今までの夫婦制度の本質も突き詰めれば、次世代養育のための経済負担者(動物で言えば餌の運び役)とヒナを襲われないようにするガードマン役を決めることに帰するとすれば、(夫婦関係を時代に合わせて変質させて行かないとすれば)このうちガードマン役は夫婦単位では不要・・国家負担になっていますので、今では受精後の夫の役割は経済負担以外には殆どありません。
ところが最後の砦・経済負担能力まで下がって来たので、女性の方は自分も少し稼ぐからその分、夫に対するサービス内容を低下させるだけではなく、子育てその他家事にも協力してくれと言う時代がきたのでしょう。
サービス業で言えば、対価の上下はサービスの上下に比例し、支払が悪い客には、サービスが低下するのは当然です。
愛情のこもった妻の家事育児等のサービスも、社会一般に存在するサービスの一種として見れば、サービス業によるサービスとの比較が可能です。
「家族関係はお金だけではないだろう」と一般的に言いますが、他方で老人ホーム・・介護の社会化やゼロ歳児〜学童保育所の充実等を唱える各種家事労働の社会化論は、まさに自分の最も大事な子育てさえ他人のサービスに委ねる・・すなわちお金を負担することである程度解決しようとするのが、現在社会の多数意見になっていると言えます。
(その他家事労働の機械化や惣菜その他の出来合い食品の充実化を含めて・・私はこの方向に反対しているのではなく、正しい方向と思っています)
自分で何も出来ず、最もきめ細やかなサービスが必要な要介護高齢者や乳幼児の世話を他人に委ねようとする現在の思想下で、体力気力最大で自分でやろうと思えば何でも出来る青壮年期の彼等男性に対する家庭サービスにだけ、妻の手作りの愛情が必須と言うのは矛盾です。
男の金回りのいい年代には、サービスを他人任せにせずに愛情を込めたサービスを最大にしなければ他女性との競争に負けて逃げられてしまう・・子供や老人は逃げられない?からだと理解すれば(寂しい発想ですが)合理的です。
風俗系が金回りの良い青壮年期の男性を主たる相手にしているのと似ています。
男の元気な時期(青壮年期)、炊事洗濯・掃除その他家庭内サービスを嫌がって店屋物や外注だけですましていると、男は家に帰ってくるメリットを感じなくなる・・不満を持ち始めるリスクがあります。
他方で今は小鳥のように日銭を持って帰る程ではなくとも、月々の給与を持って帰れるべき働き盛りの夫が逃げると、たちまち生活に窮します。
各種手当などの社会保障が徐々に充実しつつありますが、まだまだ社会保障の域・・最低生活保障水準に過ぎませんので、夫が給与を持ち帰らなくなると、たちまち最低生活・・低所得層への転落です。
これが後に書く予定の一律生活費支給制度が実施されるようになると夫・稼ぐ人の役割が減少して、男性が女性を選ぶ基準同様に夫選別基準も一緒にいて楽しいか否かが重要な基準になるでしょう。