韓国はどこへ行く?3(親中・北政策の蹉跌2)

前パク大統領の親米〜親中〜米陣営復帰〜弾劾への流れを見ておきましょう。
パク大統領は、出自と大統領になる前の行動から、親日親米思考体質プラス軍を背景にした対北朝鮮強硬思考が基本体質とみられており、当初日本でも同氏の大統領当選を関係改善につながる期待で受け止めていたものです。
パク氏は当初未来志向の動きだったように見えますが、米国頼りでは6カ国協議が停滞したままで北のエスカレートする挑発を止められないことから、北に強大な影響力を持つと見られた中国の力に頼ることに変更したものとみられます。
北が核兵器を持てば、米軍駐留が続いても米軍が核兵器による米本土攻撃の脅迫を受けると韓国を守ってくれなくなる・・「北から韓国を守る・核兵器開発中断させるには中国の圧力に頼るしかない」という大義の選択だったと思われます。
韓国の方が経済力もあるし、北と親密にするより韓国と親密にした方がメリットが大きいというセールスポイントも利用したでしょう・・北のパトロンを奪取しようという魂胆に見えましたが・・。もちろん韓国の方も米国に義理立てするよりは対米貿易より対中貿易額の方が大きくなっているという韓国のメリットもあり、一見ウインウインの関係とも言えました。
ただし、中国の方は自国技術力アップ中で、すぐにも韓国企業に追いつき競合するのが目に見えていたので、中期的に見て韓国企業優遇どころか、排斥相手にしたい関係でしたので米国陣営から寝返る・来るのは拒まないが・・という程度だった点で思惑が違いました。
中国としては、招待したら来た程度で何の義理も感じないし約束もしないとい程度の客扱いだったようです。
一方的にのめり込み盲目的恋愛のように中国にすり寄ってしまった韓国は、西側諸国からの反発覚悟のかなりの犠牲を払って中国の抗日式典に参加し、日米がボイコットしている中国の世界支配の基本構想である一帯一路構想の基盤となるAIIBにも参加し、トップ間のホットライン設置するなど最大限の誠意を示しました。
慰安婦騒動激化もその誠意の一態様と見るべきでしょう。
ちなみに当時国際的な慰安婦運動は韓国名義でやっていましたが、例えば米国の慰安婦像設置運動を見ると韓国人社会が実際には動いておらず背後で操っているのは、中国の資金と中国人脈によるロビー活動によるのでないか?という噂が一般的でした。
慰安婦像設置は住民投票によるのではなく、持ち周りの市長?市議会?がいきなり設置を決めたような経緯です。
民主社会という美名を信じて日系人が如何にビラ配りなどの運動しても公園の一部施設を選挙で決めるものではない・日本でも公園の備品・ベンチを置くかなど)のですから、ロビー活動で負けるとどうなるものではありません。
中国は改革開放直後から将来的にはGDPや軍事力で日本を追い越すことがわかっていても、最後は文化度の競争ですから、長期戦略として日本文化評価をじわじわ貶めて行く長期戦略があるものと思われます。
韓国政府の中国傾斜が始まると中国の要請によるのか勝手に忖度したのか?朴政権が日清戦争以降縁が切れていた中国陣営帰参の引き出物にしたのか不明ですが、自ら慰安婦問題をあおり告げ口外交をするようになったので、これは本当に韓国政府肝いりで行なっているというお墨付きを世界に与えたような関係になったように見えます。
翌16年1月に起きた北朝鮮の核実験に対する抑制依頼のためにせっかく設けたホットラインで習近平に直接電話しようとしても中国はその電話にすら出ないで何もしてくれなかったので、国内的に反米親中政策がなんだったのかの(親米派による)批判噴出に見舞われたと思われます。
国際環境の変化・慰安婦騒動に関して韓国支持国がなくなって来たことによって(パク大統領の外交は中国へは一方的擦り寄りにすぎず実は何も得たものがなかったのです)親米派勢力の不満(アメリカの巻き返しもあって)を背景に日韓合意となります。
日韓「不可逆的」合意に関するウイキペデイアの記事からです。

2015年(平成27年)12月28日に大韓民国(通称:韓国)ソウルの外交部で行われた日本の岸田文雄外務大臣と韓国の尹炳世外交部長官による外相会談後の共同記者発表で[1]、両外相は「日韓間の慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と表明[2]。韓国政府が元慰安婦支援のため設立する財団に日本政府が10億円を拠出し、両国が協力していくことを確認した

その後も北朝鮮による核実験やロケット発射の連続に対して何もしてくれない無視を決め込む中国への不満が高まる中で自国を守るためには米国に頼る軍備増強しかないという16年7月のサード配備決定でした。
https://business.nikkei.com/atcl/report/15/226331/071900059

「中国陣営入り」寸前で踏みとどまった韓国
THAAD配備巡り米中代理戦争
鈴置 高史  2016年7月21日
7月8日、在韓米軍へのTHAAD配備が正式に決まりました。
配備拒否派が世論を盛り上げて朴槿恵(パク・クンヘ)大統領を動かそうとした。慌てた賛成派が巻き返し、大統領の裁可を取り付け急きょ発表に持ち込んだのです。

「配備」の正式な発表を受け、中央日報は解説記事の見出しを

「苦悩の末に……朴槿恵政権、韓米同盟を選んだ」(7月9日、韓国語版)
日本語版もほぼ同様で「配備拒否か賛成かは、米国との同盟を拒否するか続けるかの選択だった」

との前提です。
これが多くの韓国人の実感でしょう。
中共政府の抗日戦勝利集会に参加して支配下に入ったはずの韓国の裏切り(と言えるかな?)に中国は(権威を示すために)怒り、土地提供したロッテに対する中国の報復、現代自動車への嫌がらせ等々(もともと自国企業と競合する進出企業潰しの口実)が今だに続いています。
この間オバマの日韓仲裁などを経て16年10月28日のろうそく集会後の日韓軍事情報保護協定(GSOMIA)(11月23日)に進んだのですが、これがさらに反米親中派を刺激しました。
この時点でのろうそく集会はスキャンダル批判だったので朴政権は甘く見たのでしょうか。

韓国はどこへ行く?2(親中・北政策の蹉跌1)

清朝からの独立を認められた下関講和条約翌年の1896年2月に、高宗はロシア公館へ(亡命?)こもります。
露館播遷に関するhttps://ja.wikipedia.org/wiki/の記述です。
露館播遷

高宗がロシア公使館で政務を執り行った結果、ロシアは年表に示す利権を獲得し、他の欧米列強も同等の利権を獲得することになった。 また、これは国としての自主性を放棄するのに等しい行為であり、後に日露戦争時に中立を宣言したが日露両国から無視されるような結果となった。

上記の結果世界的に独立国を名乗る能力がない・国家として認められていない状態になっていた・・世界中のに対し自主性を放棄しても良いが、ともかく日本と対等になるのだけは嫌だったらしいのです。
戦後は朝鮮戦争の結果助けてくれたアメリカに従属したままでこれが嫌でたまらなかったでしょうが、頼りたくて仕方のない中国がようやく力をつけてきたし対中貿易の方が対米貿易より大きくなったので、「頃や良し!」とばかりに、正面から日本に喧嘩を売り千年以上許せないと啖呵を切ってしまったと思われます。
https://www.j-cast.com/2013/03/04168068.html?p=all

朴大統領「被害者の立場、千年不変」と主張 韓国に「いつまで謝罪し続ければいいんだ」の声
2013/3/ 4 18:50
演説は2013年3月1日、1919年に起こった「三・一独立運動」を記念する式典の中で行われた。朴大統領は、
「(日本と韓国の)加害者と被害者という歴史的立場は、千年の歴史が流れても変わることがない」

と大げさな演説をした上で反日運動に邁進していたので、日本では「陰口おばさん」と揶揄されるようになっていました。
以下は陰口外交に関するウイキペデイアの記事です。

告げ口外交(つげぐちがいこう)とは、2013年に韓国大統領の朴槿恵(パク・クネ)が行った、日韓の歴史問題に関する外交政策で、日韓以外の第三国に日本の悪口を言い触らして回ることに対して日本の各メディアによって用いられる俗語である。「言いつけ外交」[1]、「おばさん外交」[2]とも呼ばれる。

その勢いに乗って西側諸国一致してボイコットしていた中国の抗日戦争勝利記念式典に唯一の西側諸国首脳として出席し、習近平からロシアプーチンに次ぐ序列3位(冊封体制下では朝貢使節がどういう序列で出席できるかは最重要事項でした)?のもてなしを受けて、対日敵対意識のみならず今後は、米国の意向など問題にしない態度を露骨に示しました。
https://www.bbc.com/japanese/34136088

中国で大規模軍事パレード、抗日戦争70周年記念
2015年09月3日
出席した外国首脳、欠席した首脳
来賓の中には、ロシアのプーチン大統領、韓国の朴槿恵大統領、国連の潘基文事務総長などが肩を並べる。しかし潘氏の出席は批判を呼び、米・英・豪・日の政府首脳は欠席している。
「日中関係が難しい状態にあり、アジア太平洋地域の軍事的緊張が悪化している中で、国家指導者の中には、中国の国家主義的な反日大会に参加することへのためらいがある」とニール氏は話す。

この頃の韓国国民感情は19世紀末以来欧米の顔色を窺うしかなかった朝鮮族が、今後ようやく中国の保護下で安心して生きていける(しかも冷たい利害で結びつくロシアを除けば実質序列1位の地位獲得で、歴史上初の栄誉です)と、国内が盛りがっていた・・昂揚感が高まっていたと思われます。
この歓喜の頂点において、あれほど日本批判をしていた朴政権は慰安婦問題に関して日韓合意に踏みきりました。
負け戦発表の潮時をはかるために中国べったりで国民歓喜・・支持率の上がったところでの収束を図ったのかもしれませんが、これが裏目に出ました。
(国内的にはアメリかの不当圧力でやむなく・・という弁明でしょう)
(国内的にはアメリかの不当圧力でやむなく・・という弁明でしょう)
実質はいかに告げ口外交して歩いても国際社会では韓国の主張する慰安婦問題が受け入れられなくなったことにより曖昧解決でごまかすしかなくなったことが主たる原因でしょう。
(逆に日本では「せっかく韓国を追い込んだのにここで曖昧合意だと明白な決着をつけるまでやらないと禍根を残す」という批判が渦巻いていたことは周知のとおりですが、何やかやと言ってもトップの決めたことには最後は従う度量が国民にあります)
パク大統領がどういう言い訳をしようとも内政失敗に対する国内不満をそらすため近隣国にいちゃもんをつけて独裁者が侵略戦争に踏み切って無残に負けて帰ってきたような体たらくでした。
今の文政権が国内無策の隠蔽のために反日拡大と北朝鮮との和解成立に政治生命を賭けきたのですが、米朝決裂によって無残に失敗したのもこの繰り返しです。
そもそもアメリカを見限って旧宗主国への寝返り、その帰参がかなったという国際宣伝のために中国が上記式典を盛大に行った(そもそも中韓関係誇示のためにいきなり開いたものです)のに、その直後にアメリカの圧力で止む無く日韓合意せざるを得なかったというストーリー自体が矛盾ですから、表面だって言ってないでしょうが・・。
上記思い切った行動にアメリカが本気で怒って、相応の脅しが入ったのかも?
日韓合意だけではなく続けて宗主国様への裏切りと評価される中国の最も嫌がる米国のサード配備を受け入れたことにより中国の怒りを買って、ロッテに始まり各種分野で露骨な嫌ガラセを受けるようになってしまい、史上最大の栄誉どころではなくなりました。
ろうそく集会エネルギーの源泉は、国民感情を裏切った朴政権に対する怒りが基本であり、パク大統領の特定人物に対する厚遇に対する不満はそのきっかけ・あるいは表向きの主張に過ぎなかったと私は理解しています・・・。
以下中国抗日戦勝利式典(15年9月)日韓合意(15年12月)〜サード配備決定(16年7月)〜ろうそく集会(16年10月28日)〜日韓軍事情報保護協定(GSOMIA)(16年11月23日)の時系列で明日以降見て1きます。

日中・日韓の復縁?(日中、日韓議連は何をしていたのか?)2

中韓政府が日本に対して拒絶的なときに、「詩人と政府とは別だ」と言って何故友好活動しなかったのか疑問に思う人が多いのではないでしょうか?
相手がすり寄って来たらイキナリ友好関係が復活する関係って、何なの?と言う疑問に感じる・・あるいは、「恥ずかしいよ!」と言う人がいないのでしょうか?
(少なくともマスコミ界にはいないのでしょう)
中韓双方では、日本の政治家や文化人を都合よく利用出来るときだけ利用していた・・都合悪くなったら約束していた訪問さえ(国際儀礼に反して)どたキャンし、コチラの訪問を拒否する関係が続いていました。
二階進氏一人の問題ではなく、日本の政治家や文化人はイザとなったら何の役にも立たないことのために「何とか議連」何とか協会を造り、相手に迎合しているだけで◯◯国通になっている「つもり』だったのではないでしょうか?
何とか議連の役割は日本の国益のために相手国の政治家と協力関係を築いておくことであって、相手の都合に合わせて言われたとおりに受け売りするためにしか働かないのでは売国奴集団あるいは、中韓の工作員集団と言われてしまいます。
アメリカで慰安婦像を日本寄贈の庭園入口に建てたアメリカのグランデール市は大阪のどこかの市または府と姉妹都市関係で相互交流していたと言われますが、長年の交流が同市の反日行動実現阻止にどのように役立ったのか何の説明もありません。
いろんな姉妹都市交流って税金を使って相手に利用されているだけではないのか、韓国親善訪問の高校生が土下座させられる例を聞きますが、そんなことのために日頃から交流していたのでしょうか?
あるいは政治家や事務方が、親善訪問などと称して公費を使って海外旅行しているだけか・・など再検討が必要です。
本来平和時の姉妹都市関係構築や民間交流活動はイザと言うときにブレーキ役になってこそ意味があるのですが、彼らはどう言う役割を果たしてくれたのか、今回の中韓共同での計画的反日行動関連で日韓、日中議連が日常交流して来たことが、どう言う役割を果たせたのかに焦点を当てた検討が必須でしょう。
東北大震災以降原発設置基準の見直しがあったように、日中、日韓両議連あるいは、各種文化交流関係者は国内で中韓の取りなしや中韓の宣伝をそのままするばかりだけではなく、中韓文化人にどう言う働きかけをしていたかです。
頑張ったが相手がシャットアウトして会ってくれないので何も出来なかったと言うのでしょうか?
そんな都合の良いとき(日本から援助金や技術を欲しいとき)だけ頻繁に会ってくれるような関係ならば、始めからやめた方がマシです。
困ったときこその友人と言いますが、日本が地震等で困ればそっぽを向くこの機会にやっつけようとするような相手とは付き合いはやめた方が良いでしょう。
元々、中韓の態度は日本から技術や資金を貰えるだけ貰って、技術力が付けば日本を見返してやりたい・報復としての侵略もしたいとと公言している関係ですから、日本から利益を引っ張るのに都合がいいときだけでの付き合いであることは明らかです。
日本が大震災で最も弱った好機と見て、攻撃態度を明らかにしたものの、意外にまだ自分の方が日本よりも弱いことが分って仕方なしに態度を豹変させて来たに過ぎません。
こう言う国々に日頃から、喜ばれる御土産満載で友好?訪問ばかりして来た議連や各種文化人の真意を疑う人が多いのではないでしょうか?
お土産満載と言えば日本からのODA口利きのバックマージンもお土産の1つだったかも知れません。
市会議員らの何とか国訪問と言う旅行案内(政治資金集めパーテッィーの新型版です)がしょっ中来ますが、二階進氏が習近平と合わせると言って3000人募集して連れて行ったことの小型版です。
習近平は今では困っているので、やむを得ずどうでも良い人?との面会に応じたのでしょうが、国力を背景にした押しつけ友好訪問ばかりでは、相手は仕方なしの傾向があってマイナス効果しかないし、日本が困ったり弱ったときに助けてくれるどころか逆効果・・会ってくれないでしょう。
相手が悪いだけではなく、コチラの人材に問題があった・・友好訪問と言いながら押し掛けだった?・・可能性もあります。
「俺はあいつを引き立ててやっている」からと部下の家に押し掛けてしょっ中ごちそうになっていると内心嫌われますので、落ち目になっても本気で力になってくれません。
こうして見ると、現地進出企業の信用や個人がコツコツ現地で植林指導したりしている草の根の交流こそが日本の国益になっていて、政治家の相互訪問はその貯蓄を食いつぶしているマイナス効果しかないのかも知れません。
姉妹都市になっては政治家が相互訪問しても相手が接待疲れするだけですから、日本の国力衰退になると、背を向けられるだけです。
グランデール市には日本寄贈の日本庭園があるようですが、その恩着せで仕方なしに日本の市長らの訪問を歓迎してくれたでしょうが、慰安婦贈設置反対には何の効果も発揮していないどころか見せつけのように、日本庭園入口に慰安婦像が建てられたと言うのですから、逆に(経済力を背景にした押しつけが)嫌われていた可能性があります。

日中・日韓の復縁?(日中、日韓議連は何をしていたのか?)1

中韓が自分の都合で・・まだ日本の力の方が大きいことが分り、今喧嘩するのはフリだから当面仲良くしてやる・・ついてはもっと中国(韓国経済)が強くなるように技術移転してくれと言うスタンスに変わりました。
「都合が変わったので、・・日本総理と面会してやる」と言っても、日本人から見れば礼儀知らずブリ・・自己中心的行動に驚く方が多いでしょう。
マスコミは中韓首脳が会ってくれるならば、会いに行った方が良いと言わんばかりの誘導的記事・・日本人は心を広く持つべきとか・・反対するのは如何にも心が狭い人物の行為と批判する文章ばかりですが・・。
こう言う誘導的識者?の意見が連載されると、殆どの人がフザケンな!!と「怒っている」のは自分が度量がなくて恥ずかしいことなのか?と思ってしまいます。
感情的になるべきかどうかと相手が無礼なときにどのように対応すべきか・・、「一定のけじめを付けないと(今後のために)いけないのじゃないか」を冷静にチェックする必要性があるかは別問題です。
また今回の反日騒動の教訓として、今後の技術移転などうあるべきかを冷静に再検討すべきです。
「陽光韜晦」を振りかざして、今はまだ弱いからもう少し日本技術を取り込んでから再挑戦したい・勝てるようになればどんな侵略も辞さない意図を明らかにしている中国相手に日本侵略に利することになる技術協力する合理性があるかこそを冷静に吟味する必要があるでしょう。
「大人の態度」を強調するムード的マスコミ議論こそ、感情論に訴えているだけです。
感情論と冷徹な利害衡量論の違いをマスコミはあえてすり替えているか、智恵が足りずに区別が付かないのか不明です。
もしかしたら、表向き大人の態度で・・具体的交渉になれば冷徹にと言うこと・・企業は自己保身のために冷徹に考えるに決まっているから、「言わずもがな・・・」と言う前提もあるでしょう。
上記のとおり本音を明からさまに言わないのが日本の基本ですが、国民の多くもこれに乗ってしまい、中韓もその気になってしまう・・これが続いてきたのが戦後70年でした。
中韓は(日本の本音を誤解して)日本に対しては何をしても許される・・「攻撃して失敗すれば仲直りしたいと言えば良い」と気楽な関係になってしまったようです。
今回はケジメを付けてくれないと、日本の国民感情が許さないだろうと言うのは、私の直感的推論・・国民感情の勝手な代弁です。
政治家の中には(何らかの裏での利害関係もあって)何としても、中国や韓国への進出を応援し、後押ししたい勢力も勿論一杯います。
二階進氏は3000人も連れて行ったりして中国との密接なつながりをアッピールしている様子ですが、(この辺は数ヶ月前に書いた原稿ですからその頃に行ったと思います)中国が何としても日本にすり寄りたくなってから、その代弁者として「犬馬の労をとっている」ようにみえます。
日本のために彼が中国との密接な関係を活かすならば意味がありますが、反日騒動で日本企業が困っているときに彼はどう言う仲介の労を執ったのでしょうか?
中韓主張の尻馬に乗って「日本も反省が足りない」と言うくらいならば、何のために日頃の交流があったのかとなります。
日本企業が困ったときに何の役割も果たさなかったとすれば、中国が困ったときイキナリしゃしゃり出て来て日中友好の大切さを主張する政治家って、どちらのために動いているのか疑問に思う人が多いのではないでしょうか?
日韓議連も同様に韓国の困っているときにあれだけ友好関係の行事をしていたのに、日本が困ったときに何の役に立ったのか不明です。
困ったときこそ本来役立つべきトキになったら、相互訪問すら出来ない状態が日韓、日中の両議連で続いていました。
8月11日日経朝刊36p・最終ページには、「文化往来」として日中韓詩人合同発表会の記事が出ています。
国と国の関係がぎくしゃくしているときにこそ必要と言う記事ですが、中韓が居丈高になっているときに活動しないで、中国韓国が自分の都合が悪くなってすり寄って来るようになってから、こう言う活動が始まるのが不思議です。

中韓接近6(日韓併合5)

1昨年初夏に八千代市にある京成バラ園へ行ったときに、片側1車線の道路で延々と車が渋滞して遅々として進まないのには驚きました。
このような道路事情は千葉市では20〜30年前に経験していたことで、もう忘れていたので「日本でも未だこう言う都市があるんだ!」と驚きました。
自治体間格差が大きい状態で合併すると裕福な自治体は損するので、合併交渉は容易に進まないのが現実です。
異民族間の合併は、戦争をしないでただで日本の領土が増えるから安上がりと言っても、誰も賛成しないのではないでしょうか?
日本国内と同じようなインフラや福祉制度を行き渡らせるとなれば大変な支出ですから、日本国民にとっては周辺国と合併するのは合理的ではありませんし、国内自治体の合併とは違い異民族間の格差問題・融和など目に見えないマイナスエネルギーが増えます。
この無駄をやって来たのが日韓併合でした。
明治以降日本にとって、朝鮮半島が独立を保ってくれるのかあるいはその支配がどこに帰属するかの関心が強かったのは、迫り来るロシアの圧力を少しでも遠くで防ぎたいという国防上の必要性がありました。
その他の西洋列強はいくら海軍力があると言っても日本までやって来られる船の数が知れているし、(長期間日本にだけ貼付けておく訳には行きません)万里の波涛を越えて来るので、圧力と行っても限度がありました。
幕末の薩英戦争であれ、長州の4国艦隊との戦争であれ、初日でコテンパンに負けても和解に応じないならばゲリラ戦でも戦い抜くと言えば、西洋列強が束になってかかって来ても租借地1つ確保出来ず引き下がるしかなかったのです。
中国の場合日本のように郷土死守の愛国心がないので、少しでも負ければ、租借地提供で済むならば・・と安易に妥協してしまうところが弱点です。
実際、蒙古襲来を武士団が撃退出来たのも、飽くまで降伏したり逃げないで夜襲を繰り返す土地を死守する戦法に蒙古軍が夜も寝られずに参って来たところに台風が来たに過ぎません。
ところが、ロシアは朝鮮半島まで陸続きで来ると蒙古来襲の時代と輸送力が違って大量の軍を送り込める直ぐ間近になるので、それに対する恐怖感は半端ではありませんでした。
日本にとっての最大関心事は、李氏朝鮮が日本や朝鮮独立維持のために欧米列強・・特にロシアに対して一緒に対抗してくれる国・・防波堤になってくれることでした。
幕末から明治維新以来、日本は独立を守るためには国を統一して近代化を図る外にアジア友邦で力を合わせて対抗する必要性が自覚されていました。
(アヘン戦争を知って以来、この思想は既に日本の憂国の志士の共通認識でした)
明治維新=統一国家形成と同時に李氏朝鮮に審政権樹立の挨拶などして協調を働きかけたものの、李氏朝鮮は今の南北両朝鮮同様に「天皇の「皇」にこだわって国書受領を拒否したり開国した日本を逆に非難し、劣等意識の裏返しで見下した発言するばかりでどうにもならないので、業を煮やして征韓論が生まれて来たのです。
国書を受け取らない非礼の問題は、後に発生した江華島事件処理に関連して朝鮮側の謝罪で決着がつきましたが、この種の問題は朝鮮通信使のときにも起きて悶着を起こしています。
昨年夏の竹島騒動に絡んでの日本総理からの国書を受け取らない問題は、日本はあまり「非礼だ」ととがめ立てしていないようですが、これには繰り返しの歴史があるのを知っておく必要があるでしょう。
日本を故なく見下す関係は、後に書きますが白村江の戦い以降我が国の文物流入ルートが朝鮮半島経由ではなくなった・・朝鮮半島が置き去りにされて逆に遅れることになって行ったことを認めたくない心理から来るのでしょう。
明朝を滅ぼして成立した清朝がへりくだって明朝のとき同様の友好関係を・・と説得しても、朝鮮族はそれまで女真族を自分よりも格下として見下して来た経緯に拘り、侮蔑的発言ばかりを繰り返して埒があかないので、結局は清朝に討伐軍を向けられて屈服させられた歴史を想起してもいいでしょう。

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