フェイクニュース7(データの正確さ)

現在の世論調査の方法は、戸別訪問しないで一定の乱数表に基づいて選んだ電話番号に・・せいぜい数千人規模・・自動的に電話をかけるシステムを構築していて、かける電話も録音内容を機械的に流すだけで大したコストもかからないし簡単に出来るようになっています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E8%AB%96%E8%AA%BF%E6%9F%BBによると以下の通りです。
標本数を算出するための公式がある(式は省略)。無限に数が多い母集団(「無限母集団」という。日本国における実際の母集団の数は約1億3000万)を対象に、信頼水準を95%として、標本誤差を5%以下とするために必要な人数を、高校で習う公式に当てはめて算出すると、「384人」と算出できる[3]。つまり、世論調査の標本数が384人以上なら、その調査は信頼できるということである。標本のサイズが大きいほど誤差が小さく、数千人の標本数だと、標本誤差は±3%以下になる。1万人を超える標本調査だと誤差を±1%以下にまで抑えられるが、標本のサイズが大きいほどコストが大きくなるので、世論調査にかかるコストと、誤差のバランスを考慮して、日本の世論調査ではだいたい数千人くらいの標本調査で妥協している。」
固定電話だけだと年齢層に偏りがでる批判から、最近携帯を利用した調査を併用する調査が増えているようです。
アメリカ大統領選での討論があってその翌日あたりにはどちらのポイントがいくつ上がったとか下がっとかの数字がすぐに出るのは簡単な調査方法によっているからです。
我が国でも、内閣改造があると数日後には世論調査内容が発表される訳です。
こうした世論調査の安易性を前提にすると「国家百年の計」ともいうべき原発政策に関して多数あるメデイアがこの5年間全く世論調査しなかったとすれば(私が探しきれないだけかも知れませんが)・・それ自体が異常・意図的な疑いが起きます。
堂々と討論できる出席者だけの意見とサイレントマジョリテイーが多く含まれる世論とでは、大幅に異なるのが普通であることについては、マンションや大規模工場などの新規立地説明会出席者の意見が全住民の意見比率とは大幅に異なることを例にして20日に書きました。
5年前の原発ゼロの是非に関する「討論型」調査結果47%を現在の世論であると主張することも、仮りに直近で世論調査していないとすれば、形式的な虚偽報道でないとしても単なる編集権の問題ではなく事実調査を意図的に回避している・・メデイアにとって不都合な予測がある時には5年間も調査をしないのか?という疑いが起きます。
国民関心の低い分野についてしょっちゅう世論調査する必要がないでしょうが、前々回の都知事戦の時に原発廃止を主張する細川元総理が立候補したこともありましたし、この後で紹介する現在の民進党の党首選挙戦でも大きなテーマになっています。
メデイがしょっちゅう話題にしながら、ムードを煽るばかりで「世論調査を全くしないのは奇異」としか言いようがありません。
そもそも東北大地震は11年3月ですから、それから今まで6年間以上の長期にわたってメデイアは原発の怖さを煽るばかりで、12年夏に民主党が長年主張してきた反原発運動に都合の良い結果が出るように政府主催で「討論型調査」だけして満足し(これが自民党政権ならば、政府調査の仕方を批判し平行調査していたでしょう)、民間で平行調査する気持ちもなかった・・討論型調査の前後を通じて国民意識調査を全くしなかったこと自体が異常です。
せっかく民主党政権が47%反対の公式記録を残したのに、新たに調査すると朝日新聞やメデイアの意図する方向と反対世論結果が出るの防ぐためにメデイアはこぞってその後一切の世論調査をしていないままにしている疑いが濃厚です。
そこで、「30年まで原発ゼロ政策に関する世論調査」で20日現在でネット検索すると12年の「討論型調査結果」を紹介する日経新聞と2012年8月21日ジャパン・フォー・サステナビリティ(JFS)「日本のエネルギー政策に関する国際世論調査」で「世界は7割が原発ゼロを支持」の2件シカ第一次的に出て来ません。
(次々の検索をすれば出るのかも知れませんが、そんな暇がありません・・5年前の記事が真っ先に出て来ることやその後の新しい大手メデイアの世論調査の結果が出る順位が下位になっていること自体不思議ですから普通に考えれば全くやってないか、やっていても不利だから?公表していないということでしょうか)
上記の2件の内、編集権の問題とは言え国際社会では「7割」という誘導的報道の影響力の大きさです。
内容を見ると政府など責任ある意見ではなく、ネットで理想的な「希望」を聞いたに過ぎないことが分かります。
「それぞれの回答を選んだ理由について、ゼロシナリオを選択した回答者のうち、「原発は事故のリスクが大きすぎる」(ゼロシナリオを選択した回答者の36%)「人類は核廃棄物を管理できない」(同17%)と、原発のリスクや核廃棄物の危険性を挙げた回答が最も多く、同シナリオ選択理由の53%を占めた。また、「日本が世界に規範を示すことを期待して」(同10%)のほか、「再生可能エネルギーをもっと増やせば実現可能」(8%)「省エネやエネルギー効率化で実現可能」(5%)と再生可能エネルギーへの期待や、エネルギー消費の見直しを求める意見が見られた。」
今朝の日経新聞朝刊3pに民進党代表選候補者双方の主張を表にしていますが、原発政策「30年代ゼロ目標」に関しては枝野氏が「どうすれば原発ゼロにできるか工程表を示し年内にも法案提出したい」前原氏は「30年代ゼロを目指してあらゆる政策資源を投入。工程表もしっかり作る」というものです。
これによれば、党内で「30年までにゼロにする」という主張自体を表明できる勢力がないことが明らかで、蓮舫党首が党内意見を全く無視していた・党首として党内運営能力さえなかったことが明らかです。
30年までゼロではなく、「30年代」という漠然とした目標にランクを落としてさえ、両代表共まだ工程表すら準備がなく、子供の夢みたいな主張にとどまっています。
そもそも主張というのは、こういうことで実現できるからこの案でどうでしょうかと提案するものであって、できるかどうかわからないが、まず主張するというのでは責任ある・大人の意見と言えるのでしょうか?
「何時までにどこそこへ行きたいがどのコースがいいか」という場合、,A案ならばどこそこ経由で10分前に着く、B案ならば2回乗り替えで15分前に着くというように物事は具体的です。
「行けるかどうかわかりませんが、C案はどうでしょう」と言ったら笑われます。
子供の夢は・・根拠なくパイロットになりたいとかノーベル賞を取りたいというのは「夢があっていいね」ということですが、・・政策発表は、具体的な実現可能性を前提にすべきことです。
実現準備のない「少なくとも県外へ」八ッ場ダムその他の実現性のないスローガンに自己陶酔していた鳩山政権=結果的に民主党が自滅したのですが、いまだにこの程度です。
ま、今回は工程表を作るというだけマシですが、政策発表をする以上は「こうやって実現する」という工程表があってから発表すべきではないでしょうか?
「国民を今より豊かにする」「好景気にする」「平和を守る」と言うスローガンだけなら誰でも言えます・・どうやって実現するかの道筋の提示があってこそ国民が選択出来るのです。
国家の原発政策としてドイツが原発全面廃止を決めたと原発事故当時〜以降大々的に報道されていましたが、それには資源国のドイツが元々原発に頼る比率が低かった現実を前提に資源のない日本との比較が不可欠です
その上で日本がどうやって実現すべきかということです。
環境条件の違うよその真似だけ主張してもどうなるものではありません。
広大な農地の広がるアメリカの真似をして飛行機で種まきをするのが正しい農法だと言っても意味がないように、おかれた環境に応じた生き方・産業があるのです。
以下原子力発電大国フランスから安く電力供給を受けられる関係をネット等で報道されていましたが、その虚実あるいは、環境条件などを探って見ましょう。

ダイジェスト報道5と正確(中立)性担保4

政府判断の裏付け資料などの高度な議論内容をキチンと理解出来るレベルの人材がマスコミに必要と思いますが、人材の切磋琢磨や公正中立と言う精神論だけに頼るのは無理があるので、合理的な競争が必要です。
マスコミが難解・複雑な議論過程を理解出来ないで、焦点からずれた紹介をしたり、(または意図的に?)間違っていても誰も知ることすら出来ずこれを批判出来ないのでは国民の不幸です。
・・「きちんと資料や議論経過を見てないのじゃないか」「ミスリードではないか?」と言うマスコミ批判を出来る別のシステム構築が必要です。
2月4日の日経新聞19p「大機小機」には池田勇人氏が通産大臣を不信任決議されたときの「失言?」の正確な文言と当時同大臣発言を批判していたマスコミ報道とはかなりかけ離れていたことが紹介されています。
約半世紀も経過した今頃紹介しても、そのときの政治決定(一定勢力)を導くために虚偽報道で応援していたことになりませんか?
中立を装ったマスコミが気に入った意見や事件・テーマしか報道しないので、国民は報道された範囲しか分らないので、マスコミによって無視された事象を知ることが出来ないし、事実を知らない以上は議論することすら出来ませんので、マスコミの報道独占は国民の自由な判断権を奪っています。
エコノミストや◯◯文化人と言うのは言わばマスコミの関係者・・言わばスポーツ担当記者をレベルアップした分野ごとの記者のような役割ですから、経済現象で言えば、エコノミストが理解出来る限度とその(マスコミが期待する偏った?)立場で採用された限度しか書いていません。
スポーツでも芸能分野でも担当記者の基礎知識不足や思い込み(偏った立場)によって誤った記事がその道の人に言わせれば結構ありますが、政治や経済と違って複雑性が低いのですぐに分ることがある上に,影響が特定個人や企業の損失でしかありません。
政治・経済に関しては政府発表を正確に理解出来ないで、(あるいは政府と意を通じて敢えて)間違って報道しているかどうかすら読んだ人にはすぐには分らない・・その上、慰安婦騒動を見ても分るように誤っていると結果が重大です。
膨大なデータ付きの各種白書・・審議会や調査会の議論経過などを国民が或る程度直截ネットでアクセス出来る時代が来ているとしても、何時間も掛けて読む暇がないし、各分野ごとの専門用語を理解し切れない(あるいは慣れていないので時間がかかる)のでダイジェスト版としてのマスコミ発表の影響が甚大です。
マスコミが詳細記録そのまま100%発表することが出来ないのは当然ですが、国民の知る権利を保障するには、そのダイジェスト版作成能力にかかっています。
マスコミの中立性のテーマで10年ほど前に書いたことがありますが、中立などと言う訳の分らない無理な要求をするから却って不明朗・中立っぽく一定方向への誘導が起きるのであって、中立以前のマスコミ人・・周辺人材・・エコミストや文化人の能力不足によるミス報道でさえ、誰も訂正要求することが出来ない点に問題があります。
現在は政府機関紙や政府放送局がないので、政府記録は、ナマの会議録などがそのまま発表されっ放しになる・・国民は自分で知りたければ詳細な開示記録に直截あたるしかないのが却って不便です。
上記のとおり何もかも政府によって開示されると却って詳細過ぎて、専門家でもそのテーマを仕事にして担当している人以外には、(法改正で言えばこう言う改正の動きがあるらしい」程度の理解がやっとで何十〜何百時間も掛けている審議会のやり取りを読む暇はありません)読む時間がない・・まして素人には殆ど手に負えないのが普通です。
中立などあり得ないことを求めないで、マスコミは一方の立場を明らかにして,その立場によればこうなると言うそれぞれの主張を明らかにして報道して貰い、国民が、双方のダイジェスト版を見比べてどちらが正確か、争いになっている点だけ公的機関のホームページ等で確認すれば良いので合理的です。
ただ、マスコミは殆どの場合一致して一方の立場の報道している場合が多いことを昨日まで書きました・・、殆どの場合、マスコミ間の市場競争がありません。
このシリーズはこれでおしまいにするつもりでしたが、新たなマスコミによる言論批判事件が発生したので、市場競争がないことについて昨日発生の新鮮素材ですので、追加版として今日から明日以降書いておきます。
福島原発事故に関して年間許容基準策定は、科学根拠のない政治決定基準に過ぎないと客観事実を発言した環境大臣が「つるしあげに」あって昨日陳謝に追い込まれました。
過去何十年も慰安婦否定発言や、植民地支配に関するマスコミ界で流布している意見に対する異論を政治家が述べると,その度にマスコミ界はこぞって「妄言・失言」と称して大臣罷免を要求してきました。
実際に罷免されたか辞任に追い込まれた大臣もいますので、以下マスコミによる「失言」追及について書いて行きます。

ダイジェスト報道4と正確(中立)性担保3

保険赤字の原因を正面から具体的に解説しないこと自体が一定の立場に偏っている自覚がないのでしょう・・(もしかして政府と意を通じて?故意に)高齢化と言う決まり文句で誤摩化しているように見えます。
最近政治がマスコミの思うようにならなくなってきたので、高齢者の投票率が高いのが原因と言う大宣伝で選挙権年齢を18歳に引き下げましたが、これなどもその一連の流れのような気がします。
マスコミ各社が、財源はどうでも良いからドンドン高額医療に対する保険適用を認めろと言う特定立場によっているから、コスト面を同時解説する必要性すら気が付かない視野狭窄に陥っているのではないでしょうか?
個別具体的議論・・難病に対する自己負担減や高度医療を保険に含めた場合の国民負担額増加などの議論の公開・・これらの詳細議論を分り易く国民に解説することこそがマスコミや周辺関係者の責務ではないでしょうか?
昨日のコラムで連日のように新規医療技術開発の紹介→新規保険適用が、如何にも良いこと尽くめのような記事が出ていると書きましたが、今日の日経夕刊5pにも、坂道を歩き易くするための義足開発が進んでいて、現在90万円の費用だが、現在保険適用認可申請中で認可されれば、4万円になると書いています。
このようにその気になって読んでいるとほぼ連日のように保険適用が期待される(のは、夢のように良いことのような)の紹介ばかりですが、(弱者救済だけではなく関連産業育成などのメリットがあることは確かですが・堂々と両方を書いた方が良いのです)コスト→保険料アップの方はさっぱり書いていません。
そうした具体的議論の解説があって、最新技術に対する保険適用を認める以上は、(業界育成分と個人の保険料アップ分の比率など・・目に見えるように議論を公開して議論した上で国民が納得したのならば、自己負担額が増えるのはイヤだとは言えない筈ですから、保険料の引き上げが簡単でしょうし、業界育成分の本質は医療関連産業育成の補助金ですから、税負担分があるのは当然であってこれを保険赤字とは言えないでしょう。
具体化すれば、最新機器や高度医療や新薬に保険適用を認めるとしても、自己負担率3割が5割に上がっても良いから使いたい人もいるでしょうから、負担率引き揚げとの抱き合わせ保険適用を認めるのが良いかなどの中間的ないろんな案も出てくるでしょう。
一律何割と言う決め方も無理がありませんか?
マスコミが「高齢化→保険赤字化進行・・」と言うムード宣伝で国民を思考停止させないで、個別具体的問題ごとに問題点を整理公開して国民一人一人が考えられるようなダイジェストデータ解説・・報道すべきです。
国民が判断し易いような資料作成を怠り、国民は愚昧・大衆意見など無視すれば良いと言うのは、(いろんな場面で言えますが、)保険赤字を例にすれば、超高額医療が保険適用になり、負担限度額を認めるのは患者には朗報ですが、その対として一般人のコスト負担があると言う両面理解能力がないことと、自己のダイジェスト能力不足を前提にしていませんか?
保険赤字に限らずいろんな場面で、必ず両面性を気にする姿勢がマスコミには必要です。
最近アメリカの大統領選を機に、トランプ氏に関するオポチュニスト論が盛んですが、具体的データ解説が乏しいと国民は情報不足のために煽動者の煽動に乗るしかありません・・仮に正常な民意と衆愚の区別が可能としても、国民レベルが低いからではなく、報道機関側の問題提起能力の結果、庶民を情報不足のままにしておくから、こう言う事態を引き起こすのです。
いわゆる風評被害など根本は皆同じです。
保険赤字の具体的内容については、審議会等では当然分野別(高度機器増加による分、高齢化による分、難病対策分・・生活保護などによる無償化分等々)資料が提出されて合理的な議論がされているのでしょうが、国民には全くこうした議論経過が見えません。
マスコミがこれを正確に伝えてもどうせ、(国民はバカだから?)国民には分らないだろうと言う前提で、正確に伝える努力・工夫を怠っているように見えます。
高齢化による赤字部分が皆無とは言いませんが、何でも高齢化に押し付けて終わり(思考停止)にしていないかの疑問で書いています。
マスコミ界の理解力不足の結果、(自分が理解していないと、分り易い説明が出来ません)ムード的な高齢化による医療費増加と言うスリかえ短絡的イメージがばかりが伝わって、世論をミスリードしているように見えます。
健康寿命の報道に関して Jan 17, 2016「健康寿命と自立可能年齢2」〜January 20, 2016「健康寿命→寝たきり開始イメージ報道の意図」まで、批判してきましたが,厚労省のホームページに入ると発表自体は正確に書かれていましたので、マスコミがこれを巧みにすり替えて健康寿命の終わり→寝たきりになるイメージ報道しているのではないかと言う関心から、最近何事でもまずいことは全て高齢化に押し付けて終わり・・思考停止する論調に対する疑問で正月以来書いています。
保険赤字の原因も政府自身はきちんと議論して公開しているかも知れませんが、マスコミが政府の意を受けてこれを意図的にすり替えているのか、あるいはよく理解出来ないので高齢化にすり替えて報道しているのかも知れません。
マスコミのミスリードを政府に都合がいいので黙認している二人三脚のような印象がないでもありませんが、(政府の意図的リークがいろんな分野で一杯ありますので・・)仮に黙認していない場合でも、「マスコミが間違って報道している」と政府が批判すると政府のマスコミ介入と言われるので、黙っているしかありませんので、マスコミの間違った・・あるいは一方的理解による情報ばかりが流布されてしまいます。
保険に限らず経済政策・・いろんな分野でマスコミ・・周辺文化人・エコミストその他関係者レベルの低さによる誤解+解説能力不足と積極的偏向のミックスがマスコミの中立性を犯しているように見えます。
マスコミの中立性とは、与野党激突のテーマに限らず、どんな分野でも1つの政治決定には、必ず損をする反対の立場があるのですから、その立場による疑問や主張を(損の補填策を)紹介してこそ中立と言えるのであって,一方当事者が弱過ぎて声をも挙げられないからと言って無視するのは、中立ではありません。

ダイジェスト報道3と正確(中立)性担保2

原子力発電所事故調査報告書その他難解膨大な資料の場合、どこかが報告すると基本方向を真似して自社の独自性を少し出せれば良いと言う程度・・基本同旨と言う形になりがちな点が問題で、基本方向での意見の違いによる市場競争が滅多にないと思われます。
原子力の専門家でも、頼まれた仕事ならば、間違いないように読み返してきっちり読むでしょうが、仕事でもないのにきっちり読む暇のある人は滅多にいません。
こう言うテーマでは、どこかの報道基幹が一定の角度で報告するとそれが、日本ひいては世界での既成事実として拡大して一人歩きして行く仕組みです。
このような怠慢・・受け売り中心の業界が言論の自由の総本山のように主張しているのって、ギャグみたいです。
保険赤字と高齢化の問題に戻りますと、(政府の意を受けたか、「可哀相論」勢力の後押しで)どこかのマスコミがこのように無理なショートをさせて報告した結果このような無関係な結びつけが表現が一般化した可能性があります。
このシリーズを書いている期間だけでも日経新聞を見ていると1週間ほど前には、ガン治療に関して粒子線を利用した画期的治療法が開発されていて,これが今年からか來年からだったか記憶していませんが、保険適用になると言う「朗報」的イメージで書いていました。
その2〜3日後にも、別の高度医療の保険的報道がありましたが、いずれも医学の進歩を賞讃し、国民福利の増進を賞讃する方向性のイメージばかりで保険財政との絡みで書いていません。
スイス旅行に行くのは有り難いがいくらい掛かるの?と言うのが普通の関心です・・これを国民規模にすれば、保険掛け金がどうなると言うコストとセットにしないと片手落ち・・中立性違反です。
これを次々と保険適用にすると一人当たりいくらかかり、年間どの程度の利用者が予測され、国民一人当たりの負担が何円になると言う・負担増加に関する記事が一切ありません。
家庭で言えば、今年の夏は一家でスイス旅行に行く、冬には、オーストラリアに連れて行っててやると言われれば、子供は少しは心配があっても先ずは大喜びで、両親がそれなりに考えているのだろうと思って、いきなり大判振る舞いで大丈夫かとは言いません。
マスコミ報道の仕方って、国民を家計に関係・責任のない子供扱いしているのでしょうか?
子供は消費するだけで資金負担がないので、消費が多くなれば喜びますが、国民は両親同様に支出の担い手でもあるのです。
一家でスイスに行くには、いくらかかるかのコスト計算しないで旅行計画する親はいないでしょう。
マスコミ支配勢力の大方は人権擁護・弱者救済論ですから、財源等は政府が考えることだと言う(国民を無知蒙昧・何も知らなくて良い子供扱いしている)論者が多いので、私のように高額医療や免除制度との関係がどうなのかと言う財源に踏み込みたくない・・マスコミ一致のすり替え論かも知れません。
国民には財源を心配する人もいるのですから、保険適用開始が如何にも良いことのようなイメージ報道は中立性に反しています。
こう言う中立に反した一方的イメージ刷り込み報道が普通に行なわれていて、(コストも書いてこそ中立報道です)どこのマスコミもコストを書かない・・大量にマスメデイアがある意味がない状態なので対マスコミのチェック機関が必要になります。
朝日の慰安婦虚偽報道に関しては国民が立ち上がってこれを暴きましたが、細かな日常的不正報道に関しては、自費で頑張る人が出て来ません。
珊瑚礁のヤラセ事件では地元漁協が立ち上がって防ぎましたが、こう言う利害関係組織がないと難しい・・これがマスコミの虚偽報道を阻止出来ない・・結果的にはびこる原因です。
マスコミは反対論がないから中立に反していないと言う姿勢のようですが、マスコミ界で一致していれば、(マスコミが国民代表と僭称していますが・・)一方的立場で報道していれば良いものではありません。
反対論がないのではなく、声なき声に気が付かない・・理解力が低いだけです。
従業員柔いものが不満の声を上げない限り、いくらでも働かせれば良いと言う思いやりのない経営者のようです。

ダイジェスト報道2と正確(中立)性担保1

話題をダイジェスト版に戻しますと、たとえば、明治維新時の「5か条のご誓文」の高札については、私の依頼者の長屋門にしまってあって、見せてもらったことがあります。
これは小さな集落の莊屋に類する屋敷ですが、集落ごとに高札が建てられたことがこれで分ります。
達筆な墨書ですが、これを集落の物知りが集まった文字の良く読めない人(幕末にはそんなにいなかったと思いますが・・)に読み聞かせる・・解説するのが普通であったようです。
このように江戸時代には、難しい漢文でも分り易く解説する人がいて末端まで広がる前提でした。
現在でも法改正などがあると本省などから説明要員が出向いて来て市町村関係者を集める研修会などで「今度こうなります」と噛み砕いて説明され・これが又業界等を集めた研修会などを通じて浸透して行くのが普通です。
私の例では、映画やお芝居に行って、聞き取れなかったり見落として意味不明になると、妻に解説してもらって「そうだったの!と言うことはいくらもあります。
パソコンが動かなくなったら子供に直してもらって、元に戻してもらっています。
もしもマスコミが、複雑過ぎて難しいと思えば、(難しくなくとも数百ページもあると読む時間がありませんので)一般人に分り易いダイジェスト版を作る手間を惜しんではなりません。
マスコミによってはダイジェスト版を作る作業過程で誤解して作ってしまう場合や、まとめ方に各社の「色」が出て来るでしょうが、それは各社市場競争で是正して行くのがスジです。
マスコミ界では、尾ひれを付ける競争があるようですが、基本的立場に関する市場競争が本当にあるのかが怪しいのです。
犯人検挙報道では、本当に犯人かの視点がなく、警察発表をそのまま報道する問題点が、何十年も前から議論になっていて、今では、弁護側意見を聞くようになっていますが、元々、この問題は、「被告人には無罪の推定がある」と言う個人の問題だけに矮小化すべきではありません。
マスコミは警察発表ならばそのまま報道しても、名誉毀損・刑事事件の被告にならないと言う最低期基準を守ってさえいれば良いと言う基準がおかしいと言う基本的反省が必要であったことになります。
以下に書いて行きますが、現地の支配的マスコミ意見の転載・・尾ひれ報道ならば、仮に後で間違いが分っても名誉毀損等の責任がないと言う責任逃れだけを意識した世界中のマスコミ界の意識の低さが問題です。
もっと広く言論の自由との絡みで、右へならえ式の一致報道では、言論支配になりがちなマスコミの影響力の大きさから、「中立性を重視しなければならない」と言う最も重要な視点を欠いていたことの反省が必要であったように見えます。
反対論さえなければ、一方的洪水報道が許されるか・・中立と言えるかは別問題です。
一定方向で報道する場合、その反対視点・・立場の言い分はどうなのかを吟味する姿勢がマスコミにはいつも必要でしょう。
検挙された犯人に限らず、(刑事被告人の場合まだ弁護人がいるだけマシですが・・)世の中に反論出来ない弱者が一杯いるのですから、反論がないからと一方的洪水報道をするのは中立性に反しています。
朝日の慰安婦報道に関して書きましたし、この後で国連報告のインチキ性に関しても書いていきますが、朝日新聞が報道すると「朝日が書いているから・・」と言うことで各社は独自取材を殆どしないで、せいぜい「尾ひれ」をつける競争をするくらいでそのまま書いて行く・・特に海外マスコミの場合には、取材網を独自に持っていない・・少数の特派員が常駐する事務所があるだけですから、・・特派員の主な仕事は地元メデイアの転載と現地の受け止め方程度が主な仕事になります。
慰安婦度報道の場合には、朝日が報道すると日本中のメデイアがこれに負けじと(更に煽る方向で競争するだけで・・小保方氏論文の実験ねつ造騒ぎでも一定方向の過激化競争だけでした)追随し、世界に伝播して行く仕組みです。
韓国の産經新聞支局長の事件も「朝鮮日報の記事の転載+アルファが何故刑事件になるのだ」と言う論調(多分刑事事件の焦点も「付加した尾ひれ部分の真実性」が焦点だったでしょう)でしたが、図らずも受け売り程度の情報収集して本国へ送信するための特派員常駐が原則であることが分ります。
言論の自由の重要性から言えば、名誉毀損罪にさえならなければ、マスコミ界が一致して一定方向ばかり報道して良いかは全く次元の違う問題です。
我々一般人がネット発表している意見も、韓国ではこう言う報道があるとか中国ではこう言う報道があると言う情報紹介を基礎に判断していて独自情報はありません。
私のような報道に無関係な人はナマの情報にあたれないのは仕方がないですが、報道界自身が自分で別の角度からの独自取材しないで他社の受け売り・・競争と言ってもこれに対する「尾ひれ」強化策の市場競争程度しかない・・マスコミ界全体で一定方向ばかり競争して報道すると、いろんな言論の場で政策を決めて行く民主国家の前提インフラとしての役割を果たしていません。
・・第1報が事件発生報道だけとすれば、2番手のメデイアは同じ方向で大学教授のコメントを乗せる・・3番手は、アメリカまで行って共同研究者に聞いて来たり、被害者取材を更に深堀して関係者の嘆き・・疑惑の人の生い立ちはこうだと周辺情報など過激化する方向ばかりの市場競争では困ったものです。
最近でも、犯人の親兄弟に対する取材報道の行き過ぎに対する反省・自粛程度です。
一定方向に偏る問題点・誤った方向へマスコミ一致で進んでいるか・・「思想に関する市場淘汰が不十分ではないか」と言う反省がなくて、言論の自由から言えば些末などの程度の「尾ひれ」のつけ過ぎにお灸を据えるべきかどうかばかりが議論の対象になっています。
朝日新聞の慰安婦報道に関しても他社は、これを受け売りしていたのが基本と言うことで社会的指弾を受けていません。
これでは、マスコミが何社あっても方向性がいつも同じでは、言論の自由に対する市場淘汰が期待できません。

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