失業中の浪人でも長屋などに落ち着くと、生活手段にある程度見通しがついた状態ですから、一応根を下ろしたものとして寄留者に昇格していたのかも知れません。
寄留者になる前の状態を何と言うのでしょうか?
寄留前は胞子がふわふわしている状態に擬せられるとすれば、寄留になる前は浮浪者・浮浪人と言ったのでしょうか?
浮浪者と浪人の違いは何でしょうか?
浪人とは長期休職中の失業者を現在では意味するようですから、それなりに前向き・・・今の受験浪人が最もポピュラーな存在ですが、進学する予定もなく無職でぶらぶらしてたむろしている少年とは違い受験浪人は前向きですから、働く気がなくなった浮浪者よりはもう少ししっかりした印象です。
公園などに寝泊まりしている人を浮浪者と言うのは浪人に「浮」を上乗せしてふわふわした(求職意欲を持たない)印象を現した熟語になって定着したのでしょう。
親元にいる少年がプラプラしていても浮浪者とは言わないので、借家であれ何であれ、住む家の有無(毎晩寝る所が決まっていても公園の一隅では駄目です)が大きな要素になっているようです。
定住社会が長かった我が国では、人と土地の親疎・定住の度合いによって区分し、他所者その他定住の度合いに応じたいろんな呼び方が発達したのかもしれません。
ところで、戦闘員としての武士が退職した場合、就職先となれる一定地域の支配者が乱立していない限り再就職先は一人しかいませんから、そこから解雇・退職すれば、その領域内にいたのでは再就職先がありませんので、その地域から出て行くしか生きて行く道がありません。
職を求めて他国に出てウロウロしている状態になるのがほぼ100%ですから、その状態を浪々の身=浪人と表現したものと推測されていますが、これは現在から推測で言っているだけなのか、当時からそのよう言っていたのかについては疑問があります。
戦国時代や経済活動の活発な時代には、武士に限らず組織から離脱しても直ぐに再就職や自分で一定のグループを作ったり独立自営出来たので、失業期間が短かったのですが、経済活動が停滞すると退職=長期失業に直面するようになります。
江戸時代中期以降は経済活動が停滞していたので各大名家もリストラ含みですから、一旦主家から離脱すると再就職が望み薄ですので、一時的失業を意味するよりは、その人自体の属性・一種の身分にまで変化して「浪人」と言う一種の身分呼称が形成されて行った印象です。
浮浪者と浮浪人の違いにも繋がりますが、「者」は「人」に比べて一時的な意味合いが強い・・何時でも立ち直れる・・意欲を持ち直して欲しい社会の期待があるのでしょうか?
これに対して浪「人」となると、もう這い上がる見込みない・・ずっと浪人のままと言う烙印を押されたことになるのでしょうか?
現在の用法でも、生産「者」も大多数の場面では消費「者」ですし・消費者もある場面では供給者になりますし、今日の勝「者」は明日の敗「者」とも言います。
観覧者、鑑賞者やラジオ聴取者、入場者、出演者、退場者も一時的な区分けに過ぎず、人の属性ではありません。
「者」は、いつでも立場の入れ替わる一時的立ち位置・・現在何かを「している人」を意味しています。
これに対して日本「人」が突如アメリカ「人」に簡単に入れ替わることはないし、入場・乗車料金の基準である小人と大人も簡単に入れ替われません。
今では簡単に移住出来ますし国籍変更も簡単ですが、それでもどこから来た人かが重視されますので地域属性は簡単に変わらないことを前提にして、どこそこの「人」大阪の人京都の人、千葉の人と言うのですが、将来移住が頻繁になって来ても神戸者、千葉「者」東京「者」埼玉者、奈良者とは言わず、広域化した呼び方・・首都圏人、中部圏人、大阪圏人と言う呼称に広がる程度でしょう。