民意3(脱原発論と即時廃止論とは大違い)

政党の掲げる政策は「間接的に民意を反映しているべきもの」とみれば、原発即時停止論を支持する民意を知るには原発即時停止論を掲げる政党とその当選者数・比率が重要です。
民主党でさえ30年台の原発ゼロ政策が公約でしたし、民主党から出た希望の党の公約は30年「台」を縮めた「30年」までに廃止の公約でしたから、即時停止論ではありません。
即時停止(に近い)主張を掲げる政党は共産党や社民党、立憲民主でしょうか?
これも近いというだけで与党にある心配がないから(鳩山氏の少なくとも県外へ同様に)無責任な主張をしているだけで、政権をとったその日に全国原発の一斉廃炉作業に入れるなど考えてもいないでしょう。
物事には順序があり、激変緩和のために5〜10年かけて順次廃炉していくなどの順序なしに一斉廃炉になれば全国で膨大な関連企業の倒産失業(原子力関連学生の進路もなくなります)が起きます。
ところが、福井か大津地裁だったかの操業停止仮処分でわかるように裁判の場合、決定のあったその日から即時完全停止です。
企業側は、まだこの決定が取り消される可能性があるので大量解雇に踏み切りませんが、もしも国策で即日全国一斉となれば早くとも政権交代まで数年もあるとすればそんな危うい期待で人員を抱え切れません)全電力会社あるいは原発関連の重電各社とその納入部品各社は即刻企業対応・生産仕入れ廃止、整理解雇・生産設備廃棄に走るしかないので、国を挙げての大騒動になります。
千載一遇のチャンスとばかりに国を滅ぼすつもりならば別ですが、いくら現実無視の立憲でも共産党でもそのような主張をしているとは思えません。
新潟県知事選で「慎重派」が当選し(最近辞任)ましたが、恒久的廃炉ではなく「いちゃもんをつけて」同意しない・・地元見返りを求める沖縄同様条件闘争での慎重派です。
本気で数十年停止のままならば業界上げて撤退してしまうので地元産業/雇用がどうなるかの大問題に発展します・全面撤退しない程度の脅しに使う意味です。
沖縄の例で分かるように目先の駆け引きに使う小狡い対応が、長期的に地元の信用にどう響くか(こういう地域へは、他産業進出が減るでしょう)の高度な判断が利くか、利かないかは地元民度次第です。
4〜5日後に引用する記事によれば、今年1月現在で上記⒊党合計議席は衆議院議員465議席中68議席ですから、即時停止に「近い」主張政党の議席保有率は1割あまりしかありません。
海渡氏は最終章の「提言」において

「これまで裁判所は、・・・国策に追随する判断を重ねて来た。しかし・・「多くの国民の世論が脱原発を求めている今日」・・市民は勇気ある裁判官を必ず支えることを信頼して「良心を貫いてほしい」
「再稼働を認めなかったいくつかの判決・決定は・・司法の良識をしめした」・・この良識に続く、勇気ある裁判所が次々と現れることを心から期待する」

と言うのですが、海渡氏は「国策」を民意に反する何か邪悪なものという前提を置いているように思われます。
いつも書くことですが、特定思想集団は中国やソ連の恐怖政治を理想としているからでしょうか?政府というのは民衆の敵だという信念が固いようです。
ところが民主国家における「国策」とは長期的な議論を経た民意によって決まって行くものであり、議論を戦わせるまでは民主国家で必要ですが、長期的(しょっちゅう変わる交通法規や補助金等の決定と違い、国の基本方針は何年もの議論をおこなって民意の動向を見定めてから行うのが一般的です・実際原子力政策に関しても東北大震災後すでに何回も選挙をおこなっています)かつ公正な議論を競い何回もの選挙を経て民意の方向性が決まった結果の国策に議論に負けた方が、あくまで反対し妨害するのはルール違反です。
彼の言う「国策」に反する決断をするべき「裁判官の良心」と何を意味するのでしょうか?
「勇気」を強調していますが、文字通り民主国家の原理を踏みにじる蛮勇・・権限乱用の自己陶酔の期待でしょうか?
裁判官は「法と良心のみに従うべき」ですが、良心とは形式的な文言に明記していなくとも、偏った一派に肩入れするような権限乱用しない・合理的民意を知る方法のない古代は「神威」民主国家においては良心のありかは「民意がどこにあるかを見る」良心ではないでしょうか?
今の時代民意以外に置くべき良心の基準は考えにくいことです。
「裁判官の良心」についてApril 3, 2016「司法権の限界9(法と良心とは?1)で書いていますので、これはその再論です。
裁判官が個人信条に従って民意による国策に反する判決を書くのは権利の濫用ですが、その「勇気を出せ」というのでしょうか?
ところで「国策」といっても原子力政策でいえば、すでに紹介した通り平成11年大地震以降の基本政策検討期間ではすでに7年経過していますが、民主党政権の30年代までの廃止、希望の党の党30年までの廃止、自民党のさらなる長期政策、原発訴訟団の即時廃止主張まで時間軸で大きな隔たりがあり、これが争点になっているのですす。
この間多くの国政選挙〜都知事戦その他各地方選を経て民意の方向性が徐々に出始めています。
現時点で即時廃止に「近い」を主張する政党は冒頭に紹介した通り、わずかに10数%の支持・議席しか得ていません。
上記の即時廃止は政党のうち54名を占める立憲民主の創立者で党首枝野氏は、上記30年台での廃止目標の基本政策を決めた時・・責任政党の閣議決定には、30年台目標の長期ビジョンに賛成していたのに、下野すると即時廃止論という無責任?な主張に変わるのって政治家に対する信用がどうなるのという気がしませんか?
http://arinkurin.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/post-c030.html

2012年9月14日、野田政権の時代です。
野田政権は、14日のエネルギー・環境会議で、「革新的エネルギー・環境戦略」として、「2030年代に原発ゼロを可能とする」との目標を政府方針に初めて盛り込み、原発の新増設をしないことや、運転期間を40年とすることも明記しました。
そして同時期に行なわれていたIAEA年次総会で、山根外務副大臣が、新たな原発建設をゼロにし、2030年代にまですべての原発を廃止する方針を公表する手はずを整えていました。
これを私は興味津々で眺めていました。政府方針で国際公約とする以上、その実現性はきわめて高いし、もし自民党に戻ったとしても、国際公約の歯止めが効くからです。
そして当然のこととして、ここまで踏み切った以上、エネルギー専門家を交えた工程表もあるだろうし、諸外国、特に米国との根回しも完了していると思っていたからです。
ところが、この政府の決定は、わずか2日後の9月19日にひっくり返ってしまいます。
野田政権は、30年代原発ゼロを閣議決定から、「参考」にまで格下げして、「柔軟性をもって不断の検証と見直しを行なう」という意味不明の文言で、事実上破棄してしまったのです。
そして、「受け入れ地域住民との対話」を強調して、もうしばらく後には、野田首相自ら大飯の再稼働を認めます。

民意(選挙と世論調査)2

科学的にわからないとすれば、原発の即時停止が妥当か2030年台までの猶予を置く民主党の主張が妥当か40年代が妥当か否かは、専門家優位の科学判断でもなければ・法律判断分野ではなくその被害を受けるかその間だけでも利益を受けた方が良いかのリスク判断は、当事者=民意次第というべき分野です。
科学的にいつ大規模地震や火山噴火があるか不明であれば、原発を即時停止すべきか10年〜20年で徐々に減らしていくかなどは(いつ来るか分からない点は専門家も国民も同じですから)専門家が決めることでなく、国民の総意・価値判断事項です。
大学進学しても社長になれるか銀行員になれるか平社員で終わるかも全く保証の限りではありませんが、大学進学する人がいるように、いろんな分野で結果保証の限りでないがいろんなことに挑戦する人がいっぱいいます。
リスクを取るかどうは当事者が決めるべきであって、先生や周りのいくら立派な人でも第三者が決めるのではなく最終決定権者は本人です。
ましてや、裁判所が科学根拠なく、神の意思体現者のように誰が何に挑戦すべきかを高みから決める権限などある筈がないでしょう。
文字通り「良心」があるならば、「自分にはそういう権限がない」と回避すべきです。
海渡氏の意見では、民意によるべきか?という疑問さえ抱かずに科学でわからないならばエリート裁判官が「良心に従って決めるべきという主張が自然に出てくるのが、彼らの特徴です。
昨日だったか?思想の自由市場論で書いたように、指導者が一方的に決める思考回路に親しんでいる場合にこういう意見が自然に出てくるのでしょうか?
ただし、終わりの方では流石に気になったらしく(交通事故ゼロが100ゼロでなくとも良いのとは次元の違う大規模被害になるから?)「多くの国民の世論が脱原発を求めている現在」と書いてありましたが、どこで多くの国民が脱原発を求めていると調査したのか根拠を書いていません。
本来論証すべきテーマは原発が壊滅的機被害を受ける地震がいつ来るか分からない時に、その間、そうするかについて、国民意思によるべきか陰陽師等の占い師に委ねるか等の決定権者に関する議論が必要です。
神のお告げや独裁者の命令よりは「民意によるべし」というのが、民主主義国家においては争いのないルールであると思えます。
そうなると論証すべきは民意がどうなっているかが重要ですが、この重要な民意がどうなのかについて海渡氏はいつの世論調査かの引用すらしないでいきなり「「国民の世論が脱原発を求めている現在」という結論を出して一方的に自己主張と同じだというかのようです。
革新系の常套文句・・・「国民多数の声を無視するな」と同じ繰り返しです。
重要なのは地震や火山噴火の予知が確かかどうかではなく、この程度しかわからないことについて、国民が原発にどの程度までのリスクを許容しているかです。
車の事故がゼロでないから乗っては行けないという人はいないのですが、車や一般の公害と違い原発の被害が巨大だから、「確率100%ぜろが必須に決まっている」と言うのが、海渡氏の立場のようですが、そういう国民合意があるのかどうかこそが重要です。
いつも書くように、彼ら選挙では少数の支持しか得られない革新系が国民意思を何故代表していると言い切れる?かです。
反原発を誘導したい立場あるいは促進したい立場で行う非中立の世論調査で民意が決まるならばこの世の中に選挙制度も国会も不要です。
報道機関が勝手にやっているだけで、世論調査には民意を確定する権限が一切ないのですが、報道機関が自己のやっていることを誇大に評価しているだけのことです。
民主国家においては本当の民意は、秘密投票制の選挙で決まるものであって、それ以外には正式に知る方法がありません。
特に英国のEU離脱国民投票と事前世論調査の大幅食い違い、アメリカ大統領戦での世論調査と選挙結果の大幅乖離、日本でも昨年の総選挙前の内閣支持率低下状態の大規模報道と選挙結果の大幅乖離などが続き、世論調査の信用性が大幅に低下しました。
4〜5年前の都知事選で原発反対を主要政策に掲げて立候補した元総理細川氏(大物コンビ)が元総理小泉氏支持を受けてメデイアの大報道を受けて選挙に臨みましたが、惨敗しています。


共同通信
2014/01/13 に公開

細川護熙元首相(76)は14日昼、東京都知事選(23日告示、2月9日投開票)への立候補に向け、小泉純一郎元首相と都内のホテルで会談した。
細川氏は出馬を表明。 「脱原発」を目指す考えで一致している小泉氏 は支援する考えを伝えた。

14年の都知事選の選挙結果は以下の通りでした。
https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/edit

1 ■舛添要一    無所属  新   2,112,979   43.40%
2 ■宇都宮健児   無所属   新    982,594.767   20.18%
3 ■細川護煕 無所属 新    956,063   19.64%

http://blogos.com/news/2014_tokyotochijisen/?g=politics

新聞各紙の社説
手堅さを選んだ都民             朝日新聞
原発論戦今後に生かせ 首都の安全網に全力を 毎日新聞
・無責任な「原発ゼロ」信任されず – 読売新聞
・「脱原発」ムードの敗北だ 五輪や福祉への対応を急げ – 産経新聞

上記の通り原発事故から日の浅いこの時期でも、脱原発を正面テーマに据えた選挙をしてみると、根拠のない?原発反対論は19%あまりの支持・・棄権票を反対票にカウントする革新系の好きな計算方法によれば約1100万有権者の内95万人しか支持されなかったということです。
しかも原発反対派の公約自体は即時全面廃止の主張ではなく、せいぜい脱原発という方向性の主張に過ぎませんが、それでも19%あまり(有権者の1割弱 )の支持しかなかったのです。
ところでここで注意すべきは原発訴訟は、仮処分による「即時停止」を求めるものであって、民主党でさえそんな過激な主張をしていません。
民主党は蓮舫執行部の昨年始め頃に2030年までの廃止表明に動きだしたものの、党内反発が強くて党内の公式議題にすらできず失速して、退陣となり前原執行部になって、総選挙を迎えたものです。
ちょっと見ると、17年選挙時に民主党の立候補がなかったので民主党の政策が直接出なくなっていますが、間接的には以下の通りです。
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20171005/ddm/002/010/122000c

希望の党は「2030年までに原発ゼロ」を掲げ、民進党が訴えていた「30年代ゼロ」より踏み込む方針だ…

毎日新聞でさえも上記の通りで、即時停止などの乱暴な意見は怖くて選挙公約にすら掲げられないということは民意は即時停止を求めていないという各党の評価でしょう。
海渡氏は、どういう根拠で即時停止を求めるのが民意/国民多数の意思であるかのように主張しているのでしょうか?

民意(選挙と世論調査)1

(アメリカのバックを期待した)中韓政府による慰安婦や南京虐殺宣伝強化に対して安倍政権は発足時から、これを正面から否定する姿勢でしたから、両国は戦後70年も日本叩きに(騒いでは日本から妥協を引き出す・言わばゆすりたかりの材料にしてきたのです)利用してきた材料を失うので猛反撃をしてきました。
これに敏感に反応して来たのが日本のメデイア界でした。
安倍政権が慰安婦否定を基本軸にした立場で発足するとメデイア界総力をあげて「歴史修正主義者」というレッテル貼りにメデイアがこだわるのは、日米戦争に関する「アメリカの大義に挑戦している安倍政権」の図式を作れば安倍政権を抹殺してくれる期待があったからです。
田中角栄以降少しでもアメリカの意向に反する独自外交を試みるとあっという間にスキャンダルが暴かれて(CIAはそのために世界中で展開しているような存在です)潰されてきたのが戦後の歴史でした。
橋本龍太郎総理があまりに激しい日本叩きに対して「米国債を売りたい誘惑がある」と遠慮がちに言ったら因果関係不明ですが、ともかくすぐに失脚でした・・。
今回は安倍総理の巧みな国際外交の結果、アメリカは日本支持に鞍替えするしかなくなった結果、朴大統領は「不可逆的」と国辱的な条件付きの日韓慰安婦合意を迫られて失脚し、中国も露骨な反安倍外交を手仕舞いして今ではもみ手ですり寄ってきた状態です。
アメリカの国際的地位低下→日本の心からの支持を受けるには、いつまでも「日本悪者説」のままではうまく行かないので、戦争責任に関する歴史見直しがアメリカ自身で始まってきた方向性が感じられるようになりました。
歴史修正主義者のレッテル貼りがアメリカの支持を受けずに失敗した現在では、政策内容の議論よりも安倍政権だけは許せない・・「安倍政権下の〇〇反対」と言うスローガンほど(従来のアメリカの意向反映ではなく中韓独自の利益代弁・・)中韓政府の意向をはっきりさせる標語はないでしょう。
ところで戦後思想界の動きについては、アメリカの思惑と違い、思想自由化を進めると教育界や思想界が左翼思想一色になっていった経緯を書いている途中でしたが、(書き掛けのシリーズに戻る予定です)報道の「聖域化」が左翼(中ソ)や韓国系の浸透を促してしまったことになります。
ここで一言書いておくと「思想の自由市場論」は現場に立脚しないエリートの観念論優位を前提にするものであって、経済活動の自由市場論・庶民の動きによる市場によって形成される結果優位説(学問=国家指導によって価格や必要産業が決まるのではない=自由主義経済思想と相反する思想です。
経済学者は市場の動きを後追い解説ができますが、学者の言う通り市場が動かないのは市場が間違っているのではなく市場が正しいものとして受け入れるのが自由主義社会の原理です。
共産党一党独裁は専門家の決めた計画経済体制ですから、観念的思想論争に自由の建前があっても、現実重視の価値観がありまでん。
当たり前すぎてこういう意見をいう人がいないのかもしれませんのでこれは私独自の意見ですが、上記私見によれば、思想の自由市場論という特殊閉鎖学会?内の自由市場論は自ずから現実無視の観念論にたけた左翼思想の席巻を許した原因でしょう。
これで思い出したのですが、数日〜4〜5日前に事務所で時間があったので(2月頃の日付の)判例時報に日弁連元事務総長だったかな?海渡雄一氏の原発訴訟関連の論文があったので読んでみた印象です。
(うろ覚えですので誤解があるかもしれませんが、その時に受けた印象です。)
伊方原発に関する最高裁判決以降の原発訴訟判決や決定など、論旨明快な解説批判でしたが、要は地震や火山噴火(鳴動)の発生メカニズムがはっきりしないことが論証されたということらしいです。
論証されているのに原発停止を命じない裁判官がいるのは、「岐路に立つ裁判官」「独立した司法が原発訴訟と向き合う」という表題「良心にのみ従って」判決を書いて欲しいと言う趣旨の主張を総合すると海渡氏らの主張に合わない判決や決定を書く裁判官は如何にも権力から独立していないかのような表題です。
以上は論旨明快なので頭の良い人らしいと分かるのですが、そもそも「百%安全を論証しないと原発が許されない」という前提自体の論証がありません。
そもそも国民が、「100%地震予知できて安全」などと信じているのでしょうか?
脱原発主張の民主党でさえ30年代までの原発廃止目標でしかない・原発訴訟団主張の即時停止を求めていないのですが、民主党が科学的に100%安全を前提にこういう主張をしているわけではありません。
100%安全であれば民主党も脱原発を主張していないでしょう。
そもそもほんのおめでたい例外を除いてほぼ百%のひとが、火山や地震の研究を進めても今後50年や100年で正確な予知できるようになるとは思えないが、やらないよりは良いので予知研究を進めているだけというのが一般理解ではないでしょうか?
まして現段階で地震のメカニズムを知り尽くして100%安全だとの主張をしてきた人は誰もいないでしょう・・そんな不可能な主張を政府がしてきたとは誰も思っていないでしょう・・。
100%安全などと誰も思っていないことについて、100%安全でないという論証したというような意見ですが、そんな無駄な論証に長期間を費やしてきたとは驚きです・原発訴訟とは「木を見て森をみない」を絵に描いたようなプロの仕事か?と言う印象です。
現時点の科学技術をできるだけ取り入れる程度の意味で科学者による規制委員会に決めさせているに過ぎないのに、揚げ足取り的批判をして、変な技術論に踏み込んだ結果「100%安全でないことがわかった」からと言って原発を止めるべきかどうかの議論をするのは国民関心とズレている印象です。
(元々百%正確に火山爆発や地震を予知できると思っている人はいないでしょうから、当たり前すぎることを論証するために国費を浪費して?裁判してきた努力に驚くばかりです・)
今日明日の天気予報でさえ、「現在科学で分かる限度でいえばこうなるだろう」という程度であって、100%の精度など誰も期待していません。
明日の天気予報を見て寝ても、翌日になるともう一度今日の天気予報を見、空を見上げてから出かけるのが普通の行動です。
昨日予報を見たから今日の天気を気にしない、あるいは、週間天気予報を見たから今後1週間天気予報も見る必要がないという人はいないでしょう。
経済学者の論説も「一定の与件で考えればこうなる」というだけであってその他無数の条件については(わからないことが多すぎるので)考慮に入れていないので、実際の経済予測がほとんど外れているのです。
どうせ正確に1週間先の天気がわからないまでも専門家が現時点で分かっている程度の科学的な説明してくれたら納得しやすいという程度を科学者や経済学者等の説明に期待しているだけです。
大地震直後に地震の仕組みの説明が出ますが、それも今のところ、こういうことが分かっているのかな?という程度に多くが受け止めています。
以上によれば元々誰でも知っていることを長々と裁判して科学的に1000年以内の噴火や大地震がないと言えないことがわかったことで何が決まったというのか疑問です。
科学でわかるか否かの勝負がつけば、科学でわからない場合どうするかが次のテーマです。

高齢者と民意2

国際経済競争の激化・世界情勢変化の激しいこの時代に、何かと与党を困らせるために重要政策や重要産業発展に必要な施策に限って議事妨害に精出すのですから、これほど国益に反することはありません。
激しい反対運動の結果、成田空港は滑走路1本の変則空港で始まる・アクセスとして成田新幹線(東京成田間が15分前後)が予定されていましたが、反対が酷すぎて変則空港になったので利用者が見込めずに沙汰止みになりました。
せっかく用地買収していたので数十年を経て現在北総線として通勤電車の線路になっていますが、この挫折自体も国際ハブ空港としての頓挫原因の1でした。
結果的に先発の成田空港が後発の仁川空港に国際ハブ空港の地位を奪われるなど、何でも反対の運動が日本の国益を損なう方向に及ぼした悪影響は測りしれないものがあります。
過去の色んな事例を見ると、反対するだけして、最後に法案が成立するにしても導入を1日でも先延ばしし、実現するにしても修正に修正を重ねさせて使い勝手の悪い制度にしてしまい、政策効果を削ぎたいという態度が見え見えです。
どのような政策を採用することが国益になるかについては民意が決めることですが、これについては、重要法案については選挙前から政党ごとの方向性を有権者が知っているので選挙で決着がついた事になるので、国民多数の支持を受けた与党主導の重要政策実現に反対するのでは選挙結果=民意無視になります。
選挙で決まった政権選択=政権党の重要目標とする政策が民意によって支持されたのに、選挙で負けたことを潔く認めないで審議拒否牛歩戦術などあくまでも反対を貫いてきたので、選挙のたびに支持を減らしてきたのが旧社会党でした。
選挙でもスポーツでも勝負に負ければその原因を究明反省して捲土重来を期すのがあるべき姿ですが、負けたことを認めないで「国民大多数の気持ちを踏みにじった強行採決を許さない・」などの決まり文句ばかりでは、国民の方が白けます。
でも騒動が好きなようですが、デモをしたら支持が増えるとおもっているのでしょうか?
反対だけでは党勢縮小の一途で旧社会党凋落の結果、社会党を脱出した議員中心に結成したデモクラッツ以下、雨後の筍のように次々と生まれた野党(離合集散を繰り返して、今は立憲民主と国民民主と両党に合流しなかった無所属の3派ですが・・全学連が分裂を始めて3派10流と言われたのと似ています)は、自分の主張は原理論ばかりで具体性がないのですが、政権攻撃するには政策内容に関係ない枝葉末節のルール違反の「疑い」を騒いでは、国会審議妨害作戦を展開していることになります。
憲法改正でいえば、何が不満というのかはっきりしない・・「安倍政権での改憲反対」・・の世論調査の仕方を見ても内容で勝負する姿勢が見えません。
働き方改革では前提データの違いが発覚した点は問題(というばかりでそのデータが法案のあり方にどういう影響があるのかについてメデイアによる説明がない・・「お前は頭が悪いだけ」と言われればそれまでですが、だからと言って野党側に与党と違うどのような意見があるのか一切不明・ただデータがあてにならない・・「こういうことで良いのか!」と言わんかのような批判ばかりです。
何かミスを見つけ出しては政府が「こんな杜撰なことで良いのか」という追及ばかり聞いていると国会は「ミスのホジクリあいのためにあるのか?」と思う人が増えるでしょう。
もともと多数党の掲げる政策実現は、抽象的に言えば選挙による民意の支持をうけているのであって(野党は一任したわけではないと言いますが、代議制民主主義とは人格識のある人に決定を一任する仕組みで、一々のテーマごとに民意を問う仕組みではありません。
選挙の結果支持を受けた与党の重要政策の実現妨害をすること自体が、民主主義制度の破壊行為です。
原理論と違い現実の政策課題・・特に細かな条件の決定などは、あらかじめの公約に基本的に馴染みません。
幹線道路貫通や保育所増設でも方向性は言えても具体的にどのように実現するかは、現場ごとの市民の反対運動等があって、実現過程は千差万別です。
沖縄基地移転問題で民主党鳩山政権が食言になったのは、この限界を悪用して「公約だからいい加減・夢さえ語れば良い」という根拠のない公約を掲げたことによります。
革新系支持者は、実務経験がないというよりか、高齢者(どこかの企業や官庁の勤務経験者ですが)の中でも元々中学生レベルの夢を語るレベルで理解が止まってしまった人が原理論しか言えない体質がモロに出た象徴です。
(企業内でも原理論にこだわってあちこちでぶつかりながら定年までようやく生き延びてる自分を組織内で生き残るために仕方なしに?内心宥めながら、なんとか定年まで仮面をかぶってやってこられたのかも知れません)
一般社会で見ても意見相違があっても、ある組織が多数決で「何月何日にお花見やAの行事をやろう」と決めたらBの行事をしたくてその行事に反対した人でも気持ちよく協力するのがルールです。
みんなで決めたことを自分は反対だったからとその準備の仕方にいちいちケチをつけていたら、その組織の一員として生きていけません。
こんな言いがかり的審議拒否の連発では、一見反日目的集団・中韓の犬ではないかと主張する人が出てくるのはムベなるかなというところですが、私は彼らを必ずしも反日目的集団とは思っていません。
彼らは民主主義政治、人権尊重という言葉に酔いしれている結果、相手にも意見があり人権がある・・意見相違には妥協が必要という現実を受け入れられないからではないでしょうか?
この点では1つの価値観が「唯一正しい」と決めたら一切疑問を持たず心酔する・・共産主義独裁はそう言う単純理解にはピタリの思想です。
北朝鮮を理想郷と称賛して移住を奨励したり中国の文化大革命を称賛していた左翼文化人の心の拠り所がここにあります。
この理想社会実現のためには「遅れた民意を指導する」のが前衛支配思想で、レベルの低い遅れた思想は前衛思想家が「思想改造対象」でしかない・・理想社会実現を妨害する反革命分子は容赦なく叩き潰す・・・粛清の嵐を称賛することになります。
中ソ等の独裁政治・偶像崇拝的傾向・・スターが演説すればそれに酔い痴れてどのように実現するか(都市計画の具体的現場でブルドーザーで庶民の家を踏み潰して行く中国の現実には目を向けない)を問題にしない・・理想としているからこういう行動をとるのではないでしょうか?
自由主義国を転覆させるためには「方便として最大限言論の自由を主張し、手続きミスをあげつらうべし」ということになるようです。
テロ組織は相手国の交通等の麻痺を企図するのですが、自分がテロ現場に赴き逃走するにはその国の交通網を最大限利用するのと同じです。
中国が自分は相手国に自由な行動をさせないが、相手国の公平で開かれた制度は十分利用すると言う身勝手な態度に対してトランプ氏が「冗談じゃない!」と怒りを炸裂させているように物事は互恵関係が基本です。
スポーツでも日常生活でも何でも一方がルール違反やり放題では、まともにスポーツを楽しめませんし近隣の交際になりません。
付き合い初めにはルール破り放題でも「まさか?」と思うので多めに見ていますが、一定期間経過で「いい加減にしろよ!」なります。

高齢者と民意1

産経ニュースによれば以下の通りでした。
https://www.sankei.com/politics/news/180430/plt1804300002-n1.html
ニュース 政治

2018.4.30 01:00更新
【政界徒然草】野党の審議拒否は若者に支持されるか
世論調査に現れた世代ギャップ
産経新聞とフジニュースネットワーク(FNN)が4月21、22両日に実施した合同世論調査で、一連のセクハラ問題に関して麻生氏が辞任すべきかと尋ねたところ、「辞任の必要はない」が49・8%となり、「辞任すべきだ」の45・6%を上回った。
大差がついたわけではないが、年代別に分析すると興味深い傾向があらわになる。
若年層(18、19歳と20代)では「辞任の必要はない」が71・7%と多数を占め、「辞任すべきだ」は26・8%止まり。
逆に高齢層(60歳以上)では「辞任すべきだ」が58・4%で、「辞任の必要はない」が35・5%だった。

高齢者は「揉め事が起きれば為政者は責任を取るべき・総辞職すべき」という戦前日本が間違った方向へ引きずり込まれた悪習を後生大事にしている印象です。
戦後民主主義のスローガンに夢を抱いて育った世代・高齢者(といっても私も後期高齢者ですのでその気持ちはよくわかりますが・・)は、ともかく戦前軍部は悪かった政府は悪いことをすることをする・・これを信用せず監視するのが民主主義だというような教育で育った世代です。
ともかく批判精神が重要・・・前向きの政策をどのように進めるかの教育を受けた記憶がありません。
この教育の結果何でも批判的に見る→先ずは反対から入っていくことが正しいような生き方が身についた世代なのでしょう。
反対から入る=従来の方式やルール変更や新技術導入に反対となりますから、世界の進運に棹差す方向=超保守運動に陥ります。
このコラム何回も書いてきましたが、私が弁護士になった頃には、成田空港反対、高速道路反対、川鉄操業反対・(録音機発達による)裁判所タイピストや速記官廃止反対・・共通項はなんでも新しいことに対する反対運動に誘われたものです。
それぞれ騒音被害、公害 、予防接種被害その他理由をつければ色々ありますが、今の原発でも同じ・・いつも車の例を書きますが、交通事故ゼロにできない点は明らかですが、物事の是非はその不利益と便益のどちらをとるかの政策判断であって、交通事故について見ると1970年に年間16765人の死者があった時代から2017年は3694人に減っています。
原発でいえば、絶対に被害がゼロとはいえないという想像(まだ一人の死者もでていないというのに)だけで、反対理由にしているのが不思議です。
公害や空港騒音があることから直ちに操業、飛行禁止ではなく、技術の漸進を求めていく方が合理的であったことを歴史が証明しています。
私の場合、日本よりひどい公害を撒き散らしている中ソの重工業の発展を称賛しながら、国内工場には反対する二重基準ではおかしいと思うようになって反対運動に参加しなかったことを書いてきましたが、この辺で反対ばかりしているのはどこかおかしいのではないか?と疑問を感じる人が増えてきて、結果的に反対ばかりに特化している社会党支持が激減して行ったように見えます。
物事には例外がいるもので、学校秀才?にとっては自分が「前衛」で進んでいるエリート意識の塊ですから、意識の低い人を教育する必要があるとまだ信じ込んで今に至っている様子です。
彼らは単なる戦後教育の申し子にすぎません。
戦前は軍部とメデイアバックで、戦後はメデイアと中ソ、中韓?バックでなんでも反対して議会審議停滞させて政策遂行を妨害することが正しいという教育にどっぷり浸っているのが高齢者のイメージです。
彼らの支持を受けている確かな野党は、今では正面きっての反対が国民支持を受けられなくなったことを知っているので法案自体の反対ではなく、揚げ足取りに終始するようになった印象です。
今回の愛媛県の獣医学部新設反対が本来の意図でしょうが、法案内容の議論を一切せずに手続きを批判しているし働き方改革法案も内容についての議論が一切なく「データがどうだ」という議論ばかりです。
「真偽や正邪はともかく騒動さえ起こして国政麻痺させれば良い」
という露骨な審議妨害に徹するようになってきました。
違法収集証拠論の発展で書いてきましたが、今や内容の「正邪よりは手続き」という戦術です。
民主国家においては反対意見がある方が言論が活発になって良い事ですが、政策議論より揚げ足取り→審議妨害ばかりでは国会の存在意義がなくなってしまいます。
彼ら高齢者にとっては60年の安保国会・・国政麻痺こそが理想の姿ですし、何かというと国会周辺の大規模デモ(実際には小規模ですが・・)をメデイアが宣伝するのは、戦前民意によらないで騒ぎを大きくして、国政を停滞させて政府を困らせれば政権交代になってうまい汁を吸えてきたノスタルジアの表れです。
民主国家においては、革命騒動や大規模デモなど騒乱で日本の政策対応を停滞させて物事を決めるのではなく、選挙で民意を静かに表現するのが基本です。
今でも、航空写真等を見ると高齢者中心に数千人程度しか集まらないのに、万単位の水増し発表をしている印象ですが・後記の通り戦前の歴史経験から、メデイアは政権批判運動が大きければ大きいほどメデイアの影響力を高められると信じているようです。
国政は比較多数の民意によって決めていくのが民主主義社会の基本原則です。
民意による選挙結果を無視して組織動員して騒動を大きくさえすれば内閣総辞職→民意支持に関係なく少数野党に政権交代する戦前のエセ民主主義を前提にする現在野党やメデイアの考えでは、結果的に国会審議妨害になれば良いので何でも反対運動・・揚げ足取りへと導きます。
(と言っても1億数千万人口のうち数千人から1万前後のいわゆるプロ市民・あるいは退職して時間を持て余している高齢者が集まっているようですが・・彼らの動員が容易になったこともこういう傾向に拍車をかけているのでしょう)
政権担当者は、寸秒を惜しんで国政に集中しなければならないほど需要決定事項が山積していますが、大事な政治家の時間を、スキャンダル暴露バカリ・・国家運営レベルから言えば何段階も下位の官僚が処理すべき事項について国会のテーマにして担当大臣や総理を問い詰めて・辞職しない限り審議に応じない必要があるのかということです。
今回騒動になっている官僚のセクハラが事実か否かの争いは司法で決めべきことですし、仮に事実としても公務員のセクハラ程度で大臣や内閣が総辞職しなければならない・・国政全てをストップさせなければならないような大事件かの説明がありません。
社員・部長クラスの社員がセクハラや刑事事件を起こした場合、社長が辞任しない限り、株主総会の審議に応じないという大株主がいるでしょうか?
セクハラどころか、公務員の汚職がわかった場合でも、政府としては今後「綱紀維持に務める」とかこのような事態発生に対する政府の姿勢を説明したり、せいぜい再発防止策を聞きたいという程度テーマでしかありません。
どこの企業でも自治体でも汚職や職員が刑事事件を起こした場合でもそんな程度であり、頭っから社長や市長辞任を要求する例を聞いたことがありません。
低レベルテーマをくどくどと追求する質問対応に心身をすりへらさせて国政に集中出来なくする目的は何か?という疑問を持つ人が増えるでしょう。

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