ハングルの普及と漢字放棄

高度な熟語は専門家だけがけ分かればいいという政治姿勢について続けます。
政治は政治家だけで通じる専門用語で議論すれば良い・素人・国民は議論に使われている言葉すら知る必要がないと言うのは、いわばヤンパン・エリート支配の復活を目指したものというべきでしょう。
専門用語は専門家だけが知ればいいという思想によれば、例えば国会論争は政治家同士が素人には分からない専門用語を駆使して論争しているのだからプロの政治家に任せておけばいい・・という方向になります。
民主国家ではそうも行かないのでメデイアには報道する必要がありますが、メデイアはそのまま伝えてもどうせ素人には分からないという圧倒的世論の社会ではどうなるでしょうか?
・・我が国の例・・例えばTPP交渉であれば、どう言う論争があって、A論B論C論のそれぞれの意見によればこのようになるとか、どう言う利害があるかの具体的報道を怠り(あえてしないで)「農業を守れ」とか「売国奴」とかの感情論の報道で一定方向へ世論誘導するのが簡単になります。
我が国の知識人?はエリート意識が拠り所ですから、素人は文化人?の主張を感心して聞いてればいいという図式を重んじています。
なにかあると「文化人?」多数の署名意見発表とか、共謀罪法や集団自衛権論では「危険だ」「近代法に反する」とか「戦争法案」という抽象論(アジテート)ばかりで、具体論を一切言わない奇妙さを何回も書いてきました。
メデイアも法案の具体的内容を一切あるいは殆ど報道しないで、いつも審議時間が少ない、議論が足りないと強行採決はどうのというムード的批判報道ばかりです。
憲法学者や法律家の声明ですら殆ど内容に触れないで戦争法案反対というばかりです。
権威主義社会の韓国では大学教授という肩書きの威力がすごいと言われますが、日本でも革新?系はこれが好きで憲法学者連名の声明文発表など肩書き重視です。
文化人?やメデイアでは、「安倍政権を倒す」という目標では一致していますが、そのために政策論争を挑まずスキャンダル探しに狂奔しているのは、(レベルの低い)国民には政治論など分かるはずがない」という一方的決め込みが前提らしく、答弁が下手だと言っては政治責任を問い、スキャンダルや癒着ならば愚昧な庶民でも分かるという仕掛け・・森友・加計学園などムード報道ばかりで政権を追い込んでいます。
メデイア合作の強みで安倍政権と自民党支持率が激減したと報道されましたが、国会追及で頑張ったはずの民進党支持率はさらに下がって党存亡の危機になっている結果を見れば、国民は本当の政治論争を望んでいることが見て取れます。
日本国民はレベルが高いので、政治家には日本がどうあるべきかの政治論を戦わせているところを聞かせて欲しいのですが、メデイアと民進党はこれを一切しません。
国会中継でも大事な政策論議を一切報道しない偏り方です・・獣医学部新設の必要性に関して今回の癒着報道の10年以上前から岩盤で進まなかったというのですが、どこのメデイアがスキャンダルと関係のない段階で純粋な政策論として報道していたのでしょうか?
大臣の答弁が下手だとか、揚げ足取りになるとすぐに過熱するするメデイアのあり方・・これが政治・国会論戦の主要テーマであるかのようなメデイアのムードづくりに多くの国民は誘導されて(テレビ等のコメンテーターが「こんなのおかしいよね」という話題を垂れ流している・・これがトレンドならば、自己保身上「先ずは同調しておこう」という空気で政権支持率が下がっていますが、それと政治家に求めるものは別・・国民を馬鹿にしている本質を国民に知られてしまったのです。
支持率低下と言ってかけ学園問題の政府説明に納得しますか?と聞かれた後で政権支持の有無を聞かれると政府説明に納得しない人は支持しない方向へ答えが来るような仕掛けになります。
説明不十分と思っているが、それと政権支持と関係ない・自分は政策本位で決めると言い難い流れを作って強引に支持率を決めつけていく流れです。
こんなまやかしの加工報道をアテにしているから、旧社会党は消滅し民進党は無くなりそうになっているのです。
政権を競うならば政策論争で国民の審判を仰ぐべきです。
スポーツその他すべて競技(五輪競技場の設計審査も)の勝敗(芸能人は人気で生きている以上別ですが・・)はその競技で勝敗を決めるべきであって、その選手の家柄や私生活によって勝敗を決めるのは邪道です。
スキャンダル探しに熱を上げて練習を怠って本番で負け続けるスポーツマンみたいになっているのが、旧社会党であり民主党〜民進党です。
メデイアは初の女性〇〇などと、能力外のことを過大に報道し過ぎです。
メデイアや文化人はエリート意識の強い高学歴者人が多いので、「レベルの低い国民相手に合理的議論を紹介しても意味がない」という上から目線で政治動向を興味本位?で報道しているように見えます。
国家の重要な法律案などを審議する姿よりは、スキャンダル探しの議論の方がテレビの脚光をあびる・まさに衆愚政治に陥るようにメデイアが煽っているとしか思えません。
メデイアは政治論の甲論乙駁を紹介するよりは、スキャンダル探ししかしなくなった結果、この十数年間ではいわゆる「身体検査」と称するものが政治資質の有無よりも最優先事項になってしまっています。
この結果、政治家任用もその人の政策実現能力よりは、スキャンンダルで集中砲火を浴びないような人材・・官僚のようにソツなく答弁する能力優先で枢要な役職が決まって行くのでは、国家の不幸です。
こんなことでは、真面目に天下国家のあるべき姿を考え努力するよりも、ソツなく生きる器用な人だけが政治指導者になる社会が来てしまいます。
政治家はどうあるべきかの基準をメデイアが事実上作って、「ツノを矯めて牛を殺す」ようなケチな基準を報道して日本社会を腐らせてしまう・・衆愚政治に誘導している面があります。
日本民族を腐らせてしまうためにどこかの手先になって運動しているのではないかの疑いをいう意見が出て来る所以です。
専門用語を庶民もよく知っているわが国ですら、(本当に国民が知るべきことをあえて報道しない)メデイアによる一種のフェイクニュースの氾濫でこういう状態になっています。
たまたま8月4日事務所でちょっと手の空いたスキにMSNニュースを見ると、マサに私の関心と関連する・・事実報道しないNHK批判記事が出ていました。
この引用は自宅に帰ってからこの文章を書いたのが昨日20時33分ですから、14時間前の発信記事となります。
JBpress
森 清勇14 時間前
  加計選定「一点の曇りもない」証言を報道しないNHK
 問題の本質は、(1)獣医学部新設の必要性と規制の現実、(2)認可に至る手続きは公正に行われたかの2点である。
与党委員は岩盤規制で必要性が阻害されているのではないかとの視点から首相や官房・内閣府、そして民間の参考人に問い糾した。
 他方、野党はもっぱら「総理のご意向」や「官邸の最高レベル」という文科省内に見つかった文書から読み取れる首相の圧力があったのではないかとみて質問した。
 この過程で、獣医学部新設に当っては関係する省と団体の圧力は相当なもので、首相のリーダーシップをもってしても容易に崩せない実態が浮き彫りになった。
24・25両日のNHK「ニュース・ウォッチ9」は、首相と加計氏の会食が異常に多かった、加計学園が申請したのを首相が知ったのは今年1月20日かなど、決定過程に疑惑があるとみる野党委員の質問や、「加計ありき」とする前川喜平参考人の発言などを中心に報じたが、問題の本質である必要性や半世紀も正されずに来た岩盤規制、そして正当な手続きで加計学園に決ったとする参考人の発言はほとんど報道しなかった。」恐るべき偏向報道ではなかろうか。NHKの報道姿勢が偏向していると指摘されて久しい。しかし、一向に改まる気配は見られない。
 「7月10日の閉会中審査を終えて、筆者はJBpressで、「加計学園問題の審議はもう不要、安全保障論議を! 行政は歪められたのではなく正された、前川喜平氏こそ問題の中心」として取り上げた。
しかし、国民の多くはニュース番組としてのNHKを視聴して、政党主張の是非や政治の正邪を判断するに違いない。それ故にNHKには民放と異なる要求が放送法で課されている。」

漢字導入時の試行錯誤(縣の消滅)

郡縣、郡国制は後漢以降廃れて行き、我が国に漢字が入って来た5〜6世紀頃には、既に州と縣の制度になっていて郡がなくなっていたように思われます。
それならば何故我が国で國・国司の下に縣(コオリの当て字としての縣)ができず、中国ではなくなっていた郡が我が国で復活採用されたのでしょうか。
元々我が国では何々の國(くに)の下位に「コオリ・コホリ」と呼ばれる下位の行政単位・・地方豪族の治める単位があったのですが、これに縣を当てていた時期もあったのに、縣をこおりと読むのをやめて郡の漢字を当てるようになったいきさつを考えてみたいと思います。
郡縣制や郡国制では、天下・國の次にくるのは郡でしたから、ある程度中国の歴史を勉強して漢字の意味内容が分ってくると、全国をいくつかの國に分類した(州にしなかった)以上は、この段階(大宝律令制定時)で下位の組織として郡が来るべきであって(縣は郡の次に来る組織単位ですから)縣が郡に取って代わられたのは論理的です。
では郡の下に縣(あがた)が何故生き残れなかったかですが、その下となると郷や里ですから単位が小さすぎて元々アガタヌシの領域を当てていた縣を当てることが出来なかったように思います。
広大な中国の制度をそのまま狭い我が国に全部持ち込むのは無理がある筈ですが、加えて州縣制を前提にした制度と郡国制の両立では地方単位が重複してしまいます。
当時世界最先端の唐の制度・・専制君主制の州と縣制にするのは日本の発展段階からして無理があるとして、遣唐使の時代からすれば5〜600年前になくなってしまった国と郡の制度を換骨奪胎して利用することになったものと思われます。
漢字導入以来徐々に中国の真似して取り込んで来た制度のうち、國の規模が違うので何かを省略するしかなかったのす。
州の代わりに國を導入しましたが、(それでも政府の制度採用は別として州を國と読む用法が入っていましたので、九州や関八州などと國を州に当てる用法が副次的に我が国に残っています)既に使用していた縣をどうするかです。
縣が漢字導入の始めの頃にコオリやアガタに当てて使われるようになったのは、漢字が入って来た経緯によるでしょう。
漢字が入って来た当座は、(5〜6世紀)最初から中国の歴史が分りませんから当時中国に存在していた地域的行政単位を國や縣と言うらしい程度の知識から始まった筈です。
(魏晋南北朝・5胡16国の國が乱立していた時期で、既に郡国制や郡縣制は消滅していました)
乱立している我が国のクニに國を当て、次の地方単位である縣に我が国のコオリ・コホリを当てることから始まったのは自然の成り行きです。
魏志倭人伝は、平成23年4月28日に書いたように中国側で我が国の地域名称に魏の国制を当てはめて翻訳して紹介しているのです。
何世紀か過ぎて中国の歴史や制度内容が詳しく分ってくると地方単位でも皇帝や国主の信任する人がその行政を預かるのを縣と言うのが分って来ます。
我が国のアガタヌシの治める地域をこれに当てるようになってある程度の独立性のある地域を國と使い分けるようになってから、縣をアガタと読むようになった可能性があります。
縣を当初はコオリと読む時期があって、その次にアガタに変化した・・時間差があったことになります。
大和朝廷成立前には諸勢力が乱立していて、これら乱立する地域を「くに」と言っていて、これに國の漢字を当てていたのです。
その「くに」が周辺地域を併呑して大きくなって来て、いくつかの部族を統合した大きな「くに」が出来た頃には配下武将支配地域をアガタと言うようになっていたものと思われます。
当時の中国では地名としては、後漢以来の何々州が存在していましたが、勢力範囲としてはこれに一部またがる國名を使っていた複雑な関係でした。
我が国の「くに」はその前に地名らしいものがなかったので、これが原始的地名を兼ねていたので、現在まで古い地名として残ってるのですが、中国の場合、州名が地名として残った上に後から魏晋南北朝の乱世となって勢力範囲・國が州境を越えて来たので、州名と国名がズレて重なった関係になっていました。
我が国の戦国末期の大名が隣国と更に隣の國の一部を併呑しているような関係です。
大和朝廷成立時に半独立国で朝廷の権威に服属した地域を従来通りの國と言い、大和朝廷成立時の支配下の武将をアガタ・アガタヌシと言って使い分けていたのではないかと言うのが、4月30日に書いた推測でした。
郡縣制は秦時代の制度ですし郡国制は私の知っている限り後漢の終わり頃にはなくなっていたので、漢字導入直後ころには郡と言う漢字は自然の交流・・日常会話的には過去の漢字として入って来てたとしても一般的でなかったでしょう。
漢字の入って来た当時の中国の制度として地名などに「どこそこの國」、「どこそこの縣」が頻繁に使われていたので、それぞれ支配下領域をクニに当てて、(やまたい国と言うなど)くにの支配下の地域・・こおりに「縣」の漢字が利用されたと思われます。
国造(くにのみやつこ)に國と言う漢字を当てるようになったころには、大和朝廷成立後のことでしょうから中国で言う國の制度も知られていた筈です。
國のヌシは皇帝の子供が封じられていることが分って、ミヤツ子=宮の子・大王の子を擬制する我が國の風習とも一致したと思われます。
親子さえ擬制すれば世襲制であり半独立性があること、域外の服属国・・朝貢国類似の関係などその他すべてが一致していたのです。
これに対して縣の長官は世襲制ではない・・単なる代官的立場の人が治める地域でしかないらしいと分かるのですが、それならば國をアガタと読めば良いようなものですが、日本古来の「くに」の名称をなくすわけにはいかず、他方で既にアガタは國の一部として定着していたので、今更國をアガタと読み替える訳にはいなかったのでしょう。
また地方の単位ではあっても、國の次の単位は縣ではなく郡であったことも分って来たので、郡に取って代わられたと思われます。
ですから縣をこおりと読んでいた次期があるとしても、郡と同時期に縣もこおりと読んでいたのではなく時間差があることになります。
こんないきさつから縣の漢字の利用がなくなってしまったのではないかと言うのが私の現在の到達点です。
辞書等のない時代にいろんな人・ルート経由で少しずつ入って来た漢字の当てはめに、思考錯誤する期間が長かったのは仕方がないことです。
物品の名前と違い國の制度は微妙に違うので(相手の制度も変わるしこちらも変わるなど)制度が安定するまではくるくる変わっても仕方がないでしょう。
日本では将軍の名称が同じでも、鎌倉・室町初期・室町末期・江戸時代の将軍は、時代・時期によって権力構造はまるで違うことが明らかです。

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