袴田再審取消決定1と朝日新聞の報道1

本当に論拠のある厳しい批判者の活躍の場が狭くなっているのか?
内容空疎のまま根拠なく政府施策を乱暴に切り捨てるだけでメデイアの寵児になっていたコメンテーター等が、ネット発達の結果批判を受けるようになって出番が減っているとした場合、内容空疎な報道批判出来る社会→社会健全化・憲法学者の言う言論の自由市場の結果です。
・・国民から支持されなくなったコメンテーターなどが降板圧力にさらされるのは市場原理の作用の結果であって当たり前です。
従来型の思わせぶり政府批判が支持されなくなっただけなのか、根拠のあるコメントなのか? 国連特別報告自体を客観化させるためには、どういう言論がボツになったかのデータ開示が必要でしょう。
どういう事実があったかすら聞かずに?抽象的な被害申告だけで言論の自由度低下の認定をしているとすれば、国連特別報告者自身の主観丸出し・メデイア界全体のレベル・・根拠を示す習慣(能力?)のなさを表しています。
流行作家や流行商品が売れなくなるのと同じですが、それを言論の自由がなくなったと転嫁批判しても始まりません。
不満分子の意見を聞いて歩けば、日本の言論の自由度は中国批判をしていた書店主が拉致されてしまう香港以下の評価になるのは当然でしょうか?
外国に向かって日本の批判ばかりする習癖(自虐史観)・自分だけは別という思想の発露の一環でしょうか?
このテーマと関係なくたまたま袴田再審決定の取り消し決定が出ていたので検索していたら、いまだに事実を省いてただ自社意見に都合よく、「権力批判さえしてれば満足」という朝日新聞の報道姿勢批判が出ていましたので紹介しておきます。
このような根拠ない意見報道ばかりでは読者が離れるのは仕方がないでしょう。
5〜6日前に袴田再審開始決定が高裁で取り消されたことに対する、朝日新聞の評価です。

袴田事件再審開始の根拠とされた“本田鑑定”と「STAP細胞」との共通性

袴田事件再審開始の根拠とされた“本田鑑定”と「STAP細胞」との共通性
2018年06月14日 15:00
郷原 信郎

朝日社説の的外れな高裁決定批判
高裁決定の翌日(6月12日)の朝日新聞社説【袴田事件再審 釈然としない逆転決定】は、
「地裁の段階で6年、高裁でさらに4年の歳月が費やされた。それだけの時間をかけて納得のゆく検討がされたかといえば、決してそうではない。この決定に至るまでの経緯は、一般の市民感覚からすると理解しがたいことばかりだ。」
と述べた上、
「別の専門家に再鑑定を頼むかで長い議論があった。実施が決まると、その専門家は1年半の時間をかけた末に、高裁が指定した検証方法を完全には守らず、独自のやり方で弁護側鑑定の信頼性を否定する回答をした。高裁は結局、地裁とほぼ同じ証拠関係から正反対の結論を導きだした。
身柄を長期拘束された死刑囚の再審として国際的にも注目されている事件が、こんな迷走の果てに一つの区切りを迎えるとは、司法の信頼を傷つける以外の何物でもない。」

と、高裁での即時抗告審の審理経過や決定を批判している。
しかし、即時抗告審で4年の時間を要したのは、科学的な根拠に乏しい本田鑑定について、その信用性を裏付ける立証を弁護側に求めていたからである。
STAP細胞問題と同様に、本田氏自らが、裁判所による再現実験に応じ、「細胞選択的抽出法」によるDNAの抽出を再現して見せることが何より本田鑑定の信用性を明らかにする確実な方法であるにもかかわらず、結局、それは実現しなかった。
本田鑑定がDNA鑑定に用いた「細胞選択的抽出法」は、科学的原理や有用性には深刻な疑問が存在していたが、地裁決定が、それを根拠に再審開始を決定し、「死刑囚釈放」という措置まで行った以上、その根拠とされる本田鑑定を軽々に扱うわけにはいかない。
裁判所としては、弁護側に信用性を裏付ける立証の機会を十分に与え、そのために長い期間がかかったのであり、それは、再審開始決定の取消という結論を導くに至るまでの裁判所の慎重さを示すものであったと言える。
「迷走の果て」などと高裁決定を批判するのは、全く的外れと言うべきであろう。」

ちなみに上記執筆者の自己紹介によると執筆者は以下の通りです。

「これまでの多くの事件に関して、検察の捜査・処分を厳しく批判し、美濃加茂市長事件などの冤罪事件で検察と戦ってきた私である。
検察側コメントと同趣旨の「適切・妥当な決定」との意見を述べることに、内心複雑なものがあることは事実だ。」

(判例時報等で掲載されるのは特報記事でも数ヶ月先ですので私は決定書自体を見ていませんが)以上の郷原氏の批判によれば、朝日新聞の報道姿勢は「国民には訴訟過程の詳細を知るはずがない」から、「結論だけ断定的に報道して一定方向へ誘導すれば良い」という旧来型の情報独占を前提にした一方的断定体質が変わっていないことが見られます。
念のため毎日新聞の報道を
https://mainichi.jp/articles/20180611/k00/00e/040/173000cで見てみると、例によって「不当判決」動画付きですが、文字内容の方は、

「高裁は本田氏の鑑定について「一般的に確立した科学手法とは認められず、有効性が実証されていない」と指摘。「鑑定データが削除され、検証も不能だ」と批判し、信用性を否定した。」

と指摘していて、上記批判意見同様の経緯のようですから、事実経過については批判者郷原氏の「迷走ではない」主張の方が信用性が高そうです。
毎日ニュースの方は、見出しイメージ動画と記事内容が違う従来型報道です。
(動画は毎日自身の作成動画のようですが、動画に入る前の固定写真では弁護側の「不当決定」主張の看板を大写しにしてイメージ化しているだけです。
動画に入ると、延々と「不当決定」に「負けない許せない」という趣旨の会場発言等動画ばかり・・取り消し決定が正当という方向の動画はありません・・このやり方は、朝日新聞の慰安婦報道も自社意見とはせずにフィクションに過ぎない吉田調書の内容を大々的に宣伝していたに過ぎない点では同じです。
朝日の方は、内容まで踏み込んでいて郷原氏の紹介によれば決定に時間を要したのは主として弁護側責任であって、「迷走」でないのに「迷走」と書いていることと、「市民感覚では理解し難い」としている点でいつもの例と違い、一歩踏み込んでいます。
内容とみだし首尾一貫した点では一歩前進でしょうか?
朝日新聞の方は、事実経過も逆評価=迷走を書き込んだ点で、イメージ操作とは違い断定意見ですから、(決定過程が上記批判者の紹介通りであれば)実質はフェイクに近い報道姿勢が今(6月12日)現在も続いていることがわかります。
上記の通り、従来型紙媒体に頼る場合には法律家でさえ印刷物になったのを目にするのは特報で数ヶ月、普通の判例は平均5〜6ヶ月後ですから、判決や決定等のブリーフを即時に配布される報道機関の速報が当面情報独占状態=言いたい放題の時代が続きました。
「人の噂も75日」と言いますが、具体的事実が出てくる頃(メデイアに都合の悪い結果の場合には別の大規模ニュースを仕立てて国民関心を移らせていますので、)メデイが世論誘導し放題だったのです。
法律専門家でさえも半年間も事実を知る方法のない時代が終わり、すぐにネット上で反論記事の出る時代には、「市民感覚」を僭称する記事が流通できる場が狭くなるのは当然でしょう。

第三者委員会の役割4(朝日新聞慰安婦報道2)

以下はウイキペデイアによる吉田氏の死亡年月日です。

吉田 清治(よしだ せいじ、1913年(大正2年)10月15日 – 2000年(平成12年)7月30日[1][2])は福岡県出身とされる文筆家。

歴史家や他社のでっち上げ指摘後、既に社内で強制連行に関する吉田証言は怪しいと決まっていて軌道修正していた事実が認定されていますが、では吉田氏が生きている段階で何故何十年も事実再確認作業をきちんとしなかったかについても、以下に引用のとおり委員会の調査がオザナリです。
善意解釈すれば、これ以上無理なので、読者の想像に任せますとも読めますが・・。
以下委員会見解の一部です。

「3月上旬、キャップ格の記者が吉田氏への接触を試みたが、電話取材では吉田証言について応答を拒まれ、自宅も訪問したが留守で、結局、吉田証言について話を聞くことはできなかった。」

朝日新聞社の存続を揺るがす大事件に発展している段階での事実再確認のための調査行動としているのに、訪問して留守だったから事実確認を諦めたと言うのではあっさりしすぎて異常です。
普通の取材活動でも、行ってみて相手が不在だった・・それだけで諦めてしまわない・・夜討ち朝駆けを繰り返すのが報道界の常道ではないでしょうか?
元々事実が存在しないのを知って共謀していたから、再度聞くまでもない・・聞きたくない・・「御社の方こそ良く知っているでしょう」と言われるのが怖かったので形だけの調査をしたことにしていたのではないか・・「留守だったことにしよう」(いつ行くので家を空けておいて下さい・・」と言う筋書きにしたのではないかと読む人が多いでしょう。
検証委員会の事実認定を読むと慰安婦問題は既に十分報道して国際問題にすることの目的を達した・・成功しているので、朝日新聞の対応は以後事実確認よりは、今後はどうやって対外的に軌道修正して自社批判を誤摩化して行くかに焦点が移って行ったかのように見えます。
そのころから、本質は強制連行の有無ではなく、広義の強制性・・「女性の人権」だとすり替え主張が始まっています。
検証委員会見解は経過を淡々と書くだけ(死亡しているので調査出来ない・・執筆記者が特定出来ないとか・・こんな不自然なことをそのまま記載して検証作業を終わりにしています)で何も触れていません。
吉田清治氏が死亡して「死人に口無し」となってから、謝罪会見するやり方は原発吉田所長2013年7月9日死亡後の虚報開始と(偶然?)同じですが、担当取材記者らは生きていると思われるのに、検証委員会では何故生きている彼らからもっと突っ込んで聞かないか不明です。
世間が知りたいのは合理的疑問の解明ですから、合理的な憶測を覆す丁寧な検証こそが求められていたと思います。
検証委員会では、「焼却したと聞いた」「留守だった]と言う記者の説明をそのまま書いて、後は世論の判断に委ねようとする謙虚(手堅い?)な姿勢かも知れません。
法律家主導の委員会らしく手堅い書き方になっているのは分りますが、これでは、国民が求めている検証の意義を果たしていない・・激昴した世論沈静化の時間稼ぎのためであったのか?と受け取る人・・不完全燃焼の人が多いのではないでしょうか?
26年12月30日に名誉毀損や日弁連政治活動等に関する判例の射程範囲を紹介しましたが、求められたテーマ以外の余計なことを書かないのが法律家の使命・習性です。
第三者委員会がセンセーショナルに国内対立を煽る必要がないと言う意味では、それぞれ手堅い見解の発表と言うところですが、朝日新聞の誤報道・虚偽報道の検証作業は、裁判そのものではないので、もう少し踏み込んだ意見表明・・焼却したと言うだけで信用したとしたことに「疑問が残る」「執筆者が明らかにならないのは残念だ」程度の表現があっても良いような気がします。
これを逆にやむを得ないと結論付けて正当化表現が目立つのは残念です。
国際社会に対する影響についても、第三者委員会見解では朝日新聞を引用した記事が何本しかないので影響がなかったと言う書き方ですが、こんなことで国民が納得するでしょうか?
影響と言うのはムード的に広がって行くものであって引用記事が少ないから・・と言う論理は、まるで朝日の報道価値を無理に落としている印象です。
朝日が広めてその他のマスメデイアも負けずに追随報道する中で、国際常識になってしまっている以上、一々朝日と言う名称を引用する記事が少ないのは当たり前のことで・・軍による強制連行が常識になってしまうほど影響が大きかったと理解する人の方が多いでしょう。
例えば第三者委員の一人である岡本委員自身が、これまで強制連行を前提にした意見を書いていると報道されていますが、(私は報道機関でもない素人のコラムなのでこれ自体の検証取材までしないで自動的に引用しているだけですが・・)その文書にも朝日新聞を引用していません。
以下はhttp://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11934180595.htmlからの引用です。

 「岡本氏は、1995年7月18日に村山内閣に提出された、「女性のためのアジア平和国民基金」(以下、アジア女性基金)に拠金を呼びかけの「呼びかけ人」の一人なのです。
http://www.kantei.go.jp/jp/murayamasouri/danwa/heiwa-kikin.html
 岡本氏も呼びかけ人として名を連ねた「呼びかけ」は、以下の文章で始まります。

『戦争が終わってから、50年の歳月が流れました。 この戦争は、日本国民にも諸外国、とくにアジア諸国の人々にも、甚大 な惨禍をもたらしました。なかでも、十代の少女までも含む多くの女性を 強制的に「慰安婦」として軍に従わせたことは、女性の根源的な尊厳を踏 みにじる残酷な行為でした。こうした女性の方々が心身に負った深い傷は、 いかに私たちがお詫びしても癒やすことができるものではないでしょう。 しかし、私たちは、なんとか彼女たちの痛みを受け止め、その苦しみが少 しでも緩和されるよう、最大限の力を尽くしたい、そう思います。これは、 これらの方々に耐え難い犠牲を強いた日本が、どうしても今日はたさなければならない義務だと信じます。 (後略)』

後で植村記者に対するバッシング問題で書いて行きますが、このシリーズで書いているように「見出し」等で一旦レッテル貼りが終われば一々引用しなくともイメージが増幅して行くものです。
朝日は事実上軌道修正していたことも認定されていますが、事実上では資料や表現の微妙な変化をくわしく読み込まない一般読者には分らない・・強制連行の印象を埋め込まれたままです。
国際影響を調査した委員会見解は、コオリ砂糖があらかた水に溶けてしまった後で、その砂糖水をのんでいる人は何億人いようとも、のんだ水や残っている資料にコオリ砂糖のかたまりを探しても少ししか見つからないから、砂糖が殆ど入っていなかったと結論付けるような調査報告ですから、これでは納得する人の方が少ないでしょう。

第三者委員会の役割2(朝日新聞慰安婦報道1)

慰安婦報道と池上氏コラム掲載拒否問題については、別の第三者委員会の検証対象になっています。
以下第三者委員会見解の紹介です。
この委員会では慰安婦強連行に関する吉田氏の著書や講演が虚偽であったこと自体については後に吉田氏自身が認めていることなどから、委員会意見は(最高裁判決で言えば法廷意見?)約30年間も訂正・取り消ししなかったことの是非に焦点が当たっています。
発表当初に裏付け取材を一切しないまま発表した経緯とその後修正・取り消しが遅れた経緯・・トップの責任追及的視点・・その後の処理対応が悪い点に力点を置いていて、(どうせやめるに決まっている人に責任を取らせる図式です)国民が知りたい朝日の基本的体質・・日本民族非難目的的報道体質そのものの掘り下げは緩い感じを否めません。
原発吉田調書同様に、事実経過報告とどめて主観的意図の判断は、読者に委ねると言う姿勢でしょうか。
事実羅列の中で注目すべきことは、報道前に吉田氏に面会したところ、慰安婦連行に関する吉田清治氏から根拠になる資料すら「焼却した」などと言う、如何にも怪しい応答されているのに、疑いもせずに独自取材せずに真実であるかのように大規模報道していたことが分りました。
こんな大事件報道をするのに言い出しっぺの調査研究発表者・吉田清治氏が取材時点で取材資料を既に焼却してしまっていることなどあり得ないことですから、検証委員会にはこの点をもっとツッコンで追及して欲しかったと突っ込み不足に不満を抱く人が多いでしょう。
しかし、仮に突っ込んでも「そのころはそう言う判断でした」と言う答えしか却って来ないと言うことも十分想定されます。
以下のとおり重大記事の最初の執筆者さえ分らないと言うこと自体、怪しい朝日新聞の対応ですが、委員会が家捜しすることも出来ないので、これも読者判断と言うことでしょうか。(怪しいと思うかは読者の判断に委ねるのも1方法です)
以下原文からの引用です。

(1)1982年9月2日付記事

(1)吉田証言について
朝日新聞は、同社記者が執筆した1982年9月2日付朝刊紙面に「朝鮮の女性/ 私も連行/元動員指揮者が証言/暴行加え無理やり」の見出しの記事において、同社 として初めて、吉田証言を紹介した。
同記事は、前日の1日に大阪市内で行われた集会において吉田氏が述べた内容を紹介す る。当初この記事の執筆者と目された清田治史は記事掲載の時点では韓国に語学留学中で あって執筆は不可能であることが判明し、当委員会において調査を尽くしたが、執筆者は 判明せず、執筆意図や講演内容の裏付け取材の有無は判明しなかった。
(2)1983年10月19日、同年11月10日及び同年12月24日付記事
これらの記事は、大阪社会部デスクの意向で、ソウル支局ではなく当時大阪社会部管内 の岸和田通信局長をしていた清田により強制連行の全体像を意識した企画として進められた。清田は、吉田氏宅を訪問し数時間にわたりインタビューをした。裏付け資料の有無を 尋ねたが焼却したとのことで確認できなかった。吉田氏の経歴等についても十分な裏付け 取材をせず、証言内容が生々しく詳細であったことから、これを事実と判断し記事を書いた。」

科学発明発表の記者会見で、実験データを全て焼却したので再現出来ないと言う説明をした場合、その論文の価値を認める人が一人もいないでしょう。
こんなずさんな説明で第三者(検証)委員会が「あ、そうですか」と安易に?矛を収めているのでは、何のための検証かと疑問を抱く人が多いのではないでしょうか?
第三者委員会の認定事実によれば、朝日新聞は、「焼却してしまった」と言う吉田氏の不思議な説明で裏付けをとったことにして?日韓関係を揺るがし世界に日本の蛮行を大宣伝する大記事にしたことになります。
これに対する意見書の評価は以下のとおりです。

「吉田証言は、戦時中の朝鮮における行動に関するものであり、取材時点で少なくとも35年以上が経過していたことを考えると、裏付け調査が容易ではない分野におけるものである。すると、吉田氏の講演や韓国における石碑建立という吉田氏の 言動に対応しての報道と見る余地のある1980年代の記事については、その時点では吉田氏の言動のみによって信用性判断を行ったとしてもやむを得ない面もある。
しかし、韓国事情に精通した記者を中心にそのような証言事実はあり得るとの先入観がまず存在し、その先入観が裏付け調査を怠ったことに影響を与えたとすれば、 テーマの重要性に鑑みると、問題である。
そして、吉田証言に関する記事は、事件事故報道ほどの速報性は要求されないこと、裏付け調査がないまま相応の紙面を割いた記事が繰り返し紙面に掲載され、執筆者も複数にわたることを考え合わせると、後年の記事になればなるほど裏付け調 査を怠ったことを指摘せざるを得ない。特に、1991年5月22日及び同年10 月10日付の「女たちの太平洋戦争」の一連の記事は、時期的にも後に位置し、慰安婦問題が社会の関心事となってきている状況下の報道で、朝日新聞自身が「調査 報道」(1994年1月25日付記事参照)と位置付けているにもかかわらず、吉田氏へのインタビュー以外に裏付け調査が行われた事実あるいは行おうとした事実がうかがえないことは、問題である。

上記によれば、当時としては焼却したと言われてそのまま信用して、裏付け取材しなくとも(その後の対応が悪いだけで)「やむを得ない面もある。」と言い切っているのですが、35年前のことではっきりしないならば「朝鮮の女性/ 私も連行/元動員指揮者が証言/暴行加え無理やり」の大見出しで書かなければ良いことです。
新聞記事と言うのは根拠があってこそ書くべきですし、ましてや国家の命運に関わるよう大問題を「根拠が不明だから書いても仕方が無い」と言うのでは、マトモな論理的説明になっていません。
朝日新聞のように世界中に拠点を持たない1個人が現地取材して事実がないと言う報告をしていることから見ても、韓国内の拠点・ソール支局もある大組織の朝日が何故簡単な現地調査をしたり、吉田氏の経歴調査・・主張の時期に主張する職にあったのか、その当時の職ム内容など公式記録にあたるなど、するべきことが一杯あった筈ですが、(委員会も認定しているように急いで発表する必要がないのでゆっくり事実調査してから記事にして良かったことですが)全く調査する気もなかったのを不思議に思うのが普通の国民感情ではないでしょうか?
(これだけ慰安婦報道が大問題になっているサナカの2014年5月20日に発表された原発吉田所長調書事件も肝腎の東電職員一人にも取材しないままの大スクープ?記事でしたが、急ぐ必要もないのに、取材しないで想像で書くのが朝日の基本的体質でしょうか?)
次の段以降の「しかし」付きとは言え、先ず前段で「やむを得ない面もある。」とまで言い切るのは、根拠のない正当化ではないでしょうか?
「やむを得ないかどうか」の検証のために第三者委員会が選任されたと国民は期待していた筈なのに、委員会は35年経過していることだけを根拠に「やむを得ない面もある」と断言しているのでは多くの国民は驚いたのではないでしょうか?
「面もある」と言う半端な表現ではありますが、基本姿勢としては朝日の行動を肯定したことになるのでしょう。
後の文章はその後の行動に力点を置いていて、取材なしでセンセーショナルな記事発表した当初の姿勢に関する国民の疑問に答えていません。

朝日新聞吉田調書3(見出しの重要性)

昨日書いたように、報道と人権委員会「見解」の書きぶりに対して基本的に良く出来ていると評価していますが、気になる書き方がありますので一部だけ紹介しておきます。
大見出し等はそのままでも?記事内容に書いてあれば、印象は和らいだろうと言う趣旨の期待的意見が書かれている点です。
(この部分は本音と言うよりは、厳しく事実認定したので朝日に対するリップサービス程度の意味かも知れませんが、念のため批判しておきます)
26年12月30日「マスコミの情報操作1(羊頭狗肉)」以来書いているように、大見出しは何を書いていても内容で矛盾していることさえ書いておけば(は言わないまでも?悪質性が軽減出来たと言う程度か?)良かったかのように誤解しかねない部分です。
確かにないよりは少しは良かったと言う見方も出来るでしょうが、海外向け英字報道の大見出しに「所員の9割が命令に(公然と)拒否して逃亡」と出されていた場合、先ずその見出しのコピーが大量に出回るのが普通ですから、記事内容にややこしいやり取りを記載さえすれば良かった・・と言うのでは、意図的な「角度をつけた」報道がはびこる一方です。
まして今回は「見解」によれば、「A4版400ページ」に及ぶ専門用語中心の難解で膨大な資料と言うのです。
前後の記載を羅列的に記載しただけでは、表題記事と矛盾する可能性があることが読者に分った可能性があると言ってもちょっと斜め読みして理解するのは容易ではありません。(ほぼ不可能でしょう)
「見解」によれば、専門用語が多くて専門家でないとわかり難いことを理由に原発取材プロの朝日の記者2名だけが読み込んで記事にしたと言う認定ですが、関連資料を1読して素人が「表題と違って職員の9割が逃げた訳ではない」と分るくらい単純ものならば、そのプロが何故読み間違ったと言えるのか・・朝日の主張と明白に矛盾するでしょう。
・・99%の素人は、仕事や家事その他で忙しいので、ニュースがあってもその都度資料まで読み込む時間もないので、見出し等で判断するのが普通です。
私もニュースの見出し程度しか見る暇がないのが日常ですが、今回は正月休みがあったので、「見解」原文に当たる時間がありましたが、多くの人はニュースで「こう言う見解」が出たらしいと言う誰かのまとめ記事くらいしか読まないでしょう。
(余談ですが、長距離電車通勤をしていないので駅頭などで週刊誌を買って読む暇もないので、新聞に掲載されている週刊誌の広告を見て、こういうことが今の話題になっているのか?程度の情報収集が普通になっています・・詳細に読み比べるプロと違って、一般人に対する影響力としては、このように「見出し」の書きぶりが大部分を決めていると言うべきでしょう)
委員会見解(3)では、原発取材資料の専門性の結果・社内で「専門的知識を持つ人材でも2〜3日は必要」と認定しています。
まして私のような部外者は、仕事に出る前や寝る前に新聞やネットの見出し程度読むのがやっとであって400ページもの資料自体を1週間もかけて読んでいられません。
以下は報道と人権委員会(PRC)の見解全文(2)の一部引用です。

 (1)本件記事には「所長命令に違反 原発撤退」の横見出しに関わる吉田氏の証言のうち、割愛された部分がある。前述の「伝言ゲーム」について述べた部分(〈1〉)と、「よく考えれば2F(第二原発)に行った方がはるかに正しいと思った」と述べた部分(〈2〉)である。
 これらについて、取材記者たちと担当次長らは、意図的に掲載しなかったわけではないとし、連動していた朝日新聞デジタルには、いずれの部分も載っていると説明している。
 (2)仮に掲載していれば、それだけ読者の判断材料も増え、記事の印象も随分、違ったものになっていただろう。「所長命令に違反 原発撤退」との主見出しに対しても、組み日当日、社内で疑問が広がった可能性もある。

以下は「見解」(3)の文書です。
「専門的な知識、用語の多いテーマであることから、記事内容や見出しの適否を検討するには、担当記者以外の専門的知識を有する記者にも、2、3日の余裕を持って閲覧させるべきであり、部長、担当次長もそのように指示すべきであった。少なくとも、初報記事の関連部分は開示すべきであった。
さらに、特報部が科学医療部、政治部と打ち合わせた18日の会議には、朝日新聞デジタルの特集サイト用のプロローグ部分の予定原稿及び2本目の「フクシマ・フィフティーの真相」の予定原稿が示されていた。後者には、その後に引用されなかったことが問題となる証言部分が載っていた。しかし、19日当日の紙面作りの過程において、デジタル紙面の予定原稿は編集者や他の記者たちに示されなかった。20日付紙面に対応する吉田調書の記載部分やデジタルの2本目の予定原稿が社内で一定程度、共有されていたら、見出しと記事内容は異なったものとなった可能性がある。朝日新聞デジタルでは4月ごろから複数のスタッフも加わって、予定原稿づくりの作業が進められていた。しかし、本紙の編集センターでは、組み込み日当日になっても秘密保持を理由として情報の共有がなされていなかった。行き過ぎというほかない。」
第2に、19日時点でも、見出しや記事内容について多くの疑義が社内の各方面から出されていた。しかし、これらの問題提起はほとんど取り上げられることなく終わった。担当次長は、大阪本社からのデスク会前後での指摘は認識しているが、他からの指摘は認識していないと述べている。紙面の最終責任者はGEであり、当日の責任者は当番編集長だが、これら責任者には伝わっていない。なぜなのか、その原因を点検する必要がある。」

第三者委員会の役割1(朝日新聞吉田調書2)

報告(見解)を見ると、発表前の内部チェック体制不備や吉田調書の誤報が分った以後における対応の不手際解明が中心ですが、国民が知りたかったのは、事実報道に見せかけながら、偏った一定方向へ誘導していたマスコミ全般の日常的体質そのものではなかったでしょうか?
朝日新聞はその特化程度が激しいので、批判を浴び易いだけです。
組織暴力団事件も末端殺し屋が動いて、トップが知らなかったでは済まないのが昨今の風潮(少なくとも民事賠償事件では)です。
いつも一定方向にしか発言出来ない状態で運営している社風の場合、問題点は社内決済システム不備ではなく日頃からの社風・体質のあらわれであって、個々の決定にトップが関与する必要すらなくなっている・・、どうせやめる予定のトップ責任ばかり検証しても仕方がないように思えます。
第三者委員会が2つになっているのでややこしいですが、両見解を読むと吉田調書事件では部門任せだった社内総合評価システムの不備を指摘しながら、慰安婦事件の第三者委員会では社長ら上層部が池上彰氏掲載記事に介入した点を強く批判しているなど、ちぐはぐな印象です。
ただ結果から見ると、吉田調書では総合関与がなかった点を批判し、池上報道では上層部意見が通った点を批判しているので、それぞれの委員会では結論から見解を出していることになるようです。
社の基本思想にあえば、わずかに現場記者2人しか資料を読み込まないままニッッポン民族の大汚点・・世界ニュースになるような記事をそのまま出せる仕組み・・暴走出来るし(大社会問題になってからでも広報部が資料すら見ないで弱い個人相手に法的手続すると脅かしています)、社風にあわないとなれば社長まで乗り出して池上記事を没にする決断をする・・この一貫した体質こそが暴かれるべきです。
そうとすれば後に紹介する第三者委員会の岡田個人意見のように委員会全体見解でもストレートに「角度に重きを置く」社風を指摘するのが王道だったように見えますが、政治的配慮から公式意見としてそこまで踏み込めなかった(本音は個人意見で理解して欲しい)と言うことでしょうか?
近年流行の第三者委員会設置の役割ついて、ここで少し見ておきましょう。
朝日新聞で言えば、国民は連続虚偽?誤報道が何故起きたのか?個人が思いつきで出来ることではないので、その体質に疑惑を持たれて世論が沸騰していました。
その大きな疑惑を放置出来ないために第三者委員会を設置するから、個々の質問に答えられないと称して、社長自身に対する厳しい質問等をさせない・・釈明をしないでうやむやにしたものでした。
その結果厳しかった世論の熱がサメた頃になって、出て来たのは「今後内部統制システムをしっかりする」と言う国民の関心とは直接的な関係のない結果公表で幕引きの印象・・肩すかしを食ったような印象を受けた人も多いでしょう。
これをどう読むかですが、淡々と事実経過を書くことにとどめて、読者による冷静な解釈判断に委ねる・・朝日新聞自身に対しても反省するチャンスを与えるのは手堅い方法です。
一定の立場に肩入れするような特定評価をしない・・・国内の感情的対立をあおるようなことを慎むのも大人の処方箋です。
煽るだけ煽って韓国のように感情的熱狂のウズに巻き込むのは、民族の一体的発展のために得策ではありません。
正月休み中で時間があったので慰安婦・池上氏関係に関する第三者委員会と原発吉田調書に関する「報道と人権委員会」の双方意見書を読む時間がありましたので一部紹介しながら書いてい来ます。
以下「報道と人権委員会」報告(11月12日)(朝日新聞社「吉田調書」報道「報道と人権委員会(PRC)の見解全文」)から見て行きます。
同見解では、原発吉田調書については事実関係・読み方そのものに争いがあったので、事実関係を克明に記載・検証しているのは当然ですが、結果的に内部チェック体制を見るために時間をかけた印象で、韓国でセウオール号事件報道(乗組員が乗客を放置して逃げた)政府非難が過熱している最中に、この発表をぶっつけた政治的意図については何ら触れるところもありません。
元々このセウオール号事件で過熱していた政府非難を冷ます目的と日本民族を貶める両目的があったのじゃないか?と言う疑惑から、大政治問題に発展して第三者検証が必要になった出発点に触れない点に不満を持つ人も多いでしょう。
しかし、淡々とした時系列的記述(調査結果)自体から問題性を読み取りたい人は読み取れば良いと言うのも1つの見識です。
関係者が原資料を読みもしないで「法的措置をとる」ような文書を発行している事実を淡々と公表することから、1月6日に私が書いたように読むことも可能ですし、そこから何を読み取るかは読者の自由です。
また記事発表前の緊迫した状況が克明に記載されていますが、元々3年以上前に発生した事故対応として「東電職員の9割が逃げたかどうか」を発表するのに、社内関係者が2〜3日かけて議論する時間的余裕がなかったとは思えません。
同見解で
「 専門的な知識、用語の多いテーマであることから、記事内容や見出しの適否を検討するには、担当記者以外の専門的知識を有する記者にも、2、3日の余裕を持って閲覧させるべきであり、部長、担当次長もそのように指示すべきであった。少なくとも、初報記事の関連部分は開示すべきであった。」

と指摘されているように2〜3日どころか、ホンの短時間の会議でさえ、そこで原調書を見せられていない関係者から、いろんな指摘や危惧が示されていたことも認定されていますが、調書を関係者誰にも見せないで短時間でこれを押しきって強行したのは、異常な進行ぶりです。
緊急速報性のない記事について社内関係者に十分な読み込み検討する時間を与えず急いで発表・・記事にしたのか・・緊急発表の必要性をだれが何の目的で決めたのかも疑問ですが、こう言うことには全く触れずに、時系列中心記述にとどめて読者の読み解き次第に委ねる姿勢といえます。
委員会が韓国スウオール号事件にぶっつける緊急性があったのか?と質問してもまともに答える筈がないから無駄ですし、委員会は国内対立を煽るのが目的ではありません。
事実検証の結果、国内向けには「撤退」と報道していたのに、海外向け英語表記では反抗して逃亡とどぎつく表現していたことが分りました。

「本件5月20日付記事の見出しを「90% of TEPCO workers defied orders, fled Fukushima plant」にして、20日夕方に発信した。直訳すれば、「東電の所員の9割は命令を無視して、福島原発から逃げた」との表現となった。公然と反抗するなどを意味する「defy」の過去形を使った。」

国民としては「命令に反して撤退」(「反して」の場合陰で言うことを聞かない場合を含みます)だけでも怒りの抗議が殺到していたのですが、海外向けには何故「反して」ではなく、強固な目の前で反抗を意味する「defy」にしたのか、「撤退」を「逃亡」に強調したのか知りたいところです。
これも国民の受け取り方に委ねると言うことでしょう。
(国民には反発を受けないように優しく表現して海外に誇張宣伝するのが元々の主たる目的だったのではないかという穿った解釈も成り立つでしょう。)
報道と人権委員会の「見解」は、全体として事実を丹念に拾っていることが評価出来ますし、丹念な事実認定の結果、無理に踏み込んだ見解を書かなくとも、明らかにした事実を基に国民の健全な判断に委ねる収め方は、法律家的手堅い「見解」と評価出来ます。

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