米国の内政能力1と標的必要性1

トランプ氏は選挙対策もあって?国内対決棚上げ・・いつも標的の必要なアメリカ的発想で3月19日には戦時下発言をして昨年から続く米中経済対決を格上げして対中悪感情をそれとなく煽ってきました。
これも権力による流言飛語の一種ではないでしょうか?
人工呼吸器等の生産命令はマスク等を中国に頼っている状態は危険が大きいアッピールの他に・経営苦境にあるGM救済・製造業国内回帰にもつながるというアッピールの一環でしょう。
ソ連崩壊後標的をなくした米国が2001年9.11で「テロとの戦い」を掲げ、続けてイラク侵攻したのもこの一種だったでしょう。
日本的大人の対応を前提にすると米国は国家成立後日が浅いこともあって、利害調整の必要な国内政治はないに等しい・・(痛みを伴わない)成長による単純な果実分配か、(格差・労働分配率にこだわる左翼系エコノミストも利益分配を主眼にする点で同じ土壌です)外敵を前提に星条旗の元に団結することによって難局を切り抜けてきた国柄です。
このようなあんちょこな政治で破綻しなかったのは、ずば抜けた国力(資源)と都合が悪くなれば引きこもる・モンロー主義に代表される旧世界からの孤立可能な巨大な海(大西洋と太平洋)に隔てられた地理的環境によったのでしょう。
そもそも米国は建国自体が外敵というか英本国との対決のために臨時に?英植民地の北米東部13州が団結したことに始まったものです。
United States of America, USAという表記自体が、国名というより独立達成のために軍事連合を組んだ連合国という意味でしょう。
「星条旗よ永遠なれ!」とは、うがった見方ですが「外敵存在よ、永遠なれ!」と読み変え可能です。
ちょっとした政治家の集会には必ず星条旗を掲げる習慣は、軍旗でもある星条旗がいつも必要な体制を意味しているように解釈可能です。
我が国の日の丸は軍旗ではなく、船の船籍を明示する表札的意味しかありませんので軍旗・・旭日旗は別にあります。
敗戦で打ちひしがれた民心鼓舞のためにか?中学生の頃?明治天皇と日露戦争の映画がかかっていてよく見ましたが、映画のクライマックス

「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、これを撃滅せんとす。本日天気清朗なれども波高し」

の電文朗読直後にZ旗が上がりこの時Z旗の訓示

「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」

と共に軍艦マーチが始まり旭日旗がするすると上がり白波を蹴立てて走る連合艦隊出撃の勇姿で観客全員大拍手の嵐でした。
物覚えの悪い私がその光景など丸暗記するほど記憶しているのは、だれかに連れられて何回も見た・高校時代に入ってから再上映があって何回も見たのかな?
北池袋の映画館によく行った記憶がありますから、そのときの記憶かもしれません。
明治天皇と日露大戦争https://ja.wikipedia.org/wiki/を見ると以下の通りです。

1956年(昭和31年)12月、「日本初のシネマスコープ大型映画」として製作を開始した本作は、翌1957年、当時の天皇誕生日の4月29日に、「総天然色・シネパノラミック方式“大シネスコ”」、「全国民が一人残らず見る映画!」と銘打って公開された。
敗戦後10年少々しか経っていない今、50年も前の勝ち戦を描く企画に無理がある」という『朝日新聞』の映画評もあったが、公開されるや空前絶後の記録的な大ヒット映画となった
都内では新宿オデヲン座、池袋・文芸座、目黒ライオン劇場といった2流、3流の映画館ばかりでの上映だった。それが映画興行史上の大記録を打ち立てたのである。上映した全ての映画館はすし詰めの超満員となった。客席ぐるりをラッシュアワー並の立ち見客が囲み、中央通路や最前列前の通路まで隙間なく床に座る観客、ロビーにまで人があふれ、上映が始まってもドアが閉められないほどだった。戦前の日本と日本人の姿がそのまま再現された映画であり、進駐軍の占領を経て戦前の日本と手を切ったはずの民衆に衝撃を与えた。
観客動員数は2000万人、「日本人の5人に1人が観た」と言われ、日本の映画興行史上の大記録を打ち立てた
日本語版のまま封切られた台湾でも、同地で公開された日本映画史上最大の観客動員数を記録している
アラカンと「明治天皇」[編集]
劇場では、嵐寛寿郎演じる明治天皇が登場すると思わず手を合わせる人も多かったという。[要出典]その結果、姉妹篇である『天皇・皇后と日清戦争』(新東宝、1958年)や『明治大帝と乃木将軍』(新東宝、1959年)のほか、事実上その総集編である『明治大帝御一代記』(大蔵映画、1964年)まで作られた。嵐寛寿郎は、『日本ロマンス旅行』(新東宝、1959年)で仁徳天皇を、『皇室と戦争とわが民族』(新東宝、1960年)で神武天皇を演じている。「新東宝創立十周年映画」の『新日本珍道中・東日本の巻』(1958年)でも再び明治天皇を演じている。

上記を見ると、韓国と台湾では、敗戦後の対日観の違いがその頃からまるで違っていたことがわかります。
昭和32年ならば、私の中学生の時で記憶的にあっています。
その後パチンコ屋があちこち駅前にでき始めると、軍艦マーチを流すようになりましたが、私の原初体験では軍艦マーチ=連合艦隊出撃の勇姿でした。
韓国では旭日旗反対運動が激化していますが、私の子供の頃映画等で染み付いたイメージでは、戦闘体制に入ったとき(命令一下即発砲体制)にスルスルと掲げるのものだと子供心に理解して育ちました。
戦闘モード満々・今風に言えば戦闘機のレーダー照射段階でしょうか?
米国国旗は国旗以前に軍旗として発展してきたものをそのまま国旗にしているのではないでしょうか?
その上で事あるごとに「星条旗の下で団結を!と対外意識の高揚・・気勢をあげる国から卒業できていないように見えます。

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