生活習慣によって民族意識が培われるのでしょうから、日々の生活習慣の変化は重要です。
民族とは遺伝子によるのではなく同一生活習慣ひいては生活習慣に根ざした共通価値観で行動する人々のことでしょう。
もちろん業種や年齢、貧富差などによって細かく生活習慣・価値観も違いますが、その時代ごとの変化をほぼ共通に受けている人々・結局同一地域で長期間(1世代でいいのか数世代必要か?)生活している人ということでしょうか?
対外区別の標識としては、第一義的にはインフラ整備等による利害の共通性が標識になりますし、これまでその意味で書いてきました。
他県等からの移住者が移住直後(何年間居住者をいうかは別です)に住民税も払っている以上は平等投票を認めろ!という主張に反対する理由はそこにあります。
まして外国人労働者が数年いる程度で、国防に関係する自衛隊基地等の配備反対運をし、住民投票や自治体選挙権を持たせるのは行き過ぎです。
インフラは何十年もかかって積み上げた先祖の資産(お祭りを継続するかどうかも含めて)運用ですから、数〜5年前に引っ越してきたばかりの人がその運用に平等の口出しをするのは遠慮すべきでしょう。
有益な意見を言うのは勝手ですが、決定権を持たせろというのは行きすぎです。
民族利益に戻しますとこれを突き詰めると自国権益擁護のための国外出兵に繋がりますので、国内にある限度の利益共同体を守るという程度の意味になります。
この数十年外国への投資も盛んですので、民族利益には国外投資もはいるという方向性が強くなると「国外投資や国外在留邦人を守れ」ということになり満州事変や支那事変のようにいよいよ対決が激しくなります。
戦後では米軍駐留の場合もその国の防衛協力のためであって、その地にいる米国民保護目的に軍を駐留することはなくなったので・露骨な軍事介入はなくなりました。
多分・・1956年のナセルによるスエズ運河国有化に対する英仏の軍事介入が史上最後でしょう?
民族の守るべき民族益をインフラ等の投資残→民族文化とすれば外国に投資した民族益はどうなるかの問題が生じます。
外国投資が増えると本国と進出先の国との関係が悪化するとその国での商品等が売れなくなるし、投資拡大に比例して人的交流も広がり関係が深くなるのが一般的です。
交流促進が国際紛争のブレーキ役になると言われていますが、関係が複雑・深くなればなるほど紛争のタネも増えることも確かです。
個人で言えば数年に一回会う友人より日々会う関係の方が情報交流が密ですし、この最たる関係が夫婦であり親子でしょう。
関係が深ければ深いほど関係断絶には多くのマイナス効果が生じエネルギーがいるので、よほどのことがない限り相互に自己抑制するようになります。
それでも破綻する例が多いように、円満交流を永続するのは難しいものです。
国際交流を奨励する立場の人は、この抑制効果に期待しているのでしょうが、隣国等の関係は夫婦のように気が合うから隣国同士になったのではないので、どこまで複雑な関係を築いても関係がややこしくなり、気分を損ねる接点が増えるばかりでプラス面が比例的に増える率が低いはずです。
その地域に人類が住み着いてから何千年も別集団として障壁を設けて民族代表を通してしか交流しないでやってきたのには、それ相応の(気性が合わない)理由があったと見るべきでしょう。
都会人は隣人とは深入りして意見相違があると気まずくなるだけなので、出会えば「おはよう」と挨拶する程度にとどめて、深入りしないのが近所づき合いのコツと心得ている人が多いと思いますが、国際交流も同じではないでしょうか?
子供世代が結婚しても親世代同士は滅多に関係しないし、それぞれの実家とは濃密な付き合いをしないように心がけるのが普通です。
国際交流のメリットを熱心に主張する文化人?自身、自宅に帰れば近所の人と家族ぐるみで旅行したり、深入りしない近所づき合いをしているのではないでしょうか?
同一民族どころか、もともとの古い集落で生まれ育った人でさえ旧来型の濃密な付き合いを嫌って故郷を捨てる人が多いし、昭和40年代ころに農家に嫁がこないという時に農家自身が自分の娘を農家に嫁がせたくない矛盾が報道されていましたが、外国と縁が深まればお互いブレーキ役になり戦争抑止力になるという主張は、関係が深まるほど不協和感が強くなる現実を見ない空論ではないでしょうか。
民族益・外国投資の保護という点ではどうなるのでしょうか?
スエズ動乱のように露骨な接収はないでしょうから、今は最大でも反日運動やボイコット運動くらいですので、国外進出企業亜hその程度のリスク覚悟で進出すべきというのが国民合意であり、軍を動員して自国企業を守るなどの報復などは想定できません。
現在の韓国による反日不買運動に対しては、日本も紳士的にお返しをする程度のことでしょう。
この場合の民族精神はどうなるのかが数日前から気になっていましたが、たまたな歴博から送付してきたNO216号、「異郷で暮らす日本人」を読んでいると偶然?私の関心のあるテーマの研究資料が出ていたので、以下それを読んだ受け売りも含んで書いて行きます。
上記資料では境界人?だったかの表現ですが、遺伝子的には混血したハーフとは違うとしても、経済利害的にはハーフ的立場になるようです。
12年頃の中国の反日運動では日系製品不買運動が盛んでしたし、今回の嫌韓騒動では韓国のユニクロなど真っ先に不買運動の標的になっています)マイナスを懸念する企業の声が本国政治に影響するし、他方その企業の現地駐在員の方は本国ほど反中意識が強くなかったのも現実らしいです。
上記資料では日系企業に勤める店員や工場勤務者も、日本語学校に通う生徒も反日運動が激しくなると肩身がせまいので早く終息してほしいし、教えている日本人教師も中国人生徒(多くは10台でしょう?)の困惑した気持ちに寄り添いケアーして面倒見てきたようで、相互に日本人でも中国人でもない境界的共同体意識が形成される印象の記述です。