国内産業が疲弊すると職場が少なくなり、浮浪者が溢れ、することがない人が増えれば民心が無気力になります。
世界中が植民地と植民地を持つ国に二分化されて、際限ない収奪が進むと被植民地の産業構造の破壊が続く結果、世界中で強国と弱小国・民族格差・・文化の差が開く一方になりました。
植民地化によって関税等の防壁のない社会になると、イギリス・フランス等からの輸入攻勢で被植民地の事業主が倒産し経営者が夜逃げするような事態が増えて、その子世代では食うに困ります。
更にそのまた子の代には高度または中級の教育を受けられる人が少数化し、独立時代に中級教育を受けていた階層の多くが低級教育しか受けられなくなり、低レベル教育を受けていた階層は何らの教育も受けれないようになって行きます。
千葉で言えば地元商店街で酒屋や数カ所のレストランなど経営していた人が店舗を閉鎖して、入れ替わりに非正規系のファーストフード店長やコンビニ店長やマクドナルドの店長が赴任して来る社会になれば、地域社会の脆弱化は明らかです。
これが4〜5世代続くと地元文化にお金を出す余裕のある人が減り、文化人の比率が減り文盲中心社会になってしまう・・・・国全体が貧しくなれば文化の担い手(文化に金を使う人)が減り教育レベルが下がります・・・。
英仏企業との競争に敗れて事業倒産が増えて英仏企業の輸入案内人になった企業だけが生き残り、英仏等に抵抗して滅ぼされる地元豪族の中にあって、支配国とうまくやった支配に協力した豪族だけが生き残るのでは地元文化の担い手が減る一方です。
生き残った少数エリートの子息の多くは、(元々迎合主義者の子息です)宗主国の英仏等の首都へ留学し、その国の文化をまぶしいような気で受入れて帰国するのが普通です。
シンガポール国家創設者の李クアンユーが日経新聞に書いた「私の履歴書」にこの辺の気持ちが詳しく出ています。
土俗的なあか抜けない文化や踊りなどよりも、西洋のクラシック音楽やバレーやオペラをどんなに素晴らしいか・古くから地元にある酒やお菓子よりも、パリで飲んだワインやケーキが素晴らしいと自慢するのが普通です。
我が国でも横文字を縦にすれば博士になれる時代が長く続きましたし、私が成人したころは、何かあると「欧米では◯◯」としたり顔で講釈するテレビ番組が普通でした。
植民地争奪戦争は経済的には市場争奪戦争であり、支配服従関係に着目すれば帝国主義戦争であり、民族感情を基底に持って戦い侵略する結果、植民地の文化が劣化し続けることと相俟って人種差別意識を生み出し、世界中に民族格差を拡大する仕掛けだったことになります。
民族意識強調の時代に成立したアメリカ合衆国は、合衆国という我が国の名称にもかかわらず(正確にはUSAですから、合衆国ではありません)世界で最も人種別意識が強く、且つ実際に黒人に対する恐るべき人道差別をして来た国であるのは時代の申し子であるからです。
民族意識強調の最後の戦いを挑んだナチスが、ユダヤ人という標的を作ったのもその結果・必然であったと言えます。
日本の場合、支配地でもドンドン現地人教育に資金をつぎ込んでいたことから分るように人種差別目的ではありませんでした。
元々欧米の弱肉強食論理による餌食にならないために、アジアで団結しようと言うのが明治維新以来の国是ですから、協力者を増やすための国力伸張でしたから意味が違っています。
アメリカや中国が日本的自他愛・献身の精神を理解できないので、人道など問題にしない自分たちのどん欲な価値観で、日本も同じことをした筈と言う信念で悪宣伝をしたがるのです。
中韓やアメリカは、全くのデッチ上げを主張している自覚すらもないのではないでしょうか?