上皇の生活費を内廷費に加える疑問2

皇太子になると東宮御所として住む場所も違うし行楽等のお出かけ単位も別々、お付きの職員も違うのが古来からのしきたりですから、これを天皇家と同一世帯とは昔から言わなかったでしょう。
古代からそれぞれ生活費拠出者の妻の実家が違う以上は、別世帯感覚だったのではないでしょうか?
内廷費に天皇家と成人した皇太子一家あるいは天皇家と上皇家の家計を一緒にした内廷費を決めて「後は自分たちで決めて下さい」というやり方は、生活保護で言えば、親世代夫婦と子供世代夫婦が別に生活しているのに「一括支給するのであとは自分たちで分配して下さい」と言うのと似ています。
内廷費がここ20年ほど変化ないようですが、民間人同様高齢化で3世代世帯時代になっている・・このため長期にわたる高齢化世帯の生活費問題・・年金持続性が社会問題になっている・・天皇家でも高齢化による負担増は同じです。
約20年で急速に変化した高齢社会問題化が進む中で、過去20年間以上も同額据え置き・・しかも上皇一家も内廷費に組み込まれるのであれば、実質減額ではないでしょうか?
http://news.livedoor.com/article/detail/12666674/

天皇陛下の「譲位」で浮上 「皇室の予算と財産」の問題
2017年2月13日 12時0分
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山下氏は、皇室をめぐる一連のカネの問題について「戦後70 年間、状況が変わっても、法律の見直しをおこなわなかったことが一因」と語る。
皇室の未来を見据えた法の大改正が、今こそ必要なのだ。<皇室費の内訳をザックリ解説!>
【内廷費】3億2400万円
天皇・皇后両陛下、皇太子ご一家の日常費用。年間額が定められている。「’96年度より同額で、8100万円ずつ年4回支払われます。用途の3分の1は、内廷職員の人件費

一例を挙げれば、天皇家の場合、お出かけになると入場料(美術館1800円の場合)は無償でも入場料以上の身分相応のお下賜金を(相手にとっては接遇のための人件費、警備・入場規制その他莫大なコストがかかります)支出する必要があり、一般人の交際費と比較になりません。
一般人が結婚式に招待されて会費徴収がなくとも会費相当額以上のお祝い金を包むのと同じです。
上記記事は天皇家・皇室経費に対して批判的論調でこの機会に見直すべきという論旨です。しかし、この20年間・物価は上がらなかったにしても高齢化・/人生と100年時代に入りつつある現在、違った角度からの見直しが必要と思います。
一般家庭を例にイメージ的に表現すると、残されたお婆ちゃま、お爺様が息子や娘夫婦と同居して8畳間程度の隠居部屋で日向ぼっこしているイメージの生活・・ちょっとした手元小遣いがあれば足りる想定・これが国民年金支給が月額6〜7万円の制度設計でした。
ところが長寿化の進展で定年後の寿命が延びたことで、80歳前後まで夫婦揃っているのが普通になってくると定年後次世代と同居する人が少数になり親世代と次世代の生活費一体化が崩壊して、大多数では世帯が別になってきました。
そうなると一軒の家の中で隠居部屋だけ維持するのと違い、生活費が二重に必要となり収入源が国民年金しかない高齢者の貧困を引き起こすようになっています。
もともと電気ガス水道や、家の維持あるいは家賃等生活費全部を年金で賄うようになっていなかったからです。
長寿化→年金支給期間の長期化による掛け金と支給額のバランスが悪くなっています。
例えば年金支給期間を10年間平均で想定していて掛け金を設定していた場合に、長寿化により受給期間が20年間に増えると論理的には支給額を半額にしないと収支があわず大幅赤字になります・・金利動向その他の修正要素がありますが以上は単純化意見です。
長寿化や想定外低金利等により年金収支が赤字化し、国庫負担が増える一方になっている状態では毎月支給額を増やすどころではないことから、受給開始年齢の引き上げや元気な人には働いていただき生活費の補充(自助努力)をしてもらうしかない状態に陥っているのが高齢化問題でしょう。
ここで内廷費が高齢化に対応していないのではないかの疑問に戻ります。
従来の内廷費制度は高齢社会が始まりつつあってもまだ少数派時代・・壮年期の天皇夫妻と成人前の宮様の核家族と、残された皇太后お一人がひっそり過ごされる標準パターンを前提としていたように見える点です。
昭和天皇が崩御されて初めて次世代天皇が即位したことが象徴するように、天皇即位後は、皇太后の細々とした生活費だけを前提にしていました。
これがれっきとした上皇御所となると公務員だけも昨日紹介したとおり65人も必要になる規模です。
これに比例して天皇家とは別の活発な行幸啓などの私的費用負担が増えるはずです。
皇室も高齢化の波は同じで、核家族プラス数年の余命を生きながらえる皇太后の細々とした生活費負担程度(旧来の大宮御所と上皇御所の違いです)とは違い、今や、天皇一家と上皇一家という民間で一般化している2世帯住宅・2世帯の生活様式になっています。
上記引用記事によれば内廷費の
「用途の3分の1は、内廷職員の人件費」
というのですからなおさら上皇御所となると大変です。
内廷費によって生活する消費単位(上皇になってもその生活費が内廷費に含まれるとなれば)が、(昔のように核家族プラスおばあさんが日向ぼっこしているだけの時代と違い)2倍近くなっている点を考慮すると20年以上前のまま、内廷費が同額据え置きのままでは実質大幅減額になっているのではないか?という視点での感想で書いてきました。
そのような視点での議論をした上で、もともと内廷費が高額すぎたという結論があるならば別ですが、そういう議論がないまま同額据え置きはおかしくないか?という疑問です。

上皇の生活費を内廷費で賄う疑問1

当時藤原氏も天皇家の権力利用のメリットがあったので中宮を送り込む代わりに経済支援する蜜月関係が続いたのです。
藤原氏が衰微しても、いつの時代にも次の権力者・・経済力のある勢力が勃興するのですが、平安末期以降天皇家の外戚になるメリットが次第に薄れていき、次々と現れる実力者たちは、
外戚にならない→女御〜中宮実家による財政支援がなくなっていた完成期が、戦国時代末期の姿であったことになります。
秀忠が外戚になることを一時考えたのですが、後水尾天皇との確執でこれがご破算になり、家光の時に完全に天皇家無視の政策が確立してしまうのです。
今の大手企業オーナーにとっては外戚になるメリットが何もないのに、政治攻撃の対象になるデメリットの方が大きいので、現在の財界成功者で莫大な資金を垂れ流してまで外戚になりたい人は皆無になっていると言えるでしょう。
政財界実力者が外戚になりたく思わなくなった時代=天皇に政治権力がなくなったこと・象徴機能しかなくなる方向へ進み始め、完全消滅したのが戦国末期と言えるでしょうか?
禁中並公家諸法度で・・天皇の政治権力を公式に否定され、行事主催・象徴機能だけ認められて以降、外戚になりたい新興勢力が公式にもいなくなったことになります。
この完成期になっている現在・皇太子妃や皇后実家の経済力に頼るのは無理になっています。
それにもかかわらず、こういう時代遅れの習慣・結局は権力のないところに資金が寄り付くはずがないという冷厳な事実を無視しても意味がない・天皇家の井蛙kyかウヒ亜hかいのはてんそがしるdけすs、妻の実家による非合理な支えによるのではなく、堂々たる国家予算で賄うべき時代が来ています。
現在の皇室予算は、天皇とその子供世代の一体設計になっているようですが、生前退位すれば上皇一家と天皇一家とは別の経済体になるとすれば、戦後民間で一般化している2世代型家族関係・核家族化の外形がついに皇室に及んだ?という点で合理的変化です。
そこで生前退位によって皇室予算の仕組みが(まだ予算案ですが・・)どうなったかを見ると
「天皇の退位等に関する特例法」を見てもその辺の変化を書いていません。
昨日紹介した皇室関係次年度予算に関する宮内庁のネットで見ても、皇族費や内廷費がほぼ従前通りで上皇になったときの内廷費や皇族費が(ほぼ前年度予算通りで変化なく)どう変わるかが見当たりません。
内廷費の中で天皇一家と上皇の生活費は別に予算計上すべき・・核家族ではない上皇の生活は、内廷とは思えませんし、一般宮家よりも格式が高いので特別項目化するのが合理的ではないでしょうか?
簡単化すれば、現行内廷費と皇族費の2分類から上皇費を加えた3分類にすべきではないかの私見です。
5〜60台で死亡していく時代から人生100年時代になってくると、親子といっても幼児期の親子のようにいつまでも一体化した未分化集団ではなくなって行きます。
5〜60台の夫婦子供の家庭と8〜90台の老夫婦家庭とは、経済の一体性(価値観も変化している)がなくなっているのが普通・原則でしょう。
皇室も高齢化している点は変わりがない以上、2世代分の独立の皇室予算が必要だったのにその改革を長年怠っていた・今回改革のチャンスだったことがはっきりしたと思われますが、せっかくの機会を活かさずに今回は手付かずで終わったようです。
今国会提出の次年度予算案で、皇室費の分類が変わったかの検討です。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/pdf/yosangaiyo-h31.pdf
平成30年12月  宮 内 庁
平成31年度歳出予算 政府案の概要について

上記によれば、従来通りの区分け・内廷費と皇族費のほか宮廷費の3分類があるだけです。
しかもお手元金に関する内廷費は前年同様で皇族費が何故か減っています。
これでは天皇が退位して上皇になるとお金の面から何が変わるのかサッパリ不明です。
https://mainichi.jp/articles/20180307/k00/00m/010/054000c

毎日新聞2018年3月6日 18時58分
政府は6日、天皇陛下が退位される際に「退位の礼」を行うとする政令を閣議決定した。天皇、皇后両陛下が退位後に上皇と上皇后に就いた後の関連規定も整理した。
法的には皇室は、「天皇」とそれ以外の「皇族」に区分されてきたが、明治以降で初めてとなる上皇は、基本的に天皇と同等と位置付けた。
・・・上皇、上皇后は、天皇家と生計を同じくする「内廷皇族」とし、生活費は内廷費(年3億2400万円)から…

上記解説によると、上皇になっても内廷費総額を変えない.・・結局従来どおり内廷費にごっちゃにしたままにするようです。
従前の東宮御所の生活費を上皇御所生活費に入れ替えれば簡単という考えのようです。
次年度予算案が昨年と全く変わっていない所以です。
ただ旧式の家督(古くは「氏の長者」)観念で言えば、現天皇が隠居した以降は、家督権者による内廷費分配権は、(家督を継いだ)次期天皇に移ると見るべきでしょうか?
内廷費の分配は家庭内のことだから法が関与しないという政府の考えとすれば、それはそれでいいのですが、それは同一世帯・核家族を前提にした考え方であって、親世代と子世代が別居していれば一つの世帯と言わない・世帯が違えば家計主体も別というのが現在普通の考えではないでしょうか?

仙洞御所経費と核家族化2

お住まい関係予算だけで17億と聞くと大変なようですが、上皇に関連する公務員が65人ですから、 彼らの勤務場所・施設(宿直体制とすれば宿直室や食事等の設備もいるでしょう)の造営費もかかります。
職務上の移動手段車両/ガレージや通信設備も一定数必要になるなど、ちょっとした企業ビル程度の新設が必要です。
警備員の休憩室も必須です。
生前退位すると上皇と二重権力(象徴の拡散)議論中心で報じられてきましたが、象徴機能については天皇家内で節度を持って当たれば良いこと(中小企業で言えば社長を辞めた親が、いつまでも口出しするかどうか同様で)ですが、コスト等の議論の方が重要であったことがわかります。
この点は高齢化社会の宿命で、個々人が現役引退後長期間の生活費が必要になったのと同じです。
個々人の場合自分の家を現役の子供らに引き渡さずにそのまま住み続けるので、日々の生活費(年金程度)だけで足りるが、天皇家の場合皇居を引き渡すから、隠居所の造営が必要になります。
(個人でも自分の屋敷を子供引き渡す場合には、隠居用の建設資金が必要ですし、子供に引き渡さないまでも終の住処を空き家にしたままで老人ホームにはいるには、まとまった資金が必要です。)
高齢化社会になると現役引退後の生活保障・・二世代分の生活コストがかかる時代が来ているのですが、この点は皇室にとっても同じで、皇室経費のあり方が時代に合っていなかったように見えます。
退位しないで摂政制にすれば上皇御所不要ないか?どうだったかと比較したくなりますが、そうなれば世代交代を遅らせるだけ・いつまでも皇太子が独立した地位(一種の部屋住み?)がなく半端な状態が先送りされるだけです。
皇太子という語感からすれば未成年の子供の表現ですが実は60歳に手の届く年齢になっています。
摂政制は、即位した天皇が幼少の時に成人するまでの実務を担当するための補欠的制度であって、将来能力が衰える一方の天皇の退位を遅らせるための制度ではありません。
企業で言えば90代の社長がもはや仕事ができないのに社長室に頑張っていて、70歳前後の長男が専務をやっているようなもので不健全です。
これを経済的に見ればなお不都合が明らかになります。
ちなみに内廷費は天皇家として皇太子一家とごっちゃに支給される仕組みになっていて、(言わば未成熟子供を前提にする核家族の家計を想定した制度で60歳近くにもなる皇太子一家の経済独立性が担保されていません。
生活保護費支給の仕組みと比較するのは恐れ多いですが、経済的には信長以来時の政治権力の意向(今は国会の議決する予算)によって生活費等を受ける仕組みは同じです。
一家として支給される生活保護費のうち家族内で誰が手厚く消費できるかは、一家内の力関係で決まる仕組みが天皇家では3世代に渡って行われているのでしょうか?
未成熟家族内(乳幼児家庭)・いわゆる核家族であれば上記世帯単位の仕組みは合理的ですが、60代近くになっていて結婚して子供を持っている皇太子一家も含めて天皇家と一つの経済体(一つの世帯ではないのに)として内廷費を決める仕組みが不合理だったと思うのは私だけでしょうか。
皇室経済法第三条

予算に計上する皇室の費用は、これを内廷費、宮廷費及び皇族費とする。
同・第四条
内廷費は、天皇並びに皇后、太皇太后、皇太后、皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃及び内廷にあるその他の皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるものとし、別に法律で定める定額を、毎年支出するものとする。

秋篠宮の場合、宮家を立てているので、皇族費としての独立支給になるのですが、皇太子一家は昔の農家や商家の長男夫婦が親と同居して家業を手伝っているパターンに似ています。
店の売り上げや農業収入等は親が握っていて長男一家には独立の収入がなく、(親から思いつきで小遣いをもらえる程度)半端な状態に置かれてきた古いしきたりのままになっているようです。
現在はそんな非人道的なことは許されないので、天皇陛下からまとめて皇太子一家の生活費を渡しているのでしょうが・・・。
この結果分配の少ない?皇太子妃の実家経済力次第の生活になります・現皇后が皇太子妃の時には実家が資本家・・古代で言えば荘園領主でしたが・・雅子さまの場合には実家が外務官次官・・給与生活者では皇太子妃の衣装代援助にも困る状態(噂)が起きてくるようです。
ちなみに秀吉の妻ねね・高台院化粧料が1万2千石、江戸時代に将軍家子女の婚姻化粧料として千姫の10万石・後水尾天皇に嫁いだ秀忠の娘和子の化粧料が1万石と言われています・ただし全て根拠に当たっていませんが、・・・・当時天皇家の収入を大きく支えたことは間違いないようです。
家光ころの天皇家の収入はhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1452135324によれば(これも根拠不明ですが)以下の通りです。

三代将軍家光が決めた天皇家としての石高は、たったの2万14石4斗9升5合ですが、
これには天皇家につながる170余の公家の扶持も含まれます。
これとは別に上皇が1万石、その他の後宮の賄い料として3千石、これだけです。

天璋院篤姫の輿入れに際しての島津家からの化粧料としては10万石という意見を読んだ記憶ですが巨額だったので千姫とごっちゃにした意見なのか、これも根拠がはっきりしません。
化粧料の額は別としても実家の経済力が大きく影響するのが皇室ですが、「皇室は社会変化と関係ない古式ゆかしい別世界であるべき」という(古きを尊ぶ思想は、)経済システムも古式ゆかしいママでないと一貫しないことがわかります。
天皇家はもともと国家財政そのものでしたから固有領地がないので、荘園制が広り、国庫収入が減ると自前の収入源を持たない天皇家を維持するには新興の荘園勢力・その代表者藤原氏をスポンサーにするしかなくなったのが藤原摂関家全盛時代となります

仙洞御所経費と核家族化1

秋篠宮様が批判する皇位継承関連予算案を見ておきましょう。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/pdf/yosangaiyo-h31.pdf

平成31年度歳出予算
政府案の概要について
平成30年12月
宮 内 庁
皇位継承における皇室費での儀式関係経費の概要について

を見ると(引用すると長すぎるので要約です・正確には上記に入って確認お願いします)

① 大嘗祭関連 前回規模(平成天皇即位)で行うと(・消費税率変更(3%→8%→10%(来年10月)・物価の上昇・人件費の著しい増加や材料費の高騰)で約25億円の出費になるので、参列者を1千人から700人へ減らしたり(招待すると宿泊費・パーテイ等の関連コストが巨大)して規模を縮小し、茅葺きから板葺きにする・参殿の屋根材を茅葺きにするなど資材のレベルダウンを図り、18億6000万に絞った
②大饗の儀 ・前回1000人→700人、回数3回→2回、等々で平成31年度231百万円→前回347百万円)
③ その他経費

等々が出ています。
上記の通り大嘗祭の経費は日経新聞報道時点では(平成天皇即位)前例通りに行うと30億円もかかる予定だったとしか外部には不明だったでしょうが、内部的にはコスト削減のために規模縮小や資材変更など細かく準備を積み上げていたことがわかります。
このあとで紹介する退位関連経費が増えた分が、平成になったとき(昭和天皇は先に崩御されているので退位後の住空間整備などが不要でした)とは違う・・増えたのでそれを合わせると35億くらいかかるようです。
退位後の上皇の御所の造営や公務員の増加など戦国時代の皇室の経済力・平成天皇天皇退位関連経費を見ておきましょう。
戦国時代にはそれほど豪華でなくとも、仙洞御所と内裏双方を維持(建築費だけではなく相応の侍従等の役人も必須で維持費がかかります。)するのは無理があったので、生前譲位が何代も行われていなかったらしいのです。
もはや院政(これまで紹介してきた八条院領の経済的バックによったのです)で睨みを利かすどころではありません。
戦国時代では天皇家の生活費すらままならない・儀式に必要な衣冠束帯の用意さえできない困窮状態で天皇家(内裏)と院の御所との二重経費負担に耐えられなかったのです。
正親町天皇天皇譲位問題では、信長が仙洞御所造営費用の出費に協力的でなかったので譲位できなかったと言われています。
正親町天皇に関するウイキペデイア引用です。

信長が譲位に反対したとする説
・・・前述のように当時は仙洞御所が無く、天皇・信長のどちらかが譲位を希望したとしても、「退位後の生活場所」という現実的な問題から何らかの形式で仙洞御所を用意できない限りは譲位は困難であった(後年の正親町天皇の譲位においては、それに先立って豊臣秀吉が仙洞御所を造営している)。
だが、譲位に関する諸儀式や退位後の上皇の御所の造営などにかかる莫大な経費を捻出できる唯一の権力者である信長が、譲位に同意しなかったからとするのが妥当とされている(戦国時代に在位した3代の天皇が全て譲位をすることなく崩御しているのは、譲位のための費用が朝廷になかったからである)。

仙洞御所を新規に造営すれば(その後のお付きの方々も必要になるし)大金がかかるのは容易に想像がつくでしょう。
古くは天皇が退位すると里内裏に引っ込みそこを仙洞御所といっていたようですが、中宮の実家(公卿)自体も荘園が消滅して経済力がなくなっていたからでしょう。
退位しても落ち着くべき里内裏のような屋敷もない以上、退位=新規造営費用が必要な時代が来たのです。
平成天皇が生前退位すると古代からの慣例によれば、美智子皇后のご実家が里内裏を提供することになるのですが、正田家もそこまでの財力がない(相続税がきつくて巨額資産承継は無理でしょう)あってもそういう時代ではないということでしょうか?
日清製粉をネット検索しても創業家の正田家が大株主として上位に出てきません。
仙洞御所造営→維持費(お側に仕えるものを含めて)を長期間を民間人が抱えるなど今の時代無理でしょう。
平安末期に院政が猛威を振るえたのは藤原氏の荘園収入に対抗できる八条院領などの独自荘園確保がなったからでないか?というのが独自根拠のない妄説です。
そういえば藤原氏の権勢を確かなものにした光明皇后のよっていた紫微中台の予算が、朝廷(娘の孝謙天皇)を凌駕していたとどこかで読んだ記憶です。
何事も経済的裏打ちが基礎になります。
平成天皇が生前退位すると退位後の別のお住まい・仙洞御所が必要・・現天皇退位後は当面一時的に旧高松宮邸を事前改造してそこへ移り、その間に今の東宮御所を改造してから仙洞御所としてお移りになる予定のようですが、その間の倉庫建築等々玉突き移転の工事費が以下の通り約17億円程度かかるようですし、崩御後の即位と違って退位後の御所付きの各種公務員の張り付きが必要です。
https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/edit#

宮内庁によると、来年度(30年度)、天皇陛下の退位に向けた準備として必要な経費は35億6000万円で、内訳は、両陛下が仮住まいされる高輪皇族邸の改修工事や御所、東宮御所、秋篠宮邸の工事の設計など住まいの関係に17億3000万円、
今後の儀式に必要な装束や物品の調達などに16億5300万円、などとなっている。””
今年度は35億、来年度は19億円、生前退位に伴う費用が計上され、来年の5月の即位を迎えます。
・・・引退する上皇、上皇后のお世話をする「上皇職」に65人もの宮内庁の職員を配置することです。

 戸籍制度7と家の制度5

ところで、制度が二本立てになると今の参議院がいつも存在意義を問われているように、明治始めに父か祖父が住んでたところ=本籍・・一緒に生活していないし、跡継ぎ以外の弟らが行った先で新たな家族関係も生まれているのにそこを本籍とさせずにいつまでも、一緒に登録しているようにするには、現住所である寄留地以外の登録の意味・理由付けが必要になります。
もしも出身地が人の特定のために必要とする論を進めれば、明治の始めに親が住んでいたところに本籍地を限定する意味が不明・・元は三河武士だから本籍は三河になるのか、あるいは薩摩出身の人は薩摩になるのかなど、どこまで遡るべきか際限のない論争になってしまいます。
そこで、明治の初めに所帯を持っているところで戸籍として登録し、登録した場所が一家の始祖であると構成し、それ以降(このときが家の制度創設時だからと言う理由でそれ以上遡らなくとも良い)結婚して新たに所帯を設けても分家しない限り、元の戸籍の構成員であるとするしかなくなったのでしょう。
家の制度を進めたかったから戸籍制度が残ったのか、戸籍制度を残したかったから家の制度を思いついたのかどちらが先かと言うところですが、March 26, 2011「家の制度3と戸主の能力」で書いたように家の制度は実際には何の実効性もなかったことから見て、後者・すなわち戸籍制度墨守の役人がこれに固執したからだと思っています。
自然の動きに任せれば寄留地・・今の住民登録の方が合理的ですから住民を現地で登録する制度の充実に反比例して戸籍制度は消滅して行くことになりますが、一度出来上がった制度に固執したいのが役人のサガで、そのために家の制度が国家統治思想としても便利だなどと言う後づけ講釈が固まって行ったのではないでしょうか?
これを受けた民法典(民法第四編・民法旧規定、明治31年法律第9号)が成立して家の制度・・観念的一家意識の構成が求められて、これが完成してしまいます。
明治の家制度の結果、具体的な田舎の家・建物を出て、東京大阪等の都会へ働きに出てそこで住まいを建てあるいは借家で別の生活をしている弟妹の一家・所帯単位まで、田舎の長男(戸主)の観念的な家の構成員とする制度になったので、(江戸時代で言えば無宿者として除籍出来ないようになっただけのことですが、)これを「家の制度」と言い変えるようになったとも言えるでしょう。
家と言う言葉の意味・・一つ屋根の下で生活する実態とまるでかけ離れているからこそ、却ってわざわざ「家の制度」と言うカギ括弧付き呼称が必要になったと言えます。
ただし、明治政府の家単位の管理の発想は、今考えれば個人の直接管理に比べて無駄なように見えますが、それまでの地方豪族を通じた間接管理を排した中央集権国家への第一歩としてむしろ進んだ制度として位置づけられて始まったようです。
ついうっかりしますが、それまでは幕府は大名家を通じて武士を統率し、大名は家臣を通じて家臣の家の子郎党を間接統治し、家臣その他の国人層は、自己の領内の農民等を支配していました。
間接統治の積み重ねが、平安中期以降明治までの我が国の社会構造でした。
これを一族ごとの籍ではなく、戸ごとの籍・・各戸口ごとに人民を直接管理したい・・まさに中央集権国家の基礎と考えて、明治政府は戸籍簿を作り始めた最新式の制度構想が戸籍制度の始まりです。
言わば一族概念をバラバラにして、国家が核家族ごとに直接統治する政体を考えていたのです。
その後に揺り戻しの結果、家の制度がはびこったので、明治の戸籍制度は核家族とは違う制度目的だったかのような印象ですが、始まった当初は、その時の所帯=核家族を登録するものであり、先祖を遡って一族の登録をする目的はありませんでした。
その内族=士族僧侶その他の族称が廃止されて行ったのは、人権思想のためだけではなく当然の結果だったと言えます。
一旦登録が始まるとその後に分裂して新たに所帯を持った弟らの家族まで分離しないで際限なく登録して行くと大家族制になってしまうので、国民の管理としては生計が独立すれば新たな戸籍を創設して行く方が住んでいる場所と一致して合理的です。
(現行戸籍制度は、婚姻を基準にして新戸籍編成主義です)
ところが、戸ごとの人民登録による一族意識解体の進行で危機感を持っていた保守層の反撃で妥協制度として、弟が新たに所帯を持っても更に既存戸籍に付け加えて行く仕組みで温存することになって家の制度の原型になってしまいました。
それでも明治以降に形成された家族が最大で、(ただし、壬申戸籍の最初の頃には使用人・住み込みの家臣まで書いていました)それ以前の一族まで遡って記載しないのですから、まさに一歩前進半歩後退の中間的解決だったことになります。
(そこから先は、ルーツ探しに熱心な人の趣味の世界です)
この中間的解決が、人心の帰属意識をイキナリ断ち切ってしまわずに安定感を維持出来たので結果的に良かったように思えます。
今回の大地震・大津波被害・・極限状況下においても利己的行動に走る人は一人もいない・・利己主義だけではない連帯感・「公」の観念を維持出来たゆえんです。

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