フラストレーション度2と中華の栄光復活1

話題を北方領土回復に戻しますと、日本は軍事力で押しきるのは国是としてありえないので交渉しかあり得ません。
戻ってくるとすれば日本がロシアを追いつめたからではなく欧米が追いつめたので中国に頼ったものの大した協力をしてくれないので困っているロシアに日本が手を差し伸べる関係が必要です。
友好・信頼関係を安倍政権が時間を掛けて形成しておいたこと・・その方向になったので解決しそうになって来たことになります。
力づくの解決が正しくないと言う道義基準の社会では、長期的視点での友好関係樹立・・要は外交能力が重要です。
中国はまだそこのところが分らない・・直截要求するしかない・・・幼児ギャング世代レベルの社会と言うところでしょうか?
このあとでEUや韓国などの関係を書いて行きますが、中国はちょっとでも不利なことがあるとすぐ目に見える仕返しをする(・・フィリッピンに対するバナナ輸入妨害・・税関でサボタージュされてみな腐って返品されるなどいくらでもあります)即物的対応が目立ちます。
王者の栄華とはそう言うことをしなくとも、周辺から尊敬されることを言うものです。
何回も書いてきましたが,日本のように順次社会構造が変わって来た社会と違い、中国2000年(最近4000年の歴史と約2倍ガケで言い始めましたが、秦の始皇帝以来で言えば約2000年が正しいところです)の歴史と言っても、その間全く発展性がなく、同じ制度の繰り返しでやって来たので古代意識のままに留まっているから、幼児的発想しか出来ない原因です。
習近平は古代?の「中華の栄光・栄華を戻りたい」と主張していますから、古代意識がこの地域人民の社会レベルに合っているのでしょう。
ちなみに中華の栄光・栄華とは何かの定義すら分っていません。
やっていることから逆算すると「栄光」「栄華」とは、道義による名誉ある地位を目指すことではなさそうです。
日本領海での違法漁船操業・・言わば泥棒行為や、武力による支配地域拡張=強盗・海賊行為?をすることが「栄光・栄華の復活」であるかのような振る舞いです。
次に「中華の」意味ですが、そもそも過去の最大版図は清王朝が獲得したものであって、満州(女真)族・異民族支配の「栄光」「栄華」であって漢民族の栄光・栄華ではありません。
清朝が南沙諸島海域を武力支配したこともない・・元々大陸国家であって海洋国家ではないのですが・・この点を措くとしても、「中華」の定義自体が何を意味しているのか分りません。
世界帝国を樹立したモンゴル王朝・元もモンゴル族に漢民族が服従していた歴史です。
異民族に支配された成果?を自分の成果に出来るならば「日本の栄光・栄華復活」と言えば、アメリカ合衆国も俺のものとなります。
仮に漢民族限定の栄光・栄華の復活と言うならば、漢民族の語源?の漢王朝で言えば、次々と王族女性を匈奴に貢ぎ物に差し出していた惨めな「栄光・栄華?」のことではないでしょうか?
蘇武・李陵の故事・・有名な漢詩もあります・・に明らかなように英雄視される武帝のときでさえ、有能な将軍李陵や蘇武が何十年も捕虜生活していたことが知られています。
如何に歴史を捏造しようとも、王昭君の故事にも明らかなとおりです・・支配している方が何故王族女性を差し出す義務があったのでしょうか?
中国贔屓の文化人は朝貢の歴史を強調しますが、それは外交儀礼の一方法でしかなく、しかもこれまで漢民族が異民族に支配されたときの方がうまく行っているのです。
朝貢貿易が支配を表すならば、物産を持って行くのとは本質・レベルの違う女性を差し出さざるを得なくなっていた漢民族と匈奴の関係はどうなるの?と言うべきです。
神に仕える皇族未婚女性の斎宮制度、日本古代に地方豪族から朝廷に差し出される「采女」制度〜戦国時代では、武田信玄と諏訪御前の関係でも分るように、女性を差し出すのは戦に負けた方がすることです。
漢民族が王族女性を差し出すこと・屈辱的協定によって、漸く匈奴との和解で来たのが歴史事実です。
王照君は李白の詩によって我が国でも有名です。

    漢家秦地月,流影照明妃。
    一上玉關道,天涯去不歸。
    漢月還從東海出,明妃西嫁無來日。
    燕支長寒雪作花,蛾眉憔悴沒胡沙。
    生乏黃金枉圖畫,死留青冢使人嗟。

話題が飛びますが、上記の書き出しを見ると、阿倍仲麻呂の「あまの原、フリサケミレバ春日なる三笠のヤマにイデシ月かも・・」(百人一首に採用されているので多くの人が知っているとおりです)と同じ着想です。
李白と阿倍仲麻呂はほぼ同時代人ですし、親交があったので(日本へ帰る船が難破したときいて李白の阿倍仲麻呂に対する追悼の詩が残されています)どちらがこの着想を先に書いたものか分りません。
阿倍仲麻呂の上記和歌は日本へ帰る送別の宴で王維らの前で日本語で歌ったと言うのが通説らしいです。
王昭君に戻ると、女性を代々差し出サザルを得なかった事実が、真実の歴史は漢族の方が懐柔のためあるいは実質的に服従していたことを表している・・安全を図るために要求されれば、女性を差し出すしかない・・体面を繕うために人民を犠牲にする今の中共政権の原型を見ることが出来ます。
その後の2000年間も万里の長城を築き続けたことから分るように、防衛の歴史です。
漢民族が北方騎馬民族に勝ち進んだ例がないのです。
現在の東北地方(満州)や内モンゴル自治区は、漢族が異民族に支配された結果一体領土になっているに過ぎません。
北方民族には文字歴史がないのを良いことにして漢民族が勝手な歴史を作って来た可能性があります。
文字のある日本でさえ、今やなかった慰安婦や南京虐殺が真実の歴史であるかのように大宣伝されています。

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