原理主義の本籍(非妥協性)4

アラブ諸国では欧米的価値観よる侵蝕・社会風潮の変化に対して危機感が生じてテロが発生していますが、欧米先進国では、人権擁護精神が進み過ぎてこれに不満を持つ出遅れ組に自家中毒症状が出て来つつあるように見えます。
根っこ・・変化に抗いたいと言う心情に立脚している点では、アラブ諸国の不満と同根です。
・・例えば、移民(外国で移民=異教徒です・・この辺を日本人は見落とし勝ちです)優遇し過ぎるとこれに対する(基礎が一神教ですから、違う価値観を認めようとする合理精神の進行について行けない心情の持ち主は一杯残っています)不満が起きて来て1〜2年前のノルウエーだったかでの乱射事件に繋がります。
弱者・少数価値観保護・救済は、冷静・理性で考えればその適用範囲を拡大すべきですが、何事も過ぎると人心(根深い一神教価値観・心情)がついて行けなくなって、逆に排撃運動に発展することがあるので、善意でさえあれば良いものではありません。
改革は良いことであっても急速なことをしないで、(時間のかかる心情変化に合わせて)ジリジリと改善して行く方が安定的で合理的です。
急成長期の中高校生では、内部矛盾・精神葛藤が起きますし、企業や国家で言えば、急成長は華々しいですが、実は内部矛盾・・総務系人材が足りなくなるなど・・を多く抱え込むことになります。
左翼が躍進すると反発する右翼が発展するように、必ず反作用が起きます。
調整能力不足社会に話題を戻しますと、バルカン半島の旧ユーゴではチトー大統領と言う傑物がいなくなると、統一が保てなくなって(ボス二ヤヘルツエゴビナ・クロアチア・コソボ自治州)四分五裂して血を血で洗う大紛争が起きました。
世界の火薬庫とかバルカン政治家とか、バルカン化と言う否定的表現が一般的ですが、異民族・1神教同志の異宗教、モザイク型雑居状態が、異民族間で妥協し難い政治風土を作っていることが主たる原因ではないでしょうか?
今後世界中で異民族・基礎宗教の違う民族のモザイク型雑居が進むと、よほど調整能力の巧みな民族同志以外では、利害調整が困難になり、バルカン化は特異な事例ではなく、学ぶべき悪しき先進事例となって行く可能性があります。
私の年来の意見によれば、異民族モザイク型雑居は良くない・・社会運営を困難にするだけだと言うこと・・移民受入れ反対論に繋がります。
少数の人が徐々に移民してくれば、必要に応じてその移民先に溶け込んで行きます。
しかし、一定量が大量に移民して来ると現地にとけ込むよりは自分達で先に固まるので、自然とその固まりが現地住民生活習慣に馴染まないままになります。
日本人は「郷に入りては郷に従え」と言う精神で、現地に溶け込むことを優先していて、行った先で日本人街を作りませんが、中韓両国が中国人街やコリアンタウンを作りたがるのはこの逆バージョンです。
これからの時代、世界進出して現地に融合するならば良いですが中韓のように、行った先で自分のコンミューンを作るやり方は嫌われるでしょう。
ゴロゴロとした固まりになって異民族=異宗教徒が住むと違いを強調したがる結果、長期的にはきしみが生じるのは当然の結果です。
民度が調整型社会に至っていない場合、またはバルカン半島のように異民族モザイク型雑居の場合、王制または軍事政権に代表される強力指導者または宗教原理主義が必要なことは世界の歴史が証明しています。
皮肉なことですが、民度の低い地域では圧政・圧迫こそが、民衆が一々他人のことにケチを付けず(子供が怖い先生に叱られるのが授業中怖くて黙っているようなものです・・実際中高校の生徒指導は体育系教師が中心です)仲良く暮らせる合理的装置です。
この段階まで行かない民族にアメリカがおせっかいに、圧政は良くない、自分たちで決めなさい・・と民主化を強制するのは間違いです。
我が国では・今でも無宗教と答える人が多いのは、佛教伝来と言っても文化や知識吸収源・方法としての役割しか期待していなかったこと・・、古代から調整型社会で来たから特定価値観の強制を嫌う社会であったからです。
宗教と言うのは本来苦しい庶民から広がって行くべきものですが、我が国の場合官製輸入知識・・国費をかけた留学僧が輸入して来たことからもその本質が現れています。
国分寺・国分尼寺は今の国立大学を各地に作った・教育普及思想として位置づけするのが正しいでしょうし、この意味のことを大分前にこのコラムで書きました
キリスト教が大名層から広がった・・熱心だったのも、西欧の武器技術等の輸入願望が下地でした。
排他的宗教を強調した日蓮聖人が迫害されたことを2015-2-23「原理主義と利害調整3(成熟社会1)のコラムで書きましたが、人の意見を受入れない人は嫌われます。

原理主義の本籍(社会不満)3

一神教を前提にする欧米マスコミに毒されている・・受け売り体質の日本マスコミは、ずっと前から、頻りにスンニ派とシーア派の対立を前提に図式化して解説しています。
これに洗脳されて私もそう思ってきましたが、今回テーマに取り上げた機会に考えてみると宗教的な不満をかりに主張しているとしても言ってるだけではないかと思うようになりました。
これまでのイラン・イラク戦争や今回のイスラム国にしても、石油利権等に絡む紛争が中心であって、部族や居住区域や国境線で言えばどちらか問と言えば宗派の違いがあったでしょうが、モロに宗派の価値観対立に基づく戦争ではありませんでした。
アフガン内で長期化している権力闘争・・ゲリラ勢力間の主導権争いを宗派の対立に図式化しても意味がない筈です。
信玄と謙信の繰り返された合戦を、それぞれが信仰して来た宗派戦争と図式化するのが間違いであるのは誰も分るでしょう。
上杉謙信や武田信玄は領民の支持を引きつけるために毘沙門を信じたりして、宗教心を利用して来ただけです。
信長だって、乾坤一擲の桶狭間の決戦に向かうに際して、部下の勇気を鼓舞するために熱田神宮で祈願するそ振り?をしています。
1昨日、叡山と園城寺の山門と寺門の長期紛争を書きましたが、これは世俗の利権争いでしかなかったのと同様で、イスラム教国や部族同士の紛争を何でも、欧米式宗教戦争の経験に結びつけるのは誤りです。
欧米の宗教戦争は宗派の争いに領国支配権争いが加わったものですが、アラブの紛争は利権争いに団結するために宗派の違いを利用しているだけでしょう。
今回のイスラム国は、国や部族単位の争いでなく、イラク国内とシリアにまたがって領域支配を始めたので、如何にも宗派の違いのように見えますが、西欧による侵蝕に対する危機感を持った人が徒党を組む名分として宗教を利用しているだけのように見えます。
中国歴史で見ても社会に対する不満分子が中国清朝末期に太平天国の乱を起こしたりしていますが、彼らはキリスト教徒が不満を持つようになったのではなくキリスト教が当時の世相に対する不満分子の凝集剤になったに過ぎないと見るべきでしょう。
白蓮教の場合、白蓮教徒として元を追い出した明の朱元璋は政権奪取に成功すると危険思想として白蓮教を禁圧しています。
戦後、西洋の歴史図式を無理に日本の経験に結びつける歴史教育がはやっていたことをこのコラムのあちこちで批判してきましたが、アラブ諸国のテロその他で西欧的(進んだ)価値観に反抗する傾向を、極右とか、原理主義と表現して如何にも遅れた宗教意識によるかのような図式化は問題です。
仮にイスラム教内で宗派間戦争をしたがっていると言う西欧の理解が正しいならば、1度はイスラム教同士の宗派戦争をやりたいだけやり抜いて痛い目にあわないと分らないのではないでしょうか?
(もしも本当に宗派間闘争の原理主義闘争ならば、余計な介入しないで、やれるところまで(お互い疲れるまで)ヤラした方が結局は近道です。
最近原理主義運動やテロ活動が激しくなる原因に戻ります。
昨日から書いているように本当は宗教戦争ではなく正しいことかも知れませんが、価値観の押しつけが過ぎていることに対する単純な反発・あるいは世俗的不満の蓄積・・鬱憤晴らし行為に対して、どうやって大義名分・自己表現して良いか分らないことから、宗教の名を借りて騒いでいるように見えます。
テロ組織・「イスラム国」に参加しようとする日本人や欧米人が続出していますが、(4〜5日前に韓国人がイスラム国兵士になったと言う韓国政府発表があったようです)彼らは、元々のイスラム教徒ではありません。
要は強力な宗教意識による不満ではなく、その前にあちこちの社会に不満が内向している人がいて、不満を吸収する・・あるいは暴発するべき強力な磁場を求めてイスラム教徒に改宗して参加して行く状況になっていると言うべきでしょう。
(仮にイスラムの教義を守れと標榜していても宗教不満から始まっているのではなく、順序が逆です)

原理主義の本籍(1神教)2

西洋では長い宗教戦争の時代を経て漸く理性の力で信教の自由を相互に認めあって、殺し合いをやめることにしましたが、これは理性の力によるものであって、1つの価値観だけが正しいと言う基礎精神・心情はそう簡単に変わりません。
日本では権利だの革命だのと言う前の古代からお互いいろんな考え方があると言う意識でやって来た・・心底相手の違う考えを認める社会です。
私の場合、好き勝手な意見をこのコラムで書いている代わりに、読者が賛成してくれても、賛成してくれなくとも、私は気にしません・・好きなように読んでくれたら良いし、勿論読まなくとも良いのです。
2月17日に午前中の東京高裁事件を終えて、日比谷松本楼で妻と食事してから日生劇場で同性愛カップルをテーマにした(80年代にブロードウエー初演大ヒットしたとのことですが)・・のミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」を見てきましたが、「何で関係ない他人が他人の同性愛に反対するのか、アメリカ社会は窮屈な社会だなあ」と思いながら見てきました。
勿論ミュージカル自体は男性中心スタッフで、ダンスには「切れ」があって、楽しかったですよ!
「アメリカの思想は窮屈」と言えば、アメリカが自分が良いと思っている民主主義とか人権など、一定の価値観が良いとなればこれを世界に押し付けたがる点も、余計なお世話ではないでしょうか?
欧米では宗教戦争を漸くやめて〜市民革命を経て違った価値観を認めることにしたとは言え、考え方の基礎に一神教の価値観が残っているから今度は「民主的でないと行けない」と世界中に強制しようとしています。
他方、ソ連は共産主義が良いとなればこれを世界に広めようとしてコミンテルンを結成して布教?に努めた結果、いわゆる米ソ冷戦が起きました。
要は一神教の原理から逃れられず、どちらの生き方が良いかの決着を付けるためには戦争まであり得る前提でしたから、一種の第二次宗教戦争の意識で双方で頑張って来たことになります。
アラブ諸国では、1神教のままで、西洋のように宗派の違いによる宗教戦争の時代すらまだ経験していません。
ところで、イスラムの教えはダウ船の発達による商業活動の広がりにあわせて広がって行ったことを以前書いたことがありますが、(アラブの本拠地に比べてインドや湿潤な東南アジア諸国とは、気候風土が全く違いますので、硬直した教えでは広がらなかったと思われます)キリスト教のように異教徒に対してさえ排他性が少なく、寛容な宗教なので、ましてや宗派間のちょっとした違い程度で殺しあいの紛争が起きなかったのではないかと思われます。
この辺は日本人が宗派の論争にあまり価値を置かない・・一見無宗教のように見えるのと根が同じ・・通じ合えるのではないでしょうか?
日本人の場合、「郷に入りては郷に従え」と言うように「所変われば品変わる」と思うのが普通で、他所の国に行けば「へえーそんなこともあるの!」と違いに驚いて面白がるくらいが関の山で、気候風土の違う行った先で日本の価値観を押し付けたいと思う人はあまりいないのではないでしょうか?
日本列島は南北東西に長いので、行く場所ごとに気候が違えば同じ作も持つで作る時期順序も違うし、違った産業(山村から海岸に出れば漁業があるなど)作物があるので場所が違えば生き方が違うことが古代から自然に身に付いています。
行った先の気候にあった生活をするしかないのは当たり前のことで、現地社会に溶け込むように努力している・・目立たないことが生きる智恵ですから、移民先で日本人街を作りません。
このように考えるとイスラム教徒は意外に日本的価値観に近いかも知れません。
今原理主義が勢いを持って来たのは、あまりもキリスト教的価値観による侵蝕・押し付けに危機感を持った若者が出て来たことによるのでしょう。
日本であまりにも韓国・中国による激しい日本に対する攻撃に対して、一部日本人に嫌韓・嫌中感情が芽生えて来たのと同じ構図です。
これをマスコミは日本や先進国では極右とか極左と言い、アラブでは原理主義とレッテル貼りしているだけのように見えます。
アラブ諸国の騒乱をイスラム原理主義勢力によるとマスコミが定義付けしていますので、皆さんもそのように理解していると思いますが(私もこのテーマで書き始めるではマスコミの言うとおりに誤解していました)が、まだ内部宗派間対立による激しい戦争まではやっていません。
原理主義だとか極右・極左と相手を貶めるレッテル張りだけでは、モノゴトの本質が見えないことが分ってきました。

原理主義の本籍(1神教)1

原理主義者の支配する「イスラム国」と言っても彼らのモットーは原理主義ですから、少しでも違う意見を全く認めない・・一切妥協出来ない以上は、内部対立の激化→引き締めは恐怖政治しかあり得ないので、長期的な統治は無理があって、(スターリンのような特殊人材が出るかどうか次第です)一定期間経過で内部からどうにもならなくなって行くのが目に見えています。
古来ジャコバンであれ、なんであれ恐怖政治が長く続いた例はありませんので、放っておけば自滅することをいじりまわして問題を大きくしているのが欧米の介入政策です。
ただし規模程度やタマタマ内部人材次第でスターリンのように長く続きますが、それでも放っておけばソ連のようにいつかは自壊します。
ソ連の恐怖政治はすごく長くて永久化したように見えましたが、結果から見ると革命後でも6〜70年しかなかったのですから、私のような高齢者になってみると「たったの70年もなかったのか!と言う感じになってきました。
我が国がアメリカに支配されている戦後の欺瞞秩序だって、いつの間にか70年もたつと無理(噓のほころびが目立つようになります)が出て来たので、安倍総理の70年談話内容がどうなるかを世界が固唾をのんでみているところです。
恐怖政治の寿命に戻しますと、もしも放っておいて長く続くものならば、ロシア革命後の白色テロや赤色テロに対する列強の介入・・シベリヤ出兵のように外野から介入してもどうなるものでもありません。
ロシア革命後のソ連の恐怖政治はスターリン死後急速に内部崩壊が始まって行ったのであり、介入によるものではありません。
(フランス革命に対する周辺国の介入も、何の効果もなく、却ってナポレオンが誕生しました)
北朝鮮はアメリカを中心とする敵視政策によってハリネズミのようになっているので、却って無茶な独裁体制が存続出来ていると見るのが普通でしょう。
ところで、世界中で左右を問わずに過激思想・・原理主義的主張や行動が増えて来た・・あるいは目立つようになって来たのは、イスラムで言えば世俗化の進行に不満を持つ少数者を生み出したことに原因があります。
詳しくは知りませんが、キリスト教の一派◯◯教徒のように自分たちだけで特定教義を信じて山奥で生活している分には無害ですから、偏狭な意見でも何でも放っておけば良いことです。
ベジタリアンであれ、◯◯愛好家であれそのグループが勝手に愛好してる分には何の害もありません。
(犬好きも猫好きもそれぞれが大会を開いて満足していれば良いことですが、喧嘩までする必要がありません)。
自分の考えや好みを他人に押しつけたがるおせっかいな人やグループが厄介です。
「山登りやスキーが楽しい」からと登山したくない人に、強制したり登山出来ない人を貶めたり迫害するようになると迷惑でしょう。
西洋系宗教関係者(日本の場合日蓮系・・折伏と言うおどろおどろしい用語を使います)は布教と称して、特定思想や行動様式を「これは良いぞ!」と押し付けたい傾向の人が多いからトラブルになります。
それだけならまだ良いのですが、考えや行動様式が違うからと他者に強制したくなるだけではなく、意見が違うことを理由に殺し合いまでしたくなる点が一神教徒の異常性です。
我が国で◯◯宗と言っても、佛教典の中のどのお経を中心に考えるか(華厳宗・法相蹴・真言宗・法華宗・・)と言う一種の学問系列的要素が濃厚です。
佛教は知識や文化の導入便宜として利用して来たことを書いてきましたが、宗派と言っても法学部、経済学部程度の違いでしかないことになります。
昔から高僧はいろんな宗派の寺院を渡り歩いていろんな勉強をして来たのは、(この勉強はこの寺院で・・)学問の場所と言う意識によります。
宗派対立で、人殺しまでしなくてはならないような意識はありません。
三井寺と叡山の「寺門山門」の争いは、宗教の争いと言うよりは世俗的利権争いと見るべきでしょう。
そもそも異教徒なる日本語は昔から存在しなくて、西洋語の翻訳として入って来たものではないでしょうか?

本籍5(地番〜街区番号へ)

 

現在は日本中で土地に地番を付す作業が完成していますので、戸籍簿は地番別に編成されているので、ある人の戸籍謄本・登録事項証明書を取り寄せるには戸籍筆頭者名と本籍地番を特定して行うことになっています。
今でも戸籍謄本を取り寄せてみるとほとんどが何番地と表示されてるのが多いのはそのせいです。
それでも少しくらい地番がずれていても、戸籍役場からの電話で、同じ氏名の戸籍が何番地ならありますが、それで良いですかと聞いてくることがあります。
前回書いたように同じ集落にあれば、地番などなくとも氏名だけでその部落の人には分るものですが、その歴史を引きずっている感じです。
これがコンピューター処理するようになると地番が1番地違ってもヒットしなくなるでしょうから、却って不便な面があります。
ご近所の人でも名前も顔もよく知っているが、正確な住居表示あるいは氏だけではなく名前までとなると正確には分らないものです。
コンピューターでもあの辺の誰それと言うだけで呼び出せるように氏名・・それも少し漢字が違ったり読み方を間違っても大方で・・からも検索出来るようにして欲しいものです。
裁判所の事件検索方法としては、事件番号が分らないと探しようがなかったのがこれまでの整理方法でしたが、これでは事件当事者でさえも古い事件の番号など覚えてられないので、すごく不便なものでしたが、コンピューター化が進んだ結果却って人名や法人名検索でも簡単に出来るようになったので、昔よりはものすごく便利になっています。
同じように、地名だけではなく、人名(あるいは人別データ)からの検索が簡単に出来るようにするのは今のコンピューター技術では簡単なことと思われますので、却って、一つの市町村内であれば大方の地名や人名、生年月日程度を入力すれば(濁って読んだり漢字を別の読み方したりなど少しの誤差があっても)直ぐに出るようになって地番は索引機能としても不要になる可能性があります。
コンピューターの進歩で「何とか郷の誰それ」と言えばすぐ分ったような、江戸時代までの人別帳のように便利な社会に戻るのです。
ところで、離婚や結婚したときの新本籍や引っ越し後現在の住所に本籍を移す場合、新本籍を書くのに現住所と同じと書く人がいますが、実は現住所は街区表示・・住居表示で出来ていますので、本籍地番とは必ずしも一致していないのです。
それでも、現住所と同じと言う届け出でも受け付けてよろしいと言う通達が出ています。(22日に紹介した本はこうした通達集みたいなものです)
意味が分り難い人が多いと思いますが、たとえば、私のことですが、私の自宅の住居表示番号は知っているのですが、地番は土地購入時に契約書で確認してみただけでその後全く見ていないので、今では何番地だったかまるで覚えていない状態です。
離婚や新婚のときに、あるいは転居先を本籍にしたい時に、ほとんどの人が自分の住んでいるマンション等の地番まで知っている人が滅多にいない筈です。
ですから、今では殆どの人が自分の住んでいる地番を知らないので住居表示で届けるようになっているのが現状でしょう。
私も今の住所に本籍を転籍しようと思えば、(地番を完全に忘れているので)うっかり住居表示で届けることになりそうです。
明治には前回書いたように戸籍表示は屋敷地番と土地地番の混在時代でしたが、今では逆に地番表示の本籍と街区番号・住居表示による届出による本籍の二種類が混在していることになりますが、その内に住居表示制度利用の方が増えてくるような気がします。
その内に明治の初めに戸籍には屋敷地番を付していたのと同様に住居表示が中心になる時代が来るように思われます。
そうなると本籍「地」と言わずに単に本籍と言うようになるのでしょうか?
結局は昨日書いたように、本籍「地」の「地」は地番を現すか一定の地域を現すか否かによることになります。

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