正社員の定義2

このブログは学者の論文でないのでいつも書くように思いつきですが、正社員か否かの区別は職業柄私の慣れ親しんだ法的視点限定で・・分類すれば、期間の定めのある・更新予定のない雇用か否かの違いのようです。(12月1日にもちょっと書きました)
社会学的関心では、規格社会を前提にしてその社会にもっとも適した働き方をしている人を正社員といい、規格外で働く人を非正規労働者と定義していることになるのでしょうか?
希望の党の公約である正社員就労支援とは「一人でも多く規格人間にします」という規格社会のさらなる拡大を目指す主張になりそうです。
人間に正式の人と正式でない人がいないのと同様に、労働者にも正式の労働者と非正規の労働者(違法就労でない限り)いるハズがないのです。
「規格外」と思われる人を必要以上に差別するから、(このシリーズの最初に書きましたが、パートもバイトも違法労働ではありません)非正規という半端な概念が生まれるしそういう区分けが必要になってくるのでしょう。
政治が目指すべきは「規格外の烙印」を押されると生き難い社会を前提にして規格適合者・正社員適合人材を増やすのでは意味がないでしょう。
結婚していない、子供がいない人も生活が普通にできるし、子供がいたり、障害等で1日に数時間しか働けない人や労働能力が規格外の人間・多様な個性を持つ人材が多様な個性に合わせて多様な生き方のできる社会ではないでしょうか?
従来女性の成功者として出てくる有名人の多くはいわゆる男まさりの猛烈型中心で紹介される傾向があった・・・男性でさえはみ出てしまうことの多い厳格な男性の理想的労働規格に女性が適合できた稀な場合ですから、こういう成功例を煽っても仕方がないという苦言を10年ほど前に書いたことがありました。
最近少し傾向が変わって来た・烈女でない普通に生きている女性が、普通に働けている姿が紹介されるようになりつつあるのは良いことだと思います。
男女や体力、方向性の違いを前提にそれぞれの生き方を尊重する社会であるべきです。
ただし、子育て中は外で働けないのは当たり前だと思考停止すべきではなく、働けるような受け皿整備、保育所の充実や職場のIT化により現場系労働でも腕力不要化し、衛生環境・トイレや更衣室設置など・・向上により女性が働き易くするなどの企業努力も重要です。

素人の私が正規・非正規雇用とは何かの意見を書くばかりではなく、専門家の意見をみておきましょう。
http://www.huffingtonpost.jp/nissei-kisokenkyujyo/temporary-work_b_11190746.htmlには、非正規と正規の定義が出ています。

2016年07月27日 16時17分 JST | 更新 2017年07月27日 18時12分 JST
ニッセイ基礎研究所
非正規雇用労働者の実態を国際比較する際に重要なのが非正規雇用労働者を区分する定義であるものの、その定義は国によって異なっており、必ずしも収斂していない。
まず、日本の労働力調査では、非正規雇用労働者を「労働契約期間、以下、従業上の地位」と「勤め先での呼称、以下、雇用形態」により区分している。http://images.huffingtonpost.com/2016-07-26-1469508110-8404116-letter16071911_2.jpg

私が素人的発想・終身雇用的関係にあるのを正社員という考え方でこれまで書いてきたのは、上記のうち期間制限に着目した分類になりますが、週35時間以上かどうかの形式区別ではなく、(週30時間内労働でも・大学教授など週30時間も拘束されていないでしょう))雇用関係が終身的安定か否かで書いてきました。
労働時間で分けると期間が時間単位〜一日〜週単位〜1ヶ月以上を含まないかなど、基準次第で総数が違ってきます。
一般常識ではパートで働いている人が週35時間超えて働いても非正規就労と思っているでしょうから、水色のグラフは社会イメージに合っていないことがわかります。
また水色の基準区分けで済むならば、社会問題になりません。

責任政党とは?3(正社員の定義1)

人手不足で困っていて就職難で困っていない日本で、メデイアの支援を受ける小池氏がなぜ韓国の政策の受け売りをするのか不明です。
小池氏が都知事になってから都政の重要事項について公式会議の手順を踏んで行う方式を無視して密室で決める独断が目立ちますが、そうなるといわゆる14人のブレーンの影響力・彼らの思想根拠が重視されます。
たとえば、築地市場者での座長をしている小島氏の経歴によれば、元々原発反対と築地移転反対論者であったと報じられています。
内部留保課税に関しては、安東氏の言い訳・・・内部留保課税するといえば企業の配当や雇用が増えるからという韓国の経験を下敷きにした意見が出ていますので、彼の意見が参考にされたのでしょう。
日本のメデイアでは、4〜5十年前までには何かあるとテレビ新聞等で「欧米では・・・」と知ったかぶりで講釈する人が多かったのですが、今では韓国事情を紹介する人がメデイア界では幅を利かしているかのような実態が伝わってくる印象です。
11月25日に希望の党のその他の主張?公約の下位に来る具体化主張を紹介しましたが、26日から手元資金問題に流れて期間が空いてしまったのでもう一度再掲します。
特集:2017衆院選

「3本柱」のほかの柱は「議員定数・議員報酬の削減」「ポスト・アベノミクスの経済政策」「ダイバーシティー(多様性)社会の実現」など。柱のほかに「『希望への道』しるべ 12のゼロ」をスローガンに掲げ、隠蔽(いんぺい)ゼロ、受動喫煙ゼロ、花粉症ゼロ――などを打ち出した。」

というのですが、何となくメデイア受けしそうな流行語を羅列したような印象を受けるのは私だけでしょうか?
上記ダイバーシテイー社会の実現と正社員化応援(正社員を増やしていく政策)とどのように整合するのか全く不明です。
幼稚園児が「おまわりさんになりたい」などいうのは微笑ましいものですが、政党の公約でスローガンだけ掲げて何をどう実現するのか不明では政治になりません。
終身雇用意識全盛の戦後高度成長期でも現場労働者や、小規模商店で働く店員等は身分保障がありませんでした。
終身雇用社会といっても一定の社会状況で中心的雇用形態になっていた、あるいは理想的就職先と観念されていたに過ぎません。
現在〜将来にかけて終身雇用維持どころかこれを拡大させる必要性があるか?という基礎的議論が必要でしょう。
いわば人を商品のごとく働き盛りの男性を規格品とし、それ以外は男性を含めて女性全てを規格外商品・キズ物として必要以上に不利益に扱い、自立しづらい社会・・ギュウギュウ詰めの満員電車その他全て規格適合(48時間戦えますか!)の男性向けにつくられていた社会でした。
人の一生も一定の型が理想とされ、結婚して1人前といい、子供がいないと肩身が狭いなど何もかも画一基準社会でした。
規格にはまった人間以外はダメという社会では期待される能力がオールラウンド型が有利になりがちですが、規格外で良いとなれば、できない部分が多くても部分的に秀でた人が生きやすい社会になります。
ゆとり社会が始まると少しくらい規格外(ハンデイがあっても)でも働ける労働環境が整備され、いまでは女性が外で働くのが普通になり、子育て中でもやめなくてもいいし男女を問わずガン治療中の人でも職場復帰できるようになってきました。
宅配や訪問介護等が介護が充実していけば、子供のいない老後(単身のまま老いて)もそれほど気になりません。
通勤手段もエスカレーターなど整備され歩行弱者も気軽に外出できるようになっています。
非正規労働だけが問題ではなく正社員という「規格」外でも自立して生きていける社会にして行こうとする動きを肯定的に見ていく気持ちがあるか?でしょう。
労働者にとって意味があるのは、正社員・終身雇用(嫌なことがあってもやめられない)そのものに意味があるのではなく、生活の不安定・・病気や何かの事情では働けなくなる時の備えあるいは、きちんとした年金や保険制度加入の恩恵があるかどうか、失業すると再就職困難な社会を前提に終身雇用を理想として来たにすぎません。
「正社員」就労を支援するよりも、事情があって一旦仕事から遠ざかりその後再就職したい場合でもいろんな受け皿のある社会にした方が合理的です。
相応の生活できる見込みさえあれば、大企業の社長等に登り詰める自信がない限りサラリーマンよりは自営業者・脱サラ・独立を夢みる人が多いのと基礎は同じで人は自由を求めているのです。
働き方の違いに応じて年俸ではなく月給になり週休日給になってもいいのですが、それと保険や年金制度から切り離す必要がないということです。
正社員にこだわる意見は正社員?規格適合者とその他条件で働きたい人とで関連条件格差を前提にしています。
保険や年金あるいは日々の収入の確保・・起業・再就職のしやすい社会・・生活の安定をどうやって保障していくかに意味がある・・職を転々しても相応に生活できれば、終身縛られない方がいいと思う人が多いでしょう。
繁華街のように無数の商店があれば、お金さえあれば晩御飯を食べたりもの買ったりするのに困らない・・何もかも数ヶ月分も自宅に備蓄する必要がないし、老後生活も介護関連が充実すればあくまで子世帯と同居する必要がありません。
労働環境も受け皿や社会保障制度の問題であって、再就職環境が整っていて転職者にとって非合理な格差がなければ、終身雇用にこだわる必要がありません。
パート等に対する社会保障等の支援が充実して行けば、さらに正社員希望が減って行くのではないでしょうか?
社会が必要としているのは、正社員就職支援ではなく不定期就労したい(いろんな規格の)人の要望を受け容れながら、必要な待遇改善の問題であることがわかります。
転職した人の年金の継続を図るなど不便さの解消・・目の悪い人や足腰の弱い人の労働能力が健常者(規格人)とに比べて2割劣っていても、給与が2割低いだけの差が合理的であって、1〜2割劣っていると就職できないで無収入になるとか、保険制度に入れないなどの差がつくのは不合理です。
ここの価値としてはその通りですが、商品供給側の企業としては2割の欠陥商品では2割引でも売れません。
個々人を部品のように切り分けられれば、ある人が根気がなくて3時間もするとミスが出るとしたら3時間前に交替させればいいことです。
あるいはABCDの要素・・組み立ては得意だが色つけが下手とすればその工程を別人にやらせたらいいことで、この程度の(蒔絵の工程や浮世絵の版元〜刷り師、絵描きなど)分業は江戸時代からやっています。
これをもっと細分化すれば・耳の悪い人でも手作業に支障がない・絵は描けるなど・・良いことです。何もかも平均的オールラウンド型能力を要求する規格社会(教育制度ではオールラウンド型国立大学出身の支配的社会?)は窮屈すぎるほか、必要以上の偏見を生むようになります。

希望の党の公約7(正社員を増やす?3)

11月26日以来内部留保・手元資金問題が割り込んでしまいましたが、希望の党の公約である「正社員で働けるように支援する」というテーマに戻ります。
選挙が終わってからこのテーマの連載では、読者によっては気の抜けたテーマと思う方がいるでしょうが、ムードに頼る選挙・実現する気持ちが全くない公約で選挙民のウケを狙う選挙が行われるのでは社会にとって害悪です・・・こういう公約が堂々と発表されるのでは健全な政治議論ができない・日本のために良くないと思うので、(選挙中には自制して書かなかったのですが)以下書き続けます。
政党が公約に掲げる以上は、他の政策と矛盾しないか既存システム改廃の可能性・・利害調整が可能かの実現性有無を吟味した上での意見を言うべきです。
「実現の可能性はないが顧望を言って見るだけ」という無責任な公約では困るからです。
そこで「正社員で働けるように支援する」と言う公約を実現する場合どのような社会を想定しているかを、まず決める必要があります。
正社員の定義がはっきりしない点・終身雇用的理解を21〜23日頃に書いていますが、非正規雇用の拡大・待遇改善が社会的テーマになっている関連で考えれば、正社員とは非正規雇用の対比で使用しているものと考えられ、結果的に雇用期間の定めのない社員を正社員と称するのが常識的用語になっていると思われます。
そうとすれば、「正社員で働けるように支援する」という意味は、期間の定めのある労働比率を下げて正社員比率を上げるという意味になるように思われます。
私は正規と非正規の区分け・「正式の雇用と正式ではない雇用」という二分論自体・・期間も労働内容も無限定な終身的雇用を「正式」それ以外は正式ではない」という社会構造を固定化するのは問題がないか?の視点でこのシリーズで書いてきました。
長期継続を原則とする社会では労働者や生徒あるいは嫁、借家人等々弱者の地位が安定しひいては社会安定にもつながり良い面があることは確かです。
しかし、この仕組みは、先祖代々の職種しかなくひいては世襲の職場以外にない・女性が離婚すると再婚しない限り独立の生活を営めない・学校や就職先でいじめがあったり、自分の適性に合わないからと途中で辞めると同等の受け皿がない等々のりゆうで修正可能性の乏しい社会を前提に出来上がってきたシステムです。
数百年前から続く事業しか世の中にない時代が終わり、新規事業創出に向けた国際競争が熾烈な現在、能力さえあればいろんな分野での活躍チャンスのある社会になると、固定社会を前提とする終身雇用システムは一旦就職したものの途中別のことをやりたい人にとってはむしろ窮屈な社会になり発展阻害によるマイナスの方が大きくなります。
他方企業の方も国内外で日々新規事業分野開拓の競争があるので、雇ってみて外れ人材であっても才能不足・不適合理由では(証明困難で)解雇不能社会では困るし、新規事業分野挑戦目的で採用したものの、事業開始してみると予想が外れて不採算でも配置転換等の努力をした後でないと簡単に解雇・人員整理できないのでは、怖くて採用を最小限に絞る傾向・企業としてはチャレンジ意欲にブレーキがかかります。
被雇用者も就職してみて企業内環境や方向性が自分に合わないと思っても(終身雇用=中途採用市場不足)定年前にやめると再就職先が簡単にみつからないので、不適合のままくすぶった人生を送るしかない不健全なことも起きてきます。
社会構造の変化が激しい時代には、長期変化のない安定社会向け終身雇用・継続関係重視の仕組みは労使共(各種契約当事者)に社会の変化について行けないマイナス面が大きくなります。
全員が全員自由競争をしたい人ばかりではないでしょうから、必要な人から順に自由市場型生活を選べるように社会を柔軟に変えて行く姿勢が必要です。
必要を感じる人の自由移動を白い目でみたり嫌がらせ的冷遇(保険や年金制度からはずすなど)をする必要もなければ、逆に特別優遇する必要もない、政治は自然の流れに合わせて従来型労働形態に合わせてできている諸制度のうちで新型労働契約に不合理に不利にできている部分の修正等に努力すべきです。
この点はLGBTであれ、各種障害者や女性や子育てや介護中の人の就労環境であれ同じです。
一般に言われるクオーターのように実力以上に優遇するのは、なぜ優遇しなければならないのか?(たとえば人口比率比例して知的障害者や身体障害者を国会議員や大学教授や企業役員にすべきだ・上場企業の何%を知的障害者をトップにすべきだといえば、おかしい主張だと誰でも思うでしょう。
職業は能力に応じて就職できるべきであって、弱者認定さえあれば、一定率で就任できるものではありません。
クオーター制は実質的不公正を政府が強制する結果、贔屓の引倒し的側面もありうまくいかないでしょう。
必要以上に不利益な制度は改めるべきですが、能力がなくとも一流大学や1流企業の宰予数を同数・・例えば男女同数あるいは各種障害者の人口比率にあわせるべきとなってくるとおかしくなってきます。
最近弱者ビジネスという言葉が流行していますが、一旦被害者の立場になると何をしても要求しても許されるかのような振る舞いをする人・クレーマー・モンスター保護者などが増えています。
希望の党が、「正社員で働けるように支援する」というスローガンを掲げれば正社員が増えるものではないだけではなく、もしも自然の変化を政治が妨害してその流れを止めて正社員比率を引き上げようとするのであれば邪道です。
終身雇用の基礎にある精神・・よほどのことがないと一旦できた関係性を断ち切れない社会構造の典型的場面である借地借家制度や婚姻法制がこの数拾年で大きく変化してきたし、最近では労働契約解雇法制改正(金銭解決)の機運が俎上に上ってきた事情をこれから紹介していきます。
共通項は、長期関係切断による不利益を受ける方(多くは弱者)の期待利益保障が基礎にある点を直視して・・切断を禁止するのではなく、期待利益保障整備の進展具合を総合した雇用や生活保障の問題に移ってきていることがわかります。
離婚に長年抵抗があったのは主として離婚後の生活・・子育てに不都合があるからですが、今は社会の受け皿が揃って来たので(実家の経済力が気にならなくなり)4〜50年前に比べて離婚のハードルが下がっていることを見れば実感できるでしょう。
正社員(毎週約40時間以上働けるか必要に応じて残業ができるか転勤可能等)かどうかで「正式な市民」になれるかどうかが決まるのでは窮屈すぎます。
1日数時間しか働けない人、午前中だけ〜午後だけ働ける人と8時間連日働ける人や、2〜3年で技術を習得したらやめたい人、場合によっては定年までそのまま働いてもいいが、途中4〜5年別のことをしてみたい人・転勤可能な人とそうでない人などの多様な働き方を前提にした社会にした方がいいでしょう。
働き方の違いによって待遇(給与体系等)が変わるのは仕方がないとしても、働き方の違いに比例した合理的待遇差にすべきということではないでしょうか?
実際にこの数年「同一労働・同一賃」政策やパート臨時雇用に対する年金制度の拡大・社会保険制度加入など具体的な変化が進み始めています。
実際にこの数年「同一労働・同一賃」政策やパート臨時雇用に対する年金制度の拡大・社会保険制度加入促進など具体的な整備が進み始めています。
これに対して希望の党が政府と施策とは違う「正社員で働けるように支援する」という公約は何をどうしたいのかまるで見えない・現在の政策方向をどのように変えるという主張なのか不明です。
希望の党は政権交代可能な政党として結党したという大宣伝で売り出した以上は、「正社員で働けるように支援する」公約を希望の党が政権を取った場合にどうやって何をするのかのビジョンとセットでければなりません。

希望の党の公約6(正社員を増やす?2)

従来型の正社員で就労したい人の就労を支援する→大企業のトータル採用を増やすという意味であれば、容量の拡大・経済規模拡大しかないのですから幼稚園児の夢ではなく政党の公約である以上、どのようにして活性化を図るかのビジョンを示す必要があるでしょう。
内部留保課税で活性化するという程度の意見では、重税課になるのみならず、投資済み資金の引き上げを強制することになるので経済縮小路線です。
現預金だけに課税するとすれば、決済用資金すら持ってはいけないとなって取り付け騒ぎが起きて大混乱になるでしょう。
もしも経済活性化と関係なく・すなわちトータル採用数が同じでも支援するというならば、就活支援業者を増やすという程度でしょうか?
今後産業界はロボット化や自動化する一方で単純作業が減っていくだけではなく、一般事務職程度の事務職も減って行きます。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-06-15/ORKAID6JIJUO010

17年6月15日 17:22 J
三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)が今後10年程度で過去最大となる1万人規模の人員削減を検討していることが分かった。超低金利の環境下で収益性が低下する中、金融と情報技術(IT)を融合したフィンテックで業務合理化を進め、店舗の閉鎖や軽量化などによって余剰人員削減につなげる方針。MUFGの社員数は世界で約14万7000人おり、約7%の人員カットとなる。
・・・・フィンテックの進展や店舗政策の見直しによる人員削減は三井住友フィナンシャルグループも取り組んでいる。5月に公表した3カ年の新中期経営計画で、店舗のデジタル化や事業の効率化などで人員削減効果を約4000人とし・・・。

IT〜AI化によって一定の頭脳職種(弁護士で言えばある事件についてどの方向(論点)の判例を検索すれば良いかの選択を若手弁護士が担当している場合に、この種作業をAIが代用する時代が来るかも?)でさえ減って行く趨勢は如何ともし難いので、経済活性化による事業規模拡大に成功しても必ずしも正社員増加を図れるわけではありません。
上記新時代に対応できる人材が不足するとせっかく規模拡大した大手企業は、AI操作に優れた外国人に頼らざるを得ないので(優秀な外国人の国内雇用を制限して職場を守ろうとすれば、企業は人材の揃った外国にその部門を移していかないと国際競争に負けるので国内空洞化になり正社員を増やすどころではありません。
過去約20年あまり国際競争に勝ち抜くために人件費の安い中国.新興国等へ工場を移転したように、今後はIT〜AIを駆使できる人材が揃っている割に人件費の安い地域へ事務部門を含めて拠点を移動していく時代がきます。
正社員就労を増やすというより、大幅減にならないようにするには、新時代の雇用が海外に逃げないように国民の絶えざるスキルアップが必須です。
関税で守られていた企業が徐々に国際競争に直接曝されるようになった時代から、企業の保護幕が取り払われて個々人がストレートに国際競争にさらされる時代が始まっています。
今後IT化・技術陳腐化の早い時代に、これまでの正社員・終身雇用中心を前提にした国民教育システムで対応できるのか?むしろ多様な就労形態に軸足を置いて人生の途中で再度新技術を身につける方式にした方が良いのではないか・それにはどうするかのテーマを解決して行く必要があるでしょう。
人材育成は文科省の専門分野か?というとそうではなく、就労形態に関する価値観の柔軟性・インフラ次第で必要とする人材の方向性も変わってくるのを重視すべきです。
公約で「正社員で働くことを支援する」と言うだけでは、仮に政権担当者になればどんな労働観〜人生観を提示しどう言う人間を育てるための政治をしたいのか不明です・・。
日本の将来像をきっちり認識して何を具体的にするのかをはっきりさせないと、政党の公約としては意味不明となります。
希望の党の公約には、一見して「正社員が理想でありその比率をふやして行くべき」という政治姿勢・・社会のあり方として期間や時間の定めのある契約等多様な雇用・働き方をへらしていく、単線・画一的雇用社会になるのを「希望」するというアナウンス効果を狙った公約でしょうか?
ところが一方では、小池氏はダイバーシテイ化を進めるといっていたように思います。
http://www.asahi.com/articles/ASKB632GWKB6UTFK002.html

別宮潤一 2017年10月6日12時48分
「希望の党代表の小池百合子・東京都知事は6日午前、衆院選公約と新党の政策集を発表した。「タブーに挑戦する気持ちで思い切った案を公約に盛り込んだ」と説明。公約に9本の柱を盛り込み、このうち「消費税増税の凍結」「原発ゼロ」「憲法改正論議を進める」ことを主要な「3本柱」とし、政策集では原発ゼロについて「憲法への明記を目指す」とした。
特集:2017衆院選
「3本柱」のほかの柱は「議員定数・議員報酬の削減」「ポスト・アベノミクスの経済政策」「ダイバーシティー(多様性)社会の実現」など。柱のほかに「『希望への道』しるべ 12のゼロ」をスローガンに掲げ、隠蔽(いんぺい)ゼロ、受動喫煙ゼロ、花粉症ゼロ――などを打ち出した。」

法人税軽減の主張をしながら、納税後余っている帳簿上の資産・・内部留保課税→結果的に法人税加重方向を主張する不思議さと同じちぐはぐさがここにも出てきます。
ダイバーシテイ化を目指す政策と「正社員で働くことを支援する」政策とは両立できるのでしょうか?
07/03/03(2003年)「超高齢化社会の生き方5(多様な生き方を保障する社会1)」前後で、高齢化社会向けに書いたことがありますが、要はいろんな(LGBTを含めて)生き方ができる社会にすべきだという意見ですが、この4〜5年では(小池氏がダイバーシテイ化をトレンドとして採用するほど)社会的合意が出来て来たと思われます。
働き方〜生き方が千差万別・多様化していく方が労使双方にとって行きやすい社会であるという意見が、今では日本社会で受け入れられているとすれば、「正社員として働けるように支援する」という公約とどのように整合するのか不明です。
AI~IT化が進展する今後の社会では、終身雇用〜正社員意識・それ以外の働き方を異端(イレギュラー)と決めつける社会が成り立たなくなる・・とりわけIT化に背を向ける姿勢と思われます。
もともと終身雇用を正社員と言い、それ以外を非正規(イレギュラー)と区別する固定意識社会は、上司〜同僚と折り合いが悪いその他嫌なことがあってもやめると生活できないから嫌々ながら従属するしかない窮屈な社会・イジメがあってもやめられない人権侵害の温床になる社会ではないでしょうか?
やめる自由がない・失業→生活展望がない社会では必死になって一旦得た地位にしがみつきますし、学校でいじめられても容易に辞められない意識が子供を自殺にまで追い込むインフラになっています。
いじめ事件が起きると先生ばかり批判していますが、多様な育ち方が認められていない・受け皿不足社会だから繰り返し起きるのです。
被雇用者その他弱者が逃げる選択肢がない状態で意見が合わないという理由で経営者が簡単に解雇したり、校風にあわないと退学処分できると、解雇や放校、離婚された方は死活問題ですから、雇用者や学校あるいは婚家の方でもよほどのことがない限り関係切断できない社会になって行った・主流雇用形態が社会意識の基幹・・多様な影響を及ぼすので、社会のあり方を代表して終身雇用的社会というものです。
ですから雇用のあり方をどうするかは社会意識のあり方を規定する重要な指標です。

希望の党の公約5(正社員で働くことを支援とは?1)

希望の党の公約に戻します。
(2)若者が正社員で働くことを支援し、家計の教育費と住宅費の負担を下げ、医療介護費の不安を解消する」
と言うのですが、正社員で働く(とは終身雇用化のことでしょうか?)を「支援する」と言っても、これは(文字通り専制政治でさえどうこうできない経済のうねりで非正規化が生じているもので)政治が号令かけてできるものではありません。
ベルトコンベアー方式に始まる分業化の進展が仕事を細分化する一方であり、細切れの作業工程の結果、引き継ぎらしい引き継ぎ不要の細切れ交代就業を可能にして来ました。
マクドナルド店員やクリーニング受付で言えば、5時間前に出勤した人も1時間前に出勤した店員も顧客サービスに差がありません。
工場のラインでも同じです。
作業が細分化されて行くにつれて限定された作業能力さえ同じならばその他の総合力の比率がさがる結果、10〜20年の年功者も1〜2年前からの経験者も差異がありません。
タイピストや電話交換手のような特殊分野だけの細切れ作業分野が、家事保育や医療・介護・教育(全人格教育の掛け声があっても実際には塾の盛行に知られるように小学生相手の教育でもさえ専門分化が進んでいます)を含めてほとんどの分野に広がって来たのが現在社会です。この結果午前中だけや午後だけ、夕方から、週に2〜3日だけ働きたい人も働ける社会になっています。
正社員で働けるように支援するという時の「正社員」は何を意味するかを決めないと意味不明になります。
従来型意味では上記のような不規則〜不連続勤務しか出来ない人は臨時雇用原則で、正社員とは言われていませんでした。
社会構造が変わりつつある現在、従来型の正規非正規の区分けを前提に正規(正社員・終身雇用)社員就職支援するとすれば、時代錯誤な印象を受ける人が多いでしょう。
仮に正規(正社員)化に引き戻すのが正しいとしても「言うだけ番長」という単語がありますが、どうやって働き方を正規(終身雇用)化に変えていくかを政治家はいうべきでしょう。
「平和主義」というだけで平和は来ないので、どうやって実現するかこそ政治が語るべきなのと同様に、「正社員(終身雇用)化」普及が正しいとしてもそれをどうやって実現するかを主張してこそ政党の公約になります。
そもそも正規(正社員)と非正規(非正社員)の違いは何でしょう?
左翼生政治家は、平和主義というだけでどうやって平和を守るかの具体論がないのと同じで「正社員就職支援」というスローガンだけでは何もわかりません。
本来「正」に対する反対熟語は「不正」ですが、メデイアはしきりに「非正規」とマイナス的表現するものの、実はモグリでもなければ違法就労ではありません。
「正社員就労を支援する」の「正社員」自体曖昧模糊としていて、鳩山氏の「少なくとも県外へ!」のスローガン同様に国民に対するイメージ強調の印象です。
違法就労ならば権力者が合法化しそれまであった処罰を廃止すれば済むことですが、臨時雇用・短時間不規則勤務は違法でもない多様な雇用形態をいうに過ぎない・社会実態によるものですから、政党が「正社員就労を支援する」と言い、法令改廃だけすれば7〜8時間の連続勤務に変わるものではありません。
革新系には権力信奉者が多いので、政府が正社員を増やせといえば正社員が増えると思い込んでいる人が多いでしょうが、経済の動きはそうはいきません。
1日8時間以下の就労を禁止しても3〜4時間しか働けない人や、週に1〜2日しかバイトできない人が、毎日出勤できるようにはなりません。
あるいは、「日に数時間しか働けない人も今後正社員と呼ぶようにします」という「言葉狩り」ならば、あまり意味のない公約です。
アルバイトやパートも期間工でも皆企業にとっては正式雇用した従業員ですし、パート・バイト等も違法に企業内で働いているものではありません。
正社員とは何でしょうか?
ホンの一時期特定の歴史状況下で大手企業や公務員で主流「的」(終身雇用最盛期の高度成長期にも零細商店や個人的修理屋や中小規模の建設関連業種等々では、臨時雇用不定期就労者が国民の大半であったに思われます)雇用形態について、度重なる労働法判例によって不合理な解雇が認められない・雇用が守られるようになってきたのを、一般に終身雇用「制」といってきたに過ぎません。
労働判例の集積で守られるようになった「終身雇用」方式の被雇用者をいつから「正社員」と言うようになったのか知りませんが、その背後にはこれを正式就労形式と賞賛する意識があり、結果的に多様な労働形式を否定的に見る→画一労働形態社会にしていくべきとする意識の高い?人々が言い出したのでしょうか。
正社員・終身雇用を増やすべきかどうかの前提として、終身雇用「制」とは何か?と考えると「制度」ではなく単なる自然発生的・・多様な雇用形態の中で大きな落ち度さえなければ、希望すれば定年まで原則的に雇用が守られるようになっていた状態をメデイアが理想と考えて?これを「正式社員」それ以外は保障のない労働者=イレギュラーであり、ゆくゆくは淘汰されてくべき・・あるいは一段下に見下すべき階層を作っていく価値観があって「非正規」という言葉を普及させた用語と思われます。
共産主義思想・・労働組合に基礎を置く左翼系政党やメデイアにとっては労働組合によって守られた労働者・・これのみが「正」社員であって、この枠組みから外れたものを江戸時代の部外者「非人」的位置付けに差別化したものと思われます。
欧米の民主主義といっても元は「市民」と「それ以外」という差別思想を基礎にするのと同じ系譜に属します。
左翼系やメデイアの信奉する中国では今でも都市住民と農民戸籍にはっきり分けられて統治されているのと同じです。
韓国では大手(財閥系)企業正社員・労働貴族とそれ以外の格差が半端でない実態・このために大手(サムスン就職塾という個別企業就職塾が幅を利かしています)に就職するための専門塾が発達し就職浪人が普通になっている実態もはよく知られている通りです。
いわば、李氏朝鮮時代のヤンパン支配を就職試験で区別するようになった社会のようです。
このかなり後で書く予定ですが、欧米では何事も支配・被支配その他2項対立区分けが基本ですが、その影響下にあるように見えます。
ところで、わが国では不合理な解雇が認められないのはアルバイトやパート期間工でも同じですから、正規・非正規の問題ではなく多様な契約形態による効果の違いであり、結局は期間の定めのない雇用契約の解約事由と期間の定めのある雇用契約の解雇事由をどう区別すべきかの問題です。
また各種年金や保険加入等のインフラ参入の資格も正規化非正規かによる区別の合理性がない・・多様な就労形態に応じて多様な加入資格/あるいは給付内容を多様化すれば良いことで、非正規=何の社会保証もないという極端な格差を設けることがおかしいのです。
公権力で長期雇用を商店等零細企業(繁閑差の大きい商店やリゾートホテルなど)に強制するのは無理すぎるし、一方で短時間・不規則に働きたい需要を禁止するのも無理過ぎます。

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