民主主義と郷土愛の必須性3

指導者社会か、世話役・民意吸収型社会(後追い型)かの違いに戻りますと、日本は古代から民意・文化が自然に熟成して社会構造が間断なく変わって来たので、政治家は民意の把握・これに基づく世話役的役割が求められていたのに対して、欧米その他ではモーゼのような卓越した指導者が進むべき道筋を示して蒙昧な民・羊を導いて行く社会を選定していることと対比出来ます。
欧米の民主主議とは指導者選定手続を言うノミであって、選任された「指導者」は民意によらずに神の啓示?で民を導く存在です。
独裁では,終身か任期制かは重要な意味を持ちますが,日本の場合任期制がなくとも幕府老中でも現在総理でも概ね2〜3年ごとに自然に変わってくのは,民意が2〜3年で移ろい易いものであり,どんなに良く考えた良い法律でも,施行してみて2〜3年すると矛盾や不都合な部分が出て来るので修正する必要があることによります。
「牛にひかれて善光寺参り」と言う言葉がありますが,欧米や中東その他では羊に人間が導かれるという発想がないでしょう。
指導者の導く社会・・が良いと思っているものの日本人である限り「自分が卓越した指導者」と名乗るのはいくら何でも憚られるので,「欧米では◯◯」「国際社会では◯◯」と言って「無知な民を導く」「指導者」の代弁者?になろうとするのが,左翼・文化人です。
これの延長で日本人でありながらNGOとして国連で日本批判運動をして国連報告を作り上げようとした?疑いが生じたのが昨年末頃に児童売買春についてマトモな調査もしないで国連報告になりかけた騒動・・問題です。
国内政治の実現には国内の有権者に解してもらうべきであって,国内支持の少ない分を国外勢力で補完しこれをを巻き込もうとするのは亡国の始まりです。
軍事紛争で見ればすぐに分りますが,国内だけの戦争で見れば関ヶ原の合戦でも一日で終わったように勝敗が簡単ですが,国外勢力の介入があると負けた方が外国の援助でまた盛り返すなど,普通は数十年単位の内乱が続きまます。
西欧ではドイツ30年戦争がその典型ですが,要は背後の大国にとっては遠く離れた辺境での小競り合いでしかないので百年続いても良いでしょうが,戦場になっている辺境の民族に取っては生まれたときから戦乱状態・・ある町で数ヶ月ごとに支配者が入れ替わる・・今のシリアやIS支配地争奪戦を見れば分りますが,市民は銃弾から逃げ回るのが日常ではマトモな教育や職業訓練・・長年の文化も途絶えてしまう・・その民族劣化が進みます。
たとえば、カシミール紛争ではカシミールの住民に取っては戦後ずっと戦乱状態にありますが,背後の中国、インド,パキスタンに取っては,辺境地の奪い合いでしかありませんので、早く収束するに越したことはないにしても100年かかっても譲りたくない関係でしょう。
独立後のアフリカ等で内乱が相次ぎ,際限のない殺戮が続いたのは先進国の介入・・軍事援助があったからこそ長引いたことは歴然たる事実です。
この種の意見はいろんなところでこのコラムで書いて来ましたが,国内問題に外国の軍事力、軍事顧問団であれ,外国資金であれ,思想であれ,外国勢力を自己の不足する政治力補強に使うのは掲げる理想が正しいかどうかは別として,結果的に自国民族劣化・衰退を目指すことになると言っても過言ではない・・邪道です。
この一貫として政治資金規正法では,外国人または一定率の外国資本の入った企業献金を禁止していmすし・・資金だけではなく,国連等に出掛けて行って反日的吹聴して日本に不利な国連決議や不当な対日勧告を目指すのは,反日運動そのものです。
ただし,何が日本に不利かどうかが不明ですから彼らは言論自由の範囲だと言うのでしょうが,言論の自由は国内で議論を尽くす権利があると言うのみであって,国内の言論自由市場で負けた主張について,国外に応援を求めるのは国内での言論自由の範囲を超えています。
国内言論で負けた方が国連等で運動して国連韓国だと言うやり方は,内乱で負けた勢力が外国軍介入を頼んで盛り返しを図っているのと原理が同じです。
外国言論で勝負し直すのではいつまでも勝負がつきませんから、政府・統一権力=法令の実効性が成り立ちません・・民主主義・表現の自由主義・・軍事対
立の代わりに言論で勝負することに決めた以上は,国内選挙で勝負がつけばそれに従うべきです。
負けた方あるいは新規法案が時期尚早として支持が広がらないときは更に支持者を増やす努力を国内ですべきであって,その努力の代わりに外国権威を持ち出して反対運動するのは,軍事で勝負つける社会でいえば、異民族軍導入を図るのと同じです。
こう言うグループは,国外に価値の源泉を求める結果、その影響をい受けるのでおのずから現状のニッポン民族の問題意識・あり方からいよいよ遊離して行く傾向になり勝ちです。
意識が民意に遊離すると国内支持が益々減って行く→資金源に苦しむのでニッポン民族共同体外から資金援助が意識的・無意識を問わず間接的に浸透し易くなります。
最近日弁連・単位弁護士会が政治の表面に出る傾向が目につくようになったのは、全学連同様に会費強制徴収を利用して執行部さえ握ってしまえば,潤沢な資金が利用出来る・・利用するしかなくなって来たからではないでしょうか?
民意が離れる一方→自発拠出金を出す人が減り強制徴収資金しか頼れなくなれば,強制徴収組織を乗っ取って行くしかないのでしょうが,行き過ぎが起きると将来的には一般会員から執行部意識が遊離して行き・・結果的国民に対する発言・影響力が急減して行くでしょう。
今では全学連が声明を出しても全学生の代表意見とは誰も思わなくなっているでしょう。
たまたまネットでみていると島根県弁護士会や札幌弁護士会,大阪弁護士会、京都弁護士会、埼玉弁護士会等で相次いで「最低賃金額の大幅な引上げを求める会長声明」が出ています。
多分何らかの組織が背後で動いて一斉(各単位会の内部機関開催時期の違いで少しずつズレているとは思いますが)全国的行動になっているのかと思います。
内容詳細は関心のある方が読んで頂ければ良いと思いますが,最低賃金は当該地域の各業界賃金・土地ごとの物価水準など統計資料を前提にした議論等で緻密な計算をしたうえで決めて行くことだと思われますが,弁護士会が最低賃金を決めるのに必要な専門的議論を無視して独自意見をどうして出せるのかさっぱり分りません。
内容を見ると(私の読解力が低いせいか)詳細データを把握した上でこのデータを前提に「この決定がおかしい」と言う専門的意見ではなさそうです・・「立場的に賃金が高い方が良い」かのような書き方・・最低賃金を上げた方が格差拡大阻止に資すると言う程度のことであって,格段に専門性のある意見には読めません・・単純な特定立場を代弁する政治意見(と言うよりもスローガン的レベル)表明の印象です?
最低賃金が高い方が人権尊重になると言えばそうでしょうし,だれでも生活水準が上がる方が良いに決まっていますが,それには先端技術その他の工夫等で生産性を上げて国際競争に勝って行くことが前提です。
給与だけ上げて企業倒産・・海外工場移転されたのでは元も子もなくすし,どの程度の賃金水準が妥当かは国際競争力維持(生産性以上に高止まりすると企業活動が海外移転します)や失業率その他総合判断すべき高度に政治的なものであって,法の専門家に過ぎない弁護士会が専門外のことに公式に口出しするようになると政党との区別がつかなくなって来ます。
各単位会で会長声明を出すには相応の機関決定を経ていることは当然ですが,形式手続さえ整えば良いのか?内容的に本当に会員意思を反映しているかの自己抑制機能がなくなっているのかの疑問が起きて来ます。
上記は左右対立のテーマではないですが,中国の最低賃金急激引き揚げ政策が深圳等の大規模工場の閉鎖ラッシュ→東南アジアへの工場移転ラッシュが起きていることは周知のとおりですが,最低賃金引き揚げは自由主義経済の例外的強権発動行為ですから,経済構造全体のあり方を見通した高度な政治判断の範疇です。
これについて,専門外の各地弁護士会が判で押したようにもっと大幅引き揚げを求めると言う声明を次々と安易に?出す体質になっていることが問題です。
私個人は最低賃金がどの程度で良いか知りませんので,弁護士会が上げている数字に反対している訳ではありません・・。
以上は,弁護士会が外国勢力の応援を受けている例としてではなく、またその内容が正しいか否かはなく,最近政治的発言や行動が多くなっている例として「コンなコトまで声明を出しているのかと言う驚き』を書いているだけです。
ただ「高い方が良い」と言うだけの「結論ありき」の姿勢では,データに基づく合理的・マトモな議論にならない例の1つです。

民主主義と郷土愛の必須性2

郷土愛に立脚した「はらから」同士の議論であれば「郷土のため」と言う共通目的実現のための方法論の違いでしかありませんから,落ち着くべきところに必ず落ち着く前提で古代からずっとニッポン民族はやって来ました。
これが聖徳太子の頃には既に普通の道義となっていたからこそ「和をもって尊しとなす」精神が機能して来た基礎です。
リンカーンのthat government of the people, by the people, for thepeople, shall not perish from the earth.は、その社会の現実ではなく「今後こうありたい」と言う願望演説ですから、当時の社会実態とは違っていますし、その後そのように変わったと言う保障もありません。
欧米の革命やトランプ氏の主張も全て「これからこうする」と言う願望を言っている点が日本の政治とは180度?違っています。
日本の政治は卓越した指導者が誰も気が付かないような方向性を示して庶民を導くのではなく、生活上の経験で庶民が既に気が付いている現状の不都合をご用聞きしながら治して行く仕事です。
法の改正も同じで日本の場合、大改正と言っても、過去の判例・学説・実務の集積に合わせて修正するのが殆どです。
現在進行中の民法改正でも,現行法では判例実務で不都合のない点はそのままで,解釈が分かれているABCの説のうちB説A説を加味した条文に変えるなどの解説が普通です。
現在事務所で解決を求められている民事執行法の解釈でも,現行条文が出来るまでの旧法の解釈・判例学説の動き・改正法案の1次試案2次案3次案等への変化→現行法成立その後の運用結果に対する学説判例・実務の動きを見ないと正確な理解が不可能です。
民訴法その他の改正の都度解説が来ますが,多くは書面の書き方など私の事務所が大分前からこのようにした方が便利と思って実践していたことをマニアル化していたことが多く含まれています。
最近相次いだ非嫡出子の相続分や女性の待婚期間などの憲法判断も過去の一定時期の社会意識から見てその事件が起きた当時すでに違憲になっているか否かと言う判断であって,「今後こうあるべき」と国民を指導するものではありません。
その内夫婦同氏の合憲判断には不満が多いようですが,裁判所は今後かくあるべき」と言う判断をしたのではなく、その事件当時(その事件発生当時・・最高裁判決の約5〜10年前が対象になっていることが多いです)に国民合意がそこまで達していたかの事実認定ですから「こうあるべき」と言う立場からの不満は筋違いです。
話題を国民合意の前提にもどします。
反日勢力の浸透について11月20日頃に紹介しましたが、もう一度12月6日現在のウイキペデイアの60年安保に関する記事一部を引用しておきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BF%9D%E9%97%98%E4%BA%89
「なお、ソ連共産党中央委員会国際部副部長として、日本をアメリカの影響下から引き離すための工作に従事していたイワン・コワレンコは、自著『対日工作の回想』のなかで、ミハイル・スースロフ政治局員の指導のもと、ソ連共産党中央委員会国際部が社会党や共産党、総評などの「日本の民主勢力」に、「かなり大きな援助を与えて」おり、安保闘争においてもこれらの勢力がソ連共産党中央委員会国際部とその傘下組織と密接に連絡を取り合っていたと記述している[5]」
60年安保騒動はソ連の資金で「反対のための反対をしている」グループだったコトが今になると判明していますが,元々日本のためにならないことを目的にしているグループと何回議論しても無理があったことが分ります。
実は当時の岸総理がこれを喝破していたのですが,ソ連系マスコミは敢えてこれを大きく報道せずに・強行採決の暴挙宣伝ばかりしていたように見えます。
12月6日現在の上記ウイキペデイア記事の一部です。
岸内閣は緊急臨時閣議声明
「このたびの全学連の暴挙は暴力革命によって民主的な議会政治を破壊し、現在の社会秩序を覆さんとする国際共産主義の企図に踊らされつつある計画的行動に他ならないのであって、もとより国民大多数の到底容認し得ざるところである。
我々は自由と民主主義の基盤の上に初めて真の平和と繁栄が築かれることを確信しているがゆえに、これらを破壊せんとするいかなる暴力にも屈することなく完全にこれを排撃し、以て民生の安定を守り抜かんとするものである。
計画的破壊活動に対して治安当局のとれる措置は当然のところである。
国民諸君においても今回の不祥事件の背後に潜む本質を見極め一層の理解と協力あらんことを要望してやまない。」
「60年安保闘争」は空前の盛り上がりを見せたが、戦前の東條内閣の閣僚でありA級戦犯容疑者にもなった岸首相とその政治手法に対する反感により支えられた倒閣運動という性格が強くなり、安保改定そのものへの反対運動という性格は薄くなっていたため、岸内閣が退陣し池田勇人内閣が成立(7月19日)すると、運動は急激に退潮した。」
60年安保は上記のとおり岸内閣の政治姿勢の弱みを突いたので、ソ連の唆しが成功しかけただけで、国民は本心で安保反対ではなかったのです。
逆に外敵の尻馬に乗っていた社会党は、その後の選挙で大敗北を喫しています。
「池田首相は動揺を鎮めることに成功。11月20日の総選挙では、社会党と民社党が互いに候補を乱立させた影響もあり、自民党は追加公認込みで300議席を獲得する大勝を収めた[10]。安保条約の改定が国民の承認を得た形になり、現在(2015年)まで半世紀以上にわたり、安保条約の再改定や破棄が現実の政治日程に上ることはなくなっている。」
外国政府の応援を受けて政治をするのは、国民のための政治をすべき政治家にとって邪道です。
「ソ連側の動き
ソ連は安保改定を自国への挑戦と受け止め、上記のように社会党や共産党、総評の安保反対活動に対して多大な援助を行うとともに、1960年1月27日には、1956年(昭和31年)の日ソ共同宣言で確約された「平和条約締結後に歯舞群島・色丹島を返還する」条件として、日本全土からの外国軍隊の撤退を要求した[12]。
産経新聞によれば、日ソの国交回復以降在日大使館や通商代表部に潜入したソ連国家保安委員会(KGB)工作員や、日本社会党や労働組合等に多数侵入した誓約引揚者(ソ連のスパイ)等が、ソ連による安保改定阻止の意向を受けてスパイ活動を行い、運動が拡大化したという[13]。」
騒動を起こしているそのときには当然外国援助を受けている証拠はありませんが、長期の経過で自然に事実が出て来ます・・この結果社会党は信用をなくし,消滅しかなくなったのだと思われます。
現在の状況に戻りますと,旧社会党系議員や現民進党は、国会の場で揚げ足取りばかりしている印象が強烈で,これでは本気で日本のために話し合いをする気があるのかどうか分りません。
民進党政調会長が国会で発言した「保育園落ちた日本死ね」がユーキャンの今年の新語・流行語大賞に選ばれたとかで話題になっていますが,自分の思いどおりに行かないと「保育園落ちた日本死ね」と言ったことを賞讃するのが民進党に多いようです。
自分の思うとおりに行かないときに勤務先の「社長死ね」と言ったり、自分のオヤや友人の名前をつけて「死ね」と言ったりするのが格好いい・・ショッキングな表現には違いないですが,何を意味して発言するものでしょうか?
個人名を出していないから良いと言う意見もあるようですが,それならば民進党死ねとか,会社の名前を付けて「死ね」と言うのが賞讃されるのでしょうか?
民族名であれ何であれ,「◯◯死ね」というのは名宛人・組織や集団に対する全否定の表現ではないでしょうか?
人によって大きく意見が割れるしょうが,これを賞讃するグループ・政党がいることは確かです。
敵対相手に「死ね」と言うのでさえどぎつ過ぎて品位を欠く表現ですが,自分の所属する組織や民族を名指しして「死ね」と言うのは,自分は日本・所属集団破壊を目的にしていると言う態度表明になり、日本敵視集団から喝采を浴びている印象を受けるのは私だけでしょうか?
「日本死ね」と言う表現に喝采を送るような集団が国会で日本のために議論する資格があるかさえ疑問を抱く人が多くなるでしょう。
民進党の支持率が約8%のようですからそのくらい変わった人がいてもおかしくないのかな?
代議士は選挙で選ばれたのですから議員資格があるには違いないですが,「日本死ねと言う気持ちで頑張りますので国会に行かして下さい」と選挙のときに堂々と演説したら良いでしょう。
集団自衛権(安保法制)等の審議でもあったかどうか忘れましたが,一般的に野党は何かあると大臣や,関連委員長の◯◯発言を撤回しないと・・あるいは解任・辞任しないと・・審議に応じないなどの戦術で、慎重審議の必要なTPPなどの重要法案に限って議論自体を妨害する傾向があります。
審議妨害ばかりしておきながら,法案が議決されると「充分議論をしていない」と言いはっているコトが多いのもおかしな主張です。
今年の秋の臨時国会で審議時間確保のために与党が会期延長しようとするとこれに反対しているのが野党です。
こういう変な戦術(素人には分らない高等戦術かも知れませんが一般人には理解不能です)に頼っているから,国民の支持率が下がる一方になっているのです。
この10年ほど韓国人が表に立って行なっている世界中での慰安婦騒動の資金は中国政府スジが出しているともっぱらの噂ですが、数十年後には真相が分かって来るでしょう。
最近幕末の政治運動・・明治維新の再評価が進み始めたようですが、当時の国際情勢から見て無茶な結果が見えている尊王攘夷運動はどう言う勢力が火をつけたのか?
どう言う目的があったのか?
今はまだ明治政府の続きだと言う意見を10年ほど前に書いたことがありますが、明治維新政府の影響がなくなると、次第に真実が分って来ると思われます。

アメリカの長期戦略と日本1

小笠原や沖縄の返還は,米ソ冷戦真っ最中のアメリカが、日本を自陣営につなぎ止めるための無償?返還ですから、沖縄基地全面返還条件で平和裏に返すことがありえないのが明白・・全面返還に固執してそれで決裂して「一歩も譲らなかった」と自慢していれば良かったかの国民選択の問題です。
国民の政治レベルが熟していないクニでは、熟達した政治家による秘密合意が許されると言う意識が普通・・決断した政治家は将来の歴史評価に委ねるしかないのが現在の常識です。
その意味では「一定期間経過で公開する」アメリカの制度は合理的です。
世界の植民地独立機運が生じたのは、対日独戦に協力させるためにイギリスがインドに独立を約束するしかなかったことに端を発しているように物事には見返りがあります。
アメリカは占領初期には日本を工業国として再起させない目的で国内工場設備を解体してアジアへ搬出強制していたのに、これを一転して国内工業生産再開を許し再軍備を認め日本独立を認めたのは朝鮮戦争以来のあらたな戦争体制に日本を協力させるためであったことは、揺るがない歴史事実でしょう。
この世界大変動のチャンスを生かして、荒廃した産業を立て直し、独立出来たのは日本政府、民族の大成功でしたが、サンフランシスコ平和条約時に社共が主張していた全面講和論貫徹→独立先送りしていた場合を想定すると日本はいつまでも独立出来ないで占領下のままになっていたことになります。
ソ連崩壊による世界世論一致まで待てば良かったのでしょうか?
反対するソ連さえなくなれば社共が賛成に回ったでしょうか?
今度は中韓が反対だから反対というのではないでしょうか。
1990年近くまで占領されたままでいたのでは,後記のインデイアンに対するように日本民族は骨抜きにされていたでしょうし,ソ連が崩壊すれば独立出来たかと言うと、そうなってからでは独立が無理になります。
アメリカにとってせっかく大量の人命を犠牲にして支配下に置いた日本を何の見返りもなく独立させる必要がなくなる・・国内世論が承知しないというのがふつうです。
・今のロシア相手に何らの見返りもない北方領土返還などまとまりそうもない実態と同じです・・ギブアンドテイクが冷徹な国際政治です。
ロシアはウクライナ侵攻以来国際孤立していたから日本へにじり寄っていたのですが、トランプ氏登場で息を吹き返してこの僅か数週間でイキナリプーチンが北方領土返還交渉に冷淡、強気になったのと同じで、アメリカも敵対国ソ連が崩壊すればアメリカの日本利用協力メリットが低下するので、態度も変わります。
実際にソ連崩壊後対ソ戦略基地としての日本が不要になると。早速アメリカは中国・江沢民と組んで対日包囲・ジャパンパッシングを強めた・・世界的に「日本には将来がない」と思わせる動きの推進役を果たして来た事実を見れば明らかです。
調子に乗り過ぎた中国の暴発で,対中対立になりかけた結果、安倍政権以来日本が大事にされるようになっていましたが、アメリカ、トランプ氏がアジアで中国と覇権争いをする気がなくなれば・・経済利益だけで見れば,アメリカは伝統的に中国と仲良くし日本を敵視した方が合理的な関係です。
アメリカは元々条約を守ったことがありません。
アメリカでは、降伏したインデアンとの条約(降伏条件)を踏みにじりインデイアンの反骨精神を奪うために、赤ちゃんが生まれると直ぐに全員取り上げて白人家庭に送り込み政策が実行されました。
生まれつき白人の召使いとしての教育・・大きくなると全員寄宿舎に送り込まれて徹底した白人優越教育が行なわれる・・生まれながらの従属・劣等民族意識を刷り込む政策が実行された恐るべき歴史があります。
この結果あの勇猛なインディアンの子孫が、ほぼ全員精神を病むか骨抜きになり、麻薬・アルコール中毒中心の生活に陥り、今や絶滅危惧種並みの被保護人種になっています。
社共勢力・・これに同調していたマスコミ文化人らは何の展望があって独立を拒否したのか?ニッポン民族をどうしたかったのか?不思議です。
沖縄返還で言えば、無条件返還の観念論・・結局返還交渉を破綻させる場合との利害得失ですが・・民度の高い社会では実情を公開しても合意形成可能です・・何故高度に発達していた日本の民度でこの程度の合意形成が出来なかったのでしょうか?
実際に密約があったかは別として国民の「総意」としては,基地が残っても早く返還して欲しかったかったことは間違いがなかったでしょうし、(「異民族支配が続いた方が良い」と言う民族がこの世にあるでしょうか?)沖縄返還時にアメリカ軍に「全面的に出て行ってくれ」と言うのは無理があると言う総意で返還後も長年一致しています。
基地存続の合意で返還された以上、日本は暗黙の合意・約束を守るべき信義があります。
ところで、沖縄が密約や基地存続の結果、沖縄県民が日本本土の人の犠牲になって酷い目にあっているのではありません。
沖縄米軍基地は周知の通り日本防衛のためではなく、ほぼその99%がアジア太平洋全域のアメリカの国益のために日常活動しています。
米軍基地があってもアメリカ軍支配下よりも日本復帰の方がよかったから沖縄県民は復帰を選んだのであり,多くの日本人もこの形しか復帰させられないので気の毒・・一緒に苦労しましょうと言うだけです。
東北の津波被害に対して日本人みんなが自分のことのように気の毒と思っていると、東北の人から「みんなのために犠牲になっていると言い募られると」??となりませんか?
東北の御陰でおいしいワカメが食べられるかも知れませんが・・。
日本は日本列島防衛に関係のない、米軍沖縄基地のため、あるいは発展し損なってる沖縄のために莫大な資金を投下して来ました。
全て沖縄県民のための負担であって、沖縄復帰によって本土は何か恩恵を得ているでしょうか?
せいぜいアメリカ軍のパトロールによるアジア平和への貢献と言う抽象的利益に過ぎませんが,これは米軍施政権下のままにあっても同じです・・・・むしろ日本は基地経費負担など一切する必要がありませんから気楽です。
日本が樺太や北方領土のロシアの軍事基地系経費負担など、誰も考えないのと同じです。
北方領土も元住民のための復帰運動をした結果仮に基地付きで帰って来た場合,元住民から基地の存在のために騒音被害などの損をしている被害者だとしょっ中資金要求されているような関係です。
折角合意しておきながら、飽くまで米軍に嫌がらせして追い出そうとし、米国と仲違いのタネをまいて沖縄の防衛を無能力化したいのは、どこのクニの利益になるのか?
今回のトランプ氏の要求・・「基地経費を全部持たないならば撤退する」と言う要求が本当に出て来たら、このときこそ逐次全面返還交渉のチャンスでしょうが(それでも数十年かかる交渉です)、トランプ氏は脅す・・駆け引きだけであって、本気で出る気はないでしょうが,結果的にアメリカの存在感が縮小する方向へ向かうことは確かでしょう。
元々オバマ時代からアメリカは当面アジア地域のプレゼンスを維持しながら将来的には地域大国程度で良いと言うのが基本セオリーだったと思われますから,それをトランプ氏が(一種の孤立主義・・アメリカ第一と言うのもこの意味で理解すべきで)刺激的表現をするか、温和な言い方をするか程度の差でしょう。

民主主義の基礎10(産業構造の変化1)

金持ちも無茶に我欲を張る・・金持ちを自慢するのが恥ずかしいと思う社会・・日本で知られている有名高額所得者は、孫正義氏や日産のカルロスゴーン氏など外人系中心に留まります。
日本では成功者がトランプ氏のように王宮のような住まいに住む・・安倍総理との会談場所としてこんな豪華な映像が流れるコト自体恥ずかしいと思うのが普通です。
「メザシの土光と」言われたように財界の大物も,自宅ではメザシを食べていると言う神話?が本当かどうかは別として流布される社会です。
伊勢神宮も建物が豪華だから尊崇されているのではありません・・堅実に働く中間層が社会の宝として大事にされる社会です。
中間層が尊敬される社会になったのは、地に着いた仕事を自分でしている武士の勃興以来の堅実な武士が尊敬されるようになったことと関係があるしょう。
この下地があって,「驕る平家は久しからず」と言う格言?が人口に膾炙されているのです。
武士の台頭が始まってからの約1000年近くもの間、武士層は質素倹約に努めて自己鍛錬に努めて庶民の鑑・尊敬の対象となっていました。
幕末騒乱の原因でも普通は政争に勝った方が前政権を悪く言うものですが,徳川幕府支配層が腐敗していたと言う話を一切聞きません。
武士の時代が続いて「地位のあるものは経済慾を持っては行けない」と言う日本独特の?モラルが強固に形成されて来たように思われます。
こうした堅実な中間層が多い結果、いまだ中間層が厚くて質素倹約・自己鍛錬になれている下地能力が・・中国の低賃金競争にもいろんな工夫をすることによって,堪え切れている面があります。
欧米の中間層は,日本の武士のように自己鍛錬によって中間層になっていたのではなく,本来は庶民層の能力・・新興国庶民と能力差がないのにタマタマ産業革命に成功した先行者利益で世界中を支配して植民地支配体制を作り上げて搾取による巨万の不労収入を得て来ました。
この利権分配・・本来10万しか働く能力のない人が3〜40万の収入を得られるような嵩上げをして来たこと・これが本来庶民層まで中間層的収入を得て来られた構造です。
アメリカの場合には,広大な領地と巨大資源によって,これを活かすために大量生産方式を工夫発明したことによって,世界経済モデルを提示して世界支配権を手に入れました。
資源力や植民地支配等による旨味・不当利益によっていた分、欧米労働者の地位は脆弱で、この利得構造がなくなると一挙に本来の能力相応の地位に戻るしかありません。
アメリカの粗放・大量生産方式はクルマのベルトコンベアー・・フォード方式が有名ですが,農業・牧畜も皆粗放・大量生産方式モデルで世界を席巻したのです。
確かに良いものを手作業で作る・・味のある工芸品は良いのですが,少ししか作れないので,限定頒布しか出来ません・・。
良い物だけですと多くの人がその恩恵を受けられませんが、出来映えが伝統工芸品の6がけでもそこそこ使い物になるならば、100人しか買えなかった商品が100万人でも200万人でも需要のある限り工業的に安く作れる(例えば本皮でなくとも人工皮革・化学染料でもある程度綺麗な色柄など)となれば,世界の生活水準を底上げした歴史的意義が大きかったことは確かです。
味が粗雑でも,米麦トウモロコシその他各種食糧を大量に作る粗放農業生産品も食うに困る貧しいときには有り難いものです。
大量生産方式は,作業者の熟練度が低くて良いことから低レベル労働者も高額収入を得られるメリットがありました。
この方式の弱点はドンドン合理化して行けば行くほど,先進国に限定されない・・新興国・・どころか今では,バングラデシュあるいは最貧国でさえも同じものが作れる時代に入ったことです。
先行者利益を元手に高額賃金を払って来た先進国工場は軒並みやって行けなくなります・・工場を維持するには極端に言えば、バングラデシュの人と自国民労働者を入れ替えるくらいしないとやって行けません。
100%移民に入れ替えてもこれまでの不当利得?を利用して?先進国は贅沢なインフラを作ってしまっているので、この維持経費負担で負けてしまいます。
これがいまアメリカでインフラ維持に困るようになった原因です。
1〜2割または半分を低賃金移民に入れ替えても100%低賃金労働者の新興国の工場と競争出来ません。
仮に半分入れ替えて半分の失業者を出している場合、生活保護受給に転落しているか、移民にまけないように低賃金でも仕方ないと思って移民同様の低賃金で就職している元々の国民は、何のために移民と共同生活しなければならないか?と言う不満になります。
企業としては,自国内に移民をいれるより海外展開してバングラデシュの工場で現地人百%雇う方が気楽です。
欧米諸国の元々の住民・ピープルが移民を嫌がる以上は、自国では普及品製造から撤退して特殊品を作る工夫するしかない時代ですから、民度で差を付けるしかありません。
アメリカはピープルのレベルアップに関心がなく「低賃金競争には低賃金で」と言う政策で長年移民導入に頼って来た結果、今更の政策変更は不可能マテャ遅過ぎたとすれば,トランプ氏のし移民に頼らない政策は普及品の製造コストをいまよりもっと上げることに成り、結果的に米国製造業は益々衰退してしまいます。
結果的に・・大量失業が待っているでしょうから、これを貫徹するには排外意識を煽って対外強硬政策・・例えば3〜40%の法外な輸入課徴金を掛けるんど、腕力に任せた政策しかありません。
米国への輸出国は困りますが,それ以上に米国自身国内物価上昇で庶民が困る=生活水準が3〜40%下がる結果になります。
実は・・庶民だけではなく各種産業も原材料全て諸外国より3〜40%高いものを買わされることになると,全体的に米国だけが世界水準に比べて割高な製品になり米国製品を買うクニがなくなります。
世界から孤立して自給自足社会になって行くしかないでしょう・その内世界の進歩変化から置いてけぼりを食い・・今の北朝鮮やアフリカのようになって行くしかありません。
実際にはそこまで行く前に海外との格差に不満を抱く国民の支持を失うか、先手を打って排外意識を煽る方向・・豊かな国に戦争を仕掛けて略奪するなどの山賊国家に変質するしかないでしょう。
ロシアも中国も経済がうまく行かない国民の不満をそらすために、今はその方向に向かっています。
アメリかも,日本などと仲良くしていると喧嘩出来ないので難癖つけて喧嘩に持ち込んで戦利品をぶんどる方向へ行く方が「得だし溜飲が下がる」と言う変な方向・・中国、ロシアなどの仲間入りを目指しているのがトランプ選出だったことになり兼ねません。
プーチンや中国は19世紀型・・周辺弱小国を問答無用で踏みつぶすナチス的国益主張ですし,ドウテルテも自己中心的主張であり、トランプ氏の場合現在版の経済面での傍若無人の自己主張→行く行くは武力に訴える展開になる可能性が高いと言う点で共通性があって、気が合う印象です。
無茶苦茶言わないとどうして良いか分らない不満と言う点では共通です。
話を戻しますと上記のとおり,欧米の中間層は植民地支配の利権構造によって豊かな生活をしていた・・元々相応の能力があって中間層になったものではないことから,特殊品製造に移行する能力がないことから,新興国から追い上げられると能力に応じて地位低下して行くしかありません。

民主主義の基礎9(信頼関係7)

中高所得層に対する低賃金下の圧力は世界のトレンドであって、日本でも昨日書いたとおり中高所得層への圧迫が酷くなるばかりです。
この惨状進行に対して,民の生活に責任のある政府は放置出来ません。
日本政府は支配者のためにあるガバメントではなく、民のための政府ですから,党派性に馴染まない社会です・・労働組合がなくとも江戸時代から備荒米を備えたり各藩政府は庶民生活を守るのに熱心でした。
千年近く支配層を形成して来た武士層の出自は、元々地下人・農業を基礎とする庶民であって,政権担当するようになっても多くの下級武士は半農半兵で幕末までやって来ました。
正確には,関東へ領地替えになった徳川家の家臣団は先祖代々の農地から切り離されました・・領地のある旗本もほとんど自領に言ったことがなく村から時々報告に来る状態でしたし,領地のないご家人は農業から切り離された「切り米」等で生活するサラリーマンになっていました。
その他戦国時代からの大名家では,家臣団と言っても戦国時代に入る前から,耕して来た一定領地があってこその騎馬武者(小豪族)が地域中小豪族〜大名家臣団に取り込まれて来た歴史ですから,大小の違いがあっても,地位相応の支配地=農地があってお城から帰ると支配地ないの農作業を指揮したり,自分自身もある程度先頭に立ってやるなどいわゆる半農半士の状態でした。
最近までの地方公務員には旧家の息子が多く,村役場から帰ると農作業に従事していたのはその名残です。
このように約千年間支配階層を形成していたとは言え,幕臣・譜代大名家以外の武士の多くは自営農民・・中堅層と繋がっていましたので・・足腰も強かったし,昭和の3・15事件、2・26事件での青年将校の蹶起は,「彼ら自身農村部の窮迫を実感していたからである」と習って育ちました。
明治維新・・壬申戸籍では,「士」身分呼称が残っていましたその後の士分の呼称がなくなると,庶民は武家の生き方に少しでも近づくことを理想として七五三の行事その他各種行事も武家のしきたりを自分の家でも出来るようになることが夢としてやって来ました。
戦後もみんな「士」になることが夢でしたし,運転手→運転士、看護婦→看護士、保育士その他いろんな専門職がみんな「士」に昇格して来た歴史を書いたことがあります。
トラック運転手も「士」になることによって,仕事に誇りを持つようになって心構えも少しは変わって来たと言うことでしょう。
このように日本人は明治維新で形式的に見れば庶民も名字帯刀の苗字を持つようになり元々の武士も刀を棄てましたが、意識では「士」の志を持つようにみんな底上げされて来たのです。
この結果、みんなが武士の志を持つように教育され,政治に参加する資格を持つようになったので、(アメリカのピープルのように対象として大事にしますと言うだけではなく当事者として)江戸時代までに形式上(能力さえあれば取り立てられたので事実上身分の流動性がありました)参加していなかった士分未満の庶民も加わるようになったことになります。
選挙権があるかどうか以前に,支配層に入れる裾野が広がったのが明治維新です。
このように政府内への庶民階層の血が入る仕組みで,政権担当者が庶民の心を重視する仕組み・・受容力のない人は出世出来ない仕組みですから,出世したエリートは社会の実情を知らないと言う批判は欧米価値観の受け売りでしかありません。
声なき声を感知する受容能力がない人はどんなに鋭い意見を吐いていた大学秀才でも採用段階で県で多くはふるい落とされ,うまく就職出来ても内部昇進して行けないので自分の能力が政党に評価されないと言う不満で在野に出て行き,一匹狼になるしかない宿命です。
野党文化人とは明治新政府から弾かれて在野で活躍した野党の始祖?を見てもこう言う傾向の人材が多い印象です。
共産党が顕著ですが、その他の野党で東大卒・・弁護士・医師その他ふあっとした民意を汲む能力を要する組織内で地位を得たことがない・・学歴的優秀者が幅を利かす組織で名を表した人が多い特徴を持つ所以です。
野党系の特徴は自分達は進んでいるから,庶民を指導して行くべきと言う基礎思考が強固な点です。
本来庶民に一番近い筈の労組や野党・・在野の方が観念的になっていて、庶民感覚に疎い傾向があるのが我がクニです。
野党・労働組合や人権団体が本来の働き・・庶民の気持ちの代弁をしない分・・政府が率先して人件費の引き上げ運動をここ3〜4年執心しているのは、この原点の違いに由来します。
野党や労組が本来中間層の転落を心配し,その防止政策を提案すべきなのに、党派的主張主張・・憲法違反などの空理空論にエネルギーを費やして具体的生活に根ざした議論に弱い・・本来の働きをしていない・・民のために意を尽くすべき「政治家」の仕事をしていないからです。
繰り返しになりますが,九州弁連大会の結果紹介によりますと,防犯カメラで犯罪抑止を目指すよりは,犯罪のない社会を作る方が重要だからプライバシー権侵害の理由で反対すると言うのですが,どうやって犯罪ゼロ社会を実現出来るかの提案がありません。
同じく非武装平和論も,戦争のない社会を作ることが重要なのは分りますが,現実にロシアによるクリミヤ半島占領・併合の事実・・その他世界では,あちこちで実力行使が絶えることがありません。
彼らが親近感を抱いていると思われる中国自身が,日本の領海侵犯等の実力行使に出ている状態で,どうすれば中国の理不尽な行動をやめさせられるかの提案もありません。
国防強化よりは,仲良くすることが先決だと言っても実際にはどうにもならない現実に付いてはだんまりのままです。
犯罪のない社会にするのが先決だと言いながら,中国人犯罪集団の跋扈に怯えているのがここ数十年の日本社会です。
野党や文化人が空理空論で満足するのではなく,国民生活を具体的にどうやってより良くして行くかのテーマに付いては語るところがありません。
生活保護基準を緩和しろとか,各種手当創設やアップや支給基準緩和に奔走するなどの決まりきった主義主張をしている程度の印象しかありません。
アメリカの選挙で書いて来ましたが、国民は保護基準を緩和したり支給額のアップをしてくれるよりか,自分の働きで生活したいのですから,社会保障アップよりは働ける環境整備の提案の方が前向きです。
日本の野党ももっと良いことを提案をしているかも知れませんが,報道では全く出て来ません。
日本では代弁政党がなくとも・・選挙の票数だけでは分らない民意を重視・・ソンタクする社会ですから、あらゆる組織で衆議をソンタク出来ないような人は世話役や責任のある政治家になれません。
11月16日以来書いて来ましたが、欧米の場合「統治の主体」としてのガバメントですから思いっきり自己主張・リーダーシップを強調して喝采を浴びるのが目的ですが,日本の「政(マツリごと)」とは、声なき声を聞き取る・神懸かり・民意忖度能力が近代化されたものであって、政治家はすべからく民意が奈辺にあるかをじっくり聞き取る能力が求められています。
自己主張して自己満足していても、国民はそう言う人を選びません。
リーダシップを重視社会・・庶民ピープルがリーダーに従って行動し,集会では歓声を上げる社会・・欧米価値観をそのまま尊敬しているマスコミ・文化人は、日本にはリーダーが生まれないと嘆きますが、日本は元々民意を汲み取る能力・調整型政治家が求められているのですから,無い物ねだりと言うか,数千年遅れの欧米の真似を要求する方がおかしいと言うのが年来の意見です。
政治(まつりごと)はリーダーシップを競い,自己主張するためにある西欧のガバメント能力とは違います。

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