精神障害判断(エピソード重視リスク)1

精神病以外の病気の場合、診断や手術ミスかの認定には医師単独で完結しない多くの関与者作成の手術直前の時系列に従った客観データ・体温や脈拍、血圧・血液検査の結果数値や画像の外検体自体が残っていることが多いのですが、精神病の認定や隔離入院判断の場合客観補強データとしては利害関係者のエピソード供述しかなく、診断にあたって、本当に過去にそう言うエピソードがあったかの関心で医師が補強証拠を検討しているように見えません。
一般医療の現場で考えれば、「昨日何時ころからどこそこが痛み始めて今朝我慢できなくなってきました」という説明が嘘かどうかで検証している暇がないし痛くてきている本人の説明を疑う必要もないのでどこそこが「痛い」という説明を信じてその説明に応じた診察(触診や検査)を始めるしかないのが現実ですからそれで良いのでしょう。
精神障害による強制入院のうち措置入院の場合、文字通り強制収容(人権侵害の最たるもの)ですのでいわゆる自傷他害の要件該当性判断が必須で、多くは具体的近隣相手の暴力行為があって警察通報に始まる事件が中心ですので、エピソード自体の客観性が事実上保障されていますし、障害があることにより自傷他害の恐れの認定に際し指定医2名の判断が必要なので判断自体の客観性もある程度担保されています。
問題は入院の大多数を占める同意や保護入院です。
まず措置入院制度を紹介しておきます。
これだけ始まりが厳重な制度設計でも一旦強制入院させたら永久入院で良いのではなく、実務上数ヶ月経過での再審査が必要になっています。

精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(昭和二十五年法律第百二十三号)
第五章 医療及び保護
第一節 任意入院
第二十条 精神科病院の管理者は、精神障害者を入院させる場合においては、本人の同意に基づいて入院が行われるように努めなければならない。
第二十九条 都道府県知事は、第二十七条の規定による診察の結果、その診察を受けた者が精神障害者であり、かつ、医療及び保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認めたときは、その者を国等の設置した精神科病院又は指定病院に入院させることができる。
2 前項の場合において都道府県知事がその者を入院させるには、その指定する二人以上の指定医の診察を経て、その者が精神障害者であり、かつ、医療及び保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認めることについて、各指定医の診察の結果が一致した場合でなければならない。
3 都道府県知事は、第一項の規定による措置を採る場合においては、当該精神障害者に対し、当該入院措置を採る旨、第三十八条の四の規定による退院等の請求に関することその他厚生労働省令で定める事項を書面で知らせなければならない。
4 国等の設置した精神科病院及び指定病院の管理者は、病床(病院の一部について第十九条の八の指定を受けている指定病院にあつてはその指定に係る病床)に既に第一項又は次条第一項の規定により入院をさせた者がいるため余裕がない場合のほかは、第一項の精神障害者を入院させなければならない。
第二十九条の二 都道府県知事は、前条第一項の要件に該当すると認められる精神障害者又はその疑いのある者について、急速を要し、第二十七条、第二十八条及び前条の規定による手続を採ることができない場合において、その指定する指定医をして診察をさせた結果、その者が精神障害者であり、かつ、直ちに入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人を害するおそれが著しいと認めたときは、その者を前条第一項に規定する精神科病院又は指定病院に入院させることができる。
2 都道府県知事は、前項の措置をとつたときは、すみやかに、その者につき、前条第一項の規定による入院措置をとるかどうかを決定しなければならない。
3 第一項の規定による入院の期間は、七十二時間を超えることができない
第二十九条の四 都道府県知事は、第二十九条第一項の規定により入院した者(以下「措置入院者」という。)が、入院を継続しなくてもその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがないと認められるに至つたときは、直ちに、その者を退院させなければならない。この場合においては、都道府県知事は、あらかじめ、その者を入院させている精神科病院又は指定病院の管理者の意見を聞くものとする。

ガイドラインでは概ね3ヶ月に一回この判断のための診察をするようになっているようです。
医療観察法の事件で医師と面談した時に聞いたのかいつ聞いたか不明ですが、自傷他害の恐れは興奮状態のものなので、興奮を鎮める薬投与(が発達しているの)ですぐ興奮は治るので3ヶ月もたってまだ恐れがあるというのは一般的に無理があるが服薬をやめるとすぐ再発する可能性がある・・問題は退院後も服薬指導に応じるかどうかが重要とのことでした。
医療観察法による強制入院の場合、退院後の強制通院制度もあるので素人的には完全体制のような印象でしたが、同意という名の任意や準任意入院の場合、服薬を嫌がる人の場合、どうして良いかの制度問題があるというイメージでした。
違法収容されていると主張して治療に不満がある場合、退院できれば服薬指導に応じないのが普通ですので、これが悩みの種でもあるようです。
無罪主張で判決が有罪認定になった場合、犯罪を冒した反省の情がないことを理由に刑が重くなるのと似た関係です。
実数で言えば、本当の人権侵害事件は万に一つあるかないかで本当に精神障害があるのに病状を自覚しない患者の方が多いのでしょうが、(自覚していても入院生活に不満な場合も多いでしょう・狭い空間に拘束されて気持ちの良い人はいません)だからと言って、患者とはそういうものだと決めつけるのも危険です。
20条で同意入院原則が書かれていますが、実際に自分から進んで入院したい人が少ない前提で医療保護入院という制度が用意されています。
従来保護義務者同意でしたが最近家族一人の同意でも良くなり、これも身寄りのない者などの例外も揃っています。

法人3(自然村と法律村)

話題を法人に戻します。
法人は前もって存在目的やそのような組織にするための設計を定めないと成立自体ができないと書いてきましたが、この考え方はロボットその他人工物は前もって存在目的や目的実現するに足る機能を備えたものであるという設計図?と機能等を定める必要がある点は同じです。
建物は建築前に用途を決めて、その目的にあわせて基準法に合致した設計図を揃えて新築(生まれてくる)されます。
ところで視点を変えると人間の場合もDNA(建物の設計図?)で実は生まれる前からいつ頃こういう病気になるとか役割が決まっているとすれば、今の所それこそ「神の領域でしょう」とすぐ思いたくなるのが凡人である私の習癖ですが、実存哲学では「神は死んだ」というニーチェの宣言を前提に発達した思想のようで、「神にお任せ」と言えない点が厄介です。
身体障害で生まれた子も、「自分で運命を切り開いて行くべき」となりますし、生まれつきの虚弱者に限らず劣悪環境も「運が悪かったと開き直るのでなく)自分でどうやって切り抜けて行くかの知恵次第・可能性を提示したのは実存哲学の功績ですが・・みんながみんなそういう能力があると限らないのが辛いところです。
もちろんそのハードルを下げるための社会的底上げ政策は必要ですが・・。
それは健常者や社会的成功者による所得分配→インフラ整備によるので、(卑近な例で言えば駅にエスカレーターやエレベータの設置、障害者用トイレ設置普及率)結果的に豊かな社会で生まれるか貧困地域で生まれるかの運次第ともなります。
インフラだけでは異性から愛されるかの究極的願望は解決できません。
個々人の生き方の蓄積が人格形成するのですが、インフラは画一的平等化を進めるもののヒトは他者との違い・・個性を重視するものですから個性・他者との違いをどのように形成するかは、文字どおりDNAによるところ大です。
これが劣っているために誰からも愛されない状況に陥ると政治の力で解決するのは不可能です。
モテない男にとってはサルトルのいう自由刑に処せられている牢獄に生きるようなものでしょう。
サルトルとボーボワールは実存・自己実現競争社会の勝者として、一世を風靡したので若者にはまぶしかったというべきです。
(異性にモテる人よりモテない方が多数です)その矛盾を直感的に感じている若者に対して(パリでのカルチェラタンの占拠学生運動)彼は「既存秩序をぶち壊せ!」社会活動扇動によって落ちこぼれる若者の不安に応えたのでしょうか?
昭和40年代前半の世界で吹き荒れた「荒れる大学の時代」が終わって彼ら夫婦?の偶像がしぼんで行ったと見るべきでしょう。
唯物史観・・下部構造が概ね上部構造を規定していく面があるとしても、これに対すr反動もあれば金融政策や財政出動等で景気下降を防ぐなどのいろんな修正要素があるように実存哲学もある一面の真理を表しているに過ぎなかったのでしょう。
話題を人工物に戻します。
ビルも飛行機や車も薬品も民間の創意工夫によって新製品が生まれるとしても、最終的に商品として世に出るには、国家が決めた基準に合致する申請をして許可を受けて初めて出荷や建築可能です。
このように(物品であれ法人であれ法制度であれ)人工のものはAIによって動くロボットやドローンであれ、概ね国家が認める方法によって製造され完成品検査を受けて合格して初めて流通するというか、規格品になります。
国家が関知しない製品もありますが、それは自由に任せても大した危険がないから許容範囲として細かいことまで許認可を必要としないだけです。
人間の場合、妊娠前に国家の許可がいらないし、生まれてから完成検査を受けて問題ないと合格して初めて人間になるわけではありません。
障害者も貧困者も生きる権利があります。

憲法
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
○2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
このように人としての権利主体性があるとしても、法人と人とはだいぶ違うので法人制度ができる前の人を法学上「自然人」と言い、法の定める規準規格合致で初めて権利主体となれる法人と区別しています。
明治以降の村をその道の専門家が行政村といい、村に昇格する前および、昇格しなかった集落を自然村ということをFeb 18, 2020 12:00 am「さと」(郷と里)2(村)で紹介しましたが、自然人と法人の区別に関連する関心からいえば、行政上の村?と言うより法律上の村と自然村と区別すべきかと思われます。

ヘイトスピーチ6(我が国法律上の定義2)

現行法を見ると「差別的言動」の中身に言及できない上に、差別的言動に該当したらどうするのかを書いていない・・前文では「不当な差別的言動を許さない」と宣言する」のですが、「人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進」するだけのようです。
直接規制はこれまで書いてきたように、いきなりやるのは無理が有りそうなので、(当面?)「取り組み推進」となっていて何かを規制するという法律ではありません。
それでもこの法律が成立するとこの法で宣言された基本理念をもとに、行政が自信を持って行動できるようになったことは確かです。
すぐに川崎市では、公的施設利用拒否されるなど相応の効果が出ていますし、デモ行進場所も在日の多い地域を除外しての許可になったような報道でした。
https://mainichi.jp/articles/20160531/k00/00e/040/191000c

毎日新聞2016年5月31日 12時43分
在日コリアンを対象にヘイトスピーチを繰り返している団体に対し、川崎市は31日、団体が集会を予定している市管理の公園の使用を許可しないと通告したと発表した。ヘイトスピーチ対策法が今月24日に国会で成立したことなどを受けた措置。ヘイトスピーチを理由に会場の使用を許可しないのは全国初とみられる。

法律でうたっているのは、「人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進」するだけのことであって、なんらの取り組み努力もなしに、法成立後わずか1週間で使用不許可・・実力行使したのは表現の事前禁止?になるのか?行き過ぎの疑いが濃厚です。
この法律による規制ではなく、法成立の勢いを借りてやった印象です。
この評価意見はちょっと見たところ以下の
https://togetter.com/li/982640
高島章(弁護士) @BarlKarth 2016-06-02 13:52:58
に出ています。
言論の自由に敏感な筈のメデイア界や憲法学会が(支持基盤に利益であれば?)一切論評しない印象ですが、国民の空気に乗っている限り法理論抜きで何をしても良いかのような対応では憲法や法律学・・人権保障論は不要です。
行政機関が、言論発表の内容を事前審査して(事前検閲は原則として憲法違反)世論動向を読んで使用不許可できるのではおかしなことになります。
法は、このような強権規制を前提としない今後の教育目標にすぎないから、「差別的言動」自体の内容定義すらない条文で終わっている・・・のに、理念宣言法の成立による空気を利用して直ちに表現自体の直接規制が許されるとすれば「差別的」とは何かについてもっと議論を詰める必要があるでしょう。
法で容認されたのは「人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進」とあるように時間をかけて国民合意を形成するべき努力宣言ですから、逆からいえばまだ「ヘイトとは何かについて)国民合意ができていない宣言です。
このように現場で規制が先走り始めると今後の啓発目標に過ぎないから「定義が曖昧でも良い」とは言い切れません。
竹島を返せとか、特別在留者という「特別身分?」を廃止すべきかどうかの議論をする程度では、国内政治論であって、差別言動にならないように見えますが、これなどもその「会場参加者が突発的にヘイト発言する可能性が高いから」と、あらかじめ会場利用拒否.集会やデモ行進禁止できることになるのでしょうか?
あるいはヘイト発言が始まると即時に発言禁止・集会解散を命じる・・戦前特高警察が常時集会を監視していたような時代が来るのでしょうか?
戦前の特高警察の場合でも、発言しないうちはわからないので、集会自体を開催できて途中現実の発言があってからの制止でしたが、川崎の事例は発言すら始まっていない段階の会場利用自体を拒否ですから、いわゆる事前規制ですから戦前すらしていなかった過激規制です。
過激発言が過去にあった場合、今度も同じ発言する可能性があるとして、あらかじめその人の口を塞ぐ規制が許されるでしょうか?
要は憲法学の定説である事前規制に要する「明白かつ現在の危険」の法理をどのように担保するかの問題です。
実際の経験で「日頃に似合わず、あの人今日は静かだったね!と言う事が幾らもあります。
そもそも暴力行為等を標榜しない政治意見表明の集会にすぎない・・「ヘイトになるかもしれない」という程度の場合、それが「現在する危険」と言えるかの疑問があります。
デモ行進の場所を在日集落付近を避けるよう(在日の密集地帯付近を行進中に暴徒化リスクが高いので不測の事態が起きないように)にコース指導したと言われる県警の判断は合理的印象ですが、会場使用と危険性とは関係が遠すぎる印象です。
特定犯罪に直結するような集会・・例えば〇〇糾弾集会で副題で、糾弾し反対している政治家の家に押しかけるテーマのように具体的害悪提示のスローガンの集会を開くような場合にはその政治家近くの公園での集会は「明白かつ現在の危険」として不許可処分も合理的ですが、抽象的な在日批判集会の会場参加者が「〇〇を日本から叩き出せ!というような過激発言したとしても、参加者が自己満足しているだけで具体的危険性がありません。
取り組み推進過程で支持者を広げるための街頭活動など、その時の発言次第で微妙になりますが、紳士的活動の範囲内であれば、表現・政治運動の自由を制限するほどの問題ではないでしょう。
韓国の竹島不法占領批判集会や運動は、在日韓国人には嫌なことだから集会や運動をすべきではないとなっていくのかなどの批判がされていますが、条文を見るとこれらもそのついでに過激な(行き過ぎた「出て行け」などの)感情的批判をしなければ良いことで、韓国批判の集会を開くこと自体が制限される心配はないはずです。
従来の憲法論からいえば、その集会参加者の一人二人が、いきなり過激意見をぶった場合でもそれはその後の市場評価に委ねるべきであって、その程度の可能性を理由に事前検閲・・会館利用不許可あるいはデモ不許可になるのは行き過ぎです。
今回の騒動によって在日は焼け太りしたかのような批判があり、この法律制定に尽力した政治家が批判されていますが、内容を見ると穏健な内容です。
彼らの期待に応えるかのようにちょっとした韓国批判集会でもひらけないような過剰反応が現場自治体でもしも次々と起きる・(幸い日韓合意成立によって一定の沈静化に成功したので今後嫌韓運動の下火になっていくでしょうが)一方で韓国の反日攻撃がおさまらない場合には、不満が潜行するようになって大変なことになります。
4〜5日前にカズヤとかいう若い人のユーチューブ動画が、政治意見を述べているだけなのに、ヘイト発信しているという集中的攻撃によって、(一定件数の苦情があれば自動的に一旦削除する仕組み?)一方的発信削除されていた件で、機械的取り消しが誤りであったとしてネット再開された途端に僅か1日で50何万件とかの会員登録があったという説明がありました。
このような法律ができたのに便乗して、特定ブログ等に対して「ヘイトの拡散動画」という集中的攻撃をすると自動停止削除する仕組みを利用した攻撃らしいです。
上記の通り対韓国関係で政治意見が気に入らない相手にはヘイトとして攻撃できる副作用を早速生じさせているようですが、これが(日本不安定化を目指す勢力の工作によって)どこまで広がるかによって、社会分断化が進むリスクがあります。

ヘイトスピーチ5(我が国法律上の定義)

現行法の紹介です。
法律名が長くて(ヘイト規制法など)簡略な名称化の難しい法律名です。
それだけにヘイト規制の難しさが反映されていると思われます。
そもそも「規制」という単語すらありません。
論争が決まっていないことから歯切れの悪い条文となっていますので、条文全部みないと、この法律で何が事実上規制されるようになったかがはっきりしないので、引用が多すぎる嫌いがありますが、大方の条文を紹介しておきます。
私の理解では、これまで書いてきたように、「差別的言動は良くない」ことを宣言した意味がその限度で大きな効果があり、(公的施設使用拒否の根拠法となる?→さらにはデモの許可基準にも発展する?)一方で道義心向上に取り組む教育必要性を宣言したような法律です。
ヘイト禁止を推進してきた革新系は長年道徳教育反対論ですが、結果的に少数民族(在日)保護のために特化した「道徳教育?」が必要として道徳教育を推進することになったようにみえます。
これまでの思想の自由市場論の例外として「地域からの排除目的の表現」は市場原理に委ねない分野とし、規制対象となる能登同様に教育現場でも「地域からの排除論に限定した道徳教育」を求めるようになったことは確かでしょう。

http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=428AC1000000068

本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(平成28年6月3日法律第68号)
前文
我が国においては、近年、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、適法に居住するその出身者又はその子孫を、我が国の地域社会から排除することを煽せん 動する不当な差別的言動が行われ、その出身者又はその子孫が多大な苦痛を強いられるとともに、当該地域社会に深刻な亀裂を生じさせている。
もとより、このような不当な差別的言動はあってはならず、こうした事態をこのまま看過することは、国際社会において我が国の占める地位に照らしても、ふさわしいものではない。
ここに、このような不当な差別的言動は許されないことを宣言するとともに、更なる人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に向けた取組を推進すべく、この法律を制定する。
第一章 総則
第一条 この法律は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消が喫緊の課題であることに鑑み、その解消に向けた取組について、基本理念を定め、及び国等の責務を明らかにするとともに、基本的施策を定め、これを推進することを目的とする。
(定義)
第二条 この法律において「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」とは、専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において「本邦外出身者」という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動をいう。
(基本理念)
第三条 国民は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消の必要性に対する理解を深めるとともに、本邦外出身者に対する不当な差別的言動のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない
(国及び地方公共団体の責務)
第四条 国は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関する施策を実施するとともに、地方公共団体が実施する本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関する施策を推進するために必要な助言その他の措置を講ずる責務を有する。
2 地方公共団体は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組に関し、国との適切な役割分担を踏まえて、当該地域の実情に応じた施策を講ずるよう努めるものとする。
第二章 基本的施策
(相談体制の整備)
第五条 略
(教育の充実等)
第六条 略
(啓発活動等)
第七条 略
一般に言われるヘイトスピーチ規制法の定義は人によって幅があるとしても、この法律では「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」の解消に向けた取り組み推進に関する法律です。
そして、差別的言動の対象を本邦外出身者に絞った上で、「不当な差別的言動」の定義を見ると「差別」自体の国民合意ががはっきりしないので差別「的」言動として逃げてしまい、地域排除等の目的から絞るものの、厳しい規制には無理があるので、解消に向けた人権啓発・教育に「取り組み推進」する程度となっています。
(1) 対象を「適法に居住する・・本邦外出身者」に対する差別的言動に限定し
(2)「差別的言動」とは
① 目的による絞り
「本邦外出身者に対する差別的「意識」を助長し又は誘発する「目的」に限定
② 方法・態様の絞り
a「公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は 本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、」
b 本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動」

となっていて判り難い定義ですが、上記ab 間には「など、」となっているので前段を例示として(「などにより」)「排除することを扇動する不当な差別的言動」と一体的解釈することになるのでしょうか?
それともabで独立の要件なのか人によって解釈が違うかもしれません。
独立要件であれば、aだけでbの「扇動」しなくとも該当しますが、一体であれば、侮辱的言動等があっても扇動しなければ良いように読めます。
実際的にも、個人的争いでたまたま罵ったとしても、地域排除の扇動でなければ一般的な名誉毀損や脅迫等に該当するときの処理で足りるでしょう。
普通の喧嘩まで外国人に限って特別保護する必要がありません。
bは「差別的言動」の定義規定の中に「・・を扇動する不当な差別的言動」というのですから、「差別的言動」自体の意味解説がなく、その定義は国語的に決まっている?前提で・・・家柄、身長体重、性別、人種、学歴その他さまざまな差別的言動がある中で「地域社会から排除することを扇動する」(ような)「不当な差別的言動」に限定すると読むべきでしょうか?
以上のように読むと、かなり要件が絞られていて、在日系批判が網羅的にマイナス評価されている訳ではなさそうです。

立憲主義4(憲法と法律の違い2)

憲法のプロパガンダ性(我々の法学概念ではプログラム規定説)の例を挙げておきましょう。
現行憲法の「健康で文化的な・・生活」の条文については「個別法律がない限り個々の請求権ではない」という最高裁判例になっています。
以下は、いわゆる朝日訴訟・最高裁判決の(最高裁ホームページ)一部引用です。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=54970

「憲法二五条一項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定している。この規定は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではない(昭和二三年(れ)第二〇五号、同年九月二九日大法廷判決、刑集二巻一〇号一二三五頁参照)。具体的権利としては、憲法の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法によつて、はじめて与えられているというべきである。生活保護法は、「この法律の定める要件」を満たす者は、「この法律による保護」を受けることができると規定し(二条参照)、その保護は、厚生大臣の設定する基準に基づいて行なうものとしているから(八条一項参照)、右の権利は、厚生大臣が最低限度の生活水準を維持するにたりると認めて設定した保護基準による保護を受け得ることにあると解すべきである。もとより、厚生大臣の定める保護基準は、法八条二項所定の事項を遵守したものであることを要し、結局には憲法の定める健康で文化的な最低限度の生活を維持するにたりるものでなければならない。しかし、健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な相対的概念であり、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて向上するのはもとより、多数の不確定的要素を綜合考量してはじめて決定できるものである。
したがつて、何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあつても、直ちに違法の問題を生ずることはない。」

このような今でいう公約・スローガンや宣言程度の意味に過ぎない憲法条項をプラグラム規定とも言いますが、憲法13条の生命、自由及び幸福追求権なども同じです。
ヘゲモニー争いの合間に短期間に出来上がった憲法は、盤石の体制になってからじっくりと作った家訓と違いなおさら安定性の面で弱点があり、これをカモフラージュするために、修飾語が過剰になる傾向があります。
「天賦不可譲の人権であって、何人も冒すことできない」など・・過激な表現解説が多いのはこのせいと見るべきでしょう。
日本でいえば列島民族始まって以来初の敗戦ショック・・本来一時的な一億総興奮状態下で長期に国民を拘束するべき憲法を制定すること自体無茶でした。
しかも外国軍占領下での短期間での憲法制定でしたから二重に無理があります。
制定経緯を外形だけから見ても以下の通りです。
昭和20年8月15日降伏受諾宣言〜その後の降伏文書署名式(1945年9月2日)等を経て占領支配が始まったのですが、憲法の公布が翌21年11月3日という早業ですから国民の声どころか各界各層の意見を聞く暇もなかったでしょう。
各地の意見聴取もなく?政党間の議論もなく、占領軍との密室協議だけで、わずか2ヵ月あまりの審議で衆議院本会議通過です。
しかも対応すべき国会議員自体が、敗戦後の混乱の中で昭和21年4月の選挙で当選したばかりで、新規参入の多い状態・いわば・1年生議員・素人議員が多くを占めていて、わずか2ヶ月の審議で内容の議論ができたの?という状態です。
http://showa.mainichi.jp/news/1946/04/22-114e.html

新選挙法で初の総選挙(第22回総選挙)
1946年04月10日
選挙権者の年齢を25歳から20歳に引き下げ、女性参政権を認めた改正選挙法のもとで戦後初の総選挙が行われた。自由党が141議席を獲得して第1党に。投票率は男性79%、女性67%に達し、高い関心を集めた。39人の女性代議士が誕生し、モンペ姿で初登院した新人議員もいた。9月には地方議会への女性参政権も認められた。

初当選者については、上記に政党別人名記載がありますので、合計してみると(女性を含めて)466名中343名で、返り咲きが51名です。
残りの72名が、前回からの連続当選となります。
以下のとおり議会に付託されてからも、手続きで約1ヶ月かかり7月23日小委員会が作られ、7月25日から実質審議に入って8月には本会議通過ですから、ほとんどGHQの草案をどうするか程度の世間話(まともな討論を出きないので感想を述べあうこれが懇談会形式にするしかなかった背景でしょう)しか出来なかった実態が外形から見えてきます。
http://www.ndl.go.jp/constitution/gaisetsu/04gaisetsu.htmlによると憲法制定の経過は以下の通りです。

第4章 帝国議会における審議
・・1946年4月10日、女性の選挙権を認めた新選挙法のもとで衆議院総選挙が実施され、5月16日、第90回帝国議会が召集された。開会日の前日には、金森徳次郎が憲法担当の国務大臣に任命された。
6月20日、「帝国憲法改正案」は、明治憲法第73条の規定により勅書をもって議会に提出された。6月25日、衆議院本会議に上程、6月28日、芦田均を委員長とする帝国憲法改正案委員会に付託された。
委員会での審議は7月1日から開始され、7月23日には修正案作成のため小委員会が設けられた。小委員会は、7月25日から8月20日まで非公開のもと懇談会形式で進められた。8月20日、小委員会は各派共同により、第9条第2項冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を追加する、いわゆる「芦田修正」などを含む修正案を作成した。翌21日、共同修正案は委員会に報告され、修正案どおり可決された。
8月24日には、衆議院本会議において賛成421票、反対8票という圧倒的多数で可決され、同日貴族院に送られた。
貴族院における審議と憲法の公布
「帝国憲法改正案」は、8月26日の貴族院本会議に上程され、8月30日に安倍能成を委員長とする帝国憲法改正案特別委員会に付託された。特別委員会は9月2日から審議に入り、9月28日には修正のための小委員会を設置することを決定した。
小委員会は、いわゆる「文民条項」 の挿入などGHQ側からの要請に基づく修正を含む4項目を修正した。10月3日、修正案は特別委員会に報告され、小委員会の修正どおり可決された。修正された「帝国憲法改正案」は、10月6日、貴族院本会議において賛成多数で可決された。改正案は同日衆議院に回付され、翌7日、衆議院本会議において圧倒的多数で可決された。
その後「帝国憲法改正案」は、10月12日に枢密院に再諮詢され、2回の審査のあと、10月29日に2名の欠席者をのぞき全会一致で可決された。「帝国憲法改正案」は天皇の裁可を経て、11月3日に「日本国憲法」として公布された。

 

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