医薬品など何万回も治験を繰り返した結果の流通でも、なお大きな副作用が起きますし、新製品も実際に稼働してみなければ、分らないことが多いのが普通・・完全無欠のシステムなどはあり得ません・・。
実働中に不具合が出れば直して行くのが普通です・・法制度も施行後4〜5年経過で見直し規定をおいているのが普通で、完全無欠な制度設計サーバー等設置者が予め机上の実験でどんなに工夫してもどこかに穴があります。
LED信号機に変えてみると雪が溶けなくなって、信号の色が見えなくなったと言う報道がありました。
サイバーテロは、不具合を見つけて修正提案するのではなく攻撃する方に回ることが特徴です。
サイバーテロや租税回避・・法網をくぐる目的で研究する人は、企業で言えば不具合があると、社内で改善提案する前に対外発表して会社の信用を落とすのを狙っている社員のような存在です。
企業側や税務当局は、サイバー攻撃・租税回避を受けて防御方法を後追い的に改善する繰り返しですから、攻撃側のサイバーテロや法網をくぐる方が、原理的に先行する・有利な戦いになっています。
しかもサイバーテロの有利性は、やって見て失敗すれば、その方法での攻撃を断念し、また新たな方法を何回でも実験出来ることです。
ある家の塀を乗り越えたりカギを壊そうとして失敗した場合、通行人に見とがめられたりして・・その段階で住居侵入の既遂で足がつく心配が多いのですが、サイバーテロの場合、いろいろ試みている段階では何の犯罪にもなり難い点が大違いです。
「変な知らないメールには気を付けましょう」と言う呼びかけが知られていますが、被害者予備軍の人や企業は、それをクリックしないで済ます程度であって、自宅の塀を乗り越えている人を見つけた場合のように、警察を呼んだりしません。
従来型犯罪でも、目標を決めるために道路をうろつくだけでは検挙出来ませんが・・それでも事前情報として後に犯行があった場合の手がかりにはなります。
さらに塀を乗り越えたりカギを壊そうとしているところを発見すれば検挙出来るのですが、サイバー攻撃の場合、近くをうろつくとか、塀を乗り越えるような外形的段階がはっきりしないので、侵入成功しない限り発覚し難いので成功するまで何回でもちがった方法で試みられます。
攻撃の前段階での規制・取締強化策こそが、犯罪実行を未然阻止出来る有効な方法ですが、サイバーテロの場合、合法行為と違法行為の外形的区別が難しいので、これに対応する方法がまだ見つかっていません。
犯行に着手したかどうかの基準として、私の場合、刑法では「定型説」で勉強しましたが、サイバーテロではいわゆる定型が見いだし難い・・・・何が定型かは、判例の事例集積を待つのが普通ですが、技術が日進月歩なのでしょっ中新たな犯罪定型を決めて行く必要があって、後追いが目がマグるしくて間に合いません。
ソモソモ定型説は、同様の犯行パターンが繰り返される前提・住居侵入等や空き巣、スリ、置き引き、車上荒らし等の命名自体が、大量に同様パターンが繰り返し発生することを前提にしていますが、サイバーテロの場合、1回の犯罪で被害甚大ですので、1回の被害で大方防衛体制が整うので、(次のは違った侵入手口を工夫してきます・・同じ犯行パターンが何百回も繰り返されることは考えられません。
コンピューターの発達前には、100万人に数十人程度の不心得者(こそ泥)がいても大したことがありませんでしたし、繰り返し(振り込め詐欺など顕著です)同種犯行が起きる前提で警察も対処してきました。
ベネッセ情報被害で言えば、一人のハッカー(と言えないほどの単純犯罪ですが・・)が小遣い稼ぎ目的にデータを盗み出しても大被害を引き起こせる時代です。
この程度の犯罪は(直前行為である入退室管理や、収益に着目したデータ買い取り業者の厳罰化など)従来型対応である程度対応可能ですが、収益目的ではない国家組織によるデータ改ざんによる撹乱目的などの場合、犯行後の行動からの締め付け・・買い取り業者処罰が奏功しませんし、データ侵入直前行為の定型化を計るのは・・技術が日進月歩ですから非常に困難です。
どんなに規制を精密化してもその先、先を行く犯罪集団には叶いませんので、結局は国民の道義意識の向上を図る必要があります。
買い取り業者処罰強化したり国民道義意識が向上しても、外国政府系が国家機密入手目的で行なっているハッカーにはいまのところ、効果がない状態です。
2015/06/16「中国の国際ルール破り4(人としての価値観未発達3)」まで、中国のマイナス道義心が国際関係撹乱要因になっていることを書いている途中で話題がそれていますが、その内このテーマに戻ります。
今では、法に触れなければ良いという意識が蔓延して来て、法網をくぐるのに成功した税理士や弁護士が腕が良いと賞讃される傾向が広がっているのは、おかしなものです。
・・「法網をくぐる」のに成功した法律家が「対国税訴訟連勝」などとマスコミで英雄扱いされている社会になりつつあるのはおかしいと思いませんか?
しかし本来の価値観の流れで言えば、逆に法を駆使すれば何をしても良いと言う無価値的行動が批判されるべき時代が始まろうとしています。
7月4日まで紹介した租税回避に対する国際的潮流やテロ指定団体の金融取引その他からの閉め出し運動がその始まりと見るべきです。