民主主義と正義7(他者排除2)

江戸時代に士農工商の身分区別があったと言っても、それは行為能力の面であって、人間としての資格(・・生き物としての資格では犬猫も同じだった?)は同じでした。
行為能力と、人としての資格・権利能力の違いについては、12/07/02「権利能力と法律行為能力(民法18)」前後で説明しました。
奴隷は物と同じとする制度は、人間としての資格自体を否定する制度ですから、我が国の行為能力の制限とは次元が違います。
日本では古代から、どんなに身分の低い人に対しても人間としての権利主体性を、否定したことは一切ありません。
行為能力の制限としてみても、明治民法では妻の行為無能力制度くらいですが、これは03/31/05「夫婦別姓18(夫の無能力と家事代理権)民法134」03/30/05「夫婦別姓16(家制度の完成)氏の統一2」前後で書いたようにもともとフランス民法の影響で出来た代物です。
(日本の女性の地位はそれまではもっと高かったので、明治民法も女戸主を認めざるを得ませんでした)
そもそも行為無能力制度はその人を虐げるための制度ではなく、未成年者や成年被後見人制度は法律行為能力の劣る人を取引被害から守るための制度でした。
(今では高齢者・・判断力や意思力の衰えた人目あてに詐欺まがい被害・・不要なリース物件の売り付けや、不要な家の修理など・・が頻発していますが、未成年者に対するような高齢者を守る法律がないから起きることです。
実際には5歳〜10歳の子供に一人前の能力を認めなくとも何ともないのですが、高齢者というだけで一律に取引能力を否定することが出来ないのでこの規制が難しいのです。
行為能力の制限と相手を虐げるための奴隷・異民族差別などとは、目的からしてまるで違います。
妻の無能力制度が出来た頃には、アメリカではまだ、黒人は奴隷解放宣言前と大して変わらない扱いを事実上受けていた時代です。
アメリカで黒人にも選挙権等を認める公民権法が出来たのは、つい最近と言っても良いほど1964年のことであることを、October 30, 2012のコラムで紹介しました。
アメリカに限らずイギリスの植民地であった南ア連邦では悪名高いアパルトヘイトが20世紀末近くまで実施されていました。
アパルトヘイトが国際批判の対象になると、あちこちに小さな黒人居住区を設定してこれを別の国として独立させて、(居住区には何のインフラもないスラム街としていて)そこから職場に通うのは、外国人雇用だと言う事実上の隔離政策を実行する破廉恥ぶりでした。
これに反抗して来た闘志・・マンデラ氏が27年ぶりで獄中から解放されたのは漸く1990年のことでした。
少し南アの黒人差別の歴史を振り返っておきましょう。
1910年5月31日、イギリスは自治領南アフリカ連邦を成立させてイギリス本国の責任ではないと切り離しました。
その直後に自治領では、人口のごく少数を占める白人が黒人を強権的に支配する政治体制を敷き、1911年には白人労働者の保護を目的とした最初の人種差別法が制定されています。
このやり方は、後に南ア連邦が黒人に対する居住区制限・独立国としての虚構を主張したのにも通じる責任逃れのやり方でした。
弱者を区別さえすれば人間扱いしなくとも良いと言う長い歴史基盤があって、(古代アテネの民主主義と言ってもホンの一握りの「市民」だけだったのと同じです・・アメリカ憲法で市民は自由と言っても、修正条項成立までは、黒人には市民権を与えていなかったし、人間かどうかではなく西洋では「市民権」という枠組みで排除する発想がくせ者です。
こうした差別の論理が行き着く所、ナチスによるユダヤ人に対するガス室送りが可能になるし、異教徒や異人種も物体扱いして怪しまない風土でずっと来たのが西洋社会ではないでしょうか?
戦いに勝てば何をしても良い・・敗者(当然市民権がない)に対しては、どのような残酷・むごいことをしても良いという価値観の社会で西洋や中国(戦いに負けた相手を煮込んで、その親や子に食べさせるなどひどい物です)ではずっとやってきました。
(エンクロージャームーヴメント・・千年単位で働いて来た筈の農民でさえ金儲けに邪魔となれば追い出しが簡単でした)
・・まして半年か1年しか雇用していない労働者の解雇など、何のためらいもなかったのは当然です。
労働法制の発達した現在でも、日本に比べて諸外国の解雇は割に簡単・・人材の流動性が高いことはご承知のとおりです。
民主主義政府と言っても、社会主義思想・・反抗運動が発達するまでは、労働条件の劣悪さ・・労働者が病気しても気にしない・・為政者選出母体となった資本家の飽くなき利益追求を為政者が妨害せずに助長促進することだけを求める政体が、彼らの言う民主主義政体でした。

民主主義と正義6(他者排除1)

日本人には、犬などの動物や植物には石ころとは違って人間同様の心があると思う人が多いのですが、西洋の法では石ころと犬猫を同列理解を基本としていて、20世紀後半になって漸く愛護すべき「対象」となって来たばかりです。
奴隷制度のあったアメリカでは、黒人を人とは認めず、牛や馬など動物と同じ扱いでした。
日本の場合、仮に愛馬と使用人が同じ扱いでも、もともと愛馬や愛犬も肉親同様に可愛がっていたので、それほどの差がもともとありませんが、日本以外では、動物は石ころ同様の扱いになるのですから、人間が奴隷になって動物扱いになると本当にひどいことになります。
「私権の享有は出生に始まる」とすれば、一旦権利の主体になっていた人が途中で奴隷になると私権の主体でなくなってしまうとすれば、その変更に関する法律をどうやって作ってあったのか・技術的に難しいので不思議です。
日本のように自然人と法人の区別だけではなく、奴隷身分になれば人から物体に変更するという特別な法律・・こんな法律をわざわざ作るのも難しいでしょう。
アメリカや西欧諸国では、植民地人や黒人奴隷をどのように区別して法で規定していたのか、あるいは古代から異民族・異教徒や奴隷を一般的な人とは別の物として区別するのは当然とする自然法的解釈があった・・条文すら必要がないほど自明の原理だったのかも知れません。
(アメリカでは、黒人奴隷はアメリカ「市民」ではないという運用だったようです・・南北戦争後の憲法修正第14条で、これらの差別が憲法上禁止されたことになっていますが・・・実際には多数の判例の集積によって徐々に差別が縮小されて来たようです。)
このように考えて行くと、そもそも日本のように「私権の享有は出生に始まる」という大上段に振りかぶった条文・・基本原理を宣言すると奴隷制度に真っ向から矛盾するのでこれを書いた条文がどこにもないのかも知れません。
存在しない条文を検索するのは不可能なので娘に聞くと「私権の享有は出生に始まる」という意味として「奴隷は駄目よ・・」と大学で習った記憶があるということです。
とすれば、西洋には奴隷制と矛盾する「こう言う立派な条文自体がなかったのではないか」という私の推測が当たっている感じです。
西洋が到達したと自慢する人権尊重の精神と言っても、実は古代アテネ市民やローマ市民権同様に近代においてもアメリカ「市民」に限定した人権だったのです。
神の前に平等とか法の下の平等と言っても、人か否かによる基準ではなくすべて「市民」にだけ保障されていたに過ぎません。
(だからアメリカでは、今でも「市民権」を得るかどうかに重要な意味があります)
アメリカ黒人の人権論争についても、長い間「アメリカ市民権」の枠内に入るかどうかのテーマで荒それ修正憲法判例の集積になって来たのですから、人か否かを基準にするのが当然と思い込んでいる日本人には驚きではないでしょうか?
西洋では人か否かの基準ではなく「市民権」のある人間か否かこそが今でも重要だということです。
中国の歴史でも書いてきましたが、古代から中国の地域では商業進出すると、その地で市を開いて昼間は原住民と交易しますが夜になるとそこの守りにつくために、先ず橋頭堡・砦を築いて夜間の守りを固めます。
その砦・城塞住む人と周辺から交易に来る人とは、厳重に区別されていました。
日が暮れると城門が閉まり、鶏鳴によって城門を開ける習わしでしたから、鶏鳴狗盗の故事が生まれるのです。
このように城内=市内の住民=市民と砦外の居留民・原住民とはまるで権利・義務が違いますし、(西洋風に言えば異教徒ないしエイリアン)この歴史があって、今でも中国の農民工・・都市住民資格取得を厳しく制限している差別に連なっているのです。
日本では誰でも知ってのとおり都市と周辺地域との間に城壁もなく自由自在に出入り出来る仕組みですから当然市民とその他の区別もありません。
日本では明治民法の時代から「私権の享有は出生に始まる」と民法冒頭第1条に規定されていて、人として生まれた以上は万人平等が宣言されていますが、これは西洋法の影響ではなく、日本古来からの自然法の確認・宣言だった言うべきでしょう。
この時点で、世界最先端の基本法典を作っていたし、もともとの国民意識の確認条文ですから、法律どおりみんなで実践していたことになります。
こんな当たり前の確認条文が第1条に必要になったのは、当時の西洋文明では差別が当たり前だったから「日本は違うよ!」と明らかにする必要があったのかも知れません。
南北戦争を有利に展開する目的で奴隷解放宣言しただけでは、奴隷制度に慣れ切ったアメリカ人の意識がついて行かないので、実際には直ぐに対等にはならず、100年単位の時間がかかって黒人の権利が徐々に引き上げられて来た国とは違います。
(日本社会は法律制度を考える以前の古代から、万物対等の世界観の民族です・・「やれ打つなハエが手をする足をする」という一茶だったかの句がありますが、ハエ1つ叩くのでさえむやみに殺生するのが憚られる社会・・これが名句として人口に膾炙しているということは、この意識を支持する人が多いということです)
我が家の狭い庭に夏から咲いているサルビアを引き抜いて早く冬〜春用のビオラに植え替えたいのですが、あまりにも元気にサルビアが咲いているので、可哀想で引き抜けないで1日1日引き抜くのを先送りしている状態です。
私一人ではなく、日本人には万物の生命をいとおしく思って生きている人が多いでしょう。

万物共生2と共感

話を戻しますと、西洋やアラブ、中国のように戦争に勝ってしまえば、相手を根こそぎ根絶やしにしたり奴隷にしてしまう・・人間としての尊厳をすら奪ってしまう思想は我が国では古代からありません。
日本以外では19世紀末頃から労働運動が激しくなったことから、(有産階級に国内労働者が敵対しても搾取する対象を根こそぎ殺してしまうわけにはいかないので・・・)20世紀になって漸く「敗者の支持母体にも少し配慮しましょう」という程度の意識が芽生えて来たのですから、千〜2千年単位で日本よりも意識が遅れているといつも私が書いている事例の1つです。
西洋(勿論中国や朝鮮でも)では、日本と違って他者や他の動植物を思いやると言うか、同じ生き物として尊重する思想が元々ないか、希薄です。
医薬品業界で発達している動物実験(・・確かに便利ですが・・)の思想自体、日本では驚きです・・縄文時代の昔から犬に限らず馬でも牛でも身近な動物類は、すべて家族同様に可愛がってきましたから・・・。
日本では、江戸時代の麻酔の実験で言えば、動物実験には思い至らず、華岡青洲の妻や母が自分から申し出てくれたので実験出来たものです。
この種の実験を使用人に強制するべきものではないし・・強制することは、昔から人道的に許されないという基本思想がありました。
西洋ではジェンナーの例で見れば明らかです。
彼は親のいない子供達(・・いくら西洋でも使用人に強制出来なかったらしく親がいれば同意が必要だったからでしょう・・)を実験相手として選んで実験を繰り返して種痘の効果を確かめています。
・・我が国では人権などと西洋が言い出す何百年も前から、孤児や障害者の自立を目指して(足利時代以来盲目人のためにあんま、鍼灸などを彼らだけ許される専業として来たり、琵琶法師その他専門職として育成して来た歴史があります。)努力して来た社会でしたので、孤児相手なら何をしても良いという発想は古代から日本社会では到底考えられない非人道的思考法です。
乞食王子のストーリーでも知られてるように、西洋では孤児を相手に泥棒・かっぱらいなど犯罪行為を強制するのが普通でしたし、数日前に中国で2〜3千人という大量の孤児が犯罪組織・・誘拐して来た子供に犯罪行為を強制していた・・から救出されたと報道されていますが、中国でもイギリス中世のような社会が今でも続いていることが明らかになっています。
そう言えば、数年前だったかインドスラム街を舞台にした映画を見たことがありますが、そこでも孤児を犯罪行為や乞食に使うスラム街の実態が赤裸々に描かれていました。
このときにキのママで主役になったスラムの子供が一躍有名になって大金が入ったことが社会現象として別に報道されるおまけがありました。
我が国では昔から(困った人がいればみんなで助けてしまうから)スラム街など出来たこともありませんが、(スラム街が出来ればその中で最も弱い孤児が一番の被害者になるのは当然です)世界中が今でも弱者に厳しい社会のママであることが明らかです。
他者に厳しい原則社会であるからこそ、千年〜2千年単位も遅れて人権尊重・少数者保護、弱者救済・動物愛護が声高に言われるようになったのであって、我が国とは原則と例外が逆です。
ならず者集団のシェー・シェパードが、日本を標的にしているのは、周回遅れの社会が何周回進んでいる日本に対して「恥ずかしげもなく良くやるよ・・」という所で、まるで茶番です。
我が国では庶民に至るまで昔から日常用語として「犬は口をきけないんだから・・」と優先的に大事にする風潮がありますが、口の聞けない犬や牛に対して、一方的に実験材料にする酷い発想がありません。

万物共生1と多神教

少数者への配慮・少数意見の尊重とは、政権獲得政党が支持母体の権益追及をすることを前提にした上で、戦いに勝ちさえすれば負けた方に対してどんなむごいことをしても良いという日本以外の世界中で普遍的であった思想が修正されて来たことを表しています。
日本では古来から敗者に対する礼儀を欠かさない社会でした。
菅原道真の怨霊に対する恐れ・・足利氏が敵対して来た後醍醐帝を祭るために建てた天竜寺など枚挙にイトマがありません。
菅原氏の怨霊思想は文字資料としての始まりに過ぎず、文字以前のもっと古代・・神話時代から、被征服王朝である各地の神々を祭る仕組みがあります。
この事実自体は神話による当てにならない伝承ではなく、(比叡山の麓の日枝神社に行くと)実際にあちこちの地方の神様が祭られている事実で証明されます。
この精神が多神教(今風に言えば言論を封殺しては行けない精神風土が文字社会以前から宗教のように存在していますし、西洋の言論の自由・・弾圧が行けないと言い出すよりも何千年も早いのです))・佛教が入って来ると仲良く神仏習合して行った・・他宗教を排斥する思想と無縁になった原因であり結果でもあるでしょう。
この精神があってこそ、外国から変わったものが入ると直ぐに取り入れてしまう風土にも繋がっています。
取り入れ方も旧来のもの100%廃棄してしまうのではなく、日本在来のものに外国の良いところを取り入れて発展させる工夫がし易いのも神仏習合の精神と同じです。
どんなものでも少しは良い所があることから、部分的取り入れに便利です。
この点朝鮮族のように外国の方法がいいとなれば(農産物解放やIMF体制が良いとなれば直ぐに全面的に乗ってしまうなど変化が激しくなります)全面入れ替えする社会です軋轢が多くて大変です。
我が国の場合部分取り入れ・・遠近法がよいとなれば日本画に一部取り入れるなど発展が微温的・緩慢(マスコミは時流に遅れる、遅れると批判しますが・・)ですが、社会の進展としては無理がありません。
異なった意見を受容して行く日本精神からすると、日蓮の他宗教排撃の思想はどうもしっくりしないので、邪教として弾圧を受けることになったし、後に入って来た他宗排撃のキリスト教も同じ目にあったのです。
(スペインの植民地にする領土野心があったことが、政治的には大きな眼目ですが、これに付加して内容的にも寛容を旨とする日本精神に合わなかったので、自然に下火になって行ったし、何の弾圧もないどころか米英思想の支配的な維新以降今に至るまででも殆ど広がらない根拠です)
話が変わりますが、第二次政界大戦直前に何故アメリカが日本イジメに精出していたかと言うと、アジア赴任の宣教師の報告が大きな役割を果たしていたと言われます。
中国ではある程度キリスト教の布教に成功していたことは、太平天国の乱その他で周知のとおりですが、
日本人に対しては、上記のとおり一神教の教義は本質的に無理があって、どうにもならなかったことは現在に至る結果で明らかですが、宣教師達の成績不良の言い訳として日本人は如何に宗教心がなくひいては道義に劣るかを定期報告の度に一生懸命に書き連ねていたと言うことです。
(西洋では信仰心がないのは道徳心がないし野蛮人という意味ですし、敬虔なカトリック教徒◯◯教徒と言うときには、一般的に人格の褒め言葉になっています。)
宗教心がまるでない酷い人種だと言うことから、どんな酷いことでもやりかねないと言う誹謗中傷を(これが当地派遣宣教師の決まった報告方式になっていたとも言われます)繰り返している内に、日本人はどんなに野蛮なことをしているかというあることないことのでっち上げ虚偽報告が必要になって来て、まことしやかにせっせと本国へ送っていたらしいのです。
(現在中国地方政府は、成績が下がると困るので、前年比何%増の成長報告を中央へ送り続けるので同国の成長率がまるで当てにならなくなっているのと同じです)
虚偽報告が繰り返されるうちに何か事例をでっち上げるなどエスカレートするのが普通です。
その内に南京で多くの中国人が虐殺されていると言うでっち上げ報告になっていたらしく、これがアメリカ本国での「日本人は酷い」「中国人が可哀想だ」というコンセンサスが形作られるのに大きな影響があったらしいのです。
実際にはアメリカ自身最後の市場である中国から、「日本を何とか追い出したい」という基本姿勢があったから、そう言う報告が増えた面があるでしょう。
我が国でも、比叡山を焼き討ちした信長が、如何に冷酷無比な性格であるのように末永く言い伝えられている(実際にそうとは限らないのですが・・・坊主の言い伝えしか残らないのです)のと同じで、坊主を敵に回すとその悪口は怖いものです。
実際に同じ宣教師から本国の家族への近況報告の手紙等(これは実際を表現しているでしょう・・出世するために虚偽報告の必要がないので)では身近に日本人の悪行・・大虐殺等を見たという衝撃的なことについて触れたものは皆無ということです。
古代から、訳もなく犬一匹殺すのさえためらう日本人が、何の理由もなく大量に虐殺するなど考え難いのですが・・・。
事実を知るために個々人の私信を調査している日本人もいるのです。
幕府によるキリスト教弾圧に関しては、平等を主張するキリスト教が身分差別を前提とする幕藩体制に合わなかったから弾圧を受けたと言う虚偽の主張が私の頃には学校で教えられて来ました・・今でもそうかな?
しかし当時のキリスト教社会自身、日本以上に強固な身分社会でしたから、(織豊から徳川初期には強固な身分階層が決まっていませんでした・・武士と農民は相互乗り入れ可能だったから、刀狩りが行われたのです・・西洋では農民は農奴的身分でしたから、武器さえ持てば騎士の仲間入り出来る社会ではありません、)そんな学校の教えは全く史実にあっていません。

民主主義と正義5

フランス革命当時は政権が民選・民意によるとは言うもののその内実は・・選出母体を王族から有産階層に広げさえすればよかったのですから、王家から次順位の貴族層に支配階層を広げるのがものの順序とすれば、貴族層や騎士層はブルジョワジーに飛び越されてしまったことになります。
ついでに、我が国の流れを概観しますと、天皇家と大豪族蘇我氏等との権力争いを経て天武持統朝が確立した後に貴族層トップの藤原氏に実権が移り、その次に武家の貴種である源平の政権となり、応仁の乱を経て更に下位の守護地頭(大小名)クラスの武家政権(織豊から徳川)が続き、明治維新では下級武士プラス庶民クラス(制限選挙→普通選挙)に政権が移るなど順当な流れです。
いつも次順位実務家として経験のある階層に政権が移って行くので、政権担当能力/政権運営によどみがありません。
話題をフランス革命に戻しますと、反王党派は政権担当者を決める権限さえ奪い取れば、その政権の政治目的自体は正義でも不正義でも何でも構わなかった・・政治目的を問題にしていなかったと思われます。
この点は革命後植民地(人種差別の制度保障です)獲得競争等に精出していたことや、国内的には弱者である労働者階層への思いやりがなかったことから明らかなように、正義の価値観(民・強弱老幼男女すべてを中心にする福利の思想)などまるで持っていなかったと昨日から書いて来たとおりです。
フランス革命の成果は自分たちで政治家を選出すれば、自分たちにとって悪いような政治をする筈がないという程度の共通認識だったでしょう。
彼らブルジョワジーは選出母体になり、自分たちの代表さえ出せればよかったのです。
昨日のブログ最後に書いたfor the peopleのピープルとは字義から言えば民衆ですが、実際に意味したところとしては、「選出母体」のためにと訳すべきだという根拠です。
民主政体とは選出母体のために精一杯働く政治のことです。
古来から他者を思いやる余地のない社会であるから抑圧に耐えかねて暴動が起きるし、その結果政権が倒れるのですが、今度からは思いやりのある政治をしようというのではなく、打倒した方は今度は自分が搾取する良い方に回ろうとするだけの変化を繰り返して来たのが中国の歴史(専制王朝の繰り返し)でありフランス革命です。
革命とは言っても、政治目的を構成する人間みんなの幸福のための政治する目的ではなく、自分たちも為政者選出グループに加えてもらって自分達も良い思いをしたいと言う目的の革命だったのです。
為政者は被支配者を抑圧し搾取するものであると言う点をそのままにして、あるいはそれを前提にして選出母体枠を広げて「自分たちも選出母体に含めて搾取した結果の分け前を貰える立場にしろ」という意見を実現したことを革命と言っていることになります。
現在の中国共産党政権の腐敗をしきりに先進国では問題にしていますが、フランス革命同様に政権樹立に功績のあった共産党が支配権を握った以上は、その分け前にあずかるのは当然です。
幹部あるいは中堅幹部から末端に至るまで分け前を貰うための組織ですから、彼らがうまい汁を吸っている事自体異とするには当たりません。
為政者の選出母体の利害に応じた政治をする・・被支配者から搾取出来るだけ搾取するという思想が行き着く所、代表を出せる階層にとっては我が世の春・平家の公達になったみたいですが、代表を出せない階層はやられっぱなしになる社会のままですから、(支配階層=搾取する人数が増えた分だけ)革命前より悪くなったでしょう。
選出母体の利益追求政治が行き着く所・・一方ではアメリカの独立(代表なければ課税なし・・)に繋がり、他方では有産階級の代表だけではなく労働者階級も自分達も選出母体にしろとなって労働革命思想が生まれてきます。
代表を出すための競争社会とは、他者を思いやる政治を目標とするのではなく、自分達のグループ利益を際限なく追究する社会(即ち他グループの利益排除)を前提にしています。
民主主義体制とは血縁政治から脱却して、為政者選出母体になる競争社会になったことを意味し、この社会では階層・集団グループごと(政党の発達)に自分たちの利益代表を必要とし、その支持を受けた政治家は支持者権益の実現を図ることが賞賛される社会となりました。
この競争社会では、為政者選出権獲得競争に敗れた少数者の権益を排除して政治をする(平家が勝てば源氏を排除し、徳川が勝てば豊臣は滅びます)・・エゴ追及を基本とする社会と同義です。
少数意見の尊重というものの、これは少数意見を排除する前提・原則があって(敗者にもある程度配慮しろという意味で)生まれた言葉であって、せっかくしのぎを削って競争に勝って政権を獲得した以上は、支持母体の利益追求に邁進したいし、するべきは当然です。
そうでなければ、支持者に対する背信行為となるでしょう。
我が国は古代から国民全体の福利増進が政治の至上目的でしたが、西洋で発達した民主主義政体は本質的にエゴの追及を基本とする(民主主義の進展と対をなして発達した資本主義経済も同様です)ものであって、国民全体の福利を考える政体ではありません。
ただし、個々人が飽くなき利益追求をする資本主義経済は結果的に文物が発展して社会全体の利益になるし、政治も支持者獲得競争が、(有権者層の拡大によって)結果的に多くの国民の利益実現目的になって行くことを否定しているものではありません。
ここでは革命時には、限定された有権者が前提になっていて=有産階層の利益実現だけが目的だったので、本来的な「万人の幸福」と言う正義の価値基準がセットされていなかったことを書いています。

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