守るべき民族利益とは?(国外投資)1

生活習慣によって民族意識が培われるのでしょうから、日々の生活習慣の変化は重要です。
民族とは遺伝子によるのではなく同一生活習慣ひいては生活習慣に根ざした共通価値観で行動する人々のことでしょう。
もちろん業種や年齢、貧富差などによって細かく生活習慣・価値観も違いますが、その時代ごとの変化をほぼ共通に受けている人々・結局同一地域で長期間(1世代でいいのか数世代必要か?)生活している人ということでしょうか?
対外区別の標識としては、第一義的にはインフラ整備等による利害の共通性が標識になりますし、これまでその意味で書いてきました。
他県等からの移住者が移住直後(何年間居住者をいうかは別です)に住民税も払っている以上は平等投票を認めろ!という主張に反対する理由はそこにあります。
まして外国人労働者が数年いる程度で、国防に関係する自衛隊基地等の配備反対運をし、住民投票や自治体選挙権を持たせるのは行き過ぎです。
インフラは何十年もかかって積み上げた先祖の資産(お祭りを継続するかどうかも含めて)運用ですから、数〜5年前に引っ越してきたばかりの人がその運用に平等の口出しをするのは遠慮すべきでしょう。
有益な意見を言うのは勝手ですが、決定権を持たせろというのは行きすぎです。
民族利益に戻しますとこれを突き詰めると自国権益擁護のための国外出兵に繋がりますので、国内にある限度の利益共同体を守るという程度の意味になります。
この数十年外国への投資も盛んですので、民族利益には国外投資もはいるという方向性が強くなると「国外投資や国外在留邦人を守れ」ということになり満州事変や支那事変のようにいよいよ対決が激しくなります。
戦後では米軍駐留の場合もその国の防衛協力のためであって、その地にいる米国民保護目的に軍を駐留することはなくなったので・露骨な軍事介入はなくなりました。
多分・・1956年のナセルによるスエズ運河国有化に対する英仏の軍事介入が史上最後でしょう?
民族の守るべき民族益をインフラ等の投資残→民族文化とすれば外国に投資した民族益はどうなるかの問題が生じます。
外国投資が増えると本国と進出先の国との関係が悪化するとその国での商品等が売れなくなるし、投資拡大に比例して人的交流も広がり関係が深くなるのが一般的です。
交流促進が国際紛争のブレーキ役になると言われていますが、関係が複雑・深くなればなるほど紛争のタネも増えることも確かです。
個人で言えば数年に一回会う友人より日々会う関係の方が情報交流が密ですし、この最たる関係が夫婦であり親子でしょう。
関係が深ければ深いほど関係断絶には多くのマイナス効果が生じエネルギーがいるので、よほどのことがない限り相互に自己抑制するようになります。
それでも破綻する例が多いように、円満交流を永続するのは難しいものです。
国際交流を奨励する立場の人は、この抑制効果に期待しているのでしょうが、隣国等の関係は夫婦のように気が合うから隣国同士になったのではないので、どこまで複雑な関係を築いても関係がややこしくなり、気分を損ねる接点が増えるばかりでプラス面が比例的に増える率が低いはずです。
その地域に人類が住み着いてから何千年も別集団として障壁を設けて民族代表を通してしか交流しないでやってきたのには、それ相応の(気性が合わない)理由があったと見るべきでしょう。
都会人は隣人とは深入りして意見相違があると気まずくなるだけなので、出会えば「おはよう」と挨拶する程度にとどめて、深入りしないのが近所づき合いのコツと心得ている人が多いと思いますが、国際交流も同じではないでしょうか?
子供世代が結婚しても親世代同士は滅多に関係しないし、それぞれの実家とは濃密な付き合いをしないように心がけるのが普通です。
国際交流のメリットを熱心に主張する文化人?自身、自宅に帰れば近所の人と家族ぐるみで旅行したり、深入りしない近所づき合いをしているのではないでしょうか?
同一民族どころか、もともとの古い集落で生まれ育った人でさえ旧来型の濃密な付き合いを嫌って故郷を捨てる人が多いし、昭和40年代ころに農家に嫁がこないという時に農家自身が自分の娘を農家に嫁がせたくない矛盾が報道されていましたが、外国と縁が深まればお互いブレーキ役になり戦争抑止力になるという主張は、関係が深まるほど不協和感が強くなる現実を見ない空論ではないでしょうか。
民族益・外国投資の保護という点ではどうなるのでしょうか?
スエズ動乱のように露骨な接収はないでしょうから、今は最大でも反日運動やボイコット運動くらいですので、国外進出企業亜hその程度のリスク覚悟で進出すべきというのが国民合意であり、軍を動員して自国企業を守るなどの報復などは想定できません。
現在の韓国による反日不買運動に対しては、日本も紳士的にお返しをする程度のことでしょう。
この場合の民族精神はどうなるのかが数日前から気になっていましたが、たまたな歴博から送付してきたNO216号、「異郷で暮らす日本人」を読んでいると偶然?私の関心のあるテーマの研究資料が出ていたので、以下それを読んだ受け売りも含んで書いて行きます。
上記資料では境界人?だったかの表現ですが、遺伝子的には混血したハーフとは違うとしても、経済利害的にはハーフ的立場になるようです。
12年頃の中国の反日運動では日系製品不買運動が盛んでしたし、今回の嫌韓騒動では韓国のユニクロなど真っ先に不買運動の標的になっています)マイナスを懸念する企業の声が本国政治に影響するし、他方その企業の現地駐在員の方は本国ほど反中意識が強くなかったのも現実らしいです。
上記資料では日系企業に勤める店員や工場勤務者も、日本語学校に通う生徒も反日運動が激しくなると肩身がせまいので早く終息してほしいし、教えている日本人教師も中国人生徒(多くは10台でしょう?)の困惑した気持ちに寄り添いケアーして面倒見てきたようで、相互に日本人でも中国人でもない境界的共同体意識が形成される印象の記述です。

中朝・修正装置なしの体制3(北方民族の脅威)

山岳民族は守りには強いですが平原地帯に進出して直線長距離距離の大移動能力が低いのが普通です。
いかに中国地域王朝の支配力が落ちて最悪内乱状態にあっても一応大兵力を擁しているので、周辺山岳系少数民族はその一部勢力の応援する程度のことはあっても険阻な山地を越えて広大な中国地域に攻め込むに足る大兵力を移動し、その後長期支配権維持するのは不可能でした。
ベトナムは対米ベトナム戦争後中国による膺懲と称する侵略攻撃を受けて、見事に撃退・勝利していますが、逆に中国に攻め込む力まではありません。
この点は東側の沿海地域の外側も同じです。
唯一一定の規模を持つ日本がありましたが、せいぜい没交渉程度で、世界大帝国を形成したモンゴルでさえ海を渡っての大軍団による遠征が無理だった・・逆からいえば日本からの侵略軍は、帆船利用の豊臣秀吉の時代にはまだ無理・近代動力の出現までは無理だったのです。
西の方は大規模な砂漠によって隔てられているので、この砂漠の彼方に中国を凌ぐ大国(例えばササン朝ペルシャなど)が仮に誕生しても、広大な砂漠を越えて中国の大地を一挙に占領できるほどの大軍移動するのは不可能でした。
北方だけ自然の要害がない上に平原状態のために長距離移動向けの騎馬戦力中心で、一時的に攻め込み広範囲に蹂躙するには適性のあるな民族でした。
これを防ぐために万里の長城という人工物に頼りましたが、これでは守りきれずしょっちゅう北方民族に蹂躙され支配され・王昭君に限らずいつの時代にも美女を送ってご機嫌を取り結ぶなどいつもビクビクしていた関係でした。
モンゴルは西洋まで出かけていったので西の方のイメージですが、元は中国北方民族です。
北方民族は武力の精悍さで侵略してくるだけで、文化レベルや政治巧拙の比較で中原地域人民の支持を受けて支配権力を奪取したものではありません。
中国では異民族支配が繰り替えされましたが、次々とやってくる征服王朝は結局北方種族ですから、文化政治レベルででもは中国地域のレベルに及びません。
彼らは野蛮人扱いされないように、中国古来の支配体制・漢承秦制の原則を漢民族同様に・イヤ、異民族であり少数派である弱みから、漢民族以上に真面目に守って来ました。
中国の王朝で善政を布いたのは原則異民族王朝であり、漢民族時代には人民がいつも酷い目にあっています。
周辺部に成立した李氏朝鮮も異民族王朝の精神で必死に専制体制を真似してきましたが、日本が古代からの独自政治体制を維持し独自文化を発展させていたので朝鮮民族としては負け惜しみ的に?日本を野蛮人としてばかにしていた原因の一つです。
要するに中国人にとって怖いのは少数でも中原の地に侵攻できる武力を持つ勢力・・古くは匈奴・モンゴル→金や清朝、新しくはソ連〜ロシアの剥き出しの武力行使に対する恐怖があっても、正義や文化レベルなどの価値観競争が問題になったことがないのです。
現在アメリカでも中国を文化で圧倒できても、広大な中国地域と巨大人口を擁する中国を直接占領支配する目的の戦争を起こすなどは到底考えられない状態です。
このように中国は文化力で負けても武力さえ保持してれば、どんなヘマな政治をしようと心配がないという体制である点は今も同じです。
唯一例外時代は19世紀中葉からの西欧列強による香港割譲に始まる虫食い的侵略開始だったでしょう。
虫食い的領土侵蝕・・割譲(香港マカオ)上海青島等の租借地〜北方からロシアによる満州進出が始まると一挙全土占領をするには人口その他巨大すぎて外国が手を出せないという安全弁がなくなったことになります。
虎やであれライオン人間であれ、ちょっと小さいものとの喧嘩には勝てますが、もっと小さい細菌には体の大きさや腕力の強さでは戦えません。
これに危機感を抱いたのが昨日紹介した康有為らの変法自強運動→戊戌の変法でした。
武力侵攻以外は怖いもの無しの点は、朝鮮族も同じ価値観でやってきました。
この価値基準によれば怖いのは隣接する中国歴代王朝のみであったのが、19世紀末に至って、清朝に加えて北辺から国境に迫ったロシア帝国でしたし、(当時海を隔てた日本が強国になっていることを理解できなかったでしょう)ソ連崩壊後ロシアへの恐怖はだいぶ背景に退き、中共政権の武力侵攻と米国だけ怖いのであって人民が飢える程度では政権維持に問題がない社会です。
北朝鮮政権では、人民が飢えようが世界最貧国になろうが、武力侵攻さえ防げれば政権安泰ですから、核兵器開発〜保持さえ成功すれば全方位(中国やロシアからも自由)で安全ですから最優先事項になっているのです。
北はすでに経済制裁を受けているので、当面アメリカによる直接の武力侵攻さえ防げればあとは何の心配もない立場です。
核兵器の(実効的運用能力)保持に成功すれば、米国の直接攻撃はできなくなるのでそれまでの時間稼ぎが当面の戦略でしょう。
中国の場合、すでに核兵器の運用能力もあるので米国の武力侵攻がない点で従来(2000年来の)価値基準では米国が何を喚こうと無視していても安泰です。
この絶対安全の地位を北朝鮮も確保しようと必死になっているのでしょう。
ただし、中国の場合には改革開放後国民が豊かさを経験してしまったし国際経済活動に組み込まれてしまったので、国際経済活動から締め出されることに対する耐性が北朝鮮よりも弱くなっています。
今回の香港騒動では米国が香港に対する貿易上の特別待遇廃止を匂わせると、中国が慌てて妥協に動き始めるしかなくなったのとの違いです。
中国国民にとっては米国という強大な相手がいるので、権力の行き過ぎに対する外圧による修正の余地が出てきたのが国民にとっては全く新規なありがたいことです。
この約1週間の香港の騒乱は、国際社会の圧力がなければ中国政府とその意を受けた香港政府が強権突破予定だったでしょうが、騒ぎが大きくなったので流石に一旦棚上げにするしかなくなりました。
パリで燃え盛った黄色いベスト運動やろうそく集会は政権が時期を選んで仕掛けたものではないですが、ここ1週間ほど国際ニュースになっている香港の条例制定騒動は、政権が時期を選んで仕掛けたものですから、中国歴史によるとはいえ政府の国際動向無視の姿勢・オンチぶりには驚くばかりです。
国際動向に対する音痴ぶりは歴代どんな悪政・失政が続こうとも国内的には政権を倒す方法がなかった・外圧など気にした経験がない上に絶対に攻撃されない魔法の兵器・・核兵器を持つ国になったので、外から攻撃を受ける心配が無くなりました。
北方民族・匈奴やモンゴル金〜清〜ソ連などにビクビクしていた時代よりも今の方が安泰です・変な自信を取りもどしたことになります。

日本の危機対応力(米国支配と民族危機)3

アメリカインデイアンに対するアメリカ政府の処遇に関する私の過去ブログ意見は、文献引用でなかったようです。
昨日紹介した過去ブログを見て知識源を(なぜか?)突如「本だった!」と思い出して自宅の書籍を引っ張り出すとNHK出版2011年10〜11月号「歴史に学ぶ」「アメリカ先住民から学ぶ」阿部珠理著の本が出てきました。
これの60pあたりから、強制収容すべくトラックに子供が乗せられ(ナチス映画で貨車に詰め込まれるユダヤ人の様子を彷彿させる光景です)、車のエンジンがかかると、トラック荷台周辺に群がっていた母親らが連れ去られる子供の髪の毛を形見に切リトル様子が描かれています。
上記引用したブログの頃に読んだ本は、このような情緒的なものではなく、強制移住させられる経緯等データに基づくかっちりした論文だった記憶ですが、この原稿を書いている現在自宅のどこにあるかすぐには(最近リビングの書物を大整理したばかりで・根拠のあり堅実な論文系は娘に引き渡したので手元になさそうです)探せません。
現在の米国としてはインデイアンに対する保護政治は・・少数民族を保護している人道国家の触れ込みですが、よく知られている黒人奴隷制度がいきなりできたのではなく、アメリカ合衆国の本質は恐るべきジェノサイド志向の国家です。
以下は単なる推測意見のようですが、こういう意見が普通に出ていることがわかります。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/367.html
投稿者 sagakara 日時 2010 年 6 月 21 日 22:31:46: Va70ZvAvjnToE

アメリカ合衆国でアメリカインディアンの血筋を引く人は、わずかしか残っていない。
それに対して、メキシコでは70%位の人が原住民の血筋を引いているという。
アングロサクソンは、情報操作でアメリカインディアンは、白人が持ち込んだ天然痘などの伝染病で90%のもの人が亡くなったという説を流している。
しかし、メキシコでは原住民の血筋を引く人が混血しているが多数生き残っている。
そこで、一つの仮説を立ててみた。
アメリカ合衆国には黒人が10%位いて、メキシコには少ない。
これは何を意味するか。
アメリカ合衆国の白人達は、アメリカインディアンを虐殺すると共に、生き残ったアメリカインディアンをも奴隷として皆殺しに近い状態まで追い込んだ可能性が強いと思われる。
アメリカインディアンの奴隷がほとんど死んでしまったので、白人達はアフリカから黒人奴隷を連れて来たのだと思われる。
これは歴史の闇にかき消されていく本当の真実かも知れない。
今回、ある仮説を立てみたが、アングロサクソンの凶暴性は、太平洋戦争・朝鮮・ベトナム・湾岸・アフガン・イラク戦争と近年になっても大量殺戮を繰り返す事で証明されている。

米国によって戦争に引きずり込まれ列島支配を受けたのは日本民族始まって以来初の民族消滅危機でしたが、占領開始時に軍政を布こうとしたGHQ(マッカーサー)と近衛内閣が交渉してこれを撤回させたのを皮切りに、天皇制維持成功〜国内生産許可(約5年間かかりました)その他着々と対応して行き、最後は独立を回復していきます。
アメリカのイラク侵攻やアフガン侵攻の失敗は、パパブッシュ大統領がイラク侵攻前に「日本でうまく行ったから大丈夫」という趣旨の発言していたので、日本人としては失笑ものでしたが、どこの国でも日本人同様の適応力を持っていると誤解したのが間違いでした。
日本はアメリカの邪悪な魂胆を非難することなく日本が反省すべき点は反省し、国民一丸となって精神世界を果敢に切り替え、理不尽な点があっても「忍び難きを忍び耐え難きを耐える」隠忍自重の粘り強い交渉の結果、徐々に主権回復をしていき、ついにサンフランシスコ講和条約・・独立にこぎつけたのです。
終戦の詔書の後半部分の引用です。

・・・・然(しか)ルニ交戰已ニ四歳(しさい)ヲ閲(けみ)シ 朕カ(が)陸海将兵ノ勇戦 朕カ(が)百僚有司ノ励精 朕カ(が)一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘(かかわ)ラス(ず) 戦局必ス(ず)シモ好転セス(ず)世界ノ大勢亦我ニ利アラス(ず) 加之(しかのみならず)敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ 頻(しきり)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ(ぶ)所(ところ) 真(しん)ニ測ルヘカラサ(ざ)ルニ至ル 而(しかも)モ尚(なお)交戦ヲ継続セムカ 終(つい)ニ我カ(が)民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス(ず) 延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却(はきやく)スヘ(べ)シ 斯クノ如クムハ(ごとくんば)朕何ヲ似テカ億兆ノ赤子ヲ保(ほ)シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ  是レ朕カ(が)帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セ(ぜ)シムルニ至レル所以ナリ朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対し遺憾ノ意ヲ表セサ(ざ)ルヲ得ス(ず) 帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ(じ)非命ニ斃(たお)レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ(ば)五(ご)内(ない)為(ため)ニ裂ク 且(かつ)戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙(こうむ)リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫(しん)念(ねん)スル所ナリ 惟(おも)フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固(もと)ヨリ尋常ニアラス 爾臣民ノ衷情(ちゆうじよう)モ朕善ク之ヲ知ル 然レト(ど)モ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪(た)ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ(び)難キヲ忍ヒ(び) 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ 忠良ナル爾臣民ノ赤誠(せきせい)ニ信倚(しんい)シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ 若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)ニ事端(じたん)ヲ滋(しげ)クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱(みだ)リ 為ニ大道(だいどう)ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ(が)如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜(よろ)シク挙国一家子孫相伝へ 確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ(じ) 任(にん)重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運(しんうん)ニ後(おく)レサ(ざ)ラムコトヲ期スヘ(べ)シ 爾臣民其レ克ク朕カ(が)意ヲ体(たい)セヨ

17日紹介した東京大空襲の記事や上記を詔書を見ると日本人の多くはこのまま戦争が続くと本当に民族皆殺しになるまでやられるか?という極限状況に置かれていたことになります。
部分的にもう一度引用します。

「敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ 頻(しきり)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ(ぶ)所(ところ) 真(しん)ニ測ルヘカラサ(ざ)ルニ至ル 而(しかも)モ尚(なお)交戦ヲ継続セムカ 終(つい)ニ我カ(が)民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス(ず) 延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却(はきやく)スヘ(べ)シ」

日本の危機対応力(米国支配と民族危機)2

昨日引用した占領政治の記事によれば、
「他のアジア諸国と同様に米国および欧州連合国に従属的な市場に解体」目的遂行のために占領開始後5年間の長期にわたって復興支援どころか、既存設備破壊を進めていたとは驚くべき所業です。現在でいえば、東北大震災の現場に来た米軍が、震災被害をまぬがれてようやく残った施設破壊を5年間続けていたとすれば、その残虐非道さがわかるでしょう。
しかも残すべき施設レベルは、「他のアジア諸国と同様に米国および欧州連合国に従属的な市場に解体」とは植民地支配を受けている国々と同様のレベル・欧米工業製品を買う市場でしかないレベルに落とす目的であったことが明白に公表されているのですから、対日戦争に引きずり込んだ目的が何であったと推測するのはあながち不合理とは言えないでしょう。
占領政治の公開された当初方針と実際にやったことおよび戦争中の米軍の攻撃対象(農村部民の小さな集落まで執拗に攻撃していたこと)から見れば、農業国としての生き残りしか認めない植民地的支配を目的にしていた・・それ以外の降伏条件を認めない交渉態度であったことが推測されます。
こういう邪悪な本音を含むハルノートを突きつけられた日本として無謀な?「戦争に討って出るしかない」と決意せざるを得なかったのは止むをないことでしょう。
アメリカ主導のポツダム宣言で「奴隷化するものでない」と言わざるを得なかったのは、本音がそこにあったからでしょう。
ウイキペデイアのポツダムダム宣言からの引用です。

4 日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。
5 我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない。
6 日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍  国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。

9 日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る機会を与えられる。
10 我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。

奴隷化しないという文言があっても続けて意味不明な軍国主義禁止という思想検閲や戦争犯罪処罰権・何が戦争犯罪かの基準のない犯罪処罰を自由自在に行える仕組みは、奴隷支配の言い換えに似ています。
法治国家の旗頭を自称し、日本に民主主義を根づかせるための占領と称していたアメリカが「軍国主義」という意味不明の犯罪構成要件で日本国民支配道具にしたこと自体が、法に基づかない恣意的支配をする予定であった底意が推測(邪推に過ぎないかな?)されます。
軍国主義反対と何かある都度政治スローガンに掲げる思想集団がいますが、大方の場合中韓の反日主張の言い換えに過ぎず、結果的に日本国弱体化・・何をされても何ら抵抗できない状態に置いておくための方向性そのものです。
軍国主義という定義が今になってもはっきりしていないことについては、このブログでOctober 11, 2018「軍国主義とは7?(検非違使庁・・令外官)」前後のシリーズに書いたことがあります。
そもそも軍国主義否定宣言によって、民生用生産設備の国外搬出がなぜできたのか不明です。
永久に抵抗力を奪う・・そのために生産力をを持たせないという非道な支配目的であったと解釈すれば生産設備破却もその一環として理解可能です。
インディアンの生活力を奪うために全く関係ないはるかなる地域へ強制移住させない代わりに生産力を奪ったのではないでしょうか。
「弱いもの相手なら人道など問題にしない」という政治思想を臆面もなく実行してきたアメリカは、法治国家と言えないのではないでしょうか?
日本人を奴隷化しないまでも欧米の植民地あるいは半植民地化されて呻吟している諸国以下の生活レベルしか認めないという本音が現れた事実が、占領政治当初5年間の支配でした。
こういう非道な本音を知っていた勇猛なアパッチ族が最後まで戦うのを選択したのは当然でした。
アメリカの歴史事実であるアパッチ族完敗後抵抗しなかったその他部族・インデアンがいつから始まったか不明なほどの昔から住み着いていた生活圏から引き剥がされ、その子供らが両親から引き剥がされて、白人家庭で牛馬のごとく?育てられた結果、民族の誇りもなくなり(この辺の流れも以前紹介しましたが仕事を奪われ、骨抜きされて何世代も経てば当然です)、今や、自活不能・・アル中や薬物中毒中心で絶滅危惧種扱いで被保護民族になり下がっています。
http://heapsmag.com/tommy-pico-native-american-brooklyn-poet-who-left-indian-community-modern-young-american-indians-lifestyle
2016.12.18

現代インディアンは「米国政府の管理下暮らし」。故郷を捨て都会に飛び出したインディアン青年、二つのライフスタイルを語る
アメリカ・インディアン(アメリカ先住民族、ネイティブ・アメリカン。以下、インディアン[※])。アメリカ大陸に初めて足を踏み入れた“真のアメリカ人”なのに、アメリカ人として忘れられた存在だ。長い間迫害を受け、実は現在でも連邦政府の管理下でリザベーション(居留地)暮らしを送っている。

論文引用したつもりで、私の過去ブログ内を検索していたら、以下の記述が見つかりました。

July 20, 2016,「占領統治の難しさ(日本奴隷化作戦の変更)」
どこの誰か?根拠があって書いているか知りませんが,私が何かで読んだ記憶に大方あっているので一応引用しておきます。
http://goodorbadamerica.blogspot.jp/2013/01/blog-post_17.html
「徹底した同化政策を進めるために、赤ちゃんは、強制的に白人家庭に養子に出されたり、5歳以上の子供たちは、全員親から引き離されて、寄宿学校に入れられちゃいます。
学校と言っても、牢獄に近かったらしいですよ。
無理やり、部族や親と隔離して、キリスト教に改宗させられて、英語を習わされて、白人の下働きをする、「良いインディアン」作りをするための学校だったんですね。
まさに、インディアンの文化そのものを根絶やしにするための同化政策ですね~。

日本の危機対応力(米国支配と民族危機)1

欧米でもアジアでも、これまでの戦争では「〇〇会戦」で勝敗が決まれば、それ以上の民族根絶やし的攻撃を続けずに講和会議がはじまるのが普通でした。
米国は日本の交渉打診に対して全面降伏・占領政治を受け入れない限り講和交渉を受け付けずに、その間山間部や農村の民家まで対象に民族根絶やし的空爆を繰り広げていた結果、空爆に対して反撃能力がなくなり爆撃されるママになっていた日本人をもっと効率的殺戮できるように、最後のトドメに原爆を落としたように見えます。
(もちろん米国はそのような目的を否定しますが、その前にやっていたことや占領後政治と総合判断です)
ナチスが効率よく大量に殺せるようにガス室に送ったのとどう違うのでしょうか?
しかもナチスは自国内や支配地内のことですが、米軍の戦い方は戦時国際条約違反であることや、ウエストファーリヤ条約以来の国際合意に反しているのではないか?等の関心で(キリスト教国の国際条約1(ウエストファリア条約)August 26, 2016以下で書きかけだったか完成したかも記憶がはっきりしませんが、書いてきました。
中国の国際ルール違反を批判しますが、自分も相手が弱いと見れば国際合意など守っていなかったのです。
米軍の焼夷弾攻撃は、無差別爆撃どころか積極的な住民殺戮を目的にしていた・・・まず周辺部をぐるりと焼夷弾で炎上させて住民を中心部に追い詰めてから、中心部に向かって渦巻き状に焼夷弾攻撃して全員焼き殺す方法だたったという意見もありますが、(強風下を選んで実行された悔結果によるものかもしれず米軍記録には見えないということでした。
ウイキペデイアによる東京大空襲の記事です。

東京都は、1944年(昭和19年)11月24日以降[1]、106回の空襲を受けたが、特に1945年3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模だった。
その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲(下町空襲)を指す[2][3]。この3月10日の空襲だけで、罹災者は100万人を超えた

空襲は、建前では軍施設や軍需産業に対する攻撃だが、東京大空襲は東京そのものの殲滅を目的とする無差別爆撃で多数の非戦闘員たる民間人が犠牲になっており、戦争犯罪ではないかとの指摘も強く、2007年の東京大空襲訴訟でも無差別攻撃はハーグ陸戦条約3条違反という主張がなされた[3]。第一次世界大戦後の1922年、ハーグ空戦規則が採択され、軍事目標以外の民間人の損傷を目的とした無差別空爆は禁止されていた[3]。

日本中を・・焼き尽くし作戦繰り返しの最後にやった原爆投下などに対する意見は、邪推でしかないとも言えますが、これと占領後の最初の行動が重要です。
人の意思はある行為の前後の行動から推測されるものです。
殺人や傷害事件でたまたまその場にあった刃物を使ったのか、その前から喧嘩状態にあって、面会前に刃物を準備して会いに行ったかなど前後行動が重要です。
占領後の実際政治では「日本民族にはアジア諸国と同様の生産力・農業生産しか認めない」という方針のもとに、すぐに各種生産産設備を取り上げて船積みをしていた事実を見れば、民主化するための占領というのは名目であって実際に行った生産設備破却行為を見れば(軍需設備かどうか不明だから民家も爆撃したというのであれば、占領後工場設備を設備を撤去してしまう必要はありません)どういう目的で戦争を仕掛けていたかが推測されるように思われます。
当時のアジアで植民地〜半植民地にならずにで独立していたのはタイ王国のみであり、その他は全部欧米の植民地であり中国は日本が、欧米疎開地を解放するまでは半植民地状態であり、最貧国的(戦後だいぶ経っても改革開放時日本の何十分の1の生活水準でした)状態でした。
何回も紹介していますが、現時点でのウイキペデイア(このブログでは特にことわっていませんが、学問的に絶対正しい保証はなくしょっちゅう変更されていますが、引用時点で一応この程度のことがわかっているという意味での引用です)による米国占領政治の紹介を引用しておきます。

産業解体
SCAPはドイツと同様に日本の脱工業化を図り、重化学工業産業を解体した。初期の極東委員会は賠償金を払う以上の日本の経済を認めなかった。

「賠償金を払い続けさせるために」奴隷のように働かせるが、「復興を認めない」ということは、焼け野が原のママで生活しろということでしょうか。
東京銀座や丸ビル付近の戦後直後の焼け野が原の状況が知られていますが、全土で空襲を受けなかった都市はほとんどなかった・千葉市の戦後写真展を見ると一般化されている東京銀座や東京駅周辺の写真同様に丸焼けの状態です。
地方のお城がほとんど(被害のないお城はほんのわずかです)空襲で燃えてしまったことから見ても、全国区のニュースになっていないだけで(お城のない千葉のような当時小さな街でもほぼ市街地全焼ですから)地方でも大方が焼け野が原になっていたと思われます。
札幌旅行の際に偶然見た札幌の空襲前後の写真展でも同じでした。
「復興を認めない」占領とは?国民大方に対して野宿生活を強制するつもりだったのでしょうか?
上記引用の続きです。

「マッカーサーも1945年(昭和20年)9月12日の記者会見で
「日本はこの大戦の結果によって、四等国に転落した。再び世界の強国に復活することは不可能である。」
と発表し、他のアジア諸国と同様に米国および欧州連合国に従属的な市場に解体するべく、極度な日本弱体化政策をとった。
こうして各地の研究施設や工場を破壊し、工業機械を没収あるいはスクラップ化し、研究開発と生産を停止させ、農業や漁業や衣類を主力産業とする政策をとった。工業生産も、東南アジア諸国などへの賠償金代わりの輸出品の製造を主とした[12]。
1945年(昭和20年)に来日した連合国賠償委員会のポーレーは、日本の工業力移転による中間賠償を求め、賠償対象に指定したすべての施設を新品同様の状態に修繕し、移転まで保管する義務を日本の企業に命じた。
1946年(昭和21年)11月、ポーレーは最終報告として「我々は日本の真珠湾攻撃を決して忘れない」と報復的性格を前文で明言し、「日本に対する許容工業力は、日本による被侵略国の生活水準以下を維持するに足るものとする。
右水準以上の施設は撤去して有権国側に移す。」とした。軍需産業と指定されたすべてと平和産業の約30%が賠償施設に指定され、戦災をかろうじて免れた工業設備をも、中間賠償としてアジアへ次々と強制移転させた。
1950年(昭和25年)5月までに計1億6515万8839円(昭和14年価格)に相当する43,919台の工場機械などが梱包撤去された。受け取り国の内訳は中国54.1%、オランダ(東インド)11.5%、フィリピン19%、イギリス(ビルマ、マライ)15.4%である。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC