メデイアの中立報道責任2(朝日慰安婦騒動の検証報告書)

慰安婦騒動について朝日新聞がフィクションにすぎない吉田調書記載事実の裏付けを何故かしないまま、これを事実であるかのように大規模報道をはじめた(朝日なら手堅く事実の裏を取っただろうとの信用を利用した)ことにより、他紙も追随報道競争に入ったことから日本でフィーバーしてしまい、韓国でも大問題になってきた経過と記憶しています。
その点ズバリの根拠を今探せませんが、検証委員会報告書を見ると朝日の報道を起点に韓国が追いかける状況が出ています。
朝日新聞に対する独立検証委員会報告の一部です。
朝日報道後これにショックを受け?世界的に慰安婦=性奴隷理解を前提にした国際世論が形成され常識化していった経緯が報告書の10p前後に書かれていますので、その一部と韓国の部分のみ一部引用します。
http://www.seisaku-center.net/sites/default/files/uploaded/dokuritsukensyouiinkai20150219-C20150227.pdf

米国紙の分析の結果、朝日と第三者委員会が認めていない以下の重要な事実が判明した。①「92年1月強制連行プロパガンダ」は、間違いなく米国紙に多大な影響を与えた。なぜなら、主要3紙が慰安婦に関するまとまった記事を書くのはすべて、その直後からだからだ。言い換えると、米国主要3紙は朝日が「92年1月強制連行プロパガンダ」を行う以前は、慰安婦問題をほぼ無視し、取り上げていなかった。

・・以下国際影響部分省略

主要韓国紙分析で明らかになった朝日の責任

また、韓国紙の分析の結果、やはり以下の事実が判明した。
①「92年1月強制連行プロパガンダ」は、韓国にも影響を及ぼした。韓国では慰安婦問題は日本から提起された、と捉えられていた。
韓国紙が慰安婦問題を集中的に取り上げるのは、92年1月からだ。
1月11日付朝日の「軍関与」資料発見記事と、それに触発された韓国紙が同年1月14日に「12歳の小学生まで慰安婦にした」という誤報をしたことが契機になった。
②92年1月当時、韓国紙は「強制連行」の根拠として吉田清治証言、金学順証言などを挙げていた。
③韓国において慰安婦問題の根拠とされた事柄は、未だに生きている。2012年8月30日付朝鮮日報社説は、朝日が報じた軍関与資料や吉田証言を、強制連行の根拠として挙げている。
④朝日が大々的に報じ、2014年まで取り消さなかった吉田清治氏の数々の「証言」は、韓国人に慰安婦について一定のイメージを植え付け、慰安婦強制連行を裏付ける重要根拠となった。⑤韓国の国定歴史教科書が慰安婦を「挺身隊の名で連行された・・・

(反日に偏った報道?で味噌をつけたメデイアに代わって)最近流行っているのは日本に籍を置くNGOが人権擁護のため?日本企業の海外工場批判等のキャンペインを張る→その国では無視できなくなる構図ですが、いわば慰安婦報道や、中間批判発言を「失言」などとして厳しく批判してきたのと根が同じ・・心情的別働隊みたいなものでしょうか?
ところで、(まだ3週間前後しかたっていないと思いますが)どういう意図か不明ですが?日経新聞で、元ジャイアンツのオーナーだったか?いわゆるナベツネ氏発言「選手の分際で・・」という趣旨の発言の流れが紹介されていました。
当時何気無く読んだので、何月何日の記事か正確な流れを思い出せませんので以下は当時受けた印象を書いています・・。
どこかの記者が球団再編問題が大騒ぎになっていた時期に、そうした業界再編のテーマは重大な影響を受けるが当事者でない選手にとっては蚊帳の外の関係でした。
各種企業の工場や支店の売却問題では、所属従業員には重大な関心のあることですから、節目節目で社内説明会などするでしょうが、交渉当事者でないのが普通です。
いわゆる終身雇用の正規従業員ですらないのですが、国民観衆から見ればなんとなく球団主役のような印象を与える点で外形と実質的地位の乖離の激しい分野です。
昔で言えば、映画会社とスター俳優の関係・現在のテレビ局と常連コメンテーターのような関係ですから、テレビ局同士の合併や買収交渉の当事者でないのと同じでしょう。
多分球団再編に批判的立場の報道機関があって、選手会会長に(野球界で絶大な発言権を誇っていたオーナー・ナベツネに)直接面会希望されますか?というような質問を向けたところ、選手会長が「お会いいただければありがたい」という程度の応答をしたらしいのですが、これを引き継いだ別の記者がナベツネに対し記者会見のような公式の場ではなく何かの時(ぶら下がり取材?)に「選手会会長が、面会要求しているが応じますか!」という趣旨の質問をしたので、(むつとして)「何さまと思ってる!という意味で、不快感を示したのが顛末のようです。
企業で言えば労働組合委員長がM&A問題に関して社長に直接会談要求するような関係ですから、イレギュラーな要求となります。
実務上、労組が交渉当事者になる労働条件交渉であっても、いきなりトップ会談を要求するのはよほどのことがない限り異例のことですから、一瞬「手順が違いすぎるだろう」という反応自体おかしなことではなかったのでしょう。
その記事によると選手は実際交渉当事者ではないものの、内部関係ルートでそれぞれ情報を説明していたようです。
その発言に続いて言いすぎたと気がついて?ナベツネが、選手にも立派な人もるもいるから・・と即時修正したらしいのですが、報道ではそうした部分は出なかったということらしいです。
この騒動で確定寸前であった球団再編成のテーマが横に飛んでしまい、ウヤムヤになって現在に至っているようです。
当時球団再編成した方が良かったかどうかは別として、メデイアが持って行きたい方向へ編集報道するのが当時も常態化していたことがこの例でもわかります。
今になって経緯・真相を書いても、一旦しぼんでしまった球団再編の機運は元に戻らない・・今の基準で言えば一種のフェイク報道だったでしょうか?
慰安婦騒動は時流?を読んだ各メデイアが、競って日本政府の責任になるような情報を探し、根拠のない情報でも新事実発見のようなセンセーショナルな、報道競争にうつつを抜かし、他方で否定的証拠には見向きもしない報道傾向があのような狂想曲状態になってしまったようです。
メデイアは韓国贔屓報道が批判されると、今度は掌返しで、嫌韓方向ならいいだろうと、また偏った報道に精出しているように危惧されます。
戦前好戦的主張してきたメデイア界が戦後GHQのお先棒担ぎに転じ、その延長で日本批判(の地位低下を目指し)ばかりの角度での報道に徹して慰安婦騒動のタネをまいてきたように思えます。
親中韓報道を批判されると今度は嫌韓?というトレンドで一方的報道をしているように見えるのは、トレンドの読み違いの反省に過ぎず、「報道の中立客観性の重要性に思いをいたすべき」という真の反省を欠いている・・反省する方向が間違っているように思われます。
報道傾向が一方に偏っていないかの私の意見は、埋もれている事実があるかないかすら報道がないので分からない=危惧にすぎませんが、なんとなく嫌韓感情を刺激する方向の一方的報道が多すぎる印象の危うさを書いています。

本田鑑定3の検証必要性

第三者委員会〜検察審査会に話題が逸れましたが、7月2日まで書いてきた袴田事件再審手続きでの本田鑑定に戻ります。
本田教授が訴訟中にも関わらず鑑定データ廃棄してしまった行為が事実とすれば、学問の自由を守るために学者のモラルとして問題がないか学会の信用維持のために、相応の調査報告があってしかるべきでしょう。
当該学会や大学で判断→処分する能力がないならば、第三者委員会の出番ではないでしょうか?
袴田再審事件で鑑定意見を書いた本田教授の場合、小保方氏とは違い論文発表経験豊富な教授=若手の論文書き方指導の立場?である上に、刑事訴訟の正規鑑定・・たぶん鑑定証言もしているでしょう・・で実験記録や資料保存しないで鑑定書を提出しているとすれば(ミスか実験自体が虚偽か不明ですが)軽視できないモラル違反ではないでしょうか。いずれにせよ、彼がこれまで発表してきた研究実績の信用がどうなるか?彼の所属する学会で検証しないで放置・・知らぬ顔の半兵衛を決め込めるのでしょうか?
(小保方氏の場合博士論文では遡ってデータ捏造がないかの検証がされていました)
早稲田大学のようにせっかく不正を検証したのに、学位剥奪しない処分もありえますが、少なくとも本田教授の過去の論文が実際の実験に基づくかの検証をする必要があるように思いますが?
鑑定の見方は人によって違うでしょうが、訴訟の帰趨・・有罪か無罪か・本件は死刑事件ですから、生死の分かれ目が鑑定成果の信用性次第になっている重要資料であり、その信用性の有無が論点になっているのに、DNA検査記録や資料をその訴訟進行中に「廃棄して保存していない」とすれば致命的欠陥ですから、本田教授は本当に実験成果が得られたかの証明を出来るのか?どういう釈明をするのでしょうか?
高裁では本田教授が「係争中の鑑定資料を保存せず、かつ検査経過記録を廃棄した」かの説明をしない・説明責任を果たさなかったとすれば「鑑定を信用できないとされても仕方ない」という開き直りに徹したことになるのでしょうか?
発明発見の場合と違い、鑑定資料が微量すぎて一回の実験で使い切ることがありますが、その場合には実験結果を保障するためには相応の工夫があるべきでしょうしその旨の説明責任があります。
訴訟確定後何年も経過して書類整理の過程で破棄したならば別ですが、訴訟進行中・しかもその実験ではそういう鑑定結果が出るはずがないと別の鑑定人から批判されている最中に、資料や経過記録さえ廃棄しているとすれば何ために廃棄したのか?の疑いが生じるのが普通です。
それで(高裁で問題になる前の)「地裁決定前に廃棄していた」と言わざるを得なかったのでしょうか。
高裁が本田鑑定を信用しない・採用しない理由は小保方氏論文同様の捏造ではないかと言わんばかりの認定ですが、高裁認定が正しいかどうかは、最高裁で決着がつきます。
これまで、もしも東京高裁の鑑定に対する評価が正しいとした場合の意見を書いてきましたが、大手メデイアの報道があてにならないだけでなく・・理研の小保方氏に始まり大学教授という肩書きによる科学論文の信用性も(ほとんど誰も検証作業がされないと良いことに?)地に堕ちてきました。
企業連携の研究発表の場合には、続いて実用化実験が待っているので、実験をしていないのに実験したような架空論文発表して(一時的に株価急騰して)もすぐにバレてしまいますが、企業製品と関係ない分野・それが何の役に立つか不明の基礎実験発表では誰かが論文発表しても多くの科学者が「そうなの?」という程度で皆読み飛ばしていくだけでしょう。
論文の市場評価として引用数ランキングがよく言われますが、論文の前提になっている「こういう実験をしたら、こういう結果が出た」という実験そのものを再現実験しないで、本当ならば「すごい」と引用しているだけのことです。
本当に実験した結果かどうかは数十年たってから誰かが、その成果を利用しようとしたときにならないと分かりません。
数十年後に何かを研究開発する段階で、数十年前の先人の論文が検索に引っかかって、これを発展させれば自分の考えている新製品の開発に使えるかも?と「その論文で書いている実験してみたがどうもうまく行かない」・・自分の再現実験の仕方が悪いのかな??で挫折して発表者に問い合わせて論文に書いていないちょっとした触媒の必要性を教えてもらってもうまくいかないときも、「ありがとう」とお礼を言って終わりにして、(本当は怪しい発表?と胸に収めて)別の方法を考えるのがふつうでしょう。
自分の構想する新技術開発実現するのが先決ですから、正義感に燃えて?(例えばカナダや中南米の無名人の論文の場合・発表者が生きているかどうかも不明)「その論文捏造でないか?」と社会問題にする暇のある人は滅多にいないでしょう。
このようにすぐには再現実験をする人がいないのをいいことに学位論文に限らずその道の有名教授であっても・・実用に遠い論文の場合、発覚リスクが滅多にないので嘘八百の論文発表がまかり通っているということでしょうか?
小保方氏の場合には「実用性のない学者の論文ってそんなもんだ」という達観した低評価定着した方が・それが実態であれば社会全体にとって合理的なのか?もしれませんが、本田鑑定の場合には学者の信用性ばかりではなく、司法の信用性・人の生死決定に関わる実用に直結することです。
袴田再審開始手続きの鑑定は実用分野ですから、即時に検証手続きが始まることが予想されているにも拘わらず(検証妨害のために?)あらかじめ実験記録意一式を廃棄していたとすればその図太さに驚くばかりです。
実用に裏打ちされている企業製品の場合、画期的性能開発の虚偽宣伝しても(株式相場が一時急騰しても)その部品を組み込めばすぐバレる点で市場評価が確かです。
メデイアの信用低下は消費者(ネット発達によって独自に情報収集できるようになって)のレベルアップによって、すぐに批判される・市場評価にさらされるようになって始まったように、学問発表の評価も「どうせ一般人には分からない」という閉鎖性に守られてきたのが、民度アップによって批判に晒される・・文字通り「思想表現の自由市場」が始まったように見えます。
「実用に結びつく企業発表でない学者の独自発表など誰も検証しないので結局眉唾もので、ほとんど信用できない」という風潮が広がる方が健全かもしれません・(学問世界では常識になっているのか?)これが小保方氏擁護論・中部大学の武田教授主張の核です。
小中高校・一般ホワイトカラーに優越する地位を失って久しいように全入時代に入った大学の地盤沈下が進む一方だから、その現実を受け入れるか、地位低下を阻止したいならば、それぞれの分野で、何か問題が起きた時に(権限がはっきりしませんが)アメリカの特別検察官のような臨時任命の調査官・・第三者委員会の調査発表を必要とする時代が来ているように思われます。
大学は地位低下を阻止する気概さえないと言うべきなのでしょうか?
ただ日本人は、日本の裁判や検察のイメージ・清廉潔白で「神のお告げ」のように穢れのないもの・・彼らは局外中立で「絶対的に正しいことをする」と信じ込む傾向がありますが、国連特別調査官でもアメリカの特別検察官でも皆政治任用であって、(官僚も政権交代で多くが入れ替わる社会です)政治的に動く本質を持っていることに注意する必要があります。
国連特別報告者が特定の立場で不満分子の意見だけ選んで聞いて歩けば、日本の言論の自由度ランキングでは、中国批判をしていた書店主がたちまち拉致されてしまう香港以下の評価になるのは当然でしょうか?

第二次世界大戦後の経過から見た客観的検証2

果断な改革をするための力を付けるためには先ず組織内で出世する・・力を付けるためには旧体制で功績を上げる必要があるので、改革成功後に旧体制協力者だったと批判するのは間違いです。
危機に陥った企業立て直しも同じで次期社長が旧体制で出世したエリートだったと非難しても始まりません・・彼が社長就任後どのような手腕を発揮するかで評価すべきです。
日本の役割も途中経過よりは結果から見るべきでしょう。
韓国で好きな過去批判がまかり通っていて、過去を糾弾されていつでも失脚するのでは内部から改革に邁進し協力する軍人(一定の軍を動かせる地位に昇進していなければ何も出来ません)もいなくなってしまうでしょう。
近くはゴルバチョフやエリツイン、フランス大革命・ロシア革命であれ何であれ、改革功労者は全てその前の体制である程度地位を得ていた人ばかりですから、彼らを政権樹立後いつも抹殺する仕組みでは怖くて革命軍に呼応出来ません。
完全野党・・一回も政府機関で働いたこともないような人材ばかりで出来た政党に政権が移れば良いと言うは容易いですが、それでは実務能力がないので混乱してしまいます。
歴史を見れば、政権内にいた足利氏が実務能力があったのに対し、完全野党の楠氏や冷や飯食いだった新田氏が実務能力がなくて(勿論後醍醐帝自体政治の経験がありません)傍流に追いやられ、最後はジリ貧になった歴史を見ても分ります。
最近では日本の民主党が漸く政権を取った後のていたらくを見れば分ります。
韓国は5年に一回大統領が入れ替わり、しかもその都度前任者が追及を受ける社会ですが、これだからこそ、実務能力の継承が出来ないのでいつも(学者の意見による)短絡的政治しか出来ないのでしょう。
日本は明治維新後欧米に対抗するためには日本1国では無理なので共同で欧米に対抗しようと朝鮮に提案をしましたが、李氏朝鮮は当初は清朝保護下で充分と主張して近代化に応じず逆に開国したことを非難して来る始末でした。(これが征韓論になった背景です)
清朝が衰退すると今度は「ロシアの保護下に入る方が良い」と言って自国の近代化(専制体制の維持が目的で国民のことなど全く考えていなかった点は今の北朝鮮の将軍様体制維持が至上命題の思想と同じです)に反対したことから、韓国内の協力を得て併合に至ったものです。
そうしたいきさつから、日本の場合欧米の植民地支配方法とは違い、韓国や台湾の民力を如何に近代化して早く引き上げるかの方策・・・欧米植民地の愚昧化政策の逆・・現地人教育に精出したり現地での工業化を進めた点・・元々欧米によるアジア侵略に対して共同で戦おうとする目的からして当然です・・が根本から違っています。
第二次世界大戦後の経過とその前の日本の支配地政策の効果を見れば、欧米の植民地政策より良かったことは歴然です。
日本は当時主流の欧米的支配体制を真似したものの内実・目的が違っていたことは、戦後の東南アジアの開放・経済離陸が実現出来たことで明らかになっています。
中韓は今になって、日本のあら探しのために欧米型植民地概念を持ち込んで酷いことをしたと抽象的批判を繰り返しますが、事実を1つ1つ見ればどんな酷いことがあったか何も指摘出来ていません。
(韓国は慰安婦問題を言い募っていますが、これも事実に基づかない自国の売春婦問題のすり替えでしかないことが最近では分ってきましたし、中国の主張する南京虐殺も事実がはっきりしません)
中韓はありもしない史実をでっち上げては、欧米型植民地支配にすり替えて国内対策状スローガンとして叫んでいるだけです。
根拠のない誹謗中傷を叫べば叫ぶほど、内政の失敗を世界中に宣伝していることになるのを気づかないようです。

第二次世界大戦後の経過から見た客観的検証1

世界中が欧米の植民地化されて行く情勢下で、アジアの日本だけが唯一これに抗して近代化を遂げて世界初の欧米・・それも列強の1つに勝ったことになる日露戦争を経て欧米からの対日(アジア)警戒を呼びました。
それまでの日清戦争などはアジア人同士の仲間割れ・・欧米が侵略する糸口になるくらいで見られていたのです。
(実際日清戦争に負けた清の弱体化につけ込んで欧米の露骨な浸食が始まり・これを半植民地化と習いました)
日本が欧米にマトモに対抗するために更に力を付けるには、清朝支配地域からの欧米駆逐によって力を付けるしかなかった・・・これによる東南アジアを含めたアジア全域の植民地解放を目指すのは平将門などの例を見ても当然のことです。
アメリカは日本が清朝支配地域で地盤培養することに警戒を示して、清朝支配地域での機会均等・門戸開放要求を始めました。
この要求を日本が拒んだ結果、アメリカによる制裁を受けて、(中央に抵抗する平将門のようなものです)ついに刀尽き矢折れて屈服したものであって、第二次世界大戦は欧米の植民地化に抵抗するアジア勢力を根絶やしにした戦争であったとも言えます。
(以上は日本に最大有利に解釈した場合のことで、別のいろんな解釈が当然あり得ます)
言わば植民地支配維持勢力の完勝に終わったのですから、アメリカの南北戦争で言えば奴隷解放を主張した勢力が逆に負けた場合に似ています。
しかし、時代の趨勢は日本の主張に従って動いて行くしかない(日本は短い期間ではあったもののアジア地元民を教育し、武器訓練もしてしまった)ので、戦勝国は植民地維持に必死でした。
結局オランダ(インドネシア)やフランス(仏領インドシナ)イギリス(ミャンマーやマレーシア)の各植民地は次々と独立を果たして行く結果になりました。
欧米植民地支配諸国の必死さの裏返しで、如何に日本軍は支配地で残虐なことしたかの裁判や執拗な宣伝が行われました。
これに呼応して嘘八百を執拗に宣伝し続けているのがアジアでは中韓だけであり、その他のアジア諸国は欧米の嘘の宣伝に全く協力しなかったことを、2012/11/01「アメリカによる歴史ねつ造6と非協力国」前後のコラムで紹介しました。
台湾にいたっては、戦後新たな占領軍となった国府政府がこれをやろうとしたところ、実際に日本支配を受けて来た地元民の反対で撤回せざるを得なくなったこともそのコラムで紹介しました。
日本が明治維新以降、欧米の侵略に抵抗するために国力を付ける準備をして行く過程で、そのときの支配者である欧米の流儀で自分の力を付ける必要があったのは仕方のないことですから、それ自体非難するのは論理的はありません。
・・伊達政宗だって平将門だって、中央に抵抗するためには先ず当時の支配的流儀・・さしあたりその支配的思想に乗っかって周辺支配を増やして行くしかないし、そうして行かないと力を付ける前につぶされます。
ソ連のゴルバチョフでも誰でも改革の実行のためには、共産党内で力を付けておくことが重要でそのためには先ずは共産党の方針に忠実に職務をこなして出世し、内部に支持者を作っていなければ話になりません。
福田赳夫総理が日中条約の締結出来たのは、それまでの言動で「右翼に絶大な信頼があったから右翼を抑えられた」という意見が、日経新聞で連載中の森元総理の「私の履歴書(12月16日朝刊)」にあります。
フランスのアルジェリア独立承認も右翼に絶大な支持基盤のあったド・ゴールでこそ出来たことを09/01/04「社会党の経験2(政権獲得の王道2)」に書いたことがあります。
日本は欧米に対抗するためには、先ず地盤強化が必要なので欧米の流儀を真似して近代化し、市場を広げて国力増進という欧米の流儀から始めていたので、この中間地点・・植民地支配をしたと中韓に強調されて非難されていますが、こうした批判の仕方はそもそも間違いです。

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