自民族言語表現・文化の重要性4(近現代用語を日本に頼る中韓1)

ソ連では政府自身が何千万と餓死させながら穀物輸出して共産主義政権が大成功していると虚偽発表していましたし、中国も戦後「大躍進」と称して、実際には数千万〜5000万人の餓死者を出していたことが今になると常識になっています。
個人でも共通ですが、不都合・遅れている状況を隠すときに政府による虚偽発表→鉄のカーテンが起きる現象です。
上の道義が低いと下々もこれに倣います。
日本は古代から外来技術が入ってくるとマルゴト導入ではなく日本の在来概念を組み合わせて、それに適した言語を創設してきました。
蒸気船〜蒸気機関車、自動車、自転車、飛行機や航空母艦などがその1例です。
機械類に限らず新しい考え方・思想的熟語・社会の仕組みに関する用語、法律用語も同じです。
清朝の方が日本より数十年早く西欧に接していたのに、西洋の文物技術(新概念)をまともな漢字熟語に翻訳できていなかった事実から見ると、中国では・・漢字発祥の民族とは言え、多分先進社会用語を自民族で翻訳用語を創作する能力が、日本より低かったのでしょう。
文化格差が有り過ぎる場合、自民族用語に翻訳したくとも自国に高度な対応語がないので無理があります。
この点、日本では江戸時代から堂島には米相場があったし、手形取引も発達していたなどのほか藩札があるので紙幣の流通→両替(大阪は銀で江戸は金兌換ですから必然的に為替取引が発展しますし、遠隔地決済のために為替手形もできていました)もあるなどいろんな社会組織や制度が発達していた・学問的にもエレキテルの研究や数学や蘭学を通じて医学も発達していたなど有利な点があったでしょう。
文化格差があると自国言語に対応言語がない翻訳しきれない結果英外来語をマルごと導入しかなくなる・・西洋諸国でラテン語が約千年間も公用語であり続けた原因がここに有ります。
日本が幕末から明治にかけて欧米の近代用語をすべて自国の漢字熟語に変換して置けたのは、変換能力が高かった他にほぼ同水準の概念が国内にあったことにもよります。
他民族言語を自民族語に変換した歴史経験がない中国や韓国は日本の変換しておいた漢字熟語をそのままの流用で間に合う・自分で努力・創作する必要がなかったので効率が良かったし、英語圏に入らなくともなんとか現在社会がなり立っている状態です。
ただし韓国に限っては戦後すぐに7月20日に紹介したように、日本語のヒラカナに相当するハングル一本化してしまって、漢字教育廃止しているので、漢字をそのまま使えない不都合があると言われています。
専門家だけ漢字を使えば良いというのでは、それ以外の民度はどうなる?という疑問です。
公教育をやめても自発的に学ぶ意欲のある社会であれば別ですが、そうでないとその後漢字文化はジリ貧になって行きます。
7月20日に紹介したように、教育をやめてから一定期間経過すると漢字需要がなくなった結果・・新聞等のメデイアも漢字表記をやめてしまったと言うのですから驚きです。
漢字を読めない層が増えて商売ならない時代がすぐにくるのですから、?せっかく日本が統治期間に民度引き上げのために学校制度を普及させて教育して来のですが、朝鮮人の多くには、荷が勝ち過ぎていたのでしょう。
もちろん前大統領の父親のパク大統領のように、日本の教育制度に乗っかって(日本の士官学校出で日本陸軍での将校でした)頭角を現した人も一定率いますので、何回も書いているようにこのコラムではいつも比率の大きさを書いている・例外がないという意見ではありません。
韓国では漢字を日本文化と誤解して?日本敗戦後の優先課題としてすぐに漢字の公教育を廃止したのですが、その結果、すぐに漢字を読む層が商売にならないほど?消えてしまい、漢字を利用した新聞が成り立たなくなってしまった・・多くの国民が漢字教育に関心を持たなかった事実が重要です。
李氏朝の国家樹立後明や清の冊封体制下にあったとはいえ、独立性が高まった結果すぐに先祖帰りして行った流れが起きていたことと、日本敗戦後日本と交流を断固拒否していた間に7月28〜29日に紹介したように産業部門がどんどん落ち込んで行ったことを合わせて見ると外界からの半強制的学問や技術導入の流れがなくなるとすぐに元々の「地・民度」に戻っていく様子がわかります。
長いヤンパン支配下で、ヤンパンはエリート層として文字教育を受けていたでしょうが、それ以外の庶民が自発的に文字を習い考える気風が育たなかった土壌を見る思いです。
中国律令的価値観では、日本の武士ですら平安時代に描くところの裸足で歩き回る地下(じげ)人であって、このために江戸時代の朝鮮通信使は貴族層ではない武士を相手にするしかないと言って、(実態より形式重視)嫌がっていました。
以上は・・出典を記憶していませんが、小説か随筆か何かで読んだ記憶です。
日本の武士は鎌倉以来支配層として成長し、漢詩文の素養を積んでいましたし(太田道灌が恥ずかしく感じた故事)、江戸時代になると庶民まで子供を寺子屋に通わせたり芸事を習うなど自発的な文化吸収欲求の高い・・最下層で農作業現場系に関与する実務社会でも絶えざる自発的改良工夫の進む社会でした。
他方、朝鮮では、庶民には自発的な文字その他の文化を学びたい欲求が起きなかったのでしょうか?
庶民は文字による文化などを知りたいとは思わないし、社会生活上必要な工夫もしないで古代意識のまま生きて来たから民間から文化や技術が発達しなかったのでしょう。
日本統治になってからの朝鮮では、日本政府が庶民にまで学校に強制的に通わせたり、世界恐慌時に宇垣総督着任後には農村の窮乏を防ぐために学校にいけない子供には教育課程を緩くして学校に時間が空いて放課後に学校にくれば教える仕組みを作り出し農村教育では、「なせばなる」と言う徳目教育で農村で皆が集まって色んな農村の課題をみんなで考えさせたりした結果、とてもできそうもないように見えることでも、みんなで色々工夫して努力していると何とかなることが多い経験を積ませていた結果、徐々に自信を持ち成果を出すようになっていたと言われます。
せっかく身に付き始めた気風が簡単に先祖帰りてしまったのでしょうか?
大恐慌爺以降の記述は以下のとおりです。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/kankoku-hatten.html
「日本でも東北の農村では、農家のみならず、役場の職員、教員の給料が払えず、遅配、欠配が続いた。農家では自分の作った米を食べず、市場に出すため、ますます米の価格が低下し、売るものがなくなり、娘の身売りが続出した。この年9月に満州事変が勃発した。この原因の一つは、この農村の疲弊対策として、農民の移民先を求めたことである。
朝鮮の農民も自分で作った米は食べることができず、粟か稗しか食べられなかった。日本の農林省は「米の価格低下は、朝鮮米の無制限な移出が原因」と非難し、出荷の自粛を求めた。しかし他に有用な作物がない朝鮮では、農民の生活を維持するためには、高価な米を内地へ移出するしか方法がなかった。陸軍の応援で辛うじて米を自由に日本へ移出する事が認められたのである。
尚、この時期アメリカではフィリピンからの砂糖、椰子油の無制限な輸入に、アメリカ本土の砂糖や食料油の製造者が反発した。更にフィリピン労働者のアメリカ進出に危機感を抱く労働組合が同調し、フィリピンの十年後の独立が決定した。フィリピンの切り捨てである。日本とどちらが民衆の事を考えた施策だったであろうか。
「宇垣総督は着任後直ちに農村を視察し、農村振興運動をスタートさせた。日本における農村自立更正運動より僅かながら先行している。この運動で宇垣が最も主張したのは「心田開発」即ち心の持ち方であった。又宇垣に呼ばれ指導に当たった山崎延吉の指導理念は「奉公の精神、協同の精神、自助の精神」であった。セマウル運動との違いは奉公が勤勉に代わっただけである。」
「この文盲対策として1934年簡易学校の制度を発足させている。学校へ行けなかった青年に読み書き・算盤を教えるものである。生徒は農業の暇なときだけ来て、勉強するというやり方で、普通学校に併設し、普通学校の先生が兼務で教えたのである。」
以下明日に続きます。

民族文化の有無3(宗族血縁組織)

韓国の血族支配の財閥が勢威を振るっているのを近代的企業統治精神?を基準に批判する論調が普通ですが、血族・宗族発展のエネルギーを無視した意見では的外れな意見だと思われます。
韓国の財閥組織形態は戦前日本の財閥をモデルにしたものですが、日本の場合、三井,三菱、住友その他財閥見ても分るように直ぐに血族支配から脱皮していたのですが、韓国の場合いつまでたっても客観組織に変貌出来ないのは意識が遅れていると言うよりは、中韓では宗族血縁重視・地域社会・「公」の意識が育っていないと言うか元々存在しない・・価値観が違う・・民族国家その他の地域社会・共同体意識のない社会?であることを直視する必要があります。
周回遅れをバカにしていても良いですが、もしかしたらグローバル化に最も適しているのが宗族血縁意識民族かも知れません。
地域社会・・面としての固まりでないと生きて行けない組織体行動原理の場合、進出先で面としての地域支配権獲得が必須・・ですが、ツタやカヅラのような生き方ですと行く先の支配者が誰でも良い・・どこでも隙間があれば入り込みそこで根をはれます。
これが、華僑が世界中へ進出を容易にして来た生活習慣と言うか価値観です。
その内に最先頭の社会になる可能性もあります・・蔓草はミミズのように途中で断ち切られてもその先で根おろして更に発展して行ける・・テロによる交通切断などに強い組織です。
いわゆるグローバリズムの基礎ですが、つる草のようにお互い絡み合ってぐちゃぐちゃに棲息する社会が後1世紀もすると普遍化し、「民族国家?そんなもの昔あったな!」と言う時代になるかも知れません。
本国を必要としない点ではユダヤ系と似ていますが、華僑の場合宗族間の強固な互助組織・意識が特徴でその地の支配者になる必要がない(大きな樹木にならず地を這い樹木(権力)に絡み付くだけのツタの特性で)点で政敵を作り難い点が有利です。
世界が資源や量に頼る時代に終わりを告げようとしていると言う意見で書いていますが・・アメリカの動きを見ると中国のバイタリティーに比べると未だに量で勝負する・・移民受け入れ(人口量)や資源に頼る習慣が抜けないような印象を受けます。
欧米の影響を受けているメデイアも如何に多くの移民を受入れて労働力=人口を増やすかの宣伝ばかりで一人当たりの豊かさ追及にはとんと関心がない印象です。
アメリカの復権と言っても結局はシェールオイル等の資源産業の復活でしかないことを大分前に書きました。
中国が省力化投資に邁進してどこまで日本に肉薄出来るか、人口の1〜2割でも近代化に成功すれば日本の人口の1〜2倍ですから、組織体の競争・・国対国では日本より国力が上になるでしょうが、残り8割の底辺層を抱えたままである分が不利です。
人口の巨大さ、国土の広さが不利になる時代です。
とは言え、「よそ者がそんなことで国がどうなるの?」と心配してやる必要張りありません。
異民族支配が多かった関係で、中国人(と言うよりもこの地域の諸民族)の心底の意識は「国なんかでどうでも良い・・自分・一族だけ成功して世界につる草のように伸びて行けば良い」ということでしょうから、そんなことは気にしない・・一人でも多くの成功者を出す方が先決と言うことでしょう。
成功する順にドンドン国を出て行き「カス」だけ残る・これが中国地域になりそうです。
天の原フリサケミレバ・・と故国をしのんだ阿倍仲麻呂のように「何が何でも故国に帰りたい」と言う心情は稀ではないでしょうか?
とは言えまだ民族?国家が幅を利かす時代ですから、国家として世界の指導的地位を得るのは重要です・・そのためには最後に重要なのは世界に通用する独自文化が生まれている民族かどうかに掛かるでしょう。
他所の文化のパクリや単に遅れてダサイ・粗暴なだけの独自性では相手にされません。
独自文化発進力もなく他所の名画や彫刻を金の力で買い集めるだけのロシアやアメリカに先があるの?と言う疑問です。
3〜4ヶ月ほど前にプライスコレクションで知られるプライス氏が日経新聞に「私の履歴書」を書いていましたが、彼は財力と鑑識眼によって若冲その他の日本絵画のコレクションしたのは個人の業績としては立派ですが、ここのテーマは、自民族の文化は?と言う疑問です。
大原美術館など見ると自己満足自慢のためではなく、洋行出来ない美術学徒が日本にいながら西欧の最新潮流に触れられるようにと言う心意気で出来たことが分ります。
ブリヂストン美術館に行ってみると、専門家ではなく「一般のサラリーマンが仕事帰りや休憩時間にちょっと立ち寄って芸術に触れられるようにしたい」と言うみんなのための美術館創設を目指したことも分ります。
日本人の多くは自己満足のためにあるいは自慢するためにコレクションしたのではありません。
古くは弘法大師その他の留学僧は唐の先進分物を持ち帰り、自国普及に努力しましたし、誰とも分らないほど多くの人の努力で漢文をそのまま日本語に読み下す技術が考案されてみんながそのまま漢文を読める社会にしてしまいました。
明治維新時にも洋行帰りが西洋知識を独占せずに直ぐに大量に翻訳して国民への西洋知識の普及に努めましたし、対応日本語のない場合多くの新造語も作りました。
プライス氏の集めた若冲のコレクションがアメリカ人の美術レベルに何ほどか影響を与えることがあったのでしょうか?
あるいは、幕末からアメリカのコレクターが、金に飽かして(両替の不正があったこともあります)日本美術品が多量に多数コレクトされて今は、メトロポリタン美術館に収蔵されていますが、アメリカ人の創造力に何か影響を与えたのか不明です。
23日まで、日経新聞最終ページにイギリス貴族の館・カントリーハウスの連載をしていましたが、エエカテリーナ2世同様に個人的蒐集・自慢の域を出ないレベルを表しています・・イギリスは世界の覇者になって経済力にあかして世界中から文物を集めても、先進文化を参考にして自国文化を発展させるほどの文化土壌がなかったからでしょう。
我が国は幕末から明治開国後「洋画」「洋楽」を学びましたが、遠近法や新しい絵の具などが入れば直ぐにこれを応用出来る下地があってのこと・・飽くまで日本画、日本音楽を棄てていません。
料理も西洋の良いところを取り入れても和食自体発展するばかりです。
和魂洋才・・こうした外国文化の受容方式は遣唐使の昔から変わりません。
東博(東京国立博物館)にある法隆寺館の仏像群や東洋館にある北魏時代等の仏教伝来初期の石像群を見ると、日頃我々が知っている仏像と表情がまるで違うのに驚きます。
漢詩が入っても万葉に代表される我が国古来からの「歌詠みの心」を基礎にしてこれを受容し取り入れて来たことが分りますし、政治制度的に律令制を受入れても直ぐにわが国風に変えて来ました。
洋画がいくら立派だと解説されても日本人が自己資金で買うのは殆ど日本画でしょう。
東山魁夷が洋画を志したときに親から洋画では食べて行けないから「日本画に」と言われたと言われますが、実業家の親は学校教育でいくら洋画を褒めようとも、国民の心は違う・・・需要者の気持ちを良く知っていたのです。
日本発で今や世界を風靡し始めたアニメも、他所からの借り物ではなく、鳥獣戯画の昔から動物を擬人化して遊ぶ日本古来からの風俗が源流です。
アメリカが大きな顔を出来たのは資源があるからダと言う意見・・最近ではJuly 2, 2016,「欧米と日本の対応1(EU→大規模化)」で書きました。
産業革命以降20世紀までは、資源の時代・・戦争も資源を巡るものであったと言えます。
世界の覇者になったアメリカも資源に基礎を置くので、独自文化らしきものがなく、ジーンズやハンバーガー、コーラくらいしか残せない印象です。
そこで現在アート創造に必死ですが、私のようなド素人から見ればどれも思いつき的域を出ない・・素人にはあまり魅力を感じないのが難点です。

ロシアの台頭と資源(民族文化の有無)2

資金力だけでも、美術品のまとめ買いやスパイを使って最先端軍事科学や技術を真似出来るし買えますが、自前の文化を一挙に育むには無理があります。
似た水準にあれば勉強になりますが、全く素地のないところで他国文化財をまとめ買いして持ち帰って真似しても?焼き直しでしかなく、自国文化が生まれませんし、産業分野でも巨費を投じてスパイするほどのメリットのない民生分野ではスパイに馴染みません。
中国やロシアが宇宙にロケットを飛ばせてもマトモな電気釜やウオッシュレット・化粧品1つ作れない・・これが訪日中国人の爆買いの原因です。
中国は重工業あるいは代表的家電製造技術を充分学んだので最早日本に用がないと誤解して反日暴動を仕掛けたのですが、人民の生活水準が上がって来るともっと裾野の技術が必要と漸く分って来たようです。
そこで、もう一度日本へのすり寄りが始まったのですが、工場誘致して現場で学ばない限り作れないのを理解していることは、中国は工場誘致に必死になっているのを見れば分ります・・民生分野の底上げをするにはまさに民度レベルにかかっています。
軽工業から重工業へと言う産業進化を学校では習いましたが、スパイ国家では重工業や宇宙産業が先に開発され、民生用軽工業は後回しになります。
中国の場合、国がロケットなどの超高度技術をスパイが入手している関係で、民間も知財や産業秘密剽窃になんら罪の意識が育たないようになっている様子ですが、具体的現場技術は、民生用工場や環境保護用の工場誘致によって、実地で学ばない限り身に付きません・・そこで工場誘致に必死になって自国民がどの程度まで作れるようになるかの挑戦に今や必死です。
ところで、技術だけはある程度のものを作れても最後は文化発進力の有無が決め手になりますから、中国が現在的な独自文化発信国になれるかどうかが重要です。
その点はどうか疑問がありますが、中国はアメリカと違い正面から挑戦・努力する意欲があるだけマシでしょう。
22日の日経新聞朝刊3pで工作機械大手ヤマザキマザック社長のインタビューが記事になっていて、中国向け工作機械は省力化投資に躍起の状態で受注が伸びているが、アメリカではこの2年工作機械受注が低迷していると出ていましたし、今朝の日経朝刊15pでは、日本の工作機械の中国からの受注は今年4月には前年同月比2、4倍と言う猛烈拡大になっているようです。
両記事を読んでいると中国は省力化投資について行けず淘汰される旧式設備企業や人材が余ってもそれはそれとして、兎も角近代化出来る工場から近代化させたい・・深圳特区同様に「やれるところからやって行く」前向き姿勢・・意欲が高い印象を受けます。
人口が多いから成功する企業が少しでも出れば、長期的に社会全体のレベルを引き上げられると言う姿勢のようです。
つぶれたり、失業するのは自己責任・・そんなことにお構いなし・・気にしていると国際競争に負けてしまう・・勝てる産業を1つでも二つでも先ず育てるのが先決と言う姿勢が垣間見えます。
これが中国産業のバイタリティーでしょう。
この結果国が分裂して別の国になるかどうなるかには全く関心がない・・元々国家・社会・「公」・の意識が育っていない宗族・血族意識が基礎になっている中国人には元々関心のないことです。

ロシアの台頭と資源(民族文化の有無)1

話題がズレますが、もう少しロシアの(独自文化のない)民族意識・・とは何か?という疑問について書いて行きます。
エルミタージュ美術館はドイツ諸候の娘であったエカテリーナ2世が(1700年代後半から、ナポレン戦争終わりまでの治世)ころにドイツ〜フランス、イギリスその他の収集家の持っていた「所蔵品をまとめ買い」する方法で蒐集を始めたことに始まります。
映画を見ていると成金になって文化も身につけようとしても自分で選別する能力がないので?、自慢の作品の多くは西欧の有名所蔵家の所蔵品を金にアカしてまとめ買いした印象です。自国文化の紹介でないのはもしかしたらイギリスまたはアメリカ系映画だったからかも知れません。
何を見に行くかを知らないまま、妻に連れて行かれる習慣なのでどこの映画会社だったかを見損なってしまいましたが・・字幕に頼ってみていますが、聞こえてくる発音は英語だったようでした。
エカテリーナ2世はトルコと戦いクリミヤを奪いウクライナの大半を領有し、スウエーデンと戦いバルト三国を吸収したり・ポーランド分割を主導するなど大活躍です。
シベリアでいつから金が産出されるようになったかネット検索には出て来ませんので根拠がありませんが、その資金背景を想像すると、約100年前のピョートル大帝がシベリアに版図を拡大した効果が現れている・資源獲得・・金産出によるバブルがあったからではないでしょうか。
金回りの良さが相次ぐ対外戦争を可能にし地位相応の立派な宮殿やこれを飾る絵画・彫刻などの文化導入の欲求となり、国内改革も進めていわゆる啓蒙的専制君主・トキのリーダーの一人に数えられるようなりましたが、アレクサンダー大王や漢の武帝など外征を積極化した王朝はその後兵役に徴用される庶民の発言力の高まりや不満が蓄積し財政的にも負の遺産を受けつぐのが普通です。
エカテリーナ2世は、「どうせ先のこと」だという気安さから、啓蒙的人気取り・・人民に期待をいd化せるなどキレイごとを言い過ぎたので、農奴たちも期待してしまい後継者が苦しんだと原因を作ったのではないでしょうか?
贅沢するとその後が大変なように、お金だけはなく人民を兵士等として贅沢に使い過ぎた・負の遺産を残したことになります。
イギリスが対日戦に協力させる為インドのグルカ兵に独立させるような甘言を弄して期待させたことが大戦終了後の独立運動の元になり、ユダヤ人に建国を約束したことが戦後アラブ対イスラエルの紛争の原因になったのと同じです。
上皇や藤原氏が武士をいいように使っている内に武士の発言力が高まって行ったのと同じで、人をタダでは使えないと言う当たり前の結果です。
ロシアもその後長期的に農奴らの地位向上慾をかき立てて・・欲求不満が高まるし・他方戦争ばかりで財政危機に見舞われるようになった・・エカテリーナ2世死亡後の19世紀後半以降は国内不満が渦巻きその矛盾解決(農奴解放しようとすると大貴族が反対するなど)に苦しんだ挙げ句に解決能力がないまま、ロシア革命に突入してしまいます。
政治と言うモノは矛盾した主張をどうするかの調整能力次第ですが、これがない民度だと暴発になります。
ロシア革命が一朝にして起きたのではなく、長期間の矛盾蓄積によるもの・・その十数年前の日露戦争当時にもその前兆の反乱があって(第一次ロシア革命とも言います)、止むなくロシアが対日講和に応じざるを得なかった経緯を見れば明らかです。
http://www.y-history.net/appendix/wh1401-114.htmlによれば、戦艦ポチョムキンの乱は以下のとおりです。
「1905年、血の日曜日事件で民衆を弾圧し、日露戦争を継続するツァーリ政府に対する不満は兵士の間にも広まった。5月には日本海海戦でバルチック艦隊が全滅し、大きなショックとなった。そのような中で6月、ロシア海軍の黒海艦隊の戦艦ポチョムキンの乗組員が反乱を起こして艦を乗っ取るという事件が起こった。」
日露戦争では初戦では連勝していましたが、既に継戦能力のなかった日本はこれで救われたのです。
日米戦争は途中で終わるために・・仲介してくれる国が想定出来なかったので、無理を言われても隠忍自重して来たのですが、最後に自重し切れずに開戦に踏み切った結果、最後まで戦うしかなくなったので完敗してしまいました。
戦を始めるときは双方ににらみの利く大国・上位機関がタオルを投げてくれる準備が必要です。
信長も都合が悪くなると、足利義昭や朝廷を動かして和議を成立させて時間を稼ぐのが普通でした。
話題がズレましたが、ロシアを見ると独自文化のない国が資源収入による成金→軍事力を持ったと同時に世界中から美術品を買い集めただけのような民族では先がありません。
現在もロシアは原油が安くなると途端に苦しくなる資源頼みの国です。
以下15年と16年で見ておきましょう。
(1)・・15年分では前年比35/7%減の速報ですhttps://www.marklines.com/ja/statistics/flash_sales/salesfig_russia_2015
販売台数速報 2015年
ロシア新車販売、12月は45.7%減、通年は35.7%減の160万台
・欧州ビジネス協会(AEB)が14日に発表した2015年12月のロシア国内新車販売台数(小型商用車を含む)は、前年同月比45.7%減の14万6,963台となった。通年では前年比35.7%減の160万1,216台となり、3年連続でマイナスとなった。
(2)16年分では11%減の速報です。
https://www.marklines.com/ja/statistics/flash_sales/salesfig_russia_2016
ロシア新車販売、12月は1.0%減の14.6万台、2016年通年は11.0%減の142.6万台
・欧州ビジネス協会(AEB)が12日に発表した12月のロシア国内新車販売台数(小型商用車を含む)は、前年同月比1.0%減の14万5,668台となった。2016年通年の累計販売台数は前年比11.0%減の142万5,791台                       
中国が苦しいと言っても昨日紹介したように昨年は14%増以上ですし、アメリカも3%増(日本は飽和状態ですから更新需要しかありません)です。
ロシアは農業国家ですから、資源が下がってもベネズエラのように食うに困ることはないにしてもクルマの更新需要ほど庶民生活を正確に表す指標がないと思われます。
ロシアは日本の2倍以上の人口を抱えて年間需要が140万台規模で日本の年間販売台数の3分の1でしかなく、これから新規需要が増える途上国であるにも関わらず、15年は前年比35%も減り、原油相場が持ち直した16年でもなお11%も減少するとは異常です。
食品は10日も食わずに先送り出来ませんが、クルマの買い替え需要は、生活が苦しくなれば、6年に1回買い替えていた人が1〜2年先送りすることは平気ですし、この先自分も欲しいな・・と思っていた人が新規購入をためらう・・・・この結果売れ行きが落ちる・・新規需要による前年比増どころか、更新需要の多くが先送りされることほど景況感を良く表す指標はありません。
ベネズエラほどではないにしても、原油価格の上下に連動してロシアのクルマ販売の落ち込みが激しい・・ロシアは資源国家経済の比重が高い点に注意すべきでしょう。
独自文化のない国の将来は限られます。

民族の正義→外国人の政治活動2

日本人が外国の思想や商慣習等を紹介して民族意識の変革を試みるのは、国家発展に必要なことであり当然許された行為ですが、民族の共通価値観を外国人が自国主張に従わせるために、他国の国論を変えて行こうとしてそのクニで政治運動をするのは邪道でしょう。
まして日中韓で厳しく対立している南京虐殺や安婦問題等で中韓の主張を後押しするためのデモを日本でするのは論外です。
在日中国人が反日デモ行動した事実は、彼らが更新許可申請したとき、あるいは再入国許可申請したときには日本政府は国際ルールである相互主義も勘案して、(中国は政府基本方針に反する政治活動の自由を自国民にすら認めていないし、ましてや日本人に認めていません)裁量権の範囲内として毅然とした態度を示すべきでしょう。
中国人のデモ参加者は在留許可更新拒否を恐れて?ほぼ全員がマスク等で顔を覆って・・デモを始めると横断幕をぐるっとデモ隊の周囲に掲げて参加者の顔が道路から見えないように終始覆って参加していました。
彼らは日本人が気に入らないことを自覚してやっている・・嫌がらせのためにデモしていたのでしょうか。
相手に悪感情を抱いていても相手に知られないようにするのが普通・だから陰口で本音が漏れるのですが、韓国や中国は日本に嫌われるため明からさまな行動をする変なクニです。
昨日紹介した憲法学者の論文の内「入国の自由」に対する主権国家論については、トランプ氏の入国禁止令の根拠にもなっている点は、2月4日に紹介しました。
アメリカの入国禁止令に関する訴訟関係(・・請求側の主張自体が全く報道されないこともあって)の報道が散発的でよく分らないままでしたが、日々実態が明らかになって来ています。
2月11日日経朝刊報道によると、高裁の決定?では差し止めの可否に関する判断だけであって大統領令が違憲か否かがテーマになっていないような解説です。
入国禁止によってどう言う被害が出ているか・緊急差し止めが必要かどうかの攻防であったと言うのですが、企業がどれだけ困っているか・・政治効果の是非そのものを司法が最終決定出来るのでは三権分立の原理に反している可能性があります。
トランプ氏の「司法が政治的過ぎる」との批判が、三権分立の原理を無視した行き過ぎで非常識と言うのがマスコミの大きな報道姿勢ですが、現在の司法審査が政治が決めるべき分野を審査しているとすれば、トランプ氏主張の方が合理的印象をうけます。
ただ、昨日紹介したマクリーン判決の応用として入国禁止判断裁量権が行政府にあるとしても、判断材料となった政治活動をしたか否かの事実認定は司法審査の対象ですから、この法理を当てはめるとトランプ政権が緊急に入国禁止しなければならないと判断した前提事実・・その前提たるテロ発生リスクがあるとする判断資料の有無等の事実認定は司法審査の対象です。
我が国でも司法が政治に口出し過ぎていると言う批判がありますので、原発稼働停止に関する大津地裁の仮処分に関連して16年11月12日の「司法権の限界16・謙抑性4(民主主義の基礎1)まで書いていたところですが・・具体的審査次第・・立証責任に即してどうだったのかの検証・・私なりの解釈に入りかけて横道にそれていますので、近日中にこの続きとして割り込ませる予定です。
ただし、日本の場合大統領令のような制度がなく、行政権が法を変えられないので法の適用の有効性がテーマですからこの種議論が妥当しますが、アメリカの場合後から出来た大統領令が既存法に優先するとした場合、憲法に外国人の入国自由を書いていないとすれば、既存法の解釈で入国禁止の必要性を審査出来ない筈です。
報道による限り一般的な裁量の違法適法の判断を争っているように見えるので、もしかしたらアメリカ合衆国憲法に外国人にも入国の自由権みたいな規定があって例外的に国防上その他の自由があるときだけ制限出来ると言う憲法上の権利があるのかも知れません。
あるいは大統領令が法と同等の効力がある(ウイキペデイア解説なので正確性が不明)としても、一種の戒厳令みたいな緊急事態に備えてそう言う権能が認められているだけとすれば、緊急性がなければ無効と言う解釈もあり得ます。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakaokanozomu/20170210-00067544/トランプの研究(6):控訴裁判所での大統領令を巡る訴訟でトランプ大統領敗北、トランプ政権に大きな打撃
によると高裁の仕組みなど詳しく紹介されています。
また口頭弁論のやり取りの要約?の外「判決全文」として紹介されていますが、憲法のどの条項に反するか、大統領令の法的値位置づけなど法律家として関心のある点が漏れていますから「全文」ではないように見えます。
ただし、大統領令は仮に憲法で禁止している宗教差別に当たるかどうか、その有無認定のために・7カ国出身者のテロ行為が過去にあったのかなどがテーマになったとすれば、審査対象にした(政治判断分野ではない)合理性がありそうです。
憲法による外国人の入国権があるのか、緊急事態外には大統領令の効力がないのか等はっきりしないままですが、緊急性があれば憲法で許される範囲あるいは緊急事態がないと入国制限が出来ないことになりますので、その前提で念のため現在(報道による限り)行なわれているらしい訴訟の争点・・裁量の許される範囲の議論を書いておきます。
新たな入国基準策定までの臨時処置として6ヶ月間入国禁止すると言う大統領令の有効性判断には、7カ国の人に対して従来どおりの入国基準による入国を禁止しないとテロ発生リスクが高い・・差し迫った危険があると言う・・ある程度の証明が必要になります。
このリスク発生率が低いと禁止による損害とのバランス次第で行政権に認められた裁量を逸脱していることになります。
大きな被害防止のためにより小さな被害発生を我慢する・・ワクチン接種や崖崩れの危険があるときの規制など)のが物事の原則(比例の原則)です。
大きな被害発生の可能性が高い場合に、警察が緊急通行止めをするのは(迂回しなければならない損害があっても)合理的ですし、裁量の逸脱となりませんが、何ら危険もないのに(警察のスケート大会などに利用したいために?)何かしたいために通行止めにしたとすれば、裁量権の乱用です。
公的目的であっても、必要性の程度に応じて通行止めが裁量の乱用かどうかが決って来ます。
今回は入国禁止するほどの必要性があったかどうかです。
指紋押捺を求める程度の厳重化程度だとこれによる弊害は少ないでしょうから弊害よりはそれによる実効性がどう代わるのかが論点でしょうが、特定国人全面入国禁止→宗教差別・弊害がすぐに分るので、余程リスク発生率の高さを証明しない限り、禁止令維持は苦しくなります。
上記のように順に争点整理・・分析して行くと、政府側に直ちに入国禁止しなければならないような緊急性・リスクの証明力が薄い場合には、緊急事態実行による損害の大きさが重要になって来る・・「悪影響の大きさに比べて・」そんなことまでする必要があるの?と言う意味で入国禁止の影響の大きさが重要な争点になって来たことになります。
本来の争点は危険発生可能性だったのですが、これの証明度が低いために禁止による兵弊害がどのくらいあるかが次の争点になって来たとすれば、政治問題を司法が論じていることにはなりません。
そうとすれば、政治的過ぎと言うトランプ氏の批判は、逆に司法権への介入批判となるのでしょう。
日本では政府に不利な判決が出ても、司法の判断を尊重すると繰り返すのは判決内容の分析によって意味が違って来るリスクがあるので、政治家は発言に慎重です。
南京事件に関する中国人デモに戻します。
日本人の場合でも南京事件に関する認識がホテルオーナーと違うならば、自分も相応の表現活動すれば良いことで、大勢で押し掛けて相手を黙らせるような示威運動をするのは表現の自由に反するルール違反ですし、まして中国人が自国政府主張を通すためによその国に来て政治運動するのは礼儀にも反しています。
留学生や研修生等が留学先の政治に反対して政治運動するのは、他社へ研修目的で派遣された社員が研修見習い先の企業運営に反対運動するようなものです。
間違っていると思うならばそんな研修を受けるために来なければ良いことです。
日本批判するためのデモをするような人を、政府補助金で留学させているとすれば、おかしなものです。
大分前に書きましたが、北京五輪時に長野で、反チベットデモのため中国人が5000人規模でバスで集まって傍若無人に振る舞った報道を見て驚きましたが、今回はユーチューブの映像を見るとさすがに日本で嫌中韓意識が高まっている中ですので、遠慮ガチと言うかコソコソとした伏し目がちのデモでした。
中国政府の強制で、断り切れない立場の人だけが集められたのでしょうが、可哀相な雰囲気でした。
ただし、可哀相とばかり言ってられない・・やってしまったことに対しては相応のマイナス報酬・・在留許可更新不許可や再入国拒否などの影響を受けるべきでしょう。
そうしないとドンドン反日デモ・反日運動するために中国政府の意を受けて入国して来る外国人が日本ではびこってしまいます。
正義の行なわれているクニかどうかに戻ります。
フィリッピンのドウテルテ大統領就任後「犯罪者を容赦なく射殺しろ」と言う政治実行で国際人権運動家を刺激していましたが,犯罪者がゴロゴロいる社会では、犯罪者の人権と被害者とどちらが大切かと言う限界状況で判断すべきです。
一種の社会的正当防衛状況では、人権保障手続きでは間に合わないから、「話し合いより実力行使あるのみ」と言うのも一理あります。
殺されても後で裁判してやるから安心しろと言われても困るので、自己防衛しかなくなります・・これがアメリカで銃規制出来ない理由です。
大分前に死刑廃止のクニでは、現場射殺が多いと書いたことがあります。

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