高齢者は85歳から1

後期高齢者の対象年齢を75歳とするのは今では早すぎないか?という方向の意見を昨年大晦日に述べましたが、そうはいうもののトシは争えないもので、いつの間にか?健康第一の心境になってきているのが現実です。
70歳になった頃から、いつまでも元気だと内心自慢しながらも「老い先短いのだから良いものを食べたい」など高齢化を理由にいろんな面で身勝手な要求が強くなっています。
折良く農家の人が量が少なくとも美味しいものを作ろうと努力してくれるようになっているのは私の心境変化にうまくあっていてあり難いことです。
いつもこんな風におめでたく満足して生きてきたし、1月2日の箱根駅伝でも書きましたが、どういう結果が出ようと「ありがたいことだ!」と感謝したくなる、おめでたい気性です。
昨年12月初旬に司法修習終了(判事検事弁護士になってから)45年の同窓会が開催されましたが、未だに社会でこういうことをしていると活躍ぶりを披露する人もいれば、事務所時間の大半を碁敵との対戦に費やしている(夜中まで終わらないことが多く碁敵・・相手は横浜の弁護士らしく遠いので事務所に泊まっていくこともあるとのことで恐れ入ります)と現状紹介する人もいるなど、高齢者の同窓会になると何を大事に生きてきたかも分かり、味のある会合でした。
ただし、ほぼ全員が45年前卒業時の特徴そのままで今も生きていることが分かり、生きていくスタイルというものは変わらないものだなあと感心しました。
最近メデイア界では格差社会の弊害や不満論・煽っているのかな?が喧しいですが、日々の生き方の積み重ねが将来に大きな影響(格差が生じる)があるからこそ、若い頃から研鑚に励み(受験勉強やスポーツ各種芸事・・音楽やバレーなど訓練し)周囲から尊敬されるような人物にとか、ほどほど楽しく生きられる程度のゆとりを確保しようと皆励むのではないでしょうか。
蓄積資産・各分野での地位・健康管理による体力を含めて高齢者の能力は、長年の自己管理・研鑽の総決算・・結果ですから、歩んできた期間の長さに比例して結果に大きな差が出るのは当然です。
無茶な生活をしていた人の多くが40台なると大きな病気をして社会から消えていった時代には、(私が弁護士になった頃には、目の前でそういう人がゴロゴロいました・こういう人が多くいてこそ平均年齢73歳くらいであったと記憶しています)健康管理を含めた成功者しか高齢で残らない社会でした。
格差社会と批判しますが、無茶な生活をしていた人の多くが40台なると大きな病気をして社会から消えていった時代には、健康管理を含めた成功者しか高齢で残らない社会でした。
15年ほど前にこのコラムで書いたことがありますが、古代から名を残すような人は皆長寿でした。
古代から西洋ではアリストテレス、わが国では秀吉あるいは、家康、もっと前の藤原彰子(ウイキペデイアによると・・永延2年(988年) – 承保元年10月3日(1074年10月25日)北条政子(保元2年(1157年) – 嘉禄元年7月11日(1225年8月16日))など皆長寿でした。
当時から江戸時代までは、食うや食わずのその日暮らしのものは2〜30歳前後で淘汰されていましたし、一定の地位があってあるいは戦後高度成長の結果生活環境の底上げが進んでも、無茶をしている人に限ると咎めが出るのがいわゆる厄年ですが、当時は一旦大病にかかると直す方法がないので40台で多くが淘汰されますので、働けなくなって生き残っている高齢者の多くはなお人生の成功者中心であって、(たまに貧者が生き残ってもそれは特殊要保護者であって、社会問題になりません。
こういう社会では高齢者の多くは成功者(村社会では地主階層などそれぞれの地位相応の)ですから、高齢者間の格差(食うや食わずのものは40歳前後まで淘汰されています)は問題になりません。
生活水準アップし始めた明治以降では、社会的地位構築(子供に恵まれない場合もあるでしょう)に成功しなかったにも関わらず生き残った例外的場合だけ「養老院」という施設が必要になった・もっとその前には山間僻地の地域限定ですが姥捨山の時代でしょうか?
健康管理だけ成功したが、本人の能力アップによるのではなく医療や保健衛生の発達によって他力本願的に救急医療等で偶然助かる人が増えると、働かなくても食えるだけの人間関係や資産を残していない人が増えるので社会問題になって来ます。
医療発達の結果、障害児の寿命が延びて親が先に死亡するなど面倒見切れない親が増えるので障害者年金が必要になって来たのは障害児の能力が上がって長寿になったのではない・外力に頼る点では同じです。
高齢化と格差に戻りますと、5〜10分間だけスポーツ練習や勉強した人としない人との差はほとんどないとしても、10〜20時間練習では少し差が開き、数百〜千時間の練習をしたり算数を習った子供と全く練習せず勉強しなかった子ではその分野での能力に差が開くし、この蓄積が万単位時間の差になると大きな差になります。
この差に気づいたのが、専門分化(世襲の優位性・今でも歌舞伎役者等に残る・・幼児期から親の仕事・・見よう見まねで幼児期から訓練していく優位性)の始まりでもあったでしょう。
人生50年時代から、超高齢社会(無茶な生活をしていて4〜50歳で大病を患ってそのままこの世から消えていたグループが、救急治療受けて社会復帰しないまでも入退院繰り返しで高齢化することが増えると蓄積時間軸が伸びた分、その間の生き方次第で、格差がより開いていく一方になるのは論理必然です。
こうなると「各人の生き方の責任だ」と放置しておけないので、(救急医療で延命させる以上は退院後の受け皿・・生活保障が必要になります)結果平等をどの程度保障するかのテーマが大きくなってきます。
独身高齢者の病気が治って退院する時になっても家で面倒を見てくれる家族がいない人が増えると(これが一人二人の例外現象の時にはボランテア任せで済んだでしょうが、大量に出てくると)受け皿整備・完全に良くなるまでの生活の面倒を誰が見るか(デイサービス等)の整備が必須になります。
刑務所の刑期を終えても受け入れる家族のない人が普通になると、(この種の問題・出所後の福祉との連携は早くから始まっています)刑終了で路頭に放り出して後はどうなろうと知りませんでは済まなくなります。
一方で犯罪を犯しても善行を積んでも老後の結果に差が開かないのでは、道徳を守り日夜精進努力する人が激減するでしょう。
長年の努力の結果、幸福な家庭を築いている人と、そういう努力をしなかった人との間でどの程度まで格差縮小すべきかは難しい問題です。
身体能力低下にも個人のばらつきが大きいだけではなく、職業によって例えば特定分野の能力が落ちても発揮するべき能力に関係ない分野もあります.
知的職業者では走る速さや、歩行耐久時間低下はあまり職業能力低下に関係ない・・機材の進歩による補充性・・眼鏡の発達が老眼や視力低下による能力低下を防義、車のハンドルさばきに力がいらなくなると女性のトラック運転が可能になった・フォークリフトの発達で荷物の積み下ろしも機械化され女性が担当できるなどのほか、手先機能の一部が麻痺してもキーボードさえ打てれば文書表現に問題がないなど多様な補助手段が発達してきました。
パソコンの発達は・うろ覚え程度の知識さえあれば必要な時にググればいいのですから正確な知識の必要性をなくし記憶の代替・知識力の活用能力を代替しています。
このコラムを書くにあたって朧げな記憶程度で論を進めて、念のためにググれば有名人の正確な年齢や時期が出るなど・・。
有名な詩歌でも片言隻句を記憶していれば正確な詩文が検索できます。

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