率が下がる一方だった事実=国民が総辞職の原因について与野党政権交代すべき争点でなかったと考えていなかったことがわかります。
戦後高度成長期には「昔陸軍、今総評」という標語が普及していましたが、メデイア界は戦前は軍部意向・・虎の威を借る代弁者であり、戦後は占領軍の意向に従い、講和条約後は左翼文化人や総評・中国・ソ連方向ヘ、ソ連崩壊後は中韓支持へと「回れ左」して来たのがメデイア界です。
日米開戦の時も日米軍事力格差を知っている軍部は簡単に応じませんでしたが、政治の力に押し切られて「1年程度なら持ちこたえて見せましょう」と応じたエピソードが知られています。
ちなみに軍部と言っても国際情勢に目配りし総合判断の利く人材もいますが、血気にはやり総体的視野のない人材が軍部内で力を持つようになっていたことが軍部独走の原因です。
極論を外部から応援して煽ったのがメデイア界です・天皇機関説事件もメデイアさえ外野で煽らなければ政府は一人くらいの跳ね上がり過激派議員質問など相手にしないで終わった事件でした。
満州事変(1931年〜)支那事変(1937年・昭和12年の盧溝橋事件に始まる)で政府の不拡大方針無視で現地関東軍が戦線をどんどん拡大して行った原因は、日露戦争以降、国際情勢無視で勇ましいことを言う運動を「民意」と称して煽っては慎重派政治家を次々と失脚させることが連続して行った結果、軍部による政府方針無視の風潮を生み出して行ったからです。
メデイアが総合判断の出来ない過激派(一定レンジ内の能力では秀才?)を長年かけて世論を煽って持ち上げてきた結果、若手過激(総合判断の利かない秀才?)派が増長した結果が出たのが、5・15事件(昭和七年・1932年・海軍軍縮交渉不満を理由とする若槻内閣総退陣→次期犬養総理の襲撃)や2・26(昭和十一年・1936年・大恐慌背景の君側の奸を撃つ?)事件でした。
いずれも一知半解の未熟な青年将校の行動でしたが、物事の根本を理解できない・知的階層としては外れ者の意見による運動であった点では、日露講和条約反対(7博士意見書)の動きと根は同じです。
すなわち、第一次世界大戦後戦場となった欧州では、平和を求める動き→軍縮交渉が世界の流れとなっていたばかりか、無駄な軍事費を削り民生費に投入することは外見上一等国であっても内実が弱い日本としては、最も必要としていたことであり、軍職交渉自体は日本にとって有利なことでした。
日露戦争以降日本は戦争には勝ったものの経済的に疲弊に苦しむようにになっていたことを紹介してきました。
(レーガン大統領によって軍拡競争を仕掛けられてソ連が崩壊したように、総力を挙げての軍拡競争には日本は米国についていけません)
2・26事件でいえば、三陸大地震と世界大恐慌による経済失速が背景でしたが、当時世界大恐慌にもっともうまく適応していた高橋是清蔵相殺害などを見れば、これも複雑化した金融理論その他経済原理無理解のまま「君側の奸」を排除すれば解決するという古色蒼然たる概念に酔いしれた単細胞将校が自己の能力限界を弁えない過激行動を起こしたに過ぎないことが分かります。
日露講和条約をまとめた小村寿太郎や彼を推挽した伊東博文は帰国時に迎えに行って自分が暴徒に襲われる覚悟であったとどこかで書かれていますが、当時の国民はそこまで実行するほどバカでなかったことがわかります。
ウイキペデイア・ポーツマス条約に出ている全権大使小村寿太郎決定時の記述です。

結局、日向国飫肥藩(宮崎県)の下級藩士出身で、第1次桂内閣(1901年-1906年)の外務大臣として日英同盟の締結に功のあった小村壽太郎が全権代表に選ばれた。
小村は、身長150センチメートルに満たぬ小男で、当時50歳になる直前であった[10]。伊藤博文もまた交渉の容易でないことをよく知っており、小村に対しては「君の帰朝の時には、他人はどうあろうとも、吾輩だけは必ず出迎えにゆく」と語り、励ましている[11]
小村寿太郎に関するウイキペデイアの記事からです。
帰国時には怒り狂う右翼団体からさまざまな罵声を浴びせられ、泣き崩れた小村を両脇から伊藤博文と山縣有朋が抱えて首相官邸へ連れて行ったという。
また、日比谷焼討事件や小村邸への投石など暴徒化した国民の影響で、妻のマチは精神的に追い詰められ、小村は家族と別居することを余儀なくされた。

今の中国やロシアで政府が国際合意をしたことに対する反対運動が起きて、それが暴徒化して政府要人を襲撃するようなことが考えられるでしょうか?
日露講和条約時の政府は戒厳令を布き処罰すべきはするなど毅然とした対応したのですが、この後は毅然とした態度を取れずに騒動が起きるとその都度内閣総辞職の慣例になっていきます。
これではメデイアや半可通の学者がやりたい放題になるのは当然でした。
それがメデイアの煽り・・極端な(軍部若手)主張を正当化する煽りによって彼らが日増しに増長して行ったことが、その後の満州事変〜支那事変など政府の不拡大方針無視の現地判断による戦線拡大をしていった遠因でした。

煽りが政治を左右する社会4(韓国 )

例えばハンギョレ新聞が報道する安倍政権打倒の新宿駅前の情景らしい以下の写真を見てください。
全共闘世代の生き残りというか、メデイアにそそのかされていたに過ぎないことを認めたくない人たち・・高齢者が今も頑張っている実態が、以下の写真で明らかになります。
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/30167.html

コラム]“ろうそくデモ” の前に立たされた安倍首相
登録:2018-03-29 23:04 修正:2018-03-30 07:32

※今回回復時(18年9月26日)にはなぜか画像が入りませんので直接上記引用先にお入りください

以上の写真を見ればネットで一般に言われているように左翼系集会には高齢者ばかり集まっている現状が浮き彫りです。
メデイアが行う高齢者中心にした世論調査の弊害が言われていますが、この写真自体で高齢化率の高さ・・現実がわかります。
こういう暇な?高齢者をターゲットにして「◯月◯日◯時に新宿駅〇〇に集まって下さい」と動員をかければ500や1000人集めるのは容易で、これを写真にして大規模騒動と言う報道に使っているのでしょうが、これを国民世論・民意と言えるのでしょうか?
こう言う実態無視の報道をしているから、選挙すると結果が大違いになるのです。
これが日本の現状(韓国メデイアの願望?)リポートとして韓国では報道されているのでしょうか?
こんな報道ばかり見ている韓国人は、安倍政権が今にも倒れるかと思っていたのに朴政権の方が先に倒れたのには驚いたでしょう。
驚いたというよりは、自分たちはろうそく運動で朴政権を倒したので、自分らの方が民主主義が進んでいるとの自信を持つ理由にしているのでしょうか。
もともと日本に住んでいる人でも、その時々の民意の阿智世辞がどう言う方向へ向かっているかがわからないのが普通で、だからこそ勝ち馬に乗りたい心理を利用してメデイアがしきりに、安倍政権支持率急落報道誘惑に駆られるのでしょう。
韓国に限らず日本メデイアも(アメリカやドイツ、フランス、中国、韓国など外国のことは、2〜3回行ったことがある程度では最近の政権支持率の実際まで多くの国民には分かりっこないので、好き勝手な報道ができるので)これと似たようなヤラセ的報道をしているのかもしれません。
これが行き過ぎてきたので、メデイア報道にそれほど影響を受けなくなってきた・・ここ数年の世論調査結果報道通りの選挙結果出なくなってきました。
今や世界中の国民は世界ニュースの真実性に疑問を持つようになるのは仕方がない・・フェイク性はどうにもならないないところまで行き着いているのでしょうか。
韓国の非合理感情暴発現象は日比谷焼打ち事件の頃の日本や文化大革命の中国に似ている印象です。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/page-3.htmlからの一部引用です。
勝又壽良の経済時評

2018-03-28 05:00:00
韓国、「サムスン危機」半導体依存の限界と賄賂事件で批判集中

『韓国経済新聞』(3月22日付)は、「内憂外患に苦しむ『創業80年』サムスン」と題する記事を掲載した。
(3)「『サムスンバッシング』という名分ので、あらゆることが許される雰囲気である。韓国大統領府は進行中の裁判に影響を及ぼし、政府官庁はすでに判断した内容を(サムスンに)不利なように変える。国会はサムスンだけを狙った法案を作り、政治家らはサムスンを批判する発言を浴びせて人気を得る。『サムスンバッシング』が度を超えたという指摘は出るが声を高めることすら難しいほどだ。
・・・・このパラグラフで取り上げられている例は、「全体主義」国家を想像するほどの狂気を感じる。サムスンを悪者にして憂さ晴らしをしている感じである。戦時中の日本は、ひたすら国家へ奉仕する「滅私奉公」を強制された。韓国では今や、「サムスン擁護」の言動は一切許されないところまで暴走している。「親日」が許されないと同じ構造である。
(4)「サムスンに対する各種攻撃は、サムスンに敵対的な世論を通じて強化される。中立的やサムスンに友好的な発言をする人たちは『積弊』として攻撃を受ける。これに対しサムスンを批判する行為は英雄的なことと賞賛を受ける。
バランスを取った発言は姿を消し攻撃的発言ばかり集中的に生産されるほかない構造だ。2月李在鎔副会長に執行猶予判決を下した鄭亨植(チョン・ヒョンシク)部長判事はさまざまな人身攻撃に苦しめられた。裁判所内部関係者は内部掲示板にテロを暗示する書き込みをした。青瓦台に鄭判事の罷免を要求する請願にも22万人が署名した。ネットユーザーは鄭判事の親族まで探し出して攻撃したりもした。判事出身の法科大学院教授は『判決が自分の考えと違うからと判事を非難し威嚇するのは法治主義と司法の独立に対する深刻な挑戦だ』と懸念する」
2月、李在鎔副会長に執行猶予判決を下した鄭亨植(チョン・ヒョンシク)部長判事は、さまざまな人身攻撃に苦しめられているという。韓国では、政治と司法が結びついているという後進性を見せている。本来、「三権分立」によって、司法・行政・立法はでそれぞれ独立しているべきもの。
韓国では、この原則が無視されている。行政と司法が通じているからだ。司法は行政の影響を受けやすく、独立の裁判結果はなかなか得られない危険性が高い。そういう中で、世論に従わず、証拠と法理論だけに基づく厳正な裁判を行なうと、世論が承知しないのだ。韓国では、こういう人民裁判的な混乱が付きまとうのである。裁判結果を冷静に受け入れる習慣がない国である。
(5)「政治家と一部メディアは鄭判事に向けた批判の水位を上げながら反射利益を得た。安敏錫(アン・ミンソク)民主党議員は『法廷に向け唾を吐きたい』と話し、同党の朴映宣(パク・ヨンソン)議員は『裁判所にサムスンと癒着した判事がいる』と攻撃した。魯会燦(ノ・フェチャン)正義党院内代表は『誤った判決で国民の平均寿命が数カ月縮んだ』という話までした。ラジオとテレビ放送で一部出演者と司会者は『政経癒着以降にサムスン・裁判所癒着』『歴代級のゴミ裁判」など露骨な単語を動員した。
KBSはストが終わった後に放映された最初の『追跡60分』で『サムスン共和国』2部作を扱った。
SBSも最近のニュースでは異例な30分を割愛してエバーランドの地価水増し疑惑をシリーズで報道している。
サムスン電子関係者は、『サムスンを批判する番組が相次いでいるのに“サムスンがメディアを統制している”という話が出るのであきれる』と話す」

以上が、勝又氏の意見ですが私も同感です。
感情の赴くままに騒動を起こせばいいと言う状態は、本当の意味の民意を汲み取れないから不満の暴発になるのであって、民主主義とは似て非なるものです。
交通事故死や公害や貧困に苦しむ人がいれば、それら被害をもっと減らしていく努力するのが本来の政治運動だと思いますが、日本では不満層が少なすぎるので韓国のように無茶な騒動に広がらない・・そこで不満を減らす努力よりは、不満層を増やす・あるいはヤラセその他で実態より誇張して報道するなどの政治運動が中心になっているイメージです。

煽りが政治を左右する社会3(強訴〜一揆〜デモ2)

もっと遡れば、白河法皇を悩ませていた強訴・「神の声」「神威」を嵩にきた強訴が、今の「民衆の声を無視するな!」というデモの起源でしょうか?
(「民主主義」という標語自体「近現在の政治的神話」に過ぎないことを01/22/04「中世から近世へ(国家権力の強化)2」に書きました)
強訴に関するウイキペデアイアの記事です。

特に「南都北嶺」と並び称された南都興福寺と比叡山延暦寺は強訴の常連で、興福寺は春日大社の神木(春日神木)、延暦寺は日吉大社の神輿などの「神威」をかざして洛中内裏に押し掛けて要求を行い、それが通らない時は、神木・神輿を御所の門前に放置し、政治機能を実質上停止させるなどの手段に出た。
神木を使う前者を「榊振り」、神輿を使う後者を「神輿振り」とも呼び[3]、神輿振りは1095年の強訴が最初とされる[4]。白河法皇は「賀茂川の水、双六の賽、山法師。これぞ朕が心にままならぬもの」という言葉を残しているが、これは延暦寺の強訴を嘆いての事である。
興福寺の榊振りの場合は、まず訴訟の宣言として、神木を本殿から移殿へ移し(御遷座)、訴えが聞き入れられれば本殿へ戻し(御帰座)、聞き入れられなければ興福寺前の金堂に移し、それでもまだ聞き入れられない場合は神木を先頭にして京に向かって大行進を始め、木津で一旦駐留し(御進発)、それでもまだ聞き入れられないなら宇治平等院まで北上し、それでもだめな場合にいよいよ入洛する、という手順だった[5]。
強訴の理由は寺社の荘園を国司が侵害したり、競合する寺社が今までより優遇措置を得ることなどである。朝廷は、強訴を押さえるため、武士の武力を重用した。これは、新興勢力の武士が、仏罰や神威を恐れなかったためである。これにより、武士が中央政界での発言権を徐々に持つようになる。
寺社の強訴は平安時代から室町時代ごろまで盛んだったが、その後寺社権門の衰退と共に廃れていった。

これも要求を聞き入れるばかりで僧兵や首謀者が処刑されなかったから、無責任な強訴がはびこったのです。
武士の台頭・・平忠盛が武力制圧が知られていますが、それ以来武士を使うようになって強訴が下火〜なくなっています。
ウイキペデイアの忠盛によると以下の通りです。

天仁元年(1108年)、忠盛は13歳で左衛門少尉となり、天永2年(1111年)には検非違使を兼帯して、京の治安維持に従事した。天永4年(1113年)には盗賊の夏焼大夫を追捕した功で従五位下に叙される(『長秋記』3月14日条)。同年の永久の強訴では父とともに宇治に出動して興福寺の大衆の入京を阻止している。

平安時代の強訴を見ると当時の知的階層をバックにした「神の意志」の無理強い・・昭和40年代初頭の大学をバックにした全共闘の民意?を標榜する「強訴」に似ています。
江戸時代末期に薩長が流行らせた根拠のない攘夷思想・・・・囃し立てる「エエじゃないか運動」など・より近くは「昔軍部今総評」と言われた戦後の風潮もその1種です。
日露戦争が終わってみると戦争による国力疲弊と目標喪失による国内困難を抱え込んだ上にアメリカに対して「戦争意図への不信感を植えつける結果になってしまった。」・と紹介されているように国際孤立に突き進む起点になった点が重要です。
他のアジア諸国と違った発展をしてきた日本が、幕末以降欧米から好意的に見られて文化的にはフランスのジャポニズムブームになったように、順調に成長してきた近代日本の転換点でした。
日本はこの時に欧米並みの植民地支配の仲間入りせずに、ロシア撃退による本来の防衛目的達成で満足すべきでした。
(あるいは参入するにしても現在の協調融資方式で仲間を増やして儲けとリスクを分け合う方法があったのです。)
それができなかったのは内部矛盾激化と国民の血を無駄にするな!と煽るメデイアの存在が大きかったことがわかります。
政治家はエセ学者やメデイアの弱腰批判に追いまくられて、当時の実態を前提にすれば、最大の成果をあげた日露講和条約締結であったのに、非合理な不満に煽られて内閣総辞職に追い込まれてしまいました。
日比谷公園焼き討ち事件に関するウイキペデイアの記事からです。

全国各地で講和条約反対と戦争継続を唱える集会が開かれたのである。その内容は、「閣僚と元老を全て処分し、講和条約を破棄してロシアとの戦争継続を求める」という過激なものであった。
この事件の後、大正政変やシーメンス事件に際して起こった民衆騒擾は、政府指導層に民衆の力を思い知らせるとともに、大正デモクラシーの推進力にもなった。

このような感情に訴える煽りの結果・・「せっかく国民の地を流して得た利権を得た満州へアメリカの参入を許すな!」と遠慮会釈なく進出→独占支配に突き進むしかなくなったのですから、この方向性の誤りは言論界にこそあって政治家の責任ではありません。
どのような善政を敷いていても競争社会の敗者はいつもいるし、日頃むしゃくしゃしている下層階層(強訴に駆り出された僧兵もその時代のあぶれ者です)に、暴れ回るのが正義であるかのようにメデイアが煽りかければ「この機会に・・・」と打ちこわしや暴動の動きに付和雷同する傾向があります。
昭和40年初めの学生騒動も同じで、若者が現状不満で暴れるのは正しい意思表示だとメデイアが煽ったので思慮の浅い若者がこの洗脳に乗せられていただけでした。
当時「造反有理」その他毛沢東語録がメデイアを通じて盛んに流布されていました。
ウイキペデイアによると以下の通りです。

文化大革命(ぶんかだいかくめい)は、中華人民共和国で1966年[1]から1976年まで続き、1977年に終結宣言がなされた社会的騒乱である。
ウイキペデイアによる全共闘世代は以下の通りです。
全共闘世代(ぜんきょうとうせだい)とは、1965年から1972年までの、全共闘運動・安保闘争とベトナム戦争の時期に大学時代を送った世代である

上記を見ると文化大革命を理想の運動のように讃えていたメデイアの意図的操作に、浅慮の若者がまともに煽られてしまったと感じる人が多いでしょう。
文化大革命に関するウイキペデイアの引用の続きです

当時の朝日新聞等の立ち位置です。
当時は海外メディアが殆ど閉め出された中、朝日新聞社など一部の親中派メディアは、中華人民共和国国内に残る事が出来た。朝日新聞は、当時の広岡知男社長自らが、顔写真つきで一面トップに「中国訪問を終えて」と題した記事を掲載したが、そこには文化大革命の悲惨な実態は全く伝えられないままであるだけでなく、むしろ礼賛する内容であった。
しかし、その後文化大革命の悲惨な実態が明るみに出ると、これらの親中派メディアを除いて全否定的な評価が支配的となった。それまで毛沢東や文化大革命を無条件に礼賛し、論壇や学会を主導してきた安藤彦太郎、新島淳良、菊地昌典、秋岡家栄、菅沼正久、藤村俊郎、西園寺公一らの論者に対し、その責任を問う形で批判が集中している[19]。批判された者はほとんどの場合沈黙を守り、文革終結後も大学教授などの社会的地位を保ち続けた。

今も当時の論客が何らの責任も取らずにいて今でも当時を懐かしむ高齢世代ではカリスマ的人気を保っている様子ですが、朝日新聞や左翼文化人に煽られるままに学生運動にのめり込んで、一生を棒に振った若者・今の高齢者らこそ哀れです。

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